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京都大学教授 佐伯啓思氏著「民主主義への誤解」より転載 《完》 (4893)
日時:2012年12月21日 (金) 18時01分
名前:コスモス

京都大学教授 佐伯啓思氏著「民主主義への誤解」より
(産経新聞12月16日に掲載)

 (前略)今回の選挙は、とりわけ重要なものだと思うが、それはこの選挙を、これまでの流れに対してピリオドをうつものにすべきだと強く感じるからだ。

 「これまでの流れ」とは、それこそ橋本徹氏(大阪市長)のいう「ふわっとした民意」によって政治が浮遊し、また、政治がその「ふわっとした民意」を当てにすることで、たえず政局へと流れてゆく、というこの数年のわが国を覆う政治的風潮のことである。

 しかも、そこに「政治改革」というきわめて便利で聞こえのよい文言がさしはさまれた。「改革論」はいう。わが国の政治がよくならないのは、官僚行政などのおかげで「民意」がちゃんと政治に反映されていないからだ、と。

 確かに、行政機構にも既成政党にも問題はあったのであろう。それを改革すること自体は、必要なことであろう。

 しかし「政治改革」が世論の中心を占めるようになって数年、わが国の政治は、足場を失って右へ左へ、前へ後ろへと揺れ動く案山子のように、風のふき具合でなんとも落ち着きのない、不安定なものになってしまった。

 小泉純一郎氏が首相を辞めて以来、6年で6人の首相が交代するというのでは、まともな政治など出来るわけはなかろう。

              (つづく) 

京都大学教授 佐伯啓思氏著「民主主義への誤解」より転載 《完》 (4923)
日時:2012年12月22日 (土) 12時46分
名前:コスモス


 新しい内閣ができれば、当初は支持率60%や70%はいく。しかし半年もたたないうちに50%、40%と低落し、そうなれば下方へ働く引力は、加速度を増し、あっという間に、20%前後へと落下するのである。

 支持率が20%を切ると、「民意」は内閣を見放したと、マスメディアは報ずる。こうなると野党はここぞとばかり、「民意」をたてに、政権を攻撃する。こうしたことが恩讐合戦のように、繰り返されている。

 その責任を政治家にばかりに負わせるのは間違っている。マスメディアも、また、われわれ「国民」も言わば共犯者として、この政治文化を担い、またそれに巻き込まれて来た。

 その場合にやっかいな事は、まさしくそれが「民主政治」そのものだということである。

 何かで読んだが、今日、各種新聞社やテレビ局が行なう世論調査は、1年間で総計200回を超えるそうで、確かな事は知らないがいずれにしろ、間断なく世論調査をしている、という印象は、誰もがもっているだろう。

 これでは余りに「民意」に媚びているというか、依存しすぎであろう。いくら主権者は国民であるといっても、そんなに毎日、主権を行使しておれば、主権はあまりに安っぽくなってしまう。

 しかもその「民意」なるものはいったい何者なのか、誰も分ってはいないのである。

 私には、ここに民主政治というものに対するある誤解が横たわっているように思われる。

 いうまでもなく、われわれの政治システムは、議会制民主主義である。これは「議会主義」と「民主主義」が組み合わされたもので、それからもわかるように、

 もともと議会主義と民主主義はイコールではない。いやそれどころか、民主主義の捉え方によっては、両者は対立さえするのである。

 議会主義とは、われわれが直接政治に参与して、政治決定に関わるものではなく、それを代表の手に委ねる、というシステムであり、

 言いかえれば、主権者であるわれわれは、直接にはその主権を行使しないのだ。主権者にできることは、ただ代表を選ぶことだけなのである。

 これに対して、われわれが通常考える民主主義とは、主権者が直接政治に関わることをよしとする。つまり、できるだけ、個別の政策ごとに、主権者の意志が反映されるべきだという。たえず「民意」が反映されるべきなのだ。

 とすれば、議会主義と、この意味での民主主義とは、考え方に大きな違いがある。

 議会主義とは、むしろ「民意」を直接に政治に反映させない工夫といわねばならない。

 どうしてか。理由は簡単だ。この現実世界は複雑で、政策立案とは、それほど容易なものではない。われわれ1人ひとりがとても関与できるものではない。

 だからこそ、代表を選び、彼らの討議に委ね、また、官僚という「プロ」の協力を必要とするのだ。

 これが議会主義の考え方である。それは、あまりに不安定で、ご都合主義の「民意」によって、政治が不安定化することを避けようというのである。

 この十数年のわが国の政治改革の流れ、そしてこの数年の、世論中心型政治は、議会主義を攻撃し、「民意」をそこに持ち込もうとするものであった。そしてそれがますます政治を不安定にしたのだ。

 今日、議会主義がうまく機能しているか、と言うと確かにイエスとは言い難い。われわれの「代表」の見識を疑いたくなる局面は多い。

 しかし、それでは、「民意」に主導された民主主義がよかったかというと、そういうわけでもない。

 この風にゆらぐ案山子のような政治的風潮に、われわれはうんざりしているのではなかろうか。

 そうだとすれば、議会民主主義を立て直す以外になかろう。そして、議会主義とは、個々の政策それ自体よりも、「代表者」の信頼性や、人物そのものを見極めるわれわれの眼力にかかっているのだ。

 今回の選挙によって、そろそろ安定した議会政治を取り戻せるか否かは、われわれの「人物を観る眼力」にかかっている。
                
                  (さえき けいし)

          以 上




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