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光明掲示板・第三

 

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臨死体験〜鈴木秀子さんの場合 (1809)
日時:2014年11月19日 (水) 04時57分
名前:伝統

《「愛する」ことと「知る」こと》

          *「死にゆく者からの言葉」(P9〜11)より

(1977年)奈良女子大学での学会に出席した際、
私は友人のいる修道院に泊めてもらいました。

真夜中に起き出した私は、階段を廊下と思い違いして、
2階から下まで落ちてしまったのです。
5時間近く意識不明の状態で過ごしました。

意識のない5時間の間に、思いがけないことが起こりました。
私は、空中から下の方を見下ろしていました。
かなり高いところにいて、明確な意識を持っています。

下の方に、もう一人の私が、やはり地上から少し浮き上がってまっすぐに立っています。
足のまわりを筍の皮のようなものが包んでいます。
(後に、蓮の花びらとわかりました)

上から見下ろしていると、私の足もとの筍の皮が一枚ずつゆっくりと落ちていきます。
その皮が一枚一枚と剥がれ落ちるたびに、
私は暖かい気持ちで、下のもう一人の私を見ながら、

「ああ、これで人の目を気にすることから自由になった、
これで人との競争からも自由になった、
これで人を恐れることからも自由になった・・・・・・」

と言い、自由というものを実感しているのです。

完全な自由への甘美な期待が訪れたとき、私はすっと天空に飛翔しました。
そして天の一角から生きた光が私を包み込んだのです。

輝く金色の光に包まれ、私は自分の全機能が活き活きと最高の状態になり
互いに調和しているのを感じました。

光は生命そのものでした。
まばゆいほどに輝く黄金の光ですが、けっしてまぶしすぎず、
私の全存在を包む温かい光でした。

私はその光に包まれて、自分の命が、自分の全存在が、
完全な生命そのものによって満たされているのを感じたのです。

光は命の充満であり、生きている完全な人格を持つ方でした。

「光そのものの方」は、私をとことん知りつくし、私のすべてを理解し、
許し、私を私としてあるがままに受け入れていてくれる生命そのものでした。
私は深い一体感に満たされていました。

「これこそ、愛の極致だ」
「これこそ、至福なのだ」
「悟りとはこういうことなのだ」

「これは永遠だ」
「ここにはもう時は存在しない。すでに時はなく、永遠である。
 そして完全に幸福の境地なのだ」

私は至福そのもでした。
この世界にいつまでもとどまりたいと感じていました。


しかしその時、つたない日本語の祈りが聞こえてきました。
「癒してください。癒してください」


すると生命の光が、私にこの世に帰るように促したのです。

存在そのもの、生命そのものの方が私に言いました。
それは言葉ではなく、存在から存在に伝わるような方法によってです。
それは愛のあふれでした。

「おぼえておきなさい。最も大切なことは、『愛する』ことと『知る』ことです」

そして私ははっきり理解したのです。

この世で、「愛する」ことと「知る」ことだけが生きる意味であることを。

「愛する」と「知る」は、「慈愛」と「叡智」に近い感じでした。



次の日、病院で目が覚めると、身体中が痛くて動けませんでした。
しかし痛みなど少しも気になりません。

こころはえも言われぬ至福感で満たされているのです。

            <感謝合掌 平成26年11月19日 頓首再拝>

「宇宙の癒し力」 (2016)
日時:2014年11月28日 (金) 03時15分
名前:伝統

          *「死にゆく者からの言葉」(P16)より

この奈良での体験の直後から、私は、不思議というより、摂理としか思えない方法で、
重症の病人のところに招かれるようになりました。

そして病人のところへ行くと、誰に教えられたわけでもないのに、
自然と手が伸びて、その人に触れながら呼吸を合わせ、静かな時間を持つのです。

病人のどこが悪いとか、どんな痛みか、私は自分の体で感じ取りました。
日常とはまったく次元の異なる時間帯の中に入っていくのです。
それは病人と二人でともに味わう瞑想の極致のような状態です。

私は病人と一体となり、大宇宙の気が私の手を通って
病人の中に流れていくのを感ずるのです。

それは深い静けさの充満した時間であり、病人とも宇宙とも、
ありとあらゆるものとの一体感に満たされています。

そのような状態になると、もう病人が治癒したらいいとか、奇跡が起こればいいとか、
そういう考えさえ浮かばず、思考はいっさい消えています。


つまり、病人の身体に手を置き、病人と一体感のうちに呼吸をひとつにして静寂の中に
身を置いている時、私は深い深いところから、宇宙の根源の力が私を通して病人に
伝わっていき、病人の中にある治癒力を甦らせるような感じを味わいます。

あるいは、身体を越えてその人の奥の奥から、安らぎと魂の平安を呼びおこすようです。

静かな宇宙の流れに身を委せ、宇宙の働きにすべてをゆだねるといった状態です。

            <感謝合掌 平成26年11月28日 頓首再拝>

少女の心臓の穴がふさがった! (2202)
日時:2014年12月08日 (月) 04時48分
名前:伝統

        *「神は人を何処へ導くのか」鈴木秀子著(P63〜65)より

思い起こせば、小さな女の子との出会いが忘れがたいことでした。
臨死体験をしてから、約半年後のことでした。

彼女にふっと手を当てたとき、心臓に穴が開いていることがわかりました。
いくつ開いているかも見透せました。

「マサミちゃん、ひょっとして心臓が悪いんじゃありませんか」とお母さんに尋ねたら、
「ええ、そうなんです。来月、T医大で手術するんです。どうして分かったんですか」
と不思議そうな顔をしました。

私は、その女の子に、もう一度会う約束をしました。
そして次に会ったとき、その子のために祈りました。
すると、あ、この子は大丈夫だ、という感じがしたのです。

そこでなるべく早くT医大に行って手術の前にもう一度、レントゲンを撮ってもらう
ように勧めました。それから病院を予約して、レントゲンを写したのが、
1週間後のことでした。手術の日は2週間後に迫っていました。

レントゲンを写した後、お医者さんは、以前に撮ったものと今のと2枚並べて、
腕を組んでずっとそれを見ていたそうです。

お医者さんが黙りこんでいるので、お母さんは何か悪いことに違いないと思い、
いたたまれない気持ちで彼の言葉を待っていました。するとそのお医者さんはそのまま
何も言わず、二人を置いたまま部屋を出て行ってしまいました。

しばらくして若い医師たちがドヤドヤと病室に入ってきました。
そして彼らはお母さんとマサミちゃんを無視したまま、レントゲン写真に
ものを言わず見入っているのだそうです。

担当のお医者さんはこわばった面持ちで、やっと母子の方を向きました。
そして、緊張のあまり息の止まりそうな母親に向って言ったのです。

「どうしました? 何が起こりましたか。全部きれいに治ってます」

それを聞いたとたん、安堵と驚きと喜びが一緒になって、
彼女は力が抜けてしまったそうです。
それから電話のところへ飛んでいって、ご主人に電話をかけました。

「鈴木先生のおっしゃったとおりだった」

と言って、泣きじゃくったそうです。

その間、マサミちゃんは、
何が起きているのか分からず、ぽかんと椅子に座ったままでした。

その女の子も、この間、「高三になりました」と言って会いにきてくれました。

            <感謝合掌 平成26年12月8日 頓首再拝>

先天的に曲がっていた背骨が一瞬にして・・・ (2396)
日時:2014年12月18日 (木) 04時23分
名前:伝統

        *「神は人を何処へ導くのか」鈴木秀子著(P29〜32)より

臨死体験をしてからの私は、
まるで別の次元の不思議な世界に自分が入ったような感じがしていました。

誰かと会っているとき、突然、あたたかい予感が満たされるようになったのです。

そして、人のからだに手を当てると、なぜまその人の悪い箇所がわかり、
病気が癒やされるようにお祈りするようになっていたのです。

あるとき、ひとりの少女がシスターに連れられてやってきました。

少女のからだに、いつものように手を当て、私は言いました。

「あなたは、肝臓と耳が悪くて、背骨が曲がっていませんか 」

ところが少女は、「どこも悪くありません」と言って、帰っていきました。

そして翌日、その少女は、修道院の応接間にまた一人静かに座っていました。
彼女のからだに手を当て、私はひとりごとを言いました。

「なんだか、肝臓が悪いような気がするけど」

少女は初めて重い口を開きました。

「・・・先生の言ったとおりなんです。私、背骨が曲がっているんです。
そのせいで、いろんなところが悪いんです。だけど母が絶対他人にからだが悪いことを
言っちゃいけないって。お嫁に行けなくなるからって、小さいときからずっと
そう言われて・・・」

長い間、誰にも打ち明けることのできなかった悩みを話して、気が楽になったので
しょう。少女のあどけない顔からは、昨日の硬い表情は消えていました。

「そう。耳は 」

「耳は悪くないですけれど、父が生まれつき耳が聞こえないんです。
だからもしかしたら、私も悪くなるかもしれない」

背骨と肝臓がよくなるといいなと考えながら、私は癒やしの力をこめて、
彼女の背骨あたりに手を当てました。

突然、カクーンという割れるような大きな音が部屋に響いて、
二人ともびっくりして飛び上がりました。

「あっ 」と目を開いた少女は、不思議そうに自分のからだをゆすっています。
少女の背に手を当てると、さっきまで曲がっていた背骨が今はスッと
まっすぐに伸びているのです。

カイロプラクティックで骨のズレを直すように、
少女の背骨は一瞬にして治ってしまったのです。

            <感謝合掌 平成26年12月18日 頓首再拝>

死ぬ準備がととのっている人 (2520)
日時:2014年12月27日 (土) 04時36分
名前:伝統

      *「神は人を何処(どこ)へと導くのか」鈴木秀子・著(P207〜208)より

死にゆく人の元へ行き、その人の体に手を当てると、人によって、
この人はもう寿命だ、このまま死んでいくんだと感じる時があります。

不思議な事に、あと何日、という死ぬ日まで分かることがあります。
最後の二日くらいになると、手を当てているその人の体が、
天使のように真っ白に透けて見えるのです。

透明というより、白い光に包まれている。
そのとき、ああこの人は死ぬ準備が整っている、と感じるのです。

けれども、手を当てていると、あ、この人は与えられた寿命が延びるんだ、
とわかるときもあります。大丈夫だ、という強い直感が働くのです。
それは何故と聞かれても、そう感じるとしか言えません。

それは日常の次元を超えた、閃きに近いような確信です。
世の中には解らない事がたくさんあるけれども、目に見えなくても
何かがはっきり解る瞬間があります。

祈りが通じたということを体で感じて、それが自明の理として起こるのです。 
寿命というのは、その人にとって一番根底にある運命です。

その根底がくつがえされて、何か大きなものが変わった、この人が違う次元に入った、
死ぬはずの運命の人が新しい生命をもらったということが、
真っ暗な中に電気がぱっとついたように、はっきりと解るのです。


「そんな病人のところに行って手を当てたりしていたら、
病気を貰うからしないほうがいいですよ」と忠告してくれる方もたくさん居ました。

けれども高野山のお坊さんは私に言っていました。

「普通の人が手を当てたりすると、確かに病気を貰う事もある。
でも、あなたは手を当てても一切そういう悪い物は貰わないようになっているから、
そんなことは心配しないで手を当ててあげてください。」

・・・

参考《高野山のお坊さんとの出会い》

       *「神は人を何処(どこ)へと導くのか」鈴木秀子・著(P48〜50)より

1977年に臨死体験をしてしばらく経ったときのことです。

関西地方で親しい知人の結婚式に妹と一緒に出席ししました。

私が新婦側の中央の自分の席に座ろうとしたとき、新郎側の中央に座っている50代くらいの
男性が、私に、「あの、ちょっと」と声をかけてきました。

周囲の来賓と同じような黒い礼服を来ているけれども、
その男性のたたずまいは何か人を惹きつけるものがありました。


(以下は、高野山のお坊さんの言葉)

「ああ、長年会いたいと思っていた人に、やっと会えました」


「あなたは素晴らしい能力をもった人です。私はあなたのような能力をほしいと
思ったけれども、もらえませんでした。・・・長年、いすれ、そのような能力を持った人に
会えると確信していました。今やっと願いがかないました」


「私はある人に降りかかるはずの災難を気をつけるように促して回避したり、
軽いものに転じたりできる能力を持っています。けれどもそれ以上の能力はありません。

しかし、私には与えられていないけれど、ある人にはそういった能力が与えられているのです。
そして、あなたはそんな得がたい能力を授かった方なのです」


「あなたは、人の運命を転換させる力を授かっている。あなたこそ、
私が探し求めていた人です。そして、あなたに与えられたもう一つの素晴らしい能力は、
会う人ごとに、その人を幸せにする能力です」


「あなたは会う人をいい方向に向かわせる。いいことが起こるよう方向付けのできる人です。
皆を幸せにする能力を持っている。その力を使ってください。

しかし、世の中には厭な人も居て、そういう人があなたのところへ来ることもある。
厭な事をする人が居るかもしれない。そのとき、その人に対して悪い事を思うと、
悪が及びます。悪く思わないようにして、その人から心を放しなさい。

するとかならず、その人間は、あなたの側から消えていきます。」


お坊さん(高野山高僧)は私に向かって、確信に満ちた声でそういいました。

            <感謝合掌 平成26年12月27日 頓首再拝>

神は常にあなたを導いている (2704)
日時:2015年01月06日 (火) 03時15分
名前:伝統

       *「神は人を何処(どこ)へと導くのか」鈴木秀子・著(あとがき)より


神はあなたをどこへ導くのでしょうか。

神はあなたを、今、あなたのいる場所へ導いています

今、あなたの置かれた場で、あなたは、かけがえのない存在として、
目に見える世界を突き抜けて、真の現実を見、真の人間性を発揮するように
導かれているのです


真の現実である、人びととの許し、和解と自由、大宇宙との調和、生きる喜び、
そして何よりも、神との深い愛の一致へ導かれているのです


沈黙のうちに神の愛に気づき、日常のささいな出来事を通して働かれる神の配慮と、
人生の意味を味わう神秘体験を重ねるように、あなたを通して、神の素晴らしい
超自然の力が発揮されるように、神は常にあなたを導いているのです

            <感謝合掌 平成27年1月6日 頓首再拝>

奇蹟はあなたが起こしている (2848)
日時:2015年01月16日 (金) 04時08分
名前:伝統

     *「奇蹟は自分で起こす〜幸せになる1ミリの法則」鈴木秀子・著(はじめに)より


すべての出来事は、一つ一つ必要があって

  あなたに益するために起こってくると言われます。

  あなたに乗り越える力があるからこそ、
  起こってくるのであり、
  乗り越えることがあなたのこの世の課題なのです。


  大宇宙はあなたの味方です。
  あなたにとって必要な課題を乗り越えるように、
  大宇宙はいつでもあなたに力を与えています。


  その力を元として、
  あなたは毎日どんな状況であれ、
  幸せに生きることができます。


  宇宙の力と協働する時、
  あなたに奇蹟のような展開が起きます。


  奇蹟は、日々あなたの中に起こっています。


ミラクルステップ1〜すべての人がひび割れ水瓶

     *「奇蹟は自分で起こす〜幸せになる1ミリの法則」鈴木秀子・著(P11〜18)より


・・・

ひび割れた水瓶

(スレッド「或る譬話・寓話からの学び」にてご確認ください。
      〜 ひび割れた水瓶 (2849)日時:2015年01月16日 (金)
  → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=30 )

・・・

《すべての人がひび割れ水瓶(みずがめ)》

人間は、全部完全などという人はいません。
どの人もひび割れを持っています。

そのひび割れをどう見るか、どのように役立てるか、
それが生きるということの意味です。

私たちが生きていく上で、いつも完全に幸せという日が永久に続くことなどあり得ません
ちょうど天気と同じように、雨の日も、曇りの日もあって、そしてよい日来ます。
いろいろなことが起ります。

生きていくということは、いろんな課題があって、それをどのように見て生きていくか、
そしてそれをそのように解決していくか、すべてこの一点に行きつくようです。

            <感謝合掌 平成27年1月16日 頓首再拝>

伝統様にお願いします。 (2853)
日時:2015年01月16日 (金) 07時17分
名前:向日葵

有難うございます。伝統様、鈴木秀子様の臨床体験のご本は どちらの出版社から出ているのでしょうか? 又、表題は?教えて頂けたら嬉しいです。

私も 読んで見たくなりました。お願い致します。合掌



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