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光明掲示板・第三

 

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魂を磨くということ (87)
日時:2014年09月04日 (木) 04時52分
名前:伝統

《魂の本質は皆同じ、”学年”が違うだけ》

        *「神様に愛されたら幸せな奇跡が起こり出す」(P10〜14)

(1)一人ひとりの今生の霊的進化段階は、それぞれの転生回数と前世から引き継いだカルマ
   (因果律、やったことは必ず返ってくる)によるので、植物に例えると今生では
   まだ”つぼみの人”と、”花開いた状態の人”がいます。

   魂の本質は皆同じで、甲乙はなく、花開いた人は上級生、つぼみの人は下級生で
   ”学年”が違うだけです。

(2)この人間界は、つぼみの人と花開いた人が同時に存在している学びの場所です。
   人間界に人間が転生して生きている様子は、「海の中」で例えることができます。

   まだつぼみの霊的進化段階の人は、日光が感じられない深い海底にいる状態です。
   花開いた霊的進化段階の人は、日光が感じられる海面に近いところにいる状態です。

(3)宇宙には闇があって光があり、植物にはつぼみと花が同時に存在するのが自然の姿です。
   ですから闇とつぼみを嫌ったり戦ったり滅ぼそうとする必要はないのです。

(4)あなたは自分以外のものに影響されて、精神的に依存しないようにしてください。
   自分以外のものではなく、あなた自身を信じてください。

(5)もともと最初からあなたは、「内面から自分自身で輝ける存在」であることを、
   思い出す作業をしてください。

   するとあなたの内側に内在する神(ゴッド=宇宙の根源=無限の英知)とつながります。

(6)何ごとも、あなたに与えられてものや、あなたのまわりにあるものに不満を持って、
   「もっとよいものがあるのかもしれない」と外に探そうとしないでください。

   それと同じことは、例えば結婚でも言えます。あなたの家庭の外によいもの(や人)が
   いるのではなくて、あなたの家庭自体がよい(すばらしい)のです。

   特に「男女関係は自分と同じくらいの霊的なレベルの人しかくっつかない」という法則が
   あるので、あなたの恋人や結婚相手はあなた自身の魂の波動のレベルの姿なのです。

   特に、男女関係の相手の問題は、自分自身の問題が鏡になって映し出されているのです。
   自分で選んだ結婚相手や恋人は「自己責任」なのです。

   ですから自分が選んだ相手の問題も自分だと思って、
   ありのままで受け入れるようにしてください。

   そして共に忍耐力を持って、悩んで苦しんで成長してください。

(7)ネガティブな考え方(例えば嫉妬心、不安、傲慢など)を持つと、
   魔界の闇に引っ張られて、そちらとつながってしまいますので気をつけてください。

   宇宙には「光」と「闇」の両方があるので、「闇から光へ」向かうようにしてください。
   常に自分の意識を理想のものへとコントロールして、天界の光のものを引き寄せて、
   神様とつながるようにしてください。

・・・

<関連Web>

(1)光明掲示板・第一「魂の約束」 (6284)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1185


(2)光明掲示板・第二「魂磨き (10874)」
    → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=2084

             <感謝合掌 平成26年9月4日 頓首再拝>

過去のすべては、魂の進歩のための肥料 (243)
日時:2014年09月10日 (水) 04時17分
名前:伝統

         *『生活の智慧365章』(P217)より

もう、あなたは過去の失敗について、また過去の過ちについて
グジグジ思い煩うことをしないのである。

神は、あらゆる塵芥(じんかい)や糞尿を浄化して、作物がよき実を結ぶ
肥料としたまう如く、過去のあらゆる失敗も過ちも悉く浄化して、
よき魂の収穫を得るための肥料となしたまうのである。


あなたの過去の過ちはあなたの人生観を深からしめ、
心の視野をひろめ、人生の意義を悟らしめるのに非常に役立っているのである。

あなたは過去を斯く観ずることによって、心の混乱や不安や退嬰(たいえい)や
過度緊張が取り除かれ、心に平和と愛と調和がみたされ、
過去に体験したものを、真に自分の魂の生長に役立たしめることができるのである。

また他の人々の過ちについても寛容であれ。

すべての人は一見「過ち」と見えるものを通して魂が進歩しつつあるのである。

             <感謝合掌 平成26年9月10日 頓首再拝>

喜ばれる存在になる (370)
日時:2014年09月15日 (月) 04時48分
名前:伝統

        *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年09月13日)」より


   (小林正観さんの心に響く言葉より…)

   ある経営者の方がこう言いました。

   「私は人生の65年の中で悪戦苦闘してきました。
   何をやっても、人の2倍3倍の努力が必要で、その2倍3倍の努力をしなければ
   人並みにならず、5倍くらい努力してやっと少し生活が楽になるような状況でした。

   いったい、自分の人生は何のためにこの世に存在しているのでしょうか」


   自分の前世は何者で、来世は何者で、
   自分の頭に入っている魂というのは何者か知りたい、というのです。

   その方は、人生について65年ずっと考えてきたのでしょう。


   私の答えを聞いてから、2分くらい絶句していました。

   2分ほど経ってからこう言いました。

   「わかりました」

   そう言って帰られました。


   その方に私はこうお答えしたのです。

   「もし、あなたの前世が5人10人の人を殺した殺人者だとします。
   では、今生生まれ変わってのテーマは何だと思いますか」

   「わかりません」

   「喜ばれる存在になりなさい、というのが今生でするべきことですよね。

   では、前世でもし、とても人に喜ばれて、みんなから尊敬され、
   敬意を持って慕われるような存在だったとします。

   今生でのテーマはなんでしょうか」

   「わかりません」

   「より喜ばれる存在になりなさい、ということですよね」


   そうであるならば、前世が何者であったかを考える必要はなくなります。

   前世が何者だったから、今生は何をしなくてはいけない、
   ということを考える必要はないのです。

   前世が何者であろうと、
   今生でのテーマは  「どうしたら喜ばれる存在になれるか」


   もし前世が喜ばれる存在であったなら、もっと喜ばれる存在になりましょう。

   もし前世が喜ばれない存在であったら、
   今生では喜ばれる存在になりなさい、ということですから、
   前世に関心を持つ必要はないと思います。

   ただ、今生でどう喜ばれる存在になるかということだけです。

        <『「人生を楽しむ」ための30法則』講談社 >

         ・・・

この世で、「喜ばれる存在」の反対は「喜ばれない存在」すなわち、
きらわれたり、いやがられたり、する存在。

「喜ばれる人」は、笑顔で、いつも機嫌よく、
「幸せ」、「うれしい」、「楽しい」、「ツイている」、「ありがとう」と言っている人。

その反対に、喜ばれない人は、いつも暗くて、不機嫌で、
「不平不満」、「愚痴」、「泣き言」、「悪口」、「文句」を言っている人。


喜ばれる人にはいつも感謝があるが、喜ばれない人には感謝がない。

「喜ばれる人」のそばには、この人ともっと長く一緒にいたいと、多くの人が集まってくる。


私たちがこの世に生まれてきた目的は、「喜ばれる存在になること」。

いつも笑顔で、よき言葉を使い、感謝多き人生でありたい。

             <感謝合掌 平成26年9月15日 頓首再拝>

魂の稚(おさな)い場合には脱線して苦しみます (621)
日時:2014年09月25日 (木) 04時32分
名前:伝統

          *『眞理』第九巻生活篇(P66〜67)より

神は人間を「神の子」としてつくり、地上に生み出され、
その各々に適当な位置と天分を与えられたのであります。

その神の計画どおり吾々が生活するならば、最も摩擦なく不快なく生活できるのであります
けれども、神は人間に完全なる自由を与え給うて、神の計画の中に、機械的に運転するよう
にはしたまわなかったのですから、

吾々は、その与えられたる自由によって、あるべき位置からハミ出して生活することが多い
のであります。その限りに於いて私たちは何かピッタリしないものを感ずる、それが摩擦で
あり、悩みであり、正しきものを生み出す苦しみであり、

魂の(おさな)い期間は、神の計画の中から脱線することが多いので、
その位置にピッタリせず、苦しみを受けることが多いのです。

これが苦しみによって魂が浄化される期間であって、
決して神が練成のために苦痛を課するのではないのです。

             <感謝合掌 平成26年9月25日 頓首再拝>

【ステキな人になる訓練】 (758)
日時:2014年10月03日 (金) 04時24分
名前:伝統

      *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年09月29日)」より


   (斎藤一人さんの心に響く言葉より…)

   世の中には、いろんな人がいるものです。
   あなたが「触れてほしくない話題」に対して、
   ズケズケと言ってくる人もいるでしょう。

   たとえば、なかなか結婚しない人に対して、
   「早く結婚して、ご両親を安心させてあげなさいよ」とか。

   子どもがいない人に対して、
   「早く可愛いお孫ちゃんの顔を、親御さんに見せてあげなさいよ」とか。

   しかし、結婚するかどうか、子どもを産むかどうかは、
   すべて本人が生まれる前に、選んで決めてきていることなんだよね。

   「結婚する」と決めてきている人は、時期がくれば、必ず結婚します。

   「今生では、結婚しない」と決めてきている人は、結婚はしない代わりに、
   仕事やライフワークにいそしむことになるんです。

   だから本来は、親であろうと、親戚であろうと、
   結婚や出産に、口をはさむべきではないんだよね。


   なかなか結婚しない息子や娘に対して、
   「あんた、なんで嫁が来ないの?」とか、
   「いつまでも選り好みしていちゃダメよ」とか、
   「このままだと行き遅れになっちゃうわよ」などと、
   何度も何度も言うことは、「いじめ」と一緒だよ。

   本人が言われてイヤなことを何度も言うのは、
   言ってはゴメンなさいだけど、親や親戚のほうが「魂が未熟」ということだよね。


   この問題を解決する方法は、ひとつしかありません。

   「親や親戚は放っておいて、自分が魂を向上させる」

   これにつきるんです。

   自分の魂が上がると、あなたに「傷つくようなことを言う人」は、
   なぜかそばに来られなくなります。


   世の中には、「波長の法則」というものがあります。

   「波長」とは、その人がいつも心で強く思っていることが、
   「見えない電波」のように出ているもので、
   「自分の出している『波長』と同じ電波を放っている人だけが、長く一緒にいられる」
   という法則があるんです。

   だから、「イヤなことを言う人」とは、
   違う「波長」になってしまえば、長く一緒にいいることはなくなるの。

   もしくは、イヤなことを言う人とたとえ離れられなくても、
   あなたの「魂のステージ」が上がってしまうと、
   いままでいちいち気になっていたことが、なぜか気にならなくなるものなんですよ。

   誰かがイヤなことを言ってきても、
   「ああ、私をビシビシ鍛えようとしてくれているんだわ。ありがたいわね〜」と
   “美化”して受け止めることができます。

   また、向こうが何を言ってきても、平気の平左で、
   「ああ、そうですか」「まあ、それはそれは…」と
   さらりとかわせる自分になれるんです。

   あなたが魂のステージを上げてしまえば、あなたはいちいち傷つくことはなくなります。

   イヤなことを言う人がいたら、
   「よーし、魂のステージをうんと上げるチャンスだな!」と思ってくださいね。

   こうやって、気合いを入れて生きれば、
   どんな問題が来ても、スカッと解決することができるのです。

       <『おもしろすぎる成功法則』サンマーク出版 >

       ・・・

斎藤一人さんは、「美化」についてこう語っている。

「自分に起きたことを、そのままで受け止めず、
ほんのちょっと良く上乗せして受け止めること」

たとえば、ガミガミ言う上司がいたとしたら、

「あの人は、私をビシビシ鍛えて、最強のサラリーマンにしてくださっているんだね。
ああ、ありがたいなあ!」と思うこと。


私たちが、この世に生まれてきたのには、理由がある。
それは、「この世で魂のステージを上げて、もっとステキになって、あの世に帰ること」。

もっとステキな人になるためには、物事をそのままで受け止めていたらダメ。
ステキな人とは、「どんな状況を与えられても、なんでも“美化”することができる人」

だから、「美化」とは「ステキな人」になるための訓練。

(以上、同書より抜粋引用)


魂のステージを上げ、ステキな人になりたい。

             <感謝合掌 平成26年10月3日 頓首再拝>

「問題は必ず解決する」 (915)
日時:2014年10月09日 (木) 04時30分
名前:伝統

        *「光明法語」(P104)より

神が人間をこの世に生んだのであるから、
人間自身が兎や角、思い煩う必要はないのである。

問題が起こっても恐れることはないのである。
問題は必ず人間を今までとは異なる境遇や環境に置き、今までとは異なる状態に於いて、
その人の魂を鍛えるのである。

問題は必ず解決されるために存在するのであって、解決のない問題はないのである。
吾々は恐れることはないのである。

人生は生きており、人生は新生面を展開する。
人間の肉体は老いることがあっても人生は老いることはないのである。

             <感謝合掌 平成26年10月9日 頓首再拝>

この世に生まれてくる目的 (1116)
日時:2014年10月16日 (木) 04時11分
名前:伝統

        *「生きがいの創造―“生まれ変わりの科学”が人生を変える」
                           (P273〜276)より

ある時、ブライアン・L・ワイス博士 (元マイアミ大学教授) は、

「意識体 (魂) たちがみな、中間生にとどまろうとせずに、
この物質世界に生まれてくるのには理由があるのですか」と、

指導役の意識体に問いかけてみました。

すると、被験者の口を借りてあらわれた指導役の意識体は、このように教えてくれたそうです。


「われわれは、自分が学ばなければならないものを選んでいる。
われわれは、人間関係についてもっと学ぶ必要がある時に、この物質世界に戻って
こなければならない。人間関係について学び終えた者のみが、もっと先に進んでいくのだ」


つまり、私たちがこの世に生まれてくる理由は、
「人間関係」という試練を乗り越えて成長するためだったのです。

臨死体験者や退行催眠の被験者たちの証言によれば、魂の状態に戻ってしまうと、
思ったことや感じたことが、まわりの魂たちに瞬時にすべて伝わってしまいます。
自分を飾ることも、いつわることもできず、誰もが丸裸の状態です。

そのため、隠しごとができない反面、相手の気持ちを推察する必要もありません。
したがって、あの世にいるかぎり、「人間関係(魂関係?)」という試練は生じないのです。


ところが、肉体を持ってこの世に生まれてくると、
声を発して会話したり、文字を書いたり、手ぶり身ぶりを使わなければ、
おたがいの意志や気持ちを相手に伝えることができません。

しかも、たとえ言葉をかわして意志を伝え合ったとしても、
「自分の言いたいことが本当に伝わっているだろうか」とか、
「あの人はこう言っているが、本当にそう思っているのだろか」

というふうに、相手に対して疑念が生まれたり、
悪い方に推察して勝手に腹を立てたりしてしまうのです。

その時に私たちに問われるのが、「相手を信用することができるか」
「たとえ信用した結果、うまくいかなったり、裏切られたとしても、
相手を責めないで許すことができるか」という、「愛」の水準です。

相手を無心で信用できない人、相手の悪意のない失敗を許せない人は、
いつも他人を疑ってかかりますから、どうしても人間関係が悪くなって
人々が敬遠しはじめ、孤独におちいってしまいます。

逆に、たとえ相手が悪意を持って自分を傷つけたりしても許すことのできる人は、
無条件の愛情をそなえた人であり、まわりには多くの人々が集まってくるでしょう。


したがって、人間関係という貴重な試練を経験し、自分の「愛の水準」を確かめ、
高めていくためには、肉体を持ってこの物質世界に生まれてくるしかありません。

だからこそ、私たちは、わざわざ何度も何度も肉体を持って、
この世に「人間関係の修行」つまり「愛の修行」をするためにやってくるのです。

このように、人間関係の悩みに苦しんでいらっしゃる方も、
「死後の生命」や「生まれ変わり」のしくみを知ることによって。
新たな視点から関係を見直すことができます。

親子や夫婦、親友や宿敵などの人間関係にはすべて深い意味があり、
それらの人々は、過去何度もの人生を、深くかかわり合いながら修行してきた、
いわば「戦友」たちなのです。

しかも、現在おたがいに反目し合っている宿敵でさえも、
「今回の人生では敵同士に分かれて、たがいに許し合うことに挑戦しよう」と
約束して生まれてきているのです。

とりわけ、「不思議なくらいに嫌い合っている関係にある相手」こそが、
今回この世に生まれてきた大きな課題を示すことが少なくありません。

退行催眠をかけてみると、
「なぜその人といつも対立し、けんかしたり、たがいに足をひっぱり合って、
傷つけ合ってしまうのか」という理由が、次々に明らかになります。

そして、「その嫌いな人を許すことこそが、今回の人生の大きな目的のひとつである」
ということが、かならずわかってくるのです。

             <感謝合掌 平成26年10月16日 頓首再拝>

魂を逞しく生長せしめるには (1289)
日時:2014年10月25日 (土) 04時35分
名前:伝統

        *『眞理』第九巻生活篇(P108〜109)より

若し面白くない事が起って来たならば、それを自分を苦しめる災いだと思わないで、
「神の栄えのあらわれんがためなり」と思うことです。

苦難はあなたの魂がそれを跳び超える力を発揮する練習をするために神から与えられた
「魂のボディビル」をするための道具だと思えば宜(よろ)しい。

「今こそ神の栄えのあらわれんがためである。神はその無限の智慧もて此の問題を解決
したまう」と暇ある毎(ごと)に、機会あるごとに祈りの気持ちにて黙念するがよいのである。

神の智慧は到る処に充ち満ちてい給うのであり、その黙念によってあなたの自覚が高まるとき、
その到る処に満ちたまう神の智慧に波長が合い、波長が合えば神の智慧があらわれて来る
ことになるのである。

要するに魂が逞しく生長するためには、どんな現象界の苦難が来ても驚かず
平静を失わず神の智慧に振り向く練習をすることである。

             <感謝合掌 平成26年10月25日 頓首再拝>

人生は、魂としての監督の演出次第 (1528)
日時:2014年11月07日 (金) 04時52分
名前:伝統

         *『本気で生きよう! なにかが変わる』(P104〜108)より

《人生というライブ》

どんな出会いも出会いは出会い。
出会った限りは、その出会いをまずは受け止めなければなりません。

なぜなら、いったんは受け止めないことには、
それが自分にとってどんな出会いなのか、
人生をどう変えていくものなのかもわからないからです。
 
そして、出会いをあるがままに受け入れたら、そこからが演出です。

監督の腕の見せ所です。
自分のライブにこれからどう登場させるか、どんな役回りを担ってもらうか、
自分なりに役を振っていけばいいのです。

たとえば「この人、苦手だな」と思う人がいたとしましょう。
自分の舞台に出演する共演者の一人と思うと、
なんだか気持ちが重くなってライブ自体が楽しくなくなってしまう。

そう感じてしまうなら、通り過ぎるだけの“通行人”の役を割り振ってみてはどうでしょうか。
さほど重要な役ではない、通り過ぎるだけだ。
すると、その存在もそほど気にならなくなります。

また、「顔を見るのも嫌だな」と思う相手がいたならば、
大道具の一つ、舞台背景の“山”や“ビル”にしてしまっても構いません。
あるいは小道具の“テーブル”や“ぬいぐるみ”にしたっていいじゃないですか。
そう考えると気持ちがずいぶん楽になりませんか。

大事な共演者、脇役、端役、その他大勢のエキストラ、大道具、小道具などなど。
みんな違うライブ、みんな違う舞台なのですから、配役もみんな違っていいのです。

それを決めるのが主演でプロデューサーの自分自身。
そうやって自分の心の中でシナリオを書き換えてしまえばいいのです。

             <感謝合掌 平成26年11月7日 頓首再拝>

魂を練るための資料 (1731)
日時:2014年11月16日 (日) 06時19分
名前:伝統

          *『希望を叶える365章』(P74〜75)より

吾々に新しい”希望”や”のぞみ”が湧いて来るのは、神の国に潜在していながら、
まだ表現されていない或るアイディアが、此の世に実現せんがために、
内部から動き出して来る「神催(かみもよお)し」であるのである。

その希望や”のぞみ”が、たとい物質的な獲得であろうとも、
それは”魂”の進歩のための目標として出て来るものであって、
たとえば競争の決勝点のラインみたいなものである。

一着になるとか、何分何秒とかいう“秒読み”にも似た財産増加の速度などは
大して重要な事柄ではないのである。
その目標に到達するための精神の練り方が問題であるのである。

神は或る目標を吾らの前に置いて、その魂の進歩の資料となし給うのである。
何事を為すにも「魂を練る」ための資料として為すことが大切である

日本の武道の如きは「人を斬る剣」が、「斬ること」が目的でなくなって、
「魂を練る」ことが目的となったのである。

経済的勝利でも狭い手段で儲けるようなことをしないで、
「魂を練る」ことによって自然に経済的に雄飛するようになれば、
それは物質の獲得以上に魂の勝利である。

             <感謝合掌 平成26年11月16日 頓首再拝>

前世からの記憶 (1973)
日時:2014年11月26日 (水) 04時13分
名前:伝統

     *「ママが「いいよ」って言ってくれたから、生まれてこれたんだよ。」
      南みどり・著 (P20〜24)より


《ゆきお(53歳)〜前世の記憶を思い出して(P20〜22)》

淋しがりやの小学生でした。
身体が弱くて、子どもの頃によく熱を出して寝込んでいました。
一人で寝ていても、何もすることがないので、ボーっとしながら天井を見ていました。

すると押し入れの上の方に、白い何かが薄っすらとみえることに気がつきました。
それが段々とはっきりしてきて、白い馬に乗った騎士のように見えて
懐かしいような不思議な感覚で、怖くはありませんでした。

その後も風邪を引くと必ず熱を出して、
その度にその白い馬に乗った騎士が現れたのです。


ところが病気がちで体力も気力もなくて、両親の期待に応えられない私を見るたびに、
父は情けないと言い、会話もなくなり相手にしてくれなくなりました。

母はいつも機嫌が悪くて、父の顔色を見ながら、私を怒ってばかりいたので、
生まれて来なければよかったと後悔しました。


中学生になったある日、図書館で部厚い歴史の図鑑を見ていたら、14世紀の
フランスの騎士の絵(挿絵)が載っていたのを見て、とても驚きました。
まさしくあの頃見た映像と同じ絵だったのです。

その瞬間に、あれは過去の14世紀のフランスに生きていた自分だとわかったのです。

そこに書かれていた名前を見て更に驚きましたが、
「あの騎士の命や思いを引き継いで生きているんだ」。
そう思うと、勇敢に、そして正しく生きていきたいという思いが強くなりました。

過去の自分への思いはどんどん理想化されていきました。
思いが強くなればなるほどに、実際には何も出来ていない自分へのもどかしさも加わって、
葛藤が生まれ、苦しみました。

学生時代の友人たちからは、理想が高すぎる、現実に生きるように言われていました。

実際に実社会で揉まれていくうちに、全てが思い通りにならないことが実感として
認められるようになり、過去は過去として、今の自分の現実をを生きようと決めてからは、
随分生きやすくなった気がします。

今はそれなりに生きていますが、まだまだ諦めたわけではありません。

自分の可能性がどこまであるのか・・・
夢追い人でもいいと思いながら、日々、ワクワクしながら生きていまます。

・・・

《えりか(30歳)〜前世から続く思いを語って(P22〜24)》

子どもを抱きしめたくても抱きしめられない。
気が向いた時だけ抱きしめるのでもいいですか?

私には抱きしめられた記憶がありません。
自分と同じように育ててしまうのではないのかと、いつも不安でいっぱいです。

下の子は未婚のまま生みました。
どうしてもこの子に逢いたくて。
「あなたに逢いたくて生んだの」 それを伝えたくて・・・。


今も両親の怒鳴り声が悪夢のように襲ってきて、
怖くて、怖くて仕方がない時があります。

親の虐待から保護され養護施設に引き取られたのですが、施設で育てられた私は、
抱きしめられることや安心できるという感覚を知らずに成長しました。
いつも淋しくて、誰かを・・何かを探し続けているのです。

私の子どもにはそんな思いをさせたくない!
そう思いながらも怒鳴ってしまうのです。

親と同じになってはいけない、ちゃんとやらなくては!
と思えば思うほど出来ないのです。

でも頑張ります!
私に起こった悲しい出来事は・・・負の連鎖は、私がやめると決めたのですから!


私は、いつも同じ夢をみます。
夢の中の私は、いつもさまよっていて、自分の居場所を探しています。

嵐の中を家に向かって歩いてはいるのですが、決してたどり着けない迷子の私がいるのです。
遠くに灯っている家の灯りに向って歩いているはずなのに・・・。

母の胸に飛び込みたくて、母に抱きしめられたくて、必死に歩いているのです。
そして、家の中には、私に触れることも抱きしめることも出来ない自分を嘆いている
母の姿がありました。


今、私のこどもの眼の中に、その時の母と同じ眼があります。
生まれ変わっても姿形が変わっても・・・眼は同じ。
同じ淋しい眼をした母がそこにいるのです。


夢の中では、母に抱きしめられることのなかった私ですが、今、家には灯りが灯っています。
今の私は、いつか心から子どもを抱きしめる日に向って歩いています・・・。

百年以上の時を超えて今、ここからです。

             <感謝合掌 平成26年11月26日 頓首再拝>

【人は死なない】 (2151)
日時:2014年12月05日 (金) 03時20分
名前:伝統

          *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年11月26日)」より


   (東京大学医学部付属病院集中治療部部長、矢作直樹氏の心に響く言葉より… )

   死は考え過ぎるといけませんが、時々、それを思うことで
   「豊かな生」を手に入れることができます。

   それ以前の自分と、それ以降の自分による対話がそこにあります。

   長いのか短いのかわかりませんが、いわゆる人生という旅の中において、
   自分のお役目も励みながら、あるいはお役目を探しながら、
   感謝しつつ日々を全うする。

   そのうちにゴールがやって来るという人生で必要なのは「幸福感」でしょう。


   誰もが避けられない死というイベントを意識することで、
   限られた時間の中で豊かな生に向かって歩こうとする、
   私たちの幸福感はそんなところから滲(にじ)み出て来ます。

   さらにそこで大切なのは、「人は死なない」という事実を知ることです。


   今回の生で授かった肉体は滅びますが、私たちの魂は死ぬことがありません。
   まずはそこに気づくこと。

   そうでないと唯物論者のように現世利益にしがみついて単に死を怖がることになります。
   この先もまだ数えきれないほど生まれ変わるというのに、
   今の生の利益にしがみつくなんて、これほどバカバカしいことはありません。

   その仕組みがわかると、滲み出た幸福感の中に
   「また会える」という感情が生まれ始めます。

   他界した大事な人や愛しい人とはあちらの世界で会えるし、
   次回の転生後も(前の生のことは覚えていませんが)違う役割で会えるでしょう。

   そもそも大事な人や愛しい人は、いつも私たちのすぐそばにいます。

   私たちが死を迎える日、つまり現世を卒業するその日まで
   彼らは優しい眼差しで見守ってくれているのです。

   その仕組みを踏まえると、残りの人生を心配する必要がなくなります。
   対人関係やお金の問題など、いろいろなストレスを抱えているにせよ、
   それも今回の人生において、自分に対する「課題」がそういう形で
   出ているだけの話です。

   解決できないレベルの課題は絶対にやって来ません。
   必ず解決のための糸口があります。
   その糸口を探すことこそ、人生における最上の学びなのです。


   臨死体験というテーマでも、この20年くらいの間に
   実にさまざまな立場の方々が講演や著書でその体験談を発表しています。

   脳神経外科の世界的権威である医師エベン・アレグザンダー
   (元ハーバード大学メディカルスクール准教授)が自らの臨死体験を
   著書にまとめた本もベストセラーになりました
              (脳神経外科医が見た死後の世界・早川書房刊)。

   向こうの世界の様子が詳細に描かれているのが興味深い点です。

   レイモンド・ムーディやエリザベス・キュープラー・ロスなど、
   多くの実績を持つ欧米の医師たちが死後世界の実相を克明に語る向きは、
   海の向こうではかなり増えています。

   しかし、私たちの住む日本ではそうした情報自体をまだオカルトと
   忌避する風潮が強いのも残念ながら事実です。

   なぜ私がそんな突飛なことをここで言うのか?

   理由は簡単です。

   人間は知らないことへの対処がこの世で一番怖いからです。
   知らないこと、知らない人、知らない世界、知らない作法、知らない手続き、
   知らない知識…

   私たちが常に怖がり不信感を持つのは「未知のもの」です。

   逆にそれらがわかると心の中にある恐怖心は消え去るのです。

             <『ご縁とお役目』ワニブックス「PLUS」新書>

              ・・・

矢作氏は、「寿命とはこの世で魂を磨く期間」と言っている。

我々がこの世に生を受けた目的は、
魂を磨き、少しでも多くのお役目を果たしてあの世に行くこと。
人の役に立ち、人から必要とされる人となること。

だから、辛い事、困難なこと、嫌なこと、面倒なことも、
自分の魂を磨くための大事な砥石(といし)。


人は、生まれたら必ず死ぬ、という定めがある。

そして、死に対しては誰しも恐怖心を持っている。

しかし、もし、「輪廻」という生まれ変わりの考え方を理解できたら、
その恐怖心も少しは薄れる。


「人は死なない」

肉体は滅びるが、魂は死ぬことがない。

己の魂を磨き続ける人生でありたい。

             <感謝合掌 平成26年12月5日 頓首再拝>

過去のすべては魂の進歩のための肥料  (2364)
日時:2014年12月16日 (火) 04時48分
名前:伝統

           *『生活の智慧365章』(P217〜218)より

もう、あなたは過去の失敗について、また過去の過ちについて
グジグジ思い煩うことをしないのである。

神は、あらゆる塵芥(じんかい)や糞尿を浄化して、作物がよき実を結ぶ
肥料としたまう如く、過去のあらゆる失敗も過ちも悉く浄化して、
よき魂の収穫を得るための肥料となしたまうのである。

あなたの過去の過ちはあなたの人生観を深からしめ、心の視野をひろめ、
人生の意義を悟らしめるのに非常に役立っているのである。

あなたは過去を斯く観ずることによって、心の混乱や不安や退嬰(たいえい)や
過度緊張が取り除かれ、心に平和と愛と調和がみたされ、過去に体験したものを、
真に自分の魂の生長に役立たしめることができるのである。

また他の人々の過ちについても寛容であれ。

すべての人は一見「過ち」と見えるものを通して魂が進歩しつつあるのである。

             <感謝合掌 平成26年12月16日 頓首再拝>

地球に転生する仕組みと理由について (2504)
日時:2014年12月26日 (金) 04時38分
名前:伝統


        *「神様に愛されたら幸せな奇跡が起こり出す」(P102〜104)より

(1)なぜ、地球に住む我々一人ひとりが生まれ持った、
   それぞれの霊格とポテンシャルに大きな違いがあるのでしょうか?


   それは、地球とは、さまざまな霊的進化の途中である人々が、
   同時に同じ世界に生まれて、接したり話をすることができる貴重な学校であるからです。


(2)何のためでしょうか?


  @それは、同時に生まれいる、成熟した霊格の高い人々から、
   まだ未熟で霊的進化の遅れている人々がいろいろ情報を仕入れて学び、
   霊的進化を早めるためなのです。

  Aオープンになって素直にたくさん学んだ人々は、
   霊界にいたときよりも地球上に生まれたときのほうが、
   さらに何段抜かしで、急激に霊的進化を遂げることができるのです。

  B霊界にいるときは、霊格の違うもの同士ではすれ違うことも話をすることもできません。
   違う部屋に別々に、霊格の違うグループごとに分かれて存在しています。

   霊体は、同じ波動のもの同士はくっついて同時に存在することができます。

   宇宙空間でバラバラに存在した霊体は、地球上に生まれたときには重力のある肉体を
   まとうので、霊的波動が激しく違うもの同士、霊格が違うもの同士も、重力のお陰で
   この地球上に同時に存在できて、接して話をすることができます。


(3)平等か?

  @人類は皆平等であるというのは、カルマの法則、宇宙の法則のもとでは平等な存在
   ではあります。

  Aとともに、「前世にやってきたことによって生まれ持った霊格には違いがあるので、
   見方によっては平等ではない」というのが真実の姿です。


(4)人にはそれぞれの役割があります。

  @人々の霊格、与えられた能力、役割には大きな違いがあります。
   その事実の姿をありのままに受け入れて自分自身のできる範囲のことをやり、
   役割をまっとうしていくだけで十分なのです。

  A自分の波長に合った霊体の人とともに過ごし、成長していくといいでしょう。
   無理をする必要はありません。

  Bまた、自分と人とを比べてはいけません。

  C自分と宇宙との対話をこころがけてください。

             <感謝合掌 平成26年12月26日 頓首再拝>

精進努力によって魂は進歩する (2706)
日時:2015年01月06日 (火) 03時22分
名前:伝統


         *「女は愛の太陽だ」(P121)より

精進努力とは焦ることでもなければ躁(もが)くことでもないのである。

実相のみ実在であり、実相にはあらゆる調和と美しさと完全さと裕かさが
充ち満ちているのであり、実相のみが実在であるという真理を、
現象悪のヴェールを透(とう)して自覚する努力を続けることなのである。

見ゆるところの全ての存在の奥にある神の愛と、叡智と、驚くべき生命力とを見て
讃嘆し感謝する努力を続けることなのである。

現象の姿が如何に不完全であっても、現象の姿は本来実在ではなく、自分の心の姿が
反映してこのようにあらわれているのだと知り、自分の心の状態を反省し、
なお一層自分の心を浄め心境を高めて行くことなのである。

要するに現象界は常に移りかわり、毎日異なる授業を受けて
魂が学び魂が向上するための学校であるのである。

             <感謝合掌 平成27年1月6日 頓首再拝>

【どちらが楽しいか】 (2847)
日時:2015年01月16日 (金) 04時04分
名前:伝統

          *メルマガ「人の心に灯をともす(2015年1月9日)」より

   (斎藤一人さんの心に響く言葉より…)

   私たちは魂を成長させるために生まれてきました。
   
   “魂を成長させる”っていういのは、「隣人を愛しなさい」っていうことなの。
   それはどういうことかというと、人はそれぞれ違う考え方を持っています。
   その違う考えを受け入れてあげるんです。


   ところがつい人間は、自分の考え方や意見が違うと相手を変えようとします。
   それが間違いなんだよね。

   この地球という星は、考え方が違う人どうしでも生きられる星なんです。

   「どちらが正しいか」って言い出すと苦しくなる。
   争いごとも起きるよね。

   それよりも、「どちらが楽しいか」なんです。

   回教徒は「キリスト教も楽しいかもしれないけど、回教も楽しいよ」
   って言えばいいんです。

   それを「こちらが正しい」って言い出すと、
   相手が間違っていることになるから、ケンカになるんです。


   人はそれぞれに学ぶものが違います。

   みんな等しく、学ぶものが違うんです。

     <『地球は「行動の星」だから、動かないと何も始まらないんだよ。』
                              サンマーク出版>

               ・・・

小林正観さんに、引きこもりの子供さんの話がある。

ある女性の息子さんが引きこもりになって困っていた。
それで、夫も子どもも暗くなり、家中が暗くなってしまったという。

正観さんは、夫や子どもに関係なく、自分が明るくなればいい、というアドバイスをした。

アドバイス通り、夫も子どもは不機嫌なままでいい、
自分は昔好きだった社交ダンススクールに通う、と決断した。

すると、毎日が楽しくなり、家事も鼻歌交じりにやるようになり、
結局息子さんは2年ぶりに自分の部屋から出てきたという。

そして、自分も「社交ダンスをやりたい」と言って、
ダンススクールに一緒に通いはじめ、ダンススクールで人気者になったそうだ。

(楽しい子育て孫育て・学研)より抜粋引用


家族でも会社でも、子どもや部下を変えようとして、
正論を言って説得したり怒ったりしたとしても、
本人が変わろうと思わなければ根本的に変わることはない。

無理に変えようとすればケンカになる。

人は変えられないからだ。

唯一変えることができるのは自分だけ。


中小企業や商店の跡継ぎ問題でも、
親が楽しそうに、面白そうに仕事をしていなければ
子どもは跡を継ごうとは決して思わない。

講演会や勉強会を人にすすめるのも同じ。

そんなに素晴らしい講演会や勉強会に参加しているのに、
すすめた本人が暗くて楽しそうでなかったら、誰もその講演会に出ようとは思わない。


すべてはその人の行動や実績で見られている。

「どちらが正しいかではなく、どちらが楽しいか」

楽しそうな人のまわりに、人は集まる。


             <感謝合掌 平成27年1月16日 頓首再拝>



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