投稿日:2006年09月30日 (土) 02時37分
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彔伯は淮戎を討伐して功績を挙げた人です。 淮戎は金文だけに出てくる言葉で(でも『旧五代史』梁書の王檀伝に引っかかった。郡淮戎と接し・・・???) 始皇帝の以前まで淮水流域に割拠していた民族・淮夷の別名だとされていまして、 淮戎を討伐した彔伯は、白川静氏の論文によると紂王の王子禄父の後裔だと推定されているんです。
すなわち 殷の余裔であること 貴種であること 異民族統治に関わっていること 西周軍の司令官で功績は上位
というようなコーエー基準で行けば美形顔グラがもれなく付いてくるような「有能な司令官」なんです。 本当の実態は分かりませんけれども、彔伯が爵位で名前がシュウ(冬+戈)です。 名前まで日本人好みのいい名前なんですね(笑)
あとついでに左伝には、魯公に与えられた殷民七族のひとつとして終葵氏という族類が見えます。 ひょっとしたら関係があるかもと思ってます。 |
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