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光明掲示板・第三

 

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沢庵禅師と生長の家 (2267)
日時:2014年12月11日 (木) 04時23分
名前:伝統

今日12月11日は 【沢庵忌】 (正保2年〔1646年〕12月11日没)
俳諧、詩歌で知られる江戸時代初期の臨済宗の僧、沢庵宗彭(たくあんそうほう)の命日。

・・・

臨終が近いのを知った沢庵禅師は、
筆を取って、ただ『夢』と書き、遺戒を残したそうです。

  「全身を埋めて、ただ土を覆うて去れ。
   経を読むことなかれ。
   斎〔とき〕を設くることなかれ。
   道俗の弔賻〔ちょうふ〕を受くることなかれ。
   塔を建て像を安置することなかれ。
   ・・・・
   年譜をつくることなかれ。」

沢庵の遺体は、遺戒通りに埋葬し、
その上に一本の松の木を植えたそうです。

・・・

あるとき、柳生但馬守が沢庵禅師に剣の妙理をたずねたそうです。

それに対して沢庵禅師は

「剣を正眼に構えたときに、心はどこにあるか?
刀の尖端にあれば、手許がお留守になり、頭にあれば、足がお留守になる。
心が一所に滞留してはいかん、満遍なく心が行き届かねばならぬ。

心が柔らかで、巧なき心、心が無くなった世界が剣の秘訣である」

と教えたそうです。

・・・

沢庵禅師に関しては、「“本流宣言”掲示板」内に”童子 さま”による
スレッド「沢庵と良寛と生長の家」があります。
    (http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=161


           <感謝合掌 平成26年12月11日 頓首再拝>

沢庵禅師と虎 (2440)
日時:2014年12月21日 (日) 04時42分
名前:伝統

その昔、沢庵禅師が虎の檻の中に平然と押し進み 恐れずに其の虎を見詰めしとき、
虎は首を俯垂(うなだ)れて猫のごとく優しくなれりと謂うにあらずや。”と、
『聖経 続々「甘露の法雨」』にあります。


  その昔、
  沢庵禅師(たくあんぜんじ)が虎の檻の中に平然と押し進み
  恐れずに其(そ)の虎を見詰めしとき、

  虎は首を俯垂(うなだ)れて猫のごとく優しくなれりと謂(い)うにあらずや。

  汝ら「人間・神の子」の真理を自覚して
  恐れずに虎に立対(たちむか)えば虎は頸垂(うなだ)れ
  熊に立対(たちむか)えば熊は避けて後退(あとずさ)りせん。

  ・・・・

  <参考>

  (江戸時代)

    将軍家に朝鮮から珍しい大きなトラが献上され、
    将軍徳川家光をはじめ、多くの家来が集まっております。
    その中に、沢庵禅師も同席していました。

    そのとき、将軍徳川家光が、
    将軍家武芸指南番で、剣では天下無双の達人、柳生但馬守宗矩を
    トラのオリに入れてみろとなったのです。

    柳生は、「はっ、承知仕りました」と答え、オリの戸を開けさせて中に入り、
    刀をかまえて、ジリッ、ジリッっとトラに迫ったのです。
    トラも刀を向けられたのでは、たまったものではありません。

    ウォーッとうなり声をあげ、眼をいからし、爪をむき、
    今にも飛びかからんとする、すごい形相。

    さすがに柳生宗矩、身に一分のスキなくトラを見据え、
    剣聖と猛虎のにらみ合いが続きましたが、ついに、
    トラは宗矩の威厳に屈し、攻撃の姿勢を崩して視線をそらしてしまいました。

    ここで、「勝負あり」の声。

    しかし、宗矩は気を抜く事ができず、静かに後退し、すばやくオリ外に出たのです。
    どうなることかと、固唾を呑んでいた将軍はじめ一同は、万雷の拍手を送ったのです。


    このとき、将軍家光は、今度は沢庵和尚に向かって、
    「どうじゃ、和尚もやってみないか」との話に、

    「お望みとあらば」と、気軽に答え、なんの身支度も身構えもなく、
    オリに入り、ノコノコとトラの前に進み出て、
    犬や猫を可愛がるのと同じ仕草で、トラの大きな頭をなではじめました。

    トラは敵意を示すどころか、主人に愛撫される小猫のように目を細め、
    尻尾を振り、沢庵の体に頭をこすり付けたのです。

    見ていた人々はあっけにとられ、宗矩の場合とまったくちがった光景に
    一同感歎しきりであったというのです。


  ・・・・  

『続々甘露の法雨講義』において、谷口雅春先生は、次のように述べております。


病気というものも真に恐れていないものには咬みつかないのであります。

これと同じような話が『旧約聖書』の「ダニエル書」というのに書かれております。
ダニエルという予言者がペルシャのネブカドネザル王のところへ捕虜になりまして、
ライオンの檻の中へ入れられたのでした。

けれどもダニエルは、ライオンを恐れないで居りましたから、
ライオンが猫の如く懐(なつ)いておったというので王様も吃驚(びっく)りした
というような事実が書かれているのであります。

真に泰然自若として恐れなかったら
ライオンと雖(いえど)も咬みつくものではないのです。
微生物である黴菌でも矢張り同じことなんです。

           <感謝合掌 平成26年12月21日 頓首再拝>

恐怖心のある所に不幸は来る (2583)
日時:2014年12月30日 (火) 03時18分
名前:伝統

       *「神と偕に生きる真理365章(P333)」より

或る人の説によると、恐怖心を起こすと、その人から恐怖の雰囲気が発散される。
その恐怖の雰囲気は或る種の獣類には一種の匂いとして感じられ、
その匂いを嗅ぐとその獣類はその雰囲気を発する人に咬みつきたい衝動が起こるのである。

しかし信仰深く心気泰然としている人からは恐怖の雰囲気の匂いを発しないので
獣類は咬みつこうとしないのだというのである。

旧約聖書の中では、ダニエルはライオンの檻の中に入れられたが、
そのライオンはダニエルに猫のように狎(な)れついて咬みつかなかったということである。

日本でも沢庵禅師に同じようなことが起ったということがつたえられているのである。

獣類だけではなく、すべての”不幸”は恐れる人の処へやって来て咬みつくのである。
日本の諺に言う「泣き面に蜂」というのはこの事である。



           <感謝合掌 平成26年12月30日 頓首再拝>

『不動智神妙録』 (2744)
日時:2015年01月09日 (金) 03時14分
名前:伝統

          *「光明道中記」(P322)より  

沢庵禅師が柳生但馬守と試合(たちあ)ったとき、沢庵禅師に少しも隙がなかったが、
禅師が柳生但馬守に授けられた『不動智神妙録』と云うのがある。

それには和解が必勝の道であると云うことが書いてあるのである。
和解と云うのは愛憎に囚われない道であるから同時に必勝の道となるのである。

『不動智神妙録』の一節に

「物に心が止(とどま)り候へば、いろいろの分別が胸に候間、
胸のうちにいろいろに動き候。
止まれば止まる心は動きても、うごかぬにて候。

たとへば十人して一太刀づつ我へ太刀を入るるも、
一太刀を受流して跡に心を止めず、跡を捨て跡を拾ひ候はば、
十人ながらへ働きを欠かさぬにて候。

十人十度、心は働けども、一人にも心を止めずば、次第に取合ひて、
働きは欠け申す間敷候(まじくそうろう)。

若し又、一人の前に心が止まり候はば、一人の打つ太刀をば受流すべけれども、
二人めの時は、手前の働き抜け申すべく候。

千手観音とて、手が千御入(おい)り候ば、弓を取る手に心が止まらば、
九百九十九の手は皆、用に立ち申す間敷(まじく)候。・・・」


心が一つ物に囚えられたなら、千本手があっても他の手がお留守になって自由自在を失う。

・・・・・

<参考Web:不動智神妙録
       → http://yoshiok26.p1.bindsite.jp/bunken/cn14/pg196.html
       沢庵「不動智神妙録」
       → http://www4.ocn.ne.jp/~koperu/takuan.html   >

・・・・・

           <感謝合掌 平成27年1月9日 頓首再拝>



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