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<検証> 脚下照顧を怠る雅宣総裁――「12・1聖使命新聞」P.6〜7の総裁挨拶文を読んで・・・<その1> (5166)
日時:2012年12月31日 (月) 09時33分
名前:信徒連合




合掌、ありがとうございます。
このところ、次々と発信し続ける雅宣総裁の暴走発言、少し時間が遅れて入手した「聖使命新聞12月1日号」の10・28清超先生四年祭に於ける雅宣総裁の挨拶全文、これを読みまして“信徒を愚弄するにも程がある!”との憤りの感を持ったのであります。一言で言えば<脚下照顧を怠る雅宣総裁>とでも言いましょうか、少し乱暴な言葉を使わしていただきますが、“よくもまあ、ヌケヌケシャーシャーと言えたもんだ”と云う事であります。



[ T ] 「清超先生が強調されたのは“ウソ”をつかないということでした」


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10・28清超先生四年祭に於ける雅宣総裁の挨拶文抜粋――

<< 清超先生が「真・善・美」という3つのこと――これらは神の御徳とされているものですが、それらを愛され、大切にされそれらを表現することに一生を捧げられた・・・「善」というのは善いことですね。特に先生が強調されたのは「ウソをつかない」ということでした。・・・虎や狼も、無駄な殺しはやらず、ウソをつかず、ただ食べることに少しばかり迷いがでるだけである。・・・人間の迷いが自然の秩序を破壊すると、この世界の迷妄は限りなく広がり、遂に地球生物全ての死滅にまで到るのである。そこでひとびとは何よりも「迷い心」を去ることが大切である。欲張り心、ウソをついてごまかす心、見栄や体裁に依存し、絶対者ではなく相対者としての自己に満足する心を去ることである。・・・人間の心が迷っていると、自然界もグジャグジャになってしまう。だから人間の心を正すことによって、自然界に本来ある真・善・美がより明らかに現れてくる――そういうことを仰っているのです。つまり「自然と人間は分離しておらず、一体である」「自然界には人間の心が映し出される」というのが、ポイントの一つであります。・・・生長の家の運動は「日時計主義」に焦点を当てて現在にいたっている。日時計主義は谷口雅春先生に始まり、清超先生も新世紀に向かって唱えられたのであって、私の発明でも、心変わりでも何でもないのであります。現在の運動は、このように清超先生が示された方向にさらに本気になって進んでいるということをぜひご理解いただきたいのです。>>


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雅宣総裁は、「清超先生が強調されたのは“ウソ”をつかないということでした」とまず最初に力点を置いて話しているのであります。しかし、雅宣総裁ほど、この清超先生の御言葉に逆らってウソを言っている人物は又とないのであります。次に、雅宣総裁の重大なウソ発言の幾つかを拾い出しますと――



A. 「法燈継承」に関する大ウソ

@ 清超先生は雅宣副総裁(当時)に正式に「法燈継承」させるとは言われなかった。このことは「聖使命新聞」にも清超先生による公式発表が最後までなかったことで客観的にも証明されている。

A 雅宣総裁は、平成21年3月1日に於ける法灯継承祭における挨拶で、「私は、生長の家の伝統に則って、谷口清超先生から面授によってこの真理の大道を継承させて頂きました。」と云っているのであるが、清超先生による“面授”はなされていないのが真相、従って、この“面授”発言は大ウソ。

B 雅宣総裁は、「歴史から何を学ぶか」P.178に於いて「具体的に申し上げますと、私が生長の家副総裁になったのは平成二年の秋季大祭の時です。生長の家教規において法燈を継承したということになる」と書いているのもウソであります。生長の家「教規」には「法燈継承」に関する明確な条文は何処にもありません。また、副総裁就任時に法燈を清超先生から継承したと云う事を清超先生が被仰ったと雅宣総裁は主張しているが、これも客観的証明はなく、雅宣総裁のデッチアゲの大ウソ。

C 従って、雅宣総裁の「法燈継承」に関する一連の事柄は、まさに雅宣総裁による独裁権力を使っての自作自演の「法燈継承劇」であって、この間の事情を知らない信徒の皆さんは雅宣総裁によってウソを信じ込まされているのであります。

D 客観情勢から推測するところ、清超先生は雅宣副総裁(当時)は、教義の理解・宗教的求道心・信徒指導経験・人格識見等々の面から「法燈継承者」とするには当らない人物である、と御考えになっておられたものと思われるのであります。本来ならば副総裁更迭を断行されていた筈でありますが、そこまでなさらなかったのは、外からは窺い知れない深い事情があったのでありましょう。



B.“焚書坑儒”否定に関する大ウソ

@ 雅宣総裁は、「信仰による平和の道」P.112において、「生長の家は宗教であり、政治思想やイデオロギー出はないので“焚書坑儒”みたいなことはしません。」とハッキリ断言しているにも拘わらず、現実的には、開祖・谷口雅春先生の愛国書・憲法論・生命的国家論・教団の歴史に関するご著書を多数再販中止(事実上の絶版=“焚書”)処分にしたのであります。

A 雅宣総裁は、開祖・谷口雅春先生の『御教え』を中心に講話・講演し、自分の「今の教え」に異を唱える優秀な本部講師を左遷人事という宗教家らしからぬ卑劣な手段を弄し、「原理主義者」と云う烙印を押し、そして、ちょうど真綿で首を絞めていくかのごとく、精神的に追い込んで自発的退職せしめたのであります。これはまさに、現代版の“坑儒”以外の何ものでもありません。



C.雅宣総裁は、「大自然讃歌」・「観世音菩薩讃歌」を聖経『甘露の法雨』に代わるものとして書いたのではないといいながら、なし崩し的に『甘露の法雨』の代替物化(聖経化)を図りつつある。また、講習会に於けるテキストからは、聖典『生命の實相』が完全に外されているのであります。(裁判連続敗訴のためでありましょうが・・・)



D.「日時計主義」オンリーの運動は大ウソ

われわれ生長の家信徒たる者は、何でもかでも雅宣総裁の云う事を鵜呑みにしてはならないのであります。「日時計主義」は正確に言えば“運動”ではありません。信徒の生活遵守事項の一つであります。

@ 「日時計主義」は、「『生長の家』信徒行持要目」の一つであり、「五、常に人と事と物との光明面を見て暗黒面を見るべからず」と書かれていることであります。

A 開祖・谷口雅春先生は神誌『生長の家』創刊号のP.20に於いて、<2、日時計主義の生き方>・・・諸君よ、吾々は輝く太陽の日をのみ記録する日時計のようになろう・・・と書かれているのであります。これが後に「信徒行持要目」の五番目に入れられたものと思われます。

B 神誌『生長の家』創刊号の「生長の家出現の精神」が「人類光明化運動」であって、人類一人一人の實相顕現運動であり、今ひとつは「天皇国・日本の實相顕現運動」であります。個人の成仏(實相顕現)と国家の成仏(實相顕現)、この二つが開祖・谷口雅春先生の「生長の家」地上出現の使命たる時代を超越して進められるべき二大運動であります。ここのところを、われわれ信徒たちは正確に理解して置かなければならないのであります。「天皇国・日本の實相顕現運動」については、立教後、あまり時を経ずして、開祖・谷口雅春先生が「古事記」講義を始められたことからして明らかであります。『古事記と現代の予言』P.106には、「・・・生命の實相は三つある、その桃の実の一つは「日本天皇の生命の實相」、もう一つは「日本國の生命の實相」、それからさらにもう一つは「人間の生命の實相」であります。と書かれています。



E.雅宣総裁は、自己の私的価値観を清超先生著書として出版した。これも読者を騙したウソの一つであります。

平成元年四月に清超先生著「新しい開国の時代」という御本が出版されました。これを読んだ一部の信徒の皆さまは何となく“違和感”を懐いたのであります。“違和感”のひとつは発行所が「日本教文社」ではなく、「宗教法人・生長の家」となっており、二つ目の“違和感”は、それまでの清超先生の御著書とは何処となく違った主張が書かれており、文体も変な感じの印象であったのであります。この疑問は、数年前に奇しくも回答が出たのであります。それは、雅宣総裁自身が「小閑雑感」で、「『新しい開国の時代』は清超先生と私(当時の雅宣副総裁)とが膝詰めで何回も議論・討論・検討を重ねた結果その内容を本にしたもの」と明確に白状したのであり、実質的には雅宣副総裁(当時)の個人的価値観(左翼思想に近い考え)を主に書き連ねたものであったのであります。この本の“表紙の帯(おび)”には、「生長の家の真理を国際社会に展開する最初の書――21世紀への精神的指標」と書かれているのでありまして、このことは、今回の雅宣総裁挨拶文中で引用している清超先生著「限りなく美しい」という御本が平成11年発刊であり、西暦にすれば1999年で、21世紀(新世紀)が始まる2年前に出版されたのであると、特に強調している部分と全く重なっています。“虎の威を借りる狐”のごときズルイ性格の雅宣総裁であります。信徒側から見ればまんまと雅宣副総裁(当時)のウソに翻弄されていたのであります。



F.雅宣総裁の頻繁な「言行不一致」というウソ

@ 雅宣総裁は、「生長の家は政治の世界へは踏み込まない」と言いながら、講習会場を利用して民主党への投票を暗示するサブリミナル手法を使ったり、今回の総選挙に際しては、公式ブログ「唐松模様」で強力な“民主党再支持”を意見表明しているのであります。“政治の世界へは踏み込まない”なんて大ウソであります。全く信徒を馬鹿にした行動であります。

A 「人が移動するとCO2を発生させ、地球温暖化につながる。従って、30人以上の誌友会・講演会は自粛しなさい」と通達を出しながら、雅宣総裁は、JRその他の公共交通機関を使って行ける講習会場へも、飛行機や自動車で多量のCO2を出しながら移動する。休日には、山梨県の別荘へマイカーを運転して行く。お台場へ夜の首都高速道路を走って月見に行く。講習会場の動員数確保のため近隣府県から大型バスを仕立てて動員を掛ける。そして講習会の講話ではCO2=ゼロを運動目標とせよ、と宣まう。全くの言行不一致にはあきれ果てるのであります。

B 雅宣総裁は、上記挨拶文の中で、<< 人間の迷いが自然の秩序を破壊すると、この世界の迷妄は限りなく広がり、遂に地球生物全ての死滅にまで到るのである。そこでひとびとは何よりも「迷い心」を去ることが大切である。欲張り心、ウソをついてごまかす心、見栄や体裁に依存し、絶対者ではなく相対者としての自己に満足する心を去ることである。・・・人間の心が迷っていると、自然界もグジャグジャになってしまう。だから人間の心を正すことによって、自然界に本来ある真・善・美がより明らかに現れてくる >>と発言しておりますが、これは次のように言い換えることも出来るのであります。

<< 雅宣総裁の迷いが生長の家教団の秩序を破壊すると、この教団の迷妄は限りなく広がり、遂に開祖・谷口雅春先生御創始の生長の家教団の死滅にまで到るのである。そこで雅宣総裁自身が何よりも「迷い心」を去ることが大切である。欲張り心、ウソをついてごまかす心、見栄や体裁に依存し、絶対者ではなく相対者としての自己に満足する心を去ることである。・・・雅宣総裁という最高権力者の心が迷っていると、生長の家教団自体もグジャグジャになってしまう。だから雅宣総裁というたった一人の中心人物の心を正すことによって、自然界に本来ある真・善・美がより明らかに現れてくる
>>


雅宣総裁に問う!

@ 独裁権力者は、平気でウソを言っても許されるとお思いか?
A 独裁権力者は、治外法権の特権があるとお思いか?
B 独裁権力者は、もっともな説教を高座から為し、みづからの行動は説教内容には縛られない自由を有する、とお思いか?

信徒たちを何処まで愚弄するのか? 貴殿には“脚下照顧”なる言葉が一番相応しいのである! それが出来ないのであれば、「環境の家 雅宣教」として速やかに独立されたし!!





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