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枕流亭総合掲示板

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[110]漢文の参考書について 投稿者:コルテス

投稿日:2007年03月27日 (火) 05時29分

ご無沙汰しております。
今さらこのような質問をするのも恥ずかしいのですが、漢文の史書を読む上で勉強しておくとよい参考書はあるでしょうか?それとも漢和辞典を引きまくる方が早道なのでしょうか?大学・大学院の史学科ではどうような勉強法をしているのでしょう。ご意見をお聞かせください。

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[112]投稿者:NAGAICHI Naoto
投稿日:2007年04月07日 (土) 07時45分
お久しぶりです。長らく放置してしまいましてすみません。
しかし、管理人が適切なレスができる話題とは思えませんで、誰かほかの方がレスつけてくれないものかと、期待しておりましたが…。orz
漢文の参考書というと、むかし勧められたのが、西田太一郎『漢文の語法』(角川書店)ですかね。
いずれにせよ、漢籍史書を読むのに漢和辞典を引きまくることは、絶対必要にはなると思います。
中型の漢和辞典を常備しておき、それでも出てこない語彙は
『漢語大詞典』(上海辞書出版社)や諸橋轍次『大漢和辞典』(大修館書店)を引くというような手順のかたが多いように思います。

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[114]謝謝投稿者:コルテス
投稿日:2007年04月17日 (火) 22時04分
永一さん、レス有り難うございます。
『漢文の語法』、読んでみます。
中型の辞書というと、研究社の英和中辞典サイズのものでしょうか?

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[116]投稿者:NAGAICHI Naoto
投稿日:2007年04月22日 (日) 11時53分
そうですね、親字10000前後のものが、中型の漢和辞典ですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%A2%E5%92%8C%E8%BE%9E%E5%85%B8#.E4.BB.A3.E8.A1.A8.E7.9A.84.E3.81.AA.E6.BC.A2.E5.92.8C.E8.BE.9E.E5.85.B8
僕がいま使ってるのは、学研の『改訂新版漢字源』です。
あと、最近なら電子辞書の漢和という手もあるかもしれません。僕は持ってませんけど、部首(漢字の構成部品)での引きが良くなっているらしいですし。
http://www.densijiten.co.jp/column/column.php?column_id=20030910

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[117]どうも投稿者:コルテス
投稿日:2007年04月24日 (火) 13時22分
重ね重ね有り難うございます。
ところで戦国史で五代のシナリオを作成中とのことですが、永一さんからみた五代の魅力というのはどんなところにありますか?

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[119]投稿者:NAGAICHI Naoto
投稿日:2007年04月26日 (木) 19時52分
五代のシナリオ…は、いまは休眠中ですけどね。
五代はろくすっぽ知らないものですから、勉強してたんですが、その勉強も止まってます。(汗;)
魅力というか、あまり暮らすにいい時代ではないと思いますよ。
ただ前代の貴族のほとんどが淘汰されてしまったくらいには、社会的流動性がとても高かった時代なので、成り上がりには面白い時代だったろうとは思いますが。
僕は前世紀の黄巣の乱とウイグルの西遷がポイントで、とくに後者がユーラシア全土を揺り動かすきっかけになって、玉突きみたいに政権の交代が各地で起きまくったと見てますけど。そこらのダイナミズムは魅力といえば魅力でしょうか?

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[123]勉強法投稿者:方壺島主
投稿日:2007年05月06日 (日) 14時55分
 3月のスレに今頃お返事というのも恐縮ですが、僭越ながら自分の勉強法を紹介しますね。
 自分は就職の前後あたりから本格的に漢文を読み始めたのですが、それ以前から読んでいた岩波文庫などの中国古典の知識がベースとして大変有効でした。史書にしても、本文にも注釈にもたびたび引用がありますよね。毛詩や春秋、易などを引く場合は、篇名や年号などを省略して「詩云」「春秋云」「易曰」などとなります。礼記は「学記云」と、尚書は「説命曰」などとなりますが、その場合に『学記』が礼記の篇名であることや、説命が「閲命」になっていたり「商書」になっていてもすぐに理解できることが求められます。またそれらの引用文に関しても、必ず(できるだけ)原著に当たることが欠かせません。澣典などのWebツールも駆使して出典を特定し、広範な漢文世界を一歩一歩たどってみて下さい。そう聞くと途方もない気がして怖じ気づきそうですが、実際のところ頻繁に引用される古典はほぼ限られています。また多くの古人が愛誦した名文句であるからこそ避けて通るわけにはいきません。論語・老子・毛詩の諸篇・易の主な卦辞爻辞と繋辞伝・春秋左氏伝・礼記の諸篇・代表的な諸子などは史書の中で目にしたはずです。ほとんどが容易に訳書が見つけられると思いますので、さらりと当たっておいて損はありません。
 訳書と言えば、しっかりした現代語訳が出ている古典については、できるだけそれに当たるべきです。特に先秦の書はしかるべき解説・現代語訳に当たらないと読解不能。自分も最初の頃は「訳書がある古典」を訳読していました。まず自力で読んで訳してみて、それから訳書で調べてみる。迂遠な方策ですが、漢文力アップのためには欠かせません。史記の代表的な列伝、戦国策、八家文、十八史略、古文真宝、文章規範…などが入門者用テキストになるでしょうか。そのほか荘子・晏子春秋・韓詩外伝・新序・説苑・世説新語・蒙求…などの説話集スタイルの作品も読みやすく楽しいと思います。まずは基礎学力のアップです。
 非常に地味で遠回りな手法ですが、漢文読解のための必要なターム(熟語)や助語辞、文法、レトリック(文体・慣用表現・故事成語)を「体で覚える」ことで、単なる字引きとの格闘から開放されるはずです。「勘を養う」と言ってもよいでしょう。ちなみ字引きの話をしますと、いま自分が使っているものは、大修館の鎌田・米山共著『新版 漢語林』4版ですが、巻末附録に「同訓異義一覧」「主要句形解説」があります。ただし助字については巻頭に索引があるだけで、個々の助字について各字に当たって解説を読まなければいけません。旧版には巻末に助字の一覧があって、大変重宝していました。
 親字数で言えば、康煕字典があれば十分でしょう。熟語数では及びませんが、親字は約49,000で諸橋大漢和にほぼ匹敵。自分は上海文藝出版社の影印本を使っています。熟語の調査は澣典などを使ってDB検索したほうが早いし、字句の転倒・忌避・仮借・書き換えや字引きの活用法などについて、基礎学力を積んでいないと浩瀚な字典を持っていても意味がありません。
 ということで長々書きましたが、
 (1) まず史記の列伝と論語を読む。
 (2) 中規模漢和辞典を猛烈に駆使する。
 の2点から始めてみることをオススメします。
 詩賦文学・六朝駢文・近体詩・詔令文・唐宋伝奇・仏典などについては、また別の機会に。

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[125]島主さん、有り難うございます投稿者:コルテス
投稿日:2007年05月10日 (木) 06時17分
旧版の漢語林も探してみます。具体的に困るのは容貌の形容などで、イメージが湧きにくいんですね。私が読むのは晋書以降がほとんどなので、三国志の翻訳が一番役に立つでしょうか。

>永一さん
なるほど、異民族の動きの方に注目しているわけですね。

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[329]貴方の悩みを解決したいならこれ!運命を好転させます!投稿者:Furuta
投稿日:2009年07月05日 (日) 02時36分
初めまして、古田です。

上司の考えがわからない。
もっと昇進したいがどうしたらいいの?

職場の人間関係で悩んでいる。
いっそのことやめたい、転職したい。
転職に最適の時期、独立に最適の時期を知りたい。

そう考える貴方には電話占いのフォーチュンコールへ
貴方の悩みを取り除きます。

http://cmizer.com/movie/51618

[100]「列女」(?)伝の世界 投稿者:方壺島主

投稿日:2007年03月11日 (日) 19時42分

 書虫で〔梁〕釈宝唱『比丘尼伝校註』(中国仏教典籍選刊)を。
 なかなか面白いですよ。これによると、中国尼僧の初めを「晋の竹林寺の浄撿尼」(学術的には異論もあるらしい)とし、以下年代順に配列。もともと掌篇のため、参考資料として『釈氏六帖』や『仏祖統紀』なども附録。
 「家」中心社会の六朝中国において、「家」を捨て社会を捨てて宗教活動に専念した彼女たちの苦悩と意志が伝わり興味深いです。
 何后寺・道儀尼伝・十三
 道儀、本姓 賈、雁門・婁煩の人。慧遠の姑。
 (道儀は俗姓を賈といい、雁門は婁煩の出身であり、慧遠のおばであった)
 [中略]年七十八、疾に遇ひ已に篤くなれど、執心 弥々励み、誦念 殆む無し。
 (七十八歳の年、病を得て重篤に及んだが、病床にあってもますます求道に励み、仏経を唱え三宝を念じて休むことがなかった)
 弟子の請ひて曰く、「願はくは消息を加へよ。冀はくは勝損を蒙らんことを」と。
 (弟子が「どうかしばらくお休みください。まだまだ教えていただきたいことがたくさんございます」と懇願した。)
 答へて曰く、「宜しく言ふべき所に非らず」と。言 絶えて卒す。
 (道儀は「そんなことを口にするものではありません」と答え諭すように言い終わると、そのまま息を引き取った)

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[104]投稿者:NAGAICHI Naoto
投稿日:2007年03月14日 (水) 01時45分
ご紹介ありがとうございます。
比丘尼…なにやら仄かな萌えのかほりが…(違;
なにやら面白そうなので、書虫に注文してみました。

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[106]投稿者:NAGAICHI Naoto
投稿日:2007年03月16日 (金) 22時18分
『比丘尼伝校註』届きました。
弘農北岳妙相尼伝四
妙相は十五歳で北地の皇甫達にとつぐが、喪中に皇甫達に失礼のことがあって、妙相はこれをにくみ、離絶を求めることを告げ、出家を願い出た…。
女性側から離縁を求めた例、やっぱあるわけですね。
洛陽城東寺道馨尼伝九
竺道馨、本姓は羊、太山の人なり。
太山ってどこでしょ?泰山の羊氏の間違いじゃないのかなあ?

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[107]投稿者:むじん
投稿日:2007年03月17日 (土) 14時21分
太山は泰山と同じですね。『後漢書』は言うまでもなく『三国志』でも太山と表記されることは多いようですよ。

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[108]投稿者:NAGAICHI Naoto
投稿日:2007年03月18日 (日) 00時49分
ありがとうございます。やっぱり泰山羊氏だったんだ。

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[113]才女投稿者:方壺島主
投稿日:2007年04月11日 (水) 22時19分
 本日また書虫さんから納品があり、頼んでおいた『唐才子傳校箋』第一冊をパラパラ見てみたら、2巻の後半に才媛・妓女が紹介されてますね。まあ、『唐詩紀事』のどこそこに名が見えるとか、『全唐詩』の何巻に作品が載っているとか、そっけない記事も多いんですが。
 今回はほかに岑仲勉『唐人行第録』などの工具書を買ってみました。使えそうかどうか、まだ何とも言えませんです。

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[120]投稿者:NAGAICHI Naoto
投稿日:2007年04月26日 (木) 19時56分
『唐才子傳校箋』ですか。女性の伝記もあるんですね。
そういえば『唐会要』がどうとかもおっしゃってましたね。
いまは唐にハマっておられるんですか?

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[121]ぼちぼちですが投稿者:方壺島主
投稿日:2007年04月28日 (土) 22時33分
ええ、じつは。
寄暢園・話梅子さんの影響もあり、唐宋、特に唐代の文献をチラチラ読んどります。中華書局の唐宋史料筆記や古体小説叢刊、中外交通史籍叢刊、中国古代地理総志、太平広記、法苑珠林、貞観政要、新志…など資料集めはセッセと続けております。しかし勤めのほうもいろいろあって(業務委託とか合理化とか…)、ここ半年くらいは精根尽き果てている状況で、高尚の志を失いかけているのですが。
また『唐会要』や唐代詩家の別集を書虫に頼んでみました。お伝えできる情報を発見しましたら、またご連絡しますね。

[99]楽毅論 投稿者:生半可

投稿日:2007年03月09日 (金) 15時59分

の原文を手に入れたいのですが 表題は何を探せばよいですか。

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[101]夏侯玄投稿者:方壺島主
投稿日:2007年03月11日 (日) 20時46分
お捜しのは夏侯玄の『楽毅論』でしょうか。
ネットで読むなら、澣典で史記集解や藝文類聚などを検索。紙ベースなら二玄社や天来書院などの王羲之の法帖を見るのがよいのでは。
現代語訳なら小島にも。外字注意。

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[103]感謝投稿者:生半可
投稿日:2007年03月12日 (月) 08時20分
早速の情報感謝します。二玄社で購入したいと思います。

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[109]楽毅論投稿者:生半可
投稿日:2007年03月22日 (木) 11時42分
芸術新聞社の古典渉猟第九集に有りました。

[95]『興亡の世界史05』 投稿者:巫俊(ふしゅん)

投稿日:2007年02月21日 (水) 19時40分

著者:森安孝夫
副題:シルクロードと唐帝国
買ってきちゃいました。

しかし・・・
序章 本当の「自虐史観」とは何か
という章から始まり、西欧史と中国史の批判に熱心なのは初学者サービスなのだとしても、ソグド人をはじめ民族は混成されたものだから国旗・国歌の強制はよくないとか、趣旨が妙に政治的でした(笑)
歴史は政治を変える為という遺風を地で行く本なのかもしれません。
私は現行の国旗・国歌に疑問は持ってはいるのですが、民族という概念は嘘くさい物ではありますが、人々が帰属先の民族を自称したり他称している限りは、少なくともその人々の間で実在(!)している物と考えています。つまり国旗・国歌は民族を造り出すのになお有効であるとは、森安氏もどういう趣旨でか序文中で認めてしまっていることですが・・・
「民族」は社会の構成員の中に信じている人が多いと、宗教や呪術と同様に「実在」してしまうということなので、そこら辺を押さえておくと本章のソグド人という概念の虚実なども理解しやすいかなと思います。

民族なんて無かった→ソグド人は実在しない→ソグド人は史料の上に実在する→民族は我々にとっては実在する

さて、本章を読み進めたいと思いますが、ソグド人については素人同然なので色々教えて頂けると嬉しいです。

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[96]序章について投稿者:NAGAICHI Naoto
投稿日:2007年02月25日 (日) 00時31分
取り急ぎ序章に目を通してみました。森安孝夫さんという人の文章を読むのは初めてですが、なるほど政治的ともいえますね。
僕が連想するのは、『日本の歴史00 「日本」とは何か』(講談社)とか、『中国の歴史12 日本にとって中国とは何か』(講談社)とかで、やはり歴史は政治と無縁でないことを実感させる文章に出会えることです。やはり一家言持ってる人は、持論が文面に出てしまうんだなあ、と。しかし今回は、網野善彦氏なみの過激な説得力を持つ通史の中の「政治的」一文とは思えませんでしたけど。
西欧中心主義や中華中心主義の議論、あるいは「民族」や国民国家の議論も、それほど目新しいものとは思いませんでしたし。ただ「民族」の定義が曖昧なものであり、民族を血統や人種や言語で捉えると誤解を生むということを、一般向けに強調すること自体はそう悪くないと思いました。
森安氏も概念上の「民族」を否定しているわけではないと思います。ただ民族意識が強固に確立するのは、国民国家成立以降(近現代以降)であって、前近代の人々には民族意識や国家帰属意識は希薄だったという、歴史屋にとってはほとんど常識に類することを大上段から振りかぶってみせたのだと思います。ただ論の展開というか、提示の仕方は今イチこなれてない気がしましたけども。

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[98]胡僧投稿者:方壺島主
投稿日:2007年02月28日 (水) 22時22分
ソグド人と言えば、元代に両名の景教胡僧が大都を発し、一名はフランスに達し英国王に謁見した、という話がありますのう。景教碑の撰者・景浄も、『貞元新訂釈教目録』によれば胡語に通じたと言いますから、ソグド人だったのかも。幻の文明ではありますが、往時は東西文明の精華だったんですかいのう。何か面白いネタを発見されたらご教示くらはいまし。

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[105]投稿者:NAGAICHI Naoto
投稿日:2007年03月14日 (水) 02時08分
元代に景教僧がイングランド王に謁見…って、ソースどこなんでしょうか?アンテナに引っかかってこないです。
森安孝夫『興亡の世界史05 シルクロードと唐帝国』は、唐代のソグド・突厥・ウイグルを見るには、至極おもしろい本でした。一般向けのものとしては、そういう方面ではかなり詳しいですし、何より新しい研究を反映してます。いろいろ毀誉褒貶がありますが、唐代に興味ある向きには、買いであるとまとめておきます。

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[111]新潮選書投稿者:方壺島主
投稿日:2007年03月28日 (水) 23時13分
自分が読んだのは、那谷敏郎『十三世紀の西方見聞録』新潮社/1993年発行/ISBN4-10-600411-0です。新潮選書だし、内容もまじめなものでしたよ。原史料の発見と訳書の出版などについての経過は、この本のあとがきに記されています。
絶版本だと思いました。自分は楽天かどこかで落札した記憶が。

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[130]投稿者:
投稿日:2007年05月12日 (土) 04時27分
興亡の世界史の大日本帝国は朝鮮人の生姜が書くみたいです
思いっきり悪く書くんでしょうね

[80]はじめまして 投稿者:国姓爺

投稿日:2007年02月03日 (土) 22時56分

はじめまして。高校時代に中国史にハマり大学も東洋史専攻で
以来二十年、半ば中毒といってもいい状態です。大学では明代
を専攻してましたが、仏教美術が好きなので現在は六朝から隋唐
にかけての時代に興味があります。隋唐時代のサイトって少なく
なりましたよね。見つけても更新されてなかったりして、探すのに
苦労します(涙)。
これからもよろしくお願いします。

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[81]はじめまして!投稿者:李文明
投稿日:2007年02月04日 (日) 22時02分
国姓爺様、初めまして!
大学で、明朝の研究なさっていたのですか。
以前、日本放送教会の、番組で、軟禁されていた、故張学良将軍が、明朝の研究をしていて、「明朝の文献のみんなが見落としている事実がわかったけれど、教えないよ。」って、言っていたのを思い出しました。
私も、東洋史の、学究目指しています。
「天行健、君子自彊不息」で、頑張って参りましょう!^^;

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[83]投稿者:NAGAICHI Naoto
投稿日:2007年02月05日 (月) 21時58分
はじめまして。「枕流亭」管理人の永一です。大学で専攻したことはないので、ずっとアマチュア中国史好きを自称してます。物知らずのくせに、長〜い中国史を全部フォローしようと一昔前は意気ごんでましたが。最近は京都学派のいうところの古代・中世(唐以前)に興味が偏ってきてます。
斯界のネット草創期をご存知なんですかね。隋唐時代のサイトは、「大唐道楽館」さんも「凌煙閣」さんも更新停止されてますし、「AlquimistA」さん(旧・莫名洞さん)は動いておられるようですが、なんか方向性が変わっちゃっているみたいで、隋唐を語る場というと、2ちゃんの世界史板か中国英雄板の該当スレか、あとウチくらいしかないかなあ…。一時期より寂しくはなりましたね。

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[90]和とじ本投稿者:生半可
投稿日:2007年02月11日 (日) 11時52分
以前蔵の中を整理したら 明朝紀事本末なる本がありましたが
これは何でしょうか。
息子が後に二束三文で売り払いそうなので

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[91]「明史紀事本末」ではないですか。投稿者:李文明
投稿日:2007年02月11日 (日) 15時58分
生半可様、初めまして!
さて、お持ちの「明朝紀事本末」は、「明史紀事本末」ではないでしょうか?
和刻本でしょうか?
それとも、
「唐本」でしょうか?
「明史紀事本末」、「毛沢東読文史古籍批語集」に、同治年間江西書局発刊の抜粋が、毛沢東の書き込みとともに、収録されています。
選者は、清の、谷応泰という、人物です。

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[93]投稿者:NAGAICHI Naoto
投稿日:2007年02月12日 (月) 23時07分
『明朝紀事本末』八十巻は、清の谷応泰(1620-1690)の著を谷際科・谷際辰・安積信らが校訂した和刻本みたいですね。もとの『明史紀事本末』八十巻のほうは、順治十五年(1658)に谷応泰が私人の立場で完成させたものです。『明史稿』や『明史』の成立以前の史書として重視されてるようです。ただ明清交代のころの記述が少なかったらしく、彭孫貽が『明史紀事本末補編』五巻を作って補っています。

[79]「老蒋」など。 投稿者:李文明

投稿日:2007年02月02日 (金) 01時23分

NAGAICHI様、ご返事ありがとうございました!^^;
さて、古書を読んでいると、八路軍は、国民党から、「共匪」とか、「毛賊」(まおぜい)とか、呼ばれています。
八路軍が、優勢になると、国民党軍は、「蒋匪ぱん」とか、「国民党残匪」とか、呼ばれます。
昨年、中国でブレイクした、「暗算」という、共産党の特務機関の活動を描いた、テレビドラマで、「老蒋」(らおじゃん)という、表現がでてきました。
蒋介石のことですが、先日、台湾人の、留学生の女の子に、「老蒋」の、ニュアンスをたずねました。
説「「老蒋」は、台湾では悪い言葉ではありません。国民党兵士として、戦ったおじいさんたちが、なつかしさをこめて、「老蒋」と、いいます。あと、「先総統」という表現も、使います。」。
ということです。

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[82]投稿者:NAGAICHI Naoto
投稿日:2007年02月05日 (月) 21時32分
「匪」とか「賊」とかいう古色蒼然としたレッテルを貼っているあいだは、王朝意識が抜けてないんじゃないかという気もしますね。
あっと、八路軍は「国民革命軍第八路軍」の略称ですから、国共合作が崩壊したあとの1947年3月に人民解放軍に改組しています。国共内戦中の紅軍を八路軍とはふつう呼びません。
「老蒋」についてのご報告ありがとうございます。北伐後と抗日戦後の二度にわたって、名目上では中国を統一してる立役者ですし、歴史を生で知る人たちには格別の思い入れがあるでしょうね。

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[84]ありがとうございます!^^;投稿者:李文明
投稿日:2007年02月05日 (月) 23時32分
NAGAICHI様、御返事ありがとうございました!
それに、ご教示ありがとうございました!
「解放軍」、「抗日義勇軍」、「紅軍」、「八路軍」と、いろんな、呼び方が頭のなかで、錯綜しています。

さて、皆様、お手元に、「資治通鑑」は、お持ちでしょうか?
皆様、どんな、「資治通鑑」をお持ちですか?
私は、中華書局の、校点本と、改革出版の文白対訳を、持っていますが、実際読むときには、明治に出版された線装の、「山名本資治通鑑」で、読んでいます。
「日知録」や、「十七史商かく」、「二十二史考異」などからの、抜書きも、欄外にあります。
どなたか、津藩が発刊した、線装の「資治通鑑」を、お持ちではないですか?
200分冊くらいあるそうです。
句読はあるのでしょうか?
それとも、白文なのでしょうか?
御教示ください。

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[85]関係ないですが^^投稿者:巫俊(ふしゅん)
投稿日:2007年02月06日 (火) 00時42分
中国語学の大家として知られる藤堂明保は三重県の出身だったんですね。
たぶん津藩の藤堂一族かと。
他に藤堂一族というと、伊賀・伊勢・志摩の三国の地方誌『三国地誌』を書いた藤堂元甫がいます。

私は三重県に住んでいるので中国の地方誌を読んでも、現地の風景が見れないのが残念でならないのですが、江戸時代に書かれた『三国地誌』は私が唯一現地を歩いてまわれる地方誌なので、とにかくお気に入りです。
漢籍は素晴らしい。

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[86]存じませんでした。投稿者:李文明
投稿日:2007年02月06日 (火) 08時10分
藤堂明保先生、久仰大名です。
三重県のご出身なのですか。
存じませんでした。
ご一族は、藩儒とかなさっていたのでしょうか。

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[87]通鑑について投稿者:NAGAICHI Naoto
投稿日:2007年02月06日 (火) 19時50分
僕が持ってる『資治通鑑』は、中華書局の標点本ですね。
日本語訳本として平凡社や朝日新聞社の抄訳本も持ってますけど。
ほか『資治通鑑疑年録』とか『資治通鑑辞典』とか周辺工具書も持ってますが、あまり引いてません。
山名本は、ときどきネットオークションとかで流れているのを見ますが、手を出してません。
津藩が発刊したものというのは、僕も見たことがありませんので、分かりませんが、「山名本とは、みぎの津藩で刊行されたいわゆる伊勢版を底本として、山名留三郎が訓点を施したもの」(田中謙二『中国文明選1 資治通鑑』の解説)ということですから、山名本より前には訓点がなかったのではないかと思います。

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[88]藩学投稿者:巫俊(ふしゅん)
投稿日:2007年02月07日 (水) 01時30分
三重県立図書館のサイトで蔵書を検索してみましたが、
1836年の勝村治右衛門の『資治通鑑』がそれでしょうか。
この手のものは正確を期そうと調べていけばいくほど、版本が複数あったりするようなパターンも多いんで現時点では確定とは言えませんけど。

藩儒という言葉の定義が「藩の学問所で儒学を講義する先生」という意味になると、詳細など私の全く手のつけてない分野なのですが、藤堂一門は津藩のヒエラルキーの上層に位置していたので藩の学問所等に所蔵される漢籍にアクセスする機会も一部の人間に限られていたのだと思います。

同じ江戸時代の文献にしても、伊賀の町人が書いた『伊賀旧考』『伊乱記』のような虚実ないまぜの歴史地理文献よりは、藤堂元甫の『三国地誌』の方が精度が高いという事情などあります。
『伊乱記』というのは信長が伊賀を攻めた天正伊賀の乱の記録なのですが、どうも至るところに怪しい記述があるようで、町人ではアクセスできない藩の史料事情などにも由るのではないかと。

それにしても日本における『資治通鑑』の受容と大衆化に三重県の漢籍史料が関係しているとは思いもしませんでした。
まさに目から鱗です^^

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[89]さて、また、「通鑑」ですが。投稿者:李文明
投稿日:2007年02月07日 (水) 15時27分
NAGAICHI様、巫俊様、貴重なご教示、ありがとうございました。
さて、
また、「通鑑」、といっても、朱熹の「通鑑綱目」ですが、どうでしょうか。
司馬温公の、「資治通鑑」と、どちらの、和刻本が、先なのでしょうか。
貝原益軒の「大和俗訓」に、「史書のうち、「通鑑綱目」最もよし。繰り返し循環して、見るべし。」とあります。
東京、中野の文徳書房の、目録にも、掲載されていたのですが、詳しい年号は、忘れましたが、18世紀以前の年号でした。
ちなみに、
「大西郷全集」に、西郷隆盛が、沖永良部島に遠島になった際に、「通鑑綱目」を、持ち込んでいたと、ありました。

皆さんの、ご意見をお待ちしています。

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[92]通鑑綱目の和刻本投稿者:NAGAICHI Naoto
投稿日:2007年02月12日 (月) 22時33分
朱熹『資治通鑑綱目』五十九卷に明の南軒の『前編』二十五卷と明の商輅『續編』二十七卷が加えられた阿波藩本(阿波宮嶋屋伊左衞門等)というのがあるらしいです。これが文化六年(1809)の刊行らしいです。
ネタばらしをすると「全國漢籍データベース」
http://www.kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/kanseki/
で検索しただけなんですけども。
和刻本は通鑑より通鑑綱目のほうが古いということになりますかね。

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[94]またまた、『通鑑』ですが。投稿者:李文明
投稿日:2007年02月20日 (火) 07時41分
『山名本』の、訓点を施した、山名留三郎は、東京寄留三重県平民、と、奥付けに、書いてありました。
『伊勢版』に、訓点を施すことを、ライフワークにしていたのではと、思います。
どなたか、山名留三郎の詳細について、御教示願います。

[77]高!実在是高! 投稿者:李文明

投稿日:2007年01月31日 (水) 10時51分

皆様、はじめまして!
素晴らしいサイトですね!^^;
これから、お邪魔させていただきます。
今年の、センター試験、「竹葉亭雑記」、読んでいておもしろい話でしたね。
王従舜先生のネット書店「書虫」で、1050円で、買えますよ。

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[78]投稿者:NAGAICHI Naoto
投稿日:2007年02月01日 (木) 20時56分
どうもいらっしゃいませ。お初です。
「書虫」はときどき利用してます。
よろしくお願いします。

[75]センター試験 投稿者:生半可

投稿日:2007年01月22日 (月) 13時28分

宿直中にセンター試験の漢文のところに挑戦しました。一つ山を鳥と取り違え満点は取れませんでした。残念

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[76]投稿者:NAGAICHI Naoto
投稿日:2007年01月28日 (日) 20時21分
センター漢文は、姚元之『竹葉亭雑記』ですか。姚元之は、清の嘉慶・道光のころの人で、書画で知られてるみたいですね。
七言絶句の穴あきは、韻を踏んで合う字はどれかという問題でしょうね。

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[97]投稿者:李文明
投稿日:2007年02月25日 (日) 14時37分
皆様こんにちは!
『竹葉亭雑記』、いちおう、「書虫」に、注文してみました。
趙翼の、随筆との、合刊です。

[72]ぶしつけですみません 投稿者:ぽぽ

投稿日:2007年01月18日 (木) 18時33分

はじめまして。
中国の歴史に関してあることを探して、こちらに辿り着きました。
もしご存知の方がいらっしゃいましたら、お知恵を拝借できないかと思い、ぶしつけを承知で投稿しております。お気を悪くされたなら、どうぞお許しください。

後燕という国に関する調べごとなのですが、
後燕を立てたのは、拓跋氏ではなく慕容氏で合ってますでしょうか?
また、後燕の皇帝の中に「オンハン」という名の人がいるか、
どなたかご存じないでしょうか?
この<オンハン>が、正確に中国語なのか、韓国語なのかは定かではありません。また、漢字は分かりません。
或いは、もしかしたら、拓跋氏の中に(後燕と近い年代で拓跋氏の国となると、北魏になるのでしょうか)<オンハン>という名の皇帝がいたのかもしれませんが。

突然、意味の分からない質問で大変申し訳ありません。
もしくは、後燕の皇帝の名前が全て載っているような本などがあるなら、ご紹介頂ければ幸いです。

また、東穢という民族についてですが、
もしご存知の方がいらっしゃましたら、同様にお知恵を拝借できれば幸いに存じます。いつごろ、どこにいたのかくらいでいいのですが、日本のインターネットには全く情報が載っていないようです。

いずれも、本に出てきたことなのですが、本の内容が架空のものなのか、史実に基づいて書いているのかが分からずお尋ねしております。
長文、大変失礼いたしました。

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[73]投稿者:NAGAICHI Naoto
投稿日:2007年01月18日 (木) 19時33分
はじめまして。永一と申します。
何もぶしつけなことはないですよ、遠慮なさらず。
本の内容が架空のものなのか分からないというのは、ソースは小説かなにかでしょうか?

五胡十六国のひとつ後燕を立てたのは、慕容氏で合ってますよ。
後燕の皇帝は、うちのサイトのどこかにも書いてますが、初代が慕容垂(廟号は世祖)、二代目が慕容宝(廟号は烈宗)、三代目が慕容盛(廟号は中宗)、最後の四代目が慕容煕(諡号は昭文帝)です。あと開封公慕容詳という人と趙王慕容麟という人も称帝してます。

後燕の皇帝の名前が全て載っているような本となると、
三崎良章『五胡十六国−中国史上の民族大移動』(東方書店)をお勧めしておきます。
もし後燕の皇帝の名前が確認したいだけでしたら、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E7%87%95
で充分だと思います。
あと、このころの「オンハン」については、心当たりがありません。
「オンハン」というと、12世紀末のケレイトのトオリルの称(汪罕)を連想しますね。
「東穢」については、中国史畑の人間にはよく分かりません。中国正史中でも『梁書』高句驪伝の一カ所にしか出てきませんから。夫余・沃沮・貊などとならんで高句麗を形成した民族のひとつとしか言いようがないです。
あまりお役には立ててない回答と思いますが、ご参考まで。

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[74]ありがとうございました!投稿者:ぽぽ
投稿日:2007年01月18日 (木) 20時39分
永一さま
こんなに早くお返事を頂けるなんて、本当になんとお礼を申してよいのやら分かりません。
温かいお言葉までかけて頂き、本当にありがとうございました。

私が探していた<オンハン>に当たる人物は、どうやら慕容雲(高雲)という人物のことのようです。
お察しの通り、小説の中のことなので、本当のことなのか分からずここで質問させて頂きました。(作家が後燕を立てたのは拓跋氏だと書いたりしていたので。でもこれはミスなのだと思います。)
<高句麗出身の人物で、後燕の皇帝になった者>とお尋ねすればすぐにお分かり頂けたであろうに、質問の仕方を間違えました。すみません。

それと、東穢については、非常に参考になりました。
東穢が中国史の中に出てこないということを初めて知りました。
高句麗に関する文献にしか出てこないということですよね?
うーん、となると、高句麗について書かれてある文献や資料に直接当たらないと、東穢に関する真偽は分からないということですね。
もう少し、調べてみます。
本当にありがとうございました。

[65]はじめまして 投稿者:

投稿日:2007年01月13日 (土) 00時52分

私は中国人です 皆さんは 日本の方ですか えっと はじめまして よろしくお願いします 中国と日本の歴史は興味があるから
これから わからないことあるとき 皆さんにお教えっていただけませんかなと思います

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[66]投稿者:巫俊(ふしゅん)
投稿日:2007年01月13日 (土) 08時17分
你好!
初次見面,今后請多関照。
我是日本国民。
我正研究従夏殷到三国的中国歴史。

ところで「関照」は普通話で、意味は「よろしく」ですが、
台湾の漢文検索サイトで二十四史を全文検索しても、それらしいものは引っかかりません。
三国志演義などにも無いし、割りと新しい時代の口語なんでしょうか?

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[67]投稿者:
投稿日:2007年01月13日 (土) 19時51分
これは よくわかりませんが
康熙字典で調べって 関照という単語がみつかりませn 多分 清代以降 使われた単語だと思います
ちなみに 関照は関心と照顾(お世話に)の意味である  関心は日本語の関心からくれるだろうか

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[68]投稿者:
投稿日:2007年01月13日 (土) 19時59分
中国語の関心は日本から舶来の言葉だと思います

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[69]投稿者:むじん
投稿日:2007年01月15日 (月) 03時21分
ここで検索してみるといいかも。
現代語の辞典ですが、初出(?)の用例も出ています。
http://140.111.34.46/dict/

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[70]投稿者:NAGAICHI Naoto
投稿日:2007年01月17日 (水) 19時29分
呉さん、はじめまして。
なるほど、むじんさんの挙げてくださった「教育部國語辭典」では、
「知らせる」の意味で、劉鹗『老殘遊記』第三回の「到上房關照一聲,説,有先生來看病」の用例があり、
「面倒をみる/世話をする」の意味では、李伯元『文明小史』第五十一回「這裡上等艙毎房都有一個伺候的僕歐,茶水飲食都是他來關照」の用例があるということですね。清代以降というのは、当たっていそうです。

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[71]投稿者:
投稿日:2007年01月17日 (水) 20時52分
有難うございました 大変勉強になりました
大家都如此的博学多认识 让在下自叹弗如了




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