(50) アス 〜南の島の歌シリーズ〜 |
投稿者:Tomoko
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妙なる笛の音が聞こえる。 「なんじゃい、あの笛の音は」 「湖畔に現われる幽霊じゃないか?」 人々は、口ぐちにそう噂し合う。 「アスー」 ここに、青年が一人。 烏を思わす黒い髪。肩のところでふっつりと切れている。 「いるんだったら、返事ぐらいしろー!!」 青年は、また呼ばわった。 草むらをかき分けると、呼ばれた青年――アス――が、寝そべって笛を吹いていた、太い木の枝から、黒髪の青年の方を向いた。 「よぉ。相変わらず騒々しい奴だな。ジャン。なんか用か?」 起き上がりながら、アスは尋ねた。 「いんや、別にただ……」 黒髪の青年――ジャンが答えた。 「通りすがりに笛の音が聞こえたもんだから、どうしてるかなと思ってさ」 「お陰様で。俺はいたって元気だぜ。ジャン」 アスは、にっと笑った。 「そりゃ良かったな。あと、幽霊のふりして、人脅かすのはやめとけよ」 「どうして? 強ち間違いじゃないんだからいいじゃないか」 「よくないッ!」 ジャンの台詞は、怒気を孕んで強くなった。 「ジャーン」 子供達の声がする。 「ジャーン、おーい」 優しくて、ユーモア溢れるジャンは、子供達の人気者なのだ。 「ねぇ、今の笛。ジャン?」 「すげーうめぇじゃねぇか」 「違うよ。あれはね、あれは……」 ジャンは、ちらっとアスの方を見た。 小鳥達が来て、アスの髪にじゃれついたり、差し出された指に止まったりしている。 だが、肉体を持たないアスの姿は、普通の人間には見えない――…… ジャンは思った。 (あいつは、あそこにいるのに――……)
「え? 肉体を?」 アスが、肉体を持つように提案したジャンに、訊き返した。 「そうだ。前にも増して、秘石を狙う輩が増えてきている。お前も肉体を持って、いざという時に備えるべきではないか?」 「ふん、興味無い」 アスはにべもなく言った。 「お前がどう考えようと、俺は俺のやり方でいく。余計な口は挟んでくれるな。湖畔の幽霊と呼ばれるのも、人驚かすのも、すっかり癖になっちまったしな。それを今更あんな不便で重い肉体を持てと? 冗談じゃない」 「アス……だが、辛くはないか? 他人には見えぬ感じぬ姿というのは、辛くはないか?」 「俺の姿なんて、お前にだけ見えればいいさ。それに……」 アスは、そこで一瞬、間を置いた。 「俺は怖いんだ。自分の体、自分の姿、周りの人々。新しい環境が拓けるのは解っている。でも、そのことで何かを失うような気がする。わかるか? 俺はこの生活を手放したくないんだ」 「怖いことなんかないさ。大丈夫。きっと素晴らしいよ」 「……お前にとって素晴らしい世界が、俺にとっても素晴らしいとは限らんじゃないか」 アスの尤もな発言に、ジャンは言葉を失った。 「……考えさせてくれないか」 助け船を出したつもりか、それとも本心で言っているのか、アスはそう答えた。
数日後―― 子供達がボールを投げながら遊んでいる。 「よぉ、今日は、新しい友達を連れてきたぞ」 ジャンが得意げに言う。 その”新しい友達”は、銀色の長髪で、腰まで伸びている。背はすらりと高く、目つき鋭い、美青年だ。肉体を持ったアスである。 「アスってんだ。よろしくな」 ジャンが紹介した。 子供達は、わっと集まった。 「アスー。一緒にあそぼ」 「わっ、こら、俺が先だぞ。手を離せよ」 「やだもーん」 「おい、ジャン。何とかしてくれよ」 アスが、ジャンに助けを求める。ジャンは、にやにや笑っていた。 「お前、いつも通りにしてればいいじゃんか」 「いつも通り? ああ、そうか」 子供に握られていた手が外れると、アスが、懐から、小さい笛を取り出した。 それは、いつも湖畔で吹いている曲だった。 「おい、これ……」 「ぼくたちがいつも聞いている曲だね」 「てことは、幽霊の正体は、アス?!」 「ご名答」 アスは片頬笑みをした。 「すげぇー! 俺、幽霊と仲良くなっちゃったよ」 「アスは幽霊じゃないよ。ちゃんと見えるもん」 「あー、説明が必要かな」 ジャンが、ぱんぱんと手を叩いた。 「このアス君は、今までは、みんなには見えなかった。ところが、体を神様からいただいたおかげで、見えるようになった、とこういうわけだ」 「神様?! アスは神様が創ったの?」 「まぁ、当たらずといえども遠からず、だな」 アスが答えた。 「神様って、何でもできるの?」 金髪の子供が、疑問を発した。 「ああ」 ジャンが頷いた。 「じゃあさ、じゃあさ、この間んだ、ぼくのおじいちゃんも、生き返らせれる?」 アスとジャンは、顔を見合わせた。 「残念ながら、それは無理だ。一度んだ者は、生き返らない。また、生きていることができても、幸せかどうかわからんしな」 アスが言った。 「おじいちゃんは、もっと生きたかったに決まってるよ! アスばっかりずるい!」 「君のおじいちゃんは、天国で幸せに暮らしているよ。それにな、生きている、ということには、イヤなことやかなしいことが伴うんだ。おじいちゃんは、天国へ一休みしに行ったんだよ」 ジャンが子供を膝に乗せ、あやしてやりながら言った。 「ふぅん。そういえば、ぼくにもイヤなことってあるな」 「アスは、そういうことを全部ひっかぶって、生きることを選んだんだよ」 「でも、生きていれば、さかなつりに行ったり、いろんなお話がきけるよね」 「うん。人生には、楽しいこともたくさんあるぞ。それに、君達は、程無くして、おじいちゃんに会えるからね」 「それ本当? ジャン」 「ああ、あっという間さ」 「わあい。やったー」 その子は、ジャンの膝から飛び降りると、嬉しそうに叫んだ。 「もうすぐおじいちゃんに会えるんだって!」 「良かったなー!」 黒髪の男の子が、嬉しそうな顔をした。子供達は、また集まって、ボール遊びをし始めた。 「ジャンもアスも、早く来いよー」 「俺は、後で行く。ジャンに話があるからな」 「わかったー」 「ふふ、子供は無邪気なもんだな」 「――何が言いたい? アス」 アスが皮肉めいた言葉を口にするときは、必ずその裏に、何か隠されているのだ。 「おじいちゃんが天国にいて、もうすぐ会える、だと? 秘石には、人一人蘇らせることぐらい、できないというのか?」 「それは、自然に反する」 「じゃあ、俺のこの姿も、自然に反するわけか」 「お前の場合は特別だ。秘石の番人だからな」 「番人か」 アスは、ふぅと息を吐いた。 「番人というだけで、不老不が約束されているんだからな」 「不満か?」 「俺は、勝手に死ぬこともできないんだな」 アスがそう口にすると、ジャンに、何ともいえぬ表情が現われた。 「体を持ってすぐに、厭世感に捉われるとはな」 「いや、お前がどう答えるかを楽しく見てたんだ」 「……お前、もしかして、俺のこと、からかってたのか?」 「それは、半分当たりで、半分外れだな。なんせ、肉体を持ってから、間がない。幸か不幸かなんて、実感湧かないさ」 「今は、その話題はもう止そう」 ジャンが、子供達に手を振った。 「おーい、俺達も入れてくれー」 「わーい。ジャンが一緒だー」 「アスも一緒だー」 皆、嬉しそうに笑っていた。 このとき、アスの顔に、暗い翳が走ったのを、ジャンは見逃してしまった。
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2007年08月30日 (木) 12時27分 |
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