[410] 存在と認識 |
- 童子 - 2013年09月10日 (火) 19時10分
※マイブロ掲載中でしたが、長文ですが面白いので、改めてこちらにて記載させて頂きます
『存在と認識・実相と現象』
◆一次元的存在の生き方
ここに 『点』 が一つあると仮定します。
肉眼で見える点は、いくらかの面積がある。 顕微鏡でみればその面積が拡大されて一層大きく見えるのでありましょうが、ここで話します 『点』 は幾何学上の一点というように、長さも幅も広さもない、唯の位置にあだけある抽象的な 『点』 であると考えて下さい。
その 『点』 を一定の方向に真直にころがして行くと考えて下さい。 その 『点』 のころんだ跡があると考えますと、その跡は幅のない唯の 『長さ』 だけの延長のある 『線』 が考えられます。
この延長のことを 『次元』 というのであります。 即ち、この 『線』 というものは幅も厚みもなく、ただ 『長さ』 という 『一つ』 だけの延長があります。 これを 『一次元の存在』 というのであります。
発達のにぶい、ただ自分の考えだけが正しいと考えて、右も左も、周囲の人への思いやりも何もなしに利己的に生きて行く人は、 一次元的存在として生きる人で、左右が見えないのです。 目隠しをした馬車馬のような人なのです。 生命の幅が狭く、視野が狭く、それでいて、われこそは民主的生活を送っていると考えている人にこんな人が多いのです。
◆二次元的存在の生き方
点をころがして其処に出来た 『線』 を、丸太棒を横にころがすように、線の長さに対して直角にころがします。 そのころんだ跡を考えますと、 『線』 の 『長さ』 のほかに、 『幅』 の延長ができます。 すなわち 『長さ』 と 『幅』 との二つの延長で組み合わされた 『面積』 ができるのであります。 この二つの延長をもつ存在を 『二次元の存在』 と申します。
単に目隠しされた馬車馬のように唯まっすぐ進むだけでなく、周囲が見えるのです。 周囲が見えるから、周囲と仲よく共存しようと考えたり、周囲の人々への思いやりの感情が涌いたりします。 大分、生活の視野が拡大して来たのです。 それが悪い方にはたらくと、周囲のものを侵略しようという風にはたらきます。
このような二次元的な生き方をする人には、左右が見え、前後が見え、面積は見えるけれども、上方は見えないのです。 神が上方から見ていてもそんなことはわからないで奪い合いや、侵略を平気でやる種類の人があれば、その人は二次元的生物だというほかはありません。
◆三次元的存在としての人間
『点』 が転んで 『線』 が出来、 『線』 が横にころんで 『面積』 が出来上がりましたが、その 『面積』 を面と直角に上方に持ち上げるとしますと、その面が持ち上げられた跡の延長を考えてみますと、それは上下に延長をもっています。
上下の延長を 『厚み』 といってもよろしい。 即ち、縦・横の二つの延長のほかに 『厚み』 の延長、即ち三つの延長をもつようになったのです。 このような存在を 『三次元的存在』 といいます。 吾々肉眼で見る世界に住んでいる者は、縦横厚みのある世界を見ます。 そして自分の肉体も縦横厚みの三つ延長をもつ存在だと見ます。 その限りに於いて、人間は三次元的存在なのであります。
自分のことのみ一直線に考えて進む人は一次元的存在の人間であり、 周囲左右の人たちのことを考えて生活する人は二次元的生物であり、 更に父母の生命、祖先の生命との連関に於いて自分を認識する人は三次元的生物であると考えてよいと思います。
つづく
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