生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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見えてきたマサノブ教の本質批判 (中村晃生氏) (3310)
日時:2014年02月27日 (木) 12時44分
名前:サーチャー


<光明掲示板>
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見えてきたマサノブ教の本質批判@ (5651)
日時:2014年02月18日 (火) 11時18分
名前:中村晃生

<雅春先生の教えへの反逆=革命的な意味を持つ「森のオフィス」>

マサノブ氏が「40年に一度の教団の変革」と銘打ち、昨年10月に「10年間の準備」を経
て、満を持して断行した八ヶ岳への「生長の家」教団の国際本部の移転は、その後、ご神
像の移転、原宿本部の解体など次々と目をそむけるような「変革」が実施され、ここ数カ
月で大体のマサノブ氏の目論見――本当は何を意図しているのか――が見えてきました。

彼は、なかなかの策略家であり(そのバックには誰か別の人間、あるいは悪霊の指導があ
ると推測されますが)、いずれにせよ事象を単独で見るのではなく、全体的に捕えないと、
彼の本当の目指すものを見抜けません。私はこの半年間、静かに彼のなすことを見てきま
した。年も改まったことで、今回は彼の生長の家の「変革運動」が、一体何であったのか、
何を目指していたのか、また我々「本流の人々」はそれにどう対処すべきなのかを、彼の
ブログなどを元に、一連の連載の中で明らかにし、総括的に論じたいと思います。


<改めて「森のオフィス」移転の理由を見てみよう>

私は、これまでの「森のオフィス」批判論考の中で、次のように論じました。

>彼は3月1日の「新しい運動を創化しよう」と題した彼のブログの中で――「すでに皆
さんもご存じの通り、生長の家は昭和5年3月1日の日付で発行された『生長の家』創刊
号をもって立教としています。それから83年がたっているのであります。私は昨年11月
のブログの記事で、“40年変革説”というのを唱えたのであります。つまり、生長の家の
歴史を振り返ると、だいたい40年ぐらいを節目として、運動の中心拠点の移転を伴うよ
うな大きな変化が起きているということです。

1回目は、創始者・谷口雅春先生が東京から長崎へ移住された昭和50年(1975年)で、そ
れから38年たったのが今年です。まだ40年には至りませんが、“森の中のオフィス”で
の業務開始は7カ月後の10月ですし、それにともなう運動年度の変更などが今後の運動
に定着するまでには、あと2年はかかるだろうと思います。」――と書いています。

つまり、今秋の「森のオフィス」への移転は、彼が言うような単なる「国際進行本部」の
移転でも、「自然と人間の大調和」を図ることにあるのでもないということです。敢えて
誰も唱えていない“40年変革説”を持ち出したのも、「森のオフィス」移転を正当化させ
たいからに過ぎません。こうした彼の得意な「まやかしの論理」が、これからも横行する
と思われます。皆さん騙されないようにしましょう!。この本当の意図は――オジイチャ
ンが創設した「生長の家」を利用し、それを偽装しつつマサノブ氏個人の100%言いなり
になる「反日環境団体」を作る――ことにあります<

この時に論じた通りの展開が、10月の「森のオフィス」移転に伴い次々と出現して来て
います。その一つが原宿の本部会館に安置してあった住吉大神の「ご神像」の撤去作業で
あります。私たち信徒を見守って頂きましたご本尊である「生長の家の大神」の「ご神像」
が、信仰心の全くない人々によって八ヶ岳に撤去され、あろうことか今や「森のオフィス」
の広場に単なる「彫像」として風雨の中に放置されています。酷い扱いです。最早マサノ
ブ氏は、信仰心が「爪のカケラ」でもあるのであれば、恥ずかしくて「生長の家の総裁」
などと自称できないはずです!

もう一つが原宿の本部会館の解体作業です。このことは既に10年前からのマサノブ氏の
既定路線(当時、巷間では森ビルへの売却が噂されていた)であり、いわば遅きに失した
と言ってもよいほどのことでした。ビルを解体し、売却しなければ、信者の大量退会が続
いている今の教団には、他に大きな資金源が無いでありましょう。

マサノブ教団の延命作戦とでも言えるのかもしれません。

こうした事象は、この掲示板で多くの人々が指摘しているように、マサノブ氏の単なる「変
革」ならぬ「革命」運動であることを、我々は改めて心に銘記しなければなりません。

その意味で私は今後、八ヶ岳教団を「マサノブ教団」、マサノブ氏のことを「総裁」では
なく「マサノブ教祖」と呼びたいと思います(つまりマサノブ教は、谷口雅春先生が創立
された「生長の家」とは全く無関係の、宗教にあらざる反日環境団体に過ぎないからです)。

「総裁」と呼ぶから、まだ迷っている多くの信徒を始めとする皆が、「生長の家」の「総
裁」と勘違いするわけです。
「マサノブ教祖」と言えば、もはや「生長の家」とは無関係の新しい教団であることが理
解して頂けるでしょう。

私たちの本当の戦いは、実態が全く変わっているのに、未だに「生長の家」を自称し、偽
装し続けるこの「マサノブ教団」との戦いなのです。そしてその「化けの皮」を白日の下
に剥いで、人々に実態を明らかにすることなのです。

昨年、マサノブ教は、「生長の家」の存在理由(レーゾンデトル)とも言える「人類光明
化運動」と「鎮護国家」を、いとも簡単に捨て去りました。マサノブ教は、もうこの時点
で谷口雅春先生創立の「生長の家」では完全になくなったのです(したがって住吉大神な
どの正神の加護もありません)。

後は、マサノブ氏は(本人にその自覚があるかどうかは別として)悪霊の言うなりになっ
て行きました。その後は最早ズブズブ状態です。

信仰心のカケラがあるならば、到底できないような「ご神像」に対する酷い仕打ち、全国
の信徒の浄財で建設された本部会館の無残な解体――にまで至るのであります(彼には多
くの信徒の嘆きなど全く意に介さないように見えます)。つまり彼は「生長の家の法灯継
承者」はおろか、宗教者としての資格はゼロなのです。

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見えてきたマサノブ教の本質批判A (3311)
日時:2014年02月27日 (木) 12時54分
名前:サーチャー


<光明掲示板>
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見えてきたマサノブ教の本質批判A (5933)
日時:2014年02月27日 (木) 10時21分
名前:中村晃生

<喜びの無い教団=新年の挨拶がマサノブ教の本質そのものを示している>

今年の新年の挨拶が載ったマサノブ氏のブログを見て多くの人々が、改めて「唖然」とし
たとの感想を寄せています。それは前もって録画していたはずの新年用の信徒向けの挨拶
であったのですが、何とも味気ないものでした。


まず正面の演壇のバックには谷口雅春先生が書かかれた「実相」の御軸が掲げてありませ
んでした(おそらくマサノブ教では、これからも「実相」の御軸は無くすのでしょう)。
したがって、背後には単調な雑木林の雪景色がガラス越しに見えるだけ。そこにぽつねん
と原稿用紙を演壇の前に置いて立ったマサノブ氏が、氷ついたような硬い表情で抑揚のな
い挨拶を述べていました。


私には、彼の硬い表情が、彼のやっていることの全てを物語っているように思えました。

だって皆さん、本来は「目出度い」はずの新年の挨拶ですよ。なぜこの人には笑顔一つ出
てこないのでしょう?ある人に言わせれば「病気を患っているのでは」とのことです。確
かに肉体的にはどうか分かりませんが、精神的に病んでいるのは事実でしょうネ。顔だけ
でなく体全体から、そんな暗い雰囲気をかもし出しています。


「学ぶ会」の会合では、どこに行っても皆さん笑顔で迎えるし、合掌しての「ありがとう
ございます!」はみんなで元気いっぱいに唱えられます。それでこそ「生長の家」の会合
の本来の姿でしょう。


彼の硬い表情には、理由があります。

つまり彼自身が、表面上は「生長の家総裁」と自称し、一般信徒をだますために「総裁」
を懸命に演じていても――彼自身の心が楽しくない、喜んでいないから――嬉しそうな表
情が出てこないのです(心は正直なもので、ダマスことはできません!)。自分が「総裁」
を演じながら、「生長の家創立者」の谷口雅春先生に実際は反逆を起こしている――その
ことを神様が喜んでいない――ことを、無意識に感じているからではないでしょうか?


私たちは人さまから喜ばれることをすれば、私たち自身が嬉しくなります。それが神様が
喜ぶことをするとなればなおさらです――嬉しくて嬉しくて仕方がなくなる――もので
す。ですから笑顔は、努力しなくても自然とこみ上げて来るのです。喜びが心の中から出
てくる――それが、「宗教家」の信仰者の本当のあり方でしょう。


マサノブ氏の「森のオフィス」構想は、10年来温めてきた彼の革命戦略でした。本来な
らば、夢が実現した訳ですから嬉しいはずなのに、彼の顔には笑顔一つ出てきません。
やはり深層心理は隠せないのです。自分自身ももちろん、神様が喜んでいない――それが
「森のオフィス」の実態なのです。


挨拶は、相変わらずの「自然と人間の共生」の話が中心。しかも「建設工事にもかかわら
ずキノコがたくさん採れた(??)」と、自画自賛する内容でした。最初と最後に申し訳
程度に胸の前で合掌して「ありがとうございます」と言ったのが、唯一の「生長の家」の
名残でしょうか。


あと映像で気になったのが、最初の方に鹿の死骸の写真が出てくること。なぜ目出度いハ
ズの新年の挨拶に、わざわざこんな縁起の悪い写真を載せるのでしょう?

(あるいは雅春先生の教えの抹殺を象徴しているのでしょうか?)。

こうしたチグハグなところにマサノブ教の真の姿が象徴されている気がしました。

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見えてきたマサノブ教の本質批判B (3318)
日時:2014年02月28日 (金) 14時57分
名前:サーチャー


<光明掲示板>
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見えてきたマサノブ教の本質批判B (5967)
日時:2014年02月28日 (金) 10時06分
名前:中村晃生

<守るべき法(教え)を失ったマサノブ教――後は反日環境団体に堕するのみ>


>生長の家総本山を“聖地”と呼ばせない」と言ってのけた谷口雅宣総裁は、とうとう、3
月1日の立教式典において、褒章者は、顕斎殿の壇上に靴履きで登壇するよう指示したも
ようです<

とのニュースには、私もビックリしました!


「もはやマサノブ教団は、行くところまで行ってしまった」――との感を強くしました。
でも、良く考えてみれば、この教団は「革命」行動としての「森のオフィス」移転以降は
最早、谷口雅春先生創立の「生長の家」ではありませんし(もちろん看板だけは外しませ
んが、中身の問題です)、その意味では「生長の家」としての守るべきものは何もない存
在になってしまっているので、当然の結果なのかもしれません。

宗教団体というものは、教祖の教えの厳守はもちろんのこと、その継承者および指導者の
権威、カリスマ性を守るために、厳しい修業をそれぞれに課し、信者もそれなりの行を行
うことで成り立っているものです。

しかし、今のマサノブ教には、このいずれも存在しません。ましてや自称「法灯継承者」
であるマサノブ総裁自身が行をしないのですから、何をか言わんやです。

@マサノブ教祖は、遊び半分のセレブな環境問題の講演旅行

A幹部も気力のないまま教祖の言いなりになって「人類光明化」などしない

B雅春先生の教えは、厳守するどころか無視する

C信者には集会で偽経の読誦を強制する

といった状態で、「生長の家」の看板だけはあっても、本来の「法(教え)」として守る
べきものが何も存在しないのです。

本来の教典である谷口雅春先生ご執筆の「生命の実相」を失い、神様から与えられた聖経
「甘露の法雨」も失っている状態では、教団としての「生長の家」の体をなしていないの
ですから、ある意味で仕方ないとも言えますが、そうかといってマサノブ教祖は少しも臆
するところがありません!!

正常な信仰者、あるいは普通人でも正常な神経の持ち主なら「自分がやっていることは正
しいのだろうか?」と多少の疑念を持つものです。

彼のスゴイところは――たとえどんなに他人から嘲笑されようが、信徒からの批判を受け
ようが、信徒が大量脱会しようが、それを全く意に介さず――完全に「個人幻想」である
「マサノブ教団作り」(宗教ゴッコとでも評した方が良いのかもしれませんが)に奔走し
ていることです。

良い年をした大人(老人)が、分別もわきまえずに「宗教ゴッコ」をして1人悦に入って
いる――こうした状態はどう考えても、普通の神経ではありません。「殿ご乱心」の域を
はるかに越えているといっていいでしょう。

私が度々指摘しているように、もはや彼は正常な精神ではなく、「神とは別の存在」に突
き動かされている――と考える以外にないのです。

そう考えると、今回の彼の「土足」事件の構図も、良く見えてくるではありませんか。
つまり「外国人」というのは、単なる口実に過ぎません。もちろん3月1日の会合に外人
が一人も来なくてもいいのです。要は雅春先生の教団を、そしてその権威を土足で踏みに
じれば、彼を支配している「神とは別の存在」が喜ぶし、満足するのです。そこで彼も満
足するということなのです。

私がこれまでの批判論文の中で指摘してきたことの一つが、彼の宗教音痴と、宗教にまつ
わる「タブー」を犯すことの危険性であります。こうした宗教人としての基本的な心構え
が彼には分っていません。だから彼は何事も心の中の「神とは別の存在」の衝動に突き動
かされて、人の意見などお構いなしにドンドンやってしまうのです。

正しい神仏の指導の下に行っている宗教活動ならまだしも、「生長の家」のご本尊は野外
に放置している状態ですから、「神とは別の存在」が非常に憑依し易くなっています。こ
んな教祖に率いられ、「中心帰一」と言われて盲目的について行く信徒もまた、危険な状
態に曝されていると言っていいでしょう。

これがマサノブ教の実相であります。「乱心状態の」マサノブ教祖は、これからも次々と
「神をも恐れぬ所業」を行って行くでありましょう。いわばブレーキを失った暴走電車と
同じです。しかし、その報いは必ず訪れます。だからこそ昔から「タブーを犯してはなら
ない」と、人々は教えてきたのです。今やマサノブ教は、信仰の分からないイエスマンば
かりに囲まれて誰も止めることの無い非常に危険な集団となってしまったということを、
まだ残っている善意の信徒の皆さんに教えて上げてください。

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見えてきたマサノブ教の本質批判C  (3341)
日時:2014年03月01日 (土) 22時12分
名前:サーチャー


<光明掲示板>
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見えてきたマサノブ教の本質批判C (6021)
日時:2014年03月01日 (土) 19時10分
名前:中村晃生


<「反日左翼の」政治的な教団である=政治活動をしないと言いながら、その舌の根の乾かないうちから政治的発言をしてケロッとしている>


これも皆さんが指摘していることではありますが、どうもマサノブ氏は、言うこととやることが全く一致していないのです。これは昔からそうだった。こういうのを世間では一般に「精神分裂症」というのですが・・・一度、彼は頭の精密検査を受けた方が良いように思います。


12月31日の「本年を振り返って」という年末のブログの中で、彼は<性懲りもなく>安倍政権批判を展開しました。

>そんな中で独断的に、安倍首相は二十数年ぶりに靖国神社を正式参拝した。中韓両国との関係がこれでさらに難しくなることは、明らかだ。アベノミクスに好意的だったアメリカでさえ、失望と不快感を表明した。しかし、同首相は「話せばわかる」という意味のこ
とを言うだけである。また、「どんな国でも戦没者を尊敬し、礼節を尽くすのは当たり前だ」というのは分かるが、その「戦没者」の中に、戦争を起こし、植民地政策を遂行した張本人が含まれているということを無視し続けている。そんな施設に参拝して“礼節を尽
くす”という行為が、海外から見れば戦争と植民地政策を正当化していることになるという簡単な外交的論理が、この首相にはまったく理解できないか、あるいは強引に無視することで国益が増進されるという奇妙な信念をもっているように見える<

この発言は、中国や韓国、あるいは朝日新聞と全く軌を一にした論理です。

そもそも「戦争を起こし、植民地政策を遂行した張本人」と断罪したのは、「戦勝国」である米軍であり、そのwar guilt (戦争の罪悪感)を植え付けるために占領期に「思想戦争」を仕掛けてきたのは、それこそ「有名な話」であります。

戦後半世紀以上経っていながら、いまだに<性懲りもなく>その走狗となってうごめいているのが「左翼」のマサノブ教祖なのです。その意味で、彼の発言は極めて「政治的な発言」であると言わなければなりません。

そもそも現在の米国は、そして米国人は、先の大戦が「日本の侵略戦争であった」などとは、私が知る限りでは今では全く言っていません。


少し余談になりますが、私は現在、英国の政治経済週刊誌である「エコノミスト誌」の日本語版(インターネットで配信しています)の翻訳編集長を、ここ10年ほどやっています。したがって、日本の総理が靖国神社を訪問する都度、中韓などから起きる非難に関
しての英文記事をも翻訳しています。

しかし、「日本の軍の指導者が過去の大戦が戦争を起こし、植民地政策を遂行した張本人」である――といったようなことは、そうした記事の中では、全く言っていません。

安倍氏の靖国訪問に関してエコノミスト誌は先週、「危険な賭け」と題する記事を掲げ、近隣諸国に波乱を起こしたという意味で、「外交的な失敗である」と評しただけです。

>中国政府と韓国政府は、予想通り過激な反応を示した。中国の報道官は安倍氏が「侵略を美化している」と非難し、靖国に祀られている戦犯たちを「アジアのナチス」と呼び捨てた。韓国は「深い悲しみと憤り」を表明した。<

と同誌は、いつも通りの反応を示しました。米国に関しては、

>しかし米国は、2001年から06年までの小泉純一郎首相(当時)の6回の参拝には沈黙を通してきたものの、今回ばかりは「失望した」と声明した。 とはいえ、米国の叱責はいたって穏やかで、日本とその「近隣諸国」により良い関係を築くように求めるものだっ
た。<

としか書いていません。事実だけを記した極めて公平な報道です。


これで分かるように、過去の戦争を未だに「日本の侵略戦争」と非難しているのは、日本の左翼とマサノブ総裁と中国だけなのです。かつて私はハワイに行ったことがあります。その際、日本軍が米軍の機動部隊を攻撃した真珠湾を訪れたことがありました。当時の攻
撃で撃沈された戦艦「アリゾナ」は、依然として浅瀬に沈没した状態に置かれてあり、破壊された戦艦そのものが「パールハーバー攻撃」を象徴する記念碑となっています。

その際、戦艦に行く前に、英語による30分ほどの短編映画を鑑賞させられます――なぜ戦争が中国を中心に日本と米国との間で起きたのか――の経緯を説明するものでしたが、説明には「日本軍の侵略」などの説明はなく――中国における米国の権益と、日本の権益
が衝突したことが要因である――といった、極めて公平な説明であったと、記憶しています。もっとも案内役は元米軍人のボランティアであったようで、私たち日本人観光客を見て英語でしきりに「ジャップ」呼ばわりしていましたが。


マサノブ教祖は、

> 日本の政治はこのように昏迷を続けているが、私たち生長の家は信仰の純粋性を守るために政治運動をやめ、政治的取引きの中に埋没しまいと決めてから久しい。政治の世界の時々の浮沈に一喜一憂することなく、「人間・神の子」真理を高く掲げ続けながら、人
間社会と自然とが共存共栄する神の御国の実現に向かって、日時計主義の明るい信仰をさらに多くの人々に弘めていこうではありませんか<

と、彼は最後で「取って付けたように」突然に、「明るい信仰」と善意を装います。

このブログにあるように「政治運動をしない」と発言しながらも――次々と「政治的な発言」をし、また安倍政権を非難して左翼政党を支持する――彼は、どこか頭がおかしいとしか言いようがないのです。

しかも、このような頭のおかしな状況は、過去から一貫して全く変わっていません。つまりマサノブ教団のマサノブ教祖は、「反日左翼」の「確信犯」なのです。おそらくは彼の「左翼的な」思想信条は、死ぬまで治らないでありましょう。

それとも彼は政治的な発言はしても、政治的な行動を取ってないから問題ないと考えているのかもしれません???


また11月22日のブログには、こうも書いています。

> 今日は午前10時から、長崎県西海市にある生長の家総本山の出龍宮顕齊殿で「谷口雅春大聖師御生誕日記念式典」が開催され、晴天下、紅葉に彩られた自然の中、生長の家の幹部・信徒らが全国から参集して谷口雅春先生のお誕生を寿ぎ、“自然と共に伸びる運
動”のさらなる進展を誓い合った。私は、祝詞奏上と表彰状の授与をさせていただいたほか大要、次のような挨拶をおこなった−−ご存じのように、生長の家の国際本部は今年10月から、八ヶ岳南麓の“森の中”へと移りました。多くの皆さんは落慶式や見学会などの
機会を通して、その新しい本部の建物をご覧になったかと思います。このオフィスの敷地には「万教包容の広場」というのがあり、そこには原宿の旧本部会館にあった“神像”が移設されています。

私が東京にいた頃、本部へは徒歩で通っていましたから、その神像はビルで言うと4階ぐらいの高さの所にあったので、下を通る目からは詳しい表情などはあまりよく見えなかったのであります。しかし、新しい敷地では2階ぐらいの位置に据え付けられたので、かな
り近くから神像を見ることができます。すると、その表情は雅春先生を彷彿させるのです。だから私は、毎朝、先生にお会いしているような気持になるのであります<


口先だけは一見、谷口雅春先生を尊敬しているかのそぶりを見せて、実際にやっていることは全て雅春先生の抹殺行為――生命の実相を始めとする先生の書籍の出版停止、先生の匂いのするものは一切を教団から追放する、原宿本部の建物の解体など、数え上げたら切りがない――であります。

こういうのは何と言うんでしょう。一種の詐欺師でなければ、精神異常者ではないかと思います。


毎日、広場に置いてある「ご神像」を拝見して「毎朝、先生にお会いしているような気持ちになる」ということが本当ならば、そのまま屋根もかけずに、屋外で風雨に晒すその神経が全く理解できません――口先だけはしおらしいことを言って、後は舌を出す。

それでなおかつ何も感じないのだとしたら、やはり彼は精神が病んでいるのでしょう。

このような人物に、私たちは騙されてはなりません。
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見えてきたマサノブ教の本質批判D (3353)
日時:2014年03月03日 (月) 01時42分
名前:サーチャー


<光明掲示板>
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見えてきたマサノブ教の本質批判D (6056)
日時:2014年03月03日 (月) 00時42分
名前:中村晃生

<生長の家の神様を全否定してしまったマサノブ教>


3月1日に長崎本山で執り行われた立教記念式典で、私たちが最も注目しなければならな
いことは、神聖な顕斎殿に土足で人々を上がるようにさせたということ(もちろん、これ
も非難すべきことですが)よりも――谷口雅春先生が揮毫された「実相」の御軸そのもの
<「生長の家」の神様を象徴している>を隠して、人々の目に触れなくさせてしまった点
にある――と考えています。

「自称法灯継承者」に過ぎない谷口マサノブ「総裁」の、「法灯継承式典」など、我々に
とっては、およそどうでもいいことであります(それにしても副総裁時代から「知らない
間に法灯継承者になっていた」とウソブイテいたご仁が、何で今ごろ「法灯継承式典」を
「勝手に」執り行うのでしょう? 全く訳が分かりません。これまでの「知らぬ間に法灯
継承者」発言は、偽物であったとでも言うのでしょうか??)。

でも、この式典は「立教85年記念式典」のはずです。いやしくも「生長の家総裁」を語
り、「生長の家」教団の重要な式典を執り行うのであれば、何で「生長の家の大神」を象
徴する「実相」の御軸を隠すのか! 排除するのか!

これは明らかな「生長の家の大神」の「全面的な否定行為」であると言われても仕方があ
りません。まさに「不法な、非道な仕打ち」です。いかなる宗教団体であれ、壇上の正面
に掲げてある礼拝の対象である神像や仏像を隠して、信者の目に触れないようにしたら、
信者全員の反発を招き、その教団指導者は即刻クビになるでしょう。

しかし、全員がマインドコントロールされてイエスマンと化した今のマサノブ教では、誰
も反対もしないし、非難もしません。それこそマサノブ教祖のしたい放題、やりたい放題
になってしまっています。

こうした「実相」御軸外しの兆候は、既に昨年10月に「森のオフィス」落慶式典の時か
ら出ています。式典の最初のうちは「実相」の御軸は正面バックに飾られていましたが、
その後スルスルと引き上げられ、カーテンの後ろに雑木林が出現したのです。私もこれに
は「オヤッ」と思いました。しかし、この演出は計算し尽くされた、故意の演出でありま
す。


要は「これからは<実相>が教団の神様ではなく、<自然>(雑木林)が教団の神様にな
るのだ」――と、無言で示したものでありました。その証拠に、マサノブ教祖は式典の終
わりの一礼を、雑木林に向かって行ったではありませんか!

まさにマサノブ教祖は、この時点で「生長の家」を否定し、マサノブ教が「自然崇拝教」
であることを鮮明にしたのです!

谷口雅春先生が創立された「生長の家」は、あくまでも「唯神実相論」であり、それ故に
私たちはその象徴として「実相」の御軸を拝むのであります。


しかし、マサノブ教はどこまで行っても現象肯定の「自然崇拝教」であり、現象の奥に「実
相」が厳然と存在するとする雅春先生の「唯神実相論」の「生長の家」とは無関係なので
あります。そこを間違うと、今回のような「実相」の御軸隠しが行われても、信徒が騒ぎ
出すことが無くなるのです。

最早マインド・コントロールされ、仲良し集団のイエスマンしかいなくなったマサノブ教
団では、あらゆる「生長の家」の破壊工作が実行されるでありましょう。「実相」御軸外
しについても各地で同様事態が加速するものと思われます。というのも幹部を始め各地の
教化部のイエスマンたちは、マサノブ教祖の顔色を伺うのにキュウキュウとしているから
です。彼らは、マサノブ教祖の意を汲んで、争って先走りすると思われます。

今後は各県教化部からも「実相」の御軸が無くなるかもしれません。皆さん、「生長の家」
の本当の教えを守るためにも「生長の家の大神」の象徴であるところの「実相」の御軸の
行方を見守って下さい。

「実相」の御軸は、谷口雅春先生のお悟りの中身を凝縮したものであります。



>谷口雅春先生は、その感動のクライマックスの情景を『生命の実相』の"自伝篇――「神
を見るまで」――"においてつぎの如くお書きになっている。

 啓示の瞬間

 「或る日、私は静座合掌瞑目して真理の啓示を受けるべく念じていた。私はその時、偶
然であろうか、神の導きであろうか、仏典の中の『色即是空』と云う言葉を思い浮かべた。
と、どこからともなく声が、大濤のような低いが幅の広い柔らかで威圧するような声が
聞えて来た。

 『物質はない!』とその声は云った。で、私は『空即是色』と云う言葉をつづいて思い
浮かべた。 と、突然その大濤のような声が答えた。『無より一切を生ず。一切現象は念
の所現にして本来無。本来無なるが故に、無より、一切を生ず。有より一切を生ずと迷う
が故に、有に執して苦しむのだ。有に執せざれば自由自在だ。供給無限、五つのパンを五
千人に分かちて尚余り、「無」より百千億万を引出して尚余る。現象界は念のレンズによ
って転現せる化城に過ぎない。彼処に転現すと見ゆれども彼処に無し、此処に転現すると
見ゆれども此処に無し。知れ、一切現象なし。汝の肉体も無し。』

 では、心はあるであろうかと思うと、その瞬間、『心もない!』とその声は云うのだっ
た。今迄、私は『心』と云う得体の知れない悍馬があって、それを乗りこなすのに骨が折
れると思っていたのだ。ところが『心もない!』と云う宣言によって、私はその『心』の
悍馬から実相の大地に降りたのであった。

 『心も無ければ何も無いのか』と私は再びその声の主にたづねた。

 『実相がある!』とその声はハッキリ答えた。

 『無のスガタが実相であるか。皆空が実相であるか』と私は尋ねた。

 『無のスガタが実相ではない。皆空が実相ではない。皆空なのは現象である。五蘊が皆
空であるのだ。色受想行識ことごとく空である!』

 『空と無とは異なるのではないか』と私はたずねた。

 『空と無と異なるとは思うな。五蘊皆空であるのに空とは無ではないと思うから躓く。
空を無とは異なると思い、「無ではない」と思うから又、「五蘊は無いではない」と引っ
かかるのだ。「五蘊は無い」とハッキリ断ち切ったところに、実相が出て来るのだ。無い
ものを無いとした処に、本当にアルモノが出て来るのだ』

 『では、実相とは何であるか』と私は訊いた。

 『実相とは神である。あるものは唯神のみである。神の心の顕現のみである。これが実
相だ。』此処に神と云うのは無論『佛』と云う意味も含んでいた。

 『心も無いのが本当ではないか』

 『無い心は受想行識の心だけだ。そう云う意味でなら佛もない、衆生もない、心、佛、
衆生三無差別と説く場合には、心もない、佛もない、衆生もない。衆生を抹殺し佛を抹殺
し、心を抹殺し、一切無いと一切を抹殺したときに、実相の神、久遠実成の佛が出て来る
のだ。』

 『それが、キリスト教ならイエスを十字架にかけることになるのですか』

 『そうだ。肉体イエスを抹殺した時、実相のキリスト、アブラハムの生まれぬ前から生
き通しの久遠のキリストが生きて来るのだ。イエスの十字架は現象を抹殺せば実相が生き
て来ると云う象徴である!今、此処に、久遠生き通しの生命が復活する。今だ、今だ!久
遠の今だ!今が復活だ!今を活きよ!』
 
 私の眼の前に輝く日の出の時のような光が燦爛と満ち漲った。何者か声の主が天空に白
く立っているように思われたが、それはハッキリ見えなかった。暫くするとその燦爛たる
光は消えて了った。私はポッカリ眼をひらくと、合掌したまま座っている自分を其処に見
出したのであった。」<



これが谷口雅春先生の「現象無し」「実相独在」の悟り――であり、「生長の家」で「実
相」の御軸が神様の象徴として教団本部、各県教化部、さらには各家庭に掲げられるに至
った経緯であります。つまり、私たちは「実相」の御軸を拝することによって、谷口雅春
先生と同じ「悟り」を共有出来るのであります。

しかし、今は危機的な状態です。「生長の家総裁」を僭称する「自然崇拝教」のマサノブ
教祖の手によって「本来の生長の家」の破壊工作は、まだ手を変え、品を変えて次々と行
われると思わねばなりません。原宿という「護国の神霊」のバリア―がある地域(明治神
宮がその元でした)から、わざわざ八ヶ岳の神霊の加護の無い、したがって「神とは別の
存在」の影響を受けやすい場所(ひきこ森)に移転してからというもの、マサノブ教祖の
「暴走行為」は、ますます酷くなってきています。

でも、「実相」の御軸が象徴している「生長の家の大神」を否定し、ご本尊である「住吉
大神」をも否定して(ちなみに10月の落慶式典で、マサノブ教祖は住吉大神について一
言も触れませんでした

<それで良くいけシャーシャーと法灯継承者などと言えたもんですがね>。そして大神の
ご神像を単に「神像」とだけ紹介し、それもキリスト教における「7つの灯台の点灯者」
であると、強弁したのであります!!)、生長の家の神様をことごとく否定し去ったマサ
ノブ教は、今後一体どこに行くのでありましょうか?

それは別項で論じます。

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見えてきたマサノブ教の本質批判E (3374)
日時:2014年03月04日 (火) 11時04分
名前:サーチャー


<光明掲示板>
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見えてきたマサノブ教の本質批判E (6098)
日時:2014年03月04日 (火) 02時46分
名前:中村晃生


<ご本尊がクルクル変わり、ハッキリしないマサノブ教――そのT>

私は、過去の批判記事の中で、マサノブ教の最大の問題点は、「生長の家」の「ご本尊」
である住吉大神を抹殺した後の「ご本尊」をどうするかである――ということを指摘して
きました。

マサノブ教祖は、その答えとして3月1日の長崎本山での立教記念式典において「生長の
家」の礼拝の対象である「実相」の御軸を隠すというさらなる暴挙を敢えて行いました。
つまり、「生長の家の大神」の全面的な否定行為であります。

そしてマサノブ教が、表面だけは「生長の家」を装いながらも、その実態は現象肯定の「自
然崇拝教」であることを明確にしたのであります。最早、マサノブ教は、唯神実相論の「生
長の家」とは縁もゆかりも無い教団になり果ててしまいました。

問題は、彼の単なる現象肯定の「自然崇拝教」=マサノブ教が、一体いかなる神様(?)
を「ご本尊」にするのかということです。これについての私の推論をすすめてみましょう。



@観世音菩薩

当初、マサノブ教祖は明らかに観世音菩薩をマサノブ教の「ご本尊」にしようとしていた
と、思われます。それは「自然惨禍経」に続いての偽経で「観世音菩薩惨禍経」を作り上
げたことが何よりも雄弁に物語っています。しかもこの偽経では彼の観世音菩薩に対する
不勉強ぶりが露呈してしまいました。

つまり、彼の言う「補完する」どころか「不完全さ」を暴露してしまいました――法華経
の中のそれこそ「有名な」観音経には、彼はどういう訳か全く触れていません。したがっ
て肝心の観世音菩薩の役割が何も明確になっていないのです――つまり、少し仏教の知識

を持っている人間から見れば、頭を傾げざるを得ない経本になっているのです。いかに急
ごしらえの経本であったかが分かります。

しかし、私に言わせれば「自然と人間の調和」あるいは、「自然と人間の共生」などは、
まさに愛と慈悲に満ちた観世音菩薩様の「現代的な役割」にふさわしい気がするのですが
・・・

「生長の家ってどんな教え?」の彼の著書の中でも、わざわざ彼は「観世音菩薩」につい
てはかなりのスペースを割いて論じています。したがって私は、きっと観世音菩薩をマサ
ノブ教の新しい「ご本尊」にするものと考えていました。しかし、観世音菩薩となると不
都合な部分もあります。


1)谷口雅春先生は「生長の家の大神」は、「仏教では観世音菩薩として現れる」とお示
  しなさっていますし、そうなると谷口雅春先生の路線を歩む必要があります。

  「森のオフィス」に移転して「革命」を成し遂げた今、彼は谷口雅春先生とは全く別
  のマサノブ教の独自路線を歩みたいわけであり、やはり観世音菩薩では具合が悪いと
  考えたのでありましょう。せっかく「観世音菩薩惨禍経」を作成し、経本まで作った
  わりには、最近はあまり観世音菩薩を賛美していないようであります(??)


2)また「生長の家」の創立期に出現された観世音菩薩様(私の想像では、国家救済の意
  味合いをも持つ救世観音菩薩様ではなかったかと思いますが)は、頭上に「光輪卍十
  字架」の「生長の家」のマークを着けて出現されており、このマークを抹殺して「鳩
  葉っぱ」に変更したいマサノブ教祖の意向にもかないません。やはり観世音菩薩では
  都合が悪いのです。

  そこでマサノブ教祖が「苦肉の策」として考案したのでしょう。突如として登壇させ
  たのが、日本の神話の一番最初に出てくる神々であります。つまり、「タカミムスビ
  の神」「カミムスビの神」の「ムスビ」の2神、それと「アメノミナカヌシ」の神で
  あります。これは次の項で論じます。

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見えてきたマサノブ教の本質批判F (3393)
日時:2014年03月05日 (水) 16時04分
名前:サーチャー


<光明掲示板>
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見えてきたマサノブ教の本質批判F (6155)
日時:2014年03月05日 (水) 09時21分
名前:中村晃生


<ご本尊がクルクル変わり、ハッキリしないマサノブ教――そのU>


A「ムスビ」の2神

11月22日のブログの中で、マサノブ教祖は、こう書いています。

> そういう理由で、これらからの“自然と共に伸びる”運動にあっては、神の無限の表
現として自然を観ずる際には、「我即自然・自然即我」の自覚を深めるために、自然界の
特徴をよく表した呼称を神に付すというのが、私の提案です。私のブログを読んでくださ
っている方は、もうすでにその呼称についてご存じでしょう。

私は11月19日のブログに「自然界のムスビの働き」という題をつけて、自然界には、個
々の存在を結び合わせる働きが満ちていることを書いています。その働きによって私たち
は食事をし、他の生物から栄養素をいただいて生きているし、植物は動物に子孫を殖やし
てもらい、動物は植物から栄養素を得て繁栄しています。自然界の最大の特長は、この多
を一つにまとめる働きです。日本の神話には、このムスビの働きを表している神さまが「○
○のムスビノカミ」として沢山でてきます。その中でも最も重要なのが「タカミムスビノ
カミ」と「カミムスビノカミ」です。この2柱の神は、『古事記』では宇宙の根源神であ
るアメノミナカヌシノカミの次に登場する神ですから、唯一絶対神の無限の働きの中の「ム
スビの働き」を体現しておられるのです。この神さまは、皇室の祖神として歴代の天皇が
祭られてきた神さまです。さらにこの神さまは、住吉大神と同じ系列にある神ですから、
私たちのこれまでの運動とも整合しています。また、この働きはキリスト教で説く神の愛
に通じ、仏教の四無量心とも共通しています。

今、私が提案していることは、これまでの実相礼拝や神想観の実修方法を変えるという
ことではありません。もし皆さんが毎朝、先祖供養や聖経読誦を神棚の前でされているな
らば、その神棚の両側にタカミムスビノカミとカミムスビノカミのお名前を記した札を掲
げて、これまで通りの朝のお勤めをされたらいい−−それだけのことです。

そして、『大自然讃歌』や『観世音菩薩讃歌』を読誦する時には、2柱のムスビの神の名
前を特に意識して、自然界のムスビの働きを思い起こし、自分も神の創造された大自然の
一部として、この世界のあらゆる存在を相互にムスビ合う大調和実現のために、喜びをも
って生きていくことを決意する−−そんな行事をしながら、“自然と共に伸びる”運動を
展開していきたいのであります。皆さま如何でしょうか?<


この文章は、偽経を導入した時と同じ手法です。つまり――「革命」を起こすのではなく、
小さな「変革」を起こすだけ。「ただそれだけです」と信徒の皆さんを安心させておき、
その導入された後に本格的な「革命」に持って行く――といういつもの手口です。

でもマサノブ教団のイエスマンたちは、この文章が意味するところは、十分に分かってい
ると思います。つまり、今後はこの2つの「ムスビの神」が新しいマサノブ教団のご本尊
になる――したがってその受け入れの準備に入れ――という指令であるということです。

しかし今回は日本の神、それも「ムスビの神」を持ってきました。誰かの入れ知恵――住
吉大神の排除のためには、仏教からよりも神道からの方がいい――があったのでしょう。
ある意味で良く考えたなという気がします。

ただ、マサノブ教祖は、日本の神々のことも余りご存知ないようです。古事記や日本書紀
に関する様々な人間の学説を援用して蘊蓄を傾け、あたかも神々に対する知識があるかの
ように装っていますが、所詮は人間知の知識です。いくら並べ立てたところで、別の人間
が違う説を言い出せば、マサノブ教祖はそのいずれを選択すべきか、迷うしかありません。
したがって谷口雅春先生のように、説くところに力と権威が感じられないのです。

私の見方では、この陰陽2神の「ムスビの神」は理念(実相世界)としての神様ではあっ
ても、現象世界でお働きになる神様ではありません。古事記によれば、天地が初めて現れ
た時、高天原(たかまのはら)になったのが「アメノミナカヌシノカミ」、間もなく「タ
カミムスビノカミ」と「カミムスビノカミ」が成りました。

この3神は根源神の現れではあるものの、あくまで「理念としての神」であります。だか
らこそ古事記では「この三柱の神は、いずれも独神(ヒトリガミ)であり、すぐに御身を
お隠しになりました」と説明されているのです。つまり実相世界にご存在の神様であると
いうことです。現象世界の神様ではないので「御身をお隠しになる」のです。

したがって神棚の両脇にお札を置いたぐらいで、この神々の「ご加護」は期待できません。
だって現象世界でお働きになる神様ではないのですから。マサノブ教祖は、住吉大神をな
いがしろにして外して、その代わりのご加護をこの2神に期待しているのでしょうが、そ
うは行かないのです。

この2神は、現象世界でお働きになる強力なパワーのある住吉大神の代わりには、とても
なりえないのです。しかも神国日本を守る護国の神、鎮護国家の神は住吉大神を置いて外
にはないのです。谷口雅春先生に住吉大神が感応されたのは、深い神縁と理由があっての
ことであり、あなたの「功利的な」理由からではないのです、

マサノブさん。 ですからこの邪悪な試みはいずれ失敗することでしょう。
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見えてきたマサノブ教の本質批判G  (3404)
日時:2014年03月06日 (木) 14時01分
名前:サーチャー


<光明掲示板>
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見えてきたマサノブ教の本質批判G (6195)
日時:2014年03月06日 (木) 08時24分
名前:中村晃生


<ご本尊がクルクル変わり、ハッキリしないマサノブ教――そのV>


Bアメノミナカヌシの神

この神様は、古事記の神話の一番初めに高天原に「成りませる」神様であり、谷口雅春先生によれば「日本の根源神」であらせられます。

マサノブ教祖は、ブログの中ではさすがにこの神様についての「ああでもない、こうでもない」との他人から借用した蘊蓄は披露していません。その代わりに突然、アメノミナカヌシの神様を川原の祠のご神名として登場させます。

彼は1月24日のブログの中で、

> 通常、宗教儀式にはその中心となるべき場所あるいは対象が必要である。山や森などの日本の自然の中では、それは小さな石製や木製の祠(ほこら)であったり、注連縄を張った大木や大岩であったりする。仏教では、いわゆる“石の地蔵さん”や観音像、石碑など
がその役割をする。しかし、そういう心の焦点を合わせる対象を大規模にすることは、すでに書いたように「自然」のイメージから遠ざかり、ひいては“自然破壊”に通じる可能性もある。だから、できるだけ小規模で目立たない木の祠を採用することにした。

 では、この小さな祠をどのように設けるか−−別の言葉でいえば、「祭壇」をどうすべきかが次に問題になる。日本古来の神道では「神棚」、仏教では「仏壇」、キリスト教では聖卓(holy table)に該当するものを、祠の前に設けるか設けないか。また神道では「神体」や「依代」とされるもの、あるいは宗教的シンボル−−仏教での「仏像」や「仏画」、キリスト教での「十字架」−−に該当するものはどうするのか、という問題もある。<

と、相変わらずああでもないこうでもないとの議論を展開した後、

> このような考えにもとづいた結果、設けられた場所が写真である。“森の中のオフィス”の敷地内で『大自然讃歌』の読誦をする際の祭壇だから、人工のものをできるだけ排除し、人間が造作したものは「祠」だけとした。それ以外の石や岩は、その場所にもとも
とあったものを基礎とし、周囲の石や岩を移動させて壇状に並べただけである。この場所の周辺には、普段は水がないが、大雨が降ると小川が現れる。だから、川底にあたる部分には大小様々な石が転がっていて、それらは角がとれていたり尖っていたりする。それを
整理して脇へのければ、比較的平らな“川原”となる。そこならば、ある程度の数の人間が立って儀式をすることができるのである。祭壇の位置は、川原より一段高くなっているから、大雨で出現する川に入ることはまずないだろう。

 祠の中には神札が収められている。生長の家で信仰するのは唯一絶対神であるから、そこには「天之御中主神」の神名を書かせていただいた。神札には通常はお札を授与する神社や神宮の名前を書くが、宇宙の本源神の“お宮”は大自然そのものであり、特定の人造
の社に納めるには無理があり、また長崎の龍宮住吉本宮や宇治の宝蔵神社とも性格が異なることから、お宮の名前ではなく、神名を直接書かせていただいた。その意味は、この小さな祠の中に宇宙本源神が収まっているというのではなく、この祠を一種の“接点”とし
て、人間が大自然との交流を図る契機にするためだ。接点は「点」であるから、小さくていい。点ではなくて面であったり、立体であったりすると、その存在感によって、大自然やその創造主の全相がかえって制限されてしまう。つまり、人間の側が、その外観に縛られて神の全相を観じにくくなる。そのリスクを考えた<

と、完全に谷口雅春先生の創立された「生長の家」教団とは全く別の教団の体裁を整えたのであります。

谷口先生は、ご本尊を住吉大神と定められ、大生命である「ミオヤノカミ」を「実相」の御軸に象徴されました。マサノブ教祖は、これをこともあろうに自分自身で「アメノミナカヌシ」の神名を書いて祭ったのであります!

まさに「生長の家」の創始者谷口雅春先生の向こうを張る「僭越な」行為であり、自称であろうとなかろうと、いやしくも「法灯継承者」たるものが、決してしてはいけないことです。


このブログには小さな写真が添付してあります。小さくて良く分からなかったので、拡大して見たら、何やら自然石の上に木の小さな祠が載せてあります。それにしても、何でこんな貧弱のものをこしらえたのでしょうか?世の中、祠も沢山ありますが、私はこんな何だか分からないような小さな祠を見たのは初めてです。

マサノブ教祖の「へ理屈」では、

>この小さな祠の中に宇宙本源神が収まっているというのではなく、この祠を一種の“接点”として、人間が大自然との交流を図る契機にするためだ。接点は「点」であるから、小さくていい<

ということのようです。しかし、いくら「点でいい」と言っても、これはマサノブ教団のご本尊ですよ!それこそ大雨が降って川原の水があふれ出れば、流出すること間違いないでしょう。

まあ、彼の神への信仰心はその程度のものでしょうが・・・それにしても呆れて、物も言えません(笑)。


以上、3回にわたりマサノブ教祖が「新ご本尊」に採りあげようとした神仏の候補を見てきました。いずれも長短があり、「これ」といった「ご本尊」にはなりそうもない気がします。

今、マサノブ教祖は、「生長の家の大神」である住吉大神をないがしろにしようとしています。「実相」の御軸さえ人々の目から遠ざけようとしています。いわば「生長の家」の神様の全面的な抹殺をしようとしているのです!

このような暴挙は許されるはずもなく、大変な罪悪であることをマサノブ教団の関係者は、認識する必要があるでしょう。

谷口雅春先生は、住吉大神との深遠なご縁で、悟りを開かれた後に「生長の家」を始められた訳です。

マサノブ教祖が「生長の家」を名乗っている以上、他のいかなる神様を持って来ても、それは住吉大神に対する侮辱でしかなく、日本神界の神々は決してこのような暴挙を許すことはないでありましょう。


信仰の世界では「タブー」というものが存在します。決してしてはいけない、禁止されていることです。マサノブ教祖は、ご本尊としての住吉大神とは別の本尊を持って来ることで、偽物のマサノブ教団の形態を整えようとしています。

これで彼の「革命」は、完成するはずです――でも取って付けたようなこの「新本尊」を、敢えて持ち込むことは、この教えを谷口先生を通して発現された「生長の家の大神様」そのものを愚弄することになり、「タブー」を破ることになることが、この哀れなマサノ
ブ教祖には(宗教そのものが分かっていないため)分からないのです。

おそらくは大変なことになると思います。敢えて警告を発しておきます。

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見えてきたマサノブ教の本質H (3421)
日時:2014年03月07日 (金) 13時15分
名前:サーチャー


<光明掲示板>
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見えてきたマサノブ教の本質H (6268)
日時:2014年03月07日 (金) 09時20分
名前:中村晃生


<なぜマサノブ教では自然災害が多いのか?――そのT>


「マサノブ教団に行くと自然災害に会う」――地震、落雷、記録的な大雪。ブラック・ジ
ョークではありませんが、自然と人間の調和をうたうマサノブ氏とマサノブ教では、何故
こうも様々な自然災害に出会うのでしょうか?

答えは簡単です。それはマサノブ教祖とマサノブ教が、言うこととは裏腹に自然と神とに
「調和してない」からです。

マサノブ教祖は、自らが「大調和の神示」に反したことをやっているし、教団そのものも
「生長の家」の教えに反したことをやっている。これでは、神様の怒りを買うことはあっ
ても、神様の救済は全く期待できません。彼らは端から「生長の家」と「生長の家の大神」
をバカにしているのです。

谷口雅春先生が良く言っていたように、この現象世界は「動反動の法則」「因果応報の法
則」が厳然として働いています。 良いこと悪いことをすれば、それなりの報いはあるの
です。いくら口先だけで「自然と神と人間の調和」をうたっていても、偽経の「自然惨禍
経」を懸命に読誦しても――悪いことは起きても、良いことが起きる訳はないのです。(そ
れにしても彼は我々から「それ見たことか」との批判、嘲笑を受けると予想してのことで
しょう、敢えて彼のブログでは「雪の中の幸福者」と強がりを装っていますが<笑>)


そもそもがスタートから間違っているのです。住吉大神の導きによってスタートした「生
長の家」と、宗教的な修業もしておらず従って神への回心もないまま、迷えるマサノブ教
祖の頭の中でこしらえた「個人幻想」としてのマサノブ教とでは、天と地との違いが生じ
るのは仕方がありません。私は様々な宗教を見てきていますし、修業もしてきていますの
で、むしろこうした「神への冒涜」とも言えるマサノブ教祖の所業を「すえ恐ろしい」と
感じている人間であります。

マサノブ教祖は、今回の豪雪に関しても2月18日の「雪の中の幸福者」というブログの
中で、

>今回の大雪は、生長の家が国際本部を東京から北杜市に移転してから最初の冬に経験し
た。しかも、この大雪は歴史的な規模だ。ということは、これ以上の厳しい冬を私たちが
この地で経験する確率はきわめて低いということになる。だから、今回の経験で足りな
かったこと、失敗したこと、予想できなかったことなどを反省し、それらにきちんと対応
していけば、“万全の準備”ができることになる。「千載一遇のチャンスがすぐに来た」
のではないか? このことは、私個人の生活についても言える。私は、還暦を超えた年で
初めて高冷地に家を建てて住むことになった。いちばん不安だったのは、冬の厳しさだっ
た。雪がどの程度降り、その影響はどの程度あり、暖房にどの程度の薪が必要で、それを
どう準備するか……などの情報の最大値が、すぐに手に入った。これは大変ありがたい。
今後は、これらの最大値を想定して冬の準備をすればいい。どこかの大企業のように、「想
定外だった」といって泡を食う必要はない−−このように考えていくと、「トラブル」と
いう声は消えて、「私たちは実は幸福者ではないか」という想いが湧いてくるのである<

と相変わらずノーテンキなことを延々と書いている。

それはマサノブ教祖の性格で仕方ないかもしれないが、彼にはこんな豪雪に出会ったこと
に何も感じていない。本来ならば、「神と自然と調和している」ならば、こんな「トラブ
ル」には巻き込まれないはずなのである。それが信仰者なのだが・・・おそらくこんな道
理は、彼には永久に理解できないであろう。


谷口雅春先生が行くところには、台風などで講習会が開けないことは無かったと言います。
むろん地震にも会ったという話も聞きません。ましてや住吉大神をお祭りしている宇治別
格本山や長崎本山への落雷の直撃などありませんでした。

なぜか――それは「人類光明化」と「鎮護国家」という神様の「大義」を担っていたので、
神様の加護があったからであります。


しかし、マサノブ教ではこの二つをあっさり捨ててしまいました。後はマサノブ教祖の趣
味と実益を兼ねた「森のオフィス」の事務所があるだけです。衆生救済、国家救済の「大
義」を捨てれば、残るのはマサノブ教祖の個人的な自己満足の「小義」があるだけ。これ
では神様の加護など期待できないのです。

私は、一連の自然讃歌経批判の文章の中で、「森のオフィス」がいずれ大規模な自然災害
に会うのでないかとの懸念を書いておきましたが、給料のために仕方なく働く教団職員の
ためにも杞憂に終わればと考えています。
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見えてきたマサノブ教の本質I (3430)
日時:2014年03月08日 (土) 21時06分
名前:サーチャー


<光明掲示板>
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見えてきたマサノブ教の本質I (6300)
日時:2014年03月08日 (土) 10時16分
名前:中村晃生

<なぜマサノブ教では自然災害が多いのか?――そのU>


それでは、自然災害(地震、大雪を始めとした)に会わないためにはどうしたら良いので
しょうか?

迷えるマサノブ教団の皆さまのためにも回答をお教えしましょう。

答えは簡単です――「生長の家」の原点に立ち返り、「生長の家の大神」である住吉大神
の信仰に立ち帰ることです。またそれ以外に方法はないのであります。いくら「大自然惨
禍経」を読誦しても、新たな「ご本尊」を導入しても、功徳は無いのです――信仰とは不
思議なものであります。解決策は、最も身近なことを正すところにあるのです。

マサノブ教が陥っている問題と、その解決策は実は「住吉大神」をキチンとお祭りするこ
とに存在するのです。マサノブ教では、本来正神として崇めるべき住吉大神をないがしろ
にするので、それが「自然災害」という形で現出するのであります。

もちろんこれは「神罰」ではありません。いわば「因果応報」の現象世界の原則に由来す
る――と考えた方が正解でしょう。まず初めに私たちは、住吉大神がどういった神様であ
られるかを良く知らなければなりません。住吉大神は龍宮海に住んでおられる神様であり
ます。つまり、谷口雅春先生がご指摘されているように「創造の本源」世界に住んでおら
れると同時に、龍神をも統括されており、従って地球の「気象、天気の全般」をも司って
おられる神様なのです。

ですからマサノブ教祖が大好きな「自然」を司っている神様でもあるのです。訳も分から
ないまま、「自然との共生」あるいは「自然と共に伸びる」といくら声高に叫んで見ても、
肝心の「自然」を統括されており、「生長の家の大神」である「住吉大神」をないがしろ
にしていては、それらのスローガンは、全て「空念仏」に終わってしまいます。

マサノブ教祖は、可笑しなことにそうした神様の本性、特色を全く知らないのです(神道
そのものを勉強していないし、宗教そのものを良く分かっていないからです)。だから、
自身が作り出そうとしている「自然崇拝教」の神様を誰にしたらいいのか良く分からない
でいるのです。

私が30年前に福岡県大川市長をしていた当時、のことを申します。市長就任直後に農家
の皆さまから「日照りで雨が降らないので田んぼが干上がって田植えができない。井戸を
掘らせて欲しい」との陳情を受けたことがあります。もちろん市が資金提供して井戸を掘
る許可を出しましたが、やはり井戸堀には時間がかかります。その間に田植えは出来なく
なってしまうかも知れません。農家の皆さんにとっては、死活問題であります。

そこで大川市にある古社で住吉大神をおまつりし、市の守り神でもある「風浪宮」に参拝
して、大神様に雨を降らせて頂くようにその日の夕方、神社に参拝したのであります。す
ると、その日の夜、「ザ―」という大きな音と共に肺然として雨が降ったのです。もちろ
ん、日照りの問題は一発で解消しました。私は、市長をしていた5年間というもの、この
「風浪宮」のご祭神である住吉大神様から数多くの奇跡、恩恵を頂きました。ですから「生
長の家」の信仰者が住吉大神に祈念する時の気象に関しては、「必ずご加護を頂ける」と
「絶対の信頼と自信」を私は持っています。

一昨年、福岡の「桃の実会」で初の記念講習会を開催した時、福岡を台風が直撃する予報
でした。その前日、福岡に到着された前原先生を始めとする講師の皆さまを空港までお迎
えした私は、吉田会長を始めとして皆様を引き連れて、真っ先に福岡市中心部に鎮座まし
ます住吉神社に参拝に訪れました。

翌日は、人々の懸念をよそに台風は全く来なかったかのように会場周辺は静かでした――
まさに大神様の「ご加護」でした。住吉大神を信仰する者には必ず、大神はそれなりのお
陰を下さるのであります。これは理屈ではありません。各人が自己の体験を通して体得す
るしかないのです。

ですから、マサノブ教が、これ以上自然災害に会わないためには、信仰の原点に戻って住
吉大神を信仰する以外にないのであります。でも変な「ご本尊」を導入したりすると、ど
うなるかわかりませんよ・・・(笑)
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見えてきたマサノブ教の本質J (3455)
日時:2014年03月10日 (月) 07時47分
名前:サーチャー

<光明掲示板>
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見えてきたマサノブ教の本質J (6343)
日時:2014年03月10日 (月) 03時42分
名前:中村晃生


<教えの中心の「自然との共生」は完全な観念論=マサノブ教の「自然と人間の調和」は、
現実に即していない>


マサノブ氏は、最近はとみに「自然」、「自然」と二言目には「自然」を振りかざします。
その反面、「神様」とは最近あまり言いません。まさに「神様」以上に「自然」の方が大
事なようです。

だとすれば「マサノブ教」を「生長の家」でなく、「自然崇拝教」あるいは「自然環境教」
とでもすれば、信徒の皆さんをいたずらに騙すこともないと思います。しかしそれだけは
絶対にしないのですね(笑)。

11月22日のブログの中で、彼は相変わらずこう書いています。

>さて、生長の家がなぜ国際本部を東京から八ヶ岳へ引っ越したかという話は、私は講習
会や書籍をつうじてもう詳しくお話ししているので、皆さんはご存じと思います。ひと言
で申し上げると、それは地球温暖化をできる限り抑制し、温暖化の結果として生じる厳し
い気候変動、資源の枯渇、紛争の激化などを防ぐためです。加えて、「防ぐ」という消極
的な目的だけでなく、エネルギーや資源をムダ遣いする私たちのライフスタイルを積極的
に改革し、欲望の満足を追求する社会ではなく、“自然と共に”人類が成長する、平和な
社会を実現するためです。また、今月初めにフィリピンのレイテ島に襲来した台風30号
は、史上最大級の破壊力に成長したため、甚大な被害を及ぼしました。死者、行方不明者
の数は1万人を超えるとも言われています。今後、そのような自然災害の拡大により、世
界中で犠牲者が増加していく可能性があります。生長の家では、このような犠牲者の霊を
慰め、人類が自然と共に伸びる方向に生き方を変えることを目指し、京都府宇治市の生長
の家宇治別格本山の敷地に「自然災害物故者慰霊塔」を建てました。また、この生長の家
総本山でも、神・自然・人間の大調和を祈る行事がさまざまな形で行われていることは、
皆さんもご存じのことでしょう<

と、ここまではいいとして、「自然との共生」が、実はマサノブ教祖の単なる「観念論」
であることが、彼ら夫婦が住んでいる大泉町に一匹のツキノワグマの出現したことで、ア
ッサリばれてしまいます!

このクマの出現にマサノブ教祖夫妻は、驚きかつ恐れおののくのであります。その様はま
さに滑稽としか言いようがありません。


12月16日のブログには、こう書いてあります。

>私は「まさか」と思った。井富橋とは、私が通勤時にいつも通る小さな橋だ。そこでク
マが目撃されていたのであれば、妻と私はクマの生息地に住んでいることになる。このこ
とは、しかし初耳とは言えなかった。実は昨年から、井富橋から数メートル先の舗装され
た山道の電柱に、「クマ注意」を知らせる北杜市の貼り紙が付けられていた。が、私たち
は「それは昔のことだろう」とか「もっと遠くで見たのを、安全を考えてここに貼ったに
違いない」などと解釈し、あまり真剣に考えなかった。それでも、この地に定住を始めた
今秋からは、さすがに不安を感じて、一種の保険のつもりで二人とも1つずつ「クマ除け」
の鈴を買っていた。そして、キノコ採りのために自宅の裏山へ入る時には、それを腰に下
げたり下げなかったりしていたのである<

>このツキノワグマが「大型」だとの情報が気になったので、百科事典を調べてみると「ヒ
グマよりずっと小さく、体長130〜160センチ、尾長8センチ前後、体重120キロ前後」
とある。少し安心するが、野生動物は人間より体が小さくても力ははるかに強いものが多
いから、油断は禁物だ。どんな性格かと読み進めると、「肉食性の傾向の強いヒグマに比
べて、植物性の傾向が強いためかはるかにおとなしいが、突然の出会いなどによる人の被
害がわずかながら毎年ある」と書いてある。<

と、市に問い合わせたり、書物で調べたりと、警戒心をあらわにします。そんな「クマの
生息地に住んでいた」ことを知って、マサノブ教祖が恐怖におののいている顔が見えるよ
うです(笑)。


また12月17日のブログでは、こうも書いています。

> しかし、実際にクマと遭遇するリスクの中で生きる人間にとっては、歌の中のクマの
人気など気にしていられない。クマの“本性”をきちんと把握することは死活問題でさえ
ある。私は、今日も自転車でオフィスから帰る道すがら、自分はどちらのクマを相手に
すべきかを考えていた。<

つまりこのクマは、マサノブ教祖にとっては「死活問題であり」、「大調和」すべき対象
ではないのであります。


純子夫人もブログの中で

>我が家の近くでツキノワグマが目撃されたとの情報は、先週の土曜日にもたらされまし
たが、昨日はまた大泉駅から比較的近いロイヤルホテルの南で目撃されたそうです。熊は
冬眠に入る前に食料を求めて、長距離を移動する習性があるそうです。本部職員にも、注
意が呼び掛けられました。72候でもちょうど「熊穴に蟄る」ですから、この時期なので
すね。子供たちが学校へ行くのにも、危険ですから、早く冬眠してもらいたいものです<

と、クマに向かって「早く冬眠しろ」と催促する純子夫人。それにしても、「似たもの夫
婦」とは良く言ったものです。

でも、このマサノブという人は、「自称宗教家」を豪語しておりますが。その実は何処ま
で行っても「俗人」なんですよね。そもそも自分の教団で「自然との共生」を主張し、自
然の存在を神様より重視している人物が、「自然の体現」とも言うべきクマの一匹や二匹
の出現を恐がってどうするんですか??

ヒョッとしたら、このクマはあなたが崇拝している「自然の神様」の御使いかもしれませ
んよ!?

それこそ「大自然惨禍経」を唱えていれば大丈夫なんじゃないの??

そもそもが、大自然と調和するための 「大自然惨禍経」ではなかったのですか?

それともこれが偽経であって、何ら効果がないことを誰よりも知っているから、恐いのか
しら??

――と、疑問が次々に湧き起こってきます。


私は、インドの聖者などの実際の伝記を読んだことがありますが、「万物と大調和」して
いる聖者のところには、トラさえ寄って来て坐るとのこと。宗教は頭だけでするものでは
無いのです。

クマの出現には、マサノブ教の教祖であれば、それこそ「大自然と調和するチャンス到来」
と、大喜びしてもいいのでは――などと、余計なことを考えてしまいました(笑)。

冗談はさて置き、私はこのクマの出現と、マサノブ夫妻のあわてぶりは、マサノブ教その
ものの「根本的な問題」を提示しているように思います。つまりマサノブ教祖は、口では
「自然との共生」を唱えているものの、その「自然」はあくまでも「自分の主張に都合の
いい自然」であり、いわば<ご都合主義>の自然に過ぎないのです。

「自然」の中にはそれこそ様々な動物が生息しています。その中には、人に危害を与える
クマもいればイノシシ、ニホンザルもいます。鳥やリスなどの「可愛い小動物」だけでは
ありません。シカも食物が無くなれば下の方に出没して、農作物を食い荒らす「害獣」と
なります。


そこでマサノブ教祖にお尋ねしたいのです。

マサノブ教祖は、どこからあなたが「共生」する「自然」と、「共生」しない「自然」と
の間の線引きをするのでしょう?

少なくとも「線引きなどしない」と言うのであれば、人間と「共生」出来そうにない動物
と、出来そうな動物との間の「差別」をすべきではないし、少なくとも「クマの出現」ぐ
らいで恐れおののいては、「自然との共生」など、言う資格は無いと思うのでが・・・

でも彼の「自然との共生」論は――「所詮は私の机上の空論=観念論である」――と「告
白」してくれた方が「正直」だし、まだついて来てくれる残存信徒の皆さんを惑わさずに
すみますよ。

皆さん、そう思いませんか。
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見えてきたマサノブ教の本質K (3471)
日時:2014年03月11日 (火) 09時58分
名前:サーチャー


<光明掲示板>
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見えてきたマサノブ教の本質K (6387)
日時:2014年03月11日 (火) 05時35分
名前:中村晃生


<生長の家の神示などを、次々と自分の都合の良いように「歪曲して解釈」するマサノブ
教>


最近、生長の家の「革命」に自信を持ってきたのかマサノブ教祖の我田引水的な――「自
然と人間の共生」を<生長の家>が唱えている――とする神示などの「歪曲作業」が酷く
なっています。

私たちは、逐一こうした歪曲に注意して反論を加えなければ、「中心帰一」の刷り込みで
批判精神を喪失した多くの信徒たちは、そのまま何でも受け入れてしまいます(実に恐ろ
しいことです)。


特に酷いのが11月21日のブログです

> 谷口雅春先生に下された「大調和の神示」でも、生長の家の根本について、自然を含
めた「天地一切のものと和解せよ」と力強く説かれていることは有名で<


と、マサノブ教祖は、勝手に「生長の家の根本について、自然を含めた「天地一切のもの
と和解せよ」と力強く説かれていることは有名で」と言っています。でも、どこをどう歪
曲すればそんな勝手な解釈になるのでしょう?

「大調和の神示」には、確かに冒頭に「汝ら天地一切のものと和解せよ」と書かれていま
すが、この神示の中に「自然」への言及は一言もありません(確かに「天地一切」となれ
ば字義的には「自然」をも含むでしょうけど)。

この神示は、「自然」を重視してはいないのです。重視しているのは、あくまでも人間関
係です。一番力強く説かれているのが「先ず汝の兄弟と和解せよ」ということです。そし
て「汝らの兄弟のうち最も大なる者は汝らの父母である。神に感謝しても父母に感謝し得
ない者は神の心にかなわぬ」となっています。

マサノブ教祖が、兄弟とことごとく不仲であり、特に母親を世間から隔離して自宅に幽閉
し、ないがしろにしていることは――それこそ「有名な話」です。「汝らの兄弟のうち最
も大なる者は汝らの父母である」との神示に反する行動をしているマサノブ教祖が、どん
なに「自然を含んでいる」との自説を展開しても、その説得力はゼロです。

これもまたマサノブの「白を黒」と言うような詐術に過ぎません。

彼は自説をあくまでも強行して、


>神の創造になる実相世界が顕れるのは「汝が天地一切のものと和解したとき」であると
明確に述べられている。つまり、人間社会内部の調和だけでなく、人間と自然界との和解
も神の顕現の必要条件だと示されている<


「人間と自然界との和解も神の顕現の必要条件だと示されている」――そんなことはこの
神示のどこにも書いていません。「天地万物との和解が成立せねば、神は助けとうても、
争いの念波は神の救いの念波をよう受けぬ」と書かれたあと、「皇恩に感謝せよ」「汝の
父母に感謝せよ」・・・と感謝すべき人間の例が逐一丁寧に列挙されています。もしもマ
サノブ教祖が主張するように「人間と自然界との和解も神の顕現の必要条件だと示されて
いる」のであれば、当然ここにも列挙されてしかるべきでありましょう!勝手に「神示」
を自分の都合の良いように「変更」してはならないのに、何ていうことをするのでしょう。

神様は一言も「自然界との和解」などと言っておりません。あくまでも人間世界での和解
が中心であります。そして一番最後に「天地の万物に感謝せよ」となるのです。ですから
「人間と自然界との和解も神の顕現の必要条件だと示されている」という指摘は、あまり
説得力がないのです。


>さらに聖経『天使の言葉』では、人間と自然との和解がどのようにして行われるべきか
を、次のように教えている−−すべての生命(いのち)を互いに兄弟なりと知り、 すべて
の生命を互いに姉妹なりと知り、分ち難くすべての生命が一体なることを知り、神をすべ
ての生命の父なりと知れば、汝らの内おのずから愛と讃嘆の心湧き起らん。ここにある「す
べての生命」という言葉の意味を人類にだけ限定して捉えているのでは、「大調和の神示」
の教えと矛盾してしまう。だから、聖経で説かれている教えも、基本的には「自然即我」
「我即自然」の自覚を前提としたものだと知らねばならない<


彼が言う――ここにある「すべての生命」という言葉の意味を人類にだけ限定して捉えて
いるのでは、「大調和の神示」の教えと矛盾してしまう――というのは、私が解釈する限
り人間世界の和解を言っているのであるので、全く矛盾していません。

彼は、聖経「天使の言葉」の経本のほんの一部だけを採りあげて、自分に都合良く論じて
いる訳で、それは正確な解釈にはなりません。というのもその前半部分には、かくの如く
汝らの個霊(みたま)も甲乙相(あい)分かれ丙丁互いに相(あい)異なる相(すがた)
を現じるともことごとくこれ唯一神霊の反映(うつし)にしてすべて一つなれば これを
汝ら互いに兄弟なりという

とあるわけでありまして、この「兄弟なり」というのが人間を指しているので、それ以外
のもの(自然)を指していないことは、普通の頭を持っていれば解釈されることは明白で
あります。

でも、どうしてもマサノブ教祖は、「自然」にまで無理してでも「拡大解釈」しなければ、
彼の理屈は通用しなくなります。

この聖経は基本的に聖経を読む対象である人間に対して神様がお示しになったことが書か
れているので、お経を読まない存在(つまり自然)に対して書かれたものではないのです
(そもそも世の中に、「自然即我」「我即自然」などとマサノブ教祖が言うような「突拍
子もない」ことが書かれた経典そのものが存在しませんよ! 一般的に全ての経典は人間
のために書かれたものです!)

そもそも、聖経「天使の言葉」のどこにも「自然即我」「我即自然」などとは一言半句も
書かれていません――それともマサノブ教祖は、目が悪くなったのですか??

彼の色眼鏡付きの頭の中では、何にでも「自然即我」「我即自然」と書かれていると見え
るのでしょうネ。それにしても困ったものです(笑)。

でも、皆さん、神様が私たちにお示し下さった神聖な聖経を、自己流に勝手に歪曲して拡
大解釈しても、それが神様がお示しなされていることと違うのならば、何の益があるので
しょうか?

いたずらに彼の個人的な「妄想の世界」に引きずり込まれるだけである――と、私は指摘
して置きたいと思います。
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見えてきたマサノブ教の本質L (3492)
日時:2014年03月12日 (水) 22時18分
名前:サーチャー


<光明掲示板>
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見えてきたマサノブ教の本質L (6431)
日時:2014年03月12日 (水) 02時35分
名前:中村晃生


<まだ宗教としての形態を整えていない未熟なマサノブ教――その救済策>


今、マサノブ教祖は、「生長の家」の教えとは全く関係のない「自然との共生」あるいは
「自然即我」「我即自然」といった<観念論>を盛んに振りかざして、自分独自の新しい
宗教団体を作り上げようと狂奔しています。

しかし、このマサノブ教祖の「自然崇拝教」は、彼の頭の中だけで作り上げたものであり、
神様とは無縁の存在のため、宗教団体あるいは信仰団体として見た場合、大きな欠陥があ
ります。

最大の問題点は――「自然と共生」する、あるいは「調和する」といってもその「具体的
な方法論」が提示されていない――ことです。

マサノブ教祖は、ブログの中で必死になって「自然即我」「我即自然」を説きますが、で
はどうしたら「共生できるのか」「調和できるのか」。その方法論となると全く存在しま
せんし、不明です(これは彼が宗教的な修業をしたことがないことに由来しています)。

彼は、谷口先生のお説になった「四無良心」などを持ち込みますが、それが人間サイドの
単なる「自己満足」に過ぎないのではないか――といった疑問には全く答えられません。

普通の宗教団体では、体験談など、それを実証するもの――宗教団体ではそのことを「あ
かし(証)」と表現しますが、それが全く無いからできないのです。

もちろん、谷口雅春先生創設の「生長の家」では、奇跡が続出しこちらで宣伝しなくとも
体験者が「教え」の素晴らしさをドンドン宣伝したために、瞬く間に全国に広がって行っ
たのです。


しかし、マサノブ氏が「総裁」になってからは、このような「体験談」はほとんど皆無に
なってしまいました。それも彼が谷口雅春先生の「教え」をないがしろにし、「生命の実
相」を隠したため、「奇跡」が起きる源泉が覆い隠されたからであります。

彼は「自然」は説いても「神」は説きません。環境論の「現象」は説いても、「生長の家」
の本来説くべき「実相」は説きません。双方とも、彼が信仰体験を持たないのと、「実相
独在」の真理が分からない(分かろうともしない)――から説けないのです。彼は「宗
教家」では無く、「環境活動家」であることに喜びを感じているのです。

ですから彼はマサノブ教の教祖として頭で考えた「へ理屈」をこねまわすだけ。次々とマ
サノブ教の「教理」を書いたり、話をしたりしますが、所詮は「神授」ではないため、空
疎で全く説得力が無いのです。

つまり、方法論を説かないで「共生」だの「調和」だの言っても(生長の家の場合は、「甘
露の法雨」などの聖経読誦や神想観といった行法が完成しています)が、マサノブ教には
ありません。せいぜいが――自然災害は引き寄せても――全く功徳のない偽経の「自然惨
禍経」の一斉読誦ぐらいで、説得力がないのです。

またマサノブ教祖の言説を聞いている方は、マサノブ教祖そのものが「大調和の神示」に
違反していることを良く知っているので、「いまさら何を言っているの!」と反発するだ
けに終わってしまうことになるのです。

表面だけ「生長の家」を自称してもそこに魂が無いのならば、救済は永久に訪れません。
似非宗教設立の試みは、失敗におわること、火を見るより明らかです。

でも、そのような批判が湧き起こることを見越してのことでしょう。

3月11日に「森のオフィス」で「神・自然・人間の大調和祈念祭」なる催しを執り行い
ました。大げさなネーミングとは裏腹に酷い内容であったことは、その実況中継を見てい
た「公平なる観察者」さんの書き込み

>本当に大失敗のマサノブ教祖「神・自然・人間の大調和祈念祭」でした。本来ならば、
詳しくその内容を閲覧者の皆様にお伝えするつもりでありましが、全く子供じみた「祈念
祭?」であったので、簡単に感想を数点申し述べるに留めます。本当にアホラシクテ、ア
ホラシクテ時間の無駄とはこの様なことを言うのでしょうね。<

を読むだけで十分想像がつくというものです。それにしても彼は、何を「必死になって」
やっているのでしょう?完全に「個人幻想」の世界に囚われてしまった「裸の王様」(周
囲の誰も、裸であることを言ってくれないため)になってしまたようです。

全く哀れで救いようのないマサノブ教ですが、完全に見捨てるのも雅春先生の教えを受け
ている人間としては、少ししのびません。そこでここでマサノブ教祖に、「マサノブ教救
済」のヒントとなる助け舟を出しましょう。

実は「自然との共生」「自然との調和」で大成功している信仰団体が世界にはあります。
宗教のことを全く知らないマサノブ教祖は、ここのことを学べば一つの方向性が見出され
ると思います。

それは英国のスコットランドにあるフィンドホーン財団です。今から50年前にアイリー
ン・キャディ、ピーター・キャディ夫妻、それにドロシー・マクリーンによって設立され
た団体で、今では毎年世界から1万人以上の訪問客が訪れて繁栄しています。ホームペー
ジには、

>日常にしっかりと根ざしたスピリチュアリティーを主眼に、自然と人との共存、人の在
り方・つながりを学び続ける、国際色豊かな共同体です。 活気あふれる創造的な場所で、
多様な国籍からなる400人以上の人が集まり、従来の生活様式とは異なる生き方を共に
実践しています<  と、書かれてあります。

このアイリーン・キャディの本は、実は日本教文社から多数出版されているのです!私は、
アイリーン・キャディの本は全部読んで見ました。いずれも霊感にあふれた素晴らしい本
です(マサノブ教祖がこの本の「爪の垢」でも霊性があれば良いのにと思ったほどでし
た)。

日本教文社は、ご自分の「マサノブ教」の関連会社でもあるので、取り寄せて読まれれば
参考になると思います(あくまでも彼にそれだけの真理を求める心があればと仮定しての
ことですが・・・)。

少なくともこれまでの全く自分の頭だけで考案した「自然即我」「我即自然」よりもよほ
ど説得力がありますよ。

フィンドホーンの成功は、一に「神への徹底した祈り」にあります。毎日の瞑想と神への
祈りによって、神霊と自然霊とからの的確な指示を受け、英国北方の荒れ地だったフィン
ドホーンを見事な「自然と共生する天国」へと転換させたのです。

あなたが心底から「自然との調和、共生」を信じ、目指しているのならば、まずは信者に
対する欺瞞に過ぎない「生長の家」総裁を辞任することです(雅春先生の説かれた教えそ
のものを踏みにじっていることは許されません)。

そしてフィンドホーン財団を真似て「自然崇拝教」を新設することです。

また神様への祈りは欠かしてはいけません。宗教団体が成功するには、神様への祈りしか
道はないのです。肝心の神様を放置して、いくら「自然」「自然」とわめいて見ても、「別
の存在」は喜んでも、「自然」との間には何らの「共生」も「調和」も出現しないでしょ
う。


頭で考えたマサノブ教祖の「個人幻想」を、いかに教祖だからと言って「共同幻想」にな
るように信徒や職員に強制したとしても、所詮は「はかない夢」に終わってしまうのです。

マサノブ教祖さん、今からでも遅くありません(それとも「別の存在」に洗脳されている
から分からないかも)。徹底して懺悔して谷口雅春先生と住吉大神に謝り、許しを請うこ
とです。

――そうすれば、自分で「自然崇拝教」を作ることの愚を悟り、「生長の家」の教えとご
本尊である住吉大神、天皇信仰に戻ることの重要性が理解できるかもしれません(??)
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見えてきたマサノブ教の本質M  (3502)
日時:2014年03月13日 (木) 13時42分
名前:サーチャー


<光明掲示板>
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見えてきたマサノブ教の本質M (6476)
日時:2014年03月12日 (水) 23時34分
名前:中村晃生


「見えてきたマサノブ教の本質」批判5−6

<マサノブ王国の個人的な「趣味と遊びのワンダーランド」と化した「森のオフィス」>


私は過去に「森のオフィス批判」を展開した時、マサノブ教祖が今の八ヶ岳のロケーショ
ンを何故選んだのか――文明の転換、CO2の排出削減、自然との調和など――その論拠
がいずれも薄弱であり、説得力に欠けるもののため、最終的には「自分の別荘に近い場所
を選んだのではないか」と推論しました。

でもマサノブ教祖は、その推論が当たっていたことを、最近の自分のブログの中で明らか
にしています。

それは9月25日のブログの中で


>私が予想しているのは、何が起こるか分からない“新生活”なのである。山梨県北杜市
の八ヶ岳の麓、標高1200メートルの高地へ移住する。生長の家が国際本部を同市大泉町
西井出へ移転するのに伴うものだ。生長の家は今夏、そこに“森の中のオフィス”を完成
し、10月から業務を開始する。私たちの新居からさらに約100メートル高い標高の土地
に、本部事務所を開設したのだ。その名の通り、カラマツとスギが生い茂った森の中に、
木造二階建ての大型建築物が何棟も並び、まだ新しい木の香がする。そこへ連日通うので
ある。派手な装飾で彩られたファッションビルの間隙をぬって、車と人とが混み合う中を
通った過去とは、まるで別世界と言えるだろう。

妻と私にとって、しかしこの地は未知の場所ではない。もう10年ほど前から山荘を構え、
仕事の合間の息抜きのために利用してきた土地だった。何の縁あってか、そこが“永住の
地”になりそうである。50歳を過ぎていわゆる“別荘族”となり、都会と森を共に味わ
いながら、両者の極端な違いを肌身で感じてきた私には、一方を捨てて、一方を採ること
が、自分にどんな変化をもたらすか予測できない。が、予測できないところが人生の面白
味でもある。人はとかく、自然界の影響から離れて自由に生きていると錯覚しがちだが、
好不況、転勤、転職、事故、病気などの変化は、田舎よりもむしろ都会でよく起こる。都
会に住み続けていても結局、明日は予測できないものである。しかし、都会での変化は「も
う分かった」と感じる。この感覚には、「もう沢山!」という思いが混じっているのだ<


つまり今の新居は、前の「山荘」とはさほど遠くない標高1200メートルの「別荘地」の
中にあり、「森のオフィス」は、そこからさらに100メートルほどの高さにあるというこ
と。彼はここに自転車で「通勤している」らしい。

10月18日のブログでは、もっと具体的に

>しかし、東京の舗装道路と八ヶ岳の山道では、事情がまったく違った。私の家は、舗装
道路から山道へ入ってから300メートルくらい凸凹道を行った先にある。急斜面を上り下
りする場所もあって、車なら四輪駆動でないと心配な道だ。まずそこを走るのに息が続か
ず、一度サドルから降り、車体を押さねばならなかった。車道に出た後しばらくは下り坂
なので快適に走れるが、その後、県道に出ると、オフィスまでの約600メートルはずっと
上り坂だ。ここが結構の急坂だから、最初の数十メートルで脚が悲鳴を上げる。あとはゆ
っくりと歩くほかはない。「こんな程度でへたってたまるか!」と思うが、体力の衰えは
如何ともし難いのである。

上り坂が多いということは、復路は天国のように快適ということだ。英語で、旅立つ人に
幸運を祈って投げかける言葉に「Godspeed」というのがあるが、まさに「神の速度」を得
たように走る。被っているヘルメットの紐が風を切る音が耳元でヒューヒュー聞こえるほ
どだ。これで往路の苦しみが報われる、と感じる。「人生、楽あれば苦あり」とはよく言
うが、山でのジテツー(自転車通勤)は「苦あれば楽あり」である<

と、必ずしも楽ではない通勤事情を公表している。

そしてさらに具体的には12月16日の自身のブログの中で、

> 私は「まさか」と思った。井富橋とは、私が通勤時にいつも通る小さな橋だ。そこで
クマが目撃されていたのであれば、妻と私はクマの生息地に住んでいることになる。この
ことは、しかし初耳とは言えなかった。実は昨年から、井富橋から数メートル先の舗装さ
れた山道の電柱に、「クマ注意」を知らせる北杜市の貼り紙が付けられていた。が、私た
ちは「それは昔のことだろう」とか「もっと遠くで見たのを、安全を考えてここに貼った
に違いない」などと解釈し、あまり真剣に考えなかった。それでも、この地に定住を始め
た今秋からは、さすがに不安を感じて、一種の保険のつもりで二人とも1つずつ「クマ除
け」の鈴を買っていた。そして、キノコ採りのために自宅の裏山へ入る時には、それを腰
に下げたり下げなかったりしていたのである。<

と、書いています。

つまり、クマが出現したのは、彼の大泉町の別荘からの自転車での通勤ルートにある井富
橋近くであることを自分で暴露しています。

ある人がユーチューブにクマが出没した現場付近の映像を投稿しております。
www.youtube.com/watch?v=MhjdfpH6yhY

この映像を見る限り、クマが発見された場所(井富橋付近?)は、別荘が周囲に点在する
林の中のなだらかな車道であり(舗装こそされてませんが)、セレブ生活を満喫している
マサノブ教祖がサイクリングを楽しむには格好の場所のような印象を受けます。

つまり、「森のオフィス」も「新居」も、もともとの「山荘」からさほど離れておらず、
自分の「自然との共生」構想(個人幻想)を実現させるためのマサノブ王国の「遊びのワ
ンダーランド」であったことが、図らずも明らかになったと言えましょう。

しかも教団体本来の存在理由ともいえる「衆生救済」をアッサリと捨て去ったマサノブ教
では、働く職員ですら遊びの生活に堕していることは、(掲示板の皆さまの指摘にもある
ように)今回の山梨県の豪雪被害の中で菅原某が撮っていた遊びの写真で暴露されていま
す。

問題は、この「森のオフィス」が、「生長の家」が創設された目的(人類光明化運動、鎮
護国家運動)とは、全く関係のないマサノブ教祖の個人的な趣味のために建てられたこと
が明らかになったことです。このオフィスには、人間救済のための施設も修業をする道場
も存在しません。単なる事務所であり、マサノブ教祖のためのアスレチック施設はあって
も、信徒のみなさんのための施設ではないのです!

だとすれば、この「森のオフィス」の存在意義は、一体何なのでありましょう?いやしく
も宗教団体を名乗る以上「人々の救済」が目的でなければなりません。それが全く無い以
上、それこそ我々は谷口雅春先生創立の「生長の家」の名をこれ以上汚さないためにも、
本格的にマサノブ教祖に対する「生長の家の看板返還」の要求運動を展開してゆくしかな
いと思います。

いかがでしょう、皆さん。
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見えてきたマサノブ教の本質N (3522)
日時:2014年03月15日 (土) 01時29分
名前:サーチャー


<光明掲示板>
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見えてきたマサノブ教の本質N (6531)
日時:2014年03月14日 (金) 08時25分
名前:中村晃生


<恐怖心を煽る信仰(幻想)――終末思想としてのマサノブ教>


まだマサノブ教にしがみついている人々の中には、何か「生長の家とは違う」あるいは「何
かおかしい」とは感じながら、なかなか抜け出せないでいる信徒がいます。

話を良く聞いてみると、実は今は、マサノブ教団の講師たちが、誌友会などの集会で、環
境問題などで信徒を恐怖心に陥れ、マサノブ教団にしがみつかせるようにしているようで
す――「このままでは環境悪化で地球が滅んでしまう。どうしますか!」「東日本大震災
はマサノブ先生の言うとおりに起きた」――などと、環境悪化や自然災害の恐怖心を煽っ
て「自然と共生」するマサノブ教にしがみつかせようとしているのです。

このような講師の話をまともに聞いた残存信徒の皆さんは、疑うこともせずみんな至極真
面目に「地球の破滅」を恐れているのです。だからマサノブ教祖についてゆけば何とか助
かるのでは――との淡い期待を胸に。

・・・でも、これには恐れ入りました。

おそらくは、多くの方が「生命の実相」など谷口雅春先生が書かれた書物など読んだこと
がないのでありましょう。あるいは環境論を振り回すマサノブ教祖に洗脳されてしまった
のでしょうか?

何しろ「ウソも100回つくと真実になる」と言いますので・・・

でもこれは「生長の家」本来の教えとは、全く正反対の教えです。谷口雅春先生は、――
恐怖心を煽る宗教を否定されて、キリストの言葉「真理は汝を自由ならしめん」を盛んに
説かれ、唯神実相論を説かれ、「いかに現象世界が終末を迎えて破壊されようとも、実相
世界は安穏なのである」――と強力に説かれていました。

いつから「生長の家」は「恐怖心を煽る宗教」になったのでしょう???

結局、マサノブ教祖が「生命の実相」を隠し、「甘露の法雨」を隠し、「実相」の御軸を
隠す、ニセモノの「生長の家」となったために、環境悪化で信徒の恐怖心を煽る以外に、
人々をマサノブ教団に引きつけておく手段がないということなのでしょう。

それでマサノブ教祖は、もっぱら地方での講習会は、唯神実相の「真理」の話ではなく、
現象世界の「環境」の話ばかりするのでしょう。

でもこの光景はある宗教団体の一場面に似ていませんか?――そうです。オーム真理教な
どの、世に言う「カルト教団」が使う手でもあるのです。信者の恐怖心を煽り、外部から
の攻撃を受けているとか何とかの偽の情報で信者をマインド・コントロールして、一定の
方向に盲進させる。オーム真理教では一般市民に対するサリン攻撃にまで発展した訳です
が、マインド・コントロールされている人たちは、自分たちが正しいことをしているとす
ら信じてしまうのであります。

マサノブ教が危険なカルト教団になってしまったとは言いませんが、少なくとも谷口雅春
先生の「教え」から大きく離れているため一歩間違えると、終末思想に踊らされた極めて
危険な反日環境集団になる可能性があると言えると思います。もちろん現在のマサノブ教
団は年配の女性が中心になっていますので「暴走」することは無いとは思いますが・・・

「終末思想」あるいは「終末論」は、世紀末に必ず出てきます。もっとも、世紀末が過ぎ
て何も起きなければ、「ナーンダ」と安堵した人々によって忘れ去られてしまうのが常で
あります。

しかし、マサノブ教が広めている「環境論」ならびに「このままでは地球は滅びてしまう」
との「終末論」は、異常気象が毎年酷くなっているため、特定の人たちには信じられやす
い構造となっています。

「生長の家」本来の「教え」からは遊離した単なる「現象論」に過ぎないのですが、それ
でも目に見える物を信じるのが一般大衆であるので、一度このカラクリの中にはまり込む
と、なかなか目を覚ますことが出来ません。そして神様を説かない単なる環境団体化した
マサノブ教団について行ってしまうのです。実際、マサノブ教団では最近、宗教団体であ
ることすら放棄し始めたようです。


これは破邪顕正さんがブログで書かれていた指摘ですが、

>「生長の家は、これから救済路線を捨てて環境保護運動一本でまいります」三好理事の
この宣言にも驚きましたが、今度は千葉教区の目等教化部長・理事が、幹部に対して、こ
う言ったという情報が入りました。「これから練成会には、病気の人、悩める人は誘わな
いようにしてください。元気な人に声をかけるようにお願いします!」

なるほど、救済路線を放棄したということは、具体的にはそういうことになりますよね。

ここまでアカラサマにそう言っていただくと、“八ヶ岳教団”が何を目指しているか、ハ
ッキリしていてスッキリいたします<


これにもビックリしましたが、でも良く考えてみれば、この三好理事にしても、目等教化
部長にしても、マサノブ教祖に対しての「イエスマン」ぶりを徹底すれば、自ずとこのよ
うな発言になります。その意味では、この二人とも、正直者であり、マサノブ教祖に対し
ては忠実者であるとすら言えるでしょう。


でも、問題はマサノブ教そのものが、もはや教祖はじめ幹部が完全に堕落しきって、「宗
教団体」と呼ぶに値しなくなった――という点であります。


ここのところを我々はシッカリ認識し、批判の刃を向けて行く必要があるでしょう。もち
ろんまだ「生長の家」の看板を降ろしていませんので、「生長の家の大神」に対しての侮
辱にすらなるのであります!

マサノブ教祖をはじめこの教団幹部は、そもそも宗教団体が人々の信仰を集める理由の根
本を理解していません。まあ信仰心がはなから無いマサノブ教祖は仕方がないとしても、
教団幹部は少しは――自分で病気や人生苦を経験して、「生長の家」に入信して救われた

経験を持っている――と思われますが、その「救い」を経験した当の幹部たちが、宗教者
としてこんな「堕落した」発言をしてマサノブ教祖をヨイショするようでは、マサノブ教
団もいよいよその「終末期」を迎えたと言って良いだろうと思います。

というのも「衆生」と言われる普通の人々が、特定の宗教団体の信徒となる、あるいはそ
の団体の信者となるというのは、@病気を始めとする様々な人生苦からその宗教を信仰す
ることで救われるA教祖が神からの指導を受けて世の行く末の預言ができ、将来の不安か
ら人々を解放してくれる、という二つの要素を持っている場合であります。

この「衆生救済」「国家救済」の力が強い場合には、爆発的に信者が増え、教団が拡大す
るのです。戦前、そして戦後の雅春先生の御存命時の「生長の家」が、まさにそうでした。

しかし、現在の「ひきこ森」にオフィスを構えたマサノブ教団は、神様の啓示はもちろん
ありませんし、「自然との共生」なる環境団体のスローガンを声高に叫ぶばかりか、「人
類光明化運動」はおろか大事な「鎮護国家」の看板をすら外して止めてしまいました。
つまり、「衆生救済」および「国家救済」の大事な役目を捨ててしまったのです。これで
はもはや宗教団体としての存在理由はありませんし、教団の発展はもちろん望めません。
既存の忠実なイエスマンの残存信者に寄生して、その資金提供によって細々と自らの生存
を維持してゆく以外にないのであります。


マサノブ教団は、いうなれば宗教団体としては、今では徹底して堕落しきったと言えると
思います。もはやマサノブ教祖が自分の間違いに気付き、住吉大神に対してこれまで行っ
てきた様々な無礼を謝罪し、己の「革命的な改心」を図る以外に復活の道は無いでありま
しょう(もっとも60歳をすぎたマサノブ教祖に、そのような信仰心は期待できませんし、
その可能性はほとんど無いでしょうが・・・)。
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見えてきたマサノブ教の本質O  (3528)
日時:2014年03月15日 (土) 10時14分
名前:サーチャー


<光明掲示板>
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見えてきたマサノブ教の本質O (6564)
日時:2014年03月15日 (土) 04時25分
名前:中村晃生


<宗教団体であることを止め、環境団体であると開き直ると、「転倒妄想」の世界に迷い
込む>


マサノブ教団がまだ「生長の家」を偽装して「宗教団体である」と言っているうちはまだ
良いのですが、幹部がマサノブ教祖の顔色を伺って路線を先取りし、「生長の家は、これ
から救済路線を捨てて環境保護運動一本でまいります」とか、「これから練成会には、病
気の人、悩める人は誘わないようにしてください。元気な人に声をかけるようにお願いし
ます!」などと、宗教団体にあるまじき「堕落した」発言をするようになっても、当然マ
サノブ教祖としては自分の意を汲んでいるので、批判や叱責はいたしません。その結果、
マサノブ教祖ともども宗教団体としての「最低限の歯止め」が全く利かなくなり、教団全
体がズルズルと聖経に言う「転倒妄想」の世界に転落して行くことになるのです。

つまり「神とは別の存在」に支配された危険な「カルト教団」になるか、反日左翼の単な
る「環境団体」となって行くしかないでありましょう。いずれにせよ、極めて危険な状態
になると言わなければなりません。


さる3月11日の東日本大震災の3年目の日に、マサノブ教団は、「神・自然・人間の大調
和祈念祭」を「森のオフィス」で行いました。事前に広く予告がなされていなかったため
でしょうか、何か唐突な気がしたのですが、その中身は「やはり」というか、お粗末なも
のでした。

形ばかりの「瞑目合掌」をし、眉間は開いておらず(つまり神様が降臨していなく)暗い
顔で、何を言っているのか聞き取れないような小さな声でブツブツつぶやく祈り(?)の
言葉――谷口雅春先生の祈りの迫力とは「天と地」ほどの違いですが――しかも、神想観
にしては短時間でおざなりな感じ(この方の祈りはいつもこうなので、今さら驚きもしま
せんが)。

それに正面のガラス越しに見えるのは一面の雑木林の雪景色。もちろん「実相」の御軸は
ありません。やはり信仰の対象はあくまでも「雑木林」であります。掲示板のユーチュー
ブには映っていませんでしたが、一連の儀式の最後でみんな「雑木林」に向かって一礼し
たとか・・・

もはや「実相」を拝する「生長の家」ではなく、完全に「現象」を拝する「大自然崇拝教」
となったことを内外に示したのであります。

もう何をやっても誰もマサノブ教祖を批判する人間がいなくなった今(つまり「革命」が
実現した今)いうなれば、マサノブ教団の「実相隠匿、現象崇拝」の完全な開き直りが行
われたと言えましょう。

これはマサノブ教祖が長崎本山で行った「今後は神道形式を止める」という衝撃的な発言
に関しても言えます。まさに神道形式の神社である長崎本山でこのような発言をするとい
うのは、完全な「生長の家」教団を形式面でも否定した、「開き直り発言」以外の何物で
もありません。

問題は、この発言がどのような意味を持つのか、教団幹部も当のマサノブ教祖も全く理解
していないことです。

私は、かつてマサノブ教祖の――雅春先生の存在、そしてその「教え」をことごとく否定
しようとするその「暴走ぶり」――を、実際は西洋の「悪神」と、日本の「正神」の「霊
的な戦い」であると、指摘しました。つまり「護国の教え」である「生長の家」を(傀儡
の)マサノブ教祖を利用して潰してしまおうとする「外国の悪神」の仕業であると(また
そうでも考えなければ、彼の常軌を逸した「暴走振り」は説明がつきません)。

そうした観点から見れば、この「脱神道発言」は、完全な「外国の悪神」側の勝利である
と言えると思います。でも今後は、「外国の悪神」の影響力がますます強力になり、マサ
ノブ教団をさらにあらぬ方向に「暴走させる」だろうと、私は想像しています。つまりは、
「転倒妄想」の世界に今後、転落して行く危険性が高まっている――ということです。
それも「脱神道発言」をし、「日本神界の加護のバリアー」が機能しなくなったことが原因です。

マサノブ教祖は、「脱神道発言」をすることは――今後、マサノブ教団を「環境問題を教
義内に採り入れた世界初の」(実際には世界で最も珍妙な)教団にして行くための方策で
ある――との「幻想」に浸っているのかもしれません(??) 

しかし、その実態は、「外国の悪神」の餌食になっているに過ぎないのです。

おそらくは、3月11日の「大自然調和式典」に際しても、笑顔一つ見せなかったマサノ
ブ教祖の「無表情な暗い顔」は、今後ますます渋面とどす黒さを増してゆくことでしょう。
霊的な観点から言えば、それが「日本神界の加護のバリアー」から離れること――の実際
の意味だと私は思っています。日本での宗教団体にとっては一番大事なものなのですがね
・・・
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見えてきたマサノブ教の本質P  (3539)
日時:2014年03月16日 (日) 21時18分
名前:サーチャー


<光明掲示板>
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見えてきたマサノブ教の本質P (6592)
日時:2014年03月16日 (日) 18時40分
名前:中村晃生


<大自然崇拝教の実態を暴露したマサノブ教にどう対処するか>――そのT


最近のマサノブ教祖の行動を見ていると、いくつかの「奇異な行動」に気が付きます。そ
の一つが、いろいろな宗教団体に「森のオフィス」を見学させていることです。

「亀の子」氏の最近の投稿の中に、

>機関誌「生長の家」1月号〜3月号より昨年の立正佼成会の次代会長が“森の中のオフ
ィス"の訪問したのに続き、12月17日に金光教の職員、1月17日には、新宗連(新日本宗
教団体連合会)に属するPL教、解脱会、立正佼成会の長野県協議会のメンバー9人がオ
フィスを見学したとのこと。立正佼成会繋がりと思われる。<

というのが有りました。

これは一見すると、新宗連の皆さんに「森のオフィス」を見てもらおう――マサノブ教団
の新しい施設の単なる「お披露目」とも受け止められます。でも、私はマサノブ教祖の意
図は、もっと別のところにある――と、睨んでいます。というのも彼は、「森のオフィス」
への移転を、もっと別の観点から見ているからです。

彼が書いた「森の中に行く」の本の中にも「森のオフィス」への移転を「文明論」的な関
連から自画自賛しています。いわば「文明的な大転換である」と。確かに人生苦に喘ぐ多
数の「衆生」が存在する「都会」から、動物しかいない「森の中」に移転することは――
「衆生救済」の放棄を意味する訳で――それこそ宗教団体としては「大転換」でしょう。

しかし、それはあくまでも「妄想」の世界に遊んでいる、マサノブ教祖の独りよがりの「自
己満足」に過ぎないのです。こんな意味での「転換」は、どの教団にも影響は与えません
し、どこも追随する教団は出てこないでありましょう(そんな衆生救済の放棄をしてしま
えば、自己の教団の自殺行為であることが明白であるからです!)。

今回の3月11日に挙行した大げさな「神・自然・人間の大調和祈念祭」――その実態は、
「森のオフィス」職員だけを動員した儀式だったようですが――に関しても、彼は依然と
して「大げさな」マサノブ教の教理を展開してはばかりません。

 >このお祭は、その名前の通りに「神・自然・人間」の三者が大調和することを祈る
“森の中のオフィス”建設の目的に合致する新たな行事として実施が決まったものです。
今回は最初のお祭です。東日本大震災で直接的な被害があったのは日本国内ですから、こ
の御祭は日本だけで行ってもいいという考え方もできるのですが、ご存じの通り、「神・
自然・人間」の三者が大調和していない状態は、残念ながら日本だけでなく、全世界でず
っと続いている現象であります。私たちには、この三者の不調和が大震災の被害を大きく
したという認識があるだけでなく、21世紀最大の人類の課題である地球温暖化問題の起
源も、三者の不調和が原因であると考えているため、世界中でこの祈念祭を執り行う必要
があると考えました。

 では、「神・自然・人間」の三者の不調和とは何でしょうか? 

それは、現代文明のあり方そのものの中にあります。現代社会には、人間至上主義の考え
方が隅々まで行き渡っています。そういう不調和が永年続いてきたために起こっているの
が、「地球温暖化」とか「気候変動」と呼ばれているものです。ご存じのように、この問
題の原因は、生物多様性や地球環境に有害な影響を与えることを知りながら、人類が自分
たちの快楽増進のために温室効果ガスを排出し続けていることです。また、原子力発電と
いう技術も、生物全体に有害であり、かつ核兵器の拡散の危険があると知りながら、人

間が短期的な快楽を追求して採用している技術である。これらは、「神・自然・人間」の
不調和を示す典型的な例であります。そういう悪いトレンドは、まるで麻薬のように、や
めたくてもやめられない一大潮流となっているように感じられるのです。これは、仏教的
に言えば「悪業」であります。日本人だけでなく人類全体がその潮流の中にあるため、日
本以外の国に住む生長の家の信徒の方々にもこの祈念祭に参加してもらう目的で、今日の
御祭はインターネットで中継されています。

 私たちは、この祈念祭を通して、人間至上主義を克服し、神への不信仰と自然破壊の流
れを止め、さらには逆転して、自然の働きをもっと回復していかねばなりません。自然を
賞め、自然を養い、自然界の営みから神の御心を学び、それを私たちの実際生活に反映さ
せていかなければなりません。悪業の結果を消すためには、善業をどんどん積むことが大
切です。そういう意味で、唯一絶対・善一元の神への信仰をさらに深め、かつその神から
いただいている自然界を尊重し、破壊せずにあらゆる生物と共存していく生き方へと転換
しなければなりません。そういう信仰とライフスタイルを全世界に推し進めていくための
お祭の1つが、この「神・自然・人間の大調和祈念祭」なのであります<


と、彼の「妄想」は果てしなく広がります。

そして、今の「気候変動」の原因を

>私たちには、この三者の不調和が大震災の被害を大きくしたという認識があるだけでな
く、21世紀最大の人類の課題である地球温暖化問題の起源も、三者の不調和が原因であ
ると考えている<

と、彼一流の論理でドンドン拡大解釈して行きます――彼が言うように、実際にそうした
ことが「事実であるのであれば」、あるいは彼は「大妄想家」(?)ではなく、ヒョット
したらこれまで人類が想定したこともないような「新宗教」を創案した「大宗教家」(!?)
なのかもしれません。――でも実際はどうなのでしょうか。

もっとも、総裁3代目にして大教団をメチャクチャにした「大バカ者」であることは確か
でしょうが。

彼は今回の「大自然調和祈念祭」において、彼の創設したマサノブ教の実態を明白にしま
した。それは「生長の家の教え」とは全く正反対の――「実相隠ぺい、現象肯定、大自然
崇拝」――の「教え」であるということです。また先般、長崎本山の顕斎殿を土足で踏み
にじったように、「生長の家の大神」に対する尊敬の念は「微塵も無い」ことも明らかに
なりました。

私たちが、そして谷口雅春先生が最も重要視していた顕斎殿をこのように扱うことは、信
仰者としてはもちろん、いやしくも「生長の家総裁」を自称する人間としては、絶対に許
すことはできません(大神を信じていない証拠でもあります)!!

その意味で、私たち、「生長の家」本流の教えを守る立場の人間からすれば、彼の論理は
逐一検証する必要があるし、しかも「生長の家総裁」を自称している以上、「生長の家」
本来の教えから見てどうなのか――を詳細に論じる必要があると、私は思っています。

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見えてきたマサノブ教の本質Q  (3555)
日時:2014年03月18日 (火) 22時10分
名前:サーチャー


<光明掲示板>
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見えてきたマサノブ教の本質Q (6631)
日時:2014年03月18日 (火) 05時07分
名前:中村晃生


<大自然崇拝教の実態を暴露したマサノブ教にどう対処するか>――そのU


こうした「このままでは地球は滅びる」といった恐怖心で信徒を煽り、マサノブ教団に縛
りつけておこうとする現状にどう対処すべきでしょう?

「闇には光をもって相対せよ」と聖経に示されています。偽物の教団に対するには、「本
物」の光を当てる以外に無いと考える次第です。

つまり「生長の家」の唯神実相論の「教え」から見て、マサノブ教の本体である「大自然
崇拝教」が――どんなに可笑しいのか、何が違うのか、どこが間違っているのか――を示
して見せて行く以外に無いのではと、考えています。

つまり、<しがみついているマサノブ教信徒を救出するには――本物を示す以外に無い>
ということです。したがってこれからはそうした議論を展開して行きたいと考えています。


もとより、私は保守本流の政治家を自認しており(今はバッジこそつけておりませんが)、
と同時に谷口雅春先生の弟子であると自認している人間であります。しかし、「生長の家」
教団に関しては、講師などの資格をとったこともありません。いわば一介の信仰者に過ぎ
ず、本来ならばもっと「教え」のプロの方が、こうした論議をして頂くのが良いのだと思
います。

私もある方にこのことを相談致しました。しかし、その方からは「そのように感じている
なら、感じている人間がやるしかありませんよ」との返事でした。ある意味、至極まっと
うな答えだったとも思います。そこで、いろいろ考えた末、僭越なことかも知れませんが、
浅学非才を顧みず、私がその試みに挑戦させて頂くことに致しました。

しかし、谷口雅春先生の「教え」から外れたり、間違うといけませんので、私は極力、谷
口雅春先生のご著書3冊――「実相と現象」(絶版にされている)と、「唯神実相の世界を
説く」、「神の真義とその理解」(これも絶版)――を中心にして、今後の議論を展開して
行きたいと考えております。

しばらくは構想を練って論考を重ね、一定の分量がたまったらまた始めたいと考えていま
す。その間、しばし休みます。

よろしく。請うご期待。
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