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谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の壱

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[98] 開祖・谷口雅春先生御著書 『人生の秘訣365章』 “春”積極生活法 【完】
マリーゴールド - 2013年01月17日 (木) 11時04分

 
 合掌 有難うございます。

 絶版となりました、開祖・谷口雅春先生御著書 『人生の秘訣365章』より、“春”積極的生活法 を謹んで転写させて戴きます。


 この御著書は、春・夏・秋・冬 と四つの項より成り立っており、全部で365章となっております。



☆お願い☆

・旧漢字及び、旧かなづかいの箇所は、現代漢字及び、現代かなづかいにて入力させて戴きます。

・このスレッドに関するご意見等は、別独立スレッドにて入力下さいます様、よろしくお願い申し上げます。



        合掌 再拝


[99] はしがき
マリーゴールド - 2013年01月17日 (木) 11時34分



 人生にはいろいろな問題が山積している。それは迷路のように錯綜していて、どこから手をつけて解決したらよいか判らないような観を呈しているのである。ある人は行き詰ってその迷路から出ることが出来ないで仆れて(たおれて)しまう。迷路の中を行きつ戻りつして途方に暮れて自殺したり、ノイローゼになったりする人もいる。


 しかし、すべての人間が皆、迷路の中で行く先を見失ってしまうのではないのである。人生の迷路は、その衝き当ったと見えるところに“秘密の扉”があるのであり、その扉を或る“秘密の鍵”をもってひらけば、そこから希望の光が射し込んで来て、人間は「自由」になれるのである。


 イエスはこの「自由」を人間に得させる鍵を教えた。その鍵とは「真理」である。そして「汝は真理を知らざるべからず。真理は汝を自由ならしめん」と言ったのである。しかし聖書を読んでも、その真理を捉え得ない人が多くあるのである。


 ローマ総督ピラトは「真理とは何ぞや」とイエスにたづねたが、それに対してイエスは黙然として答えてくれないのである、ピラトは続いて「汝は王なるか」とイエスにたづねる。イエスは「汝の言えるが如し」と答えている。


 ここに“真理”とはすべての人間が“王者”になる鍵をもつ者であることを示しているのである。民主主義の世界ではすべての人間に主権があるのであるから、すべての人間は“王”である訳である。


 しかし、“王”にも色いろの王がある。自動車王もあれば、金貨王もあり、借金王もある。そのいづれにも人間は成り得る自由があるのである。不幸に歎く人よ、今からあなたは不幸を歎くことは要らない。その原理と方法を本書は説くのである。


 各人は彼みづからが“心”で選んだものに成るのである。それは人間は“心”をもっているからである。“心”は、すべての創造者であり、想念するものを創造するからである。釈迦はこの真理を説いて「人生は唯心所現の世界である」と教えたのである。


 そしてこの真理を悟る者を“解脱者(佛陀)”と称したのである。解脱者とは一切の人間を縛る束縛から自己解放を遂げた人の事である。諸君もまた真理を悟って完全に自己解放を遂げ自由を得ることが出来るのである。


 本書は一宗一派の宗教を説くのではない。万教に共通する真理を説き、真理の自覚を深め、心の法則を駆使して、人生を支配するための秘鍵を読者に提供せんとする者である。


 本書は春夏秋冬の四篇に分ち、一年三百六十五章を連ねて、一貫して真理による運命支配の法則をわかり易く説いたのである。最初、全巻を通読して後、その後は毎日数章を読んで真理の理解を深めると同時に、それを毎日生活に実践せられることによって、事業経営の法則や、健康の法則や、運命を支配する心の法則に基づいて生活万般の上に自由を得て、地上に天国的生活を実現せられんことを希うものである。



    昭和四十五年九月二十五日



       鹿児島行の飛行機上にて  

           著者識す



[108] 人生の秘訣365章 目次
マリーゴールド - 2013年01月18日 (金) 20時53分



 はしがき


 “春”積極生活法


 1・万物は一新す


   ・あなたは幸福の磁石である

   ・あなたの想念があなたの運命に

   ・あなたは“運命の船”の船長

   ・生命創化の法則

   ・あなたの仕事を“繁栄の法則”に

   ・悪しき想念・暗い言葉を避けよ

   ・現在の時点は将来の発展への跳躍台

   ・繁栄の想念を持続によって強化せよ

   ・想像力を前向きに活用せよ

   ・想像力から行動化へ

   ・途中の困難に挫折せぬこと

   ・想念は蓄積されて性格を形成する

   ・迷いの心を克服すること

   ・“心の世界”に先づ富を実演せよ

   ・心に描かれたものは既に確固たる存在

   ・信念の持続の力

   ・“宇宙の心”に調和する

   ・不平の念を起こしてはならない

   ・観点を新たにして

   ・あなたが年毎に老いないために

   ・新しき年に新生するには

   ・恐れるものなき世界

   ・早朝神想観に参加しましょう

   ・常に神と偕にあるには

   ・神の最高の自己実現として

   ・問題の緒を見出すこと

   ・萎縮する代りに前進せよ

   ・永遠の勝者たる道

   ・神の祝福を受ける心境こそ必要である

   ・無常の中に展開する久遠不滅

   ・あなたは神から祝福されたる者である


[110] 目次 (つづき)
マリーゴールド - 2013年01月19日 (土) 08時59分


   
   2・人生の勝ちとその実現


     ・人間の地上誕生の意義

     ・唯物論者は結局快楽主義に陥る

     ・現代の末世的人間の乱舞は何を語るか

     ・エデンの楽園に還帰する道

     ・敵は自分の心の中に

     ・物質によって平和は来らず

     ・真の平和は、實相を観ずることによって得

     ・方便と行動を失った信仰は空念佛

     ・真の“新生”は實相を観ずることによって得

     ・神とつながる通路を開きなさい

     ・聖典の講義と神想観が運命を開く

     ・あなたの身体を“心”をもって浄めること

     ・解決困難の問題に面した場合

     ・無我全托して神の処置に委す場合

     ・あなたは「増加の法則」に乗るがよい

     ・“神の子”の自覚を深化すること

     ・他の繁栄を悦ぶ祈り

     ・祖先を開悟に導くために聖経を読誦せよ

     ・「増加の法則」としての陰陽の調和

     ・「増加の法則」を家庭生活に実行せよ

     ・現象の障疑より一転して實相の無疑の世界へ

     ・進行には忍耐が要求せられる

     ・何故あなたは神に感謝を忘れるか

     ・吾々は神に活かされている

     ・生活を實相の堅固の基礎の上に

     ・あなたの今いる所が好機会である

     ・目先の欲得で動いてはならない

     ・清貧礼讃・受難礼讃に陥ってはならぬ

     ・“興える”と“受ける”との相補的調和


  

[111] 目次 (つづき)
マリーゴールド - 2013年01月19日 (土) 09時12分



    3・神の世継としての自分


      ・新生への言葉

      ・われ神の叡智を讃嘆す

      ・創造の意識的中心としての人間

      ・常に「自己が神の最高自己表現」であることを思い出せ

      ・神は想念によって万物を創造する

      ・あなたは良き言葉をもって良き事物を創造する

      ・人間は支配者であり、創造の指揮者である

      ・現象界には時間的順序であらわれる

      ・種の発芽する時には変化が起る

      ・成就の過程に於ける杭打ち作業に驚く勿れ

      ・天地一切のものと和解して神に祈ること

      ・神に完全にまかせ切ること

      ・神との一体感を深めること

      ・神の智慧の流入を祈ること

      ・人間に宿る“生命”の神秘に目覚めよ

      ・この生命の荘厳を見よ

      ・人体及び生活諸問題の修復作用

      ・“埋蔵されたる宝”を発掘せよ

      ・不幸から脱出する道

      ・神に於いては、万来の万策の尽きると云うことはない

      ・決断して神の智慧にまかすこと

      ・無限供給はかくして得られる

      ・興えよ、さらば興えられん

      ・真の無限供給について

      ・朝起きて先づ為すべきことを

      ・想像力を駆使して善き事を実現せよ

      ・感謝について

      ・自己に宿る“善き人”を喚び出すこと

      ・人を助ける最高の方法について

      ・今日一日、決して腹を立てないこと

      ・あなたの實相は完全で既に幸福であると知ること



[114] 1・万物は一新す
マリーゴールド - 2013年01月20日 (日) 10時06分



              ◎あなたは幸福の磁石である


 あなたは今、幸福の年を迎えたのである。過去に如何なることがあったにせよ、それは除夜の鐘の音と共に消え去ったのである。新しき天と地とが黎明の帳(とばり)をあげて、新しき日光があなたの家に射し込んだのである。


 闇は消え、光の世界が始ったのである。万物が悉く新たになったのである。あなたの心が新たになったのである。見る心が一変して天地一新したのである。過去は過去のあなたの心に描いたものや、潜在意識に蓄積していた想念が形にあらわれていたのである。これからは、あなたが今後あなたの心に想念するところのものがあらわれて来るのである。


 あなたは今後、幸福のみを想うのである。世界人類の幸福を、日本国民全体の幸福を、あなたの属する団体の幸福を、あなたの家庭の幸福を、そしてあなた自身の幸福を想念するのである。


 想念するものが集って来るのである。類を以て集るのである。あなたが今後幸福ばかりを想念すれば、あなたは幸福ばかりを引き寄せる磁石の如くなるのである。



[116] あなたの想念があなたの運命に
マリーゴールド - 2013年01月21日 (月) 07時12分


 新年を迎えると誰でも心機一転して新鮮な気持になるものである。それは人類全体が過去に於いて幾千年にわたって、そのように考えて来た想念が、人類意識として地球上ぜんたいに充ち満ちていて、その人類意識の波動をあなたが感ずるからである。


 その人類意識の「新年を迎える心」に自分の中の心の波長を合わせて「新しい心」になることは最もやさしい事であり、最も好い機会を捉えることになるのである。


 新年こそあなたの生活の新鮮な始まりである。そして此の年の運命はあなたの掌中に握られているのである。あなたは想念の自由を神から授けられているのである。あなたが想念するもののみが現実界に具体化するのである。


 ただ新しく自他の“幸福”のみを信ぜよ。暗黒なことを考えるな。過去を過去たらしめよ。明るい事のみを考えよ。新しい年、新しい生活、年齢にかかわらず、自己を“神の子”と自覚する者は常に若いのである。

[134] あなたは“運命の船”の船長
マリーゴールド - 2013年02月01日 (金) 09時07分


 
 想念は現象界の原型となるのであるから、あなたが今日、何を念じ、何を想うかが、あなたの現象界の運命を左右することになるのである。


 あなたは習慣に押し流されて、ともすれば、“悪しき事”や“不幸なこと”を考えようとすることがあるかも知れないけれども、習慣に負けては、船長を失って潮流に押し流されて岩に激突して沈没する小舟のように破滅の運命を招くかも知れないのである。


 あなたの現在意識はあなたの“運命の船”の船長なのである。潜在意識の想念の傾向は潮流みたいなものである。潜在意識の想念の傾向が、時として暗い方向にあなたの考えを引き摺って押し流して行こうとするとき、“運命の舵”をとる船長たる現在意識が意識的に想念の舵を正しい方向へと向けかえて行くところに努力が必要であり、その努力のなかに、運命の改善と魂の進化向上とがあるのである。

[139] 生命創化の法則
マリーゴールド - 2013年02月03日 (日) 09時19分


 この世界には「生命創化の法則」がある。無形の生命が形ある姿に化して現象界を創造する法則である。生命は創造のための実質であり、同時に創造のためのエネルギーでもある。そのエネルギーをどの方向に導いてその実質をどんな形にまで現すかは、想念又は言葉の力によるのである。


 想念とコトバとは本質的に同じものである。私たちはコトバとは吾々の聴覚器官に感じられる発生音だけのことを称するのだと思いがちであるが、私たちは何事でも心で想っているとき、それに相応するコトバを心の中で唱えているのである。


 例えば「これから自分の家は繁昌するに違いない」と心で想っているとき、私たちは、心の中で、その通りのコトバを唱えているのである。そして聖書の「ヨハネ伝」にある通り「コトバは神と偕にあり、コトバは創造者である」からその通り実現するのである。


[149] あなたの仕事を“繫栄の法則”に
マリーゴールド - 2013年02月16日 (土) 07時44分


「生命創化の法則」の中に“繫栄の法則”もあり、“神癒の法則”もある。


 あなたが自分の事業の営みを、常に“繫栄のコトバ”の中にあらしめて、そこから自然に浮びあがって来るアイディアを著々(ちゃくちゃく)と実施して行くならば、必ず繫栄が実現すること間違はないのである。


 世間一般が不況の時ほど、あなたの事業が、全体の不況の波にのせられて破局の岸壁に打ち上げられないためには、常にあなたは想念及びコトバに“繫栄”を唱えることを怠らず、不況の不安を瞬時も想わないようにし、より一層繫栄せる状態を心に描き、全力をつくし、全智をつくして、大衆は何をもとめているかを察し。事業内容を大衆の求めるところの最善のものを提供すべく改善し、それに新しきアイディアを加えて経営して行くようにしなければならないのである。


 神は無限のアイディアであり、世界は神のアイディアの展開であるから、舊態(きゅうたい)依然たる有様では、世界の進運にとり残されて過去に繫栄した事業でも衰退するほかはないのである。



[151] 悪しき想念・暗い言葉を避けよ
マリーゴールド - 2013年02月16日 (土) 11時31分

 心に常に思うこと、コトバに度々語ることは、宇宙の実質を動かして何らかの物質的形に実現するエネルギーに方向を興えて、その“想い”又は“語る”ところの事物を、ついにあなたの前に現象的姿にあらわさしめることになるのである。


 そのためには吾らは自分の想念する内容と、語るコトバを厳重に監視して、苟も悪しき想念、暗い想念、衰退の想念等の消極的な想念を想うこと、又語ることを避けなければならないのである。


 「自分は衰退のことなど何も考えないのに、うちの商売が衰退した」などという人があるかも知れないが、自分の心の想いを監視してみるがよい。そして手近にメモと鉛筆とを置いて「暗い事」即ち「悲しみ」や「前途の不安」や、「人の失敗」や、「人の悪口」や「不景気」などのことが、チラチラと頭をかすめる毎に、メモにマークをつける事にして御覧なさい。


 あなたは別として、大抵の人は、一日じゅうにどんなに多くの暗いマークがメモにつけられるかが判るでしょう。メモのマークと同じように、あなたの心にも暗いマークがついているのであって、その方向に生命創化の法則のエネルギーが動き出し、その思いが具象化しようとしているのである。


[152] 現在の時点は将来の発展への跳躍台
マリーゴールド - 2013年02月16日 (土) 11時41分


 前途に希望を描け。

 将来に光を見よ。

 現在の状態が如何に悪しく見えようとも、それは既に過ぎ去りつつあり、そして未来は展けつつあるのである。そして現在の時点に於ける一切は、未来の飛躍のための足場となり、跳躍台となっているのである。


 だから現在の時点に於ける一切のものに不平を想うことなく、呟くことなく、それを祝福し感謝せよ。不平に思う時間があるならば、その同じ時間を、希望を描き発展を想望するために使うがよいのである。


 心に描いたものがあらわれるのである。暗黒を心に描いて、その不快な姿に不平の念を起している限りは、心に描かれたものが具象化するという法則にしたがって、やはり暗黒なものがあなたの生活に伴って来ることになるのである。



[165] 繫栄の想念を持続によって強化せよ
マリーゴールド - 2013年03月10日 (日) 14時44分


 心に繁栄を描け。

 繁栄は神の子の特権であると思え。毎日神想観をして繁栄の具体的光景を心に描くがよい。商売している人ならば千客万来の具体的光景を心に描け。


 単に心に描くだけではなく、その群り来れる顧客に対して心の中で「ありがとうございます」と唱えて、実際に感謝の情を披瀝せよ。同時に、その繁栄を興え給うた神に感謝するがよい。


 イエスは「汝ら祈りて何事にても求むるとき、既にそれを受けたりと信ぜよ。乃ち汝はそれを得ん」と訓えているのである。


 信ぜよ。信ぜよ。

 「必ず、この神想観中の祈りは実現する」と信ぜよ。信じた通りに実現するのである。

 まだ希望する事物が現象にあらわれない場合に、「この祈りは諾(き)かれないのだ、駄目だ」などと考えてはならない。


 「駄目だ」と打ち消したら、折角、「創化の法則」の沃地に信念実現の種子を蒔いておきながら、その種子が漸く発芽の途上にあるものを早期に掘り起して棄ててしまうのと同じことになるのである。


 一旦「信念の種子」を「祈り」又は「念ずる」という方法によって、創化の沃地に蒔いたならば、その信念の種子が発芽以前に腐ってしまわないように、毎日、その「実現を信ずるコトバ」を神想観中の祈りに念ずるがよいのである。


 継続して怠らなければ、点滴といえども岩を貫く孔を穿つのである。


[195] 想像力を前向きに活用せよ
マリーゴールド - 2013年05月08日 (水) 21時19分


 想像力を前向きに駆使することが、健康にも、家庭の調和にも、児童の成績の優秀化にも好結果を齎す(もたらす)のであって、想像力を後退的に悲観的に用いるとき、その結果は後退的に顕れて来ることになるのである。


 常に心が陰気に沈みそうになって来るときには、心をつとめて鎮静ならしめながら、強く、信念ある語調をもって、

「事態は益々好転しつつあるのである。その好転は今心の世界で行われているが、それは必ず現象的にも具体化してあらわれて来る」

のであると、自分の耳に聞えるほどの低声で唱え、または、沈黙のまま心で唱えるがよい。そしてその好転の具体的な有様を心に描いて、

「それが既に実現しているのである」

と確信をもって念ずるがよいのである。


 まだ現象的にその状態があらわれていないから「既に実現しているのである」と念ずることは自分を欺くことになるなどと思うな。想像力をもって

「既にそれは実現しているのである」

と信じてそれを念じたとき“心の世界”には既にそれは実現しているのであるから、

「既にそれは実現しているのである」

と念じても決して自己を欺くことにはならないのである。


[196] 想像力から行動化へ
マリーゴールド - 2013年05月08日 (水) 21時29分


 想像力をもって“心の世界”に或る形が確信をもって形成せられるとき、それは次第に物質化して現象界に発芽しはじめるのである。


 このようにして私たちは宇宙に存する最も幽玄にして強力なる力を始動せしめることになるのである。


 しかし“心の世界”に或る形さえ描いて置けば手を束ねていてもそれが実現するなどと安易に考えてはならないのである。


 “心の世界”に実現したものが“現実の世界”に出現するには其処に自然に行動化が起るのであり、その行動化にはその事柄に関連した“全体的動き”によって起るけれども、同時に、あなた自身の動きも其の“全体的動き”の中に含まれているのであるから、自分も自己の内から催して来る導きに従って、懸命に自己の希望する事柄が実現するために努力し行動しなければならないのである。



[197] 途中の困難に挫折せぬこと
マリーゴールド - 2013年05月08日 (水) 21時39分


 懸命にその希望する所を実現するために努力しているとき、その実現の途中に於いて、自分の希望しない状態が起って来ても、それについて悲観してはならないのである。


 もしそのような状態が起って来たときには、「この状態が将来の希望達成に必要な踏石になるのである」と強く信ぜよ。


 「この状態を通して善いことが来る、必ず善いことが来る」と信ぜよ。

 若しこのような信念をもつことが出来ず「事態は益々悪化しつつある」と信ずるならば、その信ずる通りに、悪化の一路を辿るかも知れないのである。


 なにしろ此の現象は唯心緒元の世界であるから信ずる通りになるのである。信じて途中の困難に挫折せず、希望の実現に邁進するものはついにその目的地に達することができるのである。

[198] 想念を蓄積されて性格を形成する
マリーゴールド - 2013年05月08日 (水) 21時48分


 信ずるとは、まだ肉眼に見えないものを、「既にある」と強く“想念”を持続することである。


 そして“想念”はすべてのものの実現であり、同時に、その実質が或る形をとるための設計でもあり、その設計が実現するためのエネルギーでもあるので、あらゆる行動は想念によって起される。


 「歩こう」と人が思うとき彼は歩くのである。「停まろう」と思うとき彼は停るのである。現在意識が「何々しよう」とは思わないのに、無意識に習慣的に或る行為がおこなわれるのは、過去に現在意識が起した想念が蓄積されて、それが“一定の傾向をもつエネルギー”として吾々を駆動しているのである。


 私たちはこの新年から決して“悪しき想念”を蓄積しないことにして“一定の想念をもつエネルギー”をして、善き方向にのみ駆動するエネルギー足らしめるように心懸けたいものである。


 度度同じ傾向をもつ想念を現在意識が繰返して思うならば、それは潜在意識に蓄積されて、その人間の性格を形成する。


 だから“善き想念”のみを想うよう自己訓練することが大切である。


[199] 迷いの心を克服すること
マリーゴールド - 2013年05月08日 (水) 21時55分


 日本には“意馬心猿”という熟語がある。心というものは、馬の如く、猿の如く勝手に動き出して中々制御しにくいものであるという意味が含まれている。


 「心こそ心まどわす心なれ、心に心こころ許すな」という柳生流の極意の歌もある。日本では「心の訓練」が日本剣道の眼目とされていたのであって、敵を斬るのが日本剣道ではなく、自分の心の中の敵を斬るのが日本剣道であったのである。


 心の迷いを斬り去るとき、迷いの縛りは無くなり、起居動作が任運自在、相手に従って最も適当な行動がとれ、常に困難を征服して常勝の人となることができるのである。

[200] “心の世界”に先ず富を実演せよ
マリーゴールド - 2013年05月08日 (水) 22時05分


 常に今、あなたの眼の前にあることで、誰かのためになる事を実践せよ。神は愛であり、神を信ずるならば愛を実践しなければならないのである。


 愛を実践するとき、神の世界にある天国的な状態に自己の生命をして波長を合わすことになり、自然にあなたの周囲に天国的な状態があらわれ始めるのである。


 併し、愛は実践すると共に、“心の世界”に於いて、天国的状態が既に自分の周囲に展開して、そこに自分自身が既に生活している有様をを心に描いて瞑視するがよい。ほかの裕かなる人を羨むな。他の人の富を羨む心は富を否定する心であるから、自己の富をも否定することになるのである。


 人類はすべて“神の子”であるから、誰も皆一斉に裕かであるのが当然であって、或る人が富むために他の人々が貧しくならなければならないということはないのである。


 あなたは誰の富をも羨むことは要らないのである。既に實相の世界に於いて、あなたが裕かに生活している有様を心で凝視すればよいのである。


[201] 心に描かれたものは既に確固たる存在
マリーゴールド - 2013年05月08日 (水) 22時12分


 普通の人は肉眼で見える事物だけを存在すると考える傾向があるけれども、心に描かれた光景は、そのまま“心の世界”に於ける実在として、肉眼に見える事物よりも、一層根本的な確固な存在としてあるのである。


 それが反対観念を心に描くことによって打ち消されない限り、徐々にそれは現象世界に根をおろし発芽し生長して具体化するのである。


 あなたの希望する状態を、神想観によって心に描いたならば、その描いた光景が既にあることを固く信じて、恐怖心や不安や反対観念によって、それを取り消してしまわないことが必要である。


 それが既にあることを信じ、念じ、唱えて、弛むことなくその心象を持続せよ。必ずそれは実現するのである。


[202] 信念の持続の力
マリーゴールド - 2013年05月08日 (水) 22時18分


 強き明るき信念の持続こそ希望実現の原動力であるのである。


 失敗と成功とは外界の条件によるような外観を呈するかも知れぬが、その外界の条件を動かすところのものは心の力なのである。


 心に或る“希望する状態”の光景を強く描いて持続し、「既にあるもの」を、こちら(心象)から、あちら(現象界)へ移すような気持で真剣に努力を続けるならば、外界の条件そのものが変化して、あなたの希望実現に道をひらいて協力してくれるようになるのである。


[203] “宇宙の心”に調和する
マリーゴールド - 2013年05月08日 (水) 22時27分


 私たちは或る想念を心に描くことによって、宇宙の創化作用に対して、創造の模型を提出したことになるのであるが、宇宙の創化作用によってその実現に協力して貰うためには“宇宙”の心と調和した関係にあらねばならぬのである。


 “宇宙の心”は愛であるから(註・「神は愛なり」)自己の希望実現に協力して貰うためには、私たちは愛の心を起さなければならないのである。


 すべての人々に憎しみや怒りの心を起してはならない。赦しと、愛と、感謝の心で、自分の心を浄めて、自分の心が神の心に調和するようにしなければならないのである。特に父母に感謝し、夫婦相和することが必要である。


 これはあまりにも身近な事であるから軽んぜられ勝ちであるけれども最も重大なる成功の要素であるのである。


[204] 不平の念を起してはならない
マリーゴールド - 2013年05月08日 (水) 22時34分


 感謝の反対は不平である。


 感謝は“宇宙の心”に波長を合わすことになるけれども、不平は“宇宙の心”に反映して波長を合わせぬことにするのであるから、不平の心をもっている場合には、仕事の能率はあがらず、事業には躓きを生じ、機械にも従業員にも故障が起りがちとなり、本人も健康がすぐれなくなるのである。


[205] 観点を新たにして
マリーゴールド - 2013年05月08日 (水) 22時57分


 あなたが健康を欲していられるならば、今こそ、新年こそ、観点を新たにし、想念を新たにし、神の生命と、あなたの生命とを緊密に波長を合わせる好機会なのである。


 不健康な思わず、病気を語らず、ただ健康と、悦びと、調和と、積極的前進とのみを思い且つ語ることにせよ。


 人の美点のみを見つけ出して褒めよ。

 人の悪を語ることなかれ。

 愛を以て人を見よ。

 冷酷の心をもって人を見ることなかれ。

 理解の眼をもって人を見よ。

 そこにあなたは人々との調和が得られるであろう。

 それがあなたに健康と繁栄とを齎す(もたらす)基礎となるのである。


[206] あなたが年毎に老いないために
マリーゴールド - 2013年05月08日 (水) 23時05分


 新年が来るごとに、年老いたなどと考えてはならないのである。


 神は永遠に老いないのであるから、神の生命を宿し生れているあなたは永遠に老いないのである。


 “老年”は人類意識の中にあり、人類意識の迷妄を感受した個人が、その暗示に感応して、暗示された通りに“老年”の姿をあらわすのである。


 人類意識の暗示に感応せぬように、能うかぎり抵抗せよ。それには、神想観を毎日実修して、自分の生命が神より来り、決して永遠に老いないものであることを瞑想せよ。


 自己を“肉体”であると考えていた在来の想念を棄てよ。唯物論から脱却せよ。“神のみ実在する”という唯神實相論をわがものとせよ。


 そこに不老の道がある。


[207] 新しき年に新生するには
マリーゴールド - 2013年05月08日 (水) 23時15分

 新年を迎えたならば、それを“生れ変り”の好機としなければならぬ。


 自己が新しき人間になるのである。物質的“肉体人間”の自覚から、“霊的人間”の自覚へと新生する機会として新年を捉えるのである。


 大抵の人間の不幸は、自分自身を肉体的存在だと思うところから起るのである。自分を肉体的存在だと思うものだから肉体の快楽を得たいと思う。そして快楽対象を得るための争奪が起る。自分に快楽を興えてくれる物を失ったときは悲しくなる。肉体を楽しましめるためには、物質が必要であり、富が必要であると考えるから、貪欲の心が起る。そして戦争さえも貪欲による争奪によって起るのである。


 新しき人間となるには、健康も繁栄もすべて“心の世界”にその原型が出来て、恰も撮影ずみの映画フィルムがスクリーンに現実化してあらわれて来るように、心の中につくられた原型が現象世界の“時間空間”の映写幕にあらわれて現実化して来るものだということを知り、先ず心を調えることから始めなければならないのである。



[208] 恐れるものなき世界
マリーゴールド - 2013年05月08日 (水) 23時26分


 新しき年を迎えて私達はすべてのものが自分自身と同じく神より生れた存在であり、従って互いに兄弟姉妹であり、互いに調和せる関係にあることを知るのである。


 自然界の事物すら、吾らの兄弟姉妹なのである。それを完全に知ることによって、私達は何物をも恐れることがないことを知るのである。


 私達はすべての人と、すべての事と物とが、私達の魂の進歩のために協調しているのであって、何物も自分の敵でないことぉ知るのである。何物も自分の敵でないとき自分は“天下無敵”なのである。


 恐れるものが存在しないから、恐るべきものは自分に近づいて来ることはないのである。自分と不調和に見える者が近づいて来ても、それは唯、自分の魂を磨くための砥石の役目をするに過ぎないのである。


 あなたはこの真理の上に立ち、何物をも恐れないで彼に親しみ、彼を愛するのであるから、彼もまた自分に親しみ自分を愛せずにはいられなくなるのである。



[209] 早朝神想観に参加しましょう
マリーゴールド - 2013年05月08日 (水) 23時45分

 生長の家本部で行われている早朝神想観に参加する講師及び熱心な信者たちの集団の祈りによる祝福は、常にあなたを祝福しつつあるのである。


 その祝福は常に聖使命会員は勿論のこと、本部の神癒祈願部に神癒をねがって来ている人たちには常に到達して、単に持病のためのみならず、日常生活の護りと導きとになっているに相違ないのである。


 本部の早朝神想観は毎朝六時三十分に開始せられている。私の神想観は午前五時十分からと午後八時三十分からとである。いずれも三十分間である。


 この時間に一緒に神想観を実修して霊波の協調を得ることは、真理に於いて私たちの集団が一体に或ることであり、そしてそれが神の愛の霊波と一体になることであり、そこに救いが成就するに相違ないのである。


 キリストは二人して祈れば、その祈りは必ず成就するといっているのである。


 神と、あなたと、集団とこの三者の結合の祈りは祈りの目的が正しい限り諮かれるに相違ないのである。


[212] 常に神と偕にあるには
マリーゴールド - 2013年05月09日 (木) 08時48分


 常に集団の祈りと共にある者は、ひとりいる時にも、ひとりいるのではなく、集団の人たちと共にあり、また神と共にあり、また私(谷口雅春)と共にあるのである。あなた達は神に直接交通し直接接触するのである。


 酸素と水素とは直接接触するけれども必ずしも一体となって“水”とはならないのである。されど其処に白金が出現するとき、それが触媒となって直ちに“水”となる。キリストの出現は人間と神とが接触して一体となるための触媒のはたらきをするのである。触媒は変化しないが、人間が変化するのである。


 併し、今や、キリストは各人のうちんいあるのである。触媒はあなたの内にあるのである。キリストは「我によらずして天国に入る者なし」といい給う。これは「自己内在のキリスト(仏性)を自覚せずして天国に入る者なし」という意味である。


 「自己内在のキリスト」を自覚せよ。「自己内在のキリスト」こそなたの「本当の自己」であるのである。


[213] 神の最高の自己実現として
マリーゴールド - 2013年05月09日 (木) 08時56分


 新しき年と共に、新生して、新しき自覚を有て。自己の内に神の正しき愛と、正しき智慧と、正しき力とが内在することを自覚せよ。


 神は、人間を神の最高の自己実現として造ったのである。それゆえに私たちは、自己にやどる神の正しき愛と、正しき智慧とを、神より受けた無限の力によって実現に移さなければならないのである。


 それにはすべての人と物とにやどるところの神の愛と智慧とを見て、それを礼拝しなければならないのである。


 若し何人かの行為が自分の心を傷つけ、若し何らかの事件が自分の心を動揺せしめるならば、直ちに心を一転してそれらの人々や事件のうちに宿る神の愛と智慧とが自分に何を示そうとしてい給うかを省みて、尚一層自分の心に赦しと愛と感謝を満たすようにつとめなければならないのである。



[214] 問題の緒(いとぐち)を見出すこと
マリーゴールド - 2013年05月09日 (木) 09時02分


 難しい問題が起って来て、それを如何に処置すべきかに杜惑う(とまどう)ときが来たならば、神想観を実修して、瞑想のうちに神を呼び、神にその問題をあづけて神をして解決せしめるがよいのである。


 神は無限の智慧であるから神によって解決できない問題はないのである。事件の進行中に最も適当な時を選んで、神はあなた自身の霊感に、又は人々の言葉の中に、又は事件の進行それ自身のなかに問題解決の道を示し給うのである。


 困難というものは絲(いと)のもつれみたいなものである。緒を見出しさえすればスラスラと解けて来るのである。


[215] 萎縮する代りに前進せよ
マリーゴールド - 2013年05月09日 (木) 21時05分


 過去を嘆くこと勿れ。


 どんなに過去が辛いものであったにしても、貧しい境涯で教育が受けられなかったとか、遺産が少なかったとか、色々のハンディキャップが過去にあったにしても、そのような消極的な観念で自分の“今”の生活を萎縮せしめてはならないのである。


 萎縮する代りに前進せよ。


 真にあなたが何を求めているか、人生に於いて何を為さんと欲しているかをハッキリ脚下照顧して、自己の“真実の願い”がなんであるかを知るがよい。


 人に宿る“真実の願い”は、実は既に“實相の世界”に於いては成就している事なのであるから、それを実現するために、あなたが真に真剣に努力さえすれば必ず実現させ得るのである。


 「迚も(とても)できない」とか「自分の現在の力では?」とか退嬰的なことを考えてはならないのである。大地に植えられたる種子は「迚もできない」とか「自分の現在の力では?」などと考えないのである。


 種子には少しも「動く力」はないように見えるが、生命が動き出せば形が動き出して大地を破って発芽し生長するのである。


 そして或いは巨樹となり或いは爛漫たる華を咲かせるのである。自分が動き出さないでいて、動く力がないなどと考えてはならないのである。


[216] 永遠の勝者たる道
マリーゴールド - 2013年05月09日 (木) 21時12分


 “神の子”たるあなたは、常に神と偕にあるのである。


 神があなたの導き手であり、神があなたの相談相手である。


 神の智慧には失敗はないのである。


 神は永遠の勝利者であるから、真にあなたが“神の子”たるの自覚をもち、神との一体感を深め、神の叡智に導かれるならば、必ずあなたは“永遠の勝利者”となることができるのである。


 “永遠の勝利者”とは“此処に見よ、彼処に見よ、此処に、彼処に点々として勝利の跡がある”というような断続的な勝利を得ることではないのである。


 “久遠の今”を通して神と偕に、“常今の勝利”を生きることである。

[217] 神の祝福を受ける心境こそ必要である
マリーゴールド - 2013年05月09日 (木) 21時18分


 常に間断なく、機会ある毎に、どんな短い仕事の間隙の時間でも利用して、


 「自分は神の子である。神から無限の智慧と愛と力とそれを実現するための資料とを興えられているのである」


 と念ずるがよい。


 念ずる力によって神からそれらが興えられるのではなく、實相世界に於いて既に興えられているそれらの諸徳と資料とを受信し受信し得る「實相同調」の精神波動を起すことになるのである。


 すべてのものは既に興えられているのである。それを受け得る心境を呼び出す事だけが最も必要なのである。


[218] 無常の中に展開する久遠不滅
マリーゴールド - 2013年05月09日 (木) 21時25分


 変化を恐れてはならないのである。


 新しき年が何故よろこばれ、祝われるかというと変化のけじめをハッキリなし得る機会であるからである。


 實相無限内容の世界が、現象界という時間空間の映写幕上に実写されるためには時間空間上に“変化の永遠の持続”という形をとるほかはないのである。


 有限のものが無限を表現するためには時間の流れの上に無限の変化を継続しつつ、映像全体としてその無限を展開するのである。今、自分の生命の時々刻々の変化の上に“無限生命”が生きて展開しつつあることを知るがよい。

[219] あなたは神から祝福されたる者である
マリーゴールド - 2013年05月09日 (木) 21時41分


 
 「汝の實相の燈火(ともしび)を手に把りて起ちあがれ。

  汝の脚を實相の足基の上に確乎として立てるがよい。實相のみが実在であり、實相のみが金剛不壊であり、その上に立つ者のみが堅固不抜であり、實相の燈火のみが人生の行路を照らすのである。

  毎朝の生活の出発の時“神の子”なる汝の實相を念じて、その實相の足基の上に立ち、實相の燈火に照らされて歩むがよい。

  神の智慧は汝を導き、神の愛は汝を護る。神の愛は如何なる敵意よりも強く、神の智慧は如何なる悪しき奸計(はかりごと)よりも慧いのである。

  實相の燈火を掲げて進むとき、如何なる敵意も消え去り、奸計は打ち摧かれて(くだかれて)汝の歩む道は平けく安らかになるのである。

  悪意ある棘(いばら)は汝の歩む道に栄えることはできず、神の愛は美しき華となって毛氈(もうせん)のように行く道に敷くのである。

  汝は神の子、神から祝福されたるものである」


 
 この言葉を繰返し繰返し朗読して、言葉の力であなたの“神の子”たる自覚を深化強化せられるがよい。





[220] 2 ・ 人生の価値とその実現
マリーゴールド - 2013年05月09日 (木) 21時46分


        ◎人間の地上誕生の意義


 人間が地上に誕生したのは何のためであるのか、その意義を知らない人が多いのは悲しむべきことである。


 単に人間は男性生殖細胞と女性生殖細胞との偶然の結合によって、その物理化学的な反応によってこのような姿を現出したのであって、結局は「汝は物質より生じたる者なれば物質に還るべきなり」という風に、死せば物質に還元してしまって、あとに何ものも残らないとするならば、“人生何の価値ありや”ということになってしまうのである。


[222] 唯物論者は結局快楽主義に陥る
マリーゴールド - 2013年05月10日 (金) 16時30分


 唯物論者は結局、生命の起源を物質の複雑なる結合によるものであって、その結合状態が崩壊してしまったら生命は“無”に帰するのであって、人間の存在はこの世一代限りのものであるというように説くのであって、これでは人間には永遠価値というものはなく、ただ暫く現象として“影”のようにあらわれている間だけの現象価値しかないということになるのである。


 人間が永遠価値が無い存在だということになれば、そして現象価値しかないということになれば、その現象存在として自己が存在をとどめている間に何とかその存在感を体に強く感銘して置きたいために、どうしても肉体の快楽――それも、最も強烈な感覚的刺激的快感――を求めたくなって、アルコールと性的刺激を追及するようになり、人間の堕落を促すことになるのである。


 唯物論的人間観が蔓こる時代の国民が快楽主義、肉体主義に陥るのは当然であるといい得るのである。


 戦後の日本国民、特にレジャー・ブームの中で生活し、昭和元禄時代の異名をとった現代の日本人が、バーやキャバレーやナイトクラブで半裸で歌い狂い踊り狂う現状は、まさに唯物論的人間観が支配する世界の末世的症状をあらわしているといわなければならないのである。


[223] 現代の末世的人間の乱舞は何を語るか
マリーゴールド - 2013年05月11日 (土) 12時24分


 自分が単なる肉体的存在であって、やがて死ぬ存在であり、肉体以上に何ら聖なる霊的価値などないという考えに想い到るならば、肉体が存在する間に、味い得る限りの快楽とスリルを味っておきたいという感情が湧き出で来るのは当然であるといわなければならないのである。


 嘗て私は『渚にて』と題する全世界の人類が原子戦争の放射線効果によって死滅する直前を描いた映画を見たことがあるが、この映画に於いては最初、北半球で原子戦争が行われ、北半球の全人類は死滅してしまって、その放射能を帯びた“死の灰”が数十日ののちにはオーストラリヤに降下して来て、やがて全豪州の人間も全滅するという予告の下に、その全豪州お人間が如何に行動するかという想定を具体化した映画なのである。


 “死”を直前に向えることに定っている人間は、最後の恋愛を楽しむ人間もあれば、最後のスリルを楽しむべく、否、死の恐怖感を忘れるべく、極端に高速度で疾走して衝突したり転覆したりして死ぬ人間もある。


 人間が“死”をその直前に自覚し、そして自己が唯物論的存在であって、死の後に何も残らないと考えるとき、結局このような快楽とスリルでその潜在恐怖を麻痺させるための乱舞的行動を起すのである。


 現代日本人の乱舞的行動は(全学連の直接行動等も引っくるめて)結局、唯物論的人間観から来る“死”の恐怖を、一時的スリルで麻酔させるための行動だと解釈できるのである。


[226] エデンの楽園に還帰する道
マリーゴールド - 2013年05月11日 (土) 20時57分


 青年の非行化、少年の不良化、酒場に於ける乱舞、全学連の騒擾(そうじょう)、自動車やダンプカーの暴走――結局、これらを一々取締ろうとしても、そのもとを刈り取らなければ、源流を浄めずして下流の濁水を清めることが不可能な訳なのである。


 その源流とは何であるか、それは唯物論的人間観なのである。換言すれば「人間は死すべきもの」という潜在意識の前に震えながら乱舞を繰返している憐れなる姿なのである。乃ちこれこそ、“蛇の智慧”を食して楽園から追放された人間の気の毒にも憐れなる姿なのである。


 私たちが、この悲惨なる人間苦の世界から再び實相のエデンの楽園に還帰し来るためには、「人間は唯物論的存在である」という迷妄から目覚めて、人間は霊的存在であるという實相を悟らなければならないのである。


 これを佛教的に言うならば「衆生、却尽きて大火に焼くると見るときにも、わが此土は安穏にして天人常に充満せり」という「法華経」に示されたる天人充満の實相浄土が、今既に此処にあるのだと悟らなければならないのである。


[227] 敵は自分の心の中に
マリーゴールド - 2013年05月13日 (月) 16時31分


 「憂怖諸々の苦悩充満せり」(「法華経」自我偈)と見える現象世界に生活しながら、その地獄的状態から脱出する道は、「その状態から脱出する」のではなくて、自分自身そのものが自分の迷妄から脱出しなければならないのである。


 そして釈尊が仰せられた「わが此土は安穏にして天人常に充満せり」という世界を自分の心で観なければならないのである。


 心に“戦いの世界”を見、心に“敵の存在”を見ながら、戦争を停止しようという努力は概ね無数に帰するのである。何故なら“戦争”は外界にあるのではなく自分の心の内にあり、“敵”は外界にあるのではなく自分の心の内にあるからである。


 しかし此の事を悟った後に実際生活上、如何に為すべきかは、神からの指示によらねば中々むつかしいのである。やはり神想観を実修して神との一体感を深め、神の叡智を呼び出さねばならぬのである。


[228] 物質によっては平和は来らず
マリーゴールド - 2013年05月13日 (月) 16時37分


 神は愛であり、愛が自分の心のうちに湧いて来るとき、それが愛行と具体化して人類を救うことができるのである。愛は復活の力である。それは性愛のことではないのである。如来の聖愛であり慈悲の愛である。


 一人でも地上の人間を苦しめてはならないという神の無限の愛である。唯物論的な心を棄て去れ。「物質に神の国を追い求むる者は夢を追うて走る者にして永遠に神の国を建つる事能わず」と聖経『甘露の法雨』には示されているのである。


 物量にものを言わせて、相手を屈服せしめることによって平和をもち来そうと思っても、それは「物質に神の国を追い求むる者」であるから結局その目的を達することはできないのである。


 物質的繁栄の国アメリカの悲哀はそこにあるのである。


[229] 真の平和は、實相を観ずることによって得
マリーゴールド - 2013年05月13日 (月) 16時49分


 毎日、そして毎刻、あなたの心の世界に神を念ぜよ。「神があらわるれば乃ち善となり、義となり・・・・・・調和おのづから備はり、一切の生物處を得て争ふものなく、相食むものなく・・・・・・」と聖経は示し給うているのである。


 常に神を念うことなく、常に敵と、戦いとのみを念うことによっては調和ある平和の世界は実現のしようはないのである。私たちは常に「敵の無い世界」「争いのない世界」のみを想見しなければならないのである。


 聖経『天使の言葉』には、

 『實相世界の住居は悉くこれ「生長の家」なれば、住民に飢ゑなく、悲しみなく、争ひなく、病なく、萬の物ことごとく意に従って出現し、用足りておのづから姿を消す。圓満具足清浄微妙の世界、これ實相世界、これ汝らの世界、このほかに世界あることなし。』


 と示されているのである。この聖句を「法華経」の「衆生劫盡きて大火に焼かるると見る時にもわが此土は安穏にして天人常に充満せり」と対比してみるとき、「このほかに世界あることなし」の意が津々として無限に深い意味をもって感得できるのである。


[231] 方便と行動を失った信仰は空念仏
マリーゴールド - 2013年05月14日 (火) 16時09分


 「観世音菩薩行法経」には「無量の勝方便は實相を思うより得」と示されているのである。實相世界の「一切の生物處を得て争うものなく相食むものなき」永久平和の世界は、決してやぶれることはない常住の世界であるけれども、その「實相を思う」又は「實相を観ずる」ことだけで、實相世界の永久平和の世界が実現するのではないのである。


 「無量の勝方便は實相を思うより得」という普賢経の意味は、實相を思うとき、實相の円満完全な姿が実現するための勝れたる方便、過程、手段が自然に思い浮かんで来て、それを実行することによって、實相世界の完全円満な風光が現実化して来るという意味である。


 「實相を思う」ことなしに、人間智――単なる頭脳智によって、永久平和の世界を来らしめようと思っても、人間智は、一寸先を予知することのできない黒闇の智慧であるから、善と思ってしたことが、その結果が悪に転ずることが度々あるのである。



[232] 真の“新生”は實相を観ずることによって得
マリーゴールド - 2013年05月14日 (火) 16時15分


 實相世界には無限の善が満ちてをり、無限のアイディアが充満しているのであるから、毎朝毎晩怠らず實相を観ずっることにより、實相の完全さが現実化するための通路又は連絡路が心の世界に開かれることになるのである。


 そして、その人の思い浮かぶことが、實相世界の完全さを現象化するために必要なアイディアとなって来るのである。


 そして實相は無限であるから、あなたが實相無限の世界に通路を開くとき、その無限の中から常に新しきものがあらわれて来るのであるから。その人の毎日々々が「新たに生れる」ことになるのである。


 本当の新生は實相を観ずることによって得られるのである。



[233] 神とつながる通路を開きなさい
マリーゴールド - 2013年05月14日 (火) 16時22分


 人間は“神の子”であり、神の最高の自己実現であるから、吾々が迷いによって、神の叡智との通路を閉鎖しない限りは、常に神の智慧によって導かれ、神の愛によって護られ神の力によって支えられているのである。


 あなたの事業は、神の無数の事業のうちの一つであり、神の叡智の通路を遮断しない限りは、神からの導きにより必ず繫栄するにきまっているのである。


 あなたは神の自己実現であるから、あなたが迷いによって会の生命の流れを遮断しない限り、神そのままに完全であり、従って無限の健康と無限の生命力とをもって、あなたが神から興えられた使命を充分完全に盡すことができるのである。


 “迷い”を去るたえに常に怠らず神想観実修して、神の生命と智慧と愛との通路をひらくがよい。


[234] 聖典の読誦と神想観が運命を開く
マリーゴールド - 2013年05月14日 (火) 16時30分


 神とつながる“心の通路”をひらくとき、あなたの人生を晦ましていた“迷いの雲”は霽れる(はれる)のである。“迷いの雲”が霽れるとき、實相の光は愈々皎々として照り渡り、愈々益々現象世界に實相の完全な風光があらわれて来るのである。


 雲が霽れれば光がさし、光が射せば愈々雲が霽れ、循環的に連鎖反応が起るのである。何よりも先づ聖典を読み、真理を知って迷いを祓い、その真理を全心身に浸透せしめるために怠らず神想観を実修するがよいのである。


[237] あなたの身辺を“心”をもって浄めること
マリーゴールド - 2013年05月15日 (水) 21時44分


 すべてのあなたの身辺の出来事について、思い煩ってはならないのである。


 あなたは現象界にあらわれている不快な姿や、あしき有様に、自分のこころを捕捉せられて心の自由を失ってはならないのである。眼を挙げて現象の彼方を見よ、しかしてその人々の實相の完全さを透見せよ。すべての人間は神の子であって、ひとりとして真実、悪しき相のものは存在しないのである。


 敵と見える者も敵ではないのである。すべての人間は“神の子”であるから、互いに兄弟姉妹であり、相互協力、相互扶助して互いに人生を衝突なく前進できるようにつくられているのである。


 悪を見るな、善のみを見よ、憎しみを見るな、愛を見よ。愚かなる者を見るな、神の子にして賢なる者のみの存在を見よ。


 このような努力をつづける時、あなたの周囲には唯、善なるもの、調和せるもの、健やかなるもの、平和なるもの、美しきもの、好ましきもののみが実現していることを見出すであろう。


[238] 解決困難の問題に面した場合
マリーゴールド - 2013年05月15日 (水) 21時52分


 あなたの身辺で、あなたの人間力だけではどうにも解決できない問題が起って来たときには神想観を実修して、自分の心を神に振り向け、神にこの問題の解決をお願いして、神の処置に全托するがよいのである。


 「神さま、あなたは全能であられます。神さまあなたは全智であられまし。あなたはこの問題を、双方どちらにも調和した姿で解決する道を知っていらっしゃいます。私はこの問題の解決をあなたの全能にして全智なる愛深き判断と指導におまかせ致します。どうぞみこころの如く成らしめ給え」


 このように祈念して事件全般を神の御手に委ねる気持になり、一切の不安や心配や焦燥の念から自由になるがよいのである。そして今後、自然に出て来る“全体の働き”に逆うことなく、「悪くなるのは、好くなる始めだ」との自覚で、素直に人からの申し出を用い、自分の頭に閃くヒントを実行するようにするとよいのである。



[239] 無我全托して神の処置に委す場合
マリーゴールド - 2013年05月16日 (木) 05時11分


 神想観を実修して、常に自分の心を、毎日一層ひろく、神に対して全開せよ。而して、神の叡智の導きを受けよ。神からあなたを無限に繁栄せしめるアイディアが常に放送されてをり、あなたはそれを容易に受信することができるのであろう。


 神があなたの繁栄と成功のために良きアイディア又は計画を送り給う媒体は、決して一種に限られている訳ではないのである。神には無数の媒体があり、無数のチャンスがあるのである。それは“虫の知らせ”という形をとることもあれば、インスピレーションという形をとることもある。


 霊眼霊耳というような心霊能力を通じて来ることもあるが、親切な友人からの申し出や、助言という形をとることもある。


 兎も角、問題の解決を神の御手にゆだねたら、我見を出して神の御手に渡したその問題を、もう一遍自分の手に奪い返すようなことをしてはならないのである。



[240] あなたは「増加の法則」に乗るがよい
マリーゴールド - 2013年05月16日 (木) 05時19分


 宇宙には「増加の法則」というのがあるのである。


 人口の増加、食料生産額の増加、自動車生産台数の増加、資本の増加等あらゆる方面に「増加の法則」が現実化しつつあるのである。


 私たちは、この「増加の法則」に逆ってはならないのである。あなたが若し、この増加の法則に従うならば、あなたの繁栄は益々増加するに相違ないのである。あなたは“神の子”であるから、神から無限の供給と無限の繁栄とを譲られているのであり、その供給と繁栄とは既に輸送管の中に入れられてあなたに送られて来つつあるのである。


 そのパイプの中の流通を“自己縮小”の観念や“恐怖”や“不安”の念で閉塞してしまわない限りは、常にあなたの繁栄と成功の程度は増大するにきまっているのである。


[241] “神の子”の自覚を深化すること
マリーゴールド - 2013年05月16日 (木) 05時30分


 「増加の法則」に乗るためには、第一、人間は“神の子”であり、無限の可能性を――物量的にも精神的にも、霊的にも、、能力に於いても、智力に於いても、万般の方面に無限の可能性を、譲られていることを強く自己の潜在意識に印象することである。


 潜在意識は、現在意識面(現象生活)と、“實相無塵蔵の世界”とをつなぐ架け橋又はパイプとなるものである。次の如く念ずるがよい。――


 「私は神の子である。神はコトバである。コトバとはアイディアの表現である。神の世界には神の無限の良きアイディアが充満しているのである。私は今、自分の心のチャンネルを神に対して振り向け、ボリュームいっぱいに私の心を神に対して全開したのである。それゆえに、神から私が繫栄するために必要なアイディアが滔々と流れ入りつつあるのである」


 このように繰返し念じて神の叡智の流れ入る有様を「光の流入」の形で十分間ほど精神を統一して瞑視するがよい。


[242] 他の繁栄を悦ぶ祈り
マリーゴールド - 2013年05月16日 (木) 05時39分


 「増加の法則」に乗るためには、外の繁栄(その事業の増大や、財産の増加)を羨んではならないのである。他の人の繁栄を羨んだり、憎々しく思うならば、それは“繁栄”を、心の世界で拒絶し否定していることになるのであるから、自己の“繁栄”をも拒絶し否定することになり、従って、自分の計画が失敗し、自分の事業が蹉跌し、ついに繁栄を失うことになるのである。


 ほかの人が繫栄するのを聞けば、その人に代って神様に感謝の祈りを獻げる(ささげる)がよい。次の如く祈りなさい。――


 「神さま、あなたはすべての繁栄の源泉であられます。すべての繁栄は、神さま、あなたから来るのであります。私の知人何某は(名を唱える)あなたさまの叡智を受け、大いに繁栄いたしました。神さま、あの人が神に導かれて大いに繁栄いたしました事について、あなたに感謝いたします」


 この祈りは、吾々の隣国の繁栄や、貿易の相手国の繁栄を希うために応用すれば、それが、日本国自体の繁栄に道を拓くことにもなるのである。


[247] 祖先を開悟に導くために聖経を読誦せよ
マリーゴールド - 2013年05月17日 (金) 21時51分


 繁栄のために必要な祈りは、祖先に対し、また父母に対して感謝のコトバを唱えること、又は感謝を念ずること、また現実に言葉に出して「お父さん、お母さん、ありがとうございます」と本当に感謝することである。


 祖先はあなたの「生命の樹」であり、父母はああたの“生命の幹”であるから、根を培わねば、その植物は伸びないのであり、幹を無視して、枝葉ばかり栄えるということはないのである。


 祖先の霊が迷っている場合には、そのような霊が「救われたい」とねがって念を送って来ることになるのであるから、繁栄の反対に、衰退の想念があなたに引っ懸って来るものであるから、あなたの運命も自然衰退の道をたどることになるのである。


 祖先の霊に対して、聖経『甘露の法雨』を毎朝夕読誦してあげることにし、聖経の表現する“真理の言葉”によって先祖の霊の悟りを増進するならば、“迷っている祖霊”の念波に子孫が抑えられることなく、更に開悟して神通力を増した霊からの守護と指導のアイディアを受け、自然にあなたの計画せる事業が繫栄することになり、家族一同の健康にも好き影響をもたらすのである。


[254] 「増加の法則」としての陰陽の調和
マリーゴールド - 2013年05月19日 (日) 21時23分


 人生を支配する「増加の法則」が如何に行われるものであるかは、一切の生物がいかにして増殖し、子孫を殖やして行くかを見ればわかるのである。そこには必ず“陰陽調和の法則”が実践されているのである。


 「増加の法則」はそのまま“陰陽調和の法則”と称しても差支えはない位である。物質の素粒子が結合して、或る一定の原素が生ずるのも陰陽の調和によってである。地球が太陽を中心に旋回をつづけているのも陽(太陽)と陰(地球)との調和によるのである。


 作物が豊作になるのも天地陰陽の気の調和によるのである。すべての生物が繁殖するにも牝牡即ち陰陽の調和によってである。


 若しあなたの家庭に夫婦が精神的に、又は行動的にも不調和なことがあるならば、そこにあなたの家業の繁栄に支障を来す根因があるのであり、また時には、不良の子供を発生する原因にもなるのである。


[255] 「増加の法則」を家庭生活に実行せよ
マリーゴールド - 2013年05月20日 (月) 21時57分


 夫婦陰陽が調和するためには、“夫唱婦和”の法則、即ち「夫先づ唱え、婦これに和す」の法則に従わなければならないのである。夫は婦(つま)を覆い、婦は夫を載せて生命を受ける――これが「増加の法則」であり、これが調和して行われるとき子孫が繁昌することになるのである。


 結婚しても子供を妊娠しない夫婦があるならば、夫婦生活みづからを反省してみるがよい。その妻は、何事もすべて夫の仰言る通りを直ぐ素直に、悦びをもって実行しているであろうか。夫の言う通り実行してはいるけれども、心の中に抵抗がなかったであろうか。心の中に抵抗もなかったが、面倒くさいので直ぐ実行しないような、何となき習慣が残っていなかったであろうか。


 妻は夫に対してはカラッポになっているとき妊娠するのである。これは避妊薬その他の挿入してはならないという物質的意味だけではなく、心の世界に於いて、妻は夫に無我随順を悦びとするのでなければならないということである。肉体のことは、精神的交りの象徴に過ぎない。


[256] 現象の障碍より一転して實相の無礙の世界へ
マリーゴールド - 2013年05月20日 (月) 22時06分


 實相に於いては人間は“神の子”であるから、既に円満完全であり、あらゆるものが完全に整っていて、繁栄と富有と悦楽と愛情と創造の悦びと、それらを実現するための智慧と力とが兼ね備わっているのであるから、何らの障壁も障碍もないのである。


 若しあなたが、自分の希望の現実化の過程に於いて何らかの障碍を感ずるならば、現象の障碍の方に心を振り向けることを止めよ。一転して、實相の無礙自在の世界に心を振り向けよ。


 これこそが神想観なのである。かくすることによって、無礙自在の實相の智慧があなたに流れ込んで来て、どんな問題でも容易に解決する緒を見出すことができるのである。

[257] 信仰には忍耐が要求せられる
マリーゴールド - 2013年05月21日 (火) 21時28分


 あなたが祈りにより、或いは神想観によって實相無礙自在の智慧を引き出してくるにせよ、いづれにせよ、あなたの希望が早急に成就しないからとて、早急に失望してしまってはならないのである。


 大きな希望ほど、それが生長して實を結ぶようになるには長期間を要するのである。草花の種子を蒔くならば間もなく発芽して数ヶ月のうちに実を結ぶようになるであろうが、天を摩する巨樹にまで生長する松柏類の種子を蒔いても急には発芽せず、また発芽しても、一、二年のうちに急速に伸びるということはないのである。


 しかし杉や檜の植林をしたら、二、三年で、しびれを切らして幼樹を抜き取ってしまう人はないであろう。「この檜又は杉は必ず伸びて巨樹となる」という信念があるから、その山の持主は苗木を引き抜いてしまうことをしないのである。


 もしあなたが祈りつづけながら、二、三年でその祈りが成就しないからとて、「もうだめだ」と祈りを中絶してしまうならば、この山林の持主はどの信仰すら神に対して持っていないということになるのである。


 本当の祈りには“忍耐”という要素が要求されるのである。“忍耐”の美徳を養成して下さるために、神は希望実現の時期を前途に延ばされることもあるのである。それは魂の鍛えにとって善きことである。


[258] 何故あなたは神に感謝を忘れるか
マリーゴールド - 2013年05月21日 (火) 21時41分


 あなたが一呼吸し、一挙手一投足し、食事をし、それを消化し吸収し、それを人体を維持しまた働くためのエネルギーと化しつつあるその全活動は、すべてあなたの生活のために神の生命力と智慧と愛との恵みを使用しつつあるのである。


 若し私たちが神のエネルギーを一秒間でも使うことを停止するならばあなたは即座に死んでしまうのである。それゆえに、あなたは神に毎時毎刻感謝しなければならないのである。感謝という心の波動は、神の霊波(エネルギーの放送)に波長を合わせ、吾々の生活上必要な一切の要素を受信し受像し現実化するための必須の条件となるものである。


 無論、神は善人にも悪人にもその恵みの霊波を送り給うこと、恰もラジオの放送局が善人にも悪人にも、聴衆料を支払う人にも支払わぬ人にも、色々の好き番組を放送してくれているのと同様なのである。


 しかしその放送番組を受像し得る人もあれば、受像し得ない人もあるように、神様の“恵み”の放送をも受信し得ず、それを像にあらわす事ができない人も多勢あるのである。神の恵みを受像し得ない原因の一つは神に感謝する心の欠乏ということである。


[259] 吾々は神に活かされている
マリーゴールド - 2013年05月22日 (水) 21時26分


 一切の事物が神からの霊的放送が現象化したものであり、すべて吾々は神のエネルギーの変形せるものを常に利用しつつあるのだということを知るならば、神に感謝の念が起るのは当然すぎるほど当然このことなのである。


 私たちの皮膚、筋肉、骨、骨髄、血球、血漿、脳髄、神経組織、腺組織、すべての内臓及び血管、琳巴管・・・・・・等ことごとく神の叡智による設計で成り立っているのである。


 神は吾々人体の設計者であると共に、建設施工者であり、そして完成した人体設備の運転者であり、保全者である訳である。神を抜きにしては吾々人間は断じて存在し得ないのである。それゆえに私たちが此処に生きているのは、自分の力で活きているのではなく、活かされているのである。だから私たちは常に神に感謝すべきである。



[260] 生活を實相の堅固の基礎の上に
マリーゴールド - 2013年05月22日 (水) 21時36分


 あなたの生活を“浮動する現象”の地盤の上に築くこと勿れ、“常住不動の實相”の堅固なる基礎の上に築くがよいのである。現象の利益を追求する前に、實相の善を遂行せよ。“愛”は實相世界に存在する實質である。


 何故なら神は“愛”でるからである。“愛”が遂行されるときそこに“善”があらわれるのである。若しそこに“愛”があらわれるならば、それは“善”となるのである。性愛は、煩悩であって此処に言う愛ではないのである。真の愛は、相手が“神の子”である實相を観て尊敬することに始まる。


 尊敬のない愛情は煩悩であり、自分が相手に執着することによって、相手から快感を引出そうとするのである。愛は単なる“好き”ではないのである。また相手から快感を引き出す欲望でもない。“好き嫌い”は現象に属する。“好き嫌い”の中の“好き”は唯の自分の“好悪”をあらわすだけであって相手を本当に愛しているのではないのである。


 本当の愛は感覚の美醜を超え、感覚的好悪や快不快を超えて實相を愛するのである。


[261] あなたの今いる所が好機会である
マリーゴールド - 2013年05月22日 (水) 21時42分


 好機会は一生に数回しかないというものではないのである。好機会は常にあるのである。何故なら、すべての現象の進展の奥には、實相が尚一層完全に表出し出ようとする“催し”があるからである。實相が尚一層完全に表出せんとする機会を捉えるならば、その人は好運に乗ることになるのである。


 神の創造は常に行われているのである。創造のあるところ、常に機会はあるのである。あなたの生活が實相から催して来る創造の波に乗るならば、その波に乗った瞬間が好機会を捉えたのであり、その後は自然に波のまにまにあなたの運命が上昇して行くのである。


 實相の催しに同調できるならば、あなたが今いるところがそのままに好機会なのである。



[262] 目先の欲得で動いてはならない
マリーゴールド - 2013年05月22日 (水) 21時52分

 「増加の法則」に則るには、今いる所に於いて、自己のもてるすべてのものを動員して興えるがよい。手の中の“駒”を無駄に遊ばしておくことは愚かなことである。種子があり場所がありさえすれば、種子を抽斗(ひきだし)の中に置いとくのは勿体ない。


 それは播種すれば必ず増殖するのである。しかし石地に播いたり、砂漠に播いたりしたのでは発芽しない。できるだけ沃地に播かなければならない。沃地と石地と砂漠の不毛の地とを区別するのはどうすればよいのか。下手に出資をして詐欺にかかることもある。また衰微しつつある会社に出資して、会社がつぶれる事もある。


 人間は、みな自分の思い通りに希望や期待をもって実行しつつあるのに、繁栄する人と失敗する人とが生ずるのは何故であるか。それは神の叡智を受ける人と、人間智で、目先の欲得で行動する人との相違である。


 目先の欲得で動くときには、大抵その人が他の犠牲に於いて(又は他の損失によって)自分g利益を得ようとするから失敗するのである。それは「他から奪う心」の変化である。「奪う者はまた奪われる」のである。


[263] 清貧礼讃・受難礼讃に陥ってはならぬ
マリーゴールド - 2013年05月22日 (水) 21時59分


 自己を利すると共に必ず他をも利する心をもって行動せよ。自分の利益を拒絶する必要はない。宇宙には「増加の法則」が貫いており、事故が成長し、自分の財産が増加し、能力が増進し、智慧が益々発達するということは、自己が宇宙にある「増加の法則」に乗ることであり、宇宙にある法則に乗ることは、結局、神の御心に適うことであるからである。


 富を罪悪視してはならない。また貧乏を美徳のように思ってはならない。それは受難礼讃という歪められた道徳観である。自分が貧しいために、人に不快な思いをさせたり、人に厄介をかけたり、人を救けることができなかったりするのはあまり褒めたことではない。


[264] “興える”と“受ける”との相補的調和
マリーゴールド - 2013年05月22日 (水) 22時10分


 “興える”と“受ける”とは一つの善行又は愛行の両極であると謂えるのである。受けてくれる者がなければ“興える”悦びを味わうこともできないのである。だから“興えた者”は“受けた人”を軽蔑してはならないし、優越感を味わってもならないのである。


 “興える”といっても、みんな神から預らして頂いている物を相手に回しただけであるから、興えることが出来たとき、神に感謝をし、又“受けた人”に感謝するがよい。相手を劣等視したり、軽蔑したり、自分が優越感を味ったりしたら、その善行及び愛行の価値は消えてしまい、福田として残るものは何もなくなるのである。


 興えることができたことを神に感謝し、また受けてくれた人に感謝したとき、はじめてその“興えた行為”が円相となるのである。



[265] 3・神の世継としての自分
マリーゴールド - 2013年05月23日 (木) 15時42分


 
        ◎新生への言葉


 神のみが実在である。


 実在するものは神のみである。


 自分は今此処に実在するものである。


 だから自分は神なのである。



[266] われ神の叡智を満喫す
マリーゴールド - 2013年05月23日 (木) 15時46分


 神は到るところに自己表現したまうのである。神は無限の叡智であるから、無限の美しき設計、構図、アイディア等を大自然の鉱物、植物、動物等にその叡智を表現したまう。


 その種類の豊富なること、形態の千差万別、単純にして精緻、不整形の中に驚くべき調和と均衡を保った構図、何を見ても唯々驚くばかりである。ああ神の叡智の素晴しきかな。われ神の叡智を讃嘆し奉る。



[267] 創造の意識的中心としての人間
マリーゴールド - 2013年05月23日 (木) 15時53分


 大自然の動植物及び鉱物等に見られる叡智にはただただ感嘆するほかはないのであるが、それら鉱物・植物・動物は、ただ被造物であって、作られ、興えられたる形や働きやを受けてあらわしているだけであって、それは、どこまでも「造られたもの」であって「創造の主体」でもなければ、「創造の意識的中心」でもないのである。


 それは「られたるもの」(受動)であって、「する」(主働)ものではないのである。


 しかし、人間は、「創造の意識的中心」である。人間はシテであって、神が主働者であるが如く、自己が創造の意識的中心となって創作し、創造するのである。


 それゆえに、人間は単なる被造物ではなく、神と共に創造の主体的“担い手”なのである。それゆえにこそ「神の最高の自己表現」と言い得るのである。



[268] 常に「自己が神の最高の自己表現」であることを思い出せ
マリーゴールド - 2013年05月23日 (木) 15時57分


 吾々は時々、自己が「神の最高の自己実現」であることを忘れるのである。そんな時、私たちは失敗したり、脱線したり、意気消沈したり、悲観したり、病気に罹ったりするのである。


 それゆえに私たちは自己が「神の最高の自己表現」であることを毎日新たに思い出す必要があるのである。


 神想観は、人間が神の最高の自己表現であることを思い出すための最もすぐれたる行事である。


[269] 神は想念によって万物を創造する
マリーゴールド - 2013年05月23日 (木) 16時03分

 神は“心”であり、“コトバ”である。


 「神は心をもちたまう」のではなく、神は“心”そのものであり、普遍的叡智なのである。聖経には「神の『心』動き出でてコトバとなれば一切の現象展開して万物成る」とある。


 “心”が動けば、それは物体が動くのではなく、“心”が動くのであるから、“想念”となるのである。「想念」の別名がコトバである。想念は万物をつくるのである。声帯より出でる発生音は、想念のコトバが、発声のコトバとして顕されたものである。



[270] あなたは良き言葉をもって良き事物を創造する
マリーゴールド - 2013年05月23日 (木) 16時10分


 “神の子”なる人間は、“神の創造の意識的中心”として“心”に“良きもの”のみを思い浮べ、意識して“良き言葉”を発し、言葉の力によって“良きもの”のみを創造するのである。


 今後、あなたは決して“悪しきもの”を思い浮べず“悪しき言葉”を発しないがゆえに“悪しきもの”は決して、あなたの人生には顕れて来ないのである。あなたの生命は神の生命であるから善き事のみを創造するのである。


[271] 人間は支配者であり、創造の指揮者である
マリーゴールド - 2013年05月23日 (木) 16時16分

 神はすべての事物の支配者である。


 それ故に神の生命を宿し生れ、神の叡智を譲り受けたる“神の子・人間”は、決して外界の事物や、環境や境遇の奴隷になることはなく、これ等のものの支配者であるのである。


 軍隊の指揮者が、命令の言葉を発したならば、兵卒が指揮命令の通り動き出して敵陣に殺到するがように、人間の言葉の力によって、欲する事物に顕れるように命ずれば宇宙の創化力が法則に従って動き出して、言葉で命じた通りの事物をあらわしてくれるのである。


 それは宇宙の創化力が法則に従って動いてくれるのであるから、人間が肉体的な力でりきむ必要はないのである。



[274] 現象界には時間的順序であらわれる
マリーゴールド - 2013年05月27日 (月) 21時45分


 すべての“良きもの”は、實相世界に於ては、實相世界に於ては、既に存在し、既に“神の子”は、その“良きもの”を得ているのであるけれども、それが現象界にあらわれる映画のフィルムの巻きもどしのように、一齣一齣、時間的順序を通してあらわれて来るのである。


 それは恰も植物の種子の中にある「理念」が、種子の発芽、双葉展開、草の生長、葉の繁茂、蕾の形成、そして花咲き、やがて実るというような順序を通して出て来るのである。


 急ぎ過ぎて、急に出て来ないので失望したり、信仰を失ったりしてはならないのである。信じて待つということが必要である。



[275] 種の発芽する時には変化が起る
マリーゴールド - 2013年05月27日 (月) 21時53分


 あなたが“神の子”たる権能を以て、万物の支配者として、創造の指揮者として、神想観を実修する前に、コトバの力によって、“善き事物”を祈って、「既にそれを受けた」と念ずるならば、宇宙の創化作用が、命令を奉ずる兵隊のように動き出して、それを現象界に造り出してくれるのである。


 その時、自然法爾に催して来る自分の行動を抑制してはならないし、また周囲に動き出して来る人々の動きや、環境の変化に驚いたり、心配したり、恐怖したりしてはならないのである。


 種が発芽し発根するときには種の外皮を破壊して伸びるように、實相の世界にあるものが、現象界にあらわれて出ようとする時には、何等かの変化作用又は破壊作用が起って来ることがあり得るのである。


 その変化に対して驚くことなく、必ず良き結果と成るのであるという信念を失わなかったら、屹度そのように成るのである。


[276] 成就の過程に於ける杭打ち作業に驚く勿れ
マリーゴールド - 2013年05月27日 (月) 21時59分


 神の子たる自覚をもって、神に祈ってそれを“既に得たり”として感謝して待つならば、適当な時に、適当な場所に、適当な人と物とが動き出して、あなたが求めたところのものを成就させてくれるのである。


 その成就の途上に於て起るところの一切の出来事は、たとい一時は破壊物に見えても、それは土を掘り返してコンクリートを打ったり、地盤を固くするための杭打ち作業であったりするのであるから、破壊の如き外見に心を執らわれて、「必ず成る」という信念の種子を掘り起して棄ててしまうような事があってはならないのである。



[277] 天地一切のものと和解して神に祈ること
マリーゴールド - 2013年05月27日 (月) 22時08分


 現象界にどんな複雑な問題が起って来たにせよ、それはすべて自分の“心の影”なのであるから、自分の心を転ずれば問題は変化して来、自分の心を解決すれば問題も解決するのである。


 先づ自分が天地一切のものと和解する神想観をなし、現象界には敵とみとめられるものにも感謝する心になり、而して後、その問題を神にゆだねるがよいのである。神にゆだねることをしても、なお其の問題が解決しないならば、それは、自分の心が天地一切のものと和解していないからである。


 「神は助けとうても、争いの念波は神の救いの念波を能う受けぬ」と神示にはしめされているのである。天地一切のものと和解したのち、神に祈り、祈りに於いて神にその問題をゆだねた後に、自然に催されて来る事物進行の順序のうちに神の智慧による解決が行われることになるのである。


 神を呼ばないで、自力ばかりで解決しようと思うところに視野の狭い解決法で行き詰ることになるのである。



[293] 神に完全にまかせ切ること
マリーゴールド - 2013年06月08日 (土) 07時42分


 神は全能であり、最高の力であり、何物も神に抗して、計画を破壊することはできないのである。若し私たちが神に対して無我になり完全に全托しさえするならば、神は如何なる障碍をも突破し得る力と智慧とを興えたまうのである。


 神の智慧は、その進行しつつある事件のうちに、そしてそれに対応しつつあるあなたの心のうちにあらわれて、事件を円満解決の道に導きたまうのである。併し、この無我全托には、一切の自我的はからいを擲つ(なげうつ)だけの勇気を要するのである。


 同時に、こんなことでうまく物事が解決するだろうかと云うような不安、恐怖、疑惑などを悉く棄て去り、「神に全托してをれば、何事も結局はうまく行くより仕方がない」と云う堅信を持ちつづけるだけの勇気が必要なのである。


 神に委せ切り、、自我が無くなり、自分を神そのものの自由にゆだね切って、恰も海綿が全体に海水を吸い込むように神を全身に浸潤せしめるとき、神そのものの智慧が自分を支配して行動化してくれるのである。


[294] 神との一体感を深めること
マリーゴールド - 2013年06月08日 (土) 07時48分

 ただ神のみを見、ただ神のみに依り頼れ。そして神を自己に浸潤させ、浸透させ、自己を神と一体ならしめるのである。そのとき、あなたの過去の一切の業は拭い去られ、悪しき習慣は消え、性格が一変し、生活全体の雰囲気が変ってしまうのである。


 あなたは人間が世界を見るようにではなく、神が世界を見るように、この世界を完全の相に於いて見、すべての人間の實相の完全さを見、それを實現することができるようになるのである。


 あなたの人生観は明るくなり、容貌は明るくなり、雰囲気は明るくなり、周囲の人々は、あなたを徳とするようになり、あなたを信頼するようになり、事情は好転し、新しく明るい方向に問題は解決することになるのである。



[317] 神の智慧の流入を祈ること
マリーゴールド - 2013年07月02日 (火) 20時54分


 毎朝、あなたの人生への出発に際して神に祈れ、そして「神の完全なる智慧われに流れ入りて、わが魂の底なる希望を実現するために導きたまう」と繰返し念ぜよ。


 あなたの自信は増加し、計画は緻密となり、前進の勇気は湧き出で来、行くところ可ならざるなきに至るのである。何事に対しても、「困ったナ」と考えることなかれ。すべての問題は自己を研き上げるための研磨剤として自分に興えられるものであるとして、すべての問題を感謝して之を迎えるとき、嶮しきは平坦となり、何事もスラスラと進行するようになるのである。


 「天地一切のものに和解せよ」とは、天地一切の何事に対しても、敵対観念をもたずに、調和した心で相対することである。


 どんな問題が起ろうとも、その困難さを心に留めること勿れ。そしてあなたの注意をその「困難」に振向けることなく、神に対して心を振り向けよ。神があなたに在すとき、神は如何なる困難をも解決に導きたまうのである。



[318] 人間に宿る“生命”の神秘に目覚めよ
マリーゴールド - 2013年07月02日 (火) 21時08分


 神はあなたに素晴しい“神の生命”を興えて、それをあなたの“生命”としたのです。


 実に偉大な、驚くべき能力を内に蔵する“生命”があなたの内には宿っているのです。どんな科学者も“生命”とは何ぞやと云うことは分析することができない。


 彼らが烏滸(おこ)がましくも“生命の起源”と称するところのものは、“生命”が靭帯をつくった最初の一歩のただの軌跡にしか過ぎない簡単な窒素化合物――蛋白質やアミノ酸の一種に過ぎないのであって、それは“生命”の起源でも何でもない。


 唯の“生命”の足跡にしか過ぎないのです。近頃、母体を解剖して卵子をとり出し、試験管の中で人工授精させることに成功し、その卵細胞を三十二個になるまで分裂せしめることに成功したので、“人間の人造”と云うこともやがて出来るであろうとの説を為すものもあるけれども、卵細胞がいくら分裂増殖しても、それを一定の人間も形に排列するところの“知性”が天降って来なければ、結局、それはただの蛋白質の集合体であって、人間ではないのである。



[320] この生命の荘厳を見よ
マリーゴールド - 2013年07月03日 (水) 21時12分


 人間の眼球は実に素晴しい天然色カラー・テレビである。市販のカラー・テレビは嵩(かさ)がたかくて一人では搬び切れないくらいに重いのである。


 しかも視野がせまくて、二十一吋(インチ)型は二十一吋にしか映らないし、十七吋型は十七吋の寸法にしか景色が入らないのである。しかも色彩が天然色より落ちるのである。


 ところが、人間の両眼と云うカラー・テレビは携帯用の最小型で、その持ちはこびに少しも目方を感じないのである。しかも視野はひろくて、この二センチほどの横長の眼の切れ目に広大な景色が、天然色そのままに入って見えるのである。


 この便利な携帯用カラー・テレビなる両眼を造って下さった不思議な力は余程素晴らしい智慧をもつ不可思議力だと言わねばならぬ。


 この不可思議力が神であり、大生命であり、それが吾らに宿って偉大なる“個生命”となっているのである。


[321] 人体及び生活諸問題の修復作用
マリーゴールド - 2013年07月03日 (水) 21時23分


 どんな科学者も人間の生きた皮膚の一部分も製造することができないのである。


 “生命の智慧”の偉大さよ。人間の脳髄の智慧は、それが最高の科学者の脳髄の智慧であっても皮膚の傷を治すのに、どのように細胞を組立て直したらよいかを知らない。しかし“生命の智慧”には、その傷の形や深さに従って、どの方面からどのように新生細胞を積み重ねて行けば、元のような皮膚の層をつくることができるかを知っており、傷をした瞬間から、その修復に必要な工作にとりかかってくれるのである。


 この事は単に肉体の生理的方面ばかりの修復作用だと考えてはならない。私たちの生活万般の問題に、神の修正作用又は修復作用は行われるのであり、私たちが何か失敗した事柄を起すと、恰も、肉体の傷を治して下さるのと同じように、神の修復作用が八方から起って来るのである。


 若し完全にその修復作用が行われないとしたならば、私たちが「我」のはからいで、その修復作用を妨げる何事か為しつつあるからである。神に祈りて、天地一切のものに感謝するとき完全にその修復作用が行われるのである。

[323] “埋蔵されたる寶”を発掘せよ
マリーゴールド - 2013年07月04日 (木) 20時48分


 人のうちに、この偉大なる修復力が宿っているのであり、それが、“自己に宿る神”である“内在の神”である。それは単なる頭脳智よりも幾百倍幾万倍すぐれたる智慧であるのである。


 その智慧を呼び出すことをわすれて、単に頭脳智だけで行動しようとするところに“行き詰り”や“失錯”の原因があるのである。神から興えられたる“埋蔵されたる寶”――それがこの“内在の神”である。“内在の神性”を呼び出すことを忘れて、「わたしは病気である」と言う。「わたしはくたびれた」と言う。そして“内在無限の力”の発動を言葉の力で抑えてしまうのである。


 諸君は決して「わたしは病気だ」とか、「私はくたびれた」とか言ってはならない。“わたしは神の子である、外からどう見えようとも、実際は健康である”と言わなければならない。


 このような言葉に出して言うとき、あなたは、自己に宿る“内在の神”を掘り出しつつあるのである。實相界に“埋蔵されたる寶”を現実界に引き上げつつあるのである。



[324] 不幸から脱出する道
マリーゴールド - 2013年07月04日 (木) 20時59分

 若しあなたが何か病気にかかったり、不幸に見舞われたり、人から迫害をうけたり、人と仲がよくなかったりしたならば、それをよくする道は、自分自身の想念の種類を変化することである。これが根本問題であると云うのは、この世界には“類を以て集る”又は“類は朋を招ぶ”と云う法則があるからである。


 今まで、自分の心の注目の焦点を、自分及び他人の欠点や不幸や不完全や、感情や環境の不満足などにあつめていたのを一転して、美点や幸福や完全さを成るべく見出すようにして、どんな境遇の中にも感謝すべき点を見出すようにするならば、“類を以て集る”法則にしたがって、善き事の方が多く集って来るようになり、やがては、集って来るもの悉く善きものばかりとなるのである。


 「実際、自分には不幸が襲いかかっているのであり、既に万策つきて、ただ破局への一途をたどりつつあるのだから、美点や幸福の完全さは何処にも見出しようがない」と言う人があるかも知れない。


 そう思っている限りに於いては、其の通りなのである。だから「想いを変えよ」と言うのである。心が一切の現象に先行し、心が運命の舵手である。脱出の道は心の舵で進行方向を変えることである。


[362] 神に於いては、万策の尽きると云うことはない
マリーゴールド - 2013年09月03日 (火) 21時55分


 「既に万策つきて、事態はただ破局への一途を辿りつつある」と云うような時になすべき事は、その「万策」をすっかり棄ててしまって、心をクラリと一転して“光”の方へ振り向くと云うことである。


 その「万策」とは不完全な近視眼的な智慧――現象に捉えられ、現象に引きずり廻されていた智慧のことである。そのような近視眼的智慧で、現象に引っかかって引きずり廻されるから、破局の方に近づいて行くほかはないのである。


 そんな人間智を棄てて、神なる“全能の智慧”の方へ振向けばよいのである。それを“光に振り向く”と謂うのである。そして自分自身を神の中に投げ入れ、自己を“無”にして神意の中に自己を熔融してしまうがよい。


 神意の中には一切の“悪”も“不幸”もないのである。そして「万策が尽きる」と云うこともないのである。必ず、自分の中からも、自分を取り巻くすべての事件の進行の中からも神の智慧がでて来て問題を解決して下さるのである。


[363] 決断して神の智慧にまかすこと
マリーゴールド - 2013年09月03日 (火) 22時04分


 信仰は一つの決断であり、勇気であり、思い切りの良さである。勇気を出して思い切りよく、神に祈って一切万事を神に全托せよ。


 神の智慧の動き出すままの事物の進行は、常識では端倪(たんげい)し得ないのがあり、“こんな事では迚ても駄目だ”と思えることもあるであろうけれども、神は結果を見通しであるから、やがて事態が一変して、必ずよき結果を生むことになるのである。


 神は全能である。神は既によき“番組”を放送し給うのである。神は肉眼には見えない。神は感覚では認識することができない。だから神に全托すると云うことも、中々思い切って決断することがむつかしいのである。


 併し、事態が不良に向っているとき、是非為さなければならないのは、その事態を不良に向わせたところの人間的判断を捨てると云うことである。そして、人間的判断以上の優れたる智慧を喚び出して来なければならないのである。


 それが神に委すということである。


[364] 無限供給はかくして得られる
マリーゴールド - 2013年09月03日 (火) 22時18分

 あなたが何事か真にそして切にそれを実現しようと欲せられるならば、それは既に心の世界に於いてそれが整えられてある証拠であるのである。しかしそれを現象界に実現するためには、神に波長を合わさなければならないのである。


 波長を合わす道は、生長の家の神示に「神に感謝しても父母に感謝し得ない者は神の心にかなわぬ」とあり「争いの念波は神の救の念波を能う受けぬ」とあり、「感謝の念の中にこそ汝はわが姿を見、わが救を受けるであろう」とあるから、神に感謝し、父母に感謝し、誰かと争っているならば、争いをやめて、其の者と和解しなければならないのである。


 更に希望を実現せんと欲せば、「興えれば興えられる」の法則に随って「興える」ことを先ず行じなければならないのである。旧約聖書の「マラキ書」第三章第十節には

「わが殿に食物あらしめんために汝ら什一をすべて我が倉にたづさえ来れ、而して是をもて我を試み、わが天の窓をひらきて容るべきところなきまでに恩沢を汝にそそぐや否やを見るべし。万軍のエホバこれを言う」

 とある。


 天の倉には無限の寶が充満しているのに、収入の什分の一を神に献げて見たときに、天の倉の窓がひらくのだと神は仰せられるのである。


[365] 興えよ、さらば興えられん
マリーゴールド - 2013年09月03日 (火) 22時25分


 何事でも、それを完全に成就しようと思うならば、先づ興えなければならないのである。


 それに時間をかけ、エネルギーを注ぎ、興味と熱情とをもち、それを成就するに必要な資材となり得る自己の持てる凡ゆるものをそれに集中しなければならない。


 そして、それは必ず成就すると信じなければならないのである。信念なきもの、それに全生命を注ぐほどの興味も熱意もなく、ただ金儲けの手段とする仕事に、時間をかけ、エネルギーをかけることをするようなことでは、本当に偉大なる仕事を成就することはできないのである。


 人は自己がそれに智慧と愛と生命とを注いだだけのものを刈り取るのである。

[366] 真の無限供給について
マリーゴールド - 2013年09月03日 (火) 22時37分


 銀行には沢山の預金があり、華麗宏壮なる邸宅に住み、箪笥には無数の絢爛たる衣装があろうとも、若しその人が神を有たなかったならば、彼は最も貧しき人だと言わなければならないのである。


 併し、若しその人が神を信じ、自己の内に神があり、神の愛が自分を取巻いており、自己の内なる神と、普遍の神とは一体であって、必要に応じて、欲するものを呼べば、神は必ず応え給うて、“求むるもの”が現れて来るものだと云うことを知る者は本当に富める者なのである。


 かくの如く、常に“天の倉”に富が貯えられてあり、必要に応じて引出し得る者にとっては、その富が失われはせぬかと、心配する何の恐怖も憂慮も要らぬのである。その人の心は常に天国浄土に遊ぶのである。


 併し物質の富を物質の世界に貯えている者は、常にそれが「失われはせぬか」と云う憂慮があるのみである。常に神に興えよ、神は決して浪費し給うことなく、必要に応じて“適時、適所、適度”に出して下さるのである。


[367] 朝起きて先づ為すべきことを
マリーゴールド - 2013年09月03日 (火) 22時43分


 朝起きたならば、何よりも先づ、自分の心の調律を為すべきである。


 實相無限に完全なる世界に波長を合わし、實相無限の智慧に波長を合わし、實相無限の愛に波長を合わし、實相無限の供給に波長を合わし、實相無限の歓喜の世界に波長を合わし、實相無限の調和の世界に波長を合わすにすべきである。


 それが神想観の実修である。かくして實相無限の調和に波長を合わすとき、心も身体もともに最も力みのない状態となり、凝りや偏りはなくなり、心も身体も疲れることなく、何事も的確な判断をもって迅速に行うことができるようになるのである。


[368] 想像力を駆使して善き事を実現せよ
マリーゴールド - 2013年09月04日 (水) 19時34分


 物質がまだ何もない最始源に於いて、神が一切のものを創造り給うたのは、心によってである。物質の形の模型は未だ存在しないのであるから、先づ一切のものを造るには、「心で想う」と云う方法しかないのである。


 而も、まだ形の世界に存在しないものを「心で想う」のは想像力に頼るほかはないのである。つまり想像力は創造力であるのである。神はその同じ想像力を人間に授け給うて、自己の欲する事物を現実界に造り出すことを得せしめ給うたのである。


 如何なる悲観的状態が眼の前にあらわれていようとも、想像力によって、善き事を心に思い浮べて想像し、その実現を固く信じて、常に神想観して、自分に内から催して来る通りに行動するならば、自然に適時に適所に適当なる方法を講ずることができて、自分の希望を実現することができるようになるのである。


[369] 感謝について
マリーゴールド - 2013年09月04日 (水) 19時42分


 感謝は生命のパン種のようなものである。パン種によって、パンの味がつき膨れて来るように、人生は感謝によって味いは増し、生命は生長して来るのである。

 
 人生の“心の音楽”のうち最も美しき音楽は感謝であると云うことが出来るのである。人生に困難が起って来たときに、その困難を克服する最初の方法は感謝である。感謝は嶮しき道を平かにし、人生の荒波を鎮めて、航海を安全にするのである。


 感謝は悪と見える物の中に、善き物の存在を想像することによって心を調和ある状態に導き、善き物を想像することによってついに想像する通りの善き物を人生に創造し顕現することができるのである。


 感謝は悪と見える人の中に、善き人が存在することを想像することによって心を調和ある状態に導き、善き人を想像することによって、相手の中から想像した通りの“善き人”を現実に喚び出して実現するのである。



[370] 自己に宿る“善き人”を喚び出すこと
マリーゴールド - 2013年09月04日 (水) 19時52分


 すべての人の中には“善き人”が宿っているのである。その“善き人”を佛教では「佛性」と言い、キリスト教では“内在のキリスト”又は“神の子”と言うのである。それはすべての人々の内に宿る“永遠に消えざる光”なのである。


 その“永遠に消えざる光”を晦まさない限りは、人間hあ幸福であるのである。その光に対して眼をとじて、他の誘惑に眼を転ずるとき、光はあれども人生が暗黒となるのである。若し難問題が起ったならば、光に眼を向けなかった結果、躓いたのであるから、光に心を転ずるようにすればよいのである。


 「神の無限の智慧の光、われに流れ入りて、わが人生を照らし給う。われは常に神の智慧に導かれてもっとも幸福となる道を歩むのである」

 と念ずるがよいのである。また

 「われは“神の子”である。神の子には無限の善き智慧が宿っているのである。どんな問題でも必ず其の智慧の光が解決して下さるのである」と念じて、自己に宿る“善き人”を喚び出すがよい。

[371] 人を助ける最高の方法について
マリーゴールド - 2013年09月04日 (水) 19時58分


 人を助けるのは、物質的救助によるよりも、彼に宿る“神の子”を喚び出すのが最高の方法であるのである。


 肉眼で見て彼に宿る“神の子”が見えず、「こんなに悪い人だ」と見えるときには、肉眼を綴じて、彼の内に宿る“神の子”を出来るだけ完全に想像して、それを如実に“心の眼”をもって見詰めつつ、「あなたは神の子で完全な人であります。悪い人ではありません」と云う風に心の中で一心に唱えて、その通りにありありと想像するがよい。


 屹度、彼の中に宿る“完全な人”が喚び出され、現実化して来るのである。


[372] 今日一日、決して腹を立てないこと
マリーゴールド - 2013年09月04日 (水) 20時08分


 今日一日次の如く決意せよ。


 「今日一日、如何なる人に対しても、如何なる事に対しても、私は決して怒ると云うことをしないのである。何故なら、すべての人は“善き人”であり、悪しき行為を自分に対して行うかの如く見えても、それは却ってやがて自分にとって善き事となる準備工作をしてくれつつあると知るからである。


 たとい彼に過ちがあろうとも神が私の過ちを赦し給うが如く、私も彼の過ちを赦すのである。すべて自分の身辺に於いて起る出来事は、自分の心の波長が引寄せたものであるから、自分の『心の影』だとも言い得るのである。


 だから私は彼が私に何を為そうとも彼を咎める資格はないのである。彼の状態は、私の心の状態を映し出した鏡のようなものであるから、鏡を見て自分の心を反照して、自分の心の持ち方をかえたら、彼の状態もおのづから善くなってくるに相違ないのである。」



[373] あなたの實相は完全で既に幸福であると知ること
マリーゴールド - 2013年09月04日 (水) 22時02分

 あなたは今、神の国に住み、神の生命を吸い、神の愛にとり巻かれ、神の智慧に導かれ、神から必要な一切のものの供給を受けて、ゆたかに幸福に悦びに満たされて健康に生活しているのである。それがあなたの實相である。


 たとい、あなたが現象に於いて、不完全な姿をあらわしていようとも、それは、仮の相であり、今まで心にいだいていた過去の想念の影であるから、「影」であって、本当にあるのではないのである。


 影はどんなにあるように見えても、それは光の欠乏に過ぎないのであるから、真理の光に照らして、

「神の創造り給える此の世界には一切の悪は存在しないのである。人間は神の子であり、神は全智全能であり、無限の愛であり、慈悲であり、吾らを常に護り給うているのであるから、決して悪しき状態は存在しないのである。
 悪しく見えるのは自分の過去の想念が、映画のように映っているに過ぎないので、映画は映ってしまえば消えるように、この悪しき有様も、形にあらわれてしまえば消えるのだ」

 と心に念じ、この真理を深く潜在意識に印象するようにすれば、やがて現象の悪しき有様は消え、完全な幸福な豊かな光にみちた實相の状態が、現象界に具体化して来るのである。


 これを信ぜよ。


      
      『人生の秘訣365章』 “春”積極生活法 


                  【完】






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