[230] B型誌友会 『それは自分で生長の家に魅力を感じない証拠である』 徳久克己 理事長 |
- 童子 - 2013年05月14日 (火) 09時04分
・・・青年会の初期には、青年を集めるために、ダンスをやったり、レコード・コンサートをして集めよう、という案をしばしば全国の各地で聞かされたが、いつも私は断乎として反対してきた。
ダンスで集る青年は、ダンスに魅力があるので、そんな連中は普通のダンス・パーティに行けばよい。大体、ダンスをやらなければ、音楽をやらなければ、青年が集らないなどと幹部が思う、その心の反映として、青年が集らないのだ。
また、そんなことを考えるということは、生長の家に対する信仰が足りない証拠で、つまり生長の家の真理だけでは青年を集める魅力がないので、ダンスとか音楽をつけ加えないといけない、と思っていることとなり、自分で生長の家に魅力を感じていない証拠だ。
生長の家は宇宙の真理が説かれるので、それだけで、必ず青年たちは集るのだ。
もし、青年が集らなければ、ダンスとか音楽をつけ加えようと思う前に、生長の家は絶対にすばらしく、魅力があるのだから、その表現をする君達幹部自体が、まず自己反省をして、“どこか生長の家の伝え方が間違っているのではないか”と振り返ってみることだ。 このようにいって、私は青年会を生長の家の真理を中心とする青年の集い、とするように指導してきた。
最初の出発に不純なものがあると、どうしても、青年会が遊びの会になったり、男女の不純な交際の場になったりする。最初は少人数でも、純粋な気持の人が集っていれば、類は類をもって集るの法則にしたがって、信仰的雰囲気の純潔な青年会に発展してゆくのである。
生長の家の教えを実践する場である。『生命の實相』に説かれていることを、そのまま実行に移すのである。・・・・・
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