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 = 伊勢奉仕実践練成会 = (4310)
日時:2012年12月05日 (水) 04時35分
名前:童子

 ・・・神はコトバであり、五十音の展開が万物であり、その万物が「統」によって統一せられる、それを五十鈴というのであります。・・・・

 
 伊勢大神宮の境内に流れている川を五十鈴川と申しますのは、宇宙の万物を統一する天照大神をお祀りしてあるのが伊勢大廟であるからです。天というのは「天球」であって宇宙全体であります。「天球」即ち「宇宙全体」を照らしている大神という意味で天照大神と申し上げます。

 宇宙本源の神様が仮に応化して、伊邪那岐大神よりお生まれになった方が、天照大神であられるわけであります。


 神仏混淆時代に伊勢大神宮の奥院に、阿弥陀仏が祀ってあったという考証を誰かがしておられたのを読んだことがありますが、本当にそんな事があったとしても別に不思議ではありません。

 阿弥陀とは十方世界光明遍照、尽十方に満つる無礙光という意味でありますから天照大神という意味と同じであります。それを仏教では尽十方無礙光如来と申し上げ、別の名称を大日如来と呼び奉るのでありまして、十方世界に充ち満ちておられるところの神様であり、仏様であり、「天球」に充ち満ちてそれを照らしたまうところの大神であります。

 そこから五十音の言葉の流れが展開して万物が成る〈鳴る〉のであります。

         『神ひとに語り給ふ』 「新天新地の神示」講義より
 

波うつ黄金の稲穂 (4316)
日時:2012年12月05日 (水) 05時09分
名前:童子

  〈十月二十日。『生長の家』誌十二月号の本文の校正を終え、表紙原稿を作って印刷所に渡した記者は、夜行列車で伊勢に向った。一つの仕事を完成した喜びと、一年ぶりに果される念願への期待に、記者の胸は高まる。例月二十五日前後に終る神誌編集のスケジュールのため〃伊勢へ〃の夢はなかなか果せなかったのだ。〉



 翌二十一日、列車は名古屋あたりで薄明を迎えた。沿線には、一年前には伊勢湾台風により水に没していた濃尾平野が一面に黄金の波を打っている。豊かな‘みのり’だ。まさしく〃豊葦原の千五百秋の水穂の国〃の感じである。

 折から桑名で、日の出を拝した。大きな大きな、深紅に輝く大日輪。日出る国、日の本の象徴。地平線から次第にその全相を表す太陽をみているうちに、胸一杯に実に豊かな、安らぎがわいてきた。それは東京における満員電車や、騒音、煤煙の文明の街では到底湧いてこない貴いもの、大自然そのものである。この〃自然〃から離れたとき、人間が、社会が不健全になる。この感じは伊勢において一そう強くもった。




 例月二十一日より始まる伊勢練成は、前日夕方までに外宮工作所に集り、二十一日早朝より練成に入る。遅れて着いた記者は、一人内宮警衛課に行き、奉仕現場に案内してもらった。警士さんはもちろん、駅や街で訊いた方々も、実に深切だった、神宮のお膝もとの伝統の故か、生長の家の奉仕が感謝されてか。


 〃神宮神域整理奉仕〃と染めぬいた神宮司庁下賜の手拭を鉢巻して衛士さんの説明をききつつ境内を行く。参拝者というより観光気分が多いが、神域はさすがに身のひきしまるものがある。


 風日祈宮(かざひのみや)の傍を左に神路山に登る。途中三抱え以上もある大木が方々に根こそぎ倒れて痛々しい。


 「女の人はここを登るだけでも大変ですのに、馴れない仕事を・・・」と感心される衛士さんが「きこえるでしょう」とニッコリされる。

 伊勢の山にコダマして、〃有難うございます〃がワーンとひびいてくる。神宮の林野課長をして「一時間に何回言うことに定まっているのか」と驚嘆さした〃有難うございます〃が刻々に大きくなる。

 と、あえぎつつ登った山頂の木の上に日章旗が見えた。生長の家の旗もはためいている。紺碧の空に浮ぶその美しさ・・・。その周り一帯に、大木に取り組み、枝を落し束ねる奉仕の人々。みな揃いの鉢巻に、腰にノコギリ、鉈をつけて甲斐甲斐しいい。記者も早速、鋸をもらい、挨拶もそこそこに倒木の中にとびこんだ。

                        〜 つづく

伊勢に思う (4350)
日時:2012年12月06日 (木) 11時09分
名前:童子

 ・・・・杉をきる。鋸が気持よく走る。きれいな‘のこくず’、木の香が快い。最初はいささか気後れして言えなかった〃有難うございます〃も、いつか大声で繰返していた。汗が光っていた。

 〃嬉しいな〃 〃ああ有難い、有難い〃 太い木をかついだ裸の人たちが、心底から楽しくてたまらない顔で、全身に喜びを発散しながら阪を登っていく。

 伊勢練成の最初から奉仕する宇治道場の奉仕員〈長期練成員〉だった。昨年十一月、濁流の五十鈴川につかりながら奉仕して献労の伝統を築き、〃愛国心未だ健在なり〃と関係者に万均の安らぎと畏敬をもたらした奉仕員たちの合掌した笑顔の美しく、澄んだ眼に、ある本質に徹しきった人のみがもつ厳しいもの ―― 無我奉仕の神髄を感じた。それは山で働く人々みなが、そうであった。

 〃有難うございます〃を繰返し、澄みきった青空の下、太平洋の潮風を胸一杯に吸ってただ汗を流した。

 伊勢の山を眺め、伊勢湾を望みつつ昼食、実においしい。



 今度の練成〈※第21回〉は光明実践委員の伊勢奉仕実践第一回研修会が併行して行われ、全国から約五十名参加した。実践委員は昼食後、一刻を惜しんで山頂に集り、円座を組んで菊地部長はじめ青年講師の指導のもと祖国再建協議会を開いた。

 『理想世界』に曰く ―― 文字通り祖国日本の再建を熱願する日子・日女たちは ・・・・ 神代の昔、葦原の中つ国が暗くなったとき、八百万の神々が高天原にあい集い、〃この暗き国を如何にしてもとの明るい国にもどさんか〃と協議したという神話さながらであった。



            ◆祈りに始まり 祈りに終る

 午後一時、山上より内宮に面して礼拝、『続々甘露の法雨』読誦。仙頭講師より『限りなく日本を愛す』の一節をきく。

 楠本講師の先達で瞑目合掌。献労は祈りに始り、祈りつつ進められる。

 午後の作業も目覚しく進む。とても動きそうになかった大木が、五人で力を協してやったら、動いた。雑然としてもて余し気味だった小枝の山も、〃やろう〃という勢いにのまれたかのように、アッという間に片付いてしまった。

 青年ばかりではない。六十数歳のおばあさんや、都会のお嬢さんも、一様にナタやノコを扱っている。寸法の揃った材木の山が築かれ、ソダ束が堆くなる。



 生長の家の作業量は他の奉仕団体の十倍〈ソダをしばる縄の使用量が、他団体百人で一把に対し生長の家は三十人で三把。神宮の係官が驚いて確めにきた〉と定説になっているが、一人一人の力ではない、日本人の自覚と同信の一体感が一つになったとき、期せずして十倍の力になる。

 土木工事の監督という山の専門家、愛媛の中尾さんが「こんなにきれいに能率よく気持よい仕事は、今まで職人にもみない」と言っていたが、なるほど見事なものだ。

 三時半作業を終り感謝の祈り、働かしていただいた山々に別れを告げて下山。材木をもっていく。五十鈴川の支流、御裳裾川で顔や手を洗う。

 風日新宮橋のたもとで隊伍を組み、内宮警衛課に向う。車で外宮工作所へ帰り、国旗降納、入浴、夕食。

 夜の行事は六時半から聖歌練習、『天使の言葉』読誦、体験発表、講話、神想観、笑いの練習で九時すぎに終る。

 光明実践委員の運動体験や、誌友拡大の真剣な討議には、一般の人も大いにうたれ、意識は大いに昂った。

                        〜 つづく

伊勢の朝 (4425)
日時:2012年12月09日 (日) 03時41分
名前:童子

 午前四時起床 ――

 「ありがとうございます」 「おはようございます」 「 ・・・・」のうちに、作業着、地下足袋にナタ、ノコギリを腰に提げた勇ましい‘いでたち’で、玄関前に集る。君が代二回斉唱して、国旗掲揚。日の丸は暁のやみに吸われて、無限の彼方 ―― 星空にまで揚がるようだ。

 バスで内宮へ向う。車中に期せずして『われら愛す』のうたごえが起る。

 宇治橋のたもとで隊列を整え、国旗・生長の家旗を先頭に内宮へ向う。時折きこえる長鳴き鶏の他は伊勢の神域はあくまで静まり、五十鈴の流れがひときわ清冽にひびく。

 東京ではとてもみられぬ澄み切った星、伊勢の山々、燈篭におぼろに浮ぶ参道・・・・ヤミを払う如く、私たちは『使命行進曲』をうたって堂々の行進をした。

 いくつかの鳥居をくぐり、橋を渡って本宮に達する。

 君が代斉唱、十月の夜明け前の寒気もあって一段と粛然とした私たちは、本宮前に正坐して、礼拝、神想観、聖経を読誦する。その間約一時間、朝露も降るであろう玉砂利の上の観行ながら、なぜか寒さも痛さも覚えない。正に時間空間 ―― 五感を超えた行であった。


 朝食のため内宮休憩所へ向う頃は夜も明けきり、参拝者もぽつぽつある。日の丸に最敬礼する人、カメラを向ける人、幟やノコに〃生長の家〃と知ってうなずく人など、さまざまだ。

 前夜練成員につくられたおむすびを戴き、五十鈴川のほとりに佇った。底の石まできれいに見える澄んだ流れ、名もしれぬ小魚が集ってくる。私はその水を掌にうけ飲みほした。〃天然の甘露〃そんな思いの味わいだった。

 顔を洗った。再び洗おうとして思った。「これをもって家族の顔を・・・」何のはからいもなしに自らの顔をきよめつつ妻を思い、子を想い私は六たび水をくんだ。それは‘みそぎ’とも洗礼とも思えて、ひとり悠久の流れを前にしみじみとした一刻だった。

 折から神楽殿の彼方に太陽が昇り、神杉の間から朝もやをついで光芒が流れる。神々しいというよりおおらかな明るいそれは、〃太陽の子われ〃の原始に立ち還らせるものだった。

 再び参道を行進、神路山の作業場に登る。この時から「ありがとうございます・・・」が全山にこだまし始める。

                          〜 つづく



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