投稿日:2006年10月07日 (土) 11時02分
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重耳 の耳が古代でも 何のみという使い方があったとすれば、 重という漢字は木主がその本来の意味だと言う説から考えると 平勢説のように晋の公室を貶めて後から耳がつけらたのかもしれない。 周王が晋重と呼んでいる記載を見た。同じときの他の諸侯で二字名前で呼ばれた人もいるのになぜか 晋重と耳がついていなかった。
左伝の重耳の記事は 二十五年待って迎えに来なければ再婚しろとか 流亡中の逸話も重臣の解説で喜んだり彼の主体的な話が無い。斉の公女に惹かれ帰国を拒否していたのを酒で酔いつぶされ無理やり帰国の途につかされたり 廃墟に上って晋の軍は整い意気盛んだなどと評論家のようだ。楚に勝ったのも重臣の奇策である。 木主 お飾りなんだよ という意味が隠されているようだ。 |
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