生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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天皇信仰の原点 (7815)
日時:2018年01月08日 (月) 13時55分
名前:本音の時代

「生長の家30年史」には、昭和15年、生長の家が宗教結社になったことに関する谷口雅春先生の文章が掲載されています。ここに抜粋します。

教義の大要
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ、尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
その実行目標として次の『七つの光明宣言』あり。
七つの光明宣言
△吾等は宗派を超越し生命を礼拝し生命の法則に随順して生活せんことを期す。
△吾等は生命顕現の法則を無限生長の道なりと信じ個人に宿る生命も不死なりと信ず。
△吾等は人類が無限生長の真の道を歩まんが為に生命の創化の法則を研究発表す。
△吾等は生命の糧は愛にして祈りと愛語と讃歎とは愛を実現する言葉の創化力なりと信ず。
△吾等は神の子として無限の可能性を内に包有し、言葉の創化力を駆使して大自在の境に達し得ることを信ず。
△吾等は善き言葉の創化力にて人類の運命を改善せんがために、善き言葉の雑誌『生長の家』及び聖典を結集して発行す。
△吾等は正しき人生観と正しき生活法と正しき教育法により病苦その他一切の人生苦を克服し、相愛協力の天国を地上に建設せんが為に実際運動を起す。(「生長の家30年史」9〜10ページ)


 次にこの教義の解説とも思われる、【昭和15年4月9日午後2時より名古屋公会堂に於ける講演の速記】から抜粋します。


 招神歌の第一首の歌には『生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸え給え』とありますが、あの『生きとし生けるものを生かし給える御祖神』と申上げるのは、これは宇宙大生命であります。『古事記』に書かれているところでは天之御中主紳であり、光華明彩(ひかりうるわしくて)、六合の内に照り徹らせる大神として顕現ましましたのが天照大御神であらせられ、人体を備え給いて現人神としてお現れ遊ばした神様は天皇様であらせられます。この天之御中主神、天照大御神、天鼻様のお三方は一体であって、吾々の、否生きとし生ける者の御祖神であらせられる。吾々はその赤子であって御祖神の子であります。吾々が天皇の赤子であると申すのは斯う云う意味であります。吾々、生きとし生けるものが幸福である、サイハヒであるとは、御祖神の大御命の割き生え(さきはえ)によってのみサキハエとなるのでありますから、幸福のことを『サキハエ』と云い、転じて『サイハヒ』と申すのであります。吾々の幸福は一に天皇陛下の御仁徳に懸かってあるのであります。天皇陛下なしには吾々のサイハヒはないのであります。
 さて宇宙大生命とは天皇様であらせられることがわかりましたが『招神歌』の筋四首に『天地の祖神の道を伝えんと顕れましし生長の家の大神守りませ』と云う歌があるのでありますが、天地の御祖神の道、宇宙大生命の道を伝え導いて東道(みちびき)の役目を果す神が生長の家の大神であると云うことが、この第四首目の歌に現れているのであります。
 そういう風に生長の家の神様は御祖神様のお道を明かにし、道案内をし、日本国体を明徴ならしめ、日本の国威を輝かすために出現せられた神様であらせられ、その神様が支那事変、世界の大動乱に先立って現れいでたと云うことは、日本国が丁度、神武天皇様の御東征時代とか、神功皇后様の三韓征伐時代とか云うのに匹敵する大事変に際会しているからだと思われるのであります。 (「生長の家30年史」23〜24ページ)


 日本主義は結構でありますが、本当の日本主義は『八紘一宇』主義ですから、一切を包容する精神でなければなりません。狭く凝り固まった日本主義の人達の中には、天照大御神様を日本特有の神様であって外国の宗教の神様と一緒にしてはならない、それは天照大御神様の尊厳の冒涜になるとお考えになっている方もあるらしいのであります。特有とか特別とか申しますと何だか豪そうですけれども、普遍牲がないと云う事であり、地方的だと云う事であり、どの民族から共通的に礼拝せられる宇宙的本尊とはなれないと云う事になり、神武天皇様の八紘一宇の理想から遠いと云う事になるのであります。八紘が『一宇』となったら、『日本特有』などと云うものはありませぬ。日本で最勝最尊の御方は、全世界で最勝最尊の御方にならざるを得ないのであります。だから『日本特有』等と云う言葉を私は取除きたいのであります。天照大御神様はそんな小さい神でなしに、宇宙の大神であられると同時に、宇宙の大神の現人神としてのお顕れにまします日本御皇室の皇祖の神であらせられ、他の宗教の神はことごとく、そこから垂迹あそばされたものであるから、一切宗教の本当の本尊を拝むには天照大御神を礼拝すべきであると私たちは信じているのであります。そうすると、仏というもの、キリストと云うものも日本の神の垂迹であるということになるのであります。名古屋、北陸、広島地方は真宗の盛んなところでありますが真宗の人の中には、日本国に生れ乍ら日本の神様をお嫌いな人が多いようであります。そうして『私は阿弥陀仏一仏を信ずるのである、阿弥陀仏さへ拝んだら好い、他の神様を拝んだら罰が当る』こう云って、中には天照大御神様の御璽さへもお祭りにならない方もあります。日本神国に生れながら、お釈迦さんが印度で説いた阿弥陀仏だけが本当であって、日本の神は特別のものであるから信ぜられないと云っているようでは誠に寒心すべきであって、日本一国でさえも、信仰的に一つにまとまらないことになると思うのであります。日本の国は今東亜の新秩序を建設していますが、これは武力丈では、武力の重圧が無くなったとき背き去る惧れがあるのであります。茲に宗教的にも他民族の神様さへも一つに包容して天皇信仰に帰一せしめなければならないのであります。その働きを以て出現あそばされた神が塩椎神であり、『生長の家』なる教化運動出現の使命も其処にあるのであります。ですから日本の神様も特別扱いしないで、普遍性、八紘一宇性を以て大きく解釈しなければならないのでありまして、日本主義の方も、仏教の方々も、仏様と神様とは異なるなどと云う宗教的批判に捉はれないで、神の実相、仏の実相を見て、『みんな一体」と八紘一宇的度量を以て解釈して頂きたいのであります。(「生長の家30年史」32〜33ページ)



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