[826] 「 吾れ今、五官の世界を去って実相の世界に入る 」 とは |
- 明鏡 - 2014年03月11日 (火) 21時22分
“ 無私の祈り ” としての神想観
神想観は最も完全なる無私の祈りであるのである。
「 吾れ今、五官の世界を去って実相の世界に入る 」 とは、
「 五官の世界 」 即ち 「 現象世界 」 の一切の意欲を去ることである。
意欲を去るだけではなく、現象世界の一切のものは、既に 「 五官の世界 」 を
去った今は、“自分の心”の中にないのであるから、現象世界の何ものをも
求めないのである。
そして自分の欲望の願いも何もなく、ひたすら心が“ 神 ”と“ 神の創造せる
世界 ”( 実相世界 )に振り向いて、実相世界の一切の善きものが自分を通して
流入する無私のパイプとなることである。
このとき実相世界に吾々の生命が、直接対面するのである。
すると其処は、神の無限の智慧の海であり、神の無限の愛の海であり、
無限の生命の海であり、無限にゆたかなる供給の海であり、無限の歓喜の海であり、
無限の調和の海であるのである。
それを心の眼をもってハッキリと観るのである。
観ることは既にあるものを受け容れることである。
それをハッキリと受け入れたとき、実相世界の天国状態がハッキリ現象世界に
その姿を映し出して、此処に地上に、天国が現出することになるのである。
『 生長の家 』 誌 昭和四十六年三月号
実相世界と現象世界をつなぐ橋 二十九日の法語 谷口雅春先生
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