投稿日:2006年10月08日 (日) 02時08分
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木主といえば宮城谷昌光の小説『太公望』の描く周の文王を思い出します。 『太公望』では、死んだ文王の木主を車に乗せ、文王の死を隠したまま武王が殷討伐の軍を進めるのですが、 『太公望』が出版された後に宮城谷昌光はこんなことを言っていましたね。 殷の紂王によってユウ里の獄に囚えられた文王は、すでに獄中で死んでいたのではないか。 屍体が周にかえされた後、文王の木主が殷討伐の軍を挙げたと。 死んだ男が蘇生して軍を起こすなんてホラーです。 ましてやそれで周の文王ここに在りと天下に知らしめることになれば。
してみると、晋の文公というのも本当は存在してなかったりして(笑) 生半可さんのお説面白いです。 春秋の晋が廃れたからといって、晋覇を受け継ぐ戦国の諸王が晋文を貶めるのは考えにくいと思ったりもするんですけど。 平勢説みたく、国家のつくった歴史書が晋文を誹謗してると考えるのではなくて、 晋文の説話を集めて著作を書いた人に思うところがあったんだと思いたいですね。
しかしながら、戦国魏の襄王の墓から出た『竹書紀年』には「舜が堯を囚えた」とありますし、 戦国時代の楚簡の『容成氏』には、湯(商の初代湯王)が夏の一族を殺戮して根絶やしにしたと書いてあるんですが、 そう考えると、晋文のことも考えてしまいますね。 |
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