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大韓航空機撃墜での犠牲者からの霊界通信 (740)
日時:2014年10月02日 (木) 04時10分
名前:伝統

(このスレッドでは、30数年前に発生した大韓航空機撃墜での
 犠牲者の霊界からの情報を紹介して参ります)

      *「天国からの手紙」武本昌三・著より


著者略歴:

1930年大阪に生まれる。

東京外国語大学卒業後米国留学、オレゴン大学 (University of Oregon) 大学院修了。

室蘭工業大学助教授、小樽商科大学教授、文部省在外研究員、フルブライト上級研究員、
オレゴン大学、アリゾナ大学、ノース・カロライナ大学、ロンドン大学各客員教授を経て
跡見学園女子大学短期大学部教授。

現在、同大学名誉教授。
特定非営利活動(NPO)法人「大空の会」(子どもを亡くした親の会)理事。


《著者の家族》

妻:富子  〜 大韓航空機撃墜で犠牲

長女:由香利

長男:潔典 〜 大韓航空機撃墜で犠牲(事故当時大学生?)


《事故当時》

著者と長女(由香里さん)はアメリカ在住

妻(富子さん)と長男(潔典さん)は、
アメリカから日本へ帰るため大韓航空機で日本へ帰国途上。


《大韓航空機撃墜事件》

発生:1983年8月31日

犠牲者:乗員29人と乗客240人(内日本人28人)

詳細:次のWebにて確認できます。
   http://www.takemoto-shozo.com/KALjiken-1.htm

・・

霊界からの通信〜その1

2000年6月5日(潔典さんからの通信〜6月5日はこの世での潔典さんの誕生日)

        *「天国からの手紙」(P231〜232)より

「お父さん、誕生日のお祝いの手紙(*)をありがとう。
大変うれしく、心から感謝しています。

ぼくは、いままで生まれたときからだいぶん年もとって、分別もある大人になっている
つもりですが、お祝いを言われると、やはりうれしいですね。
誕生日は、特別の日で、なかなか忘れません。

お父さんの70歳の誕生日のお祝いには、ぼくたちも出ていましたが、
ぼくたちがいたことを感じ取ってくれましたか?
ぼくたちもあの席で、お父さんの誕生日をこころからお祝いしていたのです。

誕生日というのは、生きている証の日であり、
こころの成長と語り合いを通じて家族の絆が確かめられる日ですね。

愛情で深く結ばれているぼくたちが、一緒に喜び合う日でもあります。

ぼくは、お父さんが大好きです。


*著者と潔典さんのやりとりは、
 イギリスの霊能者アン・ターナー(大英心霊協会所属)を介して、手紙で行なわれた。

        ・・・

 著書によると、最初の対話は1992年から数人の霊能者を介して行なわれている。

(1)1992年時点での、霊能者(アムナ・ノーマン)から伝えられたことによると、

   「奥さんと息子さんが霊界へ行ったのは、
   crash(乗り物の激突事故、飛行機の墜落)があったからだ。

   息子さんは20歳ぐらいで若いが、この世での仕事をすべて完成していた。
   あの crash のことは、はじめからわかっていたことだ」

(2)1992年時点での、霊能者(アーマ・ブラウン)から伝えられたことによると、

  @「(奥さんが)強い愛情を送ってきている。
   『あなたが来るまで待っている。あなたが来たら、また一緒に暮らせることを
   楽しみにしている』と言っている。」


  A「奥さんが、この世にいる娘のことを話している。

   『娘のことは心配しなくてもよい。私(富子)がこの世にいれば心配するかもしれない
   が、こちらでは、心配しなくてもよいことがわかる。娘には婚約の兆しがある。
   婚約するだろう。孫たちの姿も見えてくる。
   この世にいる私(富子)の妹に、娘のことを相談すればよい』」

            <感謝合掌 平成26年10月2日 頓首再拝>

霊界からの通信〜その2 (939)
日時:2014年10月10日 (金) 04時46分
名前:伝統

2000年6月5日(潔典さんからの通信の続き)

        *「天国からの手紙」(P238〜241)より

(1)父への通信

   お父さん、来年、70歳の定年を迎えることになって、おめでとう。
   長年、お父さんは立派な充実した仕事を成し遂げてきました。
   これからも、お父さんがこころに抱いてきた夢を実現させるためには、
   何年もかかります。

   多くの人と会ったり、あちらこちら旅行したり、それに本を書いたりとかで、
   まだまだ、することがたくさんありますね。

   お父さんの書いた「生と死の彼方に」は、確かに、
   この霊界とそちらの世界とを結びつけてくれる本です。
   お父さんが書きたいと思ったことは、これからも何でも書くようにしていってください。

   こちらの霊界やこちらでの生活を多くの人々に知ってもらうためにも、
   お父さんの知識やおもいやりのあることばが必要なのです。

   お父さんが書く本で霊界についての理解が深まっていくと、そちらの世界との溝が
   取り除かれ、死後の世界の恐怖心とか迷信がなくなっていきます。

   霊界がそちらの世界からはもっと身近になって、死のもたらす悲しみや苦しみも
   消えていくことでしょう。

   死というのは、次元が違っても、隣の部屋に一歩踏み入れるようなものですから。

   ぼくも、心は満ち足りて平静です。


(2)姉(由香利さん)への通信

   お姉ちゃん(由香利)のことは決して忘れていません。
   お姉ちゃんは感受性が豊かで、困っている人々の面倒をみたり、
   まわりの人々とうまく歩調を合わせていく特別な才能があります。

   ごく自然な調子で、人々に話しかけたり、助言を与えたりするのが上手です。

   大きな体のぼくに代わって、抱きしめてやってください。
   お姉ちゃんはちょっと驚くかもしれませんが、
   ぼくからの愛情の表現であるとわかってくれるでしょう。

   ぼくの義兄になるお姉ちゃんのご主人にも、ぼくに代わって強く握手してくれませんか。
   お兄さんに、あの3月の特別の記念日(補注:由香利さんの誕生日)には、
   どうぞ大いに楽しんで、お祝いをしてくれるようにお伝えください。

   こちらにいる家族のみんなも、ぼくも、お兄さんが家族の一員に加わったことを、
   たいへん喜んでいます。

            <感謝合掌 平成26年10月10日 頓首再拝>

霊界からの通信〜その3 (1197)
日時:2014年10月19日 (日) 06時07分
名前:伝統

2000年6月5日(妻・富子さんからの通信)

        *「天国からの手紙」(P243〜245)より

「お父さん、こんにちは。あなたは年を取ってからは心配性になりましたね。
こちらでもわかりますよ。あなたはたくさん考えていることがあるのに、いままでも
たいへん遠慮がちで、あまり口数も多くありません。

由香利は大丈夫です。
ごらんのようにあの子は、仕事にも精を出して楽しんでいるでしょう。
それで、少しぐらい辛いことがあっても、気が紛れているのです。

由香利のためにも、お父さんはもう少し強くなってください。
あなたが心配したり悩んだりしたら、あの子も気をつかいますから。

由香利に、毎日1リットルずつ、きちんと水を飲むように言ってください。
あの子がそんなに水を飲むのは好きでないことはわかっていますが、
体のためにいいし、体内組織をきれいにしてくれます。

最近では由香利も、穏やかな気持ちでいることが、私にも感じられます。
私たちはみんな、神のみ手にゆだねられていることを由香利に伝えておいてください。

神には至高で遠大な計画があって、いずれそのときが来れば、大きな喜びを迎えることが
できるのです。やがて、みんなで幸せな年月をおくることになるでしょう。
みんな揃って一緒に幸せな日々を過ごすでしょう。

私は、いつでも由香利のそばにいます。遠く離れたことはありません。
この問題(補注:懐妊のきざしがみえないこと)、どんな気持ちでいるのかも知っています。
でも、急がないでください、「ローマは一日にして成らず」です。焦ってはいけません。

これから何するのにも私がついていますから、よくご主人のいうことに耳を傾けるように
伝えてください。由香利のことは、いつも大切に見守っています。


お父さん、あなたのことはとても誇りに思っています。
どうかこれからも精一杯に生きてください。

生きるということは楽しいことですから、こちらにいる家族のみんなが、
こころからの愛情をあなたに送っています。

いつでもみんなで、あなたを近くから見ているのがわかりますか?
あなたの生活に差し障りがないようにしながら、いつでもあなたのそばにいて、
必要なときにはいろいろ手助けをしているのです。それを感じとってください。

潔典からのメッセージに耳を傾けながら、私たちの存在に気がついてください。
私たちは、おじいちゃんやおばあちゃんも一緒に、
あのメッセージのなかに私たちの思いをこめているのです。

あなたがこちらに来て、私たちが再会し、テープレコーダーでこれらのメッセージを
聞き直すような時がくれば、改めてあなたを包み込んでいる私たちの愛情と熱気を
感じることでしょう。そのときにはみんなが集まってあなたを取り囲んでいることでしょう。

私たちの家族の絆はとても強いのです。
互いに結ばれた私たちの愛情によって、こちらの世界とそちらの世界がひとつになり、
私たちがまた相まみえる日が来ることを楽しみにしています。

わたしはあなたのことを思いつづけています。
いつまでも、私はあなたの妻です。」


            <感謝合掌 平成26年10月19日 頓首再拝>

霊界からの通信〜その4 (1341)
日時:2014年10月29日 (水) 04時19分
名前:伝統

(今回紹介の霊界からの通信は、霊界へ移行した直後からの出来事を伝えられております)

1999年6月3日(潔典さんからの通信)

        *「天国からの手紙」(P287〜291)より

ぼくは死んですぐ、霊界に行きました。
といっても、すぐに、正式の霊界へ赴けたわけではありません。

まず、黄泉(よみ)の国といって、中間段階を経て行ったのです。
そこで待機させられていました。どのくらいだったかは定かでありません。
ただ、随分と長かったのは、いまでも覚えています。

特に苦しんだことはありません。
むしろ、肉体から解放されて、自由を感じることができました。

神様がおられるということを、あとでだんだんと、わからせられました。
ふたりか3人の守護者たちがついてくれていて、
いろいろと教えてくれたりして、導いてくれているのです。

最初はよく誰だかわかりませんでした。守護者たちのことです。
でもなにか覚えているという感じは最初から自分のなかにはありました。
なじみがあるような気がしたのです。けれど、誰だかはわかりませんでした。


肉体を離れてから自由を感じました。
特に痛烈な打撃とか痛みは伴いませんでした。
肉体から魂を分離させたときのことです。

お母さんとぼくとはとても縁が強く、一方、お父さんとお姉さんとは縁が強く、
お互いに対照的に位置しています。
お互いに向かい合っているような関係にあるのです。


あの世というのがあるのは、聞いていましたが、
本当にあるということがわかり、安心できました。
ひとつの扉を通っていくようなものです。

ひとつの部屋といまひとつの部屋とがあります。ふたつの領域のことです。
扉が間にはあります。そこからいまひとつの領域へ移行できるのです。
あの世からこの世、この世からあの世、いずれの場合も同じです。


ただこの世のほうが粗雑な世界で、重い感じがします。
ちょうど鎧を身にまとって戦士として戦いに赴くようなのがこの世です。
それに対して、鎧を脱ぎ、家庭のなかで憩い安らぎ、自分の本心に帰れるのがあの世です。

もちろん鎧というのは肉体の喩えです。
そのくらいあの世に来てみると、肉体の重たげなことがわかったのです。

それゆえ、あの世に行って苦しんだり悲しむということは
この世にいる間想像していたほどのものはありません。

最初は悲しかったり辛かったりというよりも、戸惑いを覚えました。
この世に残っている人たちのほうが悲しむことがわかりました。

あの世であるここに来てから、あの世側からはあまり寂しくはありません。
なぜかというと、この世のことが見通せて、死んでも生きていることがわかったし、
引き離されたというわけでもなく、いまでも身近にいるからです。
それで、引き裂かれたという気はしません。だから、寂しくはありません。


肉体をまとっていると鈍くなるので、引き離された感じになり、寂しかったり悲しみます。
あの世とこの世とで、ご縁のある4つの魂がふたつの領域で、縁ある二組でペアーをなし、
向き合って暮らし続けています、別の世界に行ったわけではありません。いまでも一緒です。
ただ次元が違っただけです。


お母さんとぼくには守護者がついてくれています。
同様に、お父さんとお姉さんにはぼくたちふたりが守護者です。

守護者というのは、縁のある魂のなかで先輩格のことです。
この世の年齢とは異なり、あの世や神様のことに精通している者たちが
先輩ということになります。


お母さんとぼくとはとても縁が強く、一対をなしています。
同じように、お父さんとお姉さんとは対をなし、とても縁があります。
それでこのふたり同士は引き裂かれません。

多少、この世やあの世の都合や事情によって、もうひとりが結婚したり、多少、
別に居をかまえたりしたりしても、完全な別れは体験しないように考慮されています。

でも、ふたりとふたりの間は、このように、別な次元に分けられました。
あの世とこの世のふたつの領域を股に掛けてバランスをとるようにということでした。
また、お父さんを目覚めさせ、導くために高い霊が動かれ、このようなことを起こされました。

お父さんなら、頭も聡明で、苦しませるのは高い霊たちにとってとても辛いことです。
決断を要したということです。

でも、目覚めて立ち直る人だということがわかり、ひとりの苦しみが何百、何千人、いや何万人
の人たちの魂を目覚めさせ、同様の苦しみや悲しみのなかで沈んでいる同胞に慰めと魂の癒しを
もたらすことを、その聡明さによってやってくれるということが期待されたからです。


ぼくは純粋だからということで、その純粋さを保持してほしいというので、早々引き上げ
させられました。あまり世俗の垢にまみれてほしくないということのようです。

お父さんはぼくに、仕事や勉強など、とりわけ語学の面と国際文化の領域で跡を継ぎ、
活躍してほしいと期待をかけてくれました。でも守護霊たちが、もっとあの世のことに精通
するほうへと導いていき、たいそうな力が働き、このような具合に流れ上、なってきました。

お父さんとぼくとは、前世において何度か、国際関係のなかで重要な役目を果たしてきた
使命のパートナー同士でした。また、実際、肉の親子であったこともあり、たいそう可愛がって
くれました。使命のパートナーであったときはいろいろ助言をしてくれ、教え導いたり
守ってくれました。

古代から近代にかけて、何度かお互い格別な関係を結び、特に特に国際関係において
ふたつの国と国の間の調整役などを務めたり、学問の世界でも、言語学の分野でも、
お互い切磋琢磨しあいました。

いまの時代、それをまたやろうと思っていたのですが、切迫していることがあり、
霊界にも異変があるなどして、大きなカルマや意向がはたらき、ぼくたち家族に大きな力が
介入してきました。

アトランティスの当時のカルマが動いて、もっと人類が魂のレベルで目覚めるように
ぼくたち家族に働きかけだしたのです。

特にぼくたちが前世で罪を犯したとか、いけないことをしたから苦しまなければならない
ということではなかったのです。もっとほかの人たちが目覚めるため、私たち、ぼくたち
みんな4人が捧げられ、皆の目覚めのために尽力するように求められたのです。

自分の場合は、純潔を魂の領域で保つようにということで、
新しい守護者になるよういま訓練を受けているところです。

            <感謝合掌 平成26年10月29日 頓首再拝>

霊界からの通信〜その5 (1700)
日時:2014年11月15日 (土) 03時29分
名前:伝統

1997年6月4日(潔典さんからの通信)〜上の記事よりさらに2年前の通信です。

              *「天国からの手紙」より
 
十数年も経ちますと、あの世での過ごし方も分かってくるものです。
最初は戸惑いがちでした。戸惑いながらのスタートとなったのです。
みな大体、あの世に行くとそのようなのです。

私の場合も、暗中模索といったところからのスタートとなったのです。
最近ではよく分かってきました。みんなが助けてくれるものだし、
自分でもいろんな事情に少しずつですが精通し、迷いや苦悶も消えてきました。

自分ではまだまだだと感じているのですが、結構こちらの世界では、
スムーズに次の境界へ進んでいけそうだというのです。
そういった話を聞くにつれ、自分でも少しづつですが自信がついてきました。

こちらでは、家族同士よりも同類のもの同土が、寄り集っています。
もちろん同類のなかには、かつて家族や同族の親類であった者たちも含まれてはいます。
けれども基本的な単位としては、家族としてよりも似た者同士として、寄り集っているのです。

私は比較的早く、地上界から離れることができました。
純粋さを保つようにという要請からです。

何よりもそのことで自分の家族、お父さんや兄弟たちを精神的な世界へと
導くようにという要請が強く出てきたことに基づくのです。

私のように早くに取り去られる者の場合、親がかなり精神的に成長が遂げられる
ということが狙いとして強いものなのです。

私は世にいた間のお母さんとは、いまは少しばかり離れ離れになりかかっています。
それでも、時々は落ち合うことが出来、淋しくはなく、また不自由もしていません。

私は、心配する気持ちや不安はいまはあまりなく、
だんだんひとつの団体に向かい始めています。

世を離れてから、冥界でオリエンテーションのような期間を数年過ごし、
今は正式な霊界に向かって進んでいます。

完全に子供のとき他界した者と大人が普通に他界した者の場合との
ちょうど中間に位置していたため、こちらの世界では私の扱いには最初困った様子でした。
過渡的な状態だったからです。

大人扱いか子供扱いか、だいぶん霊界の住民たちも思案にくれていた様子でした。
私は、純粋だというふうに認められ、子供の中に入れられることになったのです。
それだけ特典もあって、大目に見られ、私は恵まれていたというふうに受け止められます。

しばらくは母がついてくれていて、私を守ってもくれまた慰めてもくれたものです。
私がだんだん霊界のことを知るにつれ、また母親も一方いろんな学びが進んできたので、
それぞれの道を歩もうということになってきたのはごく最近からのことです。

それでもつながりはあるもので、先程お伝えしましたとおり、
時々は会うことを許されており、いわば連携のようなものが図られているから安心して下さい。
こちらの世界では、会おうと思えばすぐ思い浮かべただけで会えるものなのです。

空間の隔たりというのはなく、強いてあるとするならそれは意識の隔たりだけなのです。
遠いという場合、意識がお互いに疎遠だということなのです。
近いという距離感は非常にこころが通いあって親密で抵抗がないということなのです。

意識の実感がこちらの領域では物差しとなっています。

空間はそのようであり、それに対して時間の概念はどのようかといいますと、
忍耐や成長あるいは自分という生命体の変化、そういった生命状態の変化や忍耐を
感じる抵抗、そういったものがこちらの世界での時間の尺度となっています。

客観的な時間というものはなく、状態が変化したという、ちょうど季節の推移の
ようなものが意識の領域にあって、その時になにか時間に似たような感覚を抱くだけです。

本来、永遠で時間はありません。
ですから、地上にいるうちにそのようなことを学べば、
永遠という無時間が早くわかるようになると思いました。

こちらの世界では意識の実感のようなものが、すべての尺度の基準になっているのです。
特に最近はそのようなことを学んでいます。
自分が早く変われば、時間がそれだけ早く経過したというふうに感じます。

自分が完全に完成して本来の自分になりきれば、変化がなくなりまた変化も不要になります。
それがどうやら時間を超えたということで、変化しない完成しきった、
それが永遠のいのちということのようでした。

そこに向けて、素直で素朴なこころをますます培うようにトレーニングを受けている最中です。
そのためには正直で内面と外面を一致調和させるということが求められてきています。

地上でのことは、まだ少し気にはかかっております。愛着もまだ少しあるのです。
しかし、自分が地上にいたときほどは心配ないことが分かってきています。
まだ、思いは残っています。でも不安は嘘のように消えています。

それはいろんな宇宙の秩序や仕組みが指導霊から説明されて、
私も学び始めたことによります。私は進歩は早いほうのようで、苦しくはありません。
比較的上位のレベルの霊界で修行に励んでおります。

4人の家族はお互いに、意識の深いところでつながりを今でも保っており、
こころを通わすことができています。私のことやお母さんのことを思い浮かべれば
私もそれに感応し、テレパシーで伝えることができるのです。

それはやはりつながっていることに基づくのです。
はっきりと声として聞こえなかったり、話した内容をはっきり捉えられない場合でも、
何かニュアンスのようなもので感じられると思います。

私のほうではもっとはっきり、お父さんたちのことは捉えられています。
ほぼ、14年が経過しました。あとまた14年くらいで、こちらの世界で会えるかもしれません。

その時は、私のほうが霊界では先輩ですので、いろいろとお役にたてると思います。
お母さんも元気で頑張っているようです。

苦しんでいる者たちもこちらの世界では多いのですが、
私たちは事故に見舞われたとはいえ、さほど苦しむことなく、
一緒に飛行機ごとこちらの世界にまとめて移されました。

あまりにもそれが急だったので、苦しむことなく移されました。
もともとあまりお母さんも私も、執着はないほうですので、ふっきれるのも早いほうでした。

それに比べて残されたお父さんたちのほうが苦しんでいます。
この世にいてもあの世にいても、あまり違いはありません。
いづれまた数年後に会えることになっています。時間はすぐ経ちます。

神様によくお祈りして、お互いのこころをあたためあうことを望んでいます。

こちらに来るとほかの親族にも会えます。
キリスト様にもお会いしました。
あまりにも神々しくて、目を開けていられませんでした。
顔を伏せ地にひれ伏し震えていました。

みな目を開けて直視できないのです。でも救われた思いがしました。
お父さんも残された地上での人生で、善きことをいっぱい行い、実践を積まれて下さい。
そしたらキリスト様にお会いでき、目を開けて見ることができるかもしれません。

神と顔と顔とを合わせるというペヌエル体験は、
よほど素直で純粋なこころを育てておきませんと難しいことが分かりました。

生きている間に何をなしたかが問われるのです。

こちらの世界に来てからは私が先輩ですが、すぐお父さんに追い抜かれると思います。
お父さんが生きている間に進歩を遂げて、善き業を日頃の生活の場で行ってくだされば、
お父さんにこちらに来てから導いてほしいのです。

そしたら家族共々、キリスト様のみ顔を仰ぎ見ることができ、
魂が救われることが期待できるからです。

職業としてばかりでなく、日頃ふだんの生活の中で隣人に何を為したかが大事だと、
よくよく聞かされました。「もっとも小さき者に対して為したことは私に為したことである」
と神はおっしゃられる方だからです。

文句なくキリスト様を通して、神のことばが伝えられたのです。

ときどき私やお母さんのことを思い浮かべてくだされば、喜びこの上ありません。
お互いのこころの通い合いの中で絆も保たれ、さらに深まるでしょう。

            <感謝合掌 平成26年11月15日 頓首再拝>

リーディング〜その1 (1972)
日時:2014年11月26日 (水) 04時10分
名前:伝統

《霊界における潔典の消息  (2001. 6. 6)》

人間の心には周期があります。
ただ一方的によくなっていったり、どんどん悪くなっていったりということは
あまり起きません。

実際には、周期を描いて、よくなっていったかと思うと、その後ちょっと落ち込み、
しかしそのまま悪くなり続けるかというとそういうわけでもなくて、しばらく沈んだ後、
また浮上してくるといったように、ある程度浮き沈みをしながら生きていきます。

それはあの世に帰ってからとて同様です。
生命体における一つの特徴なのです。
それはさらに個別的にも、その生命体固有のリズムとかサイクルがあるものです。

それがまた特徴ともなって、あの世でこれは同一実体だと捉えられる場合もあるのです。

ちょうど昨日は、39回目のお誕生日にあたっていました。
この世での直前の前世のお誕生日とか、あるいは命日とかいうのは、
やはり生命のリズムにおけるひとつの印になっているのがわかります。

それで日本でも昔から、そのようなときに
お祭りとかそれに準ずることを執り行ってきているのです。

あなたのリーディングということで、毎年ここに来られています。
それは無意味なものではありません。今はちょうど周期の上で、ちょうど変わり目に
さしかかってきているのがわかります。

それは例えば、天候をみてもあらわれていますし、
また、媒体となるものの体調にもあらわれたとおりです。
いまはややあの世で不安定な状態にあるからです。

でもいい方に向かいつつある節目なのです。
むしろここのところ、落ち込んでいたということであり、
ちょうどまた今日ぐらいから持ち直し、あの世で元気を徐々に盛り返していく感じがします。

もともと彼は、影響を受けやすいたちです。とても繊細で鋭敏な人です。
確かにそのまま生きていれば、語学の方面で活躍できる人になれていました。
前世でも語学とかあるいは文芸の方面で活躍していた魂なのです。

彼の場合前世では、語学や文章の面で卓越していたのと、
ほかには経済や金融の方面で一見識をもっていたときもありますし、
また、なかなかアイデアの人であったときもあり、工学、技術の方面で
才能を発揮したときもありました。

また、趣味として、楽器を、おもに弦楽器でしたが、奏でて、
そして声もとても美しくきれいで、歌うことも出来た人でした。
叙情的な詩や文章も好み、自分でも綴ったことがあった人なのです。

それで今あの世でも、かなり創作活動に燃えてきているところです。

非常に論理的で緻密な科学の頭脳と、同時に一方、叙情的なこころ優しい機微を
感じさせる面とを併せ持った人であることがわかります。
閃きがあるということでは直感型の人です。

音楽と数学の才能、そして、文章と語学の才能が特に秀でています。
そのようなきびきびした面をいま捉えています。

ちょうど昨日から今日にかけてが、また一つの節目になってきており、
この半年ぐらいはやや動揺して落ち込んでいましたが、
ちょうど今ぐらいから、持ち直し始めてきているのがわかります。

そのような意味では、このリーディングの働きかけが一つの浄化となり、
彼自身また元気になってくるので、それが当然のことながらこの世のつながりが
強い人たち、家族をはじめ魂の上でご縁のある人たちにも今後及んでくるに違いありません。

彼はすでにかなり自立しており、確信を感じさせてくれています。
もともと学究肌の人で、探求心が旺盛なのです。最近は活動に燃えています。
あの世でもそのような活躍の舞台はあるのです。

最近はあの世で、詩や文芸の創作と、また音楽、あの世の音楽にも興味を抱きはじめ、
創作意欲に燃えだして活動を開始しようと、その動きを感じさせてくれています。
体の動きです。

あまり内容的なものは伝わってこず、座っていたのが立ち上がって
体が動き出しているという感じで伝わってきているのです。
ことばの上では物静かです。

しかし、内面的な意欲がみなぎっています。
さあやろうという意気込みが伝わってきているのです。

何れにせよ、今回のリーディングが一つのきっかけとなって浄化が起き、
彼自身また、父親であったあなたの力をいただいて活発に動き出そうとしているところです。

ある意味で、リーディングをする時点で繋がり、父親と息子との間で
またこころのエネルギーの交換が為されたということがわかります。
それであなたの意志が彼のほうに及んで、また元気になってやる気が出ているのが見られます。

そのへんのところは以心伝心がちゃんと働いています。
相互に影響を及ぼしあうわけですが、父親と息子という関係の場合、
お二人の場合ですが、おもにあなたから彼にという方向の働きかけの影響が主流です。

あなたが彼のものを受信するというよりも、そのような関係性にあるのです。
そのため、リーディングということで、いってみれば取り次ぎ役を任じられ、
それが始まる頃にそっとあなたの思いが彼のほうに届いて、彼は大分元気になりました。

しかしその直前には、同調を始めると彼のものがまず媒体のほうに及んできました。
しかしある程度、人間関係の心理といいますのは、こころの面といいますのは、
相手に伝えると楽になるということがあるわけです。

自分のものをうち明けたり、思ったことをぶつけたり、感情をあらわにしたり、などで、
そうすると本人はそれで楽になります。それに対して受けとった側がそれを受けます。
しかしそこで解消していくことが起きるということです。

そのようなエネルギーの交換が今回かなり起きました。
この6カ月ぐらいは彼はけっこう沈んで元気がなかったのです。
しかしまたあなたの思いがこれを機に伝わって、張りきりだしています。

また彼は別の前世では、園芸とか庭作りなどに興味を持っていたときがあり、
なかなか純朴な魂の、素直な青年だったときもありました。

さて、彼からあなたに対して伝えたいということでみてみますと、
「お父さん、僕はこのように励んでいるよ。頑張りますから、見ててください」。
そのような意欲に満ちたハッスルする精神が及んできているのです。

本当に見ててください、という感じです。
応えたいという思いが伝わってきます。
なかなか元気です。元気になってきました。

お母さんのほうはそれに対して、物静かでずっと背後に控えており見守ってあげている
という感じで今でも一緒です。あまりまわりには人の気配といいますか、ほかの霊とか
存在は感じ取れません。

やはり二人でしのびあい基本的には二人で過ごしてきているのがわかります。
霊界の一つのところで。

あまり悪いところではありません。地獄とか低い霊界ではありません。
まわりにはあまり景色とかは感じられません。
一つの空間のような感じだけです。

ずっと内省し、そこでそれ以降を過ごしてきているのです。
つまり事故の瞬間みな同じところに移されたわけではなく、
おのおののカルマや境涯、境域にしたがって己にふさわしいところに赴いていった
ということなのです。

決して事故で亡くなられた方が同じところにずっと一緒に同様の状態
で苦しみ続けているということはありません。

亡くなった方が地獄にいっているとか苦しんでいるとかはありません。
当初はそのようなことがありましたが、今は普通です。お二人とも元気です。 

            <感謝合掌 平成26年11月26日 頓首再拝>

リーディング〜その2 (2163)
日時:2014年12月06日 (土) 03時35分
名前:伝統

霊界における潔典の近況  (2003 6 5)〜指導者としての修行

        *「天国からの手紙」(P292〜296)より       

だいぶん凛々しく立派になってきました。
霊界においてもちゃんと成長し、順調に神のもと、育成されてきているのがわかります。
もちろん、この世における肉体の成長とか年齢のようなものではありません。
それでも内面の実質としては、ちゃんと成長し続けていくのです。

そのことが彼のことによっても、確認することが出来ます。

魂はもうすっかり癒され、全体として雄々しさ、たくましさが伝わってきます。
頼もしい感じがします。威風堂々とした感じさえあります。
しかし、あまり話しません。

内なる自信と信頼に富みます。そのような落ち着きがあります。
それで、ことばで伝えてこなくても、こちらを安心させてくれるのです。
あまりまわりに人などの存在は感じられません。自立しています。

霊界のなかでは比較的自由に各人が動ける境遇に位置しています。
最近までは、生前のお母さんといっしょでしたが、いまではお互いの了承のもと、
自由に行動するようになってきています。

といっても、母と息子の関係が絶たれたわけではありません。
いつでも会おうと思えばいまでも会えます。実際、ときどき会っています。
不便なことはありません。すっと目の前に現れ、落ちあえます。

  
いずれ霊界で彼は指導者になることでしょう。
指導霊のようなスピリットになる養成あるいは訓練を受け始めているところです。
当面は生まれ変わらないでしょう。

こころとこころとのコミュニケーションの指導に主に当たるようになるでしょう。
正直言って、地上での肉体をまとった生活は向いていませんでした。
地上でそのまま生きれば、それなりに大成し、活躍したことでしょう。

でも彼には、それよりも霊界における任務のほうが適っています。
彼はいま満足して微笑んでいます。

ちょうど地上の朝に対応する時間帯が霊界でめぐってくると、
光のほうに向かってひざまずき、手を合わせて礼拝しています。
敬虔深さがあるのです。

ちゃんと敬うべきところを敬い、立てるところは立てているのがわかります。
それも指導者の条件のうちにあるのです。

生前、地上では4人家族の一員でした。
ただ訳あって、二人ずつにさせられました。
偶然ではなく、母と息子、一方、父親と娘、
この二人ずつが特に繋がりが強かったことになります。

4人家族として縁は強かったほうなのですが、
とりわけこの二人ずつがもともと緊密でご縁が深かったので、
そのようにおのずとなりました。

その意味で、この二人ずつは一心同体であるのを感じさせてくれます。
別にカルマがあってそのようになったのではありません。
神の愛のもと、さらなる成長と浄化のために起きたことです。


(カルマとは負い目の意味です。
ネガティブな出来事のすべてがカルマによって起きるのではないのです。

実感としては、ネガティブ以外のものではとてもあり得ないと感じられても、
神の観点からするならば、それらは恩寵であり、真の愛を知らしめるための機会
としておとずれます。

人は悲しみや辛さから逃げず、それを受け止めて体験するなかではじめて成長を遂げ、
事態を乗り越え、立派な魂に育てられていきます。
そのことが特に、地上界に留められた父親と娘との二人に起きました。

また、生命は肉体の死を超えて引き続き存続することに眼を向けるためにも、起きました。)


地上に留められた父親であるあなたは、最近のヨーロッパの前世のとき、
また遡れば、ギリシア・ローマ文明期の前世のときにも、霊界の存在や、
人間の本質は霊であることを知っていながら、世間の体裁やポジションを考えて、
自分の内なる信念と理解を控えました。

カルマといえばそれがカルマです。
しかし、いわゆるカルマそのものではありません。

今生においても、それをあらためて確信する、つまり霊界があること、
人間の本質は霊であることを再確認するとともに、それを自分の痛みと悲しみとを通して、
実感しつつ成長を遂げ、そのことを救いを求めている方々に洗礼する、

自分としては公言する、そのような行動にでることで、
前世で控えたことにバランスを取らせるようなはからいが起きたのです。

あなたはほぼそれを立派に、この20年間でやり遂げました。
ほぼやり遂げたといえるでしょう。

さて、以上述べられたことは、一般論ではなく、これもまた、
息子さんから伝えるようにと委託された内容なのです。
このようなことをお父さんに伝えて欲しいとのことです。

彼の思いと意向とを汲んで代わってお伝えしました。
そのようなことまで配慮できる余裕が彼のなかには生じてきています。

そもそも、霊界に帰っていった者よりも地上に留めおかれた者のほうが、
辛さと悲しみが大きいものでした。そういうものです。

霊界に早く帰っていった二人よりも、置き去りにされた二人のほうが、
はるかに辛い思いを体験しました。

それが霊界に早めに帰った息子さんが、いまのように元気でたくましく、
頼もしささえ感じて立派に霊界で生きて存在していることの説明になっているはずです。

別に、地上に残してきた家族の二人に対する思いが少ない、小さいからではなく、
霊界に向かっていったというのは、前向きであり、先のことに向かって行動に移したこと
なのですから、あまり辛さや悲しみはなかったのです。

霊界は内面の世界です。
この世では外側から、物事でも、人でも、自分自身のことでも見ます。
しかし、霊界に来てみると、すべてはあべこべの世界に最初は思われます。
内面がそのまま曝露されて、地上の作られたものは通用しない世界です。

しかし、しばらくすると霊界のほうが正しく、
地上は作られた世界、いわば虚偽の世界であることが判明してくるのです。
建前は通用せず、本音や本性が露わになります。

しかし、それに気づけば楽になり、その生き方が身につけばなかなか過ごしやすい領域です。

彼はもともとそのような純朴で、素直で、正直なところがあり、
つくる人ではなかったので、霊界向きでした。

            <感謝合掌 平成26年12月6日 頓首再拝>

霊界における妻・富子の近況 (2003.6.5) (2363)
日時:2014年12月16日 (火) 04時46分
名前:伝統

優しくて情に厚く、受容性が高く好奇心が旺盛な魂です。
朗らかで、情緒豊かで、大きなこころの持ち主です。
いまでも霊界においてそうです。

そのような魂の特性に入っていくと、奥さんの魂を捉えられます。
前世でも、生前においてでも、世話好きの人でした。
いまでも霊界において、他者本位に過ごしています。
自分のことを二の次にしています。

霊界に帰った当初は、息子さんのために特に気遣っていました。
いまは彼も自立し、立派になりましたので、安心し、彼女自身のこころもなぐさめられ、
負担も軽くなっています。優しくて柔軟で朗らかなこころが伝わってきます。

幸いなことは、二人とも霊界で苦しんだり迷ったりしておらず、
比較的高い霊界に赴けたことです。

このことによっても、飛行機事故などのアクシデントに基づく突然死が、
特に地獄行きでないことが証明できます。

また、同じ飛行機事故にあったからといって、
事故の全員が同じ霊界にまとまって行くとか、あるいは、自縛霊のように
飛行機が墜落したあたりに留められて地上のその場所にいて苦しんでいるわけ
ではないことがわかります。

飛行機の墜落事故は、肉体から魂が解放されるひとつのきっかけであったのです。
死ぬ瞬間に恐れが走りました。

しかし肉体のダメージに基づく苦痛を味わうか味あわないかで、
すぐ肉体から解放されたので、痛みを感ずるいとまもなく肉体から解放され、
霊界に向かいました。特に奥さんのことに関して述べています。
そのことを伝えてくれるようにとの意向が捉えられたからです。

さぞかし墜落した肉体の死を味わったときには、苦痛が大きかったろうと、
その思いで張り裂けそうなものが、パートナーであるあなたにあったからです。
そういうことはなかったとのことです。安心してくださるようにとの思いがあります。

しかし、当分は寂しく、悲しい思いにとらわれていたことは事実です。
むしろ、地上に残してきた二人の悲しみを心配するというところにとらわれていました。
自分が悲しいとか,いやだというよりも、地上に残してきた二人のことが心配で、
そのほうにむしろ意識は向いていました。奥さんらしい受け止め方です。

でも、霊界に来て霊界のあり方がわかってくるにつれ、
すべてが神がなさることだし、はからわれるからお任せすればいいと、
達観出来るようになりました。

いまでは朗らかに、こころの負担もさほどなく、救われています。
平安を感じさせてくれます。強いていえば、地上に残してきたパートナーである
あなたが悲しんだり落ち込んだり、迷ったりしたときにそれが奥さんにもキャッチされ、
それが彼女を動揺させました。連動しているからです。

そのようなとき、奥さんはあなたのこころを受け止めてくれました。いまでもそうです。
そのような優しい思いがあり、伝わってきています。 

            <感謝合掌 平成26年12月16日 頓首再拝> 

明るく爽やかに霊界で指導に励んでいる潔典 (2005.08.31) (2494)
日時:2014年12月25日 (木) 04時44分
名前:伝統

ほかの霊たちの前に立っています。そして、指導に当たっています。
すでに霊界での生活にも慣れ、本来の彼の特性が生かされるように、
尊く大切なお役をあてがわれて、その任につくようになりました。

見たところ、はきはきして明るく、活発です。
また、優しくて、他の霊たちを思いやり、ケア−もできています。

堂々として、確信と自信にも満ちあふれている様子です。
明るくて軽快な波動をまわりに放っているため、他の霊たちにとって、
それが慰めや目覚め、あるいは浄化の役に立っています。

それぞれの霊が清められ慰められ態勢が整ってきたのを見計らって、
それぞれ行き先を指し示し、そこへ向かうように促したり、激励もしています。

あるいは、最終的なすべての霊に共通する究極のゴールであるいのちの本源を指差して、
最終的にはあそこに行くんですよ、と教えたり、諭してもいます。

彼にはこの世、地上での物理的な生活は辛く、ふさわしくないものでした。
苦労したり、世の汚れに染まっていったり、あるいは、あきらめて妥協したりするのは
似つかわしくないことでした。

そのため、純粋でよいものを保持したまま、世の汚れに染まったり、
折り合いをつけたりするようになってしまう前に、引き上げさせられました。

生前の名前のように、「潔」(きよ)らかな魂の持ち主です。

また、生きるうえでの法則や宇宙の摂理などにも精通しています。
生きる規範、あるいは、人生の規範などについて知恵が働きます。
それも生前の名前に表れています。「典」(のり)というほうです。

いまあの世では、生きる規範やいのちの法則について、教え諭しているところです。
特に他の霊たちの魂を癒したり慰めたり清めたりする上で、効力を発揮しています。
とても爽やかで、癒したり浄化する作用があります。

それとともに一人ひとりが自分に目覚めて、あの世で本当の霊になっていくことが出来ます。
そのような役目を果たすようになり始めています。

また、時々はそれ以外の役目も、別の領域に行って果たすこともあります。
迷子になったり道から外れかかっている霊に注意したり、教え諭したりです。
また、ともに瞑想に入ったり、お祈りの仕方を教えたもするときがあります。

生前の父親であるあなたとしては、この世に普通に留まって、
主に語学の分野で出世街道を歩むことが願いでした。

それも可能だったのですが、神様とその許に集っている守護霊たちの判断で、
むしろ早くに引き上げさせ、彼を守り、あの世で清らかなまま、
その任に当たらせたほうがよいという決定が下されたのです。

カルマによるものではありません。
多くの場合、事故死を遂げた者たちは、執着が残り、
あの世に行って苦しんで、救われていません。

しかし、彼の場合はほとんどそのような経過を経ることなく、
すっと、よい霊界へ向かいました。

しかし、当分は、守られ、あの世について教育されたり、
いわば、使命のための研修期間を過ごしていたのです。

最初は、控えめで、おとなしくしていました。
しかしここ最近は、自信が出て、積極的にその任に当たるようになって活躍しています。
他の指導霊や天使たちとも連携をとって、それぞれの役目を果たしています。

もともと、この世での生まれ変わりが少なく、あまりこの世向きではない魂です。
父親のあなたには生命の尊さや、人生において本当に大切なことについて、
身をもって教え示すために、その長男として転生したのです。

それは神の摂理に基づくことでした。
もちろん、前世で縁があったからです。

しかし、今世ではずっとこの世に留まって、
跡取りのような人生を歩む計画ではありませんでした。
むしろ、頑固なあなたに大事なことを伝えるために、その長男として出てきました。

一番大事なこと、大切なものとは、いのちと愛です。
そして、それこそが神なのです。

そのことを身をもって示し、いのちは途絶えることなく永遠であるのと同様、
愛も永遠で変わることがない、もっともこの宇宙で尊いものであることを、
あなたに示そうとしたのです。

それは、彼自身の願いであるとともに、彼を通して、
もっと上位のご意思がそれをあなたになさりました。

彼からあなたへのメッセージは、無言のうちに、
「はい、この通りです。見ての通りです。分かってくださったんですね」、
そのような喜びと安堵感が伝わってきています。

もちろん彼にはマナーがありますので、高ぶることなく、
生前の父親であったあなたに対しては、敬意を表し、また、感謝しています。
お互いのかかわりで、本当に愛が体験できました。

それこそ、もっとも貴重なことだったのです。
ある期間、親子で、家庭において生活をともにした、
それがとても有難く、すばらしいものでした。

今でも彼のベースにそれはなっています。
その意味でも感謝してきています。

彼はいま、朗らかで、心が晴れ晴れとして爽やかです。
自分でも安心して、爽やかさが伝わってきています。

あなたに対しては、「有難うございます。よく耐えてくださいました。
もうじきお会いしましょう。こちらで待っています。他界する時期は自分でもわかるでしょう。
僕も分かっていました。」そのようなことが伝わってきています。

「この世で寿命が与えられている限りは、この世でのいのちを大切にしてください。」
そのような思いも併せて伝えられてきています。

彼はもう完全に苦境を抜け出て、悟りの心境に入っています。
他の霊たちに対する思いやりに満ちています。
それは、背後の神様のお心を体現しているからです。

            <感謝合掌 平成26年12月25日 頓首再拝> 

慈母観音のように母親の役目を果たしている富子 (2005.08.31) (2688)
日時:2015年01月05日 (月) 03時43分
名前:伝統

  
いまは慈母観音のようになっています。
かつての四人家族がこの世とあの世とに、二人二人ということで、分けられました。
縁のある二人がそれぞれ、この世とあの世とにいることで出来ることがあるからです。

人は誰でも、双方の世界を行き来すること、そのことを身をもって体現し、
二つの領域の中垣を越えることが目指されています。

潔典さんに対しては、縁のある母親が付いている必要がありました。
特にあの世に行ってすぐの時期は、どうしてもそれが必要でした。

それはちょうどあの世に行く、つまりこの世で他界する、というのは
あの世での誕生に相当するため、直前の人生であるこの世での生活を早く切り上げて
あの世に帰る際、その人生での母親であった役を引き続き引き受けて、
彼がいわば、あの世に誕生するうえで、やはり母親の役目を任じ、同行することになりました。

 
二人ずつというのは、ほかの例としては、
キリストが十二弟子を遣わす際、二人ずつのペアーで必ず、
おのおのの地に赴かせたのにも見られます。

あの世に行って困ることがないように、縁のある母親と息子とが、ともに赴きました。
十数年前よりは二人は少し距離を置いて、それぞれが出来ることを
行なえるようになっています。

しかし、もちろん、つながりは緊密で、富子さんは今でも彼の背後で見守り、
安心し、頼もしく感じて微笑んでいるところです。
今でもつながりがしっかりあって、背後で支えています。

また自分も、彼によって支えられているのです。言葉少なです。
それだけ心が満たされ、充実し安定しているといえます。

また、時々は自分の息子であった霊が他を指導していて、それに協力し、
ほかの霊たちが戸惑ったり、まごまごしていたりしていると、面倒を見てあげたり、
必要なことを教えたり指示したり、いたわって上げたりという助力をしています。

生前の富子という名前は、心が豊かである、真に富んでいる、
そのような魂だったから富子と命名されました。

その名の通り、いまもあの世で、名前に恥じず、包容力があって、
他の霊たちのことも包み込んで、背後で見守って支えてくれています。

しかし、何よりも息子だった彼から、
強力な愛といのちのエネルギーをいただいて元気でいられます。

夫であったあなたに対してのメッセージは、すごく慕わしく、有難く、
心温まる波動を送ってきています。

生前と何の変わりもなく慕っている、暖かい尊敬と信頼の念が、
言葉を超えてあなたの許にやってきているのです。
癒したり、満たす包み込む波動が及んできています。

いまでも夫婦なのです。
「あなた、有難うございます。私はこうして元気でおります。
私たちの息子も、立派に成長を遂げ、活躍しています。どうぞご安心ください。
いづれお会いできる時を楽しみにしております。」 言葉に移すと、
その思いは、そのようになっています。

彼女の思いの波動を感じ取って、十分に受け止めてみましょう。

            <感謝合掌 平成27年1月5日 頓首再拝> 

天使となって温かく優しい波動を送り届けている潔典(2007.06.05) (2808)
日時:2015年01月14日 (水) 03時17分
名前:伝統


        *「天国からの手紙」(P297〜300)より


心が平静で、とても澄み切っています。まわりは平安に包まれています。
「平和の大使」として霊界で認められるようになりました。

少し前までは、活発に他の霊たちを必要に応じて指導したり育成していたのですが、
最近は「平和の大使」として任じられたために、あまり活発な動きはせず、
霊界に平安と安全をもたらすために自らも鎮まって、その存在の在りかたでまわりを
支えたり、包むようになっています。

本来のあり様になり始めたのです。
すなわち、もともとの彼の持つ属性なり特質にふさわしい在りかたと
お役が与えられたということです。

それはちょうど、仏陀が平安と寂静ともよばれる静寂の境地を体現し、
地上にその波動をもたらしたことと似通っています。

あるいは、主の前世の一つであられた平和の王子、メルキベデクが地上にもたらせた
波動と似通っています。もちろんメルキベデクが最終的にイエスとよばれる人物として
出てきた時に最大限にそれがなされました。

霊界においても、平安と安全をもたらす役目の者が必要なのです。
そのようなお役を授かった者が何体かおられます。たいていは天使です。

そもそも彼は、地上での重たくて汚い世俗的な波動には似つかわしくなく、
それがために21歳で娑婆世界から取り去られたのです。

古来、清らかな心を持つ詩人や文学者、音楽家や宗教者などには早くから
他界する者がいるのも、単なる逃避的なことが原因であったり本人の意思が弱い
からだけではありません。純粋なるがゆえにこの地上では生き続けられないのです。

また、その純粋さを神が、保つために、見過ごしにされず引き上げられます。
取り去られます。
そうでないと、無理に本人は地上に合わせ、汚れていってしまいかねないからです。

ひろくは人間の大半が、子供から大人になる時にそれが起きてしまっています。
それゆえにこそ主は「幼子のようになりなさい、幼子のようになれば天国に帰れます」
とおっしゃられたのです。

そのように言い得る主ご自身が、清らかな心の持ち主だったからです。
だからそれがわかるし、言い得たのです。
そして実際、主もそのまた従兄弟の洗礼者ヨハネも、
30台前半で地上から去って行かれました。

潔典さんは、そのお名前にも表れているように、清らかな規範を備えています。
そのために、それ以上地上に居ると彼自身が汚れてしまいかねませんでした。
なぜなら彼は、それ以上居たら、地上に合わせ始めただろうからです。

それを人は、大人になったとか、分別がついたなどと言います。

しかし、仏陀がなぜ分別を好ましくないと捉え、無分別を説いたか、です。
それはやはり、仏陀自身が、きれいな魂の持ち主だったからです。

そのため仏教では、世間とは正反対に、分別がつくことをよろしくないとみなし、
無分別の境地を説きすすめるのです。

潔典さんは、そのまま21歳以降も地上に居ると、
彼自身、素直で謙虚なので、地上に合わせ始めたことでしょう。
21歳といえば7の倍数です。7×3で、ちょうど区切りのよい年数を地上で送りました。
それで十分だったのです。

たしかに地上にそのまま留まれば、地上でも有能振りを発揮して、
言語学の大家になっていたことでしょう。あるいは外交官になっていたかもしれません。
しかしそこまでの任務は、今生において与えられていませんでした。

むしろ父親を導き、教育し、いのちの大切さと永遠性とを身を以って知らしめるために
自ら去っていくことが重大な任務として与えられていたのです。


(ちょうど主が、ヨハネによる福音書のなかで、「私が去っていくと知って、
あなた方は動揺し悲しみ始めている。しかし本当はそれはよいことなのだ」、
そのように言われたことに通じます。

主が使命半ばで去っていってしまったのではありません。
そうではなく、自ら去るということで、最も大切ないのちの教訓を残すということ
こそが究極の使命だったのです。

その使命の成し遂げ方が、主の場合なら十字架刑で命を亡くすというあり方をとった
までです。世間の常識や一般的な印象とは全く異なり、それは中途で挫折した形ではなく、
むしろ霊的には成就した最高の形態だったのです。

あの世や神様のことの真相を知るためには、価値観や捉え方を、
ことによると180度転換しなければならないこともあるのです。
それを霊的なコペルニクス的転回ということもできましょう。)


それを、もっとも彼は、つまり潔典さんは、父親のあなたに伝えたかったのです。
また、彼を通して背後の高位の霊的存在方は、あなたに伝えようとしました。
それが多大の犠牲と苦悩を伴うことになりました。

それを経ないことには最も得がたい賜物をいただくことは起きがたいのです。


(それはちょうど、シャーリーマックレーンの『アウト・オン・ア・リム』という本の
タイトルにも通じます。すなわち、木に登って枝の先にある尊い実を手で掴むためには、
危険を冒してまで枝の先端まで自分で向かっていかねばなりません。

下手をすると枝が折れるか、折れなくても途中で滑って下に落ちて、大怪我をしたり、
下手をすると死ぬことにもなるということです。
それだけ尊い実が枝の先には実って着いています。)


あなたはそのような危険を冒して、今日にまで生き延びさせられているのも、
背後の高位の存在方のお陰です。
そうでもないと、あなたは今日までとても生き延びれなかったことでしょう。

単にあなたが強い人だからということではありません。
まして、地上での生きることへの執着心が強いからではないのです。

逆に、あなた自身は、むしろ、早く地上から、また自分の肉体から去っていき、
あの世で自分の息子や妻に会いたがっていたくらいです。

人間は身を以って体験しないと、また、追い詰められないと、
本当には悟って大切な資質を身に着けることは起き難いのです。
そのような大切な資質が「枝の先端に生っている実」でたとえられます。

そして、それは確かにあなたの身に起きたことです。
その意味であなたの愛する息子さんは、いまほっとしているところです。
やっと霊的に同列に、あなたは自分の息子と向き合えるところにまで成長してきました。

彼は清らかで、天界的な存在なのです。
そのため地上で天使の輝きと賢さを現し出しましたが、地上の任務は似つかわしくなく、
過酷すぎました。それが予感された時点で、還っていくことになりました。
彼は苦しまずに肉体から離れました。

なぜ飛行機事故だったのでしょう。それは、彼が地上的な存在でなかったからです。
それ故、地上でいのちを落とすことにはならず、空中を飛行する物体から
そのまま天へと還っていくことが起きたのです。

地上に飛行機が激突してその衝撃でいのちを落としたのではありません。
その前に覚悟を定め、失神していました。そのため空中で体から離れ始めていました。
それによって肉体的に苦しまずに、すっと、早々と、天へと向かって行けたのです。

彼はいま、平安そのものです。天使の一体となって、静かに天界を巡ったり静かに
回想して、温かく優しい波動を天界から霊界全体に送り届けています。

この世の父親であるあなたと、今でも親密に繋がっています。
21年間の共にある生活をときに回想して懐かしみ、また、あなたに感謝しています。
また、父親のあなたをこころから尊敬しています。

ことばにならない慕う気持ちと、憧れと、尊敬心が
無言のうちに波動としてあなたに伝わってきています。
その波動が、これまであなたを支え導いて、今日のあなたがあるのです。

(親子でしか分かりえない、こころの、血の通う温かい気持ちの交流が、
いまお互いの間に伝播しています。それを再度確認し、受け留めてみましょう。)

            <感謝合掌 平成27年1月14日 頓首再拝> 



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