(20) 願い |
投稿者:Tomoko
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願いは叶うだろう。祈りはきかれるだろう。時間も空間も飛び越えて、想いは届くだろう。 私は今、やっと本来の道に立ち返り、真っ直ぐに立っているような気がする。しかし、いつでも、真っ直ぐに立っていられるわけではないのだ。でも、私は大丈夫だ。 今回の件で、私はまた確信を深めた。――私は間違ってなかった! どこにも、間違った答えなどない。絶対に間違っていることも、正しいこともない。 善と悪は対立概念ではない。それらは互いに統合することができる。 善と悪、生と死、光と闇。全てを統べ、おさめる者。それらはどこにあるのだろう。 自己の象徴は森羅万象全てだ。 森羅万象――それに通ずる道は至るところにある。それを見つけたとき、我々は本当のことを知るであろう。我々は本当のことを知ることができる。全てが全てに繋がっている! 私は、なんと長い間彷徨っていたことだろう。そして――これからもさすらうだろう。だが、私は最早、災いの原因を他人に帰すことをしない。同様に、栄光を他人に帰すこともないだろう。それは全て私のうちにあるものだった。 死は破滅ではなく、再生への過程である。 物語を創るのは、変化し、生成していく過程そのものだ。それをなぞれば、自然と物語になっていくだろう。そして、それは私達の内に持っているものだ。我々の中には全てがあるのだ。しかし、それを発掘していくのは自分自身で、発掘された物は、おのおの違う形を持っている。 我々は、知識を吸収し、日々自己を生成し、進歩発展を遂げ、己を己の望む形に創り上げていく生命体だ。我々はどのような形にも変わることができる。己がそれを望みさえすれば。 と同時に、我々は変わらない。どんな形になろうとも、我が我である、という事実は変わらない。 存在は確かな物である。と同時に不確かな存在である。 存在は永遠の飛(非)存在だ。 私達は、長い時があっという間に過ぎるのを感じ、一瞬の中に永遠を見る。 真理は矛盾の中にある。矛盾した事柄の間にある。 矛盾した二つの事物は互いに歩み寄り、交わり合う。それを昇華という。そうすれば、真実に到達するのももうすぐだ。 恐れることは何もない。 生きるに必要な三本柱は、愛と勇気と叡智なり。
後書き ずっと前、テレビで、「願いは叶う 祈りはきかれる」というフレーズを聞いて、「あ、私と同じこと考えている」と思いました。 もしかして、これは盗作じゃないのか? 発表したのも、あっちが先だったし……とも思ったんですけど、これは、昔の自分の考えを述べたもので、大切だったから、載せることにしました。 いやぁ……パプワとは直接関係ないかもしれないけど、気に入ってるので、ね。お好きなシチュでキャラをあててみてください。 ちなみに、存在は永遠の飛(非)存在、というのは、某チャットで書き込んだTomokoの言葉を、ちょっと書き換えたものです。 私は非存在、と書こうとしたんですが、不思議な力が働いて、飛存在、になってしまったんですよ。それが、私も気に入って。 それでは。偉そうかなと思ったんですが、以前の私の思いが込められてますので、私は好きです。
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2005年08月10日 (水) 19時15分 |
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