投稿日:2006年11月05日 (日) 19時32分
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この、文章を読んでいる皆様、 渤海という国が東アジアの中国東北部にあったことを御存知でしょう。 この国をある人は朝鮮史の扱いにしたり、他の人は中国史の扱いで見ることが多いです。 どちらなのでしょうか。 私自身、高句麗以上に中国の要素が強いようにも思います。 私が一番信じたくないのは主にrussiaの学者が唱えている、極東少数民族の部族国家説です。
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[34]渤海の帰属投稿者:NAGAICHI Naoto
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投稿日:2006年11月06日 (月) 19時01分 |
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では、つたない私見をば開陳。 高句麗でも渤海でもですが、現代の国家の枠組みを過去に持ち込んで、中国だ朝鮮・韓国だという(政治的)争いには、僕は口をはさむつもりがありません。渤海大氏が靺鞨人なのか高句麗人なのかを論争するならまだしもですけどね。 渤海国は朝鮮史としても中国史としても語りうる文脈を持っていると思います。唐朝からの多大な影響とか、靺鞨が満族の祖先であるとかでも語れるでしょうし、あるいは渤海遺民が高麗に流れ込んだとか、渤海王族の大道秀が高麗の将軍になったとか、太姓をもらったとかでも語れるでしょう。どちらかいっぽうの文脈を封殺しようとは思いません。こんなとこでしょうか。 |
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[37]グラシアス投稿者:tomohiro
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投稿日:2006年11月07日 (火) 08時23分 |
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ご意見どうも有り難う御座いました。 ここもいろいろ考えられる国ですよね。 其れだから興味をそそられるのです。
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[40]朝鮮史投稿者:巫俊(ふしゅん)
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投稿日:2006年11月07日 (火) 11時44分 |
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日本の朝廷が蝦夷を討伐して東北の地を略したように、 新羅の朝廷は靺鞨人の夷狄を討伐して平壌以北の「未開野蛮」の地を版図に組み込んだことを意識すると、この問題が理解しやすくなると思います。 その文脈でこそ、新羅→高麗→朝鮮→韓国と継続してきた半島史が理解できるかと。
渤海は(新羅にとって)「未開野蛮」な靺鞨人の更に北に建国した国家ですからね。 高麗は渤海人を従えて北進政策を継続し、モンゴル時代は平壌以北を元朝の征東行中書省に支配されましたが、 モンゴル軍司令官で女真人の李ウルスブハの息子の李成桂が高麗を簒奪します。
そうして成立した朝鮮史という枠組み自体が、中国文化を朝鮮ナイズしたものを中心にして、 辺境地域に居住する多くの民族をその「王化」に服させることで初めて成立したという性格を意識する必要があります。 |
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[115]投稿者:xxx氏
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投稿日:2007年04月20日 (金) 00時46分 |
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「ローマ帝国は、ドイツ史で扱うべきかフランス史で扱うべきか?」 という問題を、まずは考えてみてください。 その上で、「どちらでしょうか。」という問いに意味があるかどうか お考えください。 |
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