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枕流亭総合掲示板

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[57]あけましておめでとうございます 投稿者:曹徳

投稿日:2007年01月04日 (木) 02時24分

こんばんは!
あけましておめでとうございます。
先日は当サイトにお越し下さいましてありがとうございます。とても嬉しかったです。これから寒い季節となりますが、体調くずされませんように。今後ともよろしくお願いします。
NAGAICHI様にとって、今年も幸多い年でありますように。
では失礼致します。

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[60]投稿者:NAGAICHI Naoto
投稿日:2007年01月05日 (金) 21時29分
どうも、ありがとうございます。いや、体調は年末から崩しっぱなしです。喉がやられてたんですが、さらに鼻まで通らなくなってきました。それでいて酒は呑むわ、餅ばっかり食うわって自分というのも懲りないもんで。今年もよろしくお願いします。

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[61]お身体お大事に投稿者:曹徳
投稿日:2007年01月06日 (土) 14時48分
早速のレスありがとうございます。
体調悪いンですね。大丈夫ですか?
今年はノロが大流行し、会社でも数人長期休暇に入っておりましたよ。風邪もなかなか治らないようで、僕も12月はず〜〜っとコンコンやってましたね。とにかくあたたかくされて、充分な睡眠をお取り下さいませ。
早くよくなりますように。

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[62]投稿者:NAGAICHI Naoto
投稿日:2007年01月06日 (土) 19時07分
どうも恐縮です。ビタミン取って暖かくしてよく寝るのが、風邪には一番だと、自分でも分かってはいるんですけどね(^^;)。不養生なもので。なるべく早めに治せるようにします。

[54]あけましておめでとうございます 投稿者:石野陽虎

投稿日:2007年01月01日 (月) 20時52分

ごぶさたしてます。
本年もどうぞよろしくお願いします♪

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[56]投稿者:NAGAICHI Naoto
投稿日:2007年01月02日 (火) 13時22分
新年おめでとうございます。
こちらこそ本年よろしくお願いします。
のちほどそちらにも挨拶に上がらせていただきます。

[53]人名の非異 投稿者:生半可

投稿日:2006年12月25日 (月) 13時18分

雍正帝珠批諭旨の中で 金偏が 雍正帝漢文諭旨匯編の中では王偏に作る人名があります。同一でよいのか迷っています。人名辞典のようなもので区別するのでしょうか。
燐 の火の変わりに 金 または 王なのですが。
雍正帝漢文諭旨匯編の中では 馬匹を売り払い革職の諭旨が出た。時期不明。
雍正帝珠批諭旨の中では奏摺の時期は明らかで厳しく責められています。

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[55]投稿者:NAGAICHI Naoto
投稿日:2007年01月02日 (火) 13時12分
原文が確認できないので、よく分かりませんが、鏻を璘と作る例はあるようです。たとえば
http://zh.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E5%BB%B6%E9%92%A7
とか。

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[58]投稿者:生半可
投稿日:2007年01月05日 (金) 09時31分
雍正帝栴批諭旨

雍正三年四月二十四日河南南陽総兵官臣佟
世(金+燐のつくり)謹

・・・・・

雍正帝漢文諭旨匯編

諭兵部河南総兵官佟世(王+燐のつくり)・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
甚属溺職著将佟世(王+燐のつくり)革職其南陽
総兵・・・

こんな感じです。

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[59]投稿者:NAGAICHI Naoto
投稿日:2007年01月05日 (金) 21時21分
同じ雍正年間で同じ河南南陽総兵官の職にある佟世×さんなら同一人物だと思いますけどね。100%絶対とは言いませんが、蓋然性はきわめて高いと思います。

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[63]同一人物なら偏などは流動的?投稿者:生半可
投稿日:2007年01月08日 (月) 13時05分
雍正帝珠批諭旨の出版は雍正帝の治世の後期で雍正帝漢文諭旨匯編の中の諭旨は同時代の文献の複写だから書写の人間は違う。
出版を命じられて整理した書紀の方が後代のひとではあるが本物を見て整理している。
雍正帝漢文諭旨匯編の方は某に諭旨を出せといわれて上諭を作り、雍正帝の検閲を受けているわけだから 

偏などはどうでも良いとされていたのですかね。

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[64]投稿者:NAGAICHI Naoto
投稿日:2007年01月09日 (火) 20時31分
どうでも良かったとは思いませんが、単なる誤字か、もしくは避字する理由があったか、だと思いますけどね。

[47]はじめまして。 投稿者:あき

投稿日:2006年12月09日 (土) 16時09分

突然ですが、晋代の女性の衣装(画像)を探しています。
荀灌をテーマに漫画を描きたいのですが…探し物ベタなせいでなかなか発見できません!
場違いかも知れませんが、お勧めの資料などありましたら、よろしくお願いします。

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[49]投稿者:NAGAICHI Naoto
投稿日:2006年12月10日 (日) 07時10分
こちらこそはじめまして。管理人の永一です。

「三国志ファンのためのサポート掲示板」のこのツリーは参考になりますね。
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=1550
あと香港のサイトで「歴代佳人時世救」とか。
http://hk.geocities.com/vinnelung/
書籍購入をお考えならこのへんを当たってみるとかどうでしょう。
http://www.ato-shoten.co.jp/ato-osusume/osu021.html

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[50]ありがとうございます投稿者:あき
投稿日:2006年12月11日 (月) 01時02分
とってもとても参考になりました!

やっぱり調べるからには中国語は必修でしょうか(汗
とりあえず日本語の書籍のほうから調べていきたいです。

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[51]日本語から探すと楽かと投稿者:巫俊(ふしゅん)
投稿日:2006年12月11日 (月) 10時14分
こんにちは。

漢代や南北朝時代の女性の衣装(画像)だったら、探せばそれ相応の数は見つかると思います。
具体的に晋朝の女性の衣装を探そうと思ったことは無いんで、そこら辺の詳細なところは分かりませんけれど。

ついでながら、あきさんが探しておられるのは、「晋代」のものですか?
それとも「晋朝」のもの?

「晋代」のものであれば、江南の国家・東晋の周辺にあった異民族国家のものも参照することが可能です。
といっても、私は高句麗に亡命した西晋人の楽浪太守冬寿の墓の、冬寿夫人と召使いの女性の肖像画くらいしか心当たりが無いんですけど。

『高句麗壁画古墳』という本に詳しく載っています。
夫人はきらびやかな衣装に髪飾りをしていて太っており、召使いの女性は白い布の服を着ていて痩せていました。

[46]購入年月日 投稿者:生半可

投稿日:2006年11月30日 (木) 11時44分

雍正帝珠批諭旨のコピーが送付されました。大阪府立図書館 大正五年四月十日の朱色の印が押してありました。

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[48]投稿者:NAGAICHI Naoto
投稿日:2006年12月10日 (日) 06時59分
九十年前に図書館に入れられた本ですか。開架に置かれてなかった本だったりとか。

[38]漢籍の寄贈 投稿者:生半可

投稿日:2006年11月07日 (火) 10時12分

雍正帝漢文諭旨匯編が宝の持ち腐れ。理系なので出身校に寄付しても利用は皆無。県立図書館に寄付すれば利用効率が増えますか。

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[41]投稿者:NAGAICHI Naoto
投稿日:2006年11月08日 (水) 06時45分
図書館に置いても、あまり回転率のいい本ではなさそうですね。(^_^;)
古本屋に流すか、ネットオークションにでもかけるか、どちらかをオススメします。
宝の持ち腐れといえば、ウチの蔵書なんかほとんどそうですが、本が捨てられない性質で。歴史資料というのは、勢いこんで通読するものではなく、興味に応じて引くものだと思っています…と言い訳。

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[43]寄贈図書投稿者:方壺島主
投稿日:2006年11月12日 (日) 13時24分
おじゃまします。
公立図書館への「寄贈」についてアドバイスをば。
公立図書館の中には寄贈を受けつけないところも多いのでご注意を。それぞれの図書館が独自の購入計画・蔵書構成を作って購入を進めていますので、「持ち込み」には消極的な態度を取る場合が多いと思います。結果的に、〈寄贈者〉善かれと思って持っていく→〈図書館〉迷惑そうな態度→〈寄贈者〉憤慨!!という、双方にとって不幸な結末に。
寄贈を予定している図書館員と仲良くなって、それとなく寄贈を持ちかけ、受入れの準備をしといてもらう…ということができれば話しは別ですが。
公立図書館の中には比較的に「寄贈に前向き」なところもありますが、見極めが難しい。多くのところでは寄贈本は市民団体に譲って、「バザー」に出品→売れ残りは「焼却場」へ。
少し詳しく説明しますと、「外国書(中文書含む)=ISBNが4から始まられない本」の受入れは、公立図書館が最もいやがるところ。いまや図書館員のほとんどが書誌&目録データを手作業で録ることができないので、寄贈されても持て余すからです。その結果、「こんな本入れても動かないから」とかの言い訳を作って逃避すると。
「動き=利用率」で言えば、例えば図書館が押し頂いている、明治の文学者の全集なんか、それこそ動かない。だけど、公共の図書館として「置いとかないわけにはいかない本」というのがあるわけだから、動かない本でも置いておくことは理解できる。
生半可学兄の『雍正帝漢文諭旨匯編』も貴重な資料ですから、公立図書館が置く意義は十分高いと思います。しかしたぶんほとんどの図書館の図書館員にはその価値が解らない。もし解っても、他の本=蔵書構成とそぐわない。その両方のハードルを飛び越えてでも「受け入れましょう」と言ってくれる図書館が果たしてあるか…。もしあったら、利用者として命がけでそういう図書館を守ってあげてね。
と、いうことで、自分も永一学兄同様、今は「宝の持ち腐れ」でも気が向くまで所蔵してるというのを提唱。自分も蔵書の大半が死蔵本ですわい。善い本が自宅の本棚に並んでいる、ということだけでも価値あり。
あ、その本が清代以前の所謂「古典籍」の場合は話しは別ですよ。古典籍は資料保存の義務が所有者に課せられているとお考えください。保存しきれないと判断された場合にはすみやかに専門店などへ流して、技術のあるコレクターの手へ。

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[44]ご教授感謝投稿者:生半可
投稿日:2006年11月12日 (日) 19時57分
おおよそ分かりました。息子はまったく興味が無いので死蔵。その後
古本屋に行く運命のようです。県立の館長は高校の後輩で嫌とは言わせませんが ご教授のようでは つまらない。

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[45]投稿者:tomohiro
投稿日:2006年11月14日 (火) 08時54分
寄贈ですが、私の地元の公立図書館は
クラシック・ジャズ以外のcdの寄贈をすでに
打ち切りました。
寄贈の基準も年々難しくなるなと思っている今日この頃です。

[32]渤海に対しての皆様の考えは? 投稿者:tomohiro

投稿日:2006年11月05日 (日) 19時32分

この、文章を読んでいる皆様、
渤海という国が東アジアの中国東北部にあったことを御存知でしょう。
この国をある人は朝鮮史の扱いにしたり、他の人は中国史の扱いで見ることが多いです。
どちらなのでしょうか。
私自身、高句麗以上に中国の要素が強いようにも思います。
私が一番信じたくないのは主にrussiaの学者が唱えている、極東少数民族の部族国家説です。

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[34]渤海の帰属投稿者:NAGAICHI Naoto
投稿日:2006年11月06日 (月) 19時01分
では、つたない私見をば開陳。
高句麗でも渤海でもですが、現代の国家の枠組みを過去に持ち込んで、中国だ朝鮮・韓国だという(政治的)争いには、僕は口をはさむつもりがありません。渤海大氏が靺鞨人なのか高句麗人なのかを論争するならまだしもですけどね。
渤海国は朝鮮史としても中国史としても語りうる文脈を持っていると思います。唐朝からの多大な影響とか、靺鞨が満族の祖先であるとかでも語れるでしょうし、あるいは渤海遺民が高麗に流れ込んだとか、渤海王族の大道秀が高麗の将軍になったとか、太姓をもらったとかでも語れるでしょう。どちらかいっぽうの文脈を封殺しようとは思いません。こんなとこでしょうか。

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[37]グラシアス投稿者:tomohiro
投稿日:2006年11月07日 (火) 08時23分
ご意見どうも有り難う御座いました。
ここもいろいろ考えられる国ですよね。
其れだから興味をそそられるのです。

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[40]朝鮮史投稿者:巫俊(ふしゅん)
投稿日:2006年11月07日 (火) 11時44分
日本の朝廷が蝦夷を討伐して東北の地を略したように、
新羅の朝廷は靺鞨人の夷狄を討伐して平壌以北の「未開野蛮」の地を版図に組み込んだことを意識すると、この問題が理解しやすくなると思います。
その文脈でこそ、新羅→高麗→朝鮮→韓国と継続してきた半島史が理解できるかと。

渤海は(新羅にとって)「未開野蛮」な靺鞨人の更に北に建国した国家ですからね。
高麗は渤海人を従えて北進政策を継続し、モンゴル時代は平壌以北を元朝の征東行中書省に支配されましたが、
モンゴル軍司令官で女真人の李ウルスブハの息子の李成桂が高麗を簒奪します。

そうして成立した朝鮮史という枠組み自体が、中国文化を朝鮮ナイズしたものを中心にして、
辺境地域に居住する多くの民族をその「王化」に服させることで初めて成立したという性格を意識する必要があります。

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[115]投稿者:xxx氏
投稿日:2007年04月20日 (金) 00時46分
「ローマ帝国は、ドイツ史で扱うべきかフランス史で扱うべきか?」
という問題を、まずは考えてみてください。
その上で、「どちらでしょうか。」という問いに意味があるかどうか
お考えください。

[30]お願い事 投稿者:Kay

投稿日:2006年11月04日 (土) 19時53分

どうもお久しぶりです。
最近、中国史/光武帝への熱意が徐々に盛り返しているところです。

光武帝や劉秀などのキーワードでGoogle検索して、
一ページ目に表示されるように考えています。
ウチのサイト、なぜかGoogleに嫌われているらしくて……
たぶんトップページが二つに割れていたせいと思うのです。
それでリンクを
http://www.geocities.jp/kaysak864/s-china.htm
から、

http://www.geocities.jp/kaysak864/

変更お願いできますか?

劉秀のキーワードで検索すると、
私のサイトも引用もしくは影響と思われる記述のブログなどちらほら見つかり、
それ、そのまま丸ごと信じていいのか!? と思いつつ、
断然やる気が出てきています。
みんな割と最近のものらしいのがなんとも不思議です。

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[31]変更完了投稿者:NAGAICHI Naoto
投稿日:2006年11月05日 (日) 18時47分
お久しぶりです。リンク変更完了しました。
Kayさんのとこの光武帝の紹介はけっこう影響力ありますよ。僕もちらほら目にしたことありますし。光武帝(武侠?)小説期待してますよ〜。

Google検索の掲載順位もよく分からないですね。
むかしそのページに対して貼られてるリンク数に比例とか聞いたことありましたが。
Wikipediaがトップにくるのはいいことだと思いますが、逆にGoogle八分とかいう例もあるらしく。
うちは「中国史」のキーワードだと、なんとか一ページ目に表示されてます。今のとこ。

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[33]謝謝です投稿者:Kay
投稿日:2006年11月05日 (日) 23時09分
ブログの「リンク集」の方もいいですか?
後は誰がリンクしてくれてたっけ……
思いつく限り回ってみます。

しかし、ほんとにびっくりしました。
Googleで光武帝で検索して出てくる7番目のブログ
404 Blog Not Found
って、danさんなんですよね。(笑)

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[35]投稿者:NAGAICHI Naoto
投稿日:2006年11月06日 (月) 19時15分
ブログのほう忘れてました。直しました。
dan@天気屋さん、、、あっ、本当だ。懐かしいー。
おやおやグレッグ・イーガンとかサイバーパンクとか語ってるではないですか。

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[36]投稿者:むじん
投稿日:2006年11月07日 (火) 01時16分
ええっ、falling TO the skyのdanさんって小飼弾さんだったんですか?ちょー驚きなんですが…。

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[39]投稿者:巫俊(ふしゅん)
投稿日:2006年11月07日 (火) 10時50分
えええ?本当に同じ人?
と思いましたが、404 Blog Not Foundさんのブログには確かに光武帝の記事があり、長年ダン@天気屋さんと漢代史の意見を交換されてたKayさんには、在りし日のダン@天気屋さんの印象と一致するというのも頷けます。

漢代のサイトを休止されてからは、プログラマとして活躍されてたんですね。

・追記
はっ・・・まさか留置所のホリエモンに『史記』を薦めたのはダンさんなのでは??

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[42]投稿者:NAGAICHI Naoto
投稿日:2006年11月08日 (水) 06時56分
そっか、そういうお人でしたかね。
中国のローマ人とかおヒゲの劉秀4コマとか懐かしい。

[26]雍正帝〔石朱)批諭旨 投稿者:生半可

投稿日:2006年10月22日 (日) 23時26分

宮崎市定著 雍正帝の中に上記の文献が載っていた。
雍正帝漢文諭旨匯編を購入したが無かった。題名の文献の閲覧または
購入したく、情報がありましたらお教えください。

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[27]硃批諭旨の所蔵について投稿者:Guang-Bi
投稿日:2006年10月25日 (水) 20時37分
横から失礼します(^^;)

件の文献ですが、全國漢籍データベース( http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/kanseki/ )で検索してみました。

検索結果
http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/kanseki?query=%E7%A1%83%E6%89%B9%E8%AB%AD%E6%97%A8

この内、京都大学人文科学研究所所蔵の1点だけ画像付きのものがありますので、どんなものか雰囲気は分かるかと。
http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/kanseki?record=data/FA019705/tagged/0113010.dat&back=1

それで、我が(?)大阪府立中之島図書館所蔵本も、チラッとだけ確認したところでは、たぶん上のものと同じじゃないかなぁという感じはしました。書誌学の素人の目ではありますが…。
http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/kanseki?record=data/FA012750/tagged/00630001.dat&back=1

なお、中之島図書館は公共図書館なので、紹介状とか一切不用で閲覧できますし、普通にコピーもできます。(遠方の方はお手紙で依頼していただくことも可)
もっとも、全部で112冊ありますので、かなり費用がかかりそうですが…

それ以外には、清末民国期の石印本や影印本もあるみたいですので、こちらでしたら、中国書を扱っている古本屋さんなどを探し回ったら見つかるのかもしれません。

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[28]情報有難うございます。投稿者:生半可
投稿日:2006年10月26日 (木) 09時04分
全部が欲しいのでなく 宮崎市定著に抜粋してあるものの原文が見たかったので、抜書きしてコピーを依頼できるものか問い合わせて見ます。有難う。

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[29]蛇足投稿者:NAGAICHI Naoto
投稿日:2006年10月27日 (金) 03時06分
Guang-Biさんの丁寧なレスがあったので蛇足になりますが、台湾で1965年に出版された『雍正硃批諭旨』(文海出版社)というのがあるらしいですね。

[25]分かんねっす 投稿者:NAGAICHI Naoto

投稿日:2006年10月17日 (火) 23時10分

秦代の義渠(北地郡治)は現在の甘粛省鎮原県の東で、漢代以降の安定郡安武は鎮原県の西南に位置しているので、近いですね。
秦の昭襄王が義渠を平定したから安武と命名したという説は、史料的根拠はないですが、面白いです。
趙高の君号に由来して安定郡安武という地名が生まれたとするなら、趙高とその土地との縁が考えられないと苦しいです。封土がないなら列侯(徹侯)だったということですね。

劉邦の安武侯のほうは、もし地名であるとするなら、襄樊に近いほうの南漳の安武だと思います。ほかの可能性もありますけど。
しかし、雲をつかむような話になってきましたね。




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