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谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の壱

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[127] 初午について 末一〈すえかず〉稲荷
童子 - 2013年01月28日 (月) 12時27分

 初午は二月最初の『午の日』に行われる稲荷祭です

 和銅4年2月11日 伏見稲荷に神が降臨されたことに由来します

 
 生長の家でいえば、『末一稲荷』が祀られていますが、『生長の家』誌を創刊されたとき、輝子奥様先生が近所の夫人に勧められてその拡大を祈願されるため、伏見稲荷神社(現・伏見稲荷大社)より末一稲荷大神の神霊を受けられて、神戸住吉、東京の私邸に祭祀されて、日夜神誌の拡大を祈願され、昭和49年10月19日、立教45周年を機に一般公開されました。


 今年の初午は2月3日になります

[128] 初午ちがい
おせっかい - 2013年01月28日 (月) 19時06分

2月9日ではありませんか?

[129] あは
童子 - 2013年01月29日 (火) 14時32分

 3日は節分ですね

 周りで恵方巻の話をしていたから

 そのまま書いてしまいました・・・

 有難うございました

[130] 稲荷大神遷宮鎮座祭の祝詞
童子 - 2013年01月29日 (火) 15時09分

 掛巻も畏き末一稲荷大明神と讃へ奉る護法、先導、真理広宣の大神に 斎主谷口輝子敬って白す。

 過ぐる年、わが夫谷口雅春兵庫県兵庫郡住吉村にありて 住吉大神より神示を受け『生長の家』の神誌を発行し、もって日本国の実相を顕現し 人類全体を光明化し全世界を平和と繁栄の地上天国ならしめんとの高邁なる理想をもって奮起せし頃 その妻輝子夫の助けを成して一日も早く 広く多く神誌普及をはかりて その聖なる理想の普及実現を達成せしめんと希(ねが)ひたる折しも 稲荷大神の神徳いやちこなることを聞き知り奉り 伏見の稲荷大神の御座所に詣(いた)りて 稲荷大神の分霊をこひねがひて われらの私邸にお祀り申上げてより早や 四十五年を経ぬ その間、稲荷大神の神通神助を得て われらの機関誌『生長の家』『白鳩』『光の泉』『精神科学』『理想世界』本誌及びジュニア版を合して その発行部数二百三十万部を超ゆるに至りぬ。

 まことに人々繁栄の大神として称えまつる稲荷大神の御徳いよいよ明らかとなりぬ 今や 大神を単に谷口家の私邸にわたくしすべきに非ず 大神の神徳を人類全体に公開し ひろく全ての人々が大神の神徳を拝受して 各々その従事せる家業が繁栄し 互ひに和顔愛語をもって睦び合ひすべての人々を健康にして この人類光明化 世界平和の基礎となるべく真理の普及に協力し 相ともに国の柱となり人類の光となるべき機縁を分たんが為に この宇治別格本山の浄域に新しく宮造りして 公けにこの新殿に稲荷大神を奉斎し奉らんとす

 ねがはくば この願ひを諾(うべな)ひたまひて この神殿(みあらか)に遷(うつ)り鎮まりまして いやちこなる神の神徳をここで詣でる すべての人々に分ち与へ給へとひたすら希(こいねが)ひ奉る。


 これより後は人間・神の子の真理を知るもの急速に殖えまつりて 地上の人類の大多数が 神の世嗣(よつぎ)たることを悟りて 大神たちの生命(いのち)の流れをゆたかに受け容れることを得 知慧の流れを豊かに感受することを得 愛の泉を滔々と魂の中に環流せしめることを得て 今より後 病む者なく 荒(すさ)み暴(あら)ぶる者なく 各々相互扶助の繁栄の道を進み 人々互ひに相睦みて地上に天国の建立せられること必定なり。

 こひ願はくは この真心に応へ給へと敬って拝み奉る 

 頓首合掌再拝して感謝し奉る ありがとうございます


  昭和四十九年十月十九日


                   『魂のふるさと宇治』より

[132]
すみのえ - 2013年01月30日 (水) 18時21分

初午の日は、節分以降の初めの午の日とされています。
冬(陰)から春(徐々に陽)に転じる春節以降の十二支の中で、陽の極まる午に稲荷大神が降臨した日と選定されているのは、
この神の性質を表しています。

単なる蛇足です。

[135] 宇治別格本山にお祭りする稲荷神社
童子 - 2013年02月01日 (金) 16時29分

 生田神社の祭神及び住吉神社の祭神に導かれて発祥した生長の家の運動は次第に世界各国各民族の守護神の協力を得て全世界にひろがろうとしつつあるのであります。


 昭和49年10月宇治別格本山に新祭殿を造営して祭祀申上げた稲荷大神は『生長の家』誌発行後、私の家内が私たちが入浴に行く〃勇湯〃へ無代進呈誌をもって行った時、風呂屋のおかみさんが

 「そんな雑誌をひろめなさるなら、伏見の稲荷さんをお祀りになれば繁昌しますよ」

と教えられたので、それを教えてくれるおかみさんも天の使いであると思い、家内が稲荷本社に参拝してその分霊をお受けして帰って自宅に祭祀した御神体であります。


 家内はその頃

 「この『生長の家』誌が一万部年極誌友が出来るようになりましたら、貴神(あなた)さまを地祀り致します」

といって祈ったというのであります。この事は数年前、家内が『白鳩』誌に書いたことがあったが、見過していた人が多いらしい。


 今や『生長の家』誌をはじめとして各誌合計二百四十万部〈昭和49年当時〉も出るようになっているので、この御分霊を聖地の大地に地祀りして、分霊をお受けして来た時の神約束を果して、感謝の実を挙げたいというので宇治別格本山の聖域に新祭殿をしつらえてこの稲荷大神を御祭祀申上げることになったのであります。



 生長の家本部から信徒諸賢にお送りした稲荷神社奉祭の通知には、右に述べた家内が授かった稲荷大神の分霊のことが書いてなくて、日本教文社の横手に地祀りしてある稲荷社を移転するように書かれていましたが、あの日本教文社の横手に祭祀してある稲荷社は、あの下方にある敷地に誰が祭祀したか、多分その敷地の前の持主であろうが、祭祀した稲荷の祠があったのであるが、それが戦災で焼けたのでした。


 伏見稲荷の本社へ分霊をお授かりに赴くと、その稲荷に「××稲荷」と名称をつけて授けて下さるのであるが、その焼けた稲荷社の神名はわからない。私の家内は神誌の普及には稲荷大神の神助をお願いしていたので、この際その焼けた稲荷社を復興してあげて御礼にかえたいと思い、日本教文社の横手の空地に焼けた祠よりも多少大きな社殿をつくって家内が伏見の稲荷からその祭祀するための分霊を新たに伏見本社からお受けして来て、あの場所にお祀りして真理出版の御守護、神誌普及および末には万教を帰一して下さる使命をもち給う大神として最初に稲荷本社から分霊を授かった時の御神名なる『末一稲荷大神』とあがめ奉ってお祀りしたのであった。


 その際いろいろの奇瑞があったのは本部からの通知にある通りである。


 この社殿は日本教文社の出版の御守護としてそのまま安置するのであって、その社殿の稲荷を宇治にお移し申上げるのではなく、家内が最初に祈願してお迎え申上げて以来、私の自宅に祭祀してある分霊の神霊を、最初の神約束通り大地の上におろしてお祀りすることにしたのでありました。



       発出:『理想世界』誌 49年12月号 《『神の真義とその理解』掲載》

[142] 初午に因んで  亀井潔人 (世界聖典普及協会理事長)
童子 - 2013年02月04日 (月) 16時12分

 戦災で焼き尽くされた広場の片隅に六十糎(せんち)四方余りの黒ずんだ石が立っていた。平たくなった上側に塩とお米とが小皿に盛られ、コップに入れたお水が並べてあった。


 其処は、赤坂の生長の家の本部の隣りの乃木坂会館という大きな宿の焼け跡である。地主から買ってほしいとの申出があって、生長の家が買い取った所である。乃木坂会館の入口左側に、お稲荷さんの小さなお社があったが、母屋と共に焼失して台石だけが残っていたのである。

 お社が無くても、神様は在られるのだから、買い主は挨拶をせねばなるまいと考えて、お祭りの準備にかかった。お社に御祀りしたいと思って探して見たが、闇市は繁昌しているようでも、食料や衣類の店ばかり多くて、お社は遂に調えることが出来なかった。祝詞には〃本宮へお帰り下さい〃と申上げたように思う。



 お祭りをしてからは、近くの人が花を供えたり、油揚げを供えたりするようになり、お姿も無く、お社も無いのに、存在を石一つに示しておられた。


 また生長の家光明寮から道場へ行く石段の上にも、お社の土台だけが残っていた。


 そこにもお稲荷様がお祀りしてあったが、三階建ての生長の家本部を軍が使っていたので、攻撃目標になったのか、集中的に焼夷弾を投下され、本館と共に焼失した。この建物から三米ほど離れたところに、光明寮の一棟があったが、そこにも焼夷弾が落ちた。加えて隣の乃木坂会館と本部道場の火焔に双方から攻められたが、女性の舎監と女子寮生の軍人を凌ぐめざましい防火の大活躍によって焼夷弾を消し、類焼をも防ぎ止めたということである。

 それらの方々は、どこかで今も人類光明化運動に活躍しておられるであろうと、古い建物を見ていて、ふと思うことがある。



 日本教文社の二階左側は道場になっていて、右側が事務所だった。清都理門先生を中心に、布教のこと、出版のこと、社会事業団のこと一切の事務が進められていた。

 隣の二階には編集室があって、よく見えた。

 二つの机が向い合っていたが、一方は何時も片づいていて、片方は印刷物が山積みになっていて、対照的だった。ここで、終戦後の『生長の家』誌が編集された。


 谷口清超先生が、道場で初めて講話をされる日に、「心臓に百貫の鉛を吊した思い」と中嶋與一先生に言われたと聞いて、その日は皆が聴き耳を立てて拝聴したのも懐かしい思い出である。

 
 その頃、事務所の掃除は寮に住む者が、毎日交替ですることになっていた。

 当番の日には、拭き掃除は家内に任して、私は便所の掃除に専念した。便器が白く光ってくると、自分が磨かれた感じがしてきて、親しみと愛着を感じるようになる。これは誰しも味うものらしく、清都理門先生が「便器が可愛くなったか」と聴かれたこともある。



 新規採用や復員者で職員も増え、道場も工場を移築して造られた。そして、道場と並んで本部事務所が建築された時、古いお社が立派に新築された。

 昭和27年5月1日に、総裁・谷口雅春先生から「末一稲荷大神の神霊」を受け、新しい社殿にお祀り申上げた。 左記の『授与の証』が添えられていた。


           証

        正一位末一稲荷大神霊
        右今般依請願大斎祀式
        令授与畢崇敬不可怠者也

         昭和二十七年四月二十八日
     
                伏見稲荷大社

        谷口輝子殿



 毎日と月次祭の祝詞も頂いたが「信徒たちの家にも身にも」と信徒の皆様の幸福を願われる文章で埋まり、御愛念で貫かれたものである。

 八月中ばには、住吉大神、塩釜神社の御神霊を合祀するための御神霊を賜り、合祀申上げた。



 末一(すえかづ)稲荷の月次祭(つきなみのまつり)は、毎月十五日の早朝に、関係団体の職員が参列して行われる。大祭は、総裁先生御夫妻、副総裁先生御夫妻をお迎えして、毎年初午の日に執行われる。

 総裁先生が斎主(いつきぬし)になられて、祝詞を奏上される。麗らかな日もあるが、積雪の日もあり、寒風の吹きすさぶ日もある。年毎に天気は変るが、総裁先生は変わりなく社前に立ち給いて

  【宗教の異い民族の相違、国家の境域を超えて、末はすべて一に】

と願の全を奉られる。

                   『白鳩』誌 47年2月号 (※通算450号)
    



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