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お悩み相談に…なってしまいました。
はじめまして。 私は高校3年生の女子です。 ずっとずっと、このホームページを見つけた時から、お手紙(っと…、メールでしたね)をお送りしたくて、でもなんだか出来ずにここまできました。 言葉使い等、不適切なところがあったらすみません。私事で長文です。 先生の作品を初めて読んだときはまだ中学校1年の頃だったかと思います。 とはいっても、塾の現代文の読解問題で出題されたものを解いただけでしたので、ちゃんと本を拝読したのは一年前のこと、黄色い目の魚でした。 そのときの、胸をすっと吹きぬけていく新しい風を、今でもはっきりと思い出せます。 吹きぬけた後の、大きな心地よいショックと、ありがとう。の気持ちが溢れてきて、たまらなく不思議な気持ちでした。 しかし私は、本を読んでいる時と、一人で自然の中でぼうっとしている時をのぞいて、いつも些細な何かに苛立ち、焦り、恐れて、心が落ち着きません。 まだ木島に出逢っていない頃のみのりのように、毎日何かに腹をたて、家族とぶつかり、 自由を求めて自分になれるどこかを探し続けているのです。 いや、それじゃみのりに失礼だ。すごく暗くて、正直言って心がおかしいかもしれない。 中学のころはこんなにも情緒は乱れることはなく、今では首に重たくかかったかせのように感じている勉強も、理由なく踏みにじられるただ理不尽な子どもの世界から逃げ出すために、苦もなく打ち込められていました。 しかし、小学校高学年のころ、目立ちたがりで散々杭を打たれ返された苦い経験をもつその時の私は、目立たずに自分を隠すことでやり過ごしていたような節があります。 読書好きだったのに、本も読まず勉強だけに時間を費やし、空いた時間を空をぼんやり眺めて暮らす。そんな毎日が続き、そして恐れていた学校で標的になる日も訪れつつあったころ。 自分の中が空っぽだったとやっと気付きました。 物語を頭の中で遊ばせて、構築していくことの楽しさも、今まで学校行事などで嬉しかったことも、すべてうまく思い出せずに、向き合った原稿は白紙のままでした。 それは5年ほど経ったいまでも、ひどくひきずっています。 高校でもいくらか、口に出して言い描くのには抽象的すぎて難しい、けれど確かにそこには在って、触った人間全員をぎりりと苦しめた摩擦もありましたが、落ち着いてはいます。 それでも何かに裏切られたような、自分勝手などす黒い感情は心の底にこびりついたままであるし、しなびただるさは残っています。 このままでは、きっとだれも私を必要とする人など現れないし、ずっとひとりでいるようになる気がします。自分で招いた業なのに、今更なにを言っているんだろうと思いますが、ふいにたまらなく泣きだしそうになります。 友人が私のことを少しでも煩わしそうな素振りを見せるだとか、実際疎んじて無視しただとか、そんな少しのことだけで。 作家になりたいと、曇りのない目で遥か彼方を見つめていたあの頃は、遠く、見えなくなっている。そして、傷付きたくなくて、自分を世界から遠ざけている。 本が好きだから、もう一度、自由に書けていたあのころに戻りたいから、と、大学の文学部を目指していますが、その前にまだ、おおきな石が、ずしんとおもくのしかかっているのですっきり前を向けません。 言葉を下さい。 こんな歪んだ私ですが、 きっかけを下さい。 物語のように、扉を開きたいです。 2014/06/20(Fri) 22:26[1839]
こんにちは。 書いていただいた文章を読んで、 十代の頃の自分と、中高時代の娘が、 あれこれダブりました。 詳しく書いていただいていますが、 学校の状況、友人関係、そして、 ご当人の心のうちを少しでもわかった つもりになるのは危険ですね。 どういうお返事をしようかとしばらく 考えました。 私のことを少しお話ししますと、 十代後半の私は、一日に十回以上、 「自分は」「自分とは」「私とは」と 自問していた記憶があります。 私は小学校時代は活発でしたが、 中高はクラスで存在感のない、数人の 友人としか口がきけないような内気な 人で、そんな自分がとてもイヤでした。 本当の自分は、こんなんじゃないと 思い、自己嫌悪、自己不信にどっぷり つかっていました。 本を読み、創作をするということは、 好きだからというのを少し超えるくらい、 高校時代はもはやスポコンの域でした。 自分の人生のメインテーマで、 あらゆる向上心をそこに集結しました。 良い本を多く読み、一生懸命、お話を 書くことで、自分は「良くなれる」と 熱血していました。実に単純に。 なぜか、そのへんの精神構造は、 シンプルにできていました。 外でダメなぶん、内を充実させようと していた感じです。 フィクションの世界に逃げていたとも 言えます。 それで、いいと割り切っていたわけじゃ なくて、やはり、苦しい日々でもありました。 それでも、娘の学生生活を見ていると、 自分の時代は、優しかったと思います。 色々な個性が、許されていました。 もちろん、今でも、おおらかな学校の場は あると思います。 でも、やはり、時代として息苦しくなって きていると思わざるを得ません。 特に女子の集団で、学校の日々を 過ごすことは、かなりサバイバルに なっている気がします。 感受性が強いというと、長所ですが、 物事にはすべて裏表があるように、 時には短所にもなってしまいます。 いいことも悪いことも倍の強さで 感じるとすると、諸刃の剣みたいな ものです。 こんなことを書くのは、前園さんが、 物事を強く鋭く受け取りすぎて、 傷ついたり疲れたりする人なのでは ないかと想像してみたからです。 (娘がそうなのです)(私もです(-_-;) 物語を作る人になるには、 しんどいけれど、大きな要素です。 好きなことをシンプルに好きで いられなくなることもありますね。 そのくらい、心が疲れたり、沈んで しまうこと、私にも経験があります。 あまりに疲れた時は、少し考えるのを やめて、心を休めてあげることも 必要かもしれません。 好きな物語があるとすれば、 それは光のようなもので、 見失っても、また、輝いて、 道しるべになってくれると、 私は思います。 私自身、そんな星のような 物語がいくつもあります。 人間関係にしても…… 中学から大学まで、そんなに数は 多くない、友人たちと、すごく 仲良しだったという実感は、当時は 意外となかったのです。 しょうもないことでお互いに不平不満 をぶつけあったり。 それでも、色々なことを共有して、 なんだかんだで支えあってきました。 みんな、一生の友達です。 どんなに大切な存在なのかは、 むしろ後になってから、わかりました。 町より山野や海のほうが落ちつくなら、 出歩いて、風景を言葉でスケッチして みるのもいいですよ。 植物の種類を調べたり、空の色の変化を 言葉にしてみたり。 そんなことも、創作のレッスンになります。 (でも、女子が一人であんまり寂しい ところに行ったらダメですよ) とりとめのない長文ですね。 アドバイスにはなりそうもないですが。 心を休めながら、大切なものを 見つめなおせるように、お祈りします。 2014/06/22(Sun) 22:21[1840]
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