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[179] 題名:二日続けての大舞台 名前:坂田火魯志 MAIL URL 投稿日:2004年08月17日 (火) 00時14分

           二日続けての大舞台
 野球とはまさに筋書きのないドラマである。
 しかしだからといって奇跡がそうそう起こるわけではない。滅多に起こらないからこそ奇跡なのだから。
 だがそれが起こる時にそこに居合わせた者は感動に包まれる。それが野球の素晴らしさだ。
「それでも二日続けては起こらない」 
 それは誰もがそう思う。柳の下に二匹もどじょうはいない。
 だがこの時は違っていた。昭和五九年近鉄バファローズはその二匹のどじょうを捕まえたのだ。
 六月のことであった。舞台は藤井寺球場、相手は同じ関西の球団南海ホークスである。
「南海や阪急と戦うのは他のチームに比べて気が楽やわ」
 こう言うファンもいた。
 理由は簡単である。距離が近いからだ。お互い電車で楽に通える距離である。藤井寺も西宮も大阪も電車で一時間もかからなかった。互いのファンは遠足に行くような気分で相手の球場に行ったものであった。
 そして親会社が電鉄の会社だったことがあり何処か兄弟意識があった。特に近鉄と阪急はかって西本幸雄に率いられたこともありその意識は強かった。だからといって乱闘が起こらないわけでもなく応援団同士の野次合戦もあったがそれでも阪神ファンが巨人に見せるようなああした異常な敵愾心はなかった。あくまで好敵手同士であったのだ。
 この年パリーグは阪急の独走状態であった。強力な助っ人ブーマーが大暴れして阪急を引っ張っていた。対する近鉄と南海は瞬く間に離されてしまっていた。
 だがまだ望みはあった。彼等は阪急に追いつき、追い越そうとこの試合に挑んでいたのだ。二位と三位にあった。まさしく挑戦者決定戦であった。
 藤井寺球場、近鉄の本拠地である。ここで一人のベテランがバットを振っていた。
 加藤秀司であった。かっては阪急の四番としてその黄金時代を支えていた。
 彼は西本にそのバッティングを買われ阪急に入団した。そして彼により育てられたのであった。
 気性の激しい男であった。乱闘を起こして退場になったこともあればシリーズで審判の判定に噛み付いたこともある。その意外とも言える攻撃性で阪急を引っ張っていたのだ。
 だがその彼も衰えが見られるようになった。それは打撃よりもむしろ守備に顕著だった。それに危惧を覚えた上層部により彼は広島に水谷実雄と交換トレードされたのだった。
 ここで彼は肺炎になりシーズンを棒に振った。それで今度は近鉄に出されたのだ。
「まさかここに来るとは思わんかったな」
 加藤は藤井寺に来た時思わずこう言って苦笑した。
「何か阪急と違和感があらへんのう」
 それもその筈であった。阪急も近鉄も西本が作り上げた球団なのだから。
 見ればグラウンドにる選手達の多くは西本により育てられた選手達だ。つまり彼にとっては同門の者ばかりである。
「西本さんだけやな、ここにおらへんのは」
 西本は既に監督を退いていた。最後の近鉄、阪急両チームによる胴上げに加藤も加わっていた。
 西本はこの時解説者になっていた。よく藤井寺にも仕事でやって来ていた。
「おう、あいつ等も流石に固くなっとるわ」
 加藤は西本にインタビューを受ける同僚を見て笑った。
 見れば羽田も栗橋も梨田もである。皆西本の前では直立不動になっていた。
「そういえばあの連中とは長い間戦ってきたもんや。それが同じ釜で飯を食うようになるとはなあ」
 人間の世界とはよおわからんもんや、加藤はそう思った。
 近鉄と阪急は長年に渡って優勝をかけて争ってきた。西本幸雄を中心として。
 いつもどちらかに彼がいた。阪急の監督だった時も近鉄の監督だった時も。
 そして加藤も今西本のインタビューを受けている羽田や栗橋も西本に育てられた男であった。言うならば兄弟弟子である。
「だからここは居心地がええんかな」
 目を細めてそう思った。かっては阪急でもとびきりのはねっかえりであった。派手に暴れたものであった。無様な試合をした近鉄ナインを怒鳴りつけたこともある。
「わしもあの時は若かった」
 ほんの数年前のことである。しかしもう遥か昔のようだ。
「おい」
 昔のことを色々と思い出す加藤に声をかける者がいた。
「え、わし!?」
「そうや」
 その声には聞き覚えがあった。あの声だ。
「か、監督」
 加藤は思わず立った。そして直立不動でその人の前で畏まった。
「おいおい、何をそんなに慌てとるんや」
 声の主は笑ってそう言った。
「い、いえ何しろ監督の前ですから」
「わしはもう監督やないぞ」
 低い声だった。だがそこには誰にも何も言わせぬそうした頑固さと全てを包み込む優しさがあった。
 その西本であった。彼はにこにこと笑いながら加藤を見ていた。
「どうや、調子は」
「それはその・・・・・・」
 加藤は口篭もった。今彼は絶不調なのであった。
「あまりええことないみたいやな」
「はあ」
 実は彼はこのシーズン不調であった。打率もホームランもかっての阪急の主砲とは思えぬ程であった。
「加藤ももう年やな」
 ファンの間からこういう声がした。
「そやな、今までよう打ったけれどな」
 近鉄ファンだけでなく阪急ファンもこう言った。そんな声が加藤には辛かった。
 しかも膝も負傷していた。悪いことばかりだった。
 しかし彼は何とか踏ん張ろうとしていた。折角近鉄に来たのだ。このチャンスを逃すつもりはなかった。
「今が踏ん張り時やぞ」
 西本はそんな彼の思いをよくわかっていた。そしてこう言った。
「ボールをじっくり待つのもええがな、最初から強気で向かっていくのが近鉄や阪急の野球や」
「近鉄や阪急の・・・・・・」
 それを聞いた加藤は思わずハッとした。
「そうや、それを思い出したらちやうと思うで」
 西本は優しい声で言った。
「わしが言えるのはそれだけや」
 彼はそう言うと別の選手のところに向かった。小さなその背中がとてつもなく巨大に見えた。
「西本さん・・・・・・」
 彼はその背を見て呟いた。
「そうでしたな。最初から思いきりいかな。ずっとそれを忘れていましたわ」
 彼はかって西本に手取り足取り教えてもらっていた若き日を思い出した。
「口で言うてもわからんかあっ!」
 よく拳骨が飛んだ。痛い拳であった。信じられない程の硬さであった。
 だがそれ以上に熱かった。西本の選手を思う気持ちがその拳から伝わってきたのだ。
 加藤もよく殴られた。とにかく厳しい教育であった。だがその拳が今の加藤を作り上げたのだ。
「あの拳を思い出すか」
 彼はそう呟くとバットを握った。
「今日から思いきってやるで」
 バットを振った。今までとは違う音がした。
 それを聞いて笑った。そして試合に向けて一人黙々と練習をはじめた。

 その試合は近鉄窪康生、南海藤本修二の先発ではじまった。両方共若い投手である。
 試合は南海優勢に進む。南海の若手三塁手久保寺雄二が二打点をあげ阪急は八回までに三点をあげていた。
「久保寺は相変わらずええな」
 ベンチにいる加藤はそれを見て言った。彼は四番指名打者だったので守ってはいなかったのだ。
「そうやな、あのセンスはええ」
 近鉄の監督岡本伊三美もそれを見て言った。彼はかって南海でMVPを獲得したこともある男だ。『見出しの男』と呼ばれここぞという時によく打った。
 その岡本や加藤が認める程久保寺は良かった。だが彼はこのシーズン終了後急死する。それを聞いた南海ファンは皆涙を流した。
 藤本も力投した。近鉄は八回を終わって二点に抑えられていた。
「しんどいな」
 そういう声は聞こえてきた。九回表南海は藤本を降ろしストッパー金城基泰を投入してきた。
 アンダースローからのスライダーとシンカーを武器とする男である。キャッチャーも万を持してドカベン香川伸行から金城と相性のいい岩木哲にかえた。
「頼んます」
「よし」
 岩木は笑顔でキャッチャーボックスに向かった。香川はベンチに戻るとプロテクターを外しその巨体をベンチに下ろした。
「今日の藤本はよおやったけれど交代は当然やな」
 香川はそう思った。力投したが八回には栗橋にホームランを打たれている。球威が落ちていたのだ。
 だが金城の投球を見ていると香川は不安になった。どうも普段と様子が違うのだ。
「おかしいな」
 彼は首をかしげた。ストレートも変化球もいつものノビやキレがないのだ。
 だが金城も百戦錬磨の男である。こうした事態をいつも切り抜けてきた。ここは彼に全てを託すしかなかったのだ。
 確かに金城は不調であった。だが不調だけなら切り抜けられたかも知れない。
 この日彼はもう一つ大切なものがなかった。それは運である。
 勝負の世界は運がものをいうことが多い。運も実力のうちなのである。
 香川もそれはよくわかっていた。だが神ならぬ身である彼はその運を見ることはできなかった。そしてこれから起こることを知るよしもなかったのである。
 まずは梨田を三振にとる。これでいけるかと思われた。
 ここで近鉄ベンチが動いた。代打である。
 柳原隆弘だ。ヤクルトから近鉄にトレードで来た男である。
 この柳原がセンター前に打った。変化球に弱い彼はストレートに的を絞ったのだ。
「しまったな、あそこでスライダーかシンカーを投げておけば」
 金城はそう思った。だが冷静である。あと二人しとめれば終わりなのだから。
 打順は一番に戻った。大石大二郎である。小柄ながらパワーがある。
「ここは慎重にいくか」
 バッテリーはそう思った。大石はボールにバットを当てた。
 何とか当てたという感じであった。打球はフラフラとレフトにあがった。
「よし」
 金城も岩木も打ち取ったと思った。だがここで外野の動きがおかしかった。
 目測を誤ってしまた。その結果打球は左中間にポトリと落ちた。
「え!?」
 これには金城も驚いたがだからといってどうにもなるものではなかった。大石は二塁を陥れていた。
「点が入らなかっただけでもよしとするか」
 金城はそう思うことにし再びバッターに顔を向けた。そして続く平野をショートゴロに打ち取った。
「あと一人」
 そう思ったところで力が入ってしまった。栗橋は歩かせてしまった。これで満塁である。
「落ち着け」
 それを見た南海の監督穴吹義雄はマウンドでバッテリーに対して言った。
「今のあいつは抑えられるで」
 そう言って打席に向かう加藤をチラリ、と見た。
「だからここは丁寧についていけばええ。わかったな」
「はい」
 二人は頷いた。それを見た穴吹は安心してベンチに戻った。
「大丈夫かな」
 香川はまだ不安を拭いきれていなかった。
「今日の加藤さんは調子ええけど」
 そうであった。この試合加藤は二安打を放っている。往年の冴えが戻ったかのような振りであった。
 加藤の目は光っていた。ただ金城を見据えている。
「気合も入っとるわ。あら何かに狙い定めとるな」
 その外見から鈍重に思われるが香川もキャッチャーである。そうした打者の動きは特に目に入る。
「今日の金城さんの調子やと」
 しかしここで思い直した。ここは落ち着いておけばいい筈なのだから。
「まあ丹念にコーナーつくやろな」
 香川はそう見ていた。
 しかしマウンドの金城は彼が思うよりも動揺していた。穴吹に言われてもまだ完全にそれは拭いきれていなかったのだ。
「今日はおかしいな」
 彼も今日は調子が悪いとわかっていた。
「特に変化球はやばい」
 今の調子だとすっぽ抜けるかも知れない。そうすれば本当に終わりだ。
 彼はまずはストレートを投げることにした。しかし甘いコースは駄目だ。ここは香川と同じであった。
「内角から入るか」
 彼はそう決めた。そして投球動作に入った。
 内角高めに投げた。ここなら長打の心配はないからだ。
 しかし香川の考えは違っていた。彼はまずは様子を見る為に一球外してもいいと思っていたのだ。
 金城はストライクをとりにきていた。まずストライクをとり楽になりたかったのだ。
 これが加藤に合ってしまった。彼は初球を狙っていたのだ。しかもストレートを狙っていた。
「来たな!」
 それを見た加藤はバットを一閃させた。肘を綺麗にたたみバットを振った。
 ボールは放物線を描いて似飛んだ。その放物線がライトスタンドへ向かう。
「まさか!」
 金城だけではない。香川も南海ナインも思わず打球を追った。
 打球はライトスタンドに入った。ガラガラのスタンドに入り跳ねながら転がっている。それをそこにいたファンが追う。逆転満塁サヨナラホームランであった。
「おい、ここで打つか!」
 近鉄ファンは狂喜乱舞している。加藤はそこでようやく我にかえった。
「まさかスタンドに入るなんてな」
 まだ信じられない。だが観客の声が今のホームランを真実だと教えていた。
 加藤はゆっくりとベースを回る。藤井寺の観衆は彼に爆発的な歓声を送る。
 ホームでは近鉄ナインが総出で待っている。かっての宿敵、今はチームメイトに囲まれながら彼はようやくベースを踏んだ。
「加藤さん、お見事!」
 彼はナインにもみくちゃにされる。その中で思った。
(これや!)
 彼は阪急にいた時に感じていたあの感触を思い出していた。
(わしはこれで近鉄の一員になった!)
 そうであった。彼は今まで何処か余所者という意識があった。だがこのホームランで彼は近鉄の選手になったのだ。
 西本の作り上げたもう一つの球団である近鉄に入ったのは運命であった。彼はそう思った。
(ここも西本さんのチームや) 
 それはわかっていても実感がなかった。だが今それがようやくわかった。
 花束が渡される。加藤はそれをキョトンそひた顔で見た。
「何やこれ」
 まさか逆転満塁サヨナラホームランでの花束ではないだろう。加藤は何かと思った。
「記念の花束ですよ」
 チームメイトの一人が笑顔で言った。
「記念!?」
「ええ、加藤さんの三百号アーチの記念のですよ」
「ああ、そうやったんか」
 加藤はそれを聞いてようやく理解した。そういえばそろそろだった。
 加藤はそれを受け取った。そしてそれを手に観客達に顔を向けた。
「よおやった千両役者!」
「御前もこれで近鉄の選手になったな!」
「西本さんにその花見せたるんや!」
 近鉄ファンがこぞって声をかける。彼はそれを笑顔で受けた。
「おおきに」
 彼は言った。そして満面の笑みでベンチに戻った。
「今まで近鉄とは何度も戦ってきたけれど」
 記者達に対して言う。
「こんなええ舞台用意させてもらえるとは思わんかったわ。冥利につきるわ」
 この一打で加藤は甦った。後に彼は二千本安打を達成し名球界に入るがこのサヨナラアーチがなければ入ることはなかったであろう。かって阪急黄金時代を支えた打撃職人の復活を知らしめた一打であった。
 これでドラマは終わりだと誰もが思った。
「誰だってそう思うでしょうね」
 香川はこう言った。
「普通はそうですよ。こんなこと誰だって思いつきませんよ」
 首を横に捻ってそう言った。顔には苦笑がある。
「本当に。あんなことになるなんて」
 加藤も同じことを言った。香川にとっても加藤にとっても予想もできない話であった。
「しかし」
 彼等はここでも同じことを口にいした。
「野球の神様の配剤でしょうね、本当にだから野球は面白い」
 二人はここで純粋な笑顔になった。野球を心から愛する者の顔になった。
「今思うと運がよかったですよ。あんな信じられないことに立ち会えたんですから」
 二人は言う。次の試合は雨だった。それでもこう言うのだ。
 六月一一日、また藤井寺で試合が行われた。両チームはお互いのベンチについた。
「あの時はそんなことは夢にも思いませんでした」
 二人はこう言う。
「けれど予感はあったかな、今だからそう思えるだけかも知れませんけれど」
 近鉄の先発は鈴木啓示、このシーズンで三百勝を達成した近鉄の誇る大投手だ。対する南海は山内和宏。この時南海はピッチャーには恵まれていた。その中でも山内は若きエースとして知られていた。
「うん」
 練習中香川は山内のボールを受けて満足した笑みを浮かべた。
「これならいけるな」
 やはり試合前の投球練習でかなりのことがわかる。今日の山口は好調だ。勝てると思った。
 それに対して鈴木もいつもの調子だ。有田修三とのバッテリーは相変わらず強気の投球とリードでくるだろう。しかし今日は負けるとは思わなかった。
「ホームランを打たれることの多い人やし」
 香川は鈴木を見ながらそう思った。
「それが出たらうちの勝ちやな。門田さんかナイマンがやってくれるやろな」
 門田博光はこの時の南海の主砲である。ベテランの持ち味を感じさせる見事な打撃で知られていた。彼もまた名球界に入っている。
 ナイマンはこの時南海にいた助っ人である。彼はパワーのあるバッティングで知られていた。
 香川の予想はここでも当たった。四回に鈴木からツーランホームランを放ったのだ。
「やっぱりな」
 香川も岡本もこれを見て言った。鈴木は歴代一位の被本塁打の記録がある。とにかくホームランを打たれることの多い男であった。今日もやはり打たれた。
「これで今日は勝ちかな」
 香川は山内のボールを受けながらそう思った。彼はヒットは打たれながらもそこで踏ん張り得点を許さない。そのまま八回まで完封で進んでいた。
「ナイマンの一発が痛いな」
 岡本はスコアボードを見ながら唇を噛んだ。だが鈴木の浴びたホームランは仕方ないと思っていた。
「スズは他は抑えとるし。これで抑えてくれとるのは感謝せなな」
 彼もまた完投ペースである。そんな鈴木を攻める気にはならなかった。
「打線の調子も悪くはないし。やっぱり今日の山内はええわ」
 山内を見てそう言った。
「今日はあかんかもな」
 岡本もそう思った。流石に今日は負けるだろうと見ていた。
「スズには悪いが」
 鈴木の好投が惜しい。だがこうした試合もある。
 そして九回を迎えた。打席にはあの加藤がいた。
 ここはシェアに打った。レフト前に流した。ここで岡本は代走に慶元秀章を送った。
 次に打席に立つのは助っ人デービスである。パワーには定評がある。
 デービスも続いた。センター前へ弾き返す。だがこれを見てもまさか、と思う者はいなかった。
「山内の球威は落ちとらん。まあゲッツーで終わりやな」
 続く小川亨はピッチャーフライに終わった。やはり山内の調子はいい。羽田もピッチャー前に力なく転がしてしまった。
「これで終わりやな」
 香川はそれを見て思った。だがここで山内の動きが鈍った。何とそれを捕り損ねてしまったのだ。
「えっ!?」
 香川は我が目を疑って。打球はそのままセンター前へ転がっていく。ここで慶元がホームを踏んで一点入った。これで完封はなくなった。
 それだけではない。近鉄ベンチもファンも活気づきだした。これで終わりかと思われたのに思いもよらぬ形で一点入ったからであった。
「これはいけるかも知れませんね」
「ああ」
 岡本は隣にいたコーチに応えた。その顔には笑みがあった。
「流れが変わってきた。もしかすると、もしかするな」
 ここで打席に立つのは有田。勝負強い男である。
「監督、どうします?」
 南海ベンチでコーチの一人が穴吹に尋ねた。
「そうやな」
 問われた穴吹は山内を見て口に左手を当てた。
「山内の調子はここにきてもええ。それに」
 この前のことがある、とは決して言えなかった。だが脳裏にはあの場面が残っている。替える気にはなれなかった。
「このままいくで」
「はい」
 コーチも同じであった。加藤のホームランのことが頭にあった。彼等は山内続投を決めた。
 近鉄ファンはサヨナラへの期待に胸をワクワクさせている。彼等は興奮状態にあった。
 その中で山内のコントロールに狂いが生じた。有田を歩かせてしまう。
「まずいなあ」
 香川はそれを見て思った。流れはもう完全に近鉄のほうにある。だが山内はボールのノビもキレも落ちてはいない。もしかすると、とは思ってもやはり抑えられると思えた。
 岡本はここで動いた。審判に代打を告げる。
「代打、柳原」
 柳原、その名を聞いて香川はホッと胸を撫で下ろした。
「よかった」
 彼なら抑えられる、そう思ったからだ。
 彼には弱点があった。変化球に弱いのだ。だからこそ今一つ大成しないでいたのだ。
 だが岡本は彼にかけた。そのパワーにかけたのだ。
「頼むで」
 岡本は彼を見て言った。半ば祈るようであった。
 しかし香川は落ち着いたものであった。冷静に山内にサインを送った。スライダーだ。
「よし」
 山内はそれに頷いた。それを引っ掛けさせ併殺打にする狙いであるとわかったからだ。
 一球目は外角へのスライダーだった。だがそれは外れた。
「一球位はいいか」
 香川はそれを受けながら思った。球場は最早完全に近鉄への応援になっていたがそれでも彼は冷静なままであった。そうでなくては捕手は務まらない。
「またスライダーでいこう」
 山内はフォークも投げることができる。だがそれは考えなかった。
 満塁である。捕球がストレートやスライダーに比べて難しいフォークではパスボールの恐れもある。こうした場面ではあまり投げるボールではない。ましてやフォークはすっぽ抜けることも多い。かって我が国ではじめてフォークを駆使した中日のエース杉下茂も実はフォークは多投しなかった。彼はこう言った。
「フォークは一歩間違えると長打になる危険なボールだ。それにこっちにフォークがあると思わせるだけで有利になるんだ」
 彼はそれよりもストレートのコントロールを重要視した。フォークを武器としているだけにその弱点もよく知っていたのだ。
 香川もそれは知っていた。だからスライダーで攻めることにしたのだ。
「この人にはスライダー一本やりでいこう。それで抑えられる」
 そう思った。そして次のサインもやはりスライダーだった。
 山内もそれは納得した。彼も柳原が変化球に弱いことは知っていたのだ。
 そのスライダーは真ん中に入った。甘い球だ。だがいつもの柳原には打てないボールだ。
(引っ掛けてくれよ)
 香川はそう思った。バットを振ってくれることを願った。そして柳原は振った。
(よし!)
 彼はここで会心の笑みを浮かべた。勝った、そう確信した。
 しかしこの日の柳原は普段の柳原ではなかった。彼は無心のままバットを振ったのだ。
「いける!」
 彼はバットを振った瞬間そう思った。変化球に対する意識はこの時不思議な程なかった。ストレートを打つ時と同じように無心で振った。
 振り抜いた。無心だっただけに打球は派手な音と共に飛んだ。
 弾道は低かった。香川はそれを見た時しまった、と思った。
「同点か」
 打球は左中間に飛んでいる。だが低い。勢いもある。狭い藤井寺のことを考えるとヒットで済む。
「西武球場や後楽園じゃなくてよかったな」
 この時は狭い藤井寺に感謝した。しかしそれは一瞬だけだった。そう、藤井寺は狭いのだ。
 打球は一直線にスタンドに入った。弾丸ライナーでレフトスタンドの最前列に飛び込んだ。
「え・・・・・・」
 香川は最初目に映るその光景を信じられなかった。夢でも見ているのかと思った。
「嘘だろう!?」
 山内もそんな顔をしていた。彼等だけではない。南海ナインもベンチも同じだ。しかもそれは近鉄側もであった。
 打った柳原も呆然としていた。しかしそれは一瞬のことだった。彼等はその瞬間時を止めてしまっていたのだった。
 球場内が爆発的な歓声に包まれた。柳原はその声にようやく我に返った。
「ホンマのことやったんか!?」
 彼は狐につままれたような顔をしていた。
「おい柳原、はよベースに向かわんかい!」
「ボサッとしてベース踏み忘れるなや!」
 観客からの声が飛ぶ。彼はそれに従うようにようやく一塁ベースに向かった。
 そしてゆっくりと回った。ホームではナインが総出で待っている。
「よっしゃあ!」
 ホームを踏んだ彼はもみくちゃにされる。まさかの代打逆転満塁サヨナラホームランであった。
「まさか二試合続けて起こるなんてな」
 香川は顔を顰めながら言った。まだ信じられなかった。
「けれどこんな体験した野球選手って他にいないだろうな。悔しいけれどそう思えばいいか」
 あまりのことに今でも悔しさはない、と香川は言う。
「あの時は別ですけれどね」
 ここで彼は苦笑した。
「けれどこれが近鉄の野球、パリーグの野球ですね」
 パリーグで過ごしてきた彼はここでこう言う。
「こんなことはセリーグ、いや他の国のどのリーグでも起こりません。パリーグだからこそ起きるんです」
 その声は熱いものであった。彼にしては珍しい。
「僕はパリーグにいてよかった、と思っています。本当に。こんな熱い、素晴らしい野球ができたんですから」
 彼はそう言うと今日もパリーグの試合を観に行く。解説者として。
「世の中の人はまだ巨人巨人と言いますけれど少なくとも僕は違いますよ」
 加藤秀司も同じことを言う。
「パリーグの野球こそ最高です。あんな素晴らしいものが見られるんですから」
 二人は今も野球を愛している。パリーグの野球を。この素晴らしい野球の中で育ち、生きてきた男達は何時までもその世界を愛しているのだ。



二日続けての大舞台    完


                               2004・7・31


[178] 題名:霧の中の断頭台3 名前:坂田火魯志 MAIL URL 投稿日:2004年08月17日 (火) 00時07分

「そうか、怪人を狙撃したのか」
 一文字はホテルに戻ると早速本郷に話した。彼等はテーブルに向かいになって座って話をしている。
「ああ、そうなんだ。何処から撃ってきたのか、誰なのかは全くわからないが」
 一文字は腕を組み考え込む本郷に対し言った。
「今イギリスにいるライダーは俺達だけだったな」
「ああ、それは間違いない」
「それとおやっさんと滝だけだったな」
「ああ。ルリ子さんは今何処だ?」
「パリに残ってもらっている。まだバダンの戦闘員が残っているようだからな」
「そうか。ルリ子さんなら大丈夫だろう。じゃあここにいるのは俺達を含めて四人だけか」
「そうだな。他には・・・・・・待て、役君はどうしていた!?」
 本郷はここで役のことを思い出した。流石に勘がよかった。
「役君ならインターポールの本部にいるが。何なら連絡するか!?」
「いや、いい。彼に迷惑をかけるわけにもいかない」
 本郷はそれを拒絶した。
「結局誰かはわからないみたいだな」
「そうだな。だが俺達の敵でもないようだな。怪人を狙撃しておやっさんを助けてくれたところを見ると」
「ああ。それだけでもわかればいいか」
 二人はそう話していた。そこへ立花と滝がやって来た。
「おお二人共ここにいたか」
「ええ、ちょっと話したいことがあって」
 本郷は二人の方へ顔を上げて答えた。
「丁度二人揃ってるな。今役君から連絡があったんだよ」
 滝が言った。
「役君から!?」
 一文字はそれを聞いて思わず声をあげた。
「どうした、何かあったか!?」
 立花は一文字だけでなく本郷まで驚いた顔をしたのを見て思わず問うた。
「いえ、何も」
 だが二人はそれをすぐに打ち消した。そして立花達に対して尋ねた。
「それで役君からは何と」
「ああ、ゾル大佐とブラック将軍のことでな」
「あの二人か」
 二人はその名を聞いて目を光らせた。
「何でも奴等は夜になると姿を決まった場所に現わすらしいんだ」
「それは何処ですか!?」
「ロンドン塔だ」
「あそこか」
 二人もその塔のことはよく知っていた。
「どうする!?と言っても行くに決まってるか」
 滝が言いかけながら口の端だけで苦笑した。
「ああ、当然だ」
「奴等がそこにいるのならな」
 二人は答えた。その表情には強い決意があった。
「じゃあ行って来い。そして奴等を再び地獄へ落とすんだ」
「容赦はするなよ。絶対に勝って来い」
「おう、わかった」
「おやっさん、明日の朝にはシャンパンを用意しておいて下さいね」
「おいおい、朝からシャンパンか」
 立花は一文字の言葉に思わず笑ってしまった。
「いいぞ、それでも何ならスコッチも用意しておくか」
「おやっさん、それはウイスキーですよ」
 滝が突っ込みを入れる。
「それ位わかっとるわ。わしはウイスキーつったらそれしか知らないんだからな」
「ははは」
 三人はその言葉に笑った。そして戦いの前の束の間の笑いを楽しんだ。

 その夜本郷と一文字はロンドン塔の前にいた。夜の塔は濃紫の夜の帳の中青白い月夜に照らされ浮かんでいた。まるで魔界に浮かぶ魔王の宮殿のようだ。
 二人はその塔の前に並んで立っている。そしてその幻想的でありながら妖気を漂わせる塔を見上げていた。
「ここに来るとはな。ガキの頃はこの塔を見るのが怖くてたまらなかった」
「何故だ!?」
 本郷は少し感慨深げに呟いた一文字に対して問うた。
「幽霊が出るからな。この塔はそうした話がやけに多い。殆どシェークスピアの世界だ」
「そうか。そういえばその話は俺も何かの本で読んだことがある」
「そうだろうな。ここは幽霊のメッカだからな」
「そんなに多いのか。
「ああ、怪人よりも多いかもな」
「おい、それは冗談だろう」
「いや、冗談じゃない。だが怪人とは違うことがある」
「それは何だ!?」
「ここの幽霊は人には何もしない。バダンの奴等と違ってな」
 ロンドン塔の幽霊は実に多い。だが生きている者には危害を加えないのである。ただ自分の死や無念を伝えるだけなのである。
「だが今ここには幽霊の他にもその怪人共がいる」
「そうだな、そしてゾル大佐と死神博士が」
 二人の顔が引き締まった。
「準備はいいな。遂にあの二人との決着だ」
「ああ」
 本郷は一文字の言葉に頷いた。
「では行くぞ、本郷」
「おお、一文字」
「よし」
 二人は身構えた。そして同時に変身に入った。

 ライダァーーーーーー
 両手で手刀を作り右から左へとゆっくりと旋回させる。そして左斜め上で止めた。
 身体が黒いバトルボディに覆われ胸が緑になる。手袋とブーツが銀になっていく。
 変身!
 右腕を拳にし脇に入れる。そしてそれを手刀にし突き出すと今度は左腕を入れた。その手もやはり拳である。
 顔の右半分がライトグリーンの仮面に覆われる。左も。その眼が紅くなった。

 変・・・・・・
 両手を手刀にし右から左に旋回させる。
 身体が黒いバトルボディとなる。そして赤い手袋とブーツが現われた。
 ・・・・・・身!
 両手を拳にし左で止める。左手は直角に上に、右手は肘を直角にし身体と並行させる。
 ダークグリーンの仮面が右から、そして左から顔を覆う。やはりその眼が紅くなる。

 光が二人を包んだ。そして彼等はライダーに変身した。
「行くぞ」
「おお」
 二人は頷き合った。そして塔の中に入って行った。
 この塔は実は宝物殿でもある。しかしそれよりもやはりその血塗られた歴史の方が知られている。牢獄や処刑場であっただけではない。王宮としても様々な権謀術数が行なわれていた。そしてその犠牲者や敗者は容赦なく血の中に消えていったのだ。
 そうした血の歴史の中をダブルライダーは進む。そこへ戦闘員達が左右から襲い掛かる。
「イィッ」
 その手には斧や大鎌がある。まるで死刑執行人のようだ。彼等はそれを手にライダー達に切り掛かる。
「ムッ」 
 だがライダー達にそうした武器は通用しない。彼等は襲い掛かる戦闘員達を退け中を進む。
 石畳の廊下を走る。その前に怪人が姿を現わした。
「ギーーーーーローーーーーーーッ!」
 デストロンの処刑怪人ギロチンサウルスであった。怪人はその右手にある刃を振り回しながらやって来る。
「やはり来たかっ!」
 ダブルライダーはすぐに構えをとった。だが後ろからもう一体の怪人が現われた。
「シュルーーーーーーッ!」
 ネオショッカーの細胞怪人ナメクジンであった。怪人達はダブルライダーを前後から挟み撃ちにしてきた。
「かなりの戦力がいるようだな」
「ああ、どうやら失踪事件はこれで謎が解けたようだな」
 ダブルライダーは互いに背中合わせになりながら言った。
「これはブラック将軍の作戦だ。将軍は誘拐した人々の血を使って怪人達を復活させている」
「そう、そしてそれでもって俺達にあたらせている。どうやらここにいる奴等を始末するにはあの将軍を倒さないと駄目なようだな」
「そうだな。だがそれにはやらねばならないことがある」
「ああ、わかっているぜ」
 ダブルライダーはそう言うとそれぞれ前後に跳んだ。一号はナメクジンに、二号はギロチンサウルスに向かった。
「シュルシュルシュルッ!」
 ナメクジンは右腕から白い溶解液を放って来た。そしてそれでライダーを溶かそうとする。
「クッ!」
 ライダーは上に跳んだ。つい先程までいた足下が溶け白い煙を放っている。
 ライダーは壁を掴んだ。そしてそこから急降下した。
「グギッ!」
 怪人を撃った。怪人は堪えきれずその場に倒れた。
 だがそれで終わりではなかった。怪人はまだ諦めず溶解液を放ってきた。
「まだ攻撃できるかっ!」
 しかし一号はそれも紙一重でかわした。そして倒れている怪人に近寄りその身体を掴んだ。
「させんっ!」
 底へチョップを連続で浴びせる。パンチよりも威力は劣るがその分スピードがあった。
 そのスピードで怪人を撃った。軟体であるナメクジンもその衝撃には耐えられなかった。そしてたまらず絶命し爆死した。
 隣では二号とギロチンサウルスが死闘を繰り広げていた。怪人は口から炎をはきつつライダーに迫る。
「さあ来いっ!」
 だが二号はそれに怯むところはなかった。臆することなく前にダッシュした。
「ギッ!?」
 流石にそれにはさしものギロチンサウルスも絶句した。思わずその炎を止めた。
「やはり止めたかっ!」
 何とそれが二号の狙いであった。彼は意表を衝く行動で怪人を動揺させることを狙ったのだ。
 そしてそれは的中した。二号は怪人を掴むとまずはその右腕に拳を浴びせた。
「ギっ!」
 怪人は思わず叫び声をあげた。何と右腕のギロチンが砕けてしまったのだ。
「これでもう切り札はないぞっ!」
 二号はさらに攻撃を続けた。何発か拳を浴びせると怪人を掴んだ。そして石の床に叩き付ける。柔道でいう肩車である。
 怪人は動けなかった。そしてそのまま息絶え爆死した。
「行こう」
「おお」
 二人は頷くとその場をあとにした。そして今度は牢獄に来た。
 やはりここでも怪人達が姿を現わした。ショッカーの毒花怪人ドクダリアンとゴッドの豪腕怪人鉄腕アトラスである。
「ヒィーーーーア、ヒアッ!」
「グオーーーーーーーッ!」
 怪人達は牢獄の中から襲い掛かって来た。鉄格子を破壊してライダー達に跳び掛かる。
「こんなところにもっ!」
「面白い、牢獄じゃなく地獄に送ってやる!」
 ダブルライダーはそれをかわすと反撃に転じた。まずは二号がドクダリアンに向かった。
 怪人は鞭を放つ。それは二号の右腕に絡みついた。
「ムムム」
 二号はそれを受け呻いた。だが怯んではいなかった。
 その鞭を引いた。怪人も反射的に引き返す。こうして力比べがはじまった。
 力比べは暫くの間続いた。だが勝負が着いた。
 やはり力の二号と言われるだけはあった。二号はその力を最大限に発揮し引くと怪人は体勢を崩した。そして隙を作ってしまった。
「もらった!」
 二号はそれを見て一気に突っ込んだ。肩を前面に出し体当たりを仕掛ける。
「ライダァーーーーショルダーーーーチャーーーーーージッ!」
 そして怪人にその身体を叩き付けた。ドクダリアンはその衝撃に耐えられず吹き飛び壁に叩き付けられた。
 そして倒れた。怪人は起き上がることも出来ず息絶えその場で爆発した。
 小さな爆風が巻き起こる。一号はそれを背に受けながら鉄腕アトラスと対峙している。
「グオッ!」
 怪人は一声そう叫ぶとその手に持つ巨大な砲丸を放り投げてきた。
「来たな」
 ライダーはそれを見て身構えた。そしてその砲丸をまんじりと見た。
 それは激しく回転しながらこちらに向かって来る。ライダーはそれから目を離すことがない。
「そこだっ!」
 一号はそう叫ぶとその砲丸の一点に拳を入れた。
 砲丸は動きを止めた。ライダーの拳がその動きを止めたのだ。
 それだけではなかった。ライダーの拳は砲丸のある一点をも撃っていたのだ。
「な・・・・・・」
 砲丸にヒビが入っていく。そしてそれは砲丸全体に伝わっていった。
 砲丸が粉々に砕けた。ライダーはその動体視力でもって砲丸の点を見極めていたのだ。
「まだだっ!」
 ライダーは崩れ落ちる砲丸の破片をかいくぐるようにして突進した。そしてそのまま跳んだ。
「トォッ!」
 空中で前転した。そしてそのまま突っ込み蹴りを放つ。
「ライダァーーーーーキィーーーーーーーック!」
 蹴りが怪人の胸を撃った。それは怪人の厚い胸を撃ち抜きそのまま後ろに吹き飛ばした。
 怪人はほぼ即死であった。そしてそのまま爆死した。
「これでここの怪人は全て倒したな」
 一号は着地してその衝撃を膝で殺しながら言った。
「ああ、どうやらそのようだな」
 二号は爆炎が消え去り辺りに自分達の他に何の気配もないことを確かめながら答えた。
「じゃあ先を行こう。あの二人は必ずこの塔の何処かにいる」
 一号は立ち上がりそう言った。
「ああ、わかった」
 二号は頷いた。そして牢獄を出て先へ進んだ。
 先を進む。途中に落ちて来る天井や戦闘員達があったがダブルライダーはそれ等をものともせず先へ進んだ。
 やがて屋上に出た。そこはあの処刑台が置かれていた場所であった。
 かってアン=ブーリンはここで死んだ。その他にも多くの者がここで最後を遂げている。
 だが今そこに処刑台はなかった。そのかわりに断頭台が置かれていた。
「どういうことだ!?ここには断頭台なんてない筈だが」
 二号がその断頭台に近付きながら呟いた。その時咄嗟に刃が動いた。
「一文字、気をつけろ!」
 それを見た一号が咄嗟に言葉をかけた。
「おっとと」
 二号はそれに気付き後ろにステップした。刃は空しく空を切った。
「今のはほんの挨拶だ」
 そこで何処からか声がした。
「その声はっ!」
 ダブルライダーはその声がした方を振り向いた。
「フフフフフフフ」
 それはゾル大佐であった。彼はゆっくりと二人の前に姿を現わした。
「よくぞここまで来たな、流石と褒めておこう」
「生憎だな、貴様に褒められようが嬉しくとも何ともない」
「そうだ、貴様を倒す為にここへ来たのだからな」
 ダブルライダーは彼を指差して言った。
「フッ、相変わらずだな」
 大佐は余裕のある態度を崩さない。
「一文字隼人、いや仮面ライダー二号よ」 
 そして二号に対し言った。
「貴様にはじめて言った言葉を覚えているか」
「はじめて言った言葉!?」
「そうだ、私の名を聞き姿を見た者はどうなるかということはな」
「忘れたな、そんな昔のことは」
 二号はそれに対し言った。
「フッ、そうか。ならばもう一度言おう」
 彼はそう言うとゆっくりと言った。
「必ず死ぬ、どうだ思い出したか」
「知らないな」 
 だが二号はとぼけてみせた。ここで引けをとるわけにはいかなかったからである。
「相変わらずだな。ふてぶてしいものだ」
「だがそうでなくては面白くはない」
 ここで別の声がした。
「その声は・・・・・・」
 ダブルライダーはその声にも聞き覚えがあった。声の主はゾル大佐の横に姿を現わした。
「よくぞ来た、ダブルライダーよ」
 ライダー達の予想は当たっていた。ブラック将軍も姿を現わした。
「ブラック将軍よ」
 今度は一号が彼に対し問うた。
「何だ?」
「このロンドンでの失踪事件は貴様の仕業か」
「だとしたらどうする」
 それは肯定の言葉であった。
「そしてその誘拐した人々の血で怪人達を復活させていたな。違うか!?」
「その通りだ」
 そしてそれを完全に認めた。
「だからこそ我々は今まで多量の怪人を一度の作戦に送り込むことができたのだ。このロンドンにおいては特には」
「クッ・・・・・・」
 一号だけではなかった。二号もそれを聞いて歯噛みした。
「何を怒る!?私は以前にもこの作戦を執り行なっている」
 将軍はダブルライダーを見下した目で見ながら言った。
「ゲルショッカーにおける最後の作戦でな」
「貴様、では・・・・・・」
 そうであった。かってゲルショッカーは日本への攻勢の為ブラック将軍自ら陣頭指揮を執り人の血から怪人達を再生させた。そしてその怪人達を以ってダブルライダーに攻撃を仕掛けたのだ。
 その時ブラック将軍は将軍であって将軍ではなかった。別の姿になっていたのだ。
「それは貴様等が最もよくわかっている筈だが」
「そう、そしてこの俺のこともな」
 ゾル大佐も言った。そして二人はニヤリ、と笑った。
「偉大なる首領にお仕えする大幹部の正体・・・・・・」
「それが何であるかな」
「面白い」
 それを聞いた二号が言った。
「ならばその姿もう一度我等に見せてみろ!また打ち倒してやる」
「そうだ!今度こそ二度と甦れないようにしてやる!」
 一号も言った。それが最後の宣戦布告になった。
「言われずともそうしてやる」
「さあ、とくと見るがいい。我等の真の姿をな」
 二人はそう言うとゆっくりと身構えた。ゾル大佐は顔の前で鞭を持つ右腕をゆっくりと振った。ブラック将軍は右手に持つサーベルを左斜めから右斜め下に思いきり振った。それと共に二人の姿が変わった。
 ゾル大佐の身体が金色に変わる。厚い毛に覆われたその身体は明らかに人のものではなかった。
 顔もであった。牙を生やしたそれは狼のものであった。
 ブラック将軍の上半身が緑の皮に覆われる。両腕も変化し身体のあちこちに管が生える。その顔もカメレオンが管を生やした無気味なものであった。
「さあダブルライダーよ行くぞ!」
 ゾル大佐の正体である黄金狼男が言った。
「この断頭台の前が貴様等の死に場所だ!」
 ブラック将軍の正体ヒルカメレオンが叫んだ。そして二人に襲い掛かる。
「行くぞ一文字!」
「わかった本郷!」
 二人も同時に突進をはじめた。そしてここにロンドンでの最後の戦いがはじまった。
「喰らえっ!」
 黄金狼男は一号に向けて指からミサイルを放ってきた。だがそれは一号の拳により撃ち砕かれた。
「この程度っ!」
 一号はそのまま黄金狼男に向かって行く。そして格闘戦に入った。
 ヒルカメレオンは二号に右腕の管から攻撃を放ってきた。
「ムッ!」
 二号は斜め前に跳びそれをかわした。そして前転しヒルカメレオンに攻撃を仕掛ける。
「フフフフフ」
 だがヒルカメレオンはそれを見ながら不敵に笑った。そして姿を消した。
「ムッ!?」
 二号は攻撃を中断した。そして辺りの気配を探る。
「一文字!」
 一号が黄金狼男と闘いをしながら言葉をかけた。
「大丈夫だ本郷」
 二号は一号に対し言った。
「ヒルカメレオンは俺がやる。御前は黄金狼男を頼む!」
「わかった!」
 一号は頷くとそのまま黄金狼男との闘いを続けた。二号はその場に留まり気配を探る。
「必ずこの近くにいる」
 そして地面を見る。
 空には月がある。その光が影を映し出すのを二号は見ていた。
「ム・・・・・・」
 だが影は見えない。土煙一つ立たない。
「何処にいるのだ」
 二号は呟いた。そこに拳が来た。
「ウォッ!」
 それは二号の顎を打った。彼の前にヒルカメレオンが姿を現わした。
「フフフ、残念だったな」
「貴様、そうしてここに・・・・・・」
「私の影を探していたのだろう。だが生憎だったな」
 ヒルカメレオンは二号を嘲笑うようにして言った。
「私の身体は光をも透き通らせる。だから影も映らないのだ」
「クッ、そうだったのか」
「貴様等がパワーアップされているように私もまた強化されているのだ。それに気付かなかったのが迂闊よ」
「クッ・・・・・・」
 ヒルカメレオンはそう言うと再び姿を消した。
「こうして姿の見えぬ敵に怯えるがいい。そして死ぬのだ。フフフフフ」
 後方から溶解液が来た。二号はそれをかわすのだけで手一杯であった。
 一号もまた苦戦していた。黄金狼男のパワーの前に押されていたのだ。
「どうした、伝説のライダーとはその程度か」
「クッ・・・・・・」
 黄金狼男の拳を受け一号は吹き飛ばされた。そして床に叩き付けられる。
「パワーアップしたと聞いたが聞き間違いのようだな。これでは戦闘員の方がまだ歯ごたえがある」
「何というパワーだ・・・・・・」
 一号はよろめきながらも立ち上がった。
「俺を侮ってもらっては困るな。この力は我が偉大なる首領より再び授けられたものだ」
「あの首領にか」
「そうだ。その力で貴様を倒してやろう。さあ覚悟を決めるがいい」
「誰がっ!」
 一号にも意地があった。体勢を立て直すと黄金狼男に再び向かって行った。
 闘いは死闘そのものであった。大幹部達がそのパワーと術でライダー達に攻撃を仕掛ける。だがダブルライダーはそれを歴戦の勘でもってかろうじて凌いでいた。
 だが形勢は明らかにライダー達に不利であった。そして大幹部達は攻撃の手を緩めない。
「クッ、このままでは・・・・・・」
 ダブルライダーはそれぞれ片膝を着き敵を見た。敵は最早自らの優勢を確かなものにしていた。
「どうした、その程度か!?」
 黄金狼男は一号に対して言った。
「何を!」
 ライダーは立ち上がった。そして黄金狼男を睨みつけた。
「フフフ、そうでなくては面白くない」
 彼は不敵な声でそう言った。
「宿敵仮面ライダー、この手で完膚なきにまで叩き潰さねばな」
「そう、そうでなくては我等のプライドが癒されぬ」
 ヒルカメレオンも言った。
「さあ来いライダーよ。そして死ぬがいい」
「我等の手によってな」
 ヒルカメレオンはそう言うと再び姿を消した。黄金狼男腕を構えた。
「**(確認後掲載)」
 まずは黄金狼男が弾丸を放った。それは一号に一直線に向かって行く。
「来たか」
 一号はそれを見て呟いた。
「予想通りだな」
 冷静な声だった。だがそれは黄金狼男の耳には入っていなかった。
「そう来れば俺にもやり方がある」
 そう言うと脚に力を込めた。
「これでどうだっ!」
 そして大きく跳躍した。
「何っ!」
 弾丸は今まで一号がいたその場所を通り去った。一号は上に跳んでいた。
 黄金狼男は上を見上げた。ライダーはそこにいた。
「これで決まりだ、黄金狼男、いや」
 彼は既に身構えていた。
「ゾル大佐!」
 そして攻撃態勢に入った。
「ヌウウ、小癪なっ!」
 黄金狼男は上に向けて弾丸を放とうとする。だが一号の動きはそれより速かった。
「ライダァーーーーーー・・・・・・」
 技の名を叫びながら空中で回転する。
「月面キィーーーーーーーーック!」
 そして蹴りを放った。一号の得意技ライダーキックのパワーアップの一つである。
 それが黄金狼男の胸を直撃した。彼はダメージに耐え切れずその場に倒れた。
 二号はヒルカメレオンの気配を探っていた。だが掴むことはできずただその攻撃をかわすだけであった。
「フフフフフ」
 月夜にヒルカメレオンの声だけが響く。二号はその中にいた。
「どこにいるというのだ」
 姿は見えない。影すらない。
「しかしここにいるのは間違いない」
 そして辺りを見回した。
 だが気配も何処にも感じない。攻撃だけがこちらに加えられてくる。
「待てよ」
 二号はここで気付いた。
「目や他の器官に頼るからよくないんだ。ここは他のものを使おう」
 彼はそう言うとその場で止まった。
「ムッ!?」
 それを見たヒルカメレオンは思わず声を出した。
「何をするつもりかは知らんが」
 彼は一度姿を現わして二号に対して言った。
「私に小細工は通じぬ。諦めるのだな」
 そう言うと姿を消した。
「消えたか」
 二号はそれを見ようとしなかった。そして目を閉じ耳からの音を絶った。
「これでいい」
 そして辺りに気を張り巡らせた。
 それは目には見えない。だが確実に二号を中心に四方八方に伸びていた。
「どこにいるかだ」
 二号はその気を探った。そしてその中の一つに当たった。
「そこだっ!」
 二号は目を開いた。耳を開けた。そして跳んだ。
「トォッ!」
 そして空中で後ろに宙返りする。
「まさかっ!」
 ヒルカメレオンは自らの技が見破られたことを悟った。慌てて姿を現わす。
「こうなれば!」 
 そして攻撃を仕掛ける。空中に溶解液を飛ばす。
 だがそれは当たらない。二号の動きはそれよりも速かった。
 しかし攻撃を続ける。遂に二号をとらえた。
「無駄だっ!」
 彼はそれに対して言った。
「行くぞヒルカメレオン、いやブラック将軍!」
 そして技に入った。
「ライダァーーーーーーーー・・・・・・」
 身体に思いきり捻りを加える。そしてそのまま激しく回転する。
「卍キィーーーーーーーーーック!」
 二号の大技の一つだ。回転により絶大な力を発揮する。
 それがヒルカメレオンの胸を直撃した。二号は大きく後ろに跳んだ。
 そして着地した。ヒルカメレオンはガクリ、と両膝を着いた。
「やったか」
 二号はそれを見て言った。横に一号が来た。
「そっちも終わったか、一文字」
「ああ、何とかな」
 二号は盟友に対して答えた。
「ウググ・・・・・・」
 だがヒルカメレオンは立ち上がって来た。黄金狼男もである。
「なっ!」
 それを見た二人は再び身構えた。しかし彼等はそれに対して言った。
「安心しろ、最早戦うことはできぬ」
「この勝負、貴様等の勝ちだ」
 そしてゾル大佐とブラック将軍の姿に戻っていく。
「見事だダブルライダーよ、作戦を阻止し我等まで倒すとはな」
「まさかまたしても敗れるとはな。しかし見事な攻撃だった」
 二人はふらつきながらも言った。
「褒めてやる」
「・・・・・・・・・」
 ダブルライダーはそれを聞いても無言であった。何と言っていいかわからなかったのだ。
「フフフ、どうした?我等に勝って嬉しくはないのか」
「そうだ、よくぞこの私を倒した。胸を張るがいい」
「・・・・・・ああ」
 ゾル大佐とブラック将軍に言われ二人は応えた。
「だがこれで貴様等はバダンに勝ったわけではない」
 ゾル大佐は不敵に笑ってそう言った。
「まだ我等が偉大なる首領がおられる」
 ブラック将軍もである。顔には死相が出ていたがその目の光は強かった。
「首領の前に貴様等は血の海に染まるだろう」
「いや、その前に倒れるかも知れぬがな、フフフ」
「何、それはどういうことだ」
「答えろ」
 ダブルライダーはブラック将軍の言葉に対し問うた。
「残念だがそれを言う程私はお人好しではない」
「そうだ、だがそれはいずれわかることだ」
「どういうことだ」
 今度はゾル大佐に対し問うた。だが大佐も答えなかった。
「それは地獄で知ることになる」
「そう、そしてその時こそ我がバダンの悲願が達成される時、世界征服のな」
「クッ・・・・・・」
 二人は歯噛みした。だがどうすることもできなかった。
「ではさらばだ、ダブルライダーよ」
「地獄で待っているぞ」
 二人はそう言うとゆっくりと前に倒れていった。
「バダンバンザーーーーーーーイッ!」
 そう叫ぶと爆発して果てた。ショッカー、ゲルショッカーを代表する二人の大幹部がこのロンドンで最後を遂げたのである。
「やはり手強い奴等だったな」
「ああ、あの時よりもさらに手強かった」
 ダブルライダーはその二つの爆発を見ながら言った。ロンドンを巡る攻防はこうして幕を降ろした。

「ゾル大佐とブラック将軍が死んだか」
 死神博士と地獄大使はスペインにある基地の地下で円卓を囲んでロンドンでの話をしていた。
「うむ。ダブルライダーとの死闘の末にな」
 地獄大使は目の前に置かれた紅い葡萄酒を一口飲んでから言った。
「ダブルライダーか。やはりな」
 死神博士はそれを聞いて言った。
「あの二人を倒せるのは連中しかおらぬ。他のライダーでは無理だ」
「何故だ?」
 地獄大使はその言葉に対し問うた。
「あの二人はただ強いだけではない。そこには熟練の技があった。それを破ることのできる熟練の持ち主はダブルライダーしかおらぬということだ」
「成程な。ではあの二人を倒すことができるのは」
「我等しかおるまい」
「フフフフフ」
 二人はそこで葡萄酒を飲み干した。
「では存分にやるとしよう。場所はまずこのスペインだな」
「そうだな。それは確実だ」
 死神博士はここでグラスに酒を注ぎ込んだ。
「美味いか」
 そして地獄大使に対して問うた。
「うむ。スペインの酒か」
「そうだ。よくフランスやドイツのものと比べると下に見る者もいるがそんなに悪くはないだろう」
「そうだな。わしはあまり葡萄酒は飲まんがこれはなかなかいける」
「そうだろう、では飲むがいい」
「すまんな」
 地獄大使は死神博士に酒を注いでもらった。
「ダブルライダーもこのスペインに来るだろう。酒の香りと味に惹かれてな」
「面白い。ではこの酒は二人を呼び寄せる撒き餌ということか」
「違うな。二人が流す酒だ。死ぬ時にな」
「ほう、洒落た表現だな」
「私の故郷であるこのスペインに伝わる言葉だ」
 死神博士はそう断ったうえで話をはじめた。
「紅い葡萄酒は人の血なのだ。騎士はその日残した葡萄酒の分だけ血を流す。だからこの国では騎士は酒を残さない」
「そうなのか」
 地獄大使はそれを聞き考える顔をした。
「そうした話はわしの国にはないな。スペインにだけある話か」
「さあな。欧州全体にあるらしいが」
 死神博士はそう言うと葡萄酒を飲み干した。
「では今日は楽しもう。あの二人の弔いと。そして」
「ダブルライダーの死を願って」
「うむ」
 二人はそう言うと杯を打ち付け合った。そして心ゆくまで酒を楽しんだ。
「かなり飲んだな」
 地獄大使は自身の基地に上機嫌で帰って来た。足取りは確かだがその顔は真っ赤であった。
「美味い酒だったな」
 彼はあまり酒は強くない。だが嫌いかというとそうではない。
 酒は大好きである。そして飲むと普段にも増して感情の起伏が激しくなる。だが部下に暴力を振るったりはしない。
「相変わらず酒に溺れているな」
 自室に戻った彼に対し誰かが侮蔑の言葉を浴びせかけた。
「何、わしが何時酒に溺れたと・・・・・・」
 その声の方へ顔を向けた。すると地獄大使はその表情を見る見るうちに変えた。
「貴様か」
「そうだ。少し教えてやりたいことがあってな」
 そこには暗闇大使がいた。
「何だ。生憎わしは貴様と話をするつもりは毛頭ない」
「こちらも来たくはない。貴様の顔なぞ見るだけで吐き気をもよおす」
「では何故来たのだ」
「首領からのご指示だ」
「首領から!?」
 それを聞いて地獄大使は態度をあらためた。
「一体それはどういう了見でだ」
「聞きたいか」
 暗闇大使はそれを落ち着いた様子で見ながら問うた。
「もったいぶるな、早く言え」
「フン、相変わらず気が短いな」
 暗闇大使は従兄弟をせせら笑いながら言った。
「言うな、何なら首領から直接お聞きしてもいいのだぞ」
 地獄大使は鞭を突きつけながら言った。
「わかった、わかった。まあそう怒るな」
 頭に血が昇っている地獄大使に反比例し暗闇大使のそれは至って冷静なままである。静かな口調で話しはじめた。
「では言おう」
 彼はそんな従兄弟をあえて挑発するようにゆっくりと口を開いた。
「早く言え」
 地獄大使はそんな彼を急かした。
「貴様に新しい任務が下った」
「任務か」
 それを聞いた地獄大使の目が光った。
「そうだ。近いうちに新型の兵器が送られてくる」
「それは何だ!?」
「それはわしにもわからん」
 暗闇大使は口ではそう言った。だがそれは嘘であった。彼は実はそれが何であるか知っていたのだ。
「それを使って作戦担当地域を破壊せよ、とのことだ」
「核兵器のようなものか」
「さあな。だがそれは今残っている全ての大幹部達に送られるそうだ」
「そこまで計画が進んでいたのか」
「うむ。何時の間にかな」
 それの中心となっていたのは他ならぬ彼である。だが彼はそのことは伏せていた。
「我がバダンの計画は新しい段階に入った。最早一刻の猶予もならん」
「それはわかっている」
「大幹部や改造魔人達もその数を大きく減らした」
 数多くのバダンの大幹部や改造魔人達の最後は彼等もよく知っていた。
「そして実力者であるゾル大佐とブラック将軍が倒れたのを知り首領は断を下されたのだ」
「それが今回の新兵器か」
「そうだ。わしもこれを日本で使用するつもりだ」
「日本でか。だがあの地のバダンは既に壊滅しているのではないのか」
「再び上陸した。そして今橋頭堡を築いている」
「そうか」
「うむ。そして日本を死の国に変えてやるつもりだ」
 暗闇大使は無気味に笑ってそう言った。
「死の国に、か。ではわしも死の国を二つ三つ作ろうか」
「貴様に出来るのか」
「言うな」
 地獄大使は従兄弟を睨みつけた。
「貴様ごときに言われる筋合いはないわ」
「どうかな。あの時はわしの力がなくては何も出来なかったではないか」
 暗闇大使も負けていない。地獄大使を睨みかえし反論した。
「ほう、言ってくれるのう」
 地獄大使はその言葉を聞き再び顔を赤くさせた。今度は怒りで、である。
「貴様こそわしの陰に隠れてばかりだったではないか。参謀といっても所詮は日陰者よ」
「日陰者だとっ!」
 それを聞いた暗闇大使が激昂した。普段の冷静な様子からは信じられない程激しい口調であった。
「貴様がわしを利用していただけではないかっ!貴様はいつもわしを囮に自分だけ利を得ようとしていたのだ。フランス軍との時もアメリカ軍との時も・・・・・・」
「そして人民解放軍との時もだな」
 地獄大使は従兄弟が激昂したのが余程嬉しいのだろうか。ニタニタと笑いながらその顔を見ている。
「それは貴様が悪いのだ」
「何っ!」
「利用し、されるのがこの世界だ。何を甘いことを言っておる」
「貴様ァッ!」
 暗闇大使は鞭を振るおうとする。だが地獄大使もそれに対して身構えた。
「やるつもりか」
 そして不敵に笑った。
「わしは構わんが。だがどちらか死ぬことになるぞ」
「望むところだ。どのみち貴様とはいずれ決着をつけるつもりだからな」
「ほう、面白い。ではここでつけるとするか」
 二人は身構えて睨み合った。そして互いの隙を窺う。その時だった。
「待つがよい、二人共」
 不意にあの声がした。
「首領!」
 二人はその声を聞くと睨み合いをやめた。そして声のした方に身体を向けた。
「御前達は二人共私の大事な腹心だ。互いに争って何になるというのだ」
「これは失礼致しました」
「何とぞご容赦を」
 二人はその場に平伏した。
「わかればよい」
 首領はそれを許した。
「さあ立て。話がある」
 そして二人を立たせ話をはじめた。
「今回の作戦には我がバダンの浮沈がかかっている」
「ハッ」
 二人は立ちながらも頭を垂れてそれを聞いていた。
「それだけに御前達には期待している。何としても作戦を成功させるようにな」
「わかりました」
「そして仮面ライダーだが」
 首領はここでライダー達に話を向けた。
「おそらくその作戦を妨害にでるだろう。しかしそれは何としても排除せよ」
「わかりました」
「ライダーの打倒と合わせて作戦を進めるのだ。その為に犠牲がいくらかかろうが構わん」
「はい」
 その犠牲にはこの二人も入っている。だが首領はそれは口には出さなかった。
「頼むぞ。ライダーを倒した者には最高幹部の位を与えることを約束しよう」
「ハハァッ!」
 首領はそこまで言うとその場から気配を消した。そして何処かへと去って行った。
「最高幹部はわしのものだ」
 地獄大使は従兄弟に対して言った。
「何を言う、わしに決まっておる」
 暗闇大使も負けていない。両者はまた睨み合ったがすぐに視線を元に戻した。
「それはライダー達を先に倒した方のものだな」
「フン」
 二人は顔をそむけあうとその場を後にした。地獄大使は自室から別の部屋に移りながらこう呟いた。
「今に見ているがいい。ライダーは貴様ごときには倒せん」
 それは負け惜しみではなかった。確信をもって言っていた。
「ライダー達を倒すのはこのわしだ。わし以外に誰がいるというのだ」
 そして彼は部屋に入った。
「その時に精々歯噛みするがいい。そしてわしの後塵をきすのだ」
 そう言うと中に消えて行った。後には妖気だけが残っていた。

 本郷と一文字はロンドン塔を出ていた。そして立花と滝のところにいた。
「そうか、あの二人を倒したか」
 立花はそれを聞いて感慨深げに頷いた。
「手強い奴等だがな。よく倒した」
「流石に苦労しましたよ」
 一文字はそれに対し微笑んで言った。
「確かに。以前よりずっと強くなってましたね」
「以前よりもか」
 滝はそれを聞いて目を光らせた。
「鋼鉄参謀やオオカミ長官もそうだったようだな」
「よく知ってるな、滝」
 二人はそれを聞いて思わず言った。
「おいおい、俺だって馬鹿じゃない。それ位は勉強しているぜ」
 彼はそれを聞いて苦笑して言った。
「他のライダー達も皆苦労して世界各地のバダンと戦っている。それはよくわかっているつもりだ」
 滝自身もバダンと死闘を繰り返している。その為よくわかっていたのだ。
「中国でもそうだった。あのドクロ少佐の強さは以前とはケタ外れだった」
「ドクロ少佐か。あいつも厄介な奴だったな」
 立花もドクロ少佐のことはよく知っていた。
「忍術を使うだけじゃないからな。ストロンガーも超電子の力でやっと倒したような奴だ」
「ええ。実際に志郎の奴もかなり苦戦しましたよ。何とか倒すことはできましたが」
「だがその勝利は大きかったな」
 本郷はそれを聞いて言った。
「万里の長城が救われたんだからな。多くの命と共に」
 一文字が言った。
「ああ。そして御前達の今回の勝利も大きいぞ」
 立花と滝は二人に対して言った。
「実力者の二人を倒したんだ。これでバダンの戦力は大きく削がれた筈だ」
「ああ。いよいよバダンを叩き潰せる時が来たんだ。それも御前達のおかげだ」
 滝は右腕で拳を作りそれを振りながら言った。
「いや」
 だが二人はそれに対して首を横に振った。
「まだそう考えるには早いぜ、滝」
 まずは一文字が言った。
「そうだ、奴等のことだ。まだまだ戦力はあるだろう。それに」
「それに・・・・・・!?」
 滝は本郷の言葉を聞き思わず尋ねた。
「まだまだ手強い奴は残っている。油断はできない」
「そうか、そうだったな」
 滝はそれを聞き表情を引き締めた。
「やはり最後まで油断はできないか」
「ああ。ショッカーやゲルショッカーの時もそうだっただろ。奴等は追い詰められても絶対に諦めない。必ず何かをやってくる連中だ」
「そうだな。ショッカーでは地獄大使が自らを処刑台に送ってまでわし等を罠に陥れた」
 立花はパイプをくわえながらその時のことを思い出して言った。
「あの時でもかなり驚いたが」
 彼は話を続けた。
「ゲルショッカーの時はもっと凄いことをやってくれたな」
「ええ、ブラック将軍ですね」
「まさか自分を囮にするとは。あれには驚きましたよ」
 本郷と一文字はあの時の激戦を思い出していた。あの時は本郷もあわやというところであった。
「ましてや今はそのショッカーやゲルショッカーとは比較にならない程強大なバダンだ。おそらくこれ位じゃへこたれないだろうな」
「また何かやって来ると」
「当然だろうな」
 立花は滝の問いに答えた。
「まだ何をしてくるかはわからん」
 そう前ふりをしたうえで言う。
「だが確実にやってくる。この世界を崩壊させかねんようなことをな」
「ええ」
 本郷と一文字はその言葉に対して頷いた。
「絶対に阻止しなくちゃならん。さもないと世界はあの連中の思うがままにされちまう」
 そう言うと二人に顔を向けた。
「本郷、隼人」
「はい」
「はい」
 二人は名を呼ばれそれに答えた。
「絶対にそれを防ぐんだ。それが出来るのは御前達ライダーしかいない」
「はい」
 二人は強い身振りで頷いた。
「頼むぞ、世界は御前達にかかっている」
「ええ、それは」
「わかっていますよ」
 二人は答えた。そこで霧が出て来た。
「霧か」
 ロンドンの霧は最早この街の象徴ですらある。
「御前達がこの霧を守ったんだな」
 立花は最後にそう言った。そして戦士達は次の戦場に向かうのであった。


 霧の中の断頭台    完



                                 2004・6・22


[177] 題名:霧の中の断頭台2 名前:坂田火魯志 MAIL URL 投稿日:2004年08月17日 (火) 00時01分

 その時エレキバスはロンドン名物である赤い二階建てバスの上にいた。そしてそれでタワーブリッジに向かっていた。
「ヒヒヒ、上手くいきそうだな」
 怪人はライダーが追って来ないのを確かめて笑った。
「サボテグロンには感謝しないとな」
 そして自分をここに向けてくれた仲間に対して感謝した。
「それに報いる為に」
 前を見た。橋が見えてきた。
「あの橋は必ず破壊してやろうぞ」
 そう誓ったその時だった。
「待てっ!」
 後ろからあの声がした。
「おのれ、来たかっ!」
 怪人は声がした方を振り向いて叫んだ。そこに彼がいた。
「この仮面ライダーがいる限り貴様等の好きにはさせんっ!」
 一号はマシンを駆ってこちらに風の如き速さで向かって来ていた。
「ぬうう、しつこい奴だ」
 怪人はその姿を見ながら呻いた。ライダーはそれに構わずマシンから跳んだ。
「トォッ!」
 そしてバスの上に着地した。怪人と対峙する。
「こなっては仕方ない、まずはライダー、貴様を倒す!」
「来いっ!」
 まずは怪人が攻撃を仕掛けた。両手から電撃を放つ。
「ムッ!」
 一号はその蛸の手を掴んだ。そしてその電撃を身体に受ける。
「愚かな、貴様に俺の電撃が受けられるかっ!」
 怪人はそれを見てせせら笑った。だが一号の顔には余裕があった。
「それはどうかな」
「何っ!?」
 怪人はその声に一瞬戸惑った。だがそれでも電撃を流し続ける。
「これ位でいいな」
 一号はそう言うとその手を離した。そして空中に跳んだ。
「放電攻撃っ!」
 全身に帯びた電撃を放った。それは力を出し尽くしていたエレキバスを撃った。
「ウオオオオオッ!」
 自らの電撃を返された怪人は思わず呻き声をあげた。そして片膝を着いた。
「まさか自分の電撃でやられるとはな」
 それが最後の言葉であった。怪人はバスの上に倒れるとそのまま転げ落ちた。そしてテームズ川に落ちそのまま爆死した。
「これでタワーブリッジは救ったか」
 一号はバスの上から橋を見た。だがそれは甘かった。
 見れば橋の上が騒がしい。車が立ち往生している。
「何かあったか!?」
 ライダーはすぐに橋へ向かった。そこでは怪人達が暴れていた。
「シシャーーーーーーッ!」
「ビカァーーーーーーッ!」
 二体の怪人がいた。デストロンの機銃怪人マシンガンスネークとジンドグマの混乱怪人レッドデンジャーである。
「クッ、バダンめ、既にここにいたというのかっ!」
 一号は舌打ちしながら橋の上に来た。そして怪人達と対峙する。
「来たな、ライダー」
 怪人達は一号の姿を認めるとその前に来た。戦闘員達がライダーの周りを取り囲む。
「エレキバス達の仇はとらせてもらう。この橋が貴様の墓標だ」
「クッ・・・・・・」
 先程の放電攻撃の疲れがあった。敵の攻撃を受けそれを自らの力に変換するのは想像以上にエネルギーを消耗するのだ。今二体の怪人を相手にするのは分が悪かった。
 だがそこに思わぬ援軍がやって来た。
「待てっ、俺もいるということを忘れるなっ!」
「おおっ!」
 一号は声のした方を見て思わず叫んだ。仮面ライダー二号がマシンを駆ってこちらに向かって来ていた。
 そしてそのまま橋に突入する。一号を取り囲む戦闘員達の間に突っ込みサイクロンカッターで切り倒す。
「トゥッ!」
 そして跳躍した。一号の反対側、二体の怪人を取り囲む位置に着地した。
「残念だったな、本郷だけじゃなくて」
「クッ、何という速さだ」
 彼等は二号の思いもよらぬ参戦に唇を噛んだ。
「では行くぞ、この橋は渡さんっ!」
 こうして橋を巡る戦いがはじまった。一号はレッドデンジャーと、二号はマシンガンスネークと戦いをはじめた。
「シシャーーーーーーーーッ!」
 マシンガンスネークは叫び声をあげると右腕のマシンガンを放った。それは二号の足下を襲った。
「ムッ!」
 だが二号は低く跳びそれをかわした。そしてそのまま体当たりを仕掛ける。
「グオッ!」
 それを受けた怪人は怯んだ。二号は着地しさらに攻撃を続ける。
 怪人はそれに対し牙で喰らいつかんとする。だが二号はそれを許さなかった。
「無駄だっ!」
 二号は怪人の頬を殴った。そして怯んだところにもう一撃加えた。
 怪人を掴んだ。そして空中へ思いきり放り投げた。
「行くぞっ!」
 ライダーは跳んだ。そして怪人の背へ襲い掛かる。
「ライダァーーーーニーーーーブローーーーーーーック!」
 これも本来は一号の技である。それを怪人の背へ放った。
 マシンガンスネークは上へ大きく吹き飛ばされた。そして空中で爆死して果てた。
 もう一方では一号とレッドデンジャーの戦いが行なわれていた。
「ビカァーーーーーーーーッ!」
 怪人は奇声を発すると両手に炎のリングを出した。そしてそれを一号へ投げ付けた。
「ムンッ!」
 一号はそれを蹴りで叩き落とした。そして一気に間合いを詰めた。
 だが怪人は拳でそれに立ち向かう。そして一号を打った。かに見えた。
「俺はここだっ!」
 一号は素早いフットワークでそれをかわしていた。武道でいう『見切り』であった。
 そして怪人の横に現われその首に手刀を入れた。そして怪人を掴んだ。
「ウオオオオオオオオッ!」
 一号は吠えた。そして怪人の足を掴むと自らを軸として駒の様に回転しはじめた。
「ライダァーーーーーーハンマァーーーーーーーッ!」
 幾度回転したであろうか。勢いが頂点に達したその時だった。一号は怪人を空中に放った。
「グオオオオオオーーーーーーーーッ!」
 怪人は飛びながら断末魔の叫び声をあげた。そして空中で爆死した。
「やったな、本郷」
「おお、一文字」
 二人は拳を見せ合って互いの勝利を確認した。そこへあの声がした。
「フフフフフ、流石だと褒めておこう」
 橋の上へゾル大佐が現われた。
「ゾル大佐っ!」
「やはり貴様が!」
 二人は彼を認めると再び身構えた。だがそこにいるのは彼一人ではなかった。
「残念だったな、私もいる」
「クッ!」
 二人はその声にも聞き覚えがあった。その声の主も姿を現わした。
「奇巌山以来だな。元気そうで何よりだ」
 それはブラック将軍であった。彼は冷酷な眼差しを二人に向けたままこちらにやって来る。
「どうやらその表情を見る限り二人共この地での我々の目的をある程度は知っているな」
 ゾル大佐は彼等に対して言った。
「それがどうしたっ!」
 ダブルライダーは言い返した。
「貴様等の野望を阻止するのが我々の任務だっ!」
「フン」
 だが彼等はその叫びを冷笑した。
「では阻止してもらいたいものだな」
「この我々を倒してな」
 ゾル大佐とブラック将軍はそう言って再び不敵に笑った。
「やるつもりか」
「ならば容赦はしないぞ」
 ダブルライダーはその声に唯ならぬものを感じ身構えた。だが二人は戦いの素振りは見せなかった。
「安心しろ、貴様等と今ここで戦うつもりはない」
 大佐は右手に持つ鞭で左手の平をポンポンと叩きながら言った。
「我々は貴様等に伝言をする為にここへ来たのだ」
「伝言!?」
 ダブルライダーはブラック将軍の言葉に首を傾げた。
「そうだ、このロンドンでこれから起こることをな」
 ゾル大佐は二人に語った。
「我がバダンはロンドンに大攻勢を仕掛ける。この俺の手でな」
「貴様が・・・・・・!」
 ゾル大佐の手腕はよく知っていた。二号は彼と死闘を繰り広げてきたのだ。
「私もいるということを忘れるな」
 そしてブラック将軍もいた。彼はゲルショッカーにおいてその辣腕を思う存分見せ付けてきた。
「我々の攻勢を耐えられるか」
「見せてもらおう」
 二人はこう言うと姿を消した。あとには何も残らなかった。
「ゾル大佐とブラック将軍か」
「相手にとって不足はないな」
 一号は深刻な言葉を口にするところであった。だが二号はその前に言った。
「そうだな」
 一号はその言葉を聞いて頷いた。そして察したのだ。
 例え相手がどのように強大であっても引くわけにはいかない。それがライダーなのだ。
 気持ちで引いたならばその時点で敗北である。それだけは許してはならない。自分自身に対して。
 ライダーは悪と戦うのが運命だ。だがそれには何事にも負けない心が必要なのである。そう、心が。
 それは自分達が最もよくわかっている筈のことであった。ショッカーとの戦いをくぐり抜けてきた自分達が。
 ならば弱い言葉を言うわけにはいかなかった。戦い、そして勝つ為に。
「このロンドンを守る為だ、本郷、行くぞ」
「ああ、わかった」
 一号は二号の言葉にあらためて頷いた。そして霧の中へと消えていった。

「どうやらあの男はカナダにいるようですね」
 役はインターポールの一室でノートパソコンを叩いていた。そして何かを調べていた。
「何を企んでいるのかは知りませんが」
 いつもの表情とは違う。何か見下したような目をしている。
「世の摂理に逆らう者達。その摂理の下す裁きに従ってもらいましょう」
 その声も普段とは違っていた。あくまで冷徹で機械的なものであった。
 彼は席を立った。ノートパソコンを収めるとすぐに姿を消した。
 気付いた時彼はインターポール本部のビルの外にいた。まるで煙の様に消えそこに蜃気楼の様に姿を現わした。
「バダン、この世界の摂理を乱す者」
 彼はカナダの方を向いて呟いた。
「裁きを与えましょう。そして永劫にその炎で焼いて差し上げます」
 彼を知る者が聞いたら驚くであろう。それは彼の言葉とは思えなかった。まるで人々を冥界へ誘う死神の言葉の様に冷たかった。
 彼は歩き去って行った。その影は人の姿であった。
 だが何かが違っていた。それは人のものにしては妙であった。
 形は役のものである。だがその影は太陽の光に反射しているのではなかった。
 影は太陽に向いていた。そちらに頭を向けていたのだ。
「おや」
 彼はその影に気付いた。
「いけないいけない、ちゃんとなおしておかねば」
 そう言うとその影は動いた。そして普通の影の位置についた。
「どうも別の次元を移動したあとは影の位置が曖昧になってしまいます」
 彼は苦笑してそう呟いた。
「こちらの次元、こちらの世界に合わせなければ。最も私のことを知る者はこの世界では僅かでしょうが」
 そして彼は誰に聞かせるとでもなく呟き続けた。
「赤い服を着る時にでもなければね」
 そう言って消えて行った。赤い服という言葉を残して。

 ショッカーはあの首領が最初に作った組織であった。世界各地で暗躍しその悪名を轟かせた。だがそれも終わる時が来た。
 城南大学きっての天才科学者であった本郷猛を拉致、改造したのがその暗転のはじまりであった。彼は能改造手術を受ける直前で師であり彼を改造した緑川博士は良心の呵責に耐え切れず彼を救い出した。これによりショッカーと仮面ライダーの戦いがはじまったのである。
 本郷は頭脳だけではなかった。その身体能力も常人とは隔絶していた。それが改造手術によりさらに強化されたのである。その戦闘力は凄まじかった。
 業を煮やしたショッカーは彼を倒すべきもう一人のライダーを作り上げることにした。それが一文字隼人であった。柔道、空手の達人であり優れた頭脳も併せ持つ彼ならば仮面ライダーを倒すことが出来ると判断したからである。
 しかしこれも失敗した。改造手術を終え洗脳を施そうとしたその時にライダーが基地に乱入してきた。そして彼は救い出されもう一人の仮面ライダーが誕生したのだ。
 ダブルライダーの存在はショッカーにとって最大の脅威であった。日本で、そして世界各地で彼等はショッカーと戦いこれに打ち勝ってきたのだ。
 ここで首領はショッカーに見切りをつけ再編成に踏み切った。アフリカのゲルダム団と合併し新たな組織、ゲルショッカーを設立したのである。
 ゾル大佐は元々ショッカーの人間でありブラック将軍はゲルダムの人間である。そして大佐はドイツ出身であった。将軍はロシアである。両者の出自はあまりにも違っていた。
「だがそれはどうでもいい」
 基地に戻ったブラック将軍は作戦室でゾル大佐に対して言った。
「我々はただ首領に忠誠を誓うのにだ」
「うむ」
 大佐はその言葉に頷いた。
「かっては我々はそれぞれ異なるものに対して忠誠を誓っていたが」
 ゾル大佐はナチス、そして総統でありヒトラーに、ブラック将軍はロシア、そして皇帝に忠誠を誓っていた。人間であった頃の話である。
「今は同じだ。ショッカーもバダンも根幹に流れるものは同じだ」
「うむ」
 将軍は大佐の言葉を聞き今度は彼が頷いた。
「あの時と同じ失態を繰り返してはならん」
 かって彼等は一度甦っている。デストロンが日本に一大攻勢を仕掛けた時だ。
 その時は仮面ライダーX3を圧倒する戦力を誇りながらも彼等は敗北し自滅した。
 敗因はわかっていた。彼等はそのプライド故に互いに対立しそのせいで協力体制が整っていなかったからである。
 そして彼等は爆死した。生き残ったドクトル=ゲーはその後でX3に対し決戦を挑み敗れ去っている。
「だが今度は違う。我々の力が合わさるのだからな」
 将軍は言葉を続けた。
「そうだな、ダブルライダーを倒す為に」
 大佐の声も冷静であった。
「その為の戦力は用意しておいてくれたな」
「当然だ」
 彼は言い切った。
「安心していろ。私がこれまで以上の戦力を復活させた」
「そうか、それは有り難い」
 彼等はテロとは別の作戦も執り行なっているのだ。
「ニ正面作戦といこう、奴等に対抗してな」
「うむ、我等の勝利の為に」
 彼等は杯をあけなかった。そしてすぐに戦場に向かった。
 
 本郷と一文字は分かれて行動することにした。その方が敵を探し易いからであった。
「その為に俺達を呼んだのか」
 滝はテームズ川を進むボートの上で向かいにいる男に対して言った。
「ああ、相手はゾル大佐と死神博士だ。油断はできない」
 本郷は引き締まった表情で言った。
「確かに手強いな。だがこうやって俺もいる。それに」
 彼はここで上の橋を見上げた。
「おやっさんもいるぜ」
 そこには立花がいた。彼は一文字と共にいた。
「おーーーーい本郷、滝!」
 彼は橋の上から二人に声をかけた。
「テームズ川は頼んだぞ、わしと隼人はウィンブルドンの方へ行くからなあーーーーーっ!」
「了解」
「おやっさんも気をつけて下さいよおーーーーーーっ!」
「おお、わかった!」
 彼はそう言うと一文字に顔を向けた。
「おう隼人、行くぞ」
「あいよ」
 一文字は頷くと立花と共にウィンブルドンの方へ向かった。立花は黄色いジープに乗っている。
「それにしてもまさかロンドンでこの顔触れが集まるとは思わなかったな」
 本郷は二人が去った橋を見上げて言った。
「ああ、けれどそれだけ重要な戦いだぞ、これは」
 滝も橋を見上げていた。二人の顔は深刻なものである。
「あのゾル大佐とブラック将軍だ。バダンもよくあの二人を同時に投入してきたものだ」
「それだけのことをこのロンドンでしようというのだろうな」
「ああ、だろうな」
 滝はテームズ川の水面へ視線を移した。
「しかし本郷」
 滝はここで本郷に顔を戻した。
「御前は全く怯んではいないだろう」
「当然だ」
 本郷はその野太い声で答えた。
「何があろうと俺は戦わなくちゃいけない。それはもうあの時に決意したんだ」
 彼は改造を受けた時悩み苦しんだ。幾度死のうと思ったかわからない。だが死ななかった。悪を滅ぼす為に彼は戦い続けたのである。
「俺はバダンを倒す。そしてこのロンドンを、世界の平和を守る」
「そう言うと思ったぜ」
 滝はそれを聞いて微笑んだ。
「俺も同じだ。ショッカーやゲルショッカーと戦ってきたからな。御前や隼人と一緒に」
「滝・・・・・・」
 本郷は滝に顔を向けた。
「最初に御前や隼人と会った時は正直何だこいつ、と思ったよ。けれど今じゃ違う」
 彼は言葉を続けた。
「俺と御前達二人は戦友だ。共に悪と戦うな」
「戦友か」
 本郷は最初は孤独な戦いを強いられていた。只一人でショッカーと戦ってきた。
 しかしそこに立花がやって来た。ルリ子も彼と共に戦う決意をした。滝が参戦しそして一文字が加わった。彼は一人ではなくなったのである。特に同じ改造人間である一文字の存在は大きかった。
「なあ本郷」 
 滝は本郷に優しい笑顔を向けた。
「御前は今まで多くの戦いを潜り抜けてきた。隼人もな。時には自らを犠牲にして人々を守ってきた」
「ああ」
 それはいつものことであった。時には体内に核爆弾を持つ怪人を一文字と共に海の上へ飛ばし爆発させたこともあった。
その時は誰もが死んだと思った。
 しかし彼等は生きていた。それは何故だろうか。
「御前達は仏なんだよ。人々を救う仏だ」
「俺達が仏か」
 本郷はそう言われて違和感を覚えた。
「そうだ、仏なんだよ」
 滝は言った。
「仏といっても色々あるだろう。御前達は明王なんだ」
「明王か」
 明王とは憤怒の相をした戦う仏である。その多くは複数の眼や顔、腕を持ち様々な武器で武装している。そしてこの世を乱す悪を討ち滅ぼすのだ。その姿は異形であるが心は正しきものなのである。
「御前達は悪を討ち滅ぼす明王だ。それがライダーなんだ」
「よしてくれ、滝」
 本郷は照れ臭そうに言った。
「俺達は神でも仏でもない。ただの改造人間なんだ」
「本郷・・・・・・」
 本郷は滝の言葉に構わず言葉を続けた。
「俺達は確かに悪と戦うのが宿命だ。おそらく永遠にな」
 そうであった。彼等の戦いは悪がこの世にある限り続くのだ。
「しかし俺達はそれを受け入れている。人間として」
 彼等の身体は確かに改造されている。だがその心は違っていた。
「俺達は心までは改造されてはいない。今まで色々と考えてきたが俺達の心は人間のままだ。今こうして考えていられるのも俺達が人間だからだ」
「人間だからか」
「そうだ、俺達は人間だ」
 その言葉に全てがあった。そう、彼は神にも仏にもなりたくはなかったのである。
 彼がなりたくて、そしてそのままでいたいと思うもの、それは一つしかなかった。
「滝、人間とは何だと思う」
 本郷は逆に彼に問うた。
「それは・・・・・・」
 あまりにも難解な質問であった。彼も咄嗟には答えられなかった。
「俺は心がそれを示すのだと思う」
 本郷は静かな声で言った。
「心か」
「ああ。例えどのような身体を持っていても心が人のものであったならばそれは人間なんだ。俺はそう考える」
「そうか、そうだったな」
 滝はそれを聞いて頷いた。
「俺もこう考えるようになるまで悩んださ。俺はもう人間じゃないんだとどれだけ苦しんだか」
 その苦悩は滝もよくわかっていた。
「だが戦ううちにわかってきた。人を人としているのは心なんだって」
 おそらくショッカーの非道さを見てきてそれがわかったのであろう。その悪辣さは最早人間のものではなかった。
「人間は確かに愚かな一面もある。だがそれが全てじゃない」
 彼は言った。
「それと同じ位、いやそれ以上に素晴らしいものを持っている。人間は決して悪じゃない。そう断言するのはあまりにも愚かなことだ」
 そのことは滝もよくわかっていた。多くの戦いで彼は人間の愚かさを見てきた。しかしそれ以上に人間の心が持つ素晴らしさも知るようになったのだ。
「俺はその人の心を信じる。そしてその為に戦う。人間としてな」
「そうか、人間としてか」
「そうだ、俺は人間だ。それ以上でもそれ以外でもない」
 話はそれで終わった。彼等はそのままボートで川を進んでいった。

 このテームズ川はかってはヘドロの海であった。産業廃水が流れ最早生物はいない有様であった。しかしロンドン市民の懸命の浄化によりその美しさを取り戻し今ではかっての美しさを取り戻している。
 二人はその川を進んでいた。何かを探していた。
「ムッ」
 やがて本郷は水面に何かを見つけた。
「いたか」
「ああ」
 二人は頷くとそこへ水中銃を放った。
「ゥニイーーーーーーーーッ!」
 すると叫び声と共に怪人が姿を現わした。ショッカーの虐殺怪人ウニドグマである。
「やはりそこにいたかバダンの改造人間」
 本郷は既に変身を終えていた。そして怪人に対して言った。
「フン、よく俺がいるとわかったな」
 怪人はボートに跳び乗って来るとふてぶてしい口調で言った。
「俺にはOシグナルがある。それを知らないわけではあるまい」
 ライダーは言葉を返した。
「フン、確かに」
 怪人は言った。
「ではまだいることもわかっているだろう」
 ウニドグマがそう言うと後ろから水柱が上がった。
「ムッ!?」
 そしてそこから一体の怪人が姿を現わした。
「ピリピリピリピリピリピリーーーーーーーーーッ!」
 ブラックサタンの電気怪人奇械人エレキイカであった。怪人はボートの上に跳び乗って来た。
「**(確認後掲載)、ライダーッ!」
 そしてライダーに襲い掛かって来た。
「来たな」
 水面から戦闘員達も次々に跳び上がって来る。こうしてボートの上での戦いがはじまった。
 戦闘員達はいつも通り滝が相手をする。そしてライダーは怪人達と対峙する。
「ライダー、このテームズ川が貴様の墓場だ!」
 まずは奇械人エレキイカが来た。怪人は右手の鞭を振るって来た。
「トゥッ!」
 ライダーはそれを跳躍でかわした。そしてボートの縁の上に着地する。
「どうした、その程度か」
 そして怪人を挑発した。
「ヌヌヌ、ではこれでどうだ!」
 怪人は全身の鞭を振るって来た。そしてそれでライダーを打たんとする。
「まだだっ!」
 だがライダーはそれもかわした。そして怪人の頭上に来た。
「こんどはこちらの番だっ!」
 そう言うと怪人を掴んだ。そして再び空中に跳んだ。
「喰らえっ!」
 怪人を頭上に持って来るとそれを駒の様に回転させた。
「ライダァーーーーーきりもみシューーーーーーートォッ!」
 ライダーの持つ大技の一つである。怪人を頭上で回転させ放り投げる技だ。これにより多くの怪人達を葬ってきている。
「ウオオオオオオオォォォォォォォーーーーーーーーッ!」
 キ械人エレキイカは叫び声をあげながら吹き飛んでいった。そして水面に叩きつけられ爆死した。
「次は貴様だっ!」
 ライダーは着地すると息をつかせぬ程の素早い動きでウニドグマの前に出た。
「フン、俺を馬鹿にするな!」
 怪人はそう言うと口から炎を噴いた。
「ムッ」
 ライダーは後ろに退いた。怪人はそれを見て次第に間合いを詰めてきた。
「フフフフフ」
 怪人は自身が優位にあると感じていた。そして今度は左手で殴り掛かってきた。
「来たかっ!」
 ライダーはそれを受け止めた。彼は怪人が格闘戦を挑んでくるのを待っていたのだ。
「これでどうだっ!」
 ライダーは怪人を空中に放り投げた。そしてすぐに自らも跳んだ。
「トォッ!」
 そのまま怪人へ向けて一直線に向かって行く。腕を顔の前で交差させ手刀を作った。
「ライダァーーーーーフライングチョーーーーーーーップ!」
 その手刀をもって体当たりをした。怪人はその直撃を受け空中で爆死した。
「これで終わりか」
 ライダーは着地してそう呟いた。
「ああ、戦闘員達も俺が全て倒した」
 滝は着地したライダー達に対して言った。
「それにしてもこのテームズ川を狙うとはな。やはり油断のならない奴等だ」
「そうだな。おそらくここに毒でも流すつもりだったのだろう」
 ライダーは変身を解きながら答えた。
「毒か。ゾル大佐のやりそうなことだな」
「ああ。おそらく一文字とおやっさんも今頃奴等と戦っているだろう」
「だろうな。問題は何処で戦っているかだ」
 二人は二人の戦友のことを思った。
 二人の心配は当たった。二人はこの時ロンドン空港のロビーでバダンと死闘を演じていた。
「やっぱりここにいやがったか!」
 立花は迫り来る戦闘員達を倒しながら叫んだ。
「おやっさん、雑魚は頼みます」
「おう、わかった」
 一文字は既にライダーに変身していた。そして滑走路の方に向かった。
「隼人、頼んだぞ!」
「任せて下さい!」
 二号は立花に答えると窓ガラスに跳んだ。そしてそれを打ち破り滑走路に出た。
 滑走路でも騒動が起こっていた。航空機は止まり戦闘員達が暴れ回っていた。
「貴様等の好きにはさせんっ!」
 二号は彼等の中に踊り込んだ。そして戦闘員達を次々と薙ぎ倒していった。
「言え、怪人達は何処だっ!」
 そして最後に残った戦闘員の首を後ろから絞め問い詰める。
「そ、それは・・・・・・」
 戦闘員は言おうとした。そこへ何かが飛んで来た。
「グッ」
 それは針であった。怪人はそれに喉を撃たれ即死した。
「毒針か」
 二号はそれを見てすぐに察した。そして毒針の飛んで来た方を見た。
「ヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ」
 ショッカーの毒燐怪人ギリーラであった。怪人は旅客機の上にいた。
「貴様か」
 二号は怪人を見上げ指差した。
「あたしだけとお思いかい?」
 怪人は二号を侮蔑した笑いで見下ろしながら言った。
「何っ!?」
「後ろを見てごらん」
「ムッ」
 二号は後ろを見た。そこにはゴッドの火炎怪人ジンギスカンコンドルがいた。
 彼だけではなかった。怪人はその左腕にもう一人掴んでいた。
「おやっさん!」
 二号は彼の姿を見て叫んだ。
「そうよ、貴方がこちらに向かっている間に捕まえたのよ。迂闊だったわね」
「ガガガガガガガガガ」
 怪人達はそう言って二号を嘲笑した。
「ヌウウ」
 二号はそれを聞き悔しさで歯噛みした。
「ライダー、わしに構うな、早く怪人達をやっつけろ!」
 立花は動けなくなったライダーに対して叫んだ。
「黙れ」
 だがジンギスカンコンドルはそんな立花に対し槍を突きつけた。
「さあ、どうするの!?」
 ギリーラは二号に対し問うた。
「降伏すればそれで良し、歯向かうのならば・・・・・・わかるわね」
「・・・・・・クッ」
 それは二号にもよくわかっていた。敵を倒さなくてはならない。だが彼には立花を見捨てることは出来なかった。
「わかった・・・・・・」
 膝を屈しようとしたその時だった。何かが跳んで来た。
「ムッ!?」
 それは銃弾であった。銃弾はジンギスカンコンドルの腕を撃った。
「ガッ!?」
 無論その程度で傷付く怪人ではない。だがその衝撃で立花を捕らえていた腕が離れた。
「今だっ!」
 二号は跳んだ。そして怪人に体当たりを浴びせると立花を取り戻した。
「チッ!」
 それを見たギリーラは素早く毒針を放った。だがそれは当たらず二号の足先を追うだけであった。
「これでよし」
 二号は怪人達から間合いを離すとそう言った。
「済まん、ライダー」
「いいですよ、おやっさんさえ無事なら」
 二号は立花に対し優しい声でそう言った。
「さあ、早く安全な場所へ」
「わかった」
 こうして立花は後方へ退いた。
「ヌウウ、一体何処から・・・・・・」
 ギリーラは立花が退いたのを見て今度は彼女が歯噛みした。
「だが今はそんなことはどうでもいいわ」
 彼女はすぐに冷静さを取り戻しライダーに顔を向けた。
「**(確認後掲載)、仮面ライダー二号!」
 そう叫ぶと再び口から毒針を放った。二号はそれを横に跳びかわした。
「ガーーーーーーッ!」
 そこへジンギスカンコンドルが襲い掛かる。槍を繰り出してきた。
「ムンッ」
 二号はそれをかわし脇で捉えた。そして思いきり力を入れた。
 槍は折れた。それを見た怪人は一瞬怯んだ。
「もらった!」
 その隙を見逃すライダーではなかった。前にダッシュするとまずは怪人の顔に拳を入れた。
「グッ!」
 怪人はそれを受け怯んだ。二号はそこへさらに攻撃を加えた。
「これでどうだっ!」
 怪人の肩に乗った。そして脚でその首を掴んだ。
「ライダァーーーーヘッドクラッシャアアアアアーーーーーーッ!」
 上に跳ぶと怪人の頭を打ちつけた。怪人は頭を砕かれ爆死した。
「今度は貴様だっ!」
 そしてギリーラの方へ跳んだ。
「フンッ!」
 怪人はライダーの最初の一撃をかわした。そして機の後ろの方へ位置を移した。
 二人はその航空機の上で睨み合った。まずはギリーラが攻撃を仕掛けた。
「**(確認後掲載)っ!」 
 予想通り口から毒針を放って来た。二号は上に跳躍してそれをかわす。
 しかしギリーラも跳んでいた。両者は空中で拳を交えた。
「ライダァーーーーーーパァーーーーーーンチッ!」
 両者は互いに背を向けて着地した。まずはライダーが振り向いた。
 続いてギリーラも。だが彼女は振り向けなかった。
「グググ・・・・・・」
 今のパンチが効いていたのである。崩れ落ちるとそのまま航空機の下へ転げ落ちた。
 そして爆死した。二体の怪人はこうしてライダーに倒された。
「危ないところだったな」
 二号は航空機から飛び降りて言った。
「それにしても」
 そして変身を解きながら空港を見渡した。
「何処から誰が銃を撃ったのだろう。見たところ誰もそうした怪しい者は見当たらないが」
 そこへ立花が戻って来た。
「隼人、済まんな。おかげで助かった」
「いえ、いいですよ」
 一文字は立花の感謝の言葉に微笑みで返した。
(どうやらおやっさんは俺が助け出したと思っているようだな)
 実際はそうではない。だがそれは立花には言わなかった。
「じゃあホテルに戻るか。本郷達とも連絡をとりたいしな」
「ええ、じゃあ戻りますか」
 一文字はそれに従った。そして二人はその場をあとにした。
「危ないところだったな」
 その二人を遠くから見る男がいた。
「ふとロンドンを見に来たらこれだ。目を離せない」
 男は役であった。その手には大型のライフルがある。
「だがこれで助かった。安心してカナダへ向かえますね」
 彼はそう呟くと煙の様に姿を消した。そしてその後には誰もいなかった。


[176] 題名:霧の中の断頭台1 名前:坂田火魯志 MAIL URL 投稿日:2004年08月16日 (月) 23時55分

霧の中の断頭台
 ロンドン、言わずと知れた英国の首都である。古代ケルト語であるこの名に見られるとおりイギリスには幻想的な話が多い。それはイギリス人の無意識にまで浸透している。
 イギリス文学といえばまず第一に挙げられるのがシェークスピアであろう。あの独特のくすんだ世界もまたケルトにそのルーツがある。
 真夏の夜の夢に出てくる妖精達だけではない。マクベスの三人の魔女達の正体は人々に忘れられてしまったケルトの女神達であるという人もいる。何故なら彼女達は森にいるからである。
 ケルトの民にとって森は神聖なものであった。彼女達はその中で魔術を操っていた。そしてマクベスに運命を告げたのである。そのマクベスは森が動いた時に死んだ。彼は森に殺されたのだ。
 森は欧州の全てを覆っていた。そしてその中に神々はいたのである。
 嵐の神ヴォータンに仕える女オルトルートは森に潜みブラバンテの姫エルザに罠をかけた。タンホイザーは森の中にあるヴェーヌスベルクで快楽に耽った。
 トリスタンとイゾルデは夜の森の中で互いの愛を確かめ合った。ジークフリートは森の奥深くに潜む龍を倒し呪われた指輪を手に入れた。森は聖なるものがいると同時に邪なるものも潜んでいるのである。
 今その森は大きく減った。だが人々の心にはその森はある。そしてその中に神々も龍も、魔女も、そして妖精達も棲んでいるのである。
 そうした精神風土は欧州全体にある。その中でもこのイギリスは色濃いだろう。
 トランプを構成するスペード、クラブ、ダイア、そしてハート。これはケルトの神々の宝がもとになっているのである。
 騎士。キリストの教えが伝わる前からあった。ク=ホリンやフィン=マックールが有名である。今もイギリスの貴族達は騎士道精神を尊ぶ。それはこのケルトの騎士達の心なのだ。
 そうした多くのものがこのイギリスの中に息づいている。ロンドンの名が示すように。
「しかしこう雨が多いと嫌になるな」
 本郷猛はそのロンドンの中を歩いていた。
「そうか?俺は別に何とも思わないが」
 一文字隼人はその隣にいた。二人は傘をさして霧雨の降るロンドンを歩いている。
「御前は慣れているからだろう。子供の頃はここに住んでいたからな」
「ああ、何か懐かしい気持ちだな」
 一文字は本郷の言葉を聞いて答えた。
「子供の頃はこうやって親父とお袋に連れられて霧雨の中を歩いたな」
「そうか」
「ああ、ロンドンってのは煉瓦造りの街だろ?外見はまり変わらないんだ。だから子供の頃の記憶がそっくりそのまま甦ってくる」
「楽しそうだな」
「勿論さ。これが戦いでなかったらもっといい」
「そういうわけにはいかないのが辛いな」
「ああ」
 一文字は本郷の言葉に対し答えた。それまで緩んでいた頬を引き締めた。
「俺達の宿命だな。奴等をこの世から消し去るのが」
「そうだ、その為に俺達はいるんだからな」
 望んだことではなかった。彼等はショッカーに捕われ改造手術を施行されたのだ。そして洗脳される直前に逃れた。それからである。悪と戦い続けているのは。
 彼等もまた騎士である。だがその持つものはあまりにも哀しく孤独なものである。しかし彼等はそれをおもてに出すことなく戦い続けている。

「そうか、あの二人が来たか」
 ロンドン郊外の地下にある基地でゾル大佐は戦闘員からの報告を受けていた。
「やはり気付いたか。IRAに偽装したつもりだったが」
 IRAとはアイルランド解放戦線のことである。彼等の存在は根が深い。
 イギリスの正式名称はグレートブリテン及び北部アイルランド連合王国という。かってはイングランド、スコットランド、ウェールズ、そしてアイルランドに別れそれぞれ別の国であった。とりわけイングランドとスコットランドは国力が高かった。
マクベスはスコットランドの史実での出来事でありその頃からイングランドとは抗争があった。シェークスピアの時代には二人の女王が争った。スコットランドの女王メアリー=スチュワートとイングランドの女王エリザベス一世である。
 よくこの時代はイギリスの黄金時代の一つと言われるが実際はそうではなかった。まだイギリスはイングランドでしかなく内政にも外交にも多くの問題を抱えていた。内部では慢性的な財政難であり旧教と新教の対立が激しかった。外部にはフランスやスペインといった強敵が存在した。実際にはイングランド、チューダー家はハプスブルク家の神聖ローマ及びスペインやヴァロワ家のフランスと比べると大きく見劣りしていた。
 そうした中でこの二人の女王は争っていた。エリザベスはメアリーを軟禁状態に置いたが中々判断を下せなかった。周りの者はしきりに死刑を勧めるが彼女は首を縦に振らなかった。
 エリザベス一世を評して冷酷という人も多い。だがこれも間違いである。彼女は父ヘンリー八世に母アン=ブーリンを殺されている。ヘンリー八世は好色であり多くの愛人がいた。そして妻さえも邪魔だと見ればすぐに殺すような非情な男だったのである。
 腹違いの姉メアリは狂信的なカトリックであった。その為多くの新教徒達を火刑台に送っている。その凄まじさは夫であったスペイン王太子フェリペ二世が窘める程であった。
 よく歴史というものは誤解される。エリザベス一世もそうであるがこのフェリペ二世もよく誤解されている。確かに彼はカトリックの擁護者ハプスブルク家の者で熱心な教徒であったが理性的な人物であった。国王は国家の第一の下僕として考えその生活も質素であった。そして過度な弾圧は決して好まなかったのだ。
 そうした姉に彼女も目をつけられていた。そしてロンドン塔へ送られたこともある。ロンドン塔、かって彼女の母もここで死んだ。生きては出られないと言われた死の監獄である。
 だが彼女は助かった。そうして彼女は幼い頃より幾度もそうした惨事を目にしてきたのだ。
 そのせいか彼女は死刑を好まなかった。最後の最後までメアリーの死刑にサインをするのをためらった。そして彼女を見棄てたメアリーの息子であるスコットランド王を軽蔑した。
 しかし彼は後にイングランド王にもなる。このことからもわかるとおりイングランドとスコットランドは元々は別々の国であったのである。
 それはアイルランドもそうである。度々イングランドの侵攻を受けていながらもである。
 エリザベス一世の時代には総督府が置かれていたがその統治は上手くはいってはいなかった。元々カトリックの多い国であり統治には困難が伴っていた。
 だが清教徒革命の時に事態は急変する。国王と協力関係にあると思われたアイルランドはクロムウェルの侵略を受けたのである。
 オリバー=クロムウェル。狂信的な男であった。彼は熱烈な清教徒であり強烈なカリスマ性を持っていたが他人に対する寛容さのない男であった。
 彼の統治は極めて厳格なものであった。そこには妥協は微塵もなかった。生活のことまで厳しく規制され人々は閉口したものである。清教徒に対してもそうなのだから旧教徒に対しては言うまでもなかった。
『アイルランド植民地法』を制定した。そしてアイルランド全土をイギリスのものとした。アイルランド人は小作人となってしまい
イングランド人との差は歴然となった。日本の台湾や韓半島の統治などという甘いものではない。当然大学を建てたり文化を保護したりインフラを整備したりといったことはしない。植民地だったのである。彼にとって旧教徒は敵であったのだ。これがアイルランド問題のはじまりである。
 それからアイルランド人はイギリスとしてその歴史を歩む。ユニオン=ジャックがある。イギリスの国旗であるがこれは四つの国の国旗を合わせたものである。そこには当然アイルランドもある。ちなみにワーテルローでナポレオンを破ったウェリントンはアイルランド出身である。また作家のオスカー=ワイルドもそうである。
 彼等が活躍した十九世紀は大英帝国の極盛期であった。だがこの時アイルランドを悲劇が襲った。
 当時アイルランドの小作人達はジャガイモを食べていた。麦は食べていなかった。全てイギリスの地主達にとられていた。これが搾取というものである。
 そう、ジャガイモである。彼等の命はこのジャガイモが支えていた。
 だがそれがなくなったら。結果は目に見えている。そしてそれは起こった。
 ジャガイモに病気が流行ったのである。次々と枯れていった。アイルランド最大の悲劇とも言われる『ジャガイモ飢饉』である。
 これに対しイギリス政府は何も手を打たなかった。それどころかアイルランドの多過ぎる人口を調整するにはいい機会だとさえ言う者もいた。それでいて麦は収めさせた。彼等に麦を食べさせようとは微塵にも思わなかった。
 結果多くの者が餓死した。人口の半分がアメリカへ移った。アメリカで大きな勢力を持つアイルランド系アメリカ人はその前からいたがこれにより大きな発言力を持つようになった。
 強いアメリカを主張したロナルド=レーガンはアイルランド系である。一代の梟雄リチャード=ニクソンも彼と争った若き大統領ケネディもである。そしてビル=クリントンも。アイルランド系には独特の名がある。姓の頭に『マク』や『オー』がつくことが多いのだ。マックイーンやオーウェン等がそれである。なお進駐軍の司令官であったマッカーサーはケルト系であるがスコットランドをルーツに持つ。彼は自分のルーツに非常に誇りを持っていたという。傲岸不遜であり気位の高い男であったがその反面人種差別はしない人物であった。
 そうしたこともありアイルランド人達も立ち上がるようになる。アイルランド問題は次第にイギリスの闇として人々に知られるようになる。
 そして自由党のグラッドストン等を中心にアイルランド問題の解決が計られるようになる。アイルランド土地法等が成立し一次大戦前にはアイルランド自治法が成立する。そして一次大戦後独立運動を経て遂に独立を達成した。
 だがここでまた問題が生じた。北アイルランドである。
 この地域はアイルランドの中では比較的豊かでありイングランドから移住する者が多かった。その為イギリスに残ったのである。
 だがイングランド系、言い替えるならば新教徒の割合が六割である。旧教徒、アイルランド系が四割だ。この割合が問題となる。
 その四割の中の過激派が問題を起こす。北アイルランドの独立及びアイルランドとの合流を主張し武装したのだ。そしてイギリス各地、とりわけ首都ロンドンでテロを起こす。これがIRAである。
 今ではこうした組織の常として内部で対立があり複雑に分裂している。そしてアイルランドの政治家にも彼等と関係がある者もいるという。日本赤軍や核マル派と関係があると噂される自称人権派の政治家が我が国にいるが彼等とはまた違う。だが民族主義とはいえテロは悪である。その為彼等の行動は許されるものではない。
「やはりあの二人は鋭いな。その程度は見破っていたか」
 ゾル大佐は一文字隼人と日本で死闘を繰り広げた。その為彼等、そう本郷猛のこともよく知っているのだ。
「どうしますか?」
 戦闘員は彼に尋ねた。
「そうだな」
 ゾル大佐はそれを聞き考え込んだ。暫くして顔を上げた。
「ブラック将軍と連絡をとれ」
「ハッ」
 ブラック将軍もイギリスにいた。ただし作戦は別である。
「相手が相手だ。ここは奴とも話し合わなければな」
 作戦が違うといっても、である。そう言っている状況ではないことが彼にはよくわかった。
 だがそれには及ばなかった。
「既に来ているが」
 声がした。大佐はそちらを振り向いた。
「来ていたのか」
「うむ、丁度私の方も話をしたいと思ってな」
 ブラック将軍は左手のサーベルで右手の平をポンポンと叩きながら部屋に入って来た。
「本郷猛と一文字隼人がこのロンドンに来ている」
「そうだ、それに対しどうするかだ」
 将軍は大佐の話を聞きながらその暗い目を光らせた。
「どうするかは決まっているがな。排除するだけだ」
「うむ。では怪人を出すとしよう」
 将軍は話がわかっているのかどうかすら疑う程冷静であった。
「丁度私の作戦がそれだったしな」
「有り難いな。俺の怪人達だけではあの二人に勝つのは難しいからな」
「冷静だな。地獄大使とは違い」
「俺をあのようなおっちょこちょいと一緒にしてくれては困るな」
 彼はそう言うと口の左端を歪めた。地獄大使の感情の起伏の激しさはショッカーの頃から有名であった。彼は自ら前線に出て指揮を執ることを好むが反面一つのことに没頭する癖もあったのだ。
「そういえば最近あの男は何かと焦っているようだな」
「そのようだな。どうも従兄弟に対し何かと含むところがあるようだ」
 地獄大使と暗闇大使、かっては東南アジアで共に戦った血を分けた従兄弟同士であった。外見はまるで双子の様であったがその気性はまるで違っていた。そして近親憎悪であろうか。それとも前に何かあったのだろうか。彼等ははたから見てもわかる程激しく憎み合っていた。普段は冷静な暗闇大使も従兄弟に対してはその感情を露わにしていた。
「だがそれはどうでもいいことだ」
 大佐は言った。
「今はダブルライダーを倒さなくてな。そしてどういう怪人達を向けるつもりなのだ」
「フン」
 ブラック将軍は一瞬口の右端を歪めた。そして答えた。
「既に何体かここに連れて来ている」
「流石だな。動きが速い」
 大佐はそれを聞いて表情を変えることなく言った。
「ではその怪人達を見せてもらおうか」
「うむ」
 ブラック将軍は右手をゆっくりと上げた。すると後ろのドアが左右に開いた。
「ほお」
 ゾル大佐はその怪人達を見て思わず声を漏らした。
「これでどうだ」
 ブラック将軍は怪人達に顔を向けたあとゾル大佐の方に顔を戻して問うた。
「これなら期待できるな。例えあの二人だとしても。それにこの怪人達でも駄目な時は」
「その時は決まっている」
 ここで将軍は目を光らせた。
「我々が出るだけだ」
「うむ」
 こうして二人の会談は終わった。ロンドンの白い霧が赤黒くなろうとしていた。

 霧の都ロンドン。イギリスの栄枯盛衰と共にあったこの街にかって一人の魔物が君臨していた。
 切り裂きジャック。ロンドンっ子なら誰でも、いや世界でも知らぬ者はいない程の悪名高き魔人である。
 十九世紀産業革命を経て円熟期にあった大英帝国。資本家と貴族達が繁栄を謳歌する中で植民地の者達は塗炭の苦しみを味わっていた。
 当時イギリスはインドから搾取し中国に阿片売りつけていた。今この国が麻薬に悩まされているのはその報いなのだろうか。もっともこれは欧州全体の悩みであるが。
 そうした苦しみは国内にもあった。労働者達は絶望的な貧困の中にあったのだ。
 穴子の巣の様な家に住み朝も昼も夜も働いた。賃金の高い男は家で、賃金の安い女や子供が働いた。スモッグと泥、埃が支配しその下を鼠が走り回る。寝ても起きてもそうした中にいた。太陽は見えず空は煙に覆われていた。そして彼等はその中で生きていたのだ。
 そうした中に人が長く生きられる筈もなかった。結核等の病気も蔓延し痩せ衰えた労働者達は次々に倒れて言った。こうした中で社会主義という思想が出るのも当然であった。マルクスという男がろくに働いたこともなく親の遺産で本ばかり読んで暮らし現実というものを知らずその知識も曖昧でその思想の根本にどれだけの危険が潜んでいるのかは別として。
 そうした中で娼婦達も生きていた。我が国では吉原があるがロンドンの夜の女達の生活も酷いものであった。その平均寿命は三十にも達しなかった。娼婦の生きていられる時は少ない。まるで夜に咲く花の命が短いように。病気やその生きる糧を得る為の手段が彼女達の身体を蝕んでいくのだ。
 そうした娼婦達を狙い次々に惨殺していったのが切り裂きジャックであった。手術用のメスの様な鋭い刃物を使い女達を切り刻んでいく。そして誰にもその姿を見られないのだ。
 何人もその刃の前に切り刻まれた。そして彼は忽然と姿を消した。
 その正体については今だに多くの議論がある。医者だったとも王室に連なる者だったとも言われている。だがその正体はまだわからない。もしかすると彼は人ではなく魔界の者だったかも知れない。
 そうした事件を知っているからこそロンドンっ子達は怪奇話に耳が速い。今もこの街ではそうした話が流れている。
「まあロンドン塔があるしな」
 一文字は頭上にある塔を見上げて言った。ロンドンの名物の一つロンドン塔である。
「そういえばこの塔は幽霊話のメッカだったな」
 本郷もその塔を見上げていた。エリザベス一世の母アン=ブーリンを筆頭としてこの塔には多くの歴史上の人物の亡霊が姿を現わす。さながらイギリス史を見せるように。
「ああ、この国はそうした話には事欠かない」
 流石にイギリスにいただけはあった。彼はイギリス人の幽霊好きをよく知っていた。
「元々妖精とかの話も多いしな。幽霊も多いんだ」
「切り裂きジャックとは少し違う気もするがな」
「そうか?俺は同じようなものだと思うけれどな」
「切り裂きジャックは幽霊とは違う気がする。そうだな、例えると」
 本郷は暫し考えたあとで口を開いた。
「バダンに近い。あの男は奴等と同じようなものだと思うが」
「言われてみればそうだな」
 一文字はその言葉を聞き頷いた。
「幽霊も妖精もイギリス人は親近感があるが切り裂きジャックは違う。あれは魔物だ」
「そう思うだろう。バダンがそうであるように」
 本郷の分析は鋭かった。彼はこうした話においてもその鋭い頭脳の冴えを発揮した。
「そうか。ジャックはバダンだったか」
「そう考えるとわかりやすいだろう。今ここで起こっている事件も」
「ああ」
 一文字は頷いた。そしてたまたま横を通った売店の新聞を見た。
 当然英語である。あまり品のよくない大衆紙である。そこの一面にこう書かれていた。
『悪魔がまたさらった』
 と。今ロンドンでは行方不明事件が頻発しているのだ。
「テロの方も奴等だろうな」
「ああ、それはおそらくゾル大佐だ」
「ゾル大佐か。そういえば中東からイギリスに移ったらしいな。役君から聞いたよ」
 今役はインターポールの中央に戻ってバダンの情報を収集していた。そしてその情報をライダー達に伝えていたのだ。
「俺もだ。そしてここにはブラック将軍もいるそうだな」
「ああ。それにしてもショッカーとゲルショッカーの大幹部が二人もか。またえらく豪華だな」
「二人はおそらく別々の作戦を立てて動いている。おそらくこの失踪事件はブラック将軍の手によるものだ」
「それで何をしているかだな、さらった人で」
「ああ、奴のことだ、おそらくとんでもないことなのだろうがな」
 二人はそうした話をしながらピカデリー通りへ向かった。ロンドンの繁華街の一つである。
 そこに着いた。早速爆発事件が起こった。
「IRAだ!」
「すぐに警察を呼べ!」
 人々の悲鳴が木霊する。皆これはIRAの仕業だと思った。
 だが二人は違った。直感でバダンの仕業だと見抜いた。
「本郷、行くぞ!」
「おお、一文字!」
 二人は頷くとすぐに動いた。そして爆発現場に向かった。
 そこは地獄であった。炎と煙が支配し傷付いた人々が倒れていた。
「フフフ、上手くいったな」  
 それを遠く離れた場所で見る男がいた。
「こうしたことならお手のものだ」
 彼は人ではなかった。怪人である。ショッカーの爆弾怪人サボテグロンだ。
「流石だな、メキシコを死の荒野に変えただけはある」
 もう一体怪人がいた。ネオショッカーの風車怪人カマギリジンである。
「よせ、もう昔のことだ」
 サボテグロンは賛辞に対し首を横に振った。
「俺のメキシコでの栄光は消えた。あのライダーによってな」
「そうは思わないがな。俺は貴様の活躍をどれだけ参考にさせてもらったか」
「俺なぞを参考にするよりは貴様自身の力を磨いた方がよいと思うがな」
「いや、それは違うな」
 今度はカマギリジンが首を横に振った。
「研究しそれを生かす。そうでなくては駄目だ」
「それはそうだが」
「俺は貴様の作戦を研究したのだ。俺自身の活躍の為にな。それならばいいだろう」
「確かに」
 二体の怪人はそう話していた。
「だがな」
 サボテグロンはここで辺りを見回しながら言った。
「それを生かすのも全てはあの二人を倒してからだ」
「うむ」
 二人の前にダブルライダーが姿を現わした。
「いたな、バダンの改造人間!」
「今の爆発は貴様等の仕業だな!」
 ダブルライダーは二人のいるビルの上に立っていた。そして怪人達を指差して問うた。
「フフフ、その通りだ」
 サボテグロンは不敵に笑って答えた。
「それが俺達の作戦だからな」
 カマギリジンが続いた。そしてそれぞれ武器を取り出し身構えた。
「そして貴様等を倒すのもな」
 怪人達はそう言うと前に出た。その周りに戦闘員達が姿を現わす。
「そしてここにいる怪人は俺達だけではない」
 サボテグロンがそう言うと新たに二体の怪人が姿を現わした。
「ムッ!」
 ダブルライダーはそれを見て再び身構えた。ドグマの電気怪人エレキバスとゲドンの溶解怪人獣人ヘビトンボである。
「エレーーーーーーーーッ!」
「ジャーーーーーーーーッ!」
 怪人達は奇声を発した。そしてライダー達を取り囲む。
「四体か。一度にこれだけ投入してくるとはな」
「ロンドンにはかなりの戦力が集結しているようだな」
「ヒヒヒヒヒヒヒヒ」
 サボテグロンはダブルライダーに答えず笑い声を出した。
「それは地獄で知るのだな!」
 そしてそう言った。それが戦いの合図であった。
 まずはカマギリジンと獣人ヘビトンボが向かって来た。ダブルライダーも突進した。
「キシャーーーーーーーーーッ!」
 カマギリジンは両手に鎌を持った。それで一号に切り掛かる。
「甘いっ!」
 だが一号はそれを見切っていた。そして手刀を出す。
 だが敵もさるものであった。カマギリジンはそれをかわした。
 獣人ヘビトンボは空へ舞い上がった。そしてそこから二号へ向けて急降下する。
「トォッ!」
 二号はそれを後ろに跳んでかわした。そして着地し身構える。
 向かって来る怪人に対し拳を繰り出した。それで怪人の動きを止めた。
 続けて膝蹴りを出す。だが怪人はそれにも耐えた。
 口から緑色の液体を出す。しかし二号はそれを見切っていた。
「させんっ!」
 そして一気に間合いを詰め拳を繰り出す。怯んだところで斜めに跳んだ。
「ムッ!」
 戦闘員達も怪人達もその動きに目を見張った。二号は貯水槽を蹴って三角跳びをした。
「ライダァーーーーー反転キィーーーーーーック!」
 本来は一号の技である。だが再改造と特訓により二号も身に着けたのであった。
 その蹴りが怪人の胸を直撃した。獣人ヘビトンボは大きく吹き飛ばされビルから落ちた。そして空中で爆死した。
「キシャッ!?」
 これにカマギリジンは思わず顔を向けた。そこに一瞬の隙ができた。
「今だっ!」
 一号はその隙を衝いた。一気に間合いを詰めた。
 そしてその首を両足で掴んだ。そのまま上に跳ぶ。
「ライダァーーーーヘッドクラッシャーーーーーーーッ!」
 そして怪人の頭をコンクリートに打ちつけた。素早く跳び怪人から離れる。
 怪人は動かなかった。そして倒れたまま爆死した。
「さあ来いっ!」
 ダブルライダーは残る二体の怪人に顔を向けて叫んだ。
「エレキバス、ここは俺が引き受ける」
 サボテグロンは傍らにいるエレキバスに対して言った。
「貴様はタワーブリッジに向かえ。そして予定通りあの橋を破壊しろ」
「わかった」
 エレキバスは頷くと後方へ退いた。そしてビルから飛び降りた。
「ムッ、待て!」
 ダブルライダーはそれを追おうとする。だがサボテグロンがその前に立ち塞がった。
「ここは通さん」
 そして右手に持つサボテンの剣を振るってきた。
「ムムム」
 ダブルライダーはそれに怯んだかに見えた。だがすぐに態勢を立て直した。
「本郷、ここは俺に任せろ」
 二号は一号に対して言った。
「御前はエレキバスを追え」
「わかった、一文字!」
 一号は頷くと跳んだ。そこに銀のマシンがやって来た。
「しまった、マシンがあったか!」
 サボテグロンはそれを見上げて叫んだ。だが何もできなかった。
 一号は新サイクロン改に飛び乗った。そしてそのまま着地し道路を走って行った。
「ならば二号ライダー、貴様を倒すだけだ。あの時の借り今こそ返してやる!」
 彼はかって日本で自らの作戦を二号により粉砕されている。そのことをまだ覚えていたのだ。
「**(確認後掲載)いっ!」
 そして剣を振るった。
「死ぬのは貴様の方だっ!」
 二号も負けてはいない。態勢を建て直し怪人に蹴りを入れた。
「この程度っ!」
 だが怪人も怯まない。果敢にライダーに向かって来る。
 剣を振り回す。二号はその腕を蹴った。
「ウォッ!」
 怪人はたまらず剣を落としてしまった。二号は攻撃の手を緩めない。その顔へ回し蹴りを入れた。
「まだだっ!」
 そして怪人を掴んだ。そのまま上へ跳ぶ。
「ライダー投げーーーーーっ!」
 怪人を下に叩き付けた。やはり力の二号というだけはある。こうした技は得意だ。
「ウオオオオオーーーーーーッ!」
 怪人は断末魔の叫びを上げその場に倒れた。そして爆死した。
「本郷、あとは頼んだぞ」
 二号はその爆発を見たあとタワーブリッジの方を見て言った。


[175] 題名:港町の毒蛇2 名前:坂田火魯志 MAIL URL 投稿日:2004年08月12日 (木) 00時36分

「悪魔元帥がドグマを出て行った時はしめたと思ったわね、本当に」
 魔女参謀が言った。彼女もテラーマクロが嫌いであった。
「将軍もわし等の誘いについていればのう」
「変わっていたでしょうね。そう思うと残念だわ」
 鬼火司令と妖怪王女は残念そうに言った。
「しかしそれがあの男の選んだ道じゃ」
「私達にそれをとやかく言うことはではしないわ」
 幽霊博士と魔女参謀はそこで結論を出した。結局将軍はドグマにおいてスーパー1と最後まで戦った。彼等はジンドグマで戦った。そして今再び共にいる。
「惜しいのう、下らぬしがらみさえ忘れられればより素晴らしい男なのに」
「それが出来ないのよね」
 彼等はメガール将軍が嫌いではなかった。だからこそ残念だったのだ。
 四人は宴が終わるとその場から一人ずつ消えた。そしてそれぞれの場所に戻っていった。

 ウォーターフロントの水族館は水中ドームで有名である。その中にはシアトル湾に生息する蟹や魚達がいる。
 その前に彼等はいた。バダンの戦闘員達である。やがて一体の怪人がやって来た。
「一条ルミはいるか」
 ショッカーの泡蟹怪人カニバブラーである。怪人はその後ろに数人の戦闘員達を引き連れていた。
「ハッ、こちらに」
 戦闘員の一人が縛られたルミを引き立ててきた。
「ならばよい」
 カニバブラーはそれを見て頷いた。
「大切な人質だからな。ゼクロスを誘き寄せる為の」
「果たして来るでしょうか」
「間違いなくね」
 ここでヘビ女が姿を現わした。
「これはようこそ」
「うん、よくやってくれているみたいだねえ」
 彼女は戦闘員と怪人から敬礼を受けながら満足気に笑った。
「イヒヒヒヒヒ、見れば見る程可愛い娘だよ」
 ルミの顔を嘗め回す様に見る。ルミはそれに対し嫌な顔をした。
「ゼクロスを始末したら食べてしまうかい。女の子の肉は柔らかくて美味しいんだよねえ」
「その時は我等もご相伴に預からせて下さい」
 カニバブラーは嬉しそうに言った。
「そうだねえ、ゼクロスを倒したら宴会といこうかい。シャドウ様もお呼びしてね」
「それは楽しみです」
「だろう、早くゼクロスが来てくれるといんだがねえ」
 彼女は上機嫌であった。そして右手に持つ蛇の鞭をしごきながら言った。
「この娘は連れて行くよ。何しろゼクロスをここに招き寄せる為の大切な撒き餌だからねえ」
「わかりました」
 ヘビ女はルミをその手にとった。
「さあ、来るんだよ」
 そして彼女はそのままその場をあとにした。カニバブラー達が残された。
「さて、と村雨良だが」
 怪人は戦闘員達に顔を向けた。
「果たして何時来るかな」
「もう来ているぞ」
 戦闘員の一人がそれに対して言った。
「何っ!?」
 皆その言葉に振り向いた。その戦闘員はそれより早く他の戦闘員達を倒していった。
「何者だっ!」
 怪人と戦闘員達が彼を取り囲んだ。
「言わずともわかっているだろうっ!」
 その戦闘員は黒い服を脱ぎ捨てた。中からゼクロスが姿を現わした。
「くっ、ゼクロス!」
「まさか我等の中に紛れ込んでいたとはっ!」
 彼等は鞭を手にゼクロスに襲い掛かる。だがゼクロスはそれより早く戦闘員達を倒す。
「残るは貴様だけだっ!」
 そしてカニバブラーと対峙する。
「イイイイイイイイイイイイッ」
 怪人は奇声を発しながらゼクロスを睨みつける。
 左手の鋏で切り掛かる。だがゼクロスはそれをかわした。
「ムンッ!」
 そして拳を繰り出す。だがそれは怪人の固い甲羅の前に防がれてしまう。
「ヌウ」
 ゼクロスはそれを見て呻いた。対する怪人は不敵に笑った。
「どうだ、俺の甲羅は」
「クッ・・・・・・」
 その自信に満ちた態度に歯軋りする。
「そう簡単には破れぬぞ。如何にライダーの力が強かろうとな」
「力か」
 ゼクロスはその言葉に気付いた。
「ならば力を使わなければよいのだ」
「フン、馬鹿なことをそれでどうやって俺を倒すつもりだ」
「手段はいくらでもある」
 彼はそう言うと左手の人差し指を突き出した。
「喰らえっ!」
 そしてそこからレーザーを繰り出した。
「ウォッ!」
 それは怪人の心臓を貫いた。
「力を使わずとも俺にはこうした力がある。それを忘れていたな」
「む、無念・・・・・・」
 怪人はその場に倒れ爆死した。
「おのれ。カニバブラーをこうも容易に倒すとは」
 そこに新たな敵がやって来た。ゲルショッカーの幽霊怪人ガニコウモルである。
「次は貴様が相手か」
 ゼクロスは怪人の方を振り向いた。
「ならば相手になろう」
 そう言うと両肩から煙幕を出した。
「またその手か!」
 怪人はそれに対して飛び上がった。
「空にまで煙幕が届くかな!」
「確かにそれは無理だ」
 後ろから声がした。ゼクロスが垂直に跳び上がったのだ。
「だがそれならそれで戦い方がある」
 その後ろにヘルダイバーが飛んで来ていた。
 ゼクロスは下に落ちる。その真下にヘルダイバーがやって来て乗った。
「行くぞっ!」
 そしてガニコウモルに向かった。怪人はそれに対して空中戦を挑んできた。
「ギイッ、イィーーーーーーーッ!」
 怪人は奇声を叫びながらライダーに突攻する。ゼクロスはそれに対して手裏剣を投げる。
 それに怯むとゼクロスはマシンの機首を転じた。そして怪人に突撃する。
「ヘルダイバーーーーーアターーーーーック!」
 怪人の腹を直撃した。ガニコウモルは空中に鞠の様に弾き飛ばされ爆死して果てた。
「急がねばな。ルミちゃんを早く解放しないと」
 彼はそのままヘビ女を探しに向かった。
 
 ヘビ女は埠頭にいた。そこでは貨物船が行き交い汽笛が鳴っている。
「いい光景だねえ」
 彼女はその船達を見ながら目を細めた。
「叩き潰すにはもってこいだよ」
 その後ろにはルミがいる。彼女は手を縛られ戦闘員達に抑え付けられている。
「さて、ゼクロスはやって来るかねえ」
 そう言うとルミに顔を向けた。
「まあ来ない筈はないか。何しろこっちには人質がいるんだからねえ」
「その前に怪人に倒されているかも知れませんね」
 戦闘員の一人が言った。
「そんな・・・・・・!」
 ルミはそれを聞いて思わず顔を上げた。
「いや、それはないよ。残念だけれど」
 ヘビ女はその戦闘員に対して言った。
「ゼクロスはそうそう簡単にはやられはしない。これはどのライダーにも言えることだけれどね」
 彼女は考える顔をして言った。
「あいつを倒せるのは結局あたししかいないだろうね。怪人達には済まないけれど捨石にしちまった」
「それは・・・・・・」
 ヘビ女の申し訳まさそうな声を聞き戦闘員達は慰めようとした。
「だけれど仇はとってやるからね。ゼクロス、楽しみにしておいで」
 そこへ遠くから一台のバイクがやって来た。
「あれは・・・・・・!」
 だがそれには誰も乗ってはいなかった。
「どういうことだい!?」
 ゼクロスが乗っていると思ったが違った。それを見たヘビ女達は驚いた。
 バイクはそのまま突っ込んで来る。ヘビ女に一直線に。
「チィッ!」
 彼女はそれを横にかわした。バイクはそのまま戦闘員達を蹴散らしルミを上に乗せた。まるで何者かが乗っているようであった。
「しまった!」
 戦闘員達が起き上がった時はもう手遅れであった。ヘビ女もルミを捉えようと鞭を繰り出すが間に合わなかった。
 バイクはそのまま海面を進んでいく。ルミはそのまま安全な場所にまで連れて行かれ見えなくなってしまった。
「人質はそれでよし」
 そこで左手の倉庫の上から声がした。
「その声はっ!」
 彼等はそちらに顔を向けた。そこには彼がいた。
「クウウ、やはり」
 ヘビ女は村雨の顔を認め呻いた。
「貴様等のやることは全てお見通しだ」
 村雨は彼等を見下ろして言った。
「俺は姉さんを貴様等に殺された、これ以上貴様等に誰も殺させはしない」
「言ってくれるねえ、あんたも」
 ヘビ女は皮肉めいた笑いを浮かべて村雨を見上げた。
「そう言うあんたもバダンに生み出された癖に」
「違う」
 彼は昂然として言い返した。
「俺を生み出したのは運命だ、貴様等と戦うという運命が俺を改造人間にしたのだ」
 だが本来はこの身体は望んだものではなかったのだ。多くのライダーがそうであるように。
 しかしそれは心の奥底に封じ込める。バダンと戦う為にだ。
「この身体、この力、人のものではない」
 彼は言葉を続けた。
「あえていうならば鬼、鬼神のものだ」
 邪悪を討ち滅ぼす鬼神である。ゼクロスの赤い色は降魔の焔の色であった。
「貴様等を倒す為に・・・・・・。俺はあえて鬼となる!」
 そう言うと身構えた。

 変
 右腕を肩と垂直に右斜め上に出す。左腕はそれと並行に右斜め下に出す。
 そして右手をそのまま九十度下ろす。左腕はそれに添うよに左斜め上に出す。
 身体が赤と銀のバトルボディに覆われる。手袋とブーツも銀である。
 身!
 左腕を脇に入れる。右腕を左斜め上に突き出す。
 顔が赤い仮面に覆われる。そして左も目が緑になりベルトが光った。
 
 その光が全身を包む。ここに村雨良はゼクロスとなった。
「行くぞっ!」
 掛け声と共に飛び降りる。そしてヘビ女達に立ち向かう。
「フン、来たね」
 彼女の周りを戦闘員達が護る。そしてゼクロスに襲い掛かる。
 ゼクロスはナイフを取り出した。そしてそれで戦闘員達を斬り倒していく。
 そこへヘビ女の蛇の鞭がきた。そしてゼクロスのナイフを叩き落とす。
「ムッ」
 ナイフを落とされたゼクロスはあらためて構えをとった。
「今度はあたしが相手をしてやるよ」
 彼女はそう言うと今度はマントを投げてきた。
 ゼクロスはそれをよけきれなかった。頭から被ってしまう。
「さて、あたしのマントは特別でねえ」
 ヘビ女は無気味に笑いながら言った。
「エネルギーを吸い取ってしまうんだよ。あんたのエネルギーも吸い取ってやるからね」
 彼女はマントの中でもがき苦しむゼクロスを見てほくそ笑んだ。
 マントが落ちた。ゼクロスはその中に消えた。
「ンッ!?」 
 ヘビ女はそれを見て不思議に思った。
「おかしいねえ、全部吸い取る筈なんてないのに」
 いぶかりながらマントを取ろうとする。その時だった。
 手裏剣が飛んで来た。数個マントに突き刺さる。
「危ないっ!」
 ヘビ女は咄嗟に後ろに跳んだ。足下に手裏剣が突き刺さっていく。
「流石にそれはかわしたか」
 再び倉庫の上から声がした。
「クッ、変わり身の術かい」
 彼女は倉庫の上に顔を向けて忌々しげに言った。
「そうだ、俺の能力を忘れていたな。俺は自身の幻影を作り出すことができる」
「フン、何で鬱陶しい奴だろね」
「そしてこういった術も使える」
 彼はそう言うと左右に分身した。五体のゼクロスが姿を現わした。
「行くぞ」
 そして彼等はヘビ女を取り囲んだ。
「ヌウウ・・・・・・」
 五体のゼクロスが彼女を包囲する。そして身構えた。
「一つは本物、あとは全部偽者かい」
 彼女はゼクロス達を凝視して言った。
「見たところ全部本物に見えるけれどね」
 どれも影まである。厄介なことに。
「だけどこうしてやりゃあすぐにでもわかるね」
 そう言うと鞭を繰り出した。そして五人のうちの一人を打つ。
 消えた。どうやら偽者だったらしい。
「さあ、本物はそれだい!?」
 そして鞭を手当たり次第に振り回した。忽ちゼクロス達が打ち据えられる。
 だが途中で鞭が切られた。どうやら手裏剣を使ったらしい。
「そこかい!」
 ヘビ女はそこに左手を向けた。それは蛇の頭である。
 蛇の牙がゼクロスを襲う。そしてその喉に喰らいついた。
 かに見えた。だがそれもまた幻影であった。
「チッ・・・・・・」
 ヘビ女は舌打ちした。全てが幻影だったのだ。
「どうやらあたしを相当舐めてくれているね」
 ゼクロスは少し離れた場所に立っていた。そしてそこから手裏剣を投げていたのだ。
「それは違うな」
 ゼクロスはいきり立つ彼女に対して言った。
「俺は貴様の力をよくわかっているつもりだ。だからこそこうして術を使うのだ」
「へえ、そりゃ有り難いねえ」
「俺は勝つ為に最も有効な戦い方をとる。それだけだ」
 彼の口調はあくまで機械的であった。そこに感情はない。
 突進した。そして拳を出す。
「甘いね」
 しかしそれはヘビ女の左の蛇により防がれた。
「今度はあたしの番だよ」
 そしてその蛇で食い殺さんとする。
 ゼクロスはそれをかわした。そして蹴りを入れた。
「ガハッ」
 蹴りはヘビ女の腹に入った。彼女は思わず怯んだ。
 そこへ拳がきた。顎を打たれのけぞる。
「よし、今だ」
 彼は間合いを離すと大きく跳んだ。
「ゼクロス・・・・・・」
 その全身が赤く光った。
「キィーーーーーック!」
 その赤い光が炎のようになった。そしてヘビ女の胸を撃った。
 後ろに跳ね返り着地する。目の前ではヘビ女が片膝をついていた。
「フン、見事なもんだねえ」
 ヘビ女はゼクロスに顔を向けて呻くように言った。
「このあたしをここまで倒してくれたのはこれで二人目だよ」
「そうか」
 彼はまだ油断せずに身構えている。
「あたしはこれでお終いだよ。幾ら何でもここまでダメージを受けてしまってはね」
 そう言うと最後の力を振り絞り立ち上がった。そして左手を右の手刀で断ち切った。するとその左手は蛇となった。
 蛇はそのまま這って行った。海に入りそのまま何処かへ去って行く。
「これでシャドウ様にはお伝えできるね」
 彼女は蛇が無事海に入ったのを見届けると満足気に言った。
「それじゃあゼクロス」
 彼女は最後にゼクロスに顔を向けた。
「あんたはいい男だったよ、シャドウ様の次にね」
 それが最後の言葉だった。彼女はそのまま爆発した。
「手強い女だった」
 彼はその爆発を見送りながら言った。

 シャドウは自身の基地でトランプのカードを切っていた。そこに一匹の蛇がやって来た。
「御前は・・・・・・」
 彼はその蛇を見てハッとした。蛇は彼の足下に辿り着くとそこで力尽きた。
「そうか、逝ったか・・・・・・」
 彼は泡となり消えていく蛇の亡骸を見下ろしながら苦渋と無念に満ちた声を漏らした。
「ヘビ女・・・・・・」
 彼の声は明らかに落胆したものであった。
「俺より先に旅立ったか」
 彼とヘビ女の関係は深いものであった。魔の国にいた頃から常に彼を助けてくれたのだ。
「その貴様を死なせてしまうとはな」
 それだけに落胆振りは凄いものがあった。
「どうした、えらく落ち込んでいるが」
 そこへ誰かがやって来た。
「・・・・・・やはり貴様か」
 シャドウは顔を上げて客の顔を見て言った。
「今情報を仕入れたのだが」
「知っている」
「そうか、ヘビ女が死んだぞ、シアトルでな」
「・・・・・・・・・」
 シャドウは答えようとはしなかった。
(どうやらかなりの痛手のようだな)
 タイタンは彼の顔を覗き見ながら思った。
「相手はゼクロスだ」
「・・・・・・そうか」
 それを聞いて怒り狂うかと思った。だが違っていた。当てが外れてタイタンはつまらなく思った。
「飲むか」
 彼は懐から一本のワインを取り出した。
「モーゼルだ。ドクトル=ゲーから貰ったものだ」
「ドクトル=ゲーからか」
 彼はドイツ出身なのでその地の酒には精通していた。
「そうだ、かなりの上物らしいぞ」
「ではいただこう。貴様も席に着くがいい」
 彼はそう言うとタイタンに向かいの席を勧めた。
「うむ」
 タイタンは席に着いた。そしてワインを開けると二つのグラスを取り出した。
 白い酒がグラスに注ぎ込まれる。二人はそれを手に取ると杯を当てて飲みはじめた。
「美味いな」
 シャドウはその酒を一口飲んで言った。
「そうだな、俺はいつもはイタリアのものをよく飲むのだが」
 タイタンは口の中でその味を堪能しながら言った。
「ドイツのものもいい。今度はこれも飲むか」
「そうだな、俺もそうするとしよう」
 二人は瞬く間にワインを空けた。
「さて、と」
 タイタンはシャドウの気持ちが落ち着いたのを見計らい声をかけた。
「今後どうするつもりだ」
「今後か」
 二人は酔ってはいなかった。だがシャドウは酒により気を鎮めていた。
「まずはストロンガーを倒す。そして」
「そして!?」
「あの男を倒す。そして仇をとる」
「そうか」
 見ればその眼は燃えていた。復讐を誓う激しい炎で燃えていた。

「さて、とルミちゃんも無事だったみたいだな」
 村雨は戦いを終えルミと共に再び野球観戦を楽しんでいた。
「ええ、良さんのおかげで」
 ルミはそれに対して笑顔で答えた。
「そうか、無事で何よりだよ」
 彼はそれを聞いて笑った。にこやかで優しい笑顔である。
「・・・・・・・・・」
 ルミはその笑顔を見て自身も笑った。
「どうしたんだい!?」
 村雨はルミが笑顔を見せたのを不思議に思った。
「イチローがまた打ったの?」
 違った。今はマリナーズの守りの時である。イチローはライトを守っていた。
 ライトに打球が飛んだ。イチローはそれを素早い動きでキャッチした。
 三塁にいたランナーがそれを見て走った。イチローがホームへ向けて矢の様な送球を返した。
 速い。そして正確であった。キャッチャーのミットに寸分の狂いもなくボールは収まりホームに突入を敢行したランナーは憤死した。
「肩も相変わらずだな」
 彼はそれを見て感嘆の声を漏らした。
 顔を戻す。見ればルミはやはり笑っていた。
「イチローのプレイに微笑んだんだね」
「違いますよ」
 ルミはそんな村雨に対しやはり微笑んで答えた。
「良さんに笑ったんですよ」
「俺に!?」
 村雨はそれを聞いて大いに驚いた。
「俺の顔に何かついてるかな」
 そして両手で慌てて顔をさすったり軽く叩いたりした。
「だから違うんです」
 ルミはそんな彼の様子がおかしくてたまらなかった。だがそれに対して笑ったのでは当然なかった。
「良さんって自分のことはあまりわかってないんですね」
「そ、そうかな」
 彼はそれを聞いて今度は狼狽した。不思議な程狼狽している。
「けれどいいですよ。そうしたところも良さんの持ち味ですから」
「それはあまり嬉しい言葉じゃないなあ」
 彼は不満そうであった。
「どうしてですか?」
「だってほら、何か馬鹿にされているみたいで」
「馬鹿になんかしていませんよ」
「本当に!?」
 彼は顔を少し尖らせて尋ねた。
「ええ。むしろ良さんの別の一面が見られましたし。見直しているんですよ」
「そうかなあ。俺にはそうは思えないけれど」
 今度は首を傾げた。やはり彼にはよくわかっていないようである。
 試合観戦後二人はシアトルを後にすることにした。そして次の戦場へ旅立つ為に空港へ向かった。
「行こうか」
「はい」
 こうして二人は次の戦場に向かった。二人を乗せた銀の翼がワルキューレの槍の様に輝いた。


 
港町の毒蛇   完



                                 2004・5・22


[174] 題名:港町の毒蛇1 名前:坂田火魯志 MAIL URL 投稿日:2004年08月12日 (木) 00時33分

             港町の毒蛇
 ゼクロスの所在、それはバダンがその総力を挙げて捜しているものであった。皆血眼になりその影を追う。
 だがそれは何処にもなかった。次第に焦りが生じだしていた。
「まだ見つけられないのかい!?」
 ヘビ女も彼を捜していた。
「はい、残念だがら・・・・・・」
 戦闘員達は申し訳なさそうに頭を垂れた。
「そうかい、本当に隠れるのが上手い奴だね」
 彼女は忌々しげにそう吐き捨てた。
「このままではシャドウ様に合わせる顔がないよ、折角啖呵切ったんだしね」
 彼女はゼネラルシャドウにゼクロスを捜し出しその首を献上すると言ったのだ。
「日本にいないのは確かなんだ。だけど世界中を捜し回るのも馬鹿なことだしね」
 彼女は地球儀を回しながら呟いた。
「こうなったら誘き出してやろうか」
「あの男をですか!?」
「そうだよ。例えばね」
 ヘビ女はここで残忍な笑みを浮かべた。
「あの男の大切な人を人質にするとかねえ」
 それはまさに悪魔の笑みであった。地球儀を弄ぶその顔が嫌らしく歪んだ。
「それでしたら最適の人物がおりますが」
「あの男の姉は死んでいるよ」
「村雨しずかではありません。一条ルミです」
「一条ルミ!?あの小娘かい」
 ヘビ女も彼女のことは少し知っていた。
「しかしあの娘も今何処にいるかわからないよ」
「日本にいたという情報がありましたが」
「何時の情報だい、もうとっくの昔に何処かに消えちまったよ」
「そうだったのですか」
 戦闘員はヘビ女の言葉にうなだれた。
「今は地道に捜すことだな。もっとも連中はあたし達の影を見たら自分達から出向いて来てくれるけれど」
 ヘビ女はそう言ったところでハッとした。
「待てよ」
 彼女は再び嫌らしい笑みを浮かべた。
「何も捜し出すことはないよ。ちょいと目立つことをしてやるだけでいいんだよ」
「といいますと」
「わからないのかい、鈍いねえ」
「すいません」
「まあいいさ。今から教えてやるよ」
 ヘビ女は戦闘員達に対して話しはじめた。
「どうだい、いい考えだろう」
 彼女は話し終えると戦闘員達を見た。
「はい、それが一番だと思います」
「御前達もそう思うかい。じゃあ早速はじめるとしよう」
 彼等は闇の中に消えた。そしてその中で無気味な蛇の鳴き声が聞こえてきた。

 村雨良はシアトルにいた。アメリカの北西部にある港町だ。
 ここは日本人にもよく知られた街である。理由はとあるスポーツ選手のせいなのであるが。
 それを抜いてもこの街は日本と関係が深い。ボーイング社の拠点でもあるこの街は日本と盛んに貿易を行なっているのである。
「良さんはシアトルははじめて!?」
「うん、話には聞いていたけれど」
 その街を行く人組の男女がいた。
 男女といってもまるで兄妹のようであった。村雨良と一条ルミである。
「よくテレビでマリナーズとかいうチームのことはやっていたな。俺は大リーグにはあまり興味がないけれど」
「イチローがいるからね」
「イチロー!?オリックスにいたんじゃなかったのか」
「何言ってるのよ、大リーグに行ったじゃない」
「そうだったのか。どうもそうしたことには弱いなあ」
 村雨は困った顔をして言った。
「それは仕方ありませんよ」
 ルミはそんな彼を慰めるように言った。
「良さんは色々ありましたから」
「・・・・・・有り難う」
 気遣うその言葉が有り難かった。村雨はルミの言葉に癒された。
「じゃあ試合見に行きますか?」
「今やってるの?」
「ええ。丁度イチローが出ますよ」
「そうか。じゃあ一度見てみるか」
 二人はこうして球場に向かった。

 丁度試合がはじまった時だった。イチローはライトにいた。
「ポジションは日本にいた頃と変わらないな」
「イチローといえばライトですからね」
 ルミはニコニコとしながら言った。
 丁度打球が飛んできた。かなり深い打球だったがイチローはそれを何なくキャッチした。
「守備も相変わらずだな。足も反応もいい」
「肩も凄いですよ」
 そんな話をしているうちにその回は終わった。今度はマリナーズの攻撃である。
 イチローは難しい変化球を流し打ちした。そして盗塁を決めた。
「バッティングはさらに進歩しているな。あの時でかなりのものだったが」
 村雨はオリックス時代の彼のことを思い出しながら呟いた。
「正直ここまでの選手は見たことがない。一体何処まで進化していくのか」
 試合はマリナーズの勝利に終わった。イチローは攻守にわたり活躍した。
「面白かったですね」
「ああ、イチローも久し振りに見たがやはり凄いな」
 彼は満足した顔でそう言った。
「やはり彼は凄いな。わざわざ見たかいがあった」
「次は何処に行きます?」
「そうだなあ」
 彼は考えた。
「とりあえずは腹ごしらえをしよう。もう夕方だしね」
「はい」
 二人はレストランに入った。そしてステーキを食べた。
 それから二人はホテルに入った。ルミはベッドに入るとすぐに眠りについた。
「よし、気持ちよく眠っているな」
 村雨はその寝顔を覗き込んで確かめた。見ればあどけなく可愛らしい寝顔である。
「これでよし」
 彼は彼女から顔を離すと窓の外を見た。もうすっかり陽は落ち夜となっている。
 村雨は部屋を出た。そして夜のシアトルに向かった。
 シアトルはアジア系の多い街である。アジア太平洋地域への玄関口の一つであるからそれは当然であった。ボーイング社の最初の技術責任者も中国系であった。
 元々アメリカはアジアを目指していた。彼等のモンロー主義も門戸開放宣言もそうした戦略が背景にあった。
 そして多くの拠点を設けアジアと関わろうとする。太平洋戦争もベトナム戦争もその一環であった。APECはその戦略の集大成的な存在である。元々はオーストラリアと日本が打ち出した構想であったが。
 そのシアトルのアジア寄りの象徴とも言えるのがチャイナタウンであった。ニューヨークやサンフランシスコにもあるがこのシアトルのものも有名である。
 真夜中なので道には誰もいない。華やかな街も今は暗闇に包まれている。
 村雨は一人その中を歩いていた。まるで何かを探るように。
 その彼に向けて何かが投げられた。村雨はそれを咄嗟に叩き落とした。
「これは!?」
 それはナイフであった。そこへ次々と投げられてくる。
「ムッ!」
 村雨は上に跳んだ。そして建物の上に着地した。
「バダンかっ!?」
 彼は既にゼクロスに変身していた。そして左右を見回す。
 彼の周りを戦闘員達が取り囲んでいる。皆その手にナイフを持っている。
「やはりな」
 ゼクロスはそう言うと肘の手裏剣を取り出した。
 そして投げる。一つを投げるとまた一つ投げる。
「ギッ」
 戦闘員達はそれを受け倒れる。ゼクロスは投げながら建物の上を跳ぶ。
 そこに新手が来た。デストロンの光線怪人ピッケルシャークである。
「来たか」
 彼は建物の上を跳び回りながら怪人を見た。怪人はゼクロスの方に跳んで来る。
「ヒルーーーーヒルーーーー」
 そして右手のピッケルを振り下ろす。ゼクロスはそれをかわした。
 移動を止める。そして怪人と向かい合う。
 左腿から電磁ナイフを取り出した。それで斬り掛かる。
 怪人はそれをピッケルで受け止めた。ゼクロスはそこに蹴りを入れる。
 腹を蹴られ怯む。その後頭部にナイフを突き立てた。
「ヒルーーーーーッ!」
 怪人は断末魔の叫び声を出して倒れた。そして爆発と共に消えた。
 ゼクロスは下に降りた。そこに新たな敵がやって来た。
 今度は下からだ。ゲドンの甲殻怪人獣人カタツムリである。
「ゲォゲォゲォゲォゲォゲォゲォ」
 彼は奇声を発しながらやって来た。そして口から泡を吐き出す。
 ゼクロスは横に身を捻りかわした。そして手の甲から何かを取り出した。
 それはマイクロチェーンだった。彼はそれを怪人に向けて投げ付けた。
 チェーンが怪人の首に巻き付く。ゼクロスはそれを引いた。
「ゲォ!?」
 怪人は抵抗する。だがゼクロスはそこで電撃を流した。
「ゲォーーーーーッ!」
 カタツムリは水分が多い。その為電流をよく通す。怪人は忽ち悶死して爆発した。
「これで終わりではないな」
 ゼクロスは咄嗟に新手の気配を察した。やはりもう一体やって来た。
「ギリギリギリギリギリギリ」
 何と両眼が髑髏になっている不気味な怪人が姿をあらわした。ブラックサタンの音波怪人カマキリ奇械人である。
「やはり来たか」
「ギリギリギリ」
 怪人は右腕に巨大な鎌を出した。そしてそれをゼクロスに向かって投げ付けた。
「ムッ」
 ゼクロスはそれを左にかわした。だがその背に鎌が戻って来る。
「ブーメランか」
 彼はそれを屈んでかわした。怪人はそれを受け取ると今度はそれで斬りかかって来た。
「おそらくそれだけではないな」
 その予想は当たった。怪人は左腕に鎖鉄球を出してきた。
 それをぶつけて来る。ゼクロスはそれを受け止めた。
「ムン!」
 そして投げる。怪人は受身をとり着地した。
 着すると同時に再び鎌を放ってくる。鎌はゼクロスを両断した。
 かに見えた。しかしそれは幻影であった。
「生憎だったな。俺は幻影を作り出すこともできるのだ」
 怪人の後ろから声がした。それはゼクロスのものであった。
「死ね」
 彼は言った。そして怪人の背に何かを取り付けた。
 それは衝撃集中爆弾であった。ゼクロスはそれを怪人の背に取り付けると上に跳んだ。
 怪人は爆死した。ゼクロスは再び建物の上に着地した。
 その後ろから何者かが襲い掛かってきた。
「また来たか」
 ネオショッカーのミイラ怪人ヒカラビーノであった。怪人は両手から包帯を放ってきた。
「今度はミイラ男か」
 ゼクロスは感情を込めずに呟いた。
「ならば戦い方ははっきりしている」
 彼はまず両肩から煙幕を放った。そしてその中に消えた。
「ガビッ!?」
 怪人は煙の中でゼクロスを探した。だが何処にもいない。
 包帯を放つ。四方八方にばら撒くように。だがゼクロスは何処にもいない。
「俺はここだ」
 不意にその煙幕の中から声がした。
「ガビーーーノッ!」
 怪人は奇声を発しそこへ攻撃を仕掛けた。だがゼクロスはそこにはいなかった。
「残念だったな」
 ゼクロスは怪人の真横にいた。そして腕から何かを放ってきた。
 それは超音波であった。彼は音波砲も装備しているのだ。
「ミイラ男なら乾燥している。衝撃には弱い筈だ」
 その通りであった。怪人は音波攻撃を受けもがき苦しんでいる。
「ガビーーーーッ!」
 それに耐えることは出来なかった。怪人は崩れ落ち爆死して果てた。
「もういないか」
 ゼクロスは気配が全て消えたのを察して呟いた。
「それにしても一度に四体もの怪人を送り込んで来るとはな」
 彼は道路に着地し変身を解きながら呟いた。
「やはりバダンはこの地で何かを企んでいるのか」
 彼はマシンを呼んだ。やがてヘルダイバーが前に停まった。
「少し調べる必要があるな。一体誰がいて何をするつもりなのか」
 村雨は夜のシアトルを回った。そしてバダンの影を捜し求めた。
 だがその日は何も見つけることが出来なかった。朝が近くなり彼は仕方なくホテルに戻った。
「只今」
 彼はそう言うとそのままベッドに入ろうとした。だがそこで異変に気付いた。
「ルミちゃん!?」
 ルミの気配がしないのだ。寝息も聞こえない。
 彼は驚いて灯りを点けた。ルミが眠っていたベッドはもぬけのからであった。
「まさか・・・・・・」
 窓は割られている。そこから吹き込む風がカーテンを揺らしていた。
 そしてルミがいたベッドには手紙がナイフで縫われていた。村雨はそれを手にとった。
『村雨良よ』
 その手紙の序文にはまずそう書かれていた。
『一条ルミは預かった。貴様の居ぬ間にな』
「そうか、あの怪人達は俺を貼り付けておく為だったのか」
 後悔の念で歯噛みした。だがそれはあまりにも遅かった。
『返して欲しくば今日の昼ウォーターフロントに来るがいい。ヘビ女』
「ウォーターフロントか」
 シアトルの観光名所の一つである。かっては漁船の波止場であったが今は水族館やレストランで賑わっている。
「ならば行ってやる。そしてルミちゃんを救い出す」
 村雨はすぐにその場をあとにした。あとには風だけが残っていた。

「こうして四人揃うのも久し振りね」
 ある基地の宴の場でジンドグマの四人の幹部達が集まっていた。彼等はテーブルに座っていた。
「メガール将軍は呼ばなかったのか?」
 鬼火司令は上機嫌でワインを飲み干す妖怪王女に対して尋ねた。
「一応声はかけたわよ。けれど堅物だからねえ」
「断ったのじゃな」
「そうなのよ。何であんなに頭が固いのかしら」
 妖怪王女は幽霊博士の言葉に答えた。
「あ奴の糞真面目さはドグマにいた頃から変わらんのう。困ったことじゃ」
「鬼火司令が不真面目過ぎるのではないかしら」
 魔女参謀はサラダを口にしながら言った。
「おいおい、わしはいつも真面目だぞ」
「怒って電話ボックスを壊す程ね」
「妖怪王女、その話はいい加減止めてくれ」
「うふふ」
 口喧嘩をしながらも雰囲気はいい。彼等はどうも他の幹部達のように緊張した関係にはない。
「ドグマの頃からね。メガール将軍のああした性格は」
 魔女参謀は呟くようにして言った。
「仕方ないがのう。あの者は我等と境遇が異なり過ぎる」
 幽霊博士はもそもそと魚を食べながら言った。彼等はテラーマクロにスカウトされてドグマに入った。そして自ら進んで改造手術を受けた。
 だがメガール将軍は違っていた。彼は改造手術の失敗で醜い姿になってしまったことに絶望し自殺しようとしていたところをテラーマクロに拾われたのだ。
「何度も言っておるのだが。そのようなことは気にするなと」
 鬼火司令は顔を顰めさせた。
「けれどそれが忘れられないのでしょうね。元々真面目だから。私なんかと違って」
「王女、そなたはまた不真面目過ぎる」
「魔女参謀もあまり変わらぬがのう」
 彼等は口々に言う。だが話している口調は敵意のあるものではない。
「全く、何が哀しくてテラーマクロの下にいたのやら」
 幽霊博士はフォークとナイフを置いて言った。
「本当ね。あんな陰気な爺さんなんか」
「わし等より親衛隊が偉いときた。戦うのはわし等だぞ」
 妖怪王女と鬼火司令もそれに同意する。彼等はドグマにいた頃からテラーマクロと衝突が絶えなかった。陰気な様子のドグマの空気が合わなかったのだ。


[173] 題名:恩返し3 名前:坂田火魯志 MAIL URL 投稿日:2004年08月12日 (木) 00時25分

 舞台は後楽園に移った。第六戦である。阪急の先発を見たファンは沈黙した。
「ホンマにこりゃあかんかもな」
「絶対ウエさん今動揺しとるで」
 彼等は口々に言った。阪急の先発は山口であった。
 山口は先発をつとめることもあった。だからこそ阪急を優勝に導くことができたのだ。
 しかし、しかしである。彼は既にこのシリーズで五回目の登板である。そのフォームも第一戦の時とはどう見ても違っていた。力が足りないのだ。
 そしてボールも。確かに速い。だがあの重い音もしない。普通の速球であった。
「打たれるな」
 多くの者はそう見ていた。試合の結果を予想する者は多かった。
 しかしここで打線が爆発した。この二試合今一つ元気のなかった阪急打線が巨人に襲い掛かったのだ。
 五回表を終わって七対〇、勝負あった、と誰もが思った。 
 だが巨人は諦めてはいなかった。
 五回裏まずは二点を返した。
「第一試合での球威はもうないな」
 二点を返した巨人打線はそう感じていた。今の山口なら打てる、そう確信していた。
 六回裏巨人はランナーを二人置いた状況で切り札を投入した。
 淡口憲治、チームきっての勝負強さを持つ男である。
「出たな」
 巨人ナインは固唾を飲んだ。こういう時の淡口は頼りになる。淡口はそのファンの期待を一身に背負って山口と対峙した。
 第一試合では全く歯が立たなかった。ボールがミットに収まってからバットを振る始末であった。
 しかし今は違う。彼は今まで山口のボールから目を離さなかったのだ。
「打てる」
 彼はそう思いバッターボックスに入った。
 山口が投げた。あの高めのストレートだ。
「よし!」
 彼はバットを一閃させた。それはそのままスタンドに突き刺さった。
 巨人ファンの歓声が沸き起こる。それを見た上田はようやく悟った。
「これはあかん」
 もう山口は限界にきている、今まで焦りのあまり気付かなかったのだ。
 彼は止むを得ず山口を引っ込めた。そしてリリーフに山田を送った。
 しかし上田はまだ焦っていた。その山田は前の試合で先発だった。まだ疲れが残っていたのだ。
 八回裏、山田は打たれた。柴田の値千金のツーランが飛び出たのだ。
「山田もあかんか」
 上田は歯噛みした。山田の弱点である一発病がここで出てしまったのだ。
 しかし今彼以上に頼りになるピッチャーはいなかった。仕方なくそのままマウンドにおくことにした。
 七点を入れた打線も巨人のリリーフ小林繁の前に沈黙していた。五回をパーフェクトに抑えられている。
 山田は投げる度に疲れが蓄積されていくのが傍目からもわかった。巨人はジワリ、ジワリとその彼を攻めていく。
「おい、山田が打たれたらお終いやぞ」
 西宮から駆けつけてきているファンが青い顔で言った。
「しかし他に誰がおる?山田以外おらんぞ」
「そやな」
 流れは完全に巨人のものとなっていた。後楽園から聞こえるのは巨人ファンの応援の声だけである。
 十回裏山田は絶対絶命のピンチを迎えた。ノーアウト満塁である。
 打席にはX9戦士の一人高田繁、俊足強肩で知られる。かっては外野手であったが長嶋にその守備センスを見込まれサードにコンバートしていた。そこでも絶妙の守備を見せていた。
 彼は一発があった。十九本のホームランを打ったこともある。そして何より粘り強い。
「終わりかな」
 阪急ファンの一人が呟いた。
「高田を仕留めてもまだ」
「アホなこと言うなや!」
 隣にいた男がそれに言った。
「山田を信じんかい!あいつはこういう時も何度も乗り切ってきたやろが!」
「しかしなあ、相手は巨人やぞ」
 彼は明らかに弱気になっていた。
「あの時かてそうやったし」
「うう・・・・・・」
 それで終わりだった。あの王の逆転サヨナラスリーラン、それは今でも阪急ファンの脳裏に刻み込まれていた。
 山田はその時を思い出していただろうか。そのポーカーフェイスに汗が流れる。
 山田と高田は睨み合った。高田は浪商でも明治大学でもスターで鳴らした男だ。しかも滅法喧嘩早いところがある。山田も負けてはいない。西本に一からピッチャーとしての心構えを叩き込まれている。
「抑えたる」
 心の中で呟いた。そして投げた。
 高田のバットが一閃した。それで全ては決まった。
「あ・・・・・・」
 山田だけではなかった。阪急ナインもファンもそこで鏡が割れた様に動かなくなった。
 三塁ランナーの張本がバンザイをしながらホームを踏む。サヨナラヒットであった。
「勝っとったのに・・・・・・」
 張本がホームを踏むまでの動きがコマ送りの様にゆっくりと見えた。ホームを踏んだ瞬間後楽園は歓喜の声に包まれた。
 巨人ベンチは総出で張本を出迎える。殊勲打を放った高田ももみくちゃにされる。まるで日本一になったかのような騒ぎ
であった。
「・・・・・・・・・」
 上田はもう何も語らなかった。そのまま踵を返すとベンチを後にした。
 阪急ナインもそれに続く。もう誰も何も語らなかった。
 それに対して巨人はもう日本一になったかのような状況であった。ただ胴上げをしていないだけである。
「このまま日本一ですね!」
 記者達が長嶋に対してインタビューをしている。
「それはまだわかりませんけれどね」
 長嶋は口では否定する。しかしその顔には笑みがこぼれていた。
 巨人ファンの声が鳴り響く。もう勝負あったかのようであった。
「・・・・・・帰ろうか」
「ああ」
 阪急ファンも去って行く。おの足取りは重いものであった。
 これで三勝三敗、遂に五分と五分の状況となった。だが阪急にとってはもう絶対絶命の状況であった。
 山口も打たれた。山田もだ。切り札はもうない。そして流れは完全に巨人のものである。
 マスコミも完全に巨人贔屓になっていた。テレビでももう長嶋が勝ったかのような騒ぎであった。
「ふざけんなや」
 阪急ナインは怒りに満ちた声でテレビを切った。彼等はまだあの試合のことをはっきりと覚えていた。
「おい」
 そこで後ろから声がした。上田のものであった。
「監督」
 選手達に顔を向けられた上田はにこやかに笑った。だがその笑みは何処か力がなかった。
「今日はご苦労さん」
「はあ」
 選手達は彼に言われ応えた。
「疲れたやろ、今日は思いきりはめ外してこい」
「しかし」
「ええから」
 上田の笑みは優しいものであった。それがかえって選手達を沈黙させてしまった。
「銀座でも六本木でも好きなとこ行って来たらええで。疲れを吹き飛ばすには酒が一番や」
「はあ」
「監督は言うんでしたら」
 酒は飲み過ぎるな、スポーツ選手の鉄則である。だが上田はそれを知りながらあえて言ったのだ。
 負けた、そう感じたからだ。その原因は他ならぬ自分の焦りによるものだった。
「済まんな」
 上田は夜の銀座に繰り出す選手達を見送って一人呟いた。その顔にはえも言われぬ哀しさがあった。
「わしのせいで御前等を負けさせてな」
 彼は部屋に戻るとまた言った。
「折角西本さんの無念晴らせるところやったのに」
 そう思うと無念で仕方なかった。
「明日で全部終わりか、何の為に出たんや。チョーさんの引き立て役かい」
 椅子に座った。やりきれない気持ちで一杯だ。
「わしも飲もうかな」
 ふと思った。実際飲まずにはいられなかった。
 部屋を出る。そこで一人の男と擦れ違った。
「どうも」
「あれ、御前は行かんかったんか?」
 それは足立であった。
「はあ」
 足立は素っ気無く答えた。
「わしは酒が飲まれへんさかい」
「そうやったんか」
 そういえばそうだった、上田はふと思い出した。
「じゃあ部屋でゆっくりしとるんやな」
「はい」
 見たところ至って冷静である。他の者は自暴自棄になって飲みに行ったというのに。
「ふん」
 上田はそれを見てふと考えた。
「もしかすると」
 前から足立のここ一番の踏ん張りは頼りにしていた。かっては敗れはしたが王、長嶋の前に立ちはだかり阪急の面子を守ったこともある。
(賭けてみるか)
 上田は腹をくくることにした。そして足立に声をかけた。
「なあ」
「はい」
「明日やがな」
 上田はあえて穏やかな声で話しかける。
「先発は御前にしようと思っとるんやがな」
「わしですか」
「そや」
 上田は微笑んで頷いた。
「どや、やれるか」
「はい」
 足立は表情を変えることなく答えた。
「投げさせてくれるんでしたら」
「そうか」
 上田はそれを聞いて思わず顔を綻ばせた。彼はここでようやく落ち着きを取り戻した。
(そうや、まだこいつがおったんや)
 いつもの穏やかな笑みが戻っていた。
(わしもまだまだやな、自分のとこの選手を完全に把握しとらんわ)
 迂闊だと思った。だがこれで明日は巨人と戦えると確信した。
「じゃあ今日はもう寝ようか。大事な決戦やし」
「いや、わしはもうちょっと起きときます」
「何でや」
「予想せなあきませんから」 
 彼の趣味は競馬と競艇である。麻雀も好きだ。酒を飲まず、無口である彼は一人でそうした賭けの予想をたてることが好きだったのだ。
 彼のギャンブルでの強さは有名だった。それは何故か、問われた彼は素っ気なくこう答えた。
「勝とうとは思わへんことや」
 そこに足立があった。
 彼はいつもそういうマイペースな男であった。決して焦らない。どのような強打者が前に立ちはだかっても焦らない。ただ自分の投球をするだけであった。
 上田はそれを忘れていた。だが最後のこの時にそれを思い出したのだ。
「明日が楽しみやな」
 そう言うと眠りに入った。外からはようやく帰ってきた阪急ナインの声がしていた。
「あいつ等明日になったらどんな顔しとるかな」
 そう思うだけで楽しかった。だがそれを彼等に見せることなく眠りについた。

 翌日後楽園は満員であった。見渡すばかり巨人の帽子と旗である。
「勝てよーーーーーーーっ!」
「あの西鉄の再現だーーーーーーーーっ!」
 昭和三三年のシリーズである。巨人ファンにとっては忘れることのできぬ屈辱であった。
 あの年巨人は三原脩率いる西鉄ライオンズと球界の覇権を争っていた。三原はかって巨人の監督を務めていた。だが水原がシベリアから戻ってくると総監督に祭り上げられつま弾きにされたのだ。
 三原は西鉄の監督になった。そしてそこで野武士軍団と呼ばれる強力なチームを作り上げたのだ。
 鉄腕稲尾和久に怪童中西太。水戸の暴れん坊豊田泰光、青バット大下弘、錚々たる顔触れが三原の下に集っていた。
 水原率いる巨人はこの時既に黄金時代を支えた選手達が下り坂にあった。そして西鉄に連覇を許していたのだ。
「今度こそは負けられない」
 そういう思いでいどんだシリーズであった。こちらには黄金ルーキー長嶋茂雄がいた。そう、長嶋がこの時もいたのだ。
 水原と三原は激しく対立した。最早それは決闘であった。
 まずは巨人が三連勝した。しかし真の勝負がここからはじまったのであった。
 西鉄は稲尾を続けざまに出す。彼はその常人離れしたスタミナと抜群のコントロールで巨人を寄せつけない。高速スライダーとシュートで巨人打線を封じる。
 そして遂に四連勝して巨人を倒した。鉄腕稲尾の名が全国に轟いた。
 今も尚語り継がれる死闘である。だがそれは巨人にとっては忘れることのできぬ屈辱であった。
「あの時の雪辱というわけではないけれどね」
 一塁ベンチに立つ長嶋はポツリと呟いた。
「けれどここまできたら勝ちたいね、日本一だ」
 ナインはその言葉に頷いた。そして遂に最後の戦いの幕が開いた。
「まるで甲子園にいるみたいやな」
 試合の隅をようやく占拠したような僅かばかりの阪急ファン達は球場の巨人ファンを見ながら呟いた。
「何処もかしこも巨人やこらあかんかもな」
 見れば阪急ナインも空気に呑まれている。流れは誰が見ても巨人のものだった。
「おい、ラジオなんか切ってしまえ」
 阪急ファンの一人が別のファンに対して言った。聴けばあからさまな巨人寄りの中継だった。
「日本中こんなんかいな」
 その通りであった。実際にテレビでも、その日の朝の新聞でも巨人のことばかり。まるで何処かの世襲制の共産主義国家のようであった。
 その中で阪急ファンも平静ではいられなかった。見ればもう顔が真っ赤になっている者すらいる。
「これが飲まずにいられるかい!」
 こう叫ぶ者もいた。彼はもう勝てる筈がない、と諦めていた。
「お客さんは荒れとるな」
 その光景は上田からも見ることができた。
「当然でしょうね」
 コーチの一人が力なく答えた。
「こんな状況じゃあ。まるで阪神と試合しているみたいですよ」
「ホンマやな、よう似とるわ」
 上田はそれを聞いて思わず笑った。
「巨人ファンは薄情やと思うとったけれどな」
 実際に巨人ファンの一部はそうである。彼等は野球が好きなのではない。勝つことだけが好きなのだ。野球にもスポーツにも愛情があるわけではないのだ。
「案外熱心な人もおるみたいやな。うちのファンにはかなわへんが」
 パリーグのファンの特徴である。数ではないのだ。問題は愛情なのである。
「さて、お客さんの為にも今日こそ勝つで」
「はあ」
 見ればそのコーチも元気がない。
「おい、コーチがそんなことでどないするんや」
 上田は彼に対して言った。
「大きく構えとくんや。そうでないと勝てるもんも勝てへん」
「そういうものでしょうか」
 だがそのコーチは背を丸めたままである。
「そうや、あいつを見てみい」 
 上田はそう言うとマウンドにいる足立を指差した。
「ここはあいつみたいにしゃんとしとくんや、それで勝つつもりでいかんかい」
 見れば足立は飄々とした様子でマウンドで投球練習を行っていた。
(騒げ)
 彼は巨人ファンの大歓声を聞いて心の中で呟いた。
(騒ぐだけ騒げ、騒いでもわしは痛くも痒くもないわ)
 全く同ずることがなかった。こうして彼は試合前の調整を終えた。
 試合がはじまった。もう巨人ファンは勝った気でいる。
 一球ごとに歓声が起こる。だが足立は黙々と投げる。
 まずは阪急が先制点をあげた。福本が巨人の先発ライトから打ったのだ。
「ダチさんが頑張ってくれとるさいかいな。わし等が打って援護せなあかんやろ」
 彼はホームに戻ると出迎えたナインに対して言った。
「そやな」
 ナインはその言葉にようやく我に返った。福本もホームランを打つまで忘れていたことだった。
「わしも今思い出したで」
 福本は顔を崩してこう言った。
「けれど今ので思い出した。勝たなあかんわ。そんで日本一や」
「よし」
 ナインもようやく自分達のペースを取り戻した。これで阪急は息を吹き返した。
 しかし巨人も反撃を開始した。高田のホームラン等で逆転する。しかし足立はそれでも表情を崩さない。
「それがどないしたんや」
 口では言わない。だが全身でそれを言っていた。彼は全く動ずるところがなかった。逆転で沸き立つ後楽園の観衆を向こうに回しても、だ。
 七回表、阪急は終わるつもりはなかった。ここでサングラスをかけたキザに見えなくもない男がバッターボックスに入る。
 森本潔である。彼もまた西本に育てられた男だ。だが地味な存在であり阪急にあっては影の薄い男であった。
「誰だ、あいつは」
「知らないな」
 巨人ファンは今この時点で彼を見てもそう言っていた。それ程までに影の薄い存在であった。もっとも山口の存在があまりにも大きく他の選手達に脚光が浴びなかったせいもあるが。
 森本はゆっくりと打席に入った。そしてライトを見る。
「ここで打ったら試合が動くで」
 上田は森本を見てそう言った。
「打ちますかねえ」
 コーチは誰も心配そうであった。このシリーズでも目立った働きはしていない。ペナントでもそうであった。
「しかしあいつは勝負強いからな」
 上田は言った。彼の勝負強さを知っていたのだ。勝手は三番を打ったこともある。長打力もあった。
 その森本のバットが大きく振り抜かれた。ボールが高々と飛んだ。
「まさかっ!」
 巨人ナインとファンの顔が蒼白となる。それは彼等の絶望と阪急の希望を乗せて飛ぶ。
 入るか、いやは入ってくれ、阪急ナインもファンもそう思った。否、念じた。その思いがボールに宿ったのだろうか。
 ボールはスタンドに飛び込んだ。その瞬間巨人ファンの断末魔の叫びが後楽園を、日本を覆った。
「よし!」
 森本はガッツポーズでダイアモンドを回る。巨人ナインもファンもそれを力無く見るしかなかった。
「よっしゃああ、森本よう打ったでえ!」
 阪急ファンは狂喜乱舞する。彼等はここで勝利を感じたのだ。
 今まで酔っていた男も立ち上がった。彼が見たのはホームで二列になり森本を出迎える阪急ナインの姿であった。
「はよ来い、はよ!」
 阪急ナインの声が呼ぶ。森本はそこに入って行った。
 たちまち彼はもみくちゃにされる。そしてその中でホームを踏んだ。
 これがこの死闘の行方を決定した。さしもの巨人もこれで力尽きた。
 しかしファンはまだ諦めてはいない。歓声はなおも後楽園を包んでいた。
「まだ騒いでいるのか」
 足立はそう言わんばかりの顔をしていた。だがもう観衆は見ていなかった。ただ相手だけを見ていた。
「じゃあ最後まで騒いでいろ」
 彼はそう呟くと投げた。そして一人、また一人と巨人の打者を打ち取っていく。それは巨人の最後へのカウントダウンであった。
 八回表阪急は止めとなる一点を入れた。これで決まった、上田は笑った。
 巨人ファンの声は次第に悲鳴に近くなっていく。バッターもその目が血走ってきている。巨人の最後の時は刻一刻と迫ってきていた。
 そして九回裏足立は最後のバッターを屠った。その瞬間全てが決まった。
「やったあ、優勝や!」
 ナインが一斉にマウンドにいる足立のもとに駆け寄る。まずは殊勲打を放った森本が。一塁を守る加藤が、ショート大橋が。
「やったよ、アダチさんサイコーーーーよ!」
 セカンドのマルカーノが飛び跳ねながらこちらに向かって来る。そして足立に抱き付いた。
「遂にやったんやな!」
 センターから小柄な男が駆けて来る。福本だ。
「わし等、遂に巨人に勝ったんやな」 
 その目には涙があった。彼は遂に宿願を果したのだ。
「ダチさん、おおきに」
「福本、嬉しいな」
 足立が珍しく顔を崩していた。彼の目にも熱いものが宿っていた。
「親父、見てくれてるやろな」
 足立もまた西本に育てられた男である。その恩を忘れたことはなかった。
「足立、ようやってくれたな」
 ここで上田が姿を現わした。彼もまた顔を崩していた。
「はい」
 彼は頷いた。見ればグラウンドには阪急ナインが勢揃いしている。
「さあ皆、監督を胴上げするぞ!」
 足立の声がした。
「おお!」
 皆それに従った。
 上田が高々と上げられる。そこには勝者の笑みがあった。
「やっと勝ったんやな」
 ファンもそれを見て泣いていた。彼等にとって巨人は憎っくき怨敵であった。その怨敵を今遂にやぶったのだ。
「長かったな」
「そやな」
 昭和四二年からはじまった。五回挑み五回共敗れた。どれも悔しい思いだけが残った。
 しかしそれが今晴れたのだ。阪急はようやく宿敵を屠ったのだ。
 胴上げが終わり上田はインタビューに応じた。彼は笑顔で言った。
「この喜びを西本さんに捧げます」
 阪急ファンの拍手が鳴り響く。彼等は数よりもその想いで巨人ファンを圧倒していた。
 MVPは福本だった。彼もまた言った。
「これで藤井寺のお爺ちゃんも喜んでくれますわ。やっと恩返しができました」
 もう涙が止まらなかった。彼にとって巨人を倒すことは西本への恩返しなのであった。
「あれ程の選手達を育て上げたのか」
 観客席にいる一人の男がそれを聞いて呟いた。
「西本さんはやはり凄いな」
 眼鏡をかけた痩せ気味の男である。
 ヤクルトの監督広岡達郎であった。彼はこの試合観客として観戦していたのだ。
「だが無敵のチームなぞ存在しない。必ず何処かに弱点がある」
 彼はそう言うとゆっくりと立ち上がった。
「もしかしたら阪急と、西本さんの作り上げたチームと戦う時が来るかも知れない。その時に備えて私も学んでおくか」
 そして彼は球場をあとにした。翌年彼はヤクルトを二位にする。そして七八年にはヤクルトを優勝させる。そのヤクルトに阪急が敗れるのは別の話である。
 そして彼は西武の監督になった時阪急、そして近鉄と死闘を展開する。鋭利な策士広岡の胎動はこの時には既にはじまっていたのだ。だがそれを知る者はこの時いなかった。広岡自身を除いては。
「そうか」
 西本は阪急の勝利をグラウンドで聞いていた。
「パリーグが勝ったんやな」
 彼はこう言った。阪急が勝った、とは言わなかった。
「やっと巨人を倒すことができたんやな」
 彼はそう言うとボールをトスで横にいるバッターに投げた。
 そのバッターは大きな身体を使いそれを打った。打球は一直線にスタンドに飛び込んだ。
「よっしゃ」
 西本はそれを見て言った。
「タイミングは合ってきとるわ。これを忘れるんやないぞ」
「はい」
 その男は西本に言われ頷いた。見れば外見の割に雰囲気が大人しい。
 羽田耕一であった。近鉄で西本が育てている男の一人だ。
「次は御前や、栗橋」
「はい」
 今度は左打席に別の男が入った。その男も西本からのトスを次々とスタンドに叩き込んでいく。
 見れば栗橋の後ろには多くの若い選手達がいた。彼等は皆真剣な表情でバットを振っている。
「今度はわしの番や」
 西本はふと言った。
「あいつ等はわしに恩を返した、と言ってくれた。こんなに嬉しいことはない」
 その言葉には一つのチームを育て上げた重みがあった。
「しかしわしもあいつ等も勝負の世界に生きとる。今度はわしは自分の手で日本一にならなあかん」
 彼は立ち上がった。周りでは近鉄の選手達が藤井寺のグラウンドに散らばり汗を流している。
「この連中と一緒にな。今度こそ日本一になる。その為には」
 彼はここで眦を決した。
「あいつ等も倒すさなあかん。その為にこいつ等を育ててるんや」
 選手達は黙々と練習している。西本はそんな彼等を見渡した。
「御前等やったらできる、絶対日本一になるんやぞ」
 新たな戦いの幕が開こうとしていた。勝利の美酒を味わう阪急の選手達は後にこの西本が育て上げた近鉄と二年越しの球史に残る死闘を展開することになる。
 阪急も近鉄も西本が育て上げた球団である。しかし彼等は同じ師を持ちながらその身体も心も別である。だからこそ競い合い、激しい死闘を繰り広げたのだ。
 西宮も藤井寺もシリーズが終わると練習のみに使われるようになる。そこには戦いの匂いはなくなる。
 だがそこに住む野球の神々は待っているのだ。再び激しい戦いがそこで行われることを。
 西本が育てた二つのチームは今でも互いに競い合い、熱い戦いを続けている。それは決して同じものではない。彼等はそれぞれ西本の野球を受け継いでいる。だが一つではないのだ。
 その二つの野球がこれからも行われる。人々はそれを観る為に今日も球場へ向かうのである。


恩返し    完



                                      2004・7・28


[172] 題名:恩返し2 名前:坂田火魯志 MAIL URL 投稿日:2004年08月12日 (木) 00時21分

 翌日、また雨が降った。上田はそれを自宅で見て呟いた。
「秋にはよう雨が降るもんやが」
 その言葉には溜息があった。
「幾ら何でも最後の試合の前に降らんでもなあ」
 彼はこの日で勝負を決めるつもりであった。それが適わないのが残念であったのだ。
「まあお天道さんのことは人間にはどうしようもないわい」
 彼はそう言うと窓から離れた。そして玄関に向かった。
「その間は練習や。少しでも力をつけんとあかんからな」
 彼は練習場へ向かった。そこでは選手達が既に汗を流していた。
「ピッチャーはどないや」
 彼はユニフォームに着替え室内練習場に出るとコーチの一人に尋ねた。
「悪くないですね」
 そのコーチは笑顔で答えた。
「足立は特にええですわ」
「そうか」
 上田はそれを聞いて顔を綻ばせた。彼は今日の先発の予定であった。
「じゃあ明日は期待できるな」
「はい」
 足立はこれで心配ない。どうやら試合は作れそうだ。
「あと山口はどないや」
「いいですよ」
 コーチは答えた。
「相変わらず凄い音出してますし」
「ほお」
 上田はブルペンを覗き込んだ。そこでは山口が投球練習を行っていた。
 ミットからあの重い音が響いてきている。上田はそれを見ながら目を細めていた。
「明日のトリはいつも通りあいつで決まりやな」
「そうですね。それでよろしいかと」
「よし」
 上田は頷いた。そしてブルペンから離れた。
 今度は野手陣の方へ行った。こちらには特に心配はしていない。
「問題はピッチャーだけやからな。巨人のピッチャーやったら何とかなるわ」
 上田は巨人投手陣の実力をこの三試合で見抜いていた。これなら大丈夫だと思っていた。
 実際に巨人投手陣は阪急打線に対して抑える自信を失っていた。それが長嶋の悩みの種だった。
 だが巨人打線は違っていた。山口を見ているうちのそのボールの軌跡を見極めかけていたのだ。
「山口のボールはストレートがくるとわかっていても打てるものじゃない」
 よくこう言われた。だがそれは普通の状態の時だ。彼も調子が悪い時がある、疲れもたまっていくのだ。
 特に山口のように小柄で身体全体を使い剛速球を投げるピッチャーはそうである。それは意識しなくとも蓄積していくものだ。
 上田がブルペンから離れてから暫くした時だ。山口のボールのキレが落ちた。
「?」
 それに気付いたのはブルペン捕手だけだった。だがそれはすぐに元に戻った。
「気のせいか」
 彼はそう思った。そして山口のボールを返した。
 その時巨人ナインは必死に練習していた。バッターはただ速球だけを投げさせ、それを打っていた。
「まだだ、そんなことで打てると思っているのか!」
 長嶋の声が響く。彼は選手達から目を離さずただひたすら練習させていた。
 全ては山口を攻略する為だった。その為だけに練習をさせていた。
 巨人ナインは汗だくになりながらも練習を続ける。まるで何かに取り憑かれたかのように。
 こうしてその日は終わった。次に行われる死闘の前奏曲として。

 第四戦、阪急の先発は予定通り足立であった。巨人の先発は堀内である。
「おい、しゃもじ、わざわざ阪急の日本一決める為に出て来てくれたんやな!」
 堀内はその顔の形からそう仇名されていた。
「御前みたいな老いぼれ出すとは長嶋もよっぽどヤキがまわっとるな。とっとと打たれて帰れや!」
「その前に阪急の胴上げ見てからな!」
 阪急もまた関西の球団である。ファンのマナーはお世辞にもいいものではない。関西で最も人気があるのは阪神だがパリーグになるとこの阪急の他に近鉄、南海がある。いずれも阪神ファンとかけもちの者も多くその野次は極めて酷いものであった。
「まるで甲子園に来たみたいだな」
 巨人ナインはその野次を聞きながら言った。
「連中もまるで阪神みたいな顔しとるわ」
 そう言って阪急側のベンチを見る。彼等はもう勝ち誇った顔で巨人ベンチを見ていた。
「そうはさせるか」
 主砲である王が言った。
「勝負というのは最後まで諦めては駄目だ」
 彼はそのあまりにも苛烈な勝利への執念で知られている。王貞治の辞書には敗北、諦念、容赦、手加減、手抜きなどという一連の言葉はない。ただ勝利、それだけがあるのだ。
 その王の執念が巨人のベンチを覆った。上田は迂闊にもそれに気付かなかった。
「今日で決めるんや」
 彼の頭の中にはそれしかなかった。
「今日でわし等の悲願が達成されるんや」
 巨人を破っての日本一、それこそが彼の、阪急の望みであった。
「悪太郎、とっとと打たれろ!」
「しゃもじは米櫃に帰れ!」
 彼の後ろから阪急ファンの罵声が聞こえてくる。彼はそれを自軍へのエールのように思えた。
「お客さんの為にも勝たなな」
 人気がないと言われるパリーグでも阪急の人気のなさは際立っていた。昨年日本一になった時でも観客の入りは悪かった。
 だがそれでもいつも来てくれたのがその僅かなファン達であった。上田はそんな彼等に深く感謝していた。
「おい」
 彼はナインに顔を向けた。
「今日で決まりや」
「はい」
 阪急ナインは頷いた。そして一斉にベンチを出た。
 阪急ナインが位置についた。そして遂に試合がはじまった。
 まずは福本の先頭打者アーチが出た。阪急は三試合連続で先制点を挙げた。
「よし、これでこのまま突っ切れ!」
 ファンが叫ぶ。試合はこれで阪急に大きく傾いた。巨人も王のホームランで同点にするがすぐに逆転される。こうして二対一のまま試合は五回に入った。
 五回表柴田勲がスリーベースを放った。上田はそれを見て不安を覚えた。
「足立のやつ、疲れとるんか!?」
 ふとそう思った。それは忽ち彼の心を支配していく。
「まずいかも知れんな」
 それはすぐに彼の心を完全に支配した。彼は急いでベンチを出た。
「ピッチャー交代」
 彼はいささかせわしい動作で主審に伝えた。
「えっ、もう交代か!?」
 それを見た阪急ファンは以外に思った。
「足立はまだいけるやろ。こういう時には粘ってくれるし」
 彼等はそう思っていた。だが上田はそうは思わなかったのだ。
「ここでもし打たれて同点になったら」
 上田はそれを恐れていたのだ。そうなっては今日勝つことはできない。今日何としても勝たねばならない。彼はそう考えていたのだ。
「シリーズは三回負けてもいい」
 後に西武の黄金時代を築いた知将森祇晶はこう言った。この言葉はシリーズを考えるうえで非常に重要であると言ってよいであろう。
 すなわち三試合は捨ててもいいわけだ。そう考えると余裕ができる。
 とかくマイナス思考の多い人物だと言われる。森は巨人で正捕手を務めていた頃から陰気なイメージがありファンからもあまり好かれていなかった。特にピッチャーやピッチャー出身の監督、コーチ、解説者達からは今でも徹底的に嫌われている。彼は意に介していないようだが。
 だが彼が知略の持ち主であることに変わりはない。彼のこの言葉はシリーズにおける戦略、戦術を考えるうえで非常に有益なものだ。
 三敗までは許される、そして最後に四勝すればいい。簡単に言えばそうだ。シリーズを七戦まであると考えその中で作戦を組み立てる。彼はシリーズ全体を冷静に見てそこから分析するのを常としていた。
 上田は明らかにこの時それを忘れていた。冷静さを失っていたのだ。
「今日勝って西本さんに・・・・・・!」
 彼はチラリ、と藤井寺の方を見た。
「誰ですか?」
 主審はそんな上田に対して問うた。
「ん!?」
 上田はその言葉にハッとして顔を主審に戻した。
「あの、ですから次のピッチャーは誰かと」
「言わんかったか!?」
 上田は逆に問うてきた。
「言ってませんよ」
 主審は思わず苦笑した。
「ああ、そうやったか、すまん」
「監督、しっかりして下さいよ」
 主審も思わず苦笑してそう言った。
「じゃあ山口な」
 彼は言った。最初からこう決めていた。
「最後は山口で決める」
 マウンドに山口が姿を現わす。それを見た阪急ファンの興奮は頂点に達した。
 巨人ベンチは山口の投球を見守る。相変わらずミットから派手な音が聞こえてくる。それを聞くだけで戦意を喪失している者すらいる。
「ワンちゃん」
 長嶋はそれを見ながら傍らに立つ王に声をかけた。
「山口のボールどう思う」
 彼は山口の投球から目を離すことはなかった。
「そうですね」
 王も同じだ。二人はそのボールを凝視している。
「第一戦、第二戦の時とは違いますね」
 王はその鋭い眼でボールを見ながら言った。
「ほんの少しですが球威もスピードも落ちています。その証拠に今日は見えます」
「そうか、ワンちゃんもそう思うか」
 長嶋はそれを聞いて頷いた。それで充分であった。
「もしかすると」
 長嶋は言った。
「もしかできるかもね」
 少し妙な言い回しであったがそれが彼独特のものであった。長嶋は山口から上田に目を離した。
「向こうは焦ってるな」
 上田のせかせかした様子は彼からもわかった。
「焦ったら負け、とは言うけれど」
 ふと小さい頃母親に言われた言葉を思い出した。
「上田さん少し焦り過ぎだねえ」
 他人事のような言葉だが上田の今の状況をその勘で的確に見抜いていた。やはり長嶋の勘は凄かった。この時でシリーズの流れは微妙に変化しようとしていた。
 山口は六回まで無事に抑える。阪急ファンはもう勝ったつもりでいる。
「いいぞボロ負けジャイアンツ!」
「全敗ジャイアンツ!」
 中日の応援歌をもじった歌の歌詞まで叫ばれていた。もう勝利の時を指折り数えている状況であった。
「いよいよやな」
「ああ」
 彼等は首を長くしてその時を待っていた。そしてそれは上田も同じであった。
「長い試合やなあ」
 彼は顔を顰めて呟いた。
「え!?」
 コーチがその言葉に思わず顔を向けた。
「ああすまん、独り言や」
 上田はそれに対してそう言った。だが顔はそのままである。
(いつもの監督と違うな)
 そのコーチだけではなかった。ベンチにいる全ての者がそう思った。
 だが彼等も同じであった。九回が終わるのを今か、今かと待っている。 
 自然と攻撃が荒くなる。やがて巨人投手陣に何なく抑えられていく。
 しかしだからといって巨人ファンの怖れがなくなることはなかった。
「あんな化け物打てるはずがない」
 球場にいる者もブラウン管の向こうにいる者もそれは同じ意見であった。
 しかし巨人ナインは違っていた。次第にではあるが山口のボールに目が慣れてきていた。
「もしかすると」
 彼等はそう思いはじめていた。
 そして七回、その『もしか』が実現した。
 何と山口からタイムリーをもぎ取ったのだ。これで同点となった。
「なっ!」
 これに驚いたのは巨人ファンだけではなかった。阪急ファンも驚いた。
 特に阪急ナイン、とりわけ上田の驚きは大きかった。彼は一瞬その顔を青くさせた。
「まだ同点ですよ」
 そこでコーチの一人が言った。
「そやな」
 上田はその言葉に冷静さを取り戻した。
「シーズンでもこういうことは幾らでもあったわ」
 彼は落ち着いた声でそう言った。
「こっから逆転すればええわ」
 その阪急の攻撃である。助っ人であるボビー=マルカーノの声が聞こえる。
「ダイジョーーーブ!ボク達が打ってヤマグチ助けよーーーよ!」
 こうした時彼はあえてこう言ってナインを奮い立たせる。攻守に優れているだけでなくこうしたベンチのムードを明るくさせる陽気さが彼の素晴らしさであった。
 だが一度気が乱れた打線の士気を元に戻すのは容易ではない。阪急は巨人の決死の防御の前に得点することができなかった。こうして試合は九回表に入った。
 山口はランナーを一人背負っていた。打席にはX9戦士の一人柴田がいる。
「高めの速球でくるな」
 柴田はそう思っていた。山口の最大の武器だ。
 今まではとても打てるものではなかった。だが今は違う。その剛速球に次第に慣れてきていた。
「今までどんな速い奴も打ってきた、そして勝ってきた」
 彼はこれまでの戦いを思い出しながら山口を見据えている。
「ここでも勝つ、幾ら相手が化け物でもな」
 構えた。そしてマウンドに仁王立ちする山口と対峙した。
 山口も彼から目を離すことはない。全身から凄まじいオーラを発しながら立っている。
「ストレートだ」
 山口はキャッチャーのサインに頷いた。そして投球に入った。
 そのまま投げる。全身を使った豪快なフォームからボールが放たれる。
「来た!」
 柴田はそのボールを見て心の中で叫んだ。そしてバットを思いきり振った。
「いけえーーーーーーーっ!」
 バットに全身の力を込める。白球はそのバットの芯に当たった。
「ぬぬぬぬぬうっ!」
 凄まじい衝撃がバットから全身に伝わる。危うく力負けしそうになる。落ちているとはいえ信じられない力だ。
「だが!」
 柴田は負けなかった。そのまま渾身の力で振り抜こうとする。
「ここで打たないで何時打つというんだっ!」
 バットをスタンドに放り投げるつもりで振り抜いた。打球はその力を受け一直線に飛ぶ。
「何っ!」
 グラウンドに、そしてベンチにいる阪急ナインが思わずボールを追った。上田も身を乗り出した。
 その時には終わっていた。ボールはスタンドに突き刺さっていた。
「おおーーーーーーーーっ!」
 巨人ベンチだけではなかった。ファンも叫んだ。柴田の土壇場での値千金のアーチであった。
「やっぱりこういう時には頼りになる奴だ!」
 柴田は意外にパンチ力があった。王、長嶋のかわりに四番を打ったこともある。これは彼だけである。
 柴田はダイアモンドを回る。上田はそれを苦渋に満ちた顔で見ていた。
「こんなところで打つかい、山口から」
 彼は勝負あったと悟った。だが彼はまだもう一つ重要なことには気付いていなかった。
「ナイスですねえ、柴田君」
 長嶋はいつもの調子で柴田を出迎えた。
「どうだった、山口のボールは」
「監督の思われるとおりですよ」
 柴田は不敵に笑って答えた。
「ううん、そうかい。それはナイスだねえ」
 彼はそれを聞くとにこやかに笑って言った。
「じゃあ明日も行くか。リラックスしてね、リラックスして」
 彼はこの試合は勝ったと思った。実際にその裏阪急は無得点に終わった。
 巨人は土壇場で勝った。しかも阪急の誇る最強の切り札を打ち崩した会心の勝利だった。
「まだ一敗や」
 上田はベンチを去る時こう呟いた。
「王手はかけとる、あとは息の根を止めるだけや」
 確かにその通りであった。あとは切り札を投入すれば勝てる、そうした勝負であった。
 しかし彼はやはり気付いていなかった。その切り札の様子に。
「なあ、山口のボールやが」
 球場をあとにする阪急ファンの一人が一緒に来ていた友人に声をかけた。彼もまた阪急ファンである。
「いつもより球威がなかったんちゃうか?」
「そうか!?」
 どの友人はその言葉に首を傾げた。
「柴田のホームランは運がないだけやろ。山口はコントロールが悪いからど真ん中に入ったんやろ」
 確かに山口はコントロールが悪かった。だがその剛速球はコントロールなぞものともしない程のものであった。
「そやろか」
 彼は友人の言葉に賛同しかねた。
「これでこのシリーズ三回目の登板やしな。それにシーズンも働きづめやったし」
 彼は山口に疲れがあるのではないか、と考えた。
「まさか、去年もこんなんやったぞ」
「去年からやな」
 二年越しの活躍である。その間剛速球一本でやってきた。変化球もあるが彼の武器はやはり速球である。
 身体には負担がかかる。ましてやあの小さな身体でダイナミックなフォームで。もしかするとかなり疲労が溜まっているのでは、彼はそう思った。
「安心せんかい、明日は勝つで」
 友人は心配する彼に対し笑顔で言った。
「西宮で胴上げや。ウエさんが巨人の前で高々と上がるのを見ようで」
「ああ」
 彼は笑顔を作った。そして答えた。
「じゃあ帰ろか。そんでビール飲んで今日のことは忘れるんや」
「ああ」
 二人は別れた、そしてそれぞれの家路についた。
 だがその間も彼は顔が晴れなかった。やはり山口は普段の山口ではなかった。
「大丈夫やろか」
 彼は不安になった。今まで巨人に敗れ続けた忌まわしい記憶が脳裏をよぎる。
「いつも勝てる、っちゅう戦力で挑んで負けてきたんや」
 阪急のこれまでの歴史は常にそうであった。巨人に挑み続け敗れ去る。闘将西本は遂に阪急で日本一の胴上げをされることはなかった。
「もしかしたらまた」
 そう思うと自然に俯いてしまう。それを止めることはできなかった。
 彼はそのまま玄関をくぐった。そして朝になるまでそこから出ることはなかった。

「え!?」
 翌日の第五試合、阪急の先発を見た阪急ファンはマウンドに上がる男を見て思わず目を疑った。
「何であいつなんや」
 誰もがそう思った。マウンドでは山田久志が投球練習を行っている。
 彼は第三戦に先発していた。しかも完投しているのである。
 体力的にはかなりの不安があった。その彼を先発のマウンドに送るとは。
「ウエさん何を考えとるんや!?」
 そう言ってベンチにいる上田に顔を向けた。
 上田は山田の投球を腕を組み見守っていた。その顔は普段の彼のものとは違っていた。
「今日で決めるんや」
 彼はそう呟いていた。そしてマウンドの山田から目を離さない。
「監督、本当に山田でええんですね」
「ああ」
 コーチの言葉にも頷いた。
「エースで決めたる。今日でな」
「今日で、ですか」
「そや、後楽園に行ってたまるかい」
 西宮の試合は今日までである。もし次の試合が行われるとしたらそれは後楽園である。敵地である。彼はそれは避けたかったのだ。
 山田は黙々と投げている。だがそのボールには明らかに力がなかった。
「打てるな」
 巨人ナインはそれを見て思った。長嶋はナインに対して言った。
「思いきりいけ」
「はい」
 打つ動作をしながら言う。ナインはそれに対して頷いた。
 三回までは試合は動かなかった。山田も疲れが残っているとはいえまだ制球力もあった。巨人の先発ライトも力投していた。だが四回、山田の疲れが限界にきた。
 ここで巨人は攻勢に出た。一気に山田を打ち崩す。
 ここでライトが打席でも活躍した。何と山田からホームランを放ったのだ。
 これで山田は終わった。上田は中継ぎの白石静生を送った。
 続けて戸田善紀、試合は負け試合であった。だが上田はまだ焦っていた。
「!?」
 何と上田はここにきてまた山口をマウンドに送ったのである。これに阪急ファンはまた首を傾げた。
「負け試合やろ、今日は」
「何で山口なんや!?」 
 彼等はもう上田の考えがわからなかった。
「ウエさんもしかしてかなり焦っとらんか!?」
 ここで誰かが言った。
「何でや」
「顔見てみい」
 上田の顔を見る。確かにいつもの温和な顔とは違う。何かに怯えるようにカリカリとしている。
「そういえば」
「いつもとちゃうやろ。こりゃまずいかも知れんで」
「ああ」
 彼等も表情を暗くさせた。そしてグラウンドへ顔を戻した。
 試合は巨人の勝利に終わった。ベンチをあとにする山口には疲れの色がありありと映っていた。
「後楽園か」
 上田は力なく呟いた。
 三塁側では巨人ファンが騒いでいる。勝てるとは思っていなかったのだ。もうお祭り騒ぎであった。
「まだうちが勝っとるけれどな」
 口ではそう言う。しかし彼はその鋭利な頭脳で流れを掴んでいた。
「いや、そういうわけにはいかんで」
 彼は首を横に振った。
「絶対勝つ、西本さんの為にもな」
 彼は三塁側スタンドを睨みつけた。そこには憎っくき宿敵巨人軍の旗が翻っている。
「次で決める、絶対な」
 彼はベンチへ顔を向けた。
「絶対に勝つ、その為には何でもしたるで」
 彼はそう言い残しベンチから消えた。
 その足取りはやはり少しせかせかしていた。何処か落ち着かない。 
 彼の焦りは収まっていなかった。それどころか益々酷くなっていく。
 しかしそれに本人は気付いていなかった。あくまで冷静なつもりであった。
「やはり監督は普段と違う」
 それを見たナインは思った。そしてシリーズの行く末に危惧を覚えた。
「もしかすると」
 だがそれはすぐに頭の中から取り払った。縁起でもない。
 その中で一人冷静な男がいた。だがこの時は誰もそれには気付いていなかった。


[171] 題名:恩返し1 名前:坂田火魯志 MAIL URL 投稿日:2004年08月12日 (木) 00時17分

恩返し
 血は繋がっていなくとも親子の関係はできると言われている。それは当然野球の世界にも言えることである。
 阪急、近鉄の監督を務めた西本幸雄という男はよく選手達から『親父』と呼ばれた。彼は頑固で厳格な昔ながらの人物であった。だがその心は温かくそれが選手達にも伝わったのだ。
 彼は選手の育成には定評があった。阪急も近鉄も弱小球団に過ぎなかったが彼の手によって強豪となり優勝を果たした。
 その選手達でもって阪急時代には王、長嶋を擁する巨人に立ち向かった。だが遂に勝つことはできなかった。
「日本一の夢を上田君に託したい」
 彼はそう言って近鉄に去った。それから彼が近鉄を優勝させるのは六年後のことである。
 阪急は上田利治という新たな将に預けられた。彼は西本とはまた違った意味で名将であった。
 外見も性格も温和である。関西大学では阪神タイガースの永久欠番であり最早伝説ともなっている大投手村山実とバッテリーを組み関大を優勝させている。
 プロ入りはその頭脳を見込まれてのことだった。現役時代よりもコーチ時代にその真価はあった。
 彼は就任二年目で阪急をリーグ優勝に導いた。その相手は奇しくも西本率いる近鉄であった。
「勝負の世界ではよくあることやがやっぱり辛いもんやな」
 彼は近鉄に勝ったあと一言こう言った。
「しかし山口はそうやったわ。褒めてやってくれ」
 この時阪急にはゴールデンルーキーがいた。山口高志である。上田の出身校である関大のエースでありその剛速球で知られる男だ。彼が近鉄を捻じ伏せたのである。
 そして彼が阪急の悲願を達成させた。日本シリーズでも活躍し阪急は広島東洋カープを破り見事日本一となった。上田は宙を舞った。
 だが彼は少し釈然としなかった。それは選手達もであった。
「あいつ等倒さんとあかん」
 左の主砲加藤秀司が言った。
「そうやな、あいつ等」
 ショートを守り名手と呼ばれる大橋譲もそれに続いた。
「巨人や」
 福本豊が言った。
「巨人には五回もやられてきたんや」
 そうであった。巨人のX9時代阪急は五回巨人に挑んだ。そして五回共敗れてしまったのだ。
 そのことが彼等の脳裏に甦る。エース山田久志もそうであった。
「巨人に勝ってこそホンマモンや」
 その山田が言った。彼も巨人には苦渋を飲まされている。
「そうや、そして藤井寺のお爺ちゃん喜ばせたろうで」
「ああ」
 皆福本のその言葉に頷いた。そして勝利の美酒もそこそこに練習に戻った。来るべき戦いに備えて。

 その時は思ったよりも早かった。翌年である昭和五一年前年最下位であった巨人はコンバートと補強により戦力を建て直し見事リーグを制したのだ。そしてその中心には監督である長嶋茂雄がいた。
「長嶋が勝つか」
「長嶋は何をするか」
「長嶋は誰を使うか」
「長嶋が何勝するか」
 こんな話題ばかりであった。今も全く変わることのない無気味で嫌らしい偏向報道である。何処ぞの一度も兵隊を率いたことのない到底軍人とは思えぬ肥満しきった肉体の愚かな将軍様の治める国と全く同じである。結局我が国の特定の世代、特定の人々、マスコミの一部はこうした醜悪な独裁国家の崇拝者と変わるところがないのである。残念なことだがこれが現実だ。こうした連中により球界はおぞましく歪められてしまっている。
 これに対して対する阪急の選手及びファン達は面白い筈がなかった。彼等は激しい敵意を燃やした。
「長嶋の、長嶋による、長嶋の為のシリーズかい、笑わせんなや」
 ファンの誰かが言った。
「そうや、野球やっとるのは長嶋だけちゃうぞ」
 彼等にとってはたまったものではない。今もテレビでは特定の球団に極端に偏向した報道が行われる。関東では特にそうだ。あのようなものを普通に見られるのはカルト教団の信者位だろう。無念なことにこれが今の我が国の野球の現状だ。日本では野球を冒涜する愚か者は大手を振って歩けても野球を本当の意味で愛する者は少ない。
 長嶋茂雄の采配はお粗末の一言に尽きる。およそ監督としての資質はない。そのようなものは最初からないのだ。だが報道によりスターになる。かってはあの金日成もそうであった。北朝鮮は地上の楽園であった。実際は全くの逆であったが。しかし報道によってそれがなるのだ。これがマスメディアの持つ怖ろしさだ。
「ふざけんな、あんなチームに負けてたまるか!」
 阪急ナインも激昂していた。こうした報道に特に怒ったのが福本であった。彼は言った。
「おい、絶対に勝つで!」
 彼はナインに対して言った。
「あの連中ぶっつぶして西本さん喜ばしたるんや!」
 彼もまた西本に一から育て上げられた男である。その恩は海よりも深く山よりも高かった。
「そうやな、西本さんの恩返しや」
 他の阪急ナインもその言葉に奮い立った。彼等もまた西本に育てられた選手達であった。
「巨人潰しじゃ!そして今度こそわし等が勝つんや!」
 彼等の思いは一つになった。そして決戦の日に向かった。
 この時巨人ナインもファンもまさか自分達が阪急に負けるとは思わなかった。
「巨人が負ける筈ないだろう!」
 これは近頃テレビでスキンヘッドでガチャメの汚らしい愚か者が吐いた戯れ言である。この男は常に常識も理屈も道徳も全く無視したことしか口に出さないので視聴者からは激しく嫌悪されている。所謂狂人の類であるが何故かテレビに出て視聴者にその醜態を見せつけ続けている。こうした怪奇現象が今だに起こっているのも我が国だけのことである。これでは幽霊が昼に歩いても不思議ではない。全くどういうことか。
 だが我が国にはこの愚か者と全く同じレベルの知能しか持っていない者が実に多い。こうした輩が野球を駄目にし、我が国を駄目にしたのだ。こうした連中も排除しないと我が国の野球はよくはならないのだろうか。
 この連中は巨人の日本一を露程も疑わなかった。この連中には物事を相対的に見る知能はない。そのようなことは持ち得ない。巨人のやることなら正義、なのだ。まさしく独裁国家の将軍様の取り巻きそのものである。傍から見ると実に面白い喜劇であるが残念なことに我が国のでのことだ。我が国の球界にとっては悲劇である。
 その連中が夢想している間阪急ナインは必死に練習していた。勝つ為に、である。そして遂に決戦の日がやってきた。
 一〇月二三日、後楽園球場で決戦の幕が開いた。見渡す限り巨人ファンばかりである。
「フン、そこで黙って見とれ」
 阪急ナインと駆けつけたファン達は鼻で笑っていた。
「わし等もあの時のわし等とちゃうからな」
 五回も負けたあの時とは違う。彼等にはその自負があった。
 阪急の先発はエース山田。巨人は小林繁である。
 まずは巨人が先制した。後楽園の観衆はそれだけでもう勝ったつもりであった。
「この連中はホンマ何の進歩もないのお」
 阪急ファンはそれを見て侮蔑しきった顔で見ていた。彼等は阪急の力を信じていた。
「今のうちに喜んどけ、じきに真っ青になるわ」
 その予想は的中した。阪急は実力の差を徐々に出してきた。小林を攻略し逆転に成功する。
「ようやったな」
 上田はナインを笑顔で褒めた。そして同時に試合の展開を考えていた。
「問題は山田を何時替えるか、やな」
 今日の山田の調子は普通位か。彼はそう見ていた。
「七回までやな」
 彼は山田は七回まで、と見た。
「あとの二回はこいつを出すか」
 そこでベンチに座る一人の小柄な男に顔を向けた。彼が山口であった。
 阪急二点リードで七回に入る。山田はここまでのつもりだ。
「さて、とここを抑えたらあとはもう乗り切れるで」
 上田はそう見ていた。確かにそうであった。だが計算通りにいかないのが野球である。そしてこの時もそうであった。
 打席には王がいた。彼はその全てを威圧する目で山田を見ている。
「相変わらず怖ろしいやっちゃな」
 上田はそれを見て呟いた。彼には今までのシリーズでどれだけ煮え湯を飲まされたか。
「しかし今度はそうはいかん、勝たせてもらうで」
 だがここで王がその力を見せた。山田のボールをスタンドに叩き込んだのだ。同点ツーランであった。
「な・・・・・・」
 山田が打たれた。それも王に。上田の脳裏でその煮え湯を飲まされたあの時が浮かんだ。
 昭和四六年日本シリーズ第三戦。この時九回裏のマウンドにいたのは山田であった。
 試合は一対零で阪急が勝っていた。山田は巨人打線を見事に抑え試合を進めていた。そして九回になったのである。
 打席には王がいたランナーは二人。だが山田は臆するところがなかった。
「試合後のインタビューはどう答えようかな」
 彼はそう考えていた。そして王に対して投げた。
 王はそのボールから目を離さなかった。そしてバットを一閃させた。
「!」
 それは一瞬のことであった。王のバットスイングは速い。到底見られるものではなかった。
 ボールは一直線にライナーでライトスタンドに向かっていく。そしてそのまま飛び込んでいった。
 逆転サヨナラスリーラン、そのシリーズの流れを決定付けたあまりにも有名な一打であった。
 そして阪急は敗れた。上田はそれを思い出したのである。
「これはまずい・・・・・・」
 あの時の悪夢は今でもはっきり覚えている。上田はそれを思い出したのだ。
 それを取り除くにはあれしかない、そう考えた彼はすぐに動いた。
「ん、ピッチャー交代か?」
 観客はベンチから出て来た上田を見てそう言った。
「そうやろうな、もう四点やしな、ここらが潮時やろ」
 阪急ファンそれに納得していた。そして同時に彼等はあることに期待していた。
「出て来るで」
 誰かがニヤリと笑いながら言った。
「ああ」
 他の者もそれに頷く。やがてアナウンスの放送が入ってきた。
「ピッチャー、山口」
 それを聞いた阪急ファンはニヤリ、と笑った。やがて背番号一四を着けた小柄な男が姿を現わした。
「あれが山口か」
 後楽園を埋め尽くす巨人ファンはその男を見て鼻で笑った。
「あんな小さい奴知らんのう、誰だあいつ」
「去年の新人王らしいぞ」
 誰かが言った。その声も小馬鹿にしたものだった。
「どうせパリーグだろう、大した奴じゃないよ」
「いや、球がやけに速いらしいぞ」
「そんなものは噂だろう、江夏や村山程じゃないさ」
「そうだな、王も長嶋も連中を何なく打てたんだ。巨人にあんな小さい奴が通用するかよ」
 彼等はマウンドに上がる山口を見ながらそう話していた。完全に彼を舐めていた。
 こうした愚か者が実に多いのも巨人ファンの特徴である。しゃもじを持って野球通とわめいている男の知能なぞはそこらの犬か猫の方が余程賢い位だ。人間の言葉を話しているから頭がいいとは決して限らないことのいい見本である。こうした知能の劣悪な輩が我が国の野球を腐敗させたのは言うまでもない。
 さて、阪急ファンは違っていた。彼等も確かに笑っていた。だがそれはそうした愚か者共に対する侮蔑の笑みであった。
「今にみとれ」
「もう少しで黙るさかいにな」
 彼等は愚か者共にこれ以上ない冷ややかな笑みを浴びせていた。そしてグラウンドに顔を向けた。
「山口、頼んだで」
 そこには山口がいた。彼は大きく振り被った。
 大きく弧を描く様な右腕の動き。そして身体全体を使って投げる。思いきり腕を振り下ろす。怖ろしいまでにダイナミックな投球フォームだ。
 そこからボールが放たれる。それは見えなかった。
 暫く、といってもほんの一瞬であった。ミットからドスーーーーン、という重い音が響いてきた。
「・・・・・・・・・」
 その音は球場全体に響いていた。それを聞いた後楽園の聴衆は話すのを止めた。
 山口はまた投げた。そしてまた重い音だけが響いてきた。
 暫くして巨人ファン達がボソボソと囁きはじめた。その顔は蒼白となっていた。
「何だ、今のは」
 彼等は山口を横目で見ながら囁き合っていた。
「今投げたよなあ」
「音が聞こえただろ」
 そこでまたあの重い音が球場に響いた。
「見えないぞ」
「けれど投げてるんだろ、あの音聞こえるだろ」
「ああ、しかし」
 山口は確かに投げている。だがそのボールが見えないのだ。
 理由は簡単であった。山口のボールは速いのである。あまりにも速いのだ。それは横からはまともに見えない程に。
 巨人ベンチも完全に沈黙していた。長嶋も王も呆然としていた。
 彼等このその江夏、村山がその全力を以って挑んだ相手であった。彼等だけではない。金田正一、外古場義郎、権藤博、秋山登といった大投手達もその速球でもって彼等に挑んできた。だが彼等はそれをことごとく打ち崩してきた。
 その彼等が呆然としていた。かって速球派として知られた巨人のエース堀内恒雄も顔を真っ白にしていた。
「今まで見たなかで一番速い」
 球場にいるある老人がそう呟いた。彼は戦前からプロ野球を見ていた。
 彼の自慢は一つあった。それは極盛期の澤村栄二やスタルヒンといった伝説の投手達のボールを見たことであった。
 山口のボールはそれ程までに速かった。実は彼は昨年のシリーズにおいても登板していた。
「あれはとても打てるものじゃない」
 広島の主砲山本浩二はそう言った。彼は山口の真ん中のストレートを空振りしていたのだ。
「真ん中にくるのはわかっていた」
 彼は試合後言った。
「だが打てるものじゃない。ノビも球威も桁外れだ。あんなの打てる人間はこの世にはおらんわ」
 彼も驚きを隠せなかった。広島の誇る赤ヘル打線は山口の前に沈黙した。そして阪急は広島に一敗もすることなく日本一となったのである。
 その山口が今巨人の前に姿を現わした。巨人は怪物を向こうに回しているのをこの時ようやく悟った。
「今更気付いても遅いで」
 阪急ファンは顔面蒼白となった巨人ファンとナインを見て笑った。
「山口の凄さ、今からよく味わうんや」
 この試合はこれで終わりだった。山口の投球練習だけで巨人ナインは沈黙してしまった。
 やはり打てない。ボールがミットに入った後でバットを振る始末だ。これでは打てる筈がない。
「バットにかすりもしないのか・・・・・・」
 巨人ファンは無念の表情でそう呟いた。やがて阪急が突き放しまずは阪急が勝った。
「まずは一勝か」
 上田はベンチに戻ってくる山口を見てそう呟いた。
「どうやら敵さんはかなり萎縮しとるな」
 彼は巨人のベンチを見た。まだ山口のボールの衝撃から目が醒めないようだ。
「流れはうちに大きく傾いとる」
 伊達にその頭脳を買われて球界に入ったわけではない。彼は流れを素早く読み取っていた。
 あとは一気に攻め立てる。西本以来の阪急の攻め方だ。
「巨人といえど昔とは違う。勝たせてもらうで」
 上田はそう言うとベンチをあとにした。彼はこのシリーズの勝利を確信していた。

 その次の日は雨だった。試合は当然流れた。
「雨位でうちの勢いは消えんで」
 上田はその雨を見上げて言った。前では室内練習場で選手達が汗を流している。
 皆その顔には覇気があった。誰もが勝利を確信していた。
 対する巨人の練習風景はまるでお通夜のようであった。それを見た誰もがシリーズの結末を予想した。
 翌日第二試合が行なわれた。阪急はベテラン足立光宏を投入してきた。巨人の先発はライトである。
 足立はベテランらしい投球で巨人打線を抑える。阪急打線はライトを打っていく。試合は阪急有利に進んでいった。
 そして最後は山口を投入した。そして危なげなく二勝目をあげた。
「巨人には今まで散々痛い目に遭わされてきたからな」
 足立はベンチでうなだれる巨人ナインを横目で見ながら言った。
「今度は負けるわけにはいなかい。絶対に日本一になる」
 彼は自慢のシンカーで巨人打線を抑えた。そして山口も第一戦と同じく剛速球で巨人打線を抑えた。 
 だがここで巨人は見抜いたものがある。山口のボールの軌跡だ。
「もしかしたら」
 彼等は思った。
「打てるかも知れない」
 今の山口は無理だろう、今の巨人打線では。しかし。
 目が慣れてきていた。彼が少しでも調子を落とせば打てるかも知れない、そう思いはじめた。
 上田はそれに気付いていなかった。彼は流れが阪急のものであると確信していた。そしてそれが山口の剛速球にあるものだと思っていた。
「山口の球は誰にも打てん」
 確かにそうだった。今の山口は。
 だが山口は機械ではない。疲れもするし調子の波もある。彼も人間なのだ。
 普段の上田ならばその程度のことは充分考えられた。だが彼は焦っていた。
「流れは急に変わるもんや」
 長い野球生活でそれは嫌という程味わっていた。それが去った時程悲惨なものはないということも知っていた。
 彼は残る試合全て何としても勝つつもりだった。そして巨人を捻じ伏せるつもりだった。
「それが阪急の野球や」
 そうであった。西本以来の阪急の野球である。ペナントはいつもそうして勝っていた。
 だが何故西本はいつもシリーズで勝てなかったか。上田はそれをこの時考えていなかった。
 西本はよく余所行きの野球はするな、と言った。だがシリーズでは相手を意識してよく普段とは違う野球をした。そして敗れた。
 昭和三五年のシリーズはその最たるものだろうか。第二戦、西本は一死満塁のチャンスでスクイズを命じた。
 結果は失敗であった。これがシリーズの流れを決定付けてしまった。
 これに激怒した大毎のオーナーである永田雅一により解任された。この時大毎の売りはミサイル打線と呼ばれる強力打線であった。それなのにスクイズという消極的な戦法を採ったからだ。
 この時そのミサイル打線は下降線にあった。そう考えるとこのスクイズは妥当であった。確かにそうである。若し併殺打ともなれば事態はより悲惨である。
 しかしこう言う人がいる。ペナントの西本ならばあそこでスクイズは命じなかった、と。この時の彼は明らかに普段とは違う采配、余所行きの野球をしてしまったのだと。
 上田はそれをよく知っていた。だが彼は焦っていた。勝利を急いでいた。
 勝負の世界では決して急いではならない。さもなくばそこに隙ができるからだ。
 上田は頭の回転の早さで知られる知将である。だがこの時は早く回り過ぎた。
 そしてそれが仇となっていく。だがこの時彼はそのことをまだ知らなかった。

 第三戦、阪急は山田を投入した。舞台は阪急の本拠地西宮に移っていた。雨の影響もあり山田を先発させることができた。休養を充分にとれた山田は絶好調だ。上田はこの試合も勝利を確信していた。
 本拠地だけあって阪急打線もいつもより元気があった。巨人投手陣を次々に打ち崩していく。
 山田は危なげなく投げる。上田はそれを見てにこにこと笑った。
「今日はあいつに任せていればええわ」
 試合は何なく終わった。山田は巨人打線を三点に抑え見事勝利投手となった。
「遂に王手ですね」
 記者達は上田を取り囲んで言った。
「そうやな」
 上田は表情を押し殺していたつもりだがやはりそこには笑みがあった。
「このまま勝つつもりですか」
「相手がおるからなあ」
 そう言いながらも確かな手ごたえを感じていた。
「しかしここまでいくとすんなりいきたいな。西本さんもそれを望んではるやろうし」
「危ないな・・・・・・」
 それをテレビで見ていた男がそれを聞いた瞬間言った。その西本幸雄本人である。彼はこの時近鉄の若い選手達にせっせと教えその合間の休憩をとっていたのだ。
「上田は焦っとるな」
 彼にはそれが手にとるようにわかった。その顔に陰が生じていく。
「焦りは禁物や。焦った時勝負は負けや」
 彼自身がそうであった。彼はシリーズでは常に勝利を焦ってしまった。そしてことごとく敗れてきたのだ。
 戦力差、それを感じたことはなかった。その時を振り返るといつも勝利を焦る自分自身の姿があった。
「上田にはよく教えた筈やが・・・・・・」
 上田もまた西本の弟子であった。彼もまた巨人に対しては激しい敵意を燃やしていた。
「忘れとるか。そえが命取りになるな」
 見れば彼の後ろにいる阪急ナインも同じであった。それどころか巨人ベンチを完全に舐めた顔で見ている者までいる始末だ。西本はそこに危機を感じた。
「わしがあそこにいたらぶん殴ってでも目を醒まさせるんやが」
 だがそれはできない。彼は今藤井寺にいるのだ。西宮にいるのではない。
「誰かが気付いとったらええんやがな。それか全く動じとらん奴がおるか」
 彼はここで一人の男を思い出した。
「足立はどう思っとるやろな。あいつやったらもしかすると」
 だがここからは足立の姿は見えない。映像は巨人のベンチに移っている。
「監督」
 そこでコーチの一人がやって来た。
「お、休憩終わりか」
 西本はそのコーチに顔を向けた。
「はい」
 そのコーチは頷いて答えた。
「じゃあ行くか」
 西本はテレビのスイッチを消して席を立った。
「あの連中をまたしごいたろかい」
 彼は部屋を出た。その時彼は見なかった。テレビに消える瞬間の巨人ナインの顔を。
 それは勝負を諦めた男の顔ではなかった。意地でも食らいつく、そうした飢えた狼の如き顔であった。


[170] 題名:死んだふり2 名前:坂田火魯志 MAIL URL 投稿日:2004年08月09日 (月) 02時48分

 次の試合阪急のマウンドには米田が上がった。
「やっぱそうきたか」
 野村は彼の姿を見て言った。
「今日は捨て試合かもな」
 彼は覚悟した。まだ一敗できる、そういう計算もあった。
 やはりこの試合阪急は勝った。米田は南海打線を佐野嘉幸のホームラン一本で捻じ伏せた。対する阪急打線は南海投手陣を打ち崩し十三点をもぎ取った。これで勝負はふりだしに戻った。
「これで互角や」
 試合終了後西本は腕を組みながら言った。
「互角になったらこっちのもんや」
 ここまでくると戦力がものをいう。西本はそれがわかっていた。
「一気に叩き潰したる」
 そう言って監督室に消えた。
 対する野村は案外サバサバした顔であった。特に肩を落とすことなく帰りのバスに向かった。
「明日やな」
 そして記者達に対して言った。
「決まるのは」
「え、ええ」
 そのあまりにもあっさりとした態度に記者たちの方が困惑した。
「まあ見ていてくれや」
 野村はニヤリと笑って言った。
「明日全てが決まるで」
 それだけ言うと彼はバスの中に消えていった。
「野村さん今日の負けでヤケクソになったか!?」
 記者の一人が首を傾げながら言った。
「かもな。あれじゃあ何もできんわ」
 他の記者が相槌をうつ。
「阪急と南海じゃあ戦力差がありすぎる」
 それはプレーオフの開始前から言われていたことであった。
「結局この差をどうにもできないまま終わるんだろうな」
「そうだろうな。結局頭では阪急のパワーには勝てんわ。やっぱり野球は頭だけでどうにでもなるもんとちゃう」
 彼等は口々に言う。
「明日は西本さんの胴上げや」
 そしてその言葉で終わった。彼等も取材を終え会社へ戻って行った。

 野村はバスの中で一人考え込んでいた。
「明日は山田が出て来る」
 阪急が誇る若きエースである。西本が育て上げた最高の投手の一人だ。
「おいそれと打てる奴やない。この前は打てたがな」
 負けたとはいえ打てた。だがそれに心理的余裕は感じなかった。
 今日の練習を覗き見たが山田の調子はいい。あれでは容易に打てそうもない。
「何もかも超一流や。まるでスギみたいな奴や」
 彼は自分が受けた中で最も凄いと確信する男の名を呟いた。
「球威もコントロールもズバ抜けとる。しかも頭もある」
 彼は考えを巡らし続けた。
「おまけに気まで強いか。ホンマに難儀なやっちゃで」
 ここで彼は以前彼と雑談した時のことを思い出した。
「野村と話はするな」
 よくこう言う者がいた。オールスターでも南海以外の投手達は彼とバッテリーを組むことを嫌がった。それは何故か。
 盗まれるのである。野村はそのピッチャーの球を投げさせ受ける。その時彼はボールから目を離さない。
「野村さんはセリーグと戦っているんじゃないんだよ」
 ある他球団のピッチャーが言った。
「俺達と戦っているんだ。そしてボールから色々調べるのさ。そしてそれを後半や次のシーズンに使ってくる。全く食えない人だよ」
 そういう男であった。優勝チームの旅行にも追いかけるようにして行った。
「何でこの時期に行くんですか?」
 誰かが尋ねた。
「決まっとるやろが」
 ここで彼はニンマリと笑った。
「王や長嶋から巨人のサインのことや戦略を盗み聞きする為や。そでなかったら寒いヨーロッパなんか行くかい」
 この時の旅行はフランスの航空会社の招待でヨーロッパ旅行であった。当然行くのは巨人である。
 彼等の作戦等を仕入れそれをシリーズに使う為だ。これが野村であった。
 ペナントにおいてもそうであった。とにかく山田を打てない。
「凄いやっちゃで」
 そう言いながらノートをつける。そこには山田のデータがびっしりと書き込まれていた。
「どういう時に何を投げるか」
 野村はそれを細かいところまで観察していたのだ。
 西本の采配も見ていた。これは案外わかりやすかった。
「やっぱセオリーに忠実なお人やな。間違ったことはせん」
 西本の戦術はオーソドックスである。強気な采配であるが基本からははみ出ない。
「やっぱりあのスクイズは異色やな」
 昭和三五年の日本シリーズでのことを言っているのである。これがあのシリーズのターニングポイントとなった。
「まああれが間違っとるとは思わんがな」
 野村は自分でもああしたかも知れない、と思った。野村もその采配は実はオーソドックスなのである。だが彼は細かいところが西本と違う。
 西本は奇襲を好まないところがあった。あくまで正面からぶつかる。しかし野村は時として奇襲を使う。
「あいつの奇襲はホンマに思いもよらんところでやりおるわ」
 ある時西本は苦笑してこう言った。彼も野村のその巧みな采配に苦しめられていたのだ。
「監督の仇は俺がとりますよ」
 山田は不敵な笑みを浮かべてこう言った。
「南海は」
 彼は野村に対して言った。
「面白いですね、知恵比べと力比べ両方できるんですから」
「何でや」
 野村はそこで聞いた。
「野村さんとは知恵比べ、門田とは知恵比べ。近鉄の鈴木さんとやる時とはまた違った意味で面白いです」
 彼はここで近鉄にいるライバルの名を出した。
「鈴木とは投げ合いやしな」
 野村はここであえて表情を殺して言った。
「ええ。投げ合いもいいですがバッターとの勝負もいいです」
 彼はあくまで勝負を楽しむタイプであった。
「力で勝った時も知恵で勝った時も嬉しい」
「わしや門田にとっちゃあ負けたから嬉しくないわい」
 ここで嫌味を入れる。
「けれどそれこそが勝った証拠ですね。力比べと知恵比べ、同時にできる南海戦は本当にいいです。僕はそうした意味で鈴木さんのいる近鉄と野村さん、門田のいる南海には負けたくないですね」
 後阪急と近鉄は足掛け数年にも及ぶ激しい死闘を展開する。兄弟球団でありながら宿敵関係にある両球団の長い死闘の中でもハイライトである。
 その山田である。さて、どう攻略するか。
「ストレートにカーブ、シュート」
 山田は球種も結構ある。
「そしてシンカーか」
 そして最大の武器はシンカーである。その切れ味はまるで日本刀のようであった。
 右打者の膝のところに鋭く斜めに落ちるそれを打つのは容易ではなかった。先輩の足立光宏に教えてもらったこのボールが山田を山田たらしめていたのだ。
「こういったことは全部頭の中に入れとかんとな」
 野村はこのことだけは決して記者達には言わなかった。
「さもないと西本さんや山田に知られてまうわ。頭の中だけにしとかんと」
 そうすれば彼等も対策を打ってくる。そうなれば何の意味もない。
「こっちの手は見せとるしな」
 彼は西本の前であえて言った継投策のことを思い出していた。
「あれで惑わされるような人ではなかったな、やっぱり」
 第一戦では勝利を収めたものの第二、第四戦では敗れた。だが一勝できただけでもよしとするか、とここでは考えることにした。
「問題はこれからや」
 そうであった。泣いても笑っても次で決まるのだ。
「山田、あいつを打つことで全てが決まる」
 確かに南海の打線は弱い。しかし。
「手の内さえわかればどうにかなるもんや」
 彼はそう思いながらバスに揺られて宿舎に向かった。
 この時西本は監督室にいた。そして山田を前にしていた。
「明日は御前に全部任せた」
「はい」
 山田は眦を決して答えた。
「心配する必要はない、今の御前は誰にも打てるもんやない」 
 あえてここで褒めた。普段は自分のチームは口ではあまり褒めないというのに。
「だからそのまま捻じ伏せていけ、完全試合でも何でも好きなのを狙っていくんや」
 あえてこう言い発破をかけた。これが西本の深謀遠慮であった。
 試合をするのは選手である。ならば選手がその力を発揮せねばならない、西本はそう考えていた。
 彼は小細工を弄する男ではなかった。魔術と呼ばれるような奇策もとらない。あくまで選手を育成しその力で勝利していく。言うならば王道であった。
 だがそうだからといって采配をおろそかにはしていなかった。この山田にかけた言葉がそれであった。
「あいつは一発病がある」
 それはどうにもならない。しかし。
 ならば打たれないようにするだけだ。山田はそれが可能なピッチャーである。彼をあえて奮い立たせマウンドに送った。後に鈴木啓示に対しても同じ様なことをしている。
「今日のマウンドはあいつに任せた」
 西本はベンチで腕を組んでそう言った。そして試合がはじまった。
 南海の先発は山内、決戦に相応しく両チームのエースがぶつかった。両者相譲らない。
 二人共絶好調であった。山田は何度かピンチを招きながらもその度に踏ん張り危機を脱した。
 山内もだ。今日は変化球のキレが良かった。阪急打線を抑えていた。
「どちらが崩れるかや」
 西本はそれを見て言った。
「しかし今日の山田はそう簡単には打てんで。とれたとしても一点か二点や」
 慧眼であった。それは的中した。
「この勝負もらった」
 西本は確信した。野村はそんな彼をチラリ、と見た。
「どうやら山田には絶対の信頼をおいとるようやな」
 ここで彼のキャッチャーとしての顔が出た。
「しかし全く打てないピッチャーというのは存在せん」
 人間である以上当然であった。野村は稲尾和久、杉浦忠という恐るべき大投手も見てきた。杉浦はそのボールを受けた。
彼等にも弱点はあった。野村はそれを知っていた。
「山田にもある」
 それは一発病だけではなかった。
「今日はそれをついたるわ。そして勝ったる」
 マスクの奥から西本、そして山田を見て呟いた。彼もまた勝利を求めていた。
 彼は六回が終わるとピッチャーを交代させた。佐藤道郎である。
「ホンマに変化球を投げさせるのが好きな奴やな」
 西本はこう思った。ここで一つの思い込みがあった。
 野村は実はキャッチングがあまり上手くはない。『ナベブタキャッチャー』と揶揄されることもあった。パスボールも案外多かった。動きもお世辞にも速くなく肩もそれ程ではない。それをランナーやバッターの癖盗み、配球、囁き戦術等でカバーしていたのである。頭脳派と言われるがそうしたことがあってのことだった。
 その配球も変化球が多い。彼は後にヤクルト、阪神の監督になるがここでも変化球を好んだ。それはこの時からであったのだ。
 佐藤は野村の期待に応えた。阪急打線に二塁すら踏ませない。そして遂に九回となった。
 マウンドには当然山田がいる。この調子では変える理由がなかった。まずはアウトを一つとる。
 そして次は九番である。この時まだパリーグに指名打者という制度はなかった。従ってピッチャーがバッターボックスに入る。
 代打か、誰もがそう思った。だが野村はここであえてピッチャーの佐藤を打席に送った。
「延長戦にもっていくつもりか!?」
 西本はそれを見て言った。
「ノム、残念やがそれはさせんで」
 そしてベンチにいる一人の男を見た。
 高井保弘であった。代打ホームラン記録を持つ代打の切り札だ。阪急にはまだこういう切り札があった。
 この裏、その切り札を投入するつもりであった。西本が最後の最後まで温存していた最強のカードである。
 そう考えている間に佐藤は三振に終わった。あと一人だ。おそらくこの裏には阪急は一気に攻勢に出る。そうなれば如何に今日の佐藤の調子がよくとも危うかった。ましてや球威が落ちる頃である。
「よし」
 次の打席は島野育夫である。足は速いが非力である。
 ここで野村は動いた。代打を告げたのである。
「代打、スミス」
 助っ人の左打者スミスである。何とここでの代打だ。
「おい野村、御前今さっき寝とったやろ!」
「さっきの佐藤のところで代打出さんかい!」
 南海側ベンチから野次が飛ぶ。だが野村はそれを平然と聞き流していた。
「監督、いいんですか?」
 コーチの一人が曇った顔で尋ねてきた。
「ええんや」
 しかし野村は落ち着いた声でそれに答えた。
「あいつには山田のことはよおく言ってあるさかいな」
 そう言ってニヤリ、と笑った。
「まさかここで代打を出してくるとは思いませんでしたね」
 阪急のベンチではコーチの一人が西本に対してそう言っていた。
「そうやな。といいたいが島野はあまり力がないからな。一発を狙ってスミスを出してきたんやろ」
 西本は相変わらず腕を組んだままでそう言った。
「一発ですか」
 コーチはそれを聞いて少し眉を顰めた。
「まさかとは思いますが」
 スミスは左の長距離打者である。山田に対しては有利な男だ。
「大丈夫や」
 だが西本はそんな彼に対して言った。
「あいつやったら抑えられる。今のあいつやったらな」
 そう言ってマウンドの山田を見た。
 山田は確かに怖ろしいピッチャーである。その頭脳の冴えもいい。
 だがそこに弱点があった。その冴えを野村に警戒されていたのだ。
 野村のノート、そこに書かれていたのは山田のデータであった。彼は野村に細部まで見られていたのだ。
 何時どういう時に何を投げてくるか、そこまで細かく書かれていた。当然そこには対右、対左、長距離打者、アベレージヒッター、そうしたことまで書いていたのだ。
「で、スミスは左の長距離や」
 野村はスミスを見ながら呟いていた。
「しかも今はランナーはおらん。そういう時に投げるパターンももうわかっとる」
 恐るべき情報収集及び分析能力であった。山田は知らないうちに野村にそこまで調べられていたのだ。
 実は野村はスミスを代打に送る時に彼に対して耳元で告げていた。何時、何がどのコースへくるかも。そしてそのボールをどうするかも言っていた。
「思いっきりスタンドに叩き込んだれ」
「オーケー、ボス」
 スミスはニヤリと笑って打席に向かっていた。西本と山田はそれには気付いていなかった。
「まあこっちもそれは隠しとったがな」
 野村は山田とスミスを見ながら呟いている。
「わしは意地が悪いよってなあ。手の内は全部見せへんのや」
 彼はほくそ笑んでいた。
「とっておきの時までな。そしてそれが今や」
 山田が大きく振り被った。そして投げた。スミスは全身に力を込めた。そしてボールにバットを合わせる。
 スミスは振り抜いた。打球は一直線に飛んでいく。
「まさか!」
 山田は打球の方へ顔を咄嗟に向けた。それは恐るべき速さで飛んでいた。
 打球はスタンドに突き刺さった。まさかのソロアーチであった。
 スミスは満面に笑みを浮かべてダイアモンドを回る。山田はそれを歯軋りしながら見ていた。
「あれを打つか・・・・・・」
 絶対の自信があるボールだった。まさかホームランにされるとは夢にも思わなかった。
 スミスはホームを踏んだ。南海に待望の一点が入った。
 だがまだ一点だった。阪急の打線なら九回でもどうということはない。山田を気をとりなおすことにして次のバッターである広瀬叔功が入った。
 小柄な男である。どちらかというと非力でアベレージヒッターと言える右打者であった。武器はその足である。
「山田はバッターによって攻め方を変える」
 野村は山田から目を離さなかった。
「さっきのスミスにしたってそうや。打席に誰がいるか、ランナーがおるかおらんか、そして何処におるかで全部変えてくる。ホンマに大したやつや」
 そう言いながらも山田から目を離さない。
「そう、こういう時に広瀬みたいなのに対する投げ方も」
 山田は振り被る。そして身体を沈めた。
「わしは全部知っとるんや」
 ニンマリと笑いながら言った。その瞬間広瀬のバットが一閃した。
「またか!」
 西本はその打球を見て思わず声をあげた。打球はその時には既にスタンドに叩き込まれていた。
「まさかこんな時に・・・・・・」
 阪急ナイン、ベンチだけでなくファンも皆呆然としていた。こんな時に思いもよらぬバッターからホームランが飛び出るとは。
 広瀬も満面の笑みでダイアモンドを回る。三塁ベースを回ったところで南海ナインが一斉に出て来て彼を出迎える。
「よおやった」
 まず野村が言葉をかけた。既にプロテクターを着けている。
「有り難うございます」
 広瀬は笑顔でそれに応えた。そしてそこにナイン達が駆け寄る。
「広瀬さん、お見事!」
 彼等もまた笑っていた。このアーチが勝敗を決するものであると誰もがわかっていたのだ。
 広瀬は彼等の歓喜の中ベースを踏んだ。これで二点目が入った。
「まさかこんな時に二発も・・・・・・」
 マウンドにいる山田は愕然としていた。打たれるとは夢にも思わなかったのだ。
「配球を読まれとったな」
 西本はうなだれる山田を見て言った。
「ノムの奴、それも調べとったわ」
 西本はその口をへの字にしていた。
「まさか山田の配球まで調べとるとはな、それもわしの考え付かんとこまで」
 彼は野村のそうしたデータ収集能力をよく知っていた。そして警戒していた。だが野村はそれ以上のことをしてみせたのであった。
「やってくれよるわ。わしの負けや」
 彼は苦渋に満ちた顔でそう言った。
「しかしな」
 だがここで目の光を取り戻した。
「まだ勝負には負けてないで。裏がある」
 その通りであった。九回裏、阪急にはその最後の攻撃があったのだ。
 うなだれていた山田がだ気を取り直した。そして三番の門田をライトフライに討ち取った。これで悪夢は終わった。
「次は反撃や」
 西本はナインに対しそう言った。そして打席に向かう大熊と大橋に対して言った。
「思いきり振っていけ」
「わかりました」
 二人はそれに対して頷いた。そして打席に向かった。
 だが力が足りなかった。大熊は元々二番である。大橋は守備は凄いが打撃はそれ程ではない。二人はいずれも外野フライに終わった。
「あと一人か」
 野村は感慨を込めて言った。既に球場はあと一人コールで満ちている。大阪からこの西宮までファンが駆けつけてきていたのだ。
「よし、ここが最後の正念場や」
 佐藤を見た。どうやらあと一人はいけそうである。そう、あと一人は。
 その最後の一人がバッターボックスに入った。キャッチャー種茂雅之の代打当銀秀崇である。
 佐藤は既に限界にきていた。スタミナはあと一人が限度である。
「けれどあと一人や」
 彼はここで気力を奮い立たせた。これを凌げば胴上げである。
 だがそうはいかなかった。阪急にも意地がある。西本も阪急もまだ諦めてはいなかった。
「させるかい!」
 当銀が打った。打球はそのままスタンドに入った。まさかのホームランであった。
「よっしゃ、よお打った!」
 西本は彼を出迎えてそう言った。そしてすぐに動いた。
「遂にお出ましやな」
 阪急ファンの一人が期待に満ちた声で呟いた。
「ああ、ここぞという時の男や」
 その隣にいるファンもそう言った。彼等は西本の動きを見守った。
 西本は告げた。代打を。
「代打、高井」
 それを聞いた時阪急ファンのボルテージは頂点に達した。そしてそれを背に一人のズングリとした体型の男がベンチから出て来た。
「高井、頼むで!」
「ここは御前に全部任せたぞお!」
 観客席からファンの声が響く。高井はそれを背に受けながら静かに打席に入った。
「遂に出て来たな」
 野村は彼の姿を認めてそう呟いた。
「今のあいつやと抑えられへんな」
 マウンドの佐藤を見る。最早その疲労は見ただけでわかる。肩で息をしていた。
「よし」
 彼は立ち上がった。そして審判に対して告げた。
「ピッチャー交代」
 そして江本を投入したのだ。
「えっ、わしか!?」
 江本はそれを聞いて驚いた。まさかこんな時に出番があるとは。
 一応ブルペンで投球練習はしていた。だがここで出番があるとは夢にも思わなかったのだ。
「そうや、監督が言うとるで」
 ブルペンにいるコーチが彼に対して言った。
「トリは頼む、ってな」
「トリか」
 はじめてであった。江本は南海では先発である。東映では敗戦処理の中継ぎであった。こういった時に投げたことはなかった。
「じゃあやったるか」
 気の強い男である。忽ち持ち前のその強さが出て来た。
「エモめ、乗っとるな」
 野村はブルペンから出て来た江本を見て言った。そして今まで投げていた佐藤に対して声をかけた。
「よおやった。今日は御前の働きのおかげや」
「有り難うございます」
 佐藤はそれに対し感謝の意を述べた。そして江本にボールを渡すと静かにマウンドを降りた。
「エモ」
 野村は彼に顔を向けた。
「相手は高井や」
 そして打席にいる高井を親指で指した。
「わかっとるとは思うが下手なことしたら全てが終わる」
「はい」
 江本はギラギラする目で高井を睨んでいた。
(よっしゃ、気では負けとらんな)
 野村はそれを見て心の中で言った。
(ここは思いきったことしたるか)
 彼は決断した。そして江本に対して言った。
「御前の命、わしに預けてくれるか」
「命ですか!?」
「そや、あいつの討ち取り方はわしのここにある」
 そう言って自分の頭を右の人差し指で叩いた。
「わしのリードの通りに投げるんや。そうしたら御前は勝てる。どや」
 そして江本の目を見た。
「わかりました」
 江本は強い声でそう言った。
「わしの命、監督に預けます。存分に使って下さい」
「よっしゃ」
 野村はそれを聞くと満足したように頷いた。
「腹は決まったな。じゃあ勝負するぞ」
「はい」
 その声に迷いはなかった。野村はニヤリ、と笑った。
「御前を南海に呼んで正解やったな」
 そう言うと背を向けた。そしてキャッチャーボックスに戻っていった。
「わしを南海に入れたことをそんなに有り難がってくれとるんやな」
 江本の心に熱いものが宿った。
「わしが今こうしてここで投げとるのも監督のおかげや」
 彼は野村に拾われたことを深く感謝していた。
「じゃあ今、この命監督にくれたるわ!」
 そう言うとボールを握った。力で指が白くなる程に。
 野村は高井を見た。全身から威圧感が漂ってくる。
「やっぱりこういう時には一番怖いな」
 彼は思った。その太い腕には勝負を決めるバットがある。
「話はこれにボールを当てさせんことや。しかしそれは簡単やない」
 高井のパワーと勝負強さは群を抜いている。守備があまりにも下手な為にスタメンでの登場は少ないが代打では異様なまでの力を発揮する。
「しかし今のこいつの頭の中はようわかる」
 高井は江本を見てから明らかに表情を変えた。何かを待っているのだ。
「御前が何をねらっとるのか、わしには丸わかりや」
 いつもならここで囁くところだ。しかしあえてそれはしなかった。
「見とけ、絶対に打てんもんを投げさせたるわ」
 そう言うと構えた。江本が振り被った。高井の全身に気がみなぎる。
 まずはストレートだ。その次も。またその次も。やがて四球目が投げられた。カウントはツーツー。
「まさか三球続けてくるとはな」
 高井は野村が返すボールを見ながら思った。
「しかしまだ待てる」
 彼は江本の変化球を狙っていたのだ。
 彼は変化球にも強い。そして江本は変化球投手だ。それを一気にスタンドへ叩き込むつもりだったのだ。
 だがいずれもボールになうrストレートだった。普段の江本のストレートよりも球威があった。
「しかしあいつは速球派やあらへん」
 高井は決め球は絶対に変化球でくると確信していた。
 今までは全てボールになるストレートだった。変化球と思って振ったがそれはバットから逸れた。
「今度は絶対に来る」
 高井はそう思っていた。
「変化球、しかも」
 マウンドにいる江本を見据える。
「エモボールや。気の強いあいつはこういう時には絶対にあれを投げる」
 江本の最大の武器である独特の落ちる球だ。カーブに似ているがそれよりも打ちにくい。江本の切り札であった。
「それを打ったる、絶対にな」
 彼は代打の切り札である。代打は一回きりの勝負だ。次はない。一球一球に的を絞り相手の球を的確に読まないと勤まるものではない。
 彼にはそれができた。だからこそ代打ホームランの記録を持つことができたのだ。パワーだけでは到底勤まるものではないのである。
 エモボール、彼はそれがくると確信していた。そして江本を見据えた。
 江本はこちらを激しく睨んできている。闘争心の強い土佐の男だ。それがありありとわかる。
「来い」
 だが高井も負けてはいない。彼から目を離さず狙いをすましている。
「エモボールや」
 その軌道は既に頭の中に入っている。あとは打つだけだ。
 江本が振り被った。そして横から投げた。
「来た!」
 高井は全身に気を張り巡らせた。そして全ての力をバットに注ぎ込む。
 振った。それはエモボールの軌跡を完全にとらえていた。
「よし、これはいったで!」
 西本は高井のそのスイングを見て言った。ホームランだ。そう直感した。彼もまたエモボールがくると考えていたのだ。
 だが。だが、である。
 それはエモボールではなかった。ボールになるストレートであった。
「なっ!?」
 高井は愕然としてだがバットはもう止まらない。
 ボールがバットをすり抜けていく。そしてそれは音を立てて野村のミットに収まった。
「よっしゃあ!」
 野村は思わず声をあげた。そして笑顔で立ち上がった。
「優勝や!」
 マウンドにいる江本がガッツポーズをしている。彼のもとに南海ナインが殺到する。
「監督、やりましたよ!」
「エモ、ようやった!」
 二人は抱き締め合った。決して小さくはない野村だが江本の長身に隠れてしまった。
「胴上げや、監督を胴上げするんや!」
 誰かが言った。そして野村は天高く舞い上がった。彼は満面の笑みで宙を舞った。
「してやられたわ、最後まで」
 西本は宙に舞う野村を見てそう呟いた。
「大した奴やで。山田どころか高井の頭の中まで読んどるんやからな」
 少し溜息が混じったような声であった。
「そしてわしの頭の中もな」
 西本はここで一旦口を締めた。
「山田も高井もわしが手塩にかけて育てた連中や。その二人の頭の中を読まれた、ちゅうことは」
 頭の中で呟き続けた。
「わしの頭の中も読まれたということや」
 そこまで思うと踵を返しベンチを去ろうとした。
「まだまだわしも甘いな。だから負けてしもうた」
 六度のリーグ優勝、だが日本一にはまだなっていない。
「その甘さがそうさせとるんかの」
 フッ、と笑った。そしてベンチを出た。
「その甘さをなおさんと日本一にはなれんな。わしもまだまだや」
 そして監督室に消えた。西本の阪急の監督としての最後の試合であった。
 このシリーズに優勝した南海は結局巨人との戦いに敗れる。その時野村は言った。
「死んだふりやない」
「それはどういう意味ですか!?」
 記者達が尋ねた。
「そのまま死んどったんや」
 それがそのシーズンの彼の最後の言葉であった。まことに彼らしい毒とユーモアのある言葉であった。
「あいつらしいな」
 西本はそれを聞いて笑みを浮かべてそう言った。彼はこの時背広で藤井寺に来ていた。
「ここがわしの新たな戦いの場か」
 近鉄バファローズ。関西の弱小球団に過ぎないこの球団の監督になることが正式に決定したのである。
 それから西本の新たな戦いがはじまる。そして近鉄は彼により生まれ変わり真の意味での猛牛となるのであった。


死んだふり    完


           2004・7・16




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