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[79]「老蒋」など。 投稿者:李文明

投稿日:2007年02月02日 (金) 01時23分

NAGAICHI様、ご返事ありがとうございました!^^;
さて、古書を読んでいると、八路軍は、国民党から、「共匪」とか、「毛賊」(まおぜい)とか、呼ばれています。
八路軍が、優勢になると、国民党軍は、「蒋匪ぱん」とか、「国民党残匪」とか、呼ばれます。
昨年、中国でブレイクした、「暗算」という、共産党の特務機関の活動を描いた、テレビドラマで、「老蒋」(らおじゃん)という、表現がでてきました。
蒋介石のことですが、先日、台湾人の、留学生の女の子に、「老蒋」の、ニュアンスをたずねました。
説「「老蒋」は、台湾では悪い言葉ではありません。国民党兵士として、戦ったおじいさんたちが、なつかしさをこめて、「老蒋」と、いいます。あと、「先総統」という表現も、使います。」。
ということです。

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[82]投稿者:NAGAICHI Naoto
投稿日:2007年02月05日 (月) 21時32分
「匪」とか「賊」とかいう古色蒼然としたレッテルを貼っているあいだは、王朝意識が抜けてないんじゃないかという気もしますね。
あっと、八路軍は「国民革命軍第八路軍」の略称ですから、国共合作が崩壊したあとの1947年3月に人民解放軍に改組しています。国共内戦中の紅軍を八路軍とはふつう呼びません。
「老蒋」についてのご報告ありがとうございます。北伐後と抗日戦後の二度にわたって、名目上では中国を統一してる立役者ですし、歴史を生で知る人たちには格別の思い入れがあるでしょうね。

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[84]ありがとうございます!^^;投稿者:李文明
投稿日:2007年02月05日 (月) 23時32分
NAGAICHI様、御返事ありがとうございました!
それに、ご教示ありがとうございました!
「解放軍」、「抗日義勇軍」、「紅軍」、「八路軍」と、いろんな、呼び方が頭のなかで、錯綜しています。

さて、皆様、お手元に、「資治通鑑」は、お持ちでしょうか?
皆様、どんな、「資治通鑑」をお持ちですか?
私は、中華書局の、校点本と、改革出版の文白対訳を、持っていますが、実際読むときには、明治に出版された線装の、「山名本資治通鑑」で、読んでいます。
「日知録」や、「十七史商かく」、「二十二史考異」などからの、抜書きも、欄外にあります。
どなたか、津藩が発刊した、線装の「資治通鑑」を、お持ちではないですか?
200分冊くらいあるそうです。
句読はあるのでしょうか?
それとも、白文なのでしょうか?
御教示ください。

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[85]関係ないですが^^投稿者:巫俊(ふしゅん)
投稿日:2007年02月06日 (火) 00時42分
中国語学の大家として知られる藤堂明保は三重県の出身だったんですね。
たぶん津藩の藤堂一族かと。
他に藤堂一族というと、伊賀・伊勢・志摩の三国の地方誌『三国地誌』を書いた藤堂元甫がいます。

私は三重県に住んでいるので中国の地方誌を読んでも、現地の風景が見れないのが残念でならないのですが、江戸時代に書かれた『三国地誌』は私が唯一現地を歩いてまわれる地方誌なので、とにかくお気に入りです。
漢籍は素晴らしい。

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[86]存じませんでした。投稿者:李文明
投稿日:2007年02月06日 (火) 08時10分
藤堂明保先生、久仰大名です。
三重県のご出身なのですか。
存じませんでした。
ご一族は、藩儒とかなさっていたのでしょうか。

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[87]通鑑について投稿者:NAGAICHI Naoto
投稿日:2007年02月06日 (火) 19時50分
僕が持ってる『資治通鑑』は、中華書局の標点本ですね。
日本語訳本として平凡社や朝日新聞社の抄訳本も持ってますけど。
ほか『資治通鑑疑年録』とか『資治通鑑辞典』とか周辺工具書も持ってますが、あまり引いてません。
山名本は、ときどきネットオークションとかで流れているのを見ますが、手を出してません。
津藩が発刊したものというのは、僕も見たことがありませんので、分かりませんが、「山名本とは、みぎの津藩で刊行されたいわゆる伊勢版を底本として、山名留三郎が訓点を施したもの」(田中謙二『中国文明選1 資治通鑑』の解説)ということですから、山名本より前には訓点がなかったのではないかと思います。

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[88]藩学投稿者:巫俊(ふしゅん)
投稿日:2007年02月07日 (水) 01時30分
三重県立図書館のサイトで蔵書を検索してみましたが、
1836年の勝村治右衛門の『資治通鑑』がそれでしょうか。
この手のものは正確を期そうと調べていけばいくほど、版本が複数あったりするようなパターンも多いんで現時点では確定とは言えませんけど。

藩儒という言葉の定義が「藩の学問所で儒学を講義する先生」という意味になると、詳細など私の全く手のつけてない分野なのですが、藤堂一門は津藩のヒエラルキーの上層に位置していたので藩の学問所等に所蔵される漢籍にアクセスする機会も一部の人間に限られていたのだと思います。

同じ江戸時代の文献にしても、伊賀の町人が書いた『伊賀旧考』『伊乱記』のような虚実ないまぜの歴史地理文献よりは、藤堂元甫の『三国地誌』の方が精度が高いという事情などあります。
『伊乱記』というのは信長が伊賀を攻めた天正伊賀の乱の記録なのですが、どうも至るところに怪しい記述があるようで、町人ではアクセスできない藩の史料事情などにも由るのではないかと。

それにしても日本における『資治通鑑』の受容と大衆化に三重県の漢籍史料が関係しているとは思いもしませんでした。
まさに目から鱗です^^

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[89]さて、また、「通鑑」ですが。投稿者:李文明
投稿日:2007年02月07日 (水) 15時27分
NAGAICHI様、巫俊様、貴重なご教示、ありがとうございました。
さて、
また、「通鑑」、といっても、朱熹の「通鑑綱目」ですが、どうでしょうか。
司馬温公の、「資治通鑑」と、どちらの、和刻本が、先なのでしょうか。
貝原益軒の「大和俗訓」に、「史書のうち、「通鑑綱目」最もよし。繰り返し循環して、見るべし。」とあります。
東京、中野の文徳書房の、目録にも、掲載されていたのですが、詳しい年号は、忘れましたが、18世紀以前の年号でした。
ちなみに、
「大西郷全集」に、西郷隆盛が、沖永良部島に遠島になった際に、「通鑑綱目」を、持ち込んでいたと、ありました。

皆さんの、ご意見をお待ちしています。

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[92]通鑑綱目の和刻本投稿者:NAGAICHI Naoto
投稿日:2007年02月12日 (月) 22時33分
朱熹『資治通鑑綱目』五十九卷に明の南軒の『前編』二十五卷と明の商輅『續編』二十七卷が加えられた阿波藩本(阿波宮嶋屋伊左衞門等)というのがあるらしいです。これが文化六年(1809)の刊行らしいです。
ネタばらしをすると「全國漢籍データベース」
http://www.kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/kanseki/
で検索しただけなんですけども。
和刻本は通鑑より通鑑綱目のほうが古いということになりますかね。

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[94]またまた、『通鑑』ですが。投稿者:李文明
投稿日:2007年02月20日 (火) 07時41分
『山名本』の、訓点を施した、山名留三郎は、東京寄留三重県平民、と、奥付けに、書いてありました。
『伊勢版』に、訓点を施すことを、ライフワークにしていたのではと、思います。
どなたか、山名留三郎の詳細について、御教示願います。



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