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谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の壱

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[473] 『生長の家』昭和23年9月号法語(1)〜(30) 【完】 (ー 誌友会のあり方の法語あり ー)
明鏡 - 2013年09月18日 (水) 17時31分



『 生長の家 』 昭和二十三年 九月号 

法 語(一日〜三十日)  谷 口 雅 春 先 生



  一日の法語  生命は智慧によって生命体となる

  二日の法語  智慧は秩序である

  三日の法語  心を調律すること

  四日の法語  人を呪わば穴二つ

  五日の法語  人間は永遠に老いない


  六日の法語  人の噂話をするな

  七日の法語  人の善を讃える会

  八日の法語  過去に低回する心を捨てよ

  九日の法語  謀は密なるを要す

  十日の法語  愛を実践して見たか


 十一日の法語  自分は一切の不幸を戸外に閉め出す

 十二日の法語  祈りは斯く行え

 十三日の法語  与えた物のみが真の富

 十四日の法語  杖は人を楽にするが強くしない

 十五日の法語  報い求めざる愛と無限の赦し


 十六日の法語  悪の存在を信ずるは神に対する不信である

 十七日の法語  先ず幸福の心の波を起すこと

 十八日の法語  調和した世界を見よ

 十九日の法語  この世界は心の波で変化する

 二十日の法語  よき心の雛形を出すこと


二十一日の法語  事物を成就する秘訣

二十二日の法語  神に計画をゆだねる方法

二十三日の法語  素直に啓示に従うこと

二十四日の法語  周囲に起ることは皆自分を高めるため

二十五日の法語  神の愛は無限である


二十六日の法語  神は常に我と共にある

二十七日の法語  神の力が不足なのではない

二十八日の法語  大いに夢を描け

二十九日の法語  実相の秩序を祈れ

  三十日の法語  互に侵さざる生活を祈れ






[474] 23-9  一日の法語  生命は智慧によって生命体となる
明鏡 - 2013年09月18日 (水) 17時35分



人間の本体は 生命である。

生命は 生きているから動く。


それは生きているから偶然出鱈目に動くのではなく、

律をもって動くのである。

律は秩序であり、秩序は智慧の働きである。


生命は 智慧によって働き、

智慧は 秩序をもって展開して 生命体になるのだと云うことが出来る。


だから 知慧ある生活は 生命体を健康ならしめるのであるが、

智慧のない生活は 生命体を不健康ならしめるのは当然である。


智慧のない生活は 生命体の秩序を破壊するのである。




[475] 23-9  二日の法語  智慧は秩序である
明鏡 - 2013年09月18日 (水) 17時38分



愚かなる智慧なき生活は 生命体の秩序を破る。

従って、病気の原因となるのである。


生命体の秩序を破るのに、物的方面と心的方面とがある。


物的方面では 食物に使用すべからざる毒物を食用する如きは 秩序を破るのである。

青酸加里や砒素剤の服用の如きは それである。


生長の家は決して物的方面の秩序を軽んずるものではない。

何故なら 物質的秩序も結局は 宇宙大生命の智慧の発現であり、

結局心的なものであるからである。


「 物は心の影 」 と云うのも 此の方面から理解出来る。




[476] 23-9  三日の法語  心を調律すること
明鏡 - 2013年09月18日 (水) 17時42分



物質的秩序は 自然科学の方面から研究せられる。

それは謂わば 神の智慧の物的方面への顕れの研究であるが、

今は自然科学者の方面にまかせて置く。


私は爰に 精神的秩序の方面を述べて見たいのである。

生命体は秩序の顕現であるから 秩序が破れたらそれだけ傷つくのである。


先ず、次のような心を持たぬことである。


     一、腹立てやすい。

     二、いらいらする。

     三、気むずかしい。

     四、陰気くさい。

     五、自己軽蔑。

     六、受難礼賛。

     七、呟く心。自己憐憫。

     八、同情を求める心。





[477] 23-9  四日の法語  人を呪わば穴二つ
明鏡 - 2013年09月18日 (水) 17時45分



また次のような 他を にくむ心を起こしてはならない。


     一、嫉妬心(しっとしん)( 人の成功ねたむ心 )。

    
     二、猜疑心(さいぎしん)( 人が自分に悪意や軽蔑心をもっていないかと疑う心 )。

    
     三、悪意。

     四、憎悪。

     五、人の不幸を喜ぶ心。

     六、人の失敗をせせら笑う心。



他に対して 憎悪、悪意、嫉妬、猜疑、人の不幸を喜ぶ心、人の失敗を痛快に思う心を起すことは、

それは いずれも他を害する心であるから、一種の爆弾の如く 他に悪念波を送る。



同時に 自分の内に 先ず自分を害する 「 悪念波 」 を発生して自分を害する。





[478] 23-9  五日の法語  人間は永遠に老いない
明鏡 - 2013年09月18日 (水) 17時48分



人間は老衰の感じを起こしてはならない。

生命は永遠に老いないのであるから、

何歳になったから もう自分は駄目だなどと考えてはならない。


「 老い 」 は心によって刻まれるのであって、歳月によって刻まれるのではない。

人生には老熟と云うことはあっても、老衰すると云うことはない。


過去の悲しみや、失敗をいつまでもクヨクヨ思ってはならない。

過去の栄華をいつまでも回想して、もう再びそのような機会は来ないなどと悲観してはならない。


人生には時々刻々の 「 今 」 が 常に機会である。






[481] 23-9  六日の法語  人の噂話をするな
明鏡 - 2013年09月19日 (木) 11時27分



釈迦は十一悪のうち、綺語、妄語、両舌、悪口等を入れたが、

人の悪口を云うことは自分の心を汚すことなのである。


生長の家の誌友会で道の話が尽きて来ると 世間話をはじめる人が往々にしてある。



メンタル・サイエンスでは 「 噂話(ゴシップ)」 と云うものを十悪の中に数えている。

噂話は往々にして人の悪を指摘して、皆でせせら笑うような気持になり勝ちである。



そのため、一地方に 二派の生長の家誌友会が出来て、

互いに対立して 他の悪口を云うようなこともある。

慎むべきことである。




[482] 23-9  七日の法語  人の善を讃える会
明鏡 - 2013年09月19日 (木) 11時31分



生長の家の集りは、人の善を見出してそれを讃える会でなければならぬ。


そして教理の研究は 学術的に正確な理性をもって行わなければならない。

感情に走って 他を批難する様なことがあってはならない。



メンタル・サイエンスでは次の事を悪徳の中に数えている。


     一、人の悪を見つけること。

     二、陰口をきくこと。

     三、ゴシップをすること。

     四、皮肉や嫌味を云うこと。

     五、人の悪を批議する事。即ち切りさばく心を起すこと。


以上のようなことを誌友会でやってはならぬ。





[483] 23-9  八日の法語  過去に低回する心を捨てよ
明鏡 - 2013年09月19日 (木) 11時35分



「 昔はあんな事があった、こんな事があった 」 と

過去の善や繁栄を誇る心は 老衰の徴候である。


心が過去に執着するようになれば前進が止る。


過去の善や繁栄を誇るのは

過去の悪や失敗に いつまでも引っかかって嘆いている心よりもましであるが、

「 今 」 を生きない点に於いて五十歩百歩だ。


今を生きよ、屹度(きっと)諸君は前進するであろう。


「 今 」 を生きよと云っても 「 今 」 の悩みや行き詰りを 人に訴えてはならぬ。

他の同情を求める心は 失敗に快感を感ずる心であるから失敗を招く。






[492] 23-9  九日の法語  謀は密なるを要す
明鏡 - 2013年09月20日 (金) 06時19分



人が失敗するのは、あまり計画の内容を

早期に自分で暴露するためであることがある。


蒔いた種は発芽してその芽が丈夫になる迄は、

それを包んで霜や冷たい風や乾燥の害を防いでやらねばならぬ。


その謀が善であるからと云って、善を無暗に主張するために

悪の反撃に遭って折角、善なる計画がくずれてしまうことは往々あり勝のことである。



正直は善徳であるが、蔽うべき時に蔽うて置くことは一層の美徳である。



馬鹿正直ではよくないのである。

蔽うべきは蔽い、あらわすべきは露(あらわ)すのが智慧である。





[493] 23-9  十日の法語  愛を実践して見たか
明鏡 - 2013年09月20日 (金) 06時22分



あらゆる手段を尽しては見ましたが 駄目でしたと云う人がある。


しかし其のあらゆる手段のなかに 「 愛を実践して見たか 」 否かが問題である。

愛の思いを起して見たか、愛の言葉を出して見たか、愛の行いを実践して見たかと云うことである。


人から顧みられないのは 自分が人に深切を実践したことがなかったからである、

深切な言葉をかけてやったことがなかったからである。

深切な思いを起して見たことがなかったからである。

行き詰るのは結局、今迄利己主義であったからである。






[494] 23-9  十一日の法語  自分は一切の不幸を戸外に閉め出す
明鏡 - 2013年09月20日 (金) 06時25分



チャルス・ラムミスは人が行き詰った時には

こう云うように思念せよと教えている。


「 何事が起ろうとも自分はそのすべてのものより偉大なるものである。

悲しみや、不幸や、苦しみが、どんなに自分に押し迫って来ても、

それは自分の家の外にいるのである。

自分は家の中にいてそれを入れない。

私は鍵をもっているのである 」 と。


其れは 確に明るい心に導く思念法である。


更に 「 自分は神の子である。如何なる悪しき事も自分には起らない。

悪く見ゆる何物も自分の家へ来れば善に変貌するのである 」 と思念すれば一層よい。






[495] 23-9  十二日の法語  祈りは斯く行え
明鏡 - 2013年09月20日 (金) 06時29分



祈りの法則。


まず神の智慧と愛と生命と供給と調和とが

宇宙全体に満ち渡っていることを心に深く思念することである。


かくて完全円満なる神へ心を集中したのち、

自分の求むるものを心に念じて

「 何々を斯くならしめ給え 」 と祈るのである。

それを繰返し祈るのである。


その祈りの果に、「 既にそれは与えられている 」 と云う様な深い信念の境地に到達する。


そして 「既に与えられまして有り難うございます。」 と念じて、

あと数分間は ただ黙して神の啓示を聴く気持になって、

もう一度感謝してその祈りを終わるのである。




[496] 23-9  十三日の法語  与えた物のみが真の富
明鏡 - 2013年09月20日 (金) 06時31分



吾々は世界から何を得たかを誇りにしてはならないのである。

それは欲ばる心のあらわれであり、奪う心のあらわれであり得る。


それよりも吾等は世界に何を与えたかを誇りにしなければならない。

与える者のみが与えられるのであり、与えたその福田のみが真の富だということである。


奪って得たものは一時、自分の所有が殖えて行くように見えるけれども、

それは神の世界に於いては 唯 負債が殖えただけである。


その負債はいつかは、時には近き将来に、時には来世に支払わなければならないのである。






[497] 23-9  十四日の法語  杖は人を楽にするが強くしない
明鏡 - 2013年09月20日 (金) 06時34分



愛するとは放つことである。

放つとは自分の責任をして自分で負わしめることである。


倒れた子供を起してやるのは放つのではない。

倒れた子供は、子供自身その責任を自分に帰し、

自分で起上がるようにしてやることが放つことである。


子供の失敗の尻ぬぐいをしてやることが愛することではないのである。

いつも子供の尻ぬぐいをしてやることを愛することだと考えているようなことでは

其の子供は自主独立性を失ってしまう。


民主主義の生活は 責任を自己に帰す生活である。




[498] 23-9  十五日の法語  報い求めざる愛と無限の赦し
明鏡 - 2013年09月20日 (金) 06時37分



祈りが成功するためには、神に波長が合うことが必要である。


神は無限に与えて決して求めると云うことがない。

「 報い求めざる愛 」 が 神である。


それゆえ、我等が 「 報いもとめざる愛 」 を実践してこそ

神の波長を自己に受けることが出来るのである。



又、神は 「 無限の赦し 」 である。



だから神に波長を合わすためには、

「 無限の赦し 」 を実践しなければならぬ。


「 無限の赦し 」 を自分が実践しないでいて、

自己が祈ることを神にきかれようと思うのは

波長を合わさずにいてラジオを聴取しようと思うようなものである。




[504] 23-9 十六日の法語  悪の存在を信ずるは神に対する不信である
明鏡 - 2013年09月21日 (土) 12時45分



誰かが自分に危害を加えるかもしれぬと考える様なことでは

神を信ずるものではないのである。


この世界に悪が存在すると信ずるようでは

神を信じていると云うことは出来ないのである。


神のみが実在であると云うこと、

そして神は全能であること、

そして神は善であるから、

善の力はその全能力によって宇宙に遍く遍満して

悪の存在を不可能ならしめている筈である。


それだのに悪の存在を、災禍の存在を信ずるのは、

まことにも神の善と全能とを信じないものだと云わなければならぬ。




[505] 23-9  十七日の法語  先ず幸福の心の波を起すこと
明鏡 - 2013年09月21日 (土) 12時46分



人間が幸福になる為には

先ず第一に幸福の心の波を起す事である。


幸福に実際なってから、幸福な心を起そうと思っても駄目である。


「 幸福 」 を A K(編注:現在のNHK東京第一放送局)の放送に譬えて見れば好い。

A K の放送を聴こうと思ったら、先ずラジオ・セットに A K の波長に合う波長を起して置かねばならぬ。


A K の放送が聞えて来たら、その時に A K の波長に合わしたら好いと思って、

常には A K の波長を起さぬようにしておれば 永遠に A K の放送は聞えぬ。


こちらが 「 幸福 」 の波長を起した時、

いつでも幸福放送局の波長を受ける事が出来るのである。




[507] 23-9  十八日の法語  調和した世界を見よ
明鏡 - 2013年09月22日 (日) 14時27分



どんな見せかけの不調和の奥にも

実際は 調和した善なる世界が存在するのである。


それを如実に知ることを 「 悟る 」 と云うのである。


不調和をいつまでも見つめておれば不調和は消えぬ。


不調和を見つめるという云うことは

不調和に波長を合わせていることであるからだ。


不調和の中にいても、不調和を見ず、調和ある実相を見よ。

不調和は消えてしまい調和ある実相が現象世界にあらわれてくるのである。


すべて現象世界は心の波の世界であって、

心の波がかわれば、現象世界も姿はかわるのである。




[508] 23-9  十九日の法語  この世界は心の波で変化する
明鏡 - 2013年09月22日 (日) 14時29分



多くの人達は、現象世界を物質の世界だと思っているけれども、

物質は、ただ分子がその径の千倍も隔った空間にバラバラに浮いているに過ぎないのであるから、

その形は決して固定したものではないのである。


心に従ってその分子の離合集散はかわるのである。


自己の健康でも、家庭でも、友人でも、仕事の状態でも、

すべて自分の心の雰囲気の及ぶ範囲内の出来事は、

如何にそれが物質で構成されているように見えようとも

自分の心の中の信念の具象化に過ぎないのである。




[509] 23-9  二十日の法語  よき心の雛形を出すこと
明鏡 - 2013年09月22日 (日) 14時31分



「 類は類をもって集まる 」 と云う諺がある。


病気を思い浮べないのに病気になったと思う人があるかもしれないが、

ブツブツと心に不平を思えば病気のことを思わないでも皮膚にブツブツが出来るのは、

「 類は類をもって集る 」 の心の法則によるのである。


また 「 自分は物質的存在だ 」 と云う念をもっていると、

病気のことを思わないでも、

「 物質は使えば禿(ち)びる 」 「 物質は虫が食う 」 などの念を付随するから

やはり老衰や疲労や寄生虫による病気にかかるのである。


先ず善き心の雛形を出さねばならぬ。




[516] 23-9  二十一日の法語  事物を成就する秘訣
明鏡 - 2013年09月23日 (月) 11時09分



物事を成就する秘訣は、

先ずその成就しようと欲する事物を心に深く、

毎日毎日既にそれが成就しているものだとして描くことである。


心に描いたものはやがて必ずあらわれるのである。


先ず心に描かれた 「 原型 」 が磁石のようになって、

その心の通りの形を実現するために必要な要素を、人間を、資材を、境遇を引き寄せるのである。


大事を成すには長期間にわたって、

心の中に同一の目的事物を描きつづけていることが必要である。

常に心に描いた影を動揺せしめている者に成功はない。




[517] 23-9  二十二日の法語  神に計画をゆだねる方法
明鏡 - 2013年09月23日 (月) 11時12分



何を心に描いて好いか不明な時には、

描くべき事物をも神に委ねよ。


神は無限の智慧であるから

必ず何を心に描くべきかを教え給うのである。


「 神よ、出来るだけ多くの人々を幸福にする為に、私が何を為すべきかを教えたまえ。」


かく幾回も繰返して、心を神に集中して、自分の願いを神にゆだね、

そして暫時何も考えず神からの啓示を受け入れる素直な無我の心境(こころもち)でいたならば、

何か好い考えを与えられる。


何も心にその時思い浮かばなくとも、

あとから或る機会に与えられることもあります。




[522] 23-9  二十三日の法語  素直に啓示に従うこと
明鏡 - 2013年09月24日 (火) 01時26分



神俠(インスピレーション、啓示)と云うのは

必ずしも外からのみ与えられるのではないのである。


神は到る処にいられるのであるから、(これを遍在と云う)

内から思いつくこともあれば、外から思いつくこともあるのである。


外から思いつくと云うのは 他の人から 「 斯うせよ 」 とお教えられたり導かれたり、

自然の事情の動きでそうせねばならぬように仕向けられることである。


神に計画をゆだねたならば 何が外から起って来ても、

それが神の導きであると信じて完き従順もて起ってくることを感謝して其の儘受けるのが必要である。





[528] 23-9  二十四日の法語  周囲に起ることは皆自分を高めるため
明鏡 - 2013年09月25日 (水) 07時49分



神に完全にゆだね切るとき一切の恐怖がなくなるのある。

恐怖があるのはまだ完全に神にゆだねていない証拠である。


吾々の周囲に起こって来ることは

皆自分を高めるためにあるのである。


どんな経験も受けようによっては必ず自分を高めるのである。


今出て来た事件がつまらないことに感ぜられようとも、

その一見つまらないことが、尚一層大なる善きことを成就するための踏石になるのである。


踏石が目的とする山より低いとて嘆いてはならぬ。

如何なる高さも第一歩から始まる。




[529] 23-9  二十五日の法語  神の愛は無限である
明鏡 - 2013年09月25日 (水) 07時53分



神の無限の愛を信ぜよ。

その広大なる愛は、それから のがれ出ようとしても 到底のがれることは出来ないのである。


十重二十重(とえはたえ)に神の愛は私達をとりまいているのである。


その真っただ中に眼をとじて 「 神の愛はない 」 と云っているに過ぎない。


如何に眼を閉じていても、

お前の立っているその大地は神のお蔭であるのではないか。

お前の吸っている空気は、神の愛のあらわれではないか。


到底お前は神の愛からのがれることは出来ないのだ。




[531] 23-9  二十六日の法語  神は常に我と共にある
明鏡 - 2013年09月26日 (木) 12時36分



神は常に我と共にある。

わが内にある。わが外にある。

わが上にある。わが下にある。

わが前にある。わが後(うしろ)にある。

わが右にある。わが左にある。


われらを取巻いて全く隙もなく充満してい給うのである。


吾々は神から逃れるすべもないのである。


何を恐れるか。

神は到る処に汝の護りであり、凡ゆる善と幸福とを以って

神は汝を取りまいていられるのである。


今呼べば神は答えたまうのである。

何事が起ろうとも、神を呼べばその救いは来るのである。


神よ、神よ、神よ、神よ、神を百万遍呼ぶべし。



[539] 23-9  二十七日の法語  神の力が不足なのではない
明鏡 - 2013年09月27日 (金) 17時50分



神は全能である。


神を呼んで何事でもなすとき、

それが如何に大なる希望であっても、それが一見不可能な夢であっても

必ずそれは成就するのである。


ただ神を信ずる力なきことを警戒せよ。

如何なる大事でも如何なる難事でもそれが成就しないのは、

神の力が不足な為ではなく、神を信ずるこちらの力が不足なのである。


人間に能(あた)わないことでも神には能うのである。

人間の智慧の尽きたところに神は無数の手段を有ち給う。


一歩一歩神を信じて前進せよ。

道遠きを嘆ずるな。

一歩毎に目的に近づくのだ。




[540] 23-9  二十八日の法語  大いに夢を描け
明鏡 - 2013年09月28日 (土) 01時28分



神の生命が吾等に宿っているのであるから、

吾等の願いは、神御自身の願いである。

(ただ他を害せず、他から奪わない希望である事を要する)


神自身の願いであるから、

それは必ず成就するのである。



夢を描け、

大いに、夢を描け。


しかし今日甲の夢を描き、明日乙の夢を描き、明後日は丙の夢を描くと云う風に、

定めなき動揺する心境では 物事は成就しないのである。


心に描いたものを現象界に映し出すには、

写真を移すと同じように 或る時間、同じ対象物に

心のレンズを向けていなければならないのである。




[545] 23-9  二十九日の法語  実相の秩序を祈れ
明鏡 - 2013年09月29日 (日) 17時31分



吾々が如何になすべきかに杜(と)まどう時に、

「 実相の秩序に於いて事物が “ ある ” ように

どうぞ現象世界に於いてもあらしめ給え 」 と吾々は祈るべきである。



これはキリストの教え給うた 「 み心の天に成るが如く地にも成らせ給え 」 と祈る祈りと

同じ意味である。



「 実相の秩序 」 と云うのは

実相世界 ( 神の国 ) に於いて、

すべての事物が互に調和して、

相侵すことなき状態にある秩序である。



現象の世界に於いては、時としては一人の幸福を得ようとすれば、

他の者の幸福が侵害されるようなことがあったりする。



それは 「 実相の秩序 」 が実現しないで、

我(が)の秩序が顕れるからである。





[553] 23-9  三十日の法語  互に侵さざる生活を祈れ
明鏡 - 2013年09月30日 (月) 07時59分



互に侵さずして幸福なる生活を営むためには、

常に神想観する毎に、


「 吾等は一つの神の智慧によって支配されている世界に住んでいるのである。

神の智慧は調和であり、秩序であり、平和であり、美であって、

一切のものが一つの叡智によって適当に配列されているのであるから、

不調和なことは存在し得ないのである 」 と思念することが必要である。



若し現象界に何らか互に相おかすような出来事が起るならば、

かかる出来事に心を捉えられることなしに、それを無視して


「 唯、神の調和の智慧のみがこの事件を支配している 」


と念ずれば、その事件が調和に解決するのである。







[921] 誌友会開催のために
明鏡 - 2014年06月06日 (金) 16時42分



合掌 ありがとうございます。


谷口雅春先生が、 「 6日の法語 」 と 「 7日の法語 」 で、

生長の家の誌友会のありかたについて書かれております。


誌友会を開催する際には、ぜひ一読されたいご文章であると思います。


         合掌 再拝




[922] 明鏡様へ
管理人 - 2014年06月06日 (金) 19時42分

合掌 ありがとうございます。

今日はまさしく美魂女軍団のスカイプ誌友会です。
輪読が終わるとついつい他の掲示板の話題になったりしちゃいます。
気を付けたいと思います(^_^;)

感謝合掌




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