生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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生長の家の生き方 - 魅力ある指導者 (7842)
日時:2020年01月17日 (金) 22時05分
名前:本音の時代

 飛田給道場で練成を受けて、どうやら<すべてを観世音菩薩と、拝むことができる自信がついた>と思ったのに……またしても失敗をくり返してしまった。
 それは、練成も終りに近い十二日目であった。(その当時、練成期間は二週間で月二回実施されていた) 六月末の暑くて、眠り難い夜であった。十時の消燈時間が過ぎてから、涼を求めで、一人、二人と表へぬけ出して、いろいろ話しこんでいるうちに、各県の盆踊りの話になり、みんなが輪になって、各県の代表者(?)からそれぞれの盆踊りを習いながら、いつの間にか大きな輪になって踊り出していたのであった。それが、だんだん調子に乗って、歌声も大きくなり、ついに徳久講師の家にも聞こえたらしい。
「もう遅いから、踊りをすぐ止めさせるように」
と事務室へ電話がかかって、誰かが注意をされたが、夢中でやっている私たちには聞こえな
かった。いつまでも踊りが止まないので、とうとう徳久講師が家から出てきて、
「やめなさいと注意したのに、どうしてやめないのですか、付近の農家の人たちも迷惑するから、もうやめなさいッ」
 と注意された。叱られたので、踊りは急停止したが、どうもなんとなく後味が悪い。<徳久講師は、今朝から「神は愛なり」と、何べんも言ったのに、叱るとはどうしたわけだ。><本部講師なら、まず「ありがとうございます」と、私たちに合掌するのが本当のはずだ。><よしっ、どうして叱ったか聞いてみよう。>
 ちょうど特別乱暴者ばかりが、集まった練成会であり、終戦後のまだ若い人たちの気のたっていたころでもあって<練成を受けにきている>という自分たちの立場を、すっかり忘れて、代表者数名が徳久講師の家へ抗議に行こうということになってしまった。しかも、いつの間にか、私がその張本人の一人になっていたのだからしまつが悪い。 (いっさいを観世音菩薩として拝むためにという目的はどこかへ行ってしまって……)
 徳久講師の自宅に近づいて外から見ると、縁側から見える座敷で、瞑目今掌して神想観を行なっているようであった,それをみた一同は「どうする」と顔を見合わぜたが、誰かが「入ろう」と言うので、玄関を開けたのであった。今考えてみると、本当に恥ずかしい、勝手な、反省のない所作であった。
 ところが、どうもこの結果は、まことに驚きであったのである。こちらから何か言おうとする前に、徳久講師から、「先ほどのことば、どうか許してもらいたい」と頭を下げられ、
「きっと皆さんは怒っておられるでしょうが、これは決して“生長の家”の教えが悪いのでは
なく、この徳久が至らなかったのです。谷口先生は、私を信頼して下さって、もう徳久なら、
こんなことで腹を立てることはないだろうと思われたからこそ、この道場の責任者として下さったのに、あのようなことで大声を出したりして、きっと皆さんは気分を悪くされたことでしょう。これは谷口先生のご信頼を裏切ったことになるので、ただ今そのおわびと、今後はかならずご信頼に背かぬよう精進いたします、とお誓いの神想観をしていたところです」
 と頭を下げられた徳久講師の目には、涙が溢れていた。せっかく意気込んで行った一同は、
一言もなく戸惑ってしまった。「ハァ」と言ったきり、しばらく黙っていたが、そのあとでものすどい感動を受けて、「私たちが悪かったのです」と深く詫びて戻ってきたのであった。
さらに翌日、早朝行事の時間に、徳久講師が壇上から、練成会員一同に昨夜と同じように詫びられたのには、全練成会員が感激した。そして一人一人が、「残された期間を、本当に真剣に行じましょう」と堅く誓い会って、実にすばらしい雰囲気の明るい練成会になったのであった。
<これが宗教の世界であったのか。>私も、ただただ感激の連続であった。宗教の世界とは常識の世界では考えられない、なんと美しい世界であろうか、と嬉しくなったのであった。
 昔から、宗教とか精神修養の説教者といえば、なんとなく高いところから、「わしは絶対に間違いをしないから、おまえたちも悪いことをするな」というような高慢な感じの指導者が多いのであるが、実は、若い者は、そんな指導者には全く魅力は感じないのだ。指導者であっても、ある時は、失敗することもあろう。そんなとき、年少者であろうと、下役であろうと、生徒であろうと、相手に対して、「悪かった」と詫びられる人、こんな指導者にこそ青少年は、本当に心から親近感と尊敬とをもって<あの人なら従ってゆこう>という気持を起こすであろうということを、この練成会で学ぶことができた。
 それは、神に対して、真のざんげがなされたときに、自分の立場にこだわることなく、どんな相手にも詫びることができるのであって、その真心こそが、あらゆる団体、あらゆる社会の指導者にとって最も大切なことである。人は親近感を覚え、尊敬したときに<あの人の言うことなら、何でも信じて実行しよう>とするものなのだ。
(菊地藤吉著「ここに道あり」 153〜156頁)



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