投稿日:2006年10月13日 (金) 19時27分
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一県・一城・一邑クラスの小諸侯がいたのは間違いなさそうですね。問題はそれが限定的なものだったのか、大勢いたのかですが、史料が足りなさそうです。 平勢説は、なんか食傷したかなあ(笑)。 喜君の『編年記』も短くて淡々としてますが、面白いですね。『史記』秦本紀や始皇本紀と読み合わせても、大きなズレはないようですが、秦の天下統一の過程で『史記』を補完できるところもあるわけで。 安武侯…「楚の懐王が沛公(劉邦)を封じて安武侯と号せしめた」(『史記』絳侯周勃世家)と、こちらは「封」ですね。北魏のときには、安定郡安武の人の韓茂が安武侯に假せられている例もあり。まあ後代の例を安易に前代に当てはめるのは危険ですけど。 |
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