(54) サービスの懺悔 |
投稿者:Tomoko
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パプワ島から帰って、しばらくした後、僕達は、グラント・サーリッチ氏の牧場に招かれた(もちろん、イザベラも一緒であった)。どのぐらい広いかは、見当もつかない。グラント氏は、僕達には敵わないまでも、金持ちであった。 シンタローは、器用に馬を乗りこなし、 「サービス叔父さーん」 と、馬上から手を振ってくれた。 ジャンは、暴れ馬に乗って、柵にぶつかると、振り落とされた。何となく、ユキノブと木にぶつかったときを彷彿とさせる。 グンマは、大人しい気性の馬と、ぽくぽくと散歩していた。高松が、傍らで手綱を持っている。 キンタローは、さすがの手綱さばきで馬を操っている。彼の亡父のルーザー兄さんも、乗馬が得意だった。 僕は、グラント氏に声をかけた。 「グラントさん、ちょっとお話が……」 「ここでかい?」 グラント氏は、ハンサムな顔をこちらに向けた。白髪が増えてきたとはいえ、まだまだ女性達に騒がれそうな顔立ちである。僕達より、一回り以上年上だ。 「いえ。少し遠出しませんか?」 競馬も好きだが、馬に乗るのも好きな、僕の双子の兄、ハーレムが、ついて行きたそうにしていたが、僕は、グラント氏に用があるんだ、と言うと、詰らなさそうに、近くの食堂で、《胃の洗礼》をすることにした様だった。 イザべラも、食堂にいるのだろう。そこら辺りには見当たらない。 マジック兄さんは、コタローの様子を見るため、ガンマ団で留守番だ。そうすることで、数年間でできた溝を埋めようとしているのかもしれない。 僕は、グラント氏を促し、そこから離れることにした。
シンタロー達の姿も見えなくなった。 「グラントさん。僕は、あなたに謝らなければならないことがあります」 「なんだね」
「僕は、イザべラに対して罪を犯そうとしたことがあります」
一瞬の間の後、グラント氏が訊いた。 「――それで?」 「もちろん未遂に終わりました。彼女が僕のことを諭してくれたのです。あなたの奥様は、立派な方です」 「それは、いつの話かね?」 「十八のときです」 「というと――二十五年前か。君が一番荒れていたときだな」 「ええ。恥ずかしながら」 「しかし、どうして告白する気になったんだい?」 「自分で自分を許せない。そんな卑怯者にはなりたくなかったんです。僕は生きていくうちに、他にも罪悪を――グンマとシンタロー……いや、キンタローかな? 彼らを赤ん坊のとき、すり替えたこともありましたし、それを、マジック兄さんやハーレムの責任に転嫁したこともありました。ルーザー兄さんの為という、大義名分で。でも、それは間違いでした」 「ああ、聞いてるよ。君達は、テレビの会見で、そんなことを言ったことがあったっけね」 「当時は、親友を殺したと思っていたから、何でもできたんです。今になって、僕は、あなたに許されなくてもいい。懺悔をしようと思いました」 「そうか――」 グラント氏は溜息をついた様だった。 「私がもう二十年若かったら、嫉妬したことだろうな」 「グラントさん……」 「モーリヤックの『蝮のからみあい』は読んだことあるかい?」 「ええ」 「読んだことがあるなら、もう一度、今度は噛み砕く様に読んでみるがいい。私は、もう少し遠くに行ってから帰る。君は先に戻ってい給え」 その言葉には、優しいが、有無を云わせぬ迫力があった。 僕が帰ろうとすると、背中に、グラント氏の言葉が聴こえた。 「あまり潔癖なのも、人を傷つけることがあるものだよ」
僕は潔癖なのだろうか。 そうは思わない。そうだったら、イザベラを押し倒すことはなかったはずだ。結局何もできなかったが。 イザべラのことについては、もう時効かと思ったが、グラント氏に告白した。それで充分ではないのか? 僕達の間には何事もなかったはずなのに、グラント氏は、何かに拘っている様だった。 (たとえば――僕がそういう目でイザべラを見たこと自体に) 『情欲を抱いて女を見る者は、既に心の中で姦淫を犯している。』 そんな言葉が浮かんできた。あれは、聖書の言葉だ。 聖書は、幼いときは、訳も分からず読んでいた。二十五年前、ジャンを瀕死の目に合わせた事件の後、読むのを止めた。今度、またひもといてみようと思う。 グラント氏も大人だ。嫉妬は、少し牧場を回ることで、宥めようとしたのだろう。 (もしも僕が――彼の立場だったとしたら――) 決して愉快な思いはしないであろう。 僕は女性を、骨の髄まで愛したことはない。グラント氏には、残酷なことをしただろうか。 イザベラを、心の底から愛してやまないグラント氏には――。 少なくとも、彼は、妻が言い寄られるのは、夫としても自慢だと考える質の人間では、ない。 だが、グラント氏は、その後も、全く態度を変えずに、僕達と接した。 勿論、あの日、僕と交わしたあの話のことは、誰にも伏せたままで――。
後書き 話の中に、聖書の引用を入れましたが、このみことばは、マタイ五章の二十八節です。 それから、モーリヤックの『蝮のからみあい』は、『キリスト教文学の世界』に載っていた物語で、私は、これを読んだとき、最初のうちから、ぼろぼろ涙を流しました。一度読んでみてください。 作品については――何と言ったらいいのやら。ちょっと説明っぽかったかもしれないですね。
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2007年11月14日 (水) 10時00分 |
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