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(一月)の法語・言葉 (2621)
日時:2015年01月01日 (木) 04時53分
名前:伝統

このスレッドでは、(一月)の言葉・法語として、次の著書等から紹介して参ります。
ただし、要点のみの紹介になりますので、全文については、それぞれの著書等において、
ご確認くださいますようお願いいたします。


(1)『 光明法語<道の巻> 』
    (一月の法語「神霊に導かれて」)〜一部抜粋部を紹介
(2)『 生命の實相 』第三十七巻幸福篇
    (一月「新たに生まれる」)〜一部抜粋部を紹介
(3)『 光明道中記 』(一月「いのち立つ春」)〜「タイトル」部分を紹介

(4)『 白鳩 』 昭和四十九年 一月号法語〜一部抜粋部を紹介


   *(4)については、
      (http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=809
       からの一部転載となります。

     (”童子 さま”のおゆるしをお願いいたします)

・・・

    <「光明道中記」1月・いのち立つ春〜はじめの言葉 より>

我また新しき天と新しき地とを見たり。
これ前(さき)の天と前(さき)の地とは過ぎ去り、海も亦なきなり。

我また、聖なる都、新しきエルサレムの、夫のために飾りたる新婦(はなよめ)のごとく
準備(そなえ)して、神の許をいで、天より降るを見たり。

また大いなる声の御座(みくら)より出づるを聞けり。

曰く『視よ、神の幕屋人と偕にあり、神、人と偕に住み、人、神の民となり、
神みづから人と倶に在して、かれらの日の涙をことごとく拭い去り給わん。
今よりのち死もなく、悲歎(かなしみ)も、号叫(さけび)も、苦痛(くるしみ)もなかるべし。
前(さき)のもの既に過ぎ去りたればなり』

斯(かく)て御座に坐し給うもの言いたまう。
『視よ、われ一切のものを新にするなり』また言いたまう
『書き記せ、これらの言(ことば)は信ずべきなり、真(まこと)なり』

また我に言いたまう
『事すでに成れり、我はアルハなり、オメガなり、始なり、終なり、
渇く者には価なくして生命の水の泉より飲むことを許さん。
勝を得る者は此等のものを嗣がん。我はその神となり。彼は我が子とならん・・・』

                  (「ヨハネ黙示録」第二十一章1―7)

・・・

【一日の法語・言葉(1月1日)】

(1)《人生は何のためにあるか》

   人間を神がつくったのは、神自身を享受せんがために、
   神自身の生命を此の世に具体化したのである。


・・・

(2)《新たに生まれる》

    われわれを生かすのは明るい思想である。
    さし昇る朝日のごとくさわやかな思想である。
    さし昇る朝日のごとくさわやかな精神こそ日本精神である。

    新しい年には新しい心が生まれる。
    元旦は物事の始めであり、生活更新に最も都合の良い時である。

    元旦からまず始めよう。
    それは明るい心を持つということである。

    ただ今日一日明るい心をもつことにしたい。
    ただそれだけ一つのことである。
 
    明るい心を持つには何事が起こっても怒らないということである。
    何事が起こっても悲しまぬということである。
    何事が起こっても失望せぬということである。

    何事が起こっても怒らず悲しまず失望せぬためには、
    起こった事物は「もうすんだのだ」と知ることである。

    天地一新。
    悪しきことは未だかつてひとつも起こらなかったし、これからも起こらない。
    それはすべて一新していく姿である。


・・・

(3)《必ず楽しの日》

    【愛は生み育てる力、癒す力である。(『生命の實相』第一巻、第十二巻)】


・・・

(4)《新たに生まれる言葉》

   新たに生まれる時が来たのである。
   新たに生まれるということは決して此の肉体が生まれ変る
   ということではないのである。

   大晦日を過ぎて正月元旦の曙を迎えたところが、この肉体は依然として昨日と
   同じ肉体であり、多少、老廃細胞が排出されて、幾分の新生細胞がそのあとを
   埋めつつあるだけの事であり、昨日の皮膚の皺も依然としてそのままなである。

   私たちが生まれ変るということは、そんな肉体のことではないのである。
   自覚の生まれ更ることなのである。

   『ヨハネ伝』第三章に、イエスがユダヤの長老ニコデモに答え給う 

   「まことに誠に汝に告ぐ、人は水と霊とによりて生まれずば、
   神の国に入ること能わず。
   肉により生まるる者は肉なり、霊によりて生まるる者は霊なり。
   なんぢら新たに生まるべしと、我が汝に言いしを怪むな」

   以上はイエスの言葉そのままの引用であるが、
   わたしたちは幾度もこの言葉を復唱して、
   「自分は霊的実在である」という自覚に於て、生まれ更るがよい。

・・・

以下は、他の著書(365章シリーズ)等による「新年の法語」



朝 東方に面して
合掌礼拝して
霊々
妙々
円満の大生命を観ずれば
心身清浄
微妙(みみょう)の大生命は
雰囲気となって
我が身 我が心をひたす。
吾れとその雰囲気と
一体にして界(さかい)なし
あゝ 讃うべきかな生命

   <谷口雅春著『ひかりの語録』より>

・・・

《我れ今日(こんにち)新生す》 

          *「幸福を招く365章」より

我々が眠りより覚めて意識の世界に再び帰って来たとき、
其処に我々は新しく生まれた自分を発見するのである。

過去との一切のつながりは、除夜の鐘(かね)を境として、
完全に断ち切られたように見える。

過去の一切のものは完全に過ぎ去ってしまったものに感じられ、
「新しく生きるのだ」と云う希望と決意とが湧き起って来るのである。

まことに正月元旦は新生の時である。
元旦の曙こそ、我々の心が清らかな白紙のように浄(きよ)められている時である。

あなたの未来は、今あなたの掌中に握られているのである。
今、この時、善き事を考えましょう。
今善き事を計画しましょう。

まことに1年の計は元旦にあるのである。

      ・・・

《朝起きた時にこの簡単な方法で》

          *「幸福を招く365章」より

今、新生せり。

こう云う考えは、私達を清らかな新生活にまでおし進める力を持っているのである。
だから新年でなくとも、つねに今、新年だ。
今、新生だと常に考えることはまことによいのである。

吾々は毎日新生するのである。
毎朝々々が新生である。

この新生の最初の時間
 ―― ポッカリと目覚めたその瞬間に、善きことを考えましょう。

「私は神の子だ。健康だ。素晴らしい朝だ。好い事が屹度訪れて来る」
こう心の中で、又言葉に出して二十遍となえてから起きましょう。

そして神想観をすぐ寝床の上で坐って行ないましょう。
この簡単な方法が、あなたに無限の可能性をひらいてくれる事になるのです。

無限に完全なあなたの實相への扉をひらいてくれるのです。

無限に円満な人格が日に日に大成されて来るのです。

・・・

《われ新しき天地に呼吸す》

           *『栄える生活365章』より

われ新しき天と地を迎う。祝福すべきかなこの新天地。

今よりのち一切の悩み、悲しみ、失望、落胆ことごとくなき新天地に我生まれたるなり。
暗黒は空の彼方に消え去り、新しき光、五彩の虹を放って今この新天地を照らすのである。
われは一切の過去を放ち去ってこの新天地に立ち、この新天地に呼吸するのである。

生命(せいめい)満ちあふれたわが生命よ。
汝は神のいのちである。
一切の汚れなき新しき生命である。

過去の悪しき印象は、青空が飛ぶ鳥の跡を印しないと同じように、
わが潜在意識から消え去ったのである。

わがいのちは新しき自由と繁栄の世界に羽撃(ばた)くのである。

一切の”悪”は過ぎ去ったのであった。
”悪”は実在ではなく、単に妄想の幻影に過ぎないのであるから、
一度過ぎ去った後(あと)に再び還ってくることはないのである。

わが新しき天地は永遠に新しく汚れなく悩みなく神聖である。

神わが家族すべてを祝福したまうのである。

・・・

《新たに生まれるあなたの自覚》

         *「神と偕に生きる真理365章」より

新しく生まれ変る年である。
新生の年である。

今まで自分を一個の物質的な存在であると思っていたのを
”人間は物質に非ず肉体にあらず、聖なる神の子であり、霊的実在である”と
知る時が来たのである。

わが内に神の生命が宿っており、その”神の生命”が”本当の自分”であり、
肉体は地球という天体上で”神の生命”が一時的に被服として身にまとい、
地球上での仕事又は使命を果たすための”宇宙服”としてみずからの生命が
織り上げたところの被服であると知るときを迎えたのである。

この自覚の生まれ変りを得なければ新しき年を迎えるというこは、唯、
齢(よわい)を重ねて老いて行くというだけで、
人間の存在に何らの深い意義もないことになるのである。

・・・

《あなたは幸福の磁石である》

          *「人生の秘訣365章」より

あなたは今、幸福の年を迎えたのである。
過去に如何なることがあったにせよ、それは除夜の鐘の音と共に消え去ったのである。

新しき天と地とが黎明の帳(とばり)をあげて、
新しき日光があなたの家に射し込んだのである。

闇は消え、光の世界が始ったのである。万物が悉く新たになったのである。
あなたの心が新たになったのである。見る心が一変して天地一新したのである。

過去は過去のあなたの心に描いたものや、潜在意識に蓄積していた想念が
形にあらわれていたのである。
これからは、あなたが今後あなたの心に想念するところのものがあらわれて来るのである。

あなたは今後、幸福のみを想うのである。
世界人類の幸福を、日本国民全体の幸福を、あなたの属する団体の幸福を、
あなたの家庭の幸福を、そしてあなた自身の幸福を想念するのである。

想念するものが集って来るのである。類を以て集るのである。
あなたが今後幸福ばかりを想念すれば、
あなたは幸福ばかりを引き寄せる磁石の如くなるのである。

・・・

《あなたの想念があなたの運命に》

          *「人生の秘訣365章」より

新年を迎えると誰でも心機一転して新鮮な気持になるものである。

それは人類全体が過去に於いて幾千年にわたって、そのように考えて来た想念が、
人類意識として地球上ぜんたいに充ち満ちていて、その人類意識の波動を
あなたが感ずるからである。

その人類意識の「新年を迎える心」に自分の中の心の波長を合わせて
「新しい心」になることは最もやさしい事であり、
最も好い機会を捉えることになるのである。

新年こそあなたの生活の新鮮な始まりである。
そして此の年の運命はあなたの掌中に握られているのである。

あなたは想念の自由を神から授けられているのである。
あなたが想念するもののみが現実界に具体化するのである。

ただ新しく自他の“幸福”のみを信ぜよ。
暗黒なことを考えるな。過去を過去たらしめよ。明るい事のみを考えよ。

新しい年、新しい生活、年齢にかかわらず、
自己を“神の子”と自覚する者は常に若いのである。

・・・

 新年あけましておめでとうございます
(生長の家 昭和四十七年新年号より謹書)


 龍宮海に超入し
   霊の洗礼による”新生”を得よ

 元旦の法語 新たに生まれるための祈り

われ今、合掌、天地四方を礼拝して、天地一切のものに感謝し奉る。
古き天と地と四方一切のものは過ぎ去り、役目を果たし終わりぬ。

比處にわれ住吉大神に導かれて龍宮海に入り、龍宮城の”神癒の社”に入り、
大神の御前に坐し大神を礼拝し奉る。

大神、右の手をあげてその掌もてわが全身を撫下し給いて霊をもって我を浄め給ふ。
古き現象界の人類意識の妄想ことごとく浄められて、
わが實相完全のすがた比處に顕れたり。

いまより後、一切の悩みあることなく、苦しみあることなく、病ひあることなく、
老衰あることなく、貧しさあることなく、悲しみあることなく、憂へあることなし。
久遠不滅の生命われに宿れり、常住健康、歓喜無限の生命なり。

われ住吉大神の御禊を受けて霊によって清められ、
霊によって復活のいのちを受けし事を、
大神に感謝し奉る。

今後、われ現象界に帰還したる後も、
永遠にこの自覚を持ちて生活せんことを大神に誓ひ奉る。ありがたうございます。


(この法語は、”サンデルポン さま”の記事により、
 初出は、「生長の家 昭和四十七年新年号」となっております。

 是非、そちらにてご確認ください。
 → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=875 )

・・・

《新たに生まれるための祈り》

         *「如意自在の生活365章」より  

われ今、合掌、天地四方を礼拝して、天地一切のものに感謝し奉る。
古き天と地と四方一切のものは過ぎ去り、役目を果たし終りぬ。

ここにわれ住吉大神に導かれて龍官海に入り、龍宮城の“神癒の社(やしろ)”に入り、
大神の御前に坐して大神を礼拝し奉る。
大神、右の手をあげてその掌もてわが全身を撫下(ぶか)し給いて霊をもって我を浄め給う。

古き現象界の人類意識の妄想ことごとく浄められて、
わが実相完全のすがたここに顕われたり。

今より後、一切の悩みあることなく、苦しみあることなく、病いあることなく、
老衰あることなく、貧しさあることなく、悲しみあることなく、憂いあることなし。

久遠不滅の生命われに宿れり、常住健康、歓喜無限の生命なり。

われ住吉大神の御禊(みそぎ)を受けて霊によって潔められ、
霊によって復活のいのちを受けしことを、大神に感謝し奉る。

今後、われ現象界に帰還したる後も、
永遠にこの自覚をもちて生活せんことを大神に誓い奉る。
ありがとうございます。

・・・


《新年の祈り》

        *「谷口雅春先生をお慕いする掲示板」より
         → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=118

   (早暁、東天に向かい、二拍手、合掌。 四方拝。 招神歌を朗々と高唱する)

   (祈り)


 『神よ、われを新たなる者とならしめ給え。
 この天地を新たなるものとならしめ給え。

 人類の迷いの雲を破って、実相の光をこの現象界に射し入れ給いて
 真に価値ある秩序の世界を実現せしめ給え』


   (思念)


 『われ新しき天と地とが実相世界より、今此処に天降り来たるを見るのである。
 過去の迷いにとざされた暗き天地は過ぎ去ったのである。

 新しき天と地とが、
 聖なる神授のスメラミコトを中心として百官もろもろの司と共に天降り来て、
 地上に永久泰平の世界が既に実現せるを見るのである。

 見よ、すべての人々 “神の子” の自覚を得て、
 互にその使命とする処に歓喜していそしみて、秩序整然、 
 争う者なく、相食む者なく、苦しき者なく、貧しき者なく、病む者なく、

 全人類すこやかに、神を仰ぎ見、スメラミコトを瞻仰して、
 まことに地上天国は既に実現しているのである。

 有りがとうございます。 』


   (この思念を約30分間繰返す)


           『理想世界』誌 昭和59年1月号


           <感謝合掌 平成27年1月1日 頓首再拝>

【二日の法語・言葉(1月2日)】 (2642)
日時:2015年01月02日 (金) 04時34分
名前:伝統

(1)《神の人間創造の意義》

   自己が自己を知り、自己が自己を観るにはそれを客観化しなければならない。

   神が人間をつくったのは、神が自己自身の姿を観るために、
   神が自己自身の姿を楽しむため、自己の外に自己の影を創造したのである。


・・・

(2)《喜ぶべきことしかないのが人生である》

   すんだことの中に生活せず、「今」のなかに生活せよ。
   「今」は常に生きている。「今」の中にはあらゆるものが輝いている。
   「今」は常に新しく、「今」は常に喜びに満ちている。

   喜ぶべきことしかないのが人生である。


・・・

(3)《人の幸福をねがう日》

   【愛はすべての物に調和と平和とを齎(もたら)す精神波動である。
                          (『生命の實相』第十一巻)】


・・・

(4)《〃洗礼〃と〃禊〃とを通して》

   イエスが「人は水と霊とによりて生まれずば神の国に入る能わず」といった。

   その当時の洗礼の儀式は、水のなかに、頭から脚先まで全身を押し沈めて、
   肉体を完全に没し去り、再び浮び上って来た時には、肉体は既に没して、
   神にってその人は〃霊的実在〃として新生したと認め
   〃神の子〃としての資格を与えらるというような宗教的儀礼になっていたから、
   「水と霊とによりて生まれる」といったのである。

   古代日本にもそれに似た〃禊〃の行事があった。
   〃みそぎ〃は水〃注(みずそそ)ぎ〃という意味もあるが、
   〃身剥ぎ〃であって、肉体を洗い流して肉身を剥ぎ去ること

   ―― すなわち、この〃禊〃の行事を通して「最早、われ肉体なし、
   従ってわれは肉体にあらず、〃神の子〃也」の自覚に入ることなのである。

   仏教にも頂(ひたい)に水を潅ぐ〃潅頂(かんちょう)〃の行事がある。


           <感謝合掌 平成27年1月2日 頓首再拝>

【三日の法語・言葉(1月3日)】 (2656)
日時:2015年01月03日 (土) 03時35分
名前:伝統

(1)《「知恵の樹の実」を食べると云うこと》

   人間は神の映像であるから、神そのままの姿に完全円満なのが真実である。

   それにも拘(かかわ)らず人は自由に空想を馳せて、神の創造の中にも
   善なるものと悪なるものとが存在すると考え出したのである。

   これが「知恵の樹の実」を食べたと云うことに当たるのである。

   かくて人間は自からの心が描いた映像をみて怯え、悲しみ、心配をし、
   みずから不快になり、痛み、悲しむことになったのである。

   思いを変えよ。

・・・

(2)《天鼓と曼陀羅華とで飾られたる天国》

   人生の唯一の目的は神の国をこの世に実現するということである。
   神の国とは天人常に充満し、絶えず天鼓(てんく)の響きを妙(たえ)に、
   摩訶曼陀羅華の花降る世界である。

   天鼓(てんく)とは、人を賞(ほ)め讃える声である。
   曼陀羅華とは、華(はな)の笑(え)むように和やかな微笑、深切な言葉、
   思いやりのある行ないである。

   天国とは別の世界のことではない。
   われらの思いと、言葉と、行ないとの中にある。


・・・

(3)《そのまま素直な日》

   【当り前のことに天地の恵みを自覚して有難いと判るのが悟りである。
                         (「生命の實相」第十二巻)】


・・・

(4)《最尊最勝最迅速の救いの教え》

   仏教に於て、法華経が最尊最勝の経典であると説く人もあるが、
   ある意味に於ては、その通りである。

   法華経には男女いづれも皆〃仏子〃なのであると説かれているのである。

   その法華経と同じように男女いづれも〃神の子〃だと、
   生長の家では説かれているのである。

   その点に於て、法華経も生長の家も、最も迅速に人間を、
   今ここに於て救済する、最尊最勝の教えであるということができるのである。

・・・

「谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐」において、”明鏡 さま”により、
『 生長の家 』 昭和26年1月号法語 の謹写が始まっております。
以下に、キーワードに限定して紹介させていただきます。
  → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=51

”明鏡 さま”のお許しをお願いいたします。
 
(5)《人間は霊であると云う意味》

   「 人間は霊である 」 と云う意味は
   「 人間は非物質にして 神通自在の生命そのものであり 霊智者である 」 と
   云う意味である。



           <感謝合掌 平成27年1月3日 頓首再拝>

【四日の法語・言葉(1月4日)】 (2669)
日時:2015年01月04日 (日) 05時10分
名前:伝統

(1)《先ず想いを変えよ》

   自己の運命は自己が作者であり、自己が完成者である。
   不幸から自己を護るのは、自分の心のうちに不幸を予感することを
   止(や)めることから始めねばならないのである。


・・・

(2)《家族を愛せよ》

   何よりも大切なのは、まず自分の家庭を天国とする術(すべ)である。
   それができなければ人間生活の土台が完成したとは言えぬ。

   まず手近にある家族を愛せよ。
   そこから天国が生まれてくるのである。

   まず、朝起きたとき、すべての家族たちに優しい言葉を、
   朗らかな韻(ひびき)のある語調で投げかけよ。
   これが第一家庭を幸福な天国にする秘訣である。

   気がついたら今日(きょう)からそれを始めよう。


・・・

(3)《神われに生き給う日》

   【幸福とは神の実現である。そのほかに人間の幸福はない。
                           (「生命の實相」第十一巻)】


・・・

(4)《われら今已(すで)に如来なり》

   法華経が素晴しいのは、今已に一切衆生が釈迦無尼仏と等しくして異ることなき
   〃如来〃であると説かれていることである。

   これから修行をして幾年か後に〃如来〃となるのではなく、
   吾々は〃今已に〃如来なのである。



           <感謝合掌 平成27年1月4日 頓首再拝>

【五日の法語・言葉(1月5日)】 (2690)
日時:2015年01月05日 (月) 03時48分
名前:伝統

(1)《心の反映が環境である》

   自己の念(こころ)の反映が環境であるから、
   自己の念(こころ)が一変するならば環境が一変しはじめるのである。

   人を批評してはならない。
   人を言葉でこきおろし、悪しざまに言ってはならない。
   人を傷つけたら、また自分が傷つくことになるのである。


・・・

(2)《善事をなす習慣》

   つまらないことのようでも小さき善事を継続することによって、
   その人の魂は進歩し、環境は天国化するのである。

   善事をなす習慣をたった一日廃絶したことによって堕落した人は世間にたくさんある。
   昨日(きのう)きめたことを今日も続けなければならない。
   そしてさらに進んでいっそうの善事をつけ加えることをしたい。

   精神的に進歩したい人は、朝食を廃して、
   出勤前の2時間を善き読書に費やすがよい。
   毎朝2時間の読書の習慣は、その人をかなり向上もさせれば、博学多識にもする。

   時間がないという者は、時間を造らない人のことである。
   時間は、他の多くの道具などと同じく、人間によって製造せられるものである。



・・・

(3)《万物皆霊を知る日》

   【エーテルとは「無」を「有(う)」として仮に名づけた別名である。
                            (「生命の實相」第十一巻)】


・・・

(4)《舎利弗の大歓喜は、今われ等の歓喜と同じ》

   「今已に如来なり」という実相直視の釈尊の説法をきいたときの悦びが、
   どんなに大なるものであったかというと、法華経の〃譬喩品〃に舎利弗が
   次の如くいっている。 ――

   「我昔、仏に従いて、是の如き法を聞き、諸の菩薩の授記作仏〈仏と作(な)る
   という記(よこく)を授かる事〉を見しかども、而も我らは斯の事に預からず、
   甚だ自ら如来の無量の知見を失へることを感傷せりき。

   ・・・・而るに今、仏に従いてまつりて、未だ聞かざる所の未曾有の法を聞きて、
   諸の疑悔を断じ、身意泰然として、快く安穏なることを得たり。
   今日乃ち知んぬ。真に是れ仏子なり」


・・・

(5)《悪しき現象に心を乱すな》
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=51


           <感謝合掌 平成27年1月5日 頓首再拝>

【六日の法語・言葉(1月6日)】 (2707)
日時:2015年01月06日 (火) 03時23分
名前:伝統

(1)《神と一体の自覚》

   まず神と和解することが必要なのである。
   神より悪なるものが来(く)ると考えることは神と和解しているのではない。
   神よりは善のみしか来らないと信ずることが神に対する和解の第一歩である。

   神と和解するには神と一体にならねばならぬ。
   即ち神はわが内にやどりたまい、吾が目をもって見給い、
   わが耳をもって聴きたまい、わが呼吸器をもって呼吸したまい、
   わが声をもって語りたまうと信ぜよ。


・・・

(2)《仕事の秘訣》

   たえず活(はたら)いているということが喜びの源泉である。

   本当の幸福というものは暗い生活からは生まれぬ。

   常に人の《ため》になる仕事、常に世の《ため》になる仕事、
   たゆみなくかかる仕事に従事している人には魂の喜びが伴う。
   仕事が無上の喜びとなり、仕事の中に休息と慰安とがある。

   金(かね)を頂くのは、それが多いにせよ少ないにせよ
   神様から恵まれたものであると感謝し、
   仕事は仕事で人のため世のためへの自分の魂の献(ささ)げ物であると思って、
   人のために尽くすという喜びの中に仕事をするがよいのである。

   かかる仕事の中からは不断の喜びが湧く。
   金と仕事とを交換的に考えてはならぬ。

   仕事を常に支配すること。
   仕事に支配されてはならぬ。
   仕事を追い回すことは、仕事から追い回されない秘訣である。

   常に働いていながら、その仕事が捗らないのは、
   何か神の摂理(おぼしめし)があるのであろうと、またそのことに感謝するがよい。

   そこからいらいらした心持(こころもち)が
   和(なご)やかになり、平和が魂に戻ってくるであろう。

   急がず、たゆまずに進むのが仕事の秘訣である。


・・・

(3)《父と偕(とも)にある日》

   【我れみずからは何事もなし能(あた)わず、
    父は子を愛してその為す所を悉く子に示し給う。(ヨハネ伝)】


・・・

(4)《人間本来〃無罪〃の宣言》

   私は、昨年〈※47年〉六月下旬から七月にかけ一ヶ月間ブラジルに滞在して、
   「今已(すで)に人間は神の子であって、本来〃罪無き者〃である」という
   生長の家の教えを説いて来たのであったが、

   幼少時代からその〃罪の子〃の教えの下に、精神的に抑圧せられ、罪悪感で、
   自分で自分を枉屈しつづけて来ていたのであるのに、突然、生長の家の講話を聞き、
   人間は〃神の子〃であって、決して〃罪の子〃ではない、

   神は〃罪人〃も、〃罪〃も、そんなものは決して創造し給わない。
   神の創造らないところの、〃罪〃も〃罪人〃も存在しないのだという真理を
   知らされるに至って、

   今まで自分を圧迫しつづけていた罪悪感が消えて、
   歓喜無限、踊りあがって悦ぶこと、恰も釈尊が「汝らは既に如来なり」と
   仰せられたとき

   舎利弗が感激して「未だ聞かざるところの真理を知り、心意泰然(しんにたいねん)
   として安穏なることを得たり、吾ら真に仏子なり」と讃歎感泣したと同じような
   喜びの状態で、

   罪悪感が原因となっている病気などは、
   罪悪感が消えるとともに即座に治ってしまったのであった。

・・・

(5)《大自然の浄化力》
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           <感謝合掌 平成27年1月6日 頓首再拝>

【七日の法語・言葉(1月7日)】 (2722)
日時:2015年01月07日 (水) 03時46分
名前:伝統

(1)《神は無限の愛であり給う》

   吾らは決して神の護りからのがれることは出来ない。
   神は吾々神の子に対して与えとうて与えとうて仕方がないのである。

   神は決して人間の貧しきことを欲したまわないのである。
   神は決して人間の不健康を欲し給わないのである。

   神は無限に完全なる生命を吾らに与え給うて、
   吾等の全身を健全ならしめ給うのである。


・・・

(2)《緩急自在な生活》

   常に仕事をすると言っても、緩急がなければならぬ。

   さればといって、仕事をする時に懶(なま)けよと言うのではない。
   弓を射るときには一心(しん)でなければならぬ。
   仕事をするときにも一心でなければならぬ。

   仕事が終わるか、定められた休息の時間が来るか、家に帰って家族と
   うち寛(くつろ)ぐ時が来た等のときには本当に打ち寛(くつろ)がねばならぬ。

   仕事は渋面(じゅうめん)をつくるためにあるのではない。
   仕事は喜びを感ずるためにあるのである。
   団欒のときには楽しくすることが一つの仕事である。

   人間は金を積んで走る馬車馬のために造られているのではない。


・・・

(3)《光明一元・歓喜の日》

   【暗は光明に来てブッ突かればブッ突かった刹那(せつな)に光明に化して了っている。
                              (『生命の實相』第一巻)】


・・・

(4)《神の最高自己実現としての人間》

   あなたは神の最高の自己実現である。

   天地の万物は、それぞれ内に、ある程度の神の生命と智慧とを内蔵している
   のであるが、人間のみは神の全徳を自己の内に宝蔵しているのである。

   その事を旧約聖書には、「神の象(かたち)の如く人をつくり」と
   表現されているのである。

・・・

(5)《暗(やみ)を消すには 光を射し込ませよ》
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=51


           <感謝合掌 平成27年1月7日 頓首再拝>

【八日の法語・言葉(1月8日)】 (2736)
日時:2015年01月08日 (木) 05時02分
名前:伝統

(1)《吾は日に日に完全円満である》

   神の完全なる実相が、吾を通じて時々刻々尚(なお)一層完全に実現しつつあるのである。

   肉体に於いて健全であり、思想に於いて周到であり、言葉に於いて無礙であり、
   交友に於いて愛にめぐまれ、ありとあらゆる点に於いて完全なのである。

   若(も)し汝が何事か不調和な事を経験するなら
   数分又は数時間又は数日前に何か不調和なことを心に念じた影である。

   念を感謝に転ぜば一切は変化する。


・・・

(2)《団欒と仕事との調和》

   あまりに四角四面な余裕のない押しつめられた生活からは幸福な生活は生まれぬ。
   曲線と直線とが巧みに調和していなければ美術でも生活でも美しくないのである。

   団欒と仕事との調和を考えること、
   あたかも美術家が曲線と直線との調和を考えるがごとくでなければならぬ。


・・・

(3)《魂浄まる日》

   【人間は苦行しなければ浄まらないようなものではない。(『生命の實相』第一巻)】


・・・

(4)《神の智慧によって創造せられたる世界の予定調和》

   『信仰の科学』には次のように書かれているのである。

   『全宇宙はちょうど人間がそうであるように、一つの智慧によって統率せられ、
   そして宇宙の各構成要素は、あたかも人体の左右の両脚がたがいに衝突せぬように、
   また両腕がたがいに喧嘩せぬように、

   全て大調和のうちに動いているということを認めるならば、
   宇宙の全機構は全体として大調和のうちに活動出来るものであることが
   きわめて自然に推論できるのである。

   宇宙が全体として外見上いかに互に衝突する矛盾を孕んでいるように見えようとも、
   〃調和〃という言葉のもつ真の意味に於て、そこには完全なる調和が存在するに
   ちがいないのである』

   そのような、一切の万物、生物が〃完全なる調和〃にあるのが、
   神の創造せる世界の〃実の相(すがた)〃なのである。
   これを「実相」とわれわれは呼んでいるのである。


・・・

(5)《智慧は物質現象を左右す》
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           <感謝合掌 平成27年1月8日 頓首再拝>

【九日の法語・言葉(1月9日)】 (2745)
日時:2015年01月09日 (金) 03時17分
名前:伝統

(1)《眠りに入らんとしてかく念ぜよ》

   汝ら眠りに入る時、汝の掌(たなごころ)を汝の眼の上に置きてかく念ぜよ。

   「この眼は神の眼である。善以外のもの、美以外のもの、完全以外のものは
   何物も見ないのである。この眼は神の眼である。
   毎日毎日一層その実相の完全なる視力があらわれつつあるのである。

   自分の眼は神の眼である。人々の善さのほか美しさのほか、完全さのほかは
   何物をも視ないのである」。


・・・

(2)《論争は不要、光を輝かせば暗(やみ)は消える》

   他(ひと)から悪く言われても論争はしないがよい。
   それぞれにはまた別の立場があるからである。

   相手の悪を認めて悪に対して論争するのは相手をいっそう興奮せしむるだけである。
   相手を興奮せしむれば、いかに善なる論旨も相手の心に入(い)るものではない。

   われわれはただ正しい真理を説き、所信を実行すればよい。
   ただ真理に従順にして、然(しか)り然り、否々(いないな)でよい。

   光を輝かせば暗(やみ)は消える。これは永遠に渝(かわ)ることなき真理である。


・・・

(3)《無字透関の日》

   【宗教とは死んでから用のないものである。(『生命の實相』第一巻)】


・・・

(4)《矛盾の奥にある本当の調和を見て礼拝せよ》

   たとい如何に相反する矛盾を孕むがように見えていても、陰電気と陽電気とが互に
   相反する作用をいとなむように見えようとも、それは相反しながら
   却って調和しているのであって、

   この相反する如く見える矛盾の奥に、相反しない神の唯一の総合的智慧が
   存在してそれを総覧しているのである。

   わたしたちは矛盾の奥にある〃本当の調和〃を見て、
   そこに実相があり、神があるということを見て、万物を礼拝すべきである。

・・・

(5)《智慧は物質の配列を支配する》
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=51


           <感謝合掌 平成27年1月9日 頓首再拝>

【十日の法語・言葉(1月10日)】 (2761)
日時:2015年01月10日 (土) 05時04分
名前:伝統

(1)《目覚めてはかく念ぜよ》

   朝眼が覚めたときが一日の出発である。

   目が覚めると唇に「ありがとうございます」と
   感謝の言葉からその日の生活を始めるのである。

   眠っている間じゅう心臓を鼓動せしめ、肺臓を呼吸せしめ、胃腸をして消化せしめ、
   色々の臓器をして各々の役目を完全に果たしことを神に感謝するのである。


・・・

(2)《恩恵に包まれている》

   われわれは食物に感謝するように空気にも感謝しなければならぬ。

   われわれは空気の恩恵について感謝すべきことに気がついたとき、
   われわれの周囲に感謝すべきものがかくも多数に充ち満ちていることに
   気がつくだろう。


・・・

(3)《自在を得る日》

   【空間は却って生命の造りたる『認識の形式』にすぎず。
   ・・・空間の上に投影されたる生命の  放射せる観念の紋(あや)。
   これを称して物質と云う。(『甘露の法雨』)】


・・・

(4)《八卦見の預言が家庭の運命を狂わせた》

   神戸で講習会があったときにこんな体験談を演壇に立って話した女性があった。

   彼女は結婚して3年ほどは夫婦仲の好い幸福な家庭生活を送っていた。
   ところが八卦見をしている男に観てもらうと、その八卦見は言った。 

   「あなたは水性(みずしょう)だし、あなたの良人は火性(ひしょう)である。
   水と火ぐらい仲の悪いものはない。火が燃えようとすると、水はその火を消して
   しまうし、水が冷やそうとすると、火は逆に熱くしてしまう。

   それと同じように、あんた達夫婦は、互に相手を殺し合うような
   相性の組合せになっているのだから、よくみずから慎んで夫婦喧嘩をしないように
   注意しなければならない」 と深切にも話してくれた。

   その八卦見の〃言葉の力〃は彼女の家庭の幸福を根本的に覆してしまったのであった。


・・・

(5)《科学と宗教は 矛盾しない 》
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           <感謝合掌 平成27年1月10日 頓首再拝>

【十一日の法語・言葉(1月11日)】 (2769)
日時:2015年01月11日 (日) 04時06分
名前:伝統

(1)《常に神吾を導き給うと信ぜよ》

   朝目覚めたとき、不快の思いを起こすな。

   「今日はあらゆる日のうちで一番幸福な日である」と言葉に出して20回ずつ唱えよ。
   然らば、毎日毎日が、その日までの凡(あら)ゆる日よりも幸福な日となることが
   出来るであろう。

   また汝ら仕事にかかるとき又は出勤するとき、
   「神様、この日一日を神様の完全な御智慧(みちえ)にて導き給いて
   過ちなからしめ給え」と祈れ。

   しかして神が必ず導き給うと信ぜよ。然らばその日一日じゅう過ちはないであろう。


・・・

(2)《すべてに喜びを見出す》

   一つの同じことが、甲の人には不平不満の源であり、
   一つの同じことが、乙の人には喜びの源である。

   明るい半面ばかり見る者は常に生長し、
   暗い半面を見るとき人は暗黒の世界に墜落する。

   どんなことにも喜びは見出される。
   雨が降ったらうっとうしいと言う代わりに
   「結構な善いおしめりだよ」と喜ばねばならぬ。

   この世の中に何一つ無駄なものがないと知ったとき、
   われわれは悲しむべき何物もこの世界にないと知るのである。


・・・

(3)《天地の法輪を聴く日》

   【全世界は如来の転ずる法輪である。大法輪が実在の宇宙である。
                            (『驀進日本の心と刀』)】



・・・

(4)《火性と水性ほど仲の良いものはない》

   その話しを聞いてからの本田ムラさん夫婦は、今まで夫婦喧嘩など
   したことがなかったのに、毎日夫婦喧嘩が始まったのであった。

   せっかく、3年間も仲の良かった家庭は争論地獄のようになり、
   彼女の心はマトモに良人の良さを見ることが出来なくなった。

   すると、肉体は〃心の影〃という訳で、彼女は人に対して話していると
   一方の眼が痙攣するような感じがすると、瞳が斜めを向いてしまって
   外斜視になってしまったのである。

   しかし後に本田ムラさんは火性と水性ぐらい仲のよいものはないと
   生長の家の講師にきかされて家庭は調和し外斜視も治ってしまった。 


・・・

(5)《影の中に生活して 影の姿に驚くな》
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=51



           <感謝合掌 平成27年1月11日 頓首再拝>

【十二日の法語・言葉(1月12日)】 (2778)
日時:2015年01月12日 (月) 06時29分
名前:伝統

(1)《神は親であり吾は神の子である》

   神は親であり、自分は神の子であると信ぜよ。

   自分の自覚のパイプを大きくすればどれだけでも、自分の悦びは大きくなり、
   豊かになり、調和と平和とがその生活に得られるものであることを信ぜよ。


・・・

(2)《争わないこと》

   われわれは立場を超えて「無」の中に跳入し、「無」を超えて、
   さらに「光」のみの世界に躍進しなければならぬ。

   わたしはこれをこう考える ―― と言うときわたしは一つの立場に立つ。
   一つの立場に立つかぎり、「彼はこう考える」という立場をも
   許してやらねばならぬ。

   宗派を立ててはならぬ。偏狭がいっさいの争いの因(もと)である。
   神のうちには争いはない。神はいっさの争いを、いっさいの背反を包容している。

   宗派ばかりではない。
   個人の生活でも争いができるのは、
   おおむね超越的立場から墜落した者の挑戦から来るのである。


・・・

(3)《生命の神秘を拝む日》

   【自療力さえ誘導されたならばあとは治るのであります。(『生命の實相』第ニ巻)】


・・・

(4)《あなたの幸福を左右するもの》

   本田ムラさんは家庭の幸福は、「夫婦の相性が悪い」という八卦見の
   〃言葉の力〃によって、彼女の人間観が変り、自分のいだく「夫婦仲が悪い」
   という思いが起り、「思うことはあらわれる」という〃唯心所現の法則〃によって、
   それが具体化して実際に夫婦仲が悪くなってしまったのであった。

   八卦見の言葉が本田ムラさんの家庭の幸福を毀してしまったのは、
   神が〃元始(はじめ)〃に人間をコトバによって造った完全人間の実相を語らず、
   迷いによって、本来存在しないところの「夫婦喧嘩」を、さも存在するかの如く、
   それが真実であるかの如く語ったからなのである。


・・・

(5)《過去に捉(とら)われず 新しき健全なる想念を抱け 》
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=51



           <感謝合掌 平成27年1月12日 頓首再拝>

【十三日の法語・言葉(1月13日)】 (2791)
日時:2015年01月13日 (火) 03時52分
名前:伝統

(1)《先ず自(みず)から与えよ》

   与えれば与えられるのが心の法則である。

   朝の神想観に、自分は神の輝く光の流入口であり、その流入した光をもって
   自分は出来るだけ多勢の人を照らすのだと念ぜよ。

   人に対して先ず輝く微笑(ほほえみ)を与えよ。
   家族全部を祝福する言葉を語れ。

   そこから幸福が流入して来るだろう。


・・・

(2)《生きた宗教》

   高邁な超越的立場を持する者も、時として戦うことがある。
   凝り固まった相対的立場にいる者は一切包容の立場をも、
   一つの別の相対的立場と思いちがえて反撃してくることがあるからである。

   すべて宗教は生活を離れた時に概念の遊戯となる。
   宗教が生活を離れるのは時代を離れるからである。

   生かさぬものは宗教ではない。
   われわれは生きた人間にお念仏申す心にならねばならぬ。

   念仏とは、相手に合掌して仏をその相手から拝み顕(だ<あらわ>)すことである。
   常不軽菩薩の行である。


・・・

(3)《八面玲瓏の日》

   【心が柳の枝に雪折れなしの様な状態になったら神経衰弱が治りました。
                              (『生命の實相』第三巻)】


・・・

(4)《暗黒の預言をする宗派に近づいては危険である》

   『信仰の科学』151頁には、次の如く説いているのである。

   『暗黒を告げる憂鬱なる預言の徒に注意するがよい。
   彼等の預言に耳をかせば、黒き暗雲があなたの頭上に降りて来るのである』

   「暗黒を告げる脅迫的な言葉」をもって其の宗教に誘い込もうとする人は、
   〃暗黒なる不幸〃の種蒔きをする人であるから、
   そのような人に近寄ってはならないのである。


・・・

(5)《 唯 「 健康 」 のみを念ぜよ 》
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=51



           <感謝合掌 平成27年1月13日 頓首再拝>

【十四日の法語・言葉(1月14日)】 (2809)
日時:2015年01月14日 (水) 03時20分
名前:伝統

(1)《神霊に導かれて》

   今日吾が内に神の霊みちたまう。
   吾が肉体のも吾が周囲に起る事件にも神の霊みちたまう。

   わが肉体は今新たな新鮮なる活力を得つつあるのであり、
   わが周囲に起る事件は神の智慧に導かれて実に清らかに進行しつつあるのである。

   われは周囲に何事が起って来ようとも思い煩うことはないのである。
   何故なら、それは神の智慧に導かれていて万事がよくなるほか致し方がないからである。



・・・

(2)《人間は死なぬ》

   人間は死なぬというのが生長の家の教えである。
   それは生死を超越した「実相の本来生」なのである。
   生滅は仮の相(すがた)である。

   「肉体は本来無い」と説いているのが生長の家の教えである。
   「無い」ものには死にようがないのである。
   「肉体は無い、人間は本来生であるから《死なぬ》」と説くのである。

   死にようがない自覚である。
   ここに無限の勇気が湧く。


・・・

(3)《微笑を楽しむ日》

   【顔が膨れ上がるのは心に不平不満を持つ膨れた心の現(あらわれ)である。
                              (『生命の實相』第一巻)】



・・・

(4)《明るい表情は幸運を引き寄せる》

   あなた達は常に、明るい微笑を頬に湛え、希望と愛とに輝く瞳をもって
   人々に対するようにしなければならない。

   〃明るい表情〃 〃ニコヤカなる微笑〃 〃憂鬱を吹きとばす哄笑〃 というものは、
   肉体の表情の訓練であるけれども、「類は類を引き寄せる」という法則によって、
   その人に明るい運命を引き寄せることになるのである。


・・・

(5)《常に健康のみを想(おも)え》
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=51



           <感謝合掌 平成27年1月14日 頓首再拝>

【十五日の法語・言葉(1月15日)】 (2823)
日時:2015年01月15日 (木) 05時03分
名前:伝統

(1)《その所に於いて生き切れ》

   すべての人は神の子であるから、
   必ず何か特殊のその人でなければならない才能が宿っているのである。

   その才能を伸ばしさえすれば必ず自己は幸福となり、世界も亦、
   それによって幸福を得るのである。

   全て既に与えられている所のものを充分感謝してそれを生かせば、
   必ずそれは真の自己の才能を伸ばす所の踏み台となり、第一歩となるのである。


・・・

(2)《果実を見てその樹の善悪を知れ》

   いいかげんな聴きようをして、物事を批評してはならぬ。
   紙1枚の差が霄壤(しょうじょう)の差である。
   今日一日ひとを審判(さば)かないようにしたいものである。

   ものの善し悪しは、よくその結果の良否を見て判断しなければならぬ。
   この点において「果実を見てその樹(き)の善悪(よしあし)を知れ」と
   言ったキリストは正しい。


・・・

(3)《新天地開ける日》

   【新天地が開けるとは小さなる「我」が脱落して、自由な愛の世界に出ることである。
                            (「生命の實相」第四巻)】


・・・

(4)《表情は〃心の世界〃に種を蒔く》

   ニコニコした表情をしている者は、ただそれだけでも周囲の人々を幸福にし、
   周囲に対して善き〃心の種〃を蒔きつつある者なのである。


・・・

(5)《神は 人を貧乏ならしめ給(たま)わず》
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=51


           <感謝合掌 平成27年1月15日 頓首再拝>

【十六日の法語・言葉(1月16日)】 (2850)
日時:2015年01月16日 (金) 04時20分
名前:伝統

(1)《惰性的安定感に堕ちてはならぬ》

   新しい想念を入れることが出来ず、変化すべき時に変化に抵抗し、
   新しき経験が自分の生涯に入(い)り来(きた)ることを拒む人間には進歩はない。

   現在の状態の崩壊することは悲しいことのように見えるけれども
   それは却(かえ)って進歩と幸福への契機である。


・・・

(2)《日々、自分は本当に生きているか、と問いかけよ!》

   「今日(きょう)自分は本当によく生きたか」
   とわれわれは毎日自分自身の心に対して問いかけねばならぬ。


・・・

(3)《本当の幸福を把(つか)む日》

   【ただよえる雲の彼方にまんまるに澄み切る月ごわが姿なる。
                            (『生命の實相』第十一巻)】


・・・

(4)《表情による運命の改善》

   ジェームズ・ランゲの法則」という心理学上の法則がある。
   「人間は〃可笑しい〃と笑うけれども、笑うからおかしくなる」という学説である。

   ある感情が起れば、その感情通りの表情を人間はするものであるけれども、
   先ず〃ある表情〃を肉体の顔面にしてみれば、その表情にふさわしい感情が
   起こってくるのである。

   皆さんの運命や生活状態は〃唯心所現〃の原理に従って、その表情の通りの
   暗い運命や、沈衰した生活をしなければならないようになるのです。

   あなたの不断の表情が常にあなたの運命を形成しつつあると共に周囲に対しても、
   明暗どちらかの運命の種を蒔きつつあるのですから、皆さん、今年からは、
   一瞬一秒といえども、暗い表情をしないで、明るい表情をして生活を改善しましょう。


・・・

(5)《富想を養わねばならぬ》
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=51


           <感謝合掌 平成27年1月16日 頓首再拝>



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