[357] 『甘露の法雨』がすべて |
- 童子 - 2013年08月27日 (火) 08時50分
『唯神実相の世界を説く』 より
皆さん、有難うございます。
生長の家の教は、唯心論と唯物論を並べると、唯心論の中に包括されるようでありますけれども、精(くわ)しく言うと、体験談の中にも出たようですが、唯神実相論というところの哲学であります。
唯神とは “唯(ただ)、神のみ” ―― 唯、神のみがあって実在であるということであります。 神の造り給うた完全な存在のみが実在であって、悪は本来ないのである ―― というところの根本的な、善なる神の存在を信ずる、この根本信念から全てのものは出て来ているのであります。
私はこの詳密講習会で、どういう話をしようかと考えておったんです。 詳密というのは詳しく緻密に話をしなければならないが、しかしこの生長の家の教を根本的に理解しようと思ったならば、善なる一つの神の実在を本当に信ずるという、これがまず大切であります。
“善なる神” のみが本当に実在する。 悪意のある神とか、色々の罰を当てたり、呪いをかけたり、腹立てて復讐をする、そういう神を信ずる信仰から完全に自分自身を脱却させることが必要であります。
さて、テキストとして書物の名前が数冊出ておりますが、 『甘露の法雨』 なんかは出ていないけれども、 『甘露の法雨』 を皆さんはともかく読んでいますですね。 これが “根本” なんですよ。 この 『甘露の法雨』 をずうっと講義する ―― そうすればそこに全ての問題が含まれているわけなんです。 ・・・・・・・
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本書は昭和54年10月19日より三日間開催された、生長の家宇治別格本山での詳密講習会の筆録です。
その冒頭が上記のお言葉です。
【 『甘露の法雨』を皆さんはともかく読んでいますですね。 これが “根本” なんですよ 】
【 そこに全ての問題が含まれているわけなんです 】
機会があれば一読をお薦めします。
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