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[440]はじめまして 投稿者:名無し

投稿日:2014年09月30日 (火) 09時19分

ただ今、修士論文で少々夏姫について調べている者ですが、彼女の父親である鄭穆公の生年は『史記』によると前649で、彼が晋の後援の元鄭の太子に納まるのが前630ですので、まず夏姫の生年を前640〜630と解釈すること自体が少々厳しいのではないでしょうか。

『史記』鄭世家と『左伝』・『孔子家語』などにある当時の婚礼を参考にして考えると、鄭穆公が15歳で夏姫を産み、夏姫が15歳で夏徵舒を産んだとしても、夏徵舒は弑逆事件を起こした前599の時点でようやく20歳になったばかりで、これを上回ることはありません。

なるほど、『左伝』僖公七年(前653)には鄭穆公の兄にあたる太子華が諸侯会合に参加し、斉桓公に対して政治工作を試みた記事がありますし、『史記』が鄭穆公の生年を明記した論拠が不明である以上、彼の生年が溯り、結果夏姫の年齢も変わる可能性はありますが、それでも陳の家臣である夏家に公女を嫁入りさせること自体が異常と言えます。
『左伝』に記載されている「夫臣下・妻公室」という婚姻はたったの16件でありますが、夏姫逸話を除くと、晋趙氏が4件・衛孔氏が2件といったように数代通婚を許される家や、楚の闘氏(子文の親)が母の実家の娘と密通・魯季孫氏が季孫氏の血を引く宋の娘と婚姻といった親戚間の婚姻であり、直接的な縁のない他国の公女を嫁に得た記述は、晋の趙衰が狄族出身の捕虜叔隗を娶ったことと、斉の高固が魯宣公に強要したものの2点しかありません。
それですら夫方の二家は母国で力を振るった家柄なのに、夏徵舒以前に陳の国政に関わった人間がいない、外国の凡庸な一家臣の家に公女を嫁入りさせる必要があったとは思えません。
身持ちの悪さで名高い斉の文姜でさえ、鄭・魯の一太子一国君との婚姻の話が持ちかけられたというのに、夏姫が実家でどれほど淫蕩であったとしても、鄭の公女である以上陳の家臣以外の婚姻先があるはずです。
故に、私は「繋年」の少コウ(夏姫)記事の方が信憑性のあるもの、と考えておりますが、いかがお思いでしょうか。



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