[96] 山ちゃん1952様 |
- 志恩 - 2013年01月17日 (木) 06時55分
>>95:山ちゃん1952様
>>「生長の家」が堕落したのは ”中(みなか)の精神” を忘却したからだと思っています。 鎮護国家というのは、戦前から言葉は変わっていますが、内容は、まったく同じでありまして、谷口雅春先生の気持ちは、微動だにしていません。<<
この”中(みなか)の精神”につきましては、
ちょうど、昨日2013,1.16の 山ちゃん1952様ブログに、山ちゃん様が、大変お詳しく書かれておられますので、 こちらを、閲覧される皆様宛に ご紹介させていただきたく思いましたので、貼付させて頂きます。
山ちゃん1952様ブログより
〜「天皇仰慕」の姿勢 〜
靖国見真会様が御指摘のように、
現在の雅宣総裁の為している運動は、雅春先生が行われた運動とは、似て非なるものであることを、信徒は、自覚しなければいけません。
いや、そんなことありませんと、熱心な信徒は、いうことであろうと思います。そういう方は、それで仕方がありません。 それ以上云ってもわからない人には、口角泡を飛ばして議論しても 空しくなるだけであります。何故、そういうことになるのだけ申します。
【それは「天皇仰慕」の姿勢が異なるのです。】
そういう人は、天皇様を お慕いする胸襟な姿勢が 異なるわけであります。
私などは 戦前の生まれでもありませんが、歴代天皇の名前も 暗記していますし、 業績なども 数々と勉強しました。
天皇様に関する御本は 1000冊を超えてあります。そうした 天皇陛下 に対する思いが 違うのであります。
それはですね、谷口雅春先生は どれだけの忠魂愛国者であられたかの 自覚がないからであります。
戦前と戦後にわたり 雅春先生の御本がありますが「天皇信仰」の気持ちは 全く揺るがないのです。それは何故かわかりますか?
【生長の家の精神といえば「中(みなか)の精神」】であります。
谷口雅春先生も この言葉を使用されておられます。それが 一部の信徒には 欠如しているのであります。
「大調和の神示」には 最初には皇恩に感謝せよと 明記されているわけで、 皇恩というのは ただ単に 天皇陛下の遺徳を 偲ぶだけではないのです。
そこは 身を以て体験するしかないように思います。「大日本神国観」の神想観でもいい、御陵を参拝するのもいいのです。 また 杉浦重剛氏のような 国学書 を読むのもよしです。そうして、自分を高めて行くのが、日本に育った人の役目であります。
【「中の精神」が抜けているから、「中心帰一の論理」もわからないで、総裁に中心帰一となるわけであります。】
そうなると、【「オカルト宗教」になるわけで、それをわからないでいる。 】
釈迦が霊鷲山(りょうじゅうせん)で、
弟子たちに仏法を説いたとき黙って大梵天王から受けた金波羅華(こんぱらげ金色の蓮の花)を
ひねって見せると、摩訶迦葉(まかかしょう)だけが その意味を悟って微笑んだので、釈迦は彼だけに 仏法の奥義を授けたわけでして、
それがわからないのであります。
拈華微笑の真理がわからないで、法燈継承したといっても
「竜宮城」の宝珠を まだ授かっていないのであります。
その真意がわからないで、現象世界のことばかりしか 心が作用しないのです。<<
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