生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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大東亜戦争の意義 (7798)
日時:2017年09月29日 (金) 14時46分
名前:本音の時代

※谷口雅春著 「神ひとに語り給ふ」(293頁〜297頁)から抜粋

大東亜戦争の意義

 大東亜戦争なんかも、たゞ一概にあれは悪い悪いと言ふ人がありますけれども、あの戦争は歴史的流れに於て、アジヤに対する白人帝国主義の侵略に対するアジヤ民族の抵抗のあらはれとして起るべくして起ったのであり、日本が有色民族の代表として白人帝国主義の侵略に抵抗することがなかったならば大東亜の諸民族は現在も白人種の奴隷であり、またその土地は植民地にされたままであつた。日本が米英和蘭(オランダ)等に対して戦ったお蔭でアジヤの諸民族は白人帝国主義の桎梏をすることができたのです。だから、アジヤの諸民族は、日本のあの戦争努力に対して、ありがたうございますとお礼を言っても差しつかヘがないと思ふのであります。人あるひは、日本も帝国主義で満洲や朝鮮を侵略したではないかと言ふかも知れないけれども、ロシヤ勢力の南下に対して、日本が朝鮮に進出し、満洲に防衛地域を築いておかなければ、今頃、日本は地図の上から消えてしまってゐたのであって、日露戦争は、中国の領土に南下進出してゐたロシヤを叩いて、そのロシヤの勢力圏を日本の勢力圏にしたのであり、しかも、日本は満洲を自己の領土にしないで、其処に五族協和の理想のモデル国家として満洲国を建設したのであります。それはロシヤ勢力の南下を喰ひとめる為に必要な措置であって、中国が目覚めるまでは、日本が代って中国の防衛に当らねばならなかったのです
 私は別に戦争を謳歌するといふわけぢゃないのですけれども、起るべくして起ってゐるものを、日本民族の侵略だと言ふのは間違なのであります。
 どんな逆境といふものでも、皆人類の魂をみがく為に出てくる所の一つの学校であるといふことを私は常々話してゐるのでありますが、さうすると、ロシヤの南下、ロシヤの満洲・朝鮮への進出、日本の反撃、日露戦争、日本の戦勝、ロシヤの勢力地域への日本の進出、日本の勝利による有色民族の目覚め、中国民族の目覚め、日本と目覚めた中国との衝突、日本の進出に対するアメリカの嫉妬、アメリカの中国への援助、アメリカの援助を断ち切るための眞珠湾爆撃――かういふやうに順序をならべて見ると、あの戦争は有色民族の目覚めのためにも、日本の尚一層の目覚めの為にも必要であったのであり、あの戦争が若し無かったならば、こんなに日本人の個人の尊厳についての考え方がこんなにもパッと変るといふ事は出来なかったにちがひないのです。
 併しこの急激な変り万には、悪い方面も出て居るけれども、それは自壊作用といふものであって、それは病気が治る時には、熱が出たり、悪いものが出る為に下痢したり、色色悪い面が出て、そしてそれが徐々に潔まって、完全な健康体に復するといふのと同じ働なのであります。歴史はマルクスが言って居るやうに、弁証法的な発展をするのであって、今までの「歴史的生命としての人間」の自覚の反動として、歴史を否定し、たゞ「個」としての人間のみの自覚を強調する時代に日本は突入してゐるのでありますが、これも行き過ぎであって、「個」の尊厳に目覚めながら「歴史的生命としての人間」にも目覚め、「個」と「民族」と「歴史的国家」との一体としての人間に目覚めるべき時が来てゐると思ふのであります。

役割を果した日本の帝国主義的進出と敗退

 南下るロシヤ勢力を撃退して、その勢力範囲を自己のものとして継承した日本はロシヤ帝国主義をも形の上では継承したことになったので、このまま、日本があの大東亜戦争に勝ってゐたら、日本はロシヤ帝国主義の引継ぎとして南下る侵略国になってゐたのですが、神の摂理は、日本をその帝国主義的アジヤ支配から引戻すために、しかも、全アジヤから一応白色人種を駆逐して置く必要があるので、開戦一年間は日本は連戦連勝、英国を印度から駆逐し、フランスを東南アジヤから駆逐し、オランダをインドネシヤから駆逐し、フイリッピンからアメリカを駆逐し、有色人種に目覚めの契機を与え、それから後はみづから敗退してその土著の諸民族の独立に便ならしめるやうにしたのであります。それは意識的の敗退ではなかったけれども、そこに世界の歴史的発展を指導する世界精神といふものの流れの中にあって、日本の為すべき役割を果したのであります。そして此の戦争を契機としてアジヤ民族の新し目覚めが生れ、日本にもその他のアジヤ民族にも新なる人生観が生じ、新しき社会的制度が生まれて来ることになり、人類は、だんだん進歩して行く事になりつつある訳であります。その歴史的発展に要する事件の内の一つでも抜いたら、かういふ世界状態にはなれなかったものであるといふ事を思ひますと、今迄に起ったありと凡ゆるものは、皆必ずしも「悪い」と言って排斥すべきものではないのであって、それがあったればこそかういふ事になれたのである、とさう感謝出来ることになるのであります。
 だから過去の歴史上の出来事に対して我々は不平を言ったり、争いの心を起したりする必要は無いのであります。だから戦争責任を単に「軍閥が悪い」と、軍閥になすりつける事も間違である。或る時代には軍閥もやはり必要であったのであって、これによってロシヤが日本や朝鮮を植民地にする事を防ぎ得たのであります。それは丁度、腹の中の腐敗物を流し出す為には下痢もまた必要であったといふのと同じ事であります



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