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谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の壱

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[329] 神を深く知るために
童子 - 2013年07月10日 (水) 09時18分


 昭和47年正月 飛田給練成道場で開催された 第20回生長の家青年特別教修会《第24回青年会全国大会》 に於ける 尊師谷口雅春先生の御講話は4つとも 『聖経 甘露の法雨 講義』 でした。





 みなさん、よくいらっしゃいました。 ありがとうございます。

 私は、数え歳八十歳を迎えたのであります。 こうして、みなさんの前に永遠に若き青年として、ここに神様の無量壽の生命をいただいて、世界、人類光明化の為に、日本国の実相顕現の為に、みなさんの先頭に立って、運動させていただきたいと思っているのであります。


 みなさん、新年おめでとうございます。 ありがとうございます。

 さて、今度の教修会は、プログラムが参りまして、見ましたら、私の講義がどの時間も全部 『甘露の法雨講義』 となっておったのであります。 そしてテキストは何に致しますか? という質問が書いてありました。 『甘露の法雨講義』 だったら、テキストは『甘露の法雨』だけでいいと回答したのでありますが、やっぱりテキストを別に択んで貰わないと都合が悪いと、良本青年局長から申されましたので、そしてその理由は、この『甘露の法雨』を講義して戴くのは、 『神とは何ぞや』 と言うことを徹底的にみなさんに知らせて戴きたい、そういう目的で 『甘露の法雨』 を講義して貰うことになったのであると、まあこう言うことでありましたので、それなら神とは何ぞやと言う問題を最も多く書いてある書物として、この 『秘められたる神示』 と、 『神人に語り給ふ』 と、それから 『神を審判く』 というこの書物三冊を択んでテキストとすると言うことにしたのであります。




 ◇ 『秘められたる神示』


 『秘められたる神示』 というのは、戦争前には、内務省に警保局というのがあって、非常に出版物の検閲が厳重でありまして、いやしくも政府の目的にそむくようなこと、或は軍に関すること、まあそういうものを書いてあるとですねえ、それは発売禁止になったものです。 それだから、神示の中にもそういう内容のものがあるときは発表することが出来なかった訳なんです。


 それから又、戦争が終りましてからは、占領軍が上陸して来て言論を厳重に統制しました。

 私は戦争中に愛国運動をしておった団体の主宰者であると言うので、 “執筆追放” と言う処分になりましたので、戦後出て来た神示も発表するところの機会を失って、秘められたままになっていたのです。 そのような神示を集めて、私の追放が解除になったのを機会に発表されたのが、この 『秘められたる神示』 であります。


 
 この 『秘められたる神示』 の一番最初に 『終戦後の神示』 というのが載っているのであります。 ここに生長の家の神とはいかなる神であるかということが書かれているので、その一部を朗読します。 ―――


      ◆『終戦後の神示』

  『われは七つの燈台に火を点ずる者である。 われは白髪の老翁である。 白髪とは久遠永劫よりつづく無量壽の象徴である。 われは彦火火出見尊が魚釣らす ・・・・・』


 “魚(な)”とは魚(うお)です、昔の古代の日本人は、魚を動物を食べると言わないで、魚(な)を食べると言ったんです。 魚(さかな)というのは、 “栄菜(さかな)” と書きまして、コトバの力によって祝福して食べたんです。


  『われは彦火火出見尊が魚釣らす鈎を失ひ給ひて憂ひ泣きたまふ海辺に来たりて、尊を竜宮海に導きたる塩椎神である。 塩椎神とは水火土之神の謂である。 霊は水火土と顕れ、一切のものは水火土から生れたのである。 ・・・・・』



 神は霊ですね。 霊というのは何かと言いますと これは “物質” に対して “霊” という語を対照的に使うのであります。 “霊” とは “非物質” のものであると思えばよろしいのですが、単に非物質であるだけでなく意識ある、 “心” のある本体であります。


 しかし、それは単に “心” と言うよりも、もっと “心” の純粋なエッセンスみたいなものが “霊” だと思っていただくとよろしい。

 “心” というやつは迷うのですね。 けれども、この “霊” はですね、 “迷い” をすっかり除ってしまった “純粋な心の本体” そのものを “霊” と言うのであります。

 もっとも “霊魂” と謂えばね、それは迷うんです。 霊魂の迷った幽霊が、俗説にもどろどろと出て来たりしますね。 あれは霊魂であって、霊ではないんです。


 それで、“宇宙の本体” は “霊” であるという場合はですね、“迷い” のない純粋意識のことで、“霊” にもう一つ “太” をつけて “太霊” とも言っているのであります。 さて、われわれは、その太霊から生まれた個別の霊すなわち個霊です。

 ここで前述の神示のつづきの一節を読んでみます。


                     〜 つづく 

[334] 2.
童子 - 2013年07月15日 (月) 12時08分

 「われは霊の海、創造の神である。 即ち 『おしめり』 と火即ち 『ぬくもり』 と 『土』 の働きがあって万物は生ずるのである。 黙示録には 『われはアルファなり、オメガなり、生と死との鑰を持てり』 と録されているのがそれである。 われを単に海の神だと思ふな。 竜宮海の神の如くあらはれているのはウミ〈生み〉の象徴であり、竜宮無限供給の神のシンボルである。 われは一切の創造(うみ)の神であるから無にして無尽蔵である」



 このような神様が、生長の家の神様であります。 『生命の實相』 の第一巻の巻頭をお開きになると、ここは “扉” と言いますね。 “扉” を開きますと、普通書物は、“はしがき” とか “目次” とかいうのが出て来るのであります。 ところが 『生命の實相』 の第一巻を開くと、そこには “目次” もなければ “はしがき” もまだ出て来ない先に、一番最初に 『黙示録』 の第一章 ―― 『ヨハネ黙示録』 という新約聖書の一番最後のしめくくりの預言書ですね ―― この黙示録の一節が載っているのです。 それは何故でしょうか。



 黙示というのは神様からの直接のお示しです。 あからさまなるお示しであるところの “啓示” に対して “黙示” というのは、それとなく悟れというような秘められた内容をもって神さまからのお示しです。



 このヨハネ黙示録というのは、キリストが磔になりましてから、ローマ政府によってキリストの弟子達が迫害され、処刑されて、殺されたのもあるけれども、島流しになったのもあるのであります。 その弟子のうちのヨハネというのが、小アジアのパトモス島に流されておって、そこで神に祈っておったのであります。 


 その時に、ヨハネのすこしうしろの方に、神様の声が聞えたのであります。 それでヨハネはその声の方へ振向いたという一節から 『生命の實相』 の巻頭に、その “黙示録” の文章を引用してあるのであります ――― 。


                     つづく

[337] 3.
童子 - 2013年07月20日 (土) 21時51分

 
     ◆久遠のキリスト・白髪の老翁として顕わる



 「われ振反りて我に語る声を見んとし、振反り見れば七つの金の燈台あり。 また燈台の間に人の子のごとき者ありて足まで垂るる衣を着、胸に金の帯を束ね、その頭と頭髪とは白き毛のごとく雪のごとく白く、その目は焔の如く、その足は炉にて焼きたる輝ける真鍮のごとく、その声は衆くの水の声のごとし」



 「衆(おお)くの水」 と書いてあるのは、これは大水と言ってもよい、洪水の滔々と流れるような、太く逞しい厳かな声のことであります。




 「その右手に七つの星を持ちその口より両刃の利き剱いで、その顔は烈しく照る日のごとし。 我これを見しとき其の足下に倒れて死にたる者の如くなれり。 彼その右の手を我に按きて言い給う。 『懼るな、我は最先なり、最後なり、活ける者なり。 われ曾て死にたりしが ・・・・・』」




 「最先(いやさき)」 と言うのは、 “時間なきはじめ” で 「最後(いやはて)」 と言うのは “時間の終りなき終り” とでもいいましょうか、時間を超越した久遠常住の存在であります。

 「活ける者なり、われ曾て死にたりしか」 というのは、これは、嘗て、イエス・キリストという姿になってあらわれて十字架に釘けられて、死んだような姿をあらわしたけれども、本当は死んだのではないというので、



 
 「視よ、世々限りなく生く。 また死と陰府との鍵を有てり。 されば汝が見しことと今あることと、後に成らんとする事を録せ。 即ち汝が見しところの我が右の手にある七つの星と七つの金の燈台との奥義なり」



 と、こういう言葉が、その白髪の老翁の神さまの口から仰せられた。 それが黙示録の第一章に書かれているのであります。



 その一節を何の為に 『生命の實相』 の第一巻の巻頭に、はしがきも目次も書いていない、まだその冒頭にですね、これを特に載せてあるかと言うと、ここに顕われておられるキリスト、 「われ曾て死にたりしが、世々限りなく生く」 と言っておられるキリストは、現象の姿は三十三歳で磔になりましたけれども、本当のキリストは、ユダヤ人の肉体イエスというものじゃなくて、 「われは道なり、真理なり、いのちなり。 われを信ずる者は、死すとも死せず」 と言っておられるところの世々限りなく生き給う 「久遠のキリスト」 なのであります。


 当時のユダヤのイエスとしてあらわれている相の、その奥にある実相の久遠不滅のキリストが生長の家の教えをしていられる本尊神であるからであります。 つまり、この一節にある 「その頭と頭髪とは白き毛のごとく雪のごとく白く」 と、白髪の翁で表現された神であります。 白髪の老翁の姿は “老いぼれ” という意味ではなく久遠・長久に、永遠に生き通すという意味の象徴であります。





 その神さまは今度のテキストである 『秘められたる神示』 の巻頭に収録されている 「終戦後の神示」 というところに書かれている 「われは白髪の翁である」 と書かれているその神様です。


 この宇宙本源の生き通しの神を我々は、「久遠のキリスト」 と呼んでいるのであります。 ユダヤ人のキリストではない、久遠のキリストすなわちキリストの実相で 「われは道なり、いのちなり、真理なり」 と言われたそのキリスト、 「われ世々限りなく生く」 と仰せられた 「不滅の真理」 そのものなるキリストですね、それが生長の家の神様であるのであります。



 生長の家の教えというものは、その神様の啓示によるものですから、『生命の實相』 の第一巻の巻頭の扉を開くとき、 “目次” 以前に “はしがき” 以前に、一番最初に、この黙示録に顕れたる “久遠のキリスト” の一節が書かれているという理由なのであります。


 ところで、このテキストの 『秘められたる神示』 にありますところの 「われは七つの燈台に灯を点ずる者である。 われは白髪の老翁である。 白髪とは久遠永劫よりつづく無量壽の象徴である」 と仰せられた其の無量壽、無限生命のシンボルとして白髪の姿を持って現れられた神様は別名 塩椎神と申上げるのであります。


                     つづく



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