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谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の壱

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[857] 『 生長の家 』昭和26年6月号法語(1)〜 (30)【完】
明鏡 - 2014年04月01日 (火) 12時18分



『 生長の家 』誌 昭和26年6月号法語  谷口雅春先生




一日の法語  心を空っぽにして「健康」の念を注入せよ

二日の法語  物質は観念の影である

三日の法語  常に自己を霊的実在なりと観ぜよ

四日の法語  「物質」の概念から脱け出すべし

五日の法語  如何なる微生物も人間を侵(おか)さない


六日の法語  利己を捨てたとき全体の生命が「自己」にあらわれる

七日の法語  願い反対する錯綜(さくそう)した思いを起すな

八日の法語  何のために貴方(あなた)は祈るか

九日の法語  神に対する讃美(さんび)と感謝

十日の法語  既にある善き霊波を捉えよ


十一日の法語  ただ美点のみ見る

十二日の法語  すべての不快なる人を赦(ゆる)せよ

十三日の法語  愛は真に征服する力である

十四日の法語  信念は万事を成就する

十五日の法語  賞讚(しょうさん)の言葉を投げかけよ


十六日の法語  賢者は不調和な面を見ない

十七日の法語  信仰を深め、恐怖心をなくするには

十八日の法語  汝の内なる神を自覚せよ

十九日の法語  必ず解決の道はある

二十日の法語  神に全托する者は悩まない


二十一日の法語  富の父性原理と母性原理

二十二日の法語  神癒の根源をつかめよ

二十三日の法語  無限供給は先(ま)ず愛念から

二十四日の法語  繁栄に対する新しき門

二十五日の法語  貴方(あなた)は健康なのが本当だ


二十六日の法語  不要な感情を心の室(しつ)から逐(お)い出すこと

二十七日の法語  すべてを神の表現として見よ

二十八日の法語  高き理想を掲げよ

二十九日の法語  あなたが幸福になるには

三十の法語     あなたは現象の不完全に心を捉われない





[858] 一日の法語  心を空っぽにして 「 健康 」 の念を注入せよ
明鏡 - 2014年04月01日 (火) 12時23分




一度 器(うつわ)を空っぽにしてしまわなければ新しい酒は入れることができない。


病気を心の中にしっかりと把握している限りに於いて、

健康の観念をつぎ込むことは出来ない。


病気を治すには第一 病気の観念を捨ててしまわなければならない。

病気をわすれると云うことである。


病気を治そうとあせっているものの病気が治らないのはそのためである。

吾々は不調和を心から捨てなければ調和を得ることは出来ない。


心に病気を描くこと、

死を描くこと、

恐怖すること、

人を憎むこと、

争うこと、

悲しむこと、

嫉妬(しっと)すること、

猜疑(さいぎ)すること、


すべて心の不調和である。




[860] 二日の法語  物質は観念の影である
明鏡 - 2014年04月01日 (火) 20時02分




人間を物質的存在だと思っている限りにおいて、人間は恐怖心を捨てることは出来ない。

人間の物質的有限観がまた争いを起す原因となる。


そこで不調和を心から投げ捨ててしまうためには、人間の有限観をすてなければならない。

人間を「 霊的実在 」だと知らなければならないのである。


病気と云うのは真に「 病気 」( 心の不調和 )であって「 病体 」ではないのである。

「 体 」と見えているもの、「 物質 」と見えているもの悉(ことごと)く、


「 空間に投影されたる観念の綾(あや)、これを称して物質と云う 」(「甘露の法雨」)


であるから、病的観念を投影すれば、病体となってあらわれ、

健康の観念を投影すれば健康体となってあらわれるのである。




[861] 三日の法語  常に自己を霊的実在なりと観ぜよ
明鏡 - 2014年04月02日 (水) 18時28分




常に自己を霊的実在だと信じている者には病気はないのである。


ただ吾々には日常生活中 五官の目で見る場合 どうしても自己やすべての存在を

霊的存在だと見得ないで 物質的な固まりであると見る場合が多い。


そのため いつの間にか自分自身を黴菌(ばいきん)に冒されるものと見る。

不完全なものだと見る。


その「 観(み)る心の相(すがた)」(即ち観念)が空間的に影をうつして

病気とあらわれて来るのである。


従って 吾らが本当に常住健康の生活を送るためには、

自己を物質と見る五官の眼(め)を瞑(と)じて、自己の全身を霊的実在であると

観ずる神想観の如(ごと)き修行を一日一回以上修することが必要である。





[863] 四日の法語  「 物質 」 の概念から脱け出すべし
明鏡 - 2014年04月03日 (木) 22時23分




すべての不幸を癒(いや)し、病気を癒すための祈りの根本は

「 神はすべてのすべて 」と云う真理である。


そして「 神は霊的実在であるから、すべては霊的実在であり、物質はない 」と云う

真理である。


「 物質はない 」とは最も理解され難いことがらであるけれども、

「 すべて物質と見えるものは物質ではない。従って物質と云うものは

微塵(みじん)もない 」と云うことである。


「 物質 」とは生々せん動波動せる神の生命の波を

縦横厚みの空間的枠内に固定化して見た概念的存在にすぎないのである。


それを「 物質 」として観ている限りに於いて、

吾々は自分で造った「 固定概念 」に縛られているのである。



「 物質 」と云う「 固定概念 」から抜け出すことが不幸から脱却する根本条件である。






[864] 五日の法語   如何(いか)なる微生物も人間を侵(おか)さない
明鏡 - 2014年04月04日 (金) 23時17分




神はすべてである。


すべては 霊的実在であると云う根本真理の次には、

霊は物質でないから限定がなく、区画がなく、全体「 渾一(ひとつ)」であると云う

根本真理を知らなければならないのである。


愛とは「 自他一体 」の自覚であるから、

「 全体渾一(ひとつ)」であると云うことは、

すべては、「 絶対体 」そのものであると云うことである。


どんなに区画され、分割され、個々別々のように見えようとも、

それは全体が一つである。



即ち 全体は 神の絶対愛の自己表現であるから、

愛にそむくような不完全な相(すがた)、

生物が生物と相闘(あいたたか)うような不完全な相(すがた)、

従って 微生物病源体が人間を侵すような不完全さはないと云うことである。





[866] 六日の法語  利己を捨てたとき全体の生命が「自己」にあらわれる
明鏡 - 2014年04月05日 (土) 23時20分




全体は一つであるから、全個(ぜんこ)であって他個(たこ)はない。

他個はないから自個(じこ)もないのである。


自個 即ち自分という個人が無いということがわかって、

「 個人の利益 」と云うような考えを悉く捨ててしまって、


ただ全体のために尽すと云う献身の心がもとになって、祈りや観行や働きのいとなみが

行われるとき、


本当にその祈りが成就し、観ずる通りに実現し、その人の働きが立派な栄える事業となって

果(み)を結ぶのである。


利己的な祈りが成就しないのは、「自個」が全体から切りはなされているために

全体の生命(いのち)の流れも、全体智慧(ちえ)の流れも流れ入らないからである。


神の栄えを個身(わがみ)にあらわすためには、自個がなくならなければならぬ。





[869] 七日の法語  願い反対する錯綜(さくそう)した思いを起すな
明鏡 - 2014年04月07日 (月) 00時02分




祈りと云うものは、必ずしも声を立てて述べなければならないと云うことはないのである。

声を出さなければ聞えないような神様なら大した神様ではないのである。


すべて心に願うこと、思うことは祈りである。

吾々の願い望みの一点一画と雖(いえど)も神に達しないものは有り得ないのである。


一方で求めながら、心の奥底で、「 そんなことは出来るものか 」「 そんなことを

願うことは罪悪だ 」とか他方で、その願いを打ち消すような心境も、

それは心に出さなくとも、すべて神に達しているのである。


願いの成就しないのは、神が成就せしめ給わないのではなく、

自分が自分で自分の願いを否定しているのである。





[870] 八日の法語  何のために貴方(あなた)は祈るか
明鏡 - 2014年04月07日 (月) 23時41分




吾々は祈りの目的を反省して見ることが必要である。


自分の富を殖(ふ)やすために祈っているのか、自分の肉体を健康にするために

祈っているのか、その富がただ自己の物質的栄華のためではなく、多くの人々に

役立たんがために、或いは神の栄えをあらわさんがために、

また自己の魂の向上のために祈っているのであるか、


其処(そこ)に、祈りが成就すると否との差別が生ずるのである。


神の栄えをあらわし、多くの神の子(人類)を幸福にせんがための祈りが、

神に祝福せられないと云うことは有り得ないのである。





[871] 九日の法語  神に対する讃美(さんび)と感謝
明鏡 - 2014年04月09日 (水) 00時15分



神は決して吾々の讃美の言葉や、感謝の言葉によって

動かされるような方ではないのである。


神を讃美する言葉や、神に感謝する言葉は、人間の心を動かして、神の既に与え給うて

いられる恵福(めぐみ)に対して、受信しやすい「心の波」を作ることになるのである。


形にあらわれたる恵福(めぐみ)は、神の目に見えざる恵福の波が、

人間の心の受信機を通して「形」に翻訳されたるテレビジョン映画のようなものである。


あらゆる恵みは充ち満ちているのに、その中(うち)自分の心の波が捉(とら)え得たもの

だけが、吾々の感覚の世界に翻訳されて出て来るのである。


恵みの波の受信に必要なる 自分の心の波を調律する方法が 讃美と感謝とである。





[872] 十日の法語  既にある善き霊波を捉えよ
明鏡 - 2014年04月10日 (木) 01時48分



祈りの成就する根本には、既に神の「恵福(めぐみ)」の放送(霊波が遍在する)が

あると云うことである。


その霊波は三次元空間的存在ではないから、

霊波そのままは肉眼では見ることが出来ないが、

吾々の心の波が受信装置となるときには、三次元以上の世界の霊波が、

三次元世界に影を映して物質化してあらわれて来るのである。


心の波の種類に従ってわれわれが自分の身辺に現象し出して来るものが

異なって来るのである。


先ず善き事を実現するには、善き事のみを心に思うようにしなければならない。

多くの人は善き事よりも、悪しき事の方を多く考えたがる心の習慣性を

有(も)っているのである。




[873] 十一日の法語    ただ美点のみ見る
明鏡 - 2014年04月11日 (金) 01時48分




今日、自分は決して悪しき事を考えないのである。

自分は唯(ただ)、善き事、快き事のみを考えるのである。

決して人を非難することを考えないのである。

人の美点のみを見るのである。

美点を見る心は美点のみを引き寄せることを知るからである。


神の智慧は、美点を見る心に引き寄せられて、吾が行く道を照らし給うのである。

神の愛は、美点を見る心に引き寄せられて、すべての人々の感情に柔ぎと調和とを

与えたまうのである。


何物も神の智慧と愛との合奏するところに不可能はないのである。

如何に現象的に行き詰っているかの如(ごと)く見えようとも、

神の智慧と愛とは道を見出させて下さるのである。




[874] 十二日の法語  すべての不快なる人を赦(ゆる)せよ
明鏡 - 2014年04月11日 (金) 23時19分



あなたの生命は神より来たれるものである。

神の愛があなたの内に宿っていたまうのである。


だからあなたは如何なる罪人をもゆるすことが出来るのである。


神の智慧があなたの内に宿っていたまうが故に、

如何なる事情の下(もと)に於いても調和ある解決を期待することが出来るのである。


若(も)し誰かに腹の立つこと不快な思いを抱いたことがあったならば、

今直(す)ぐに其の人に愛念をお送りなさい。


愛は一切を調和するところの最強力の力である。


「われ生長の家の神に於いて、汝(なんじ)をゆるし、汝に念波を送る。

私は貴方(あなた)を愛しています」と強く強く繰り返し繰り返しお念じなさい。





[875] 十三日の法語  愛は真に征服する力である
明鏡 - 2014年04月12日 (土) 20時13分




愛は全世界を真に征服するのである。

憎みはそれが如何に暴力的に強くとも、一時征服したように見えようとも、

相継ぐ反撃によってついに世界を混乱に導くに過ぎないのである。


愛が報いを得なかったことは一度もない。

愛することの快さ ー それ自身が既に報いでもある。

愛は愛する人を呼び、繁栄を招び、健康を来すのである。


若し貴方を愛する人がないので淋(さび)しければ、

自分が他(た)を愛していないで愛せ“られる”ことを欲しているからである。


若し貴方の店が繁昌しないならば、あなたがその店でお客に対して

愛の注ぎようが足りないからである。


健康が得られないのも愛より憎みが多いからである。




[876] 十四日の法語  信念は万事を成就する
明鏡 - 2014年04月14日 (月) 00時58分




人は信ずる通りのものとなり、信ずる通りにその事業が成るのである。

信仰は勝利の第一の要素である。


「 神われと偕(とも)に在り 」と常に心の中(うち)で呟(つぶや)け。


それが重なる毎(ごと)に信仰は強くなり、

何事でも成就する智慧が湧き出て来るようになるのである。


「 われは神と偕に何事でも為すがゆえに、自分は如何なる事態に処しても過ちなく

物事を処理することが出来るのである。わが内より神の智慧は湧き出でるのである。

神はわが内に宿りたまいて、内より自分を助けて い給うのである。

われは神想観中に必ず神の導きの声をきくのである 」


かく念じつつ 神想観すれば必ず昂(たか)まるのである。




[877] 十五日の法語  賞讚(しょうさん)の言葉を投げかけよ
明鏡 - 2014年04月14日 (月) 23時24分




人間は人から認められる時、全力を発揮して働くものである。

認めてあげることを惜しんではならない。


賞讚の言葉ほど人間を勇気づけ、悦ばせ、元気づけるものはないのである。

吾々が一所懸命、精根をつくして仕事をしているのに誰も認めてくれないときには

どんなに淋しい気がすることであろうか。


そのような時、突然、誰かが自分の努力をみとめてくれ、

賞讚の声をきくことが出来たならば、どんなに勇気がわいて来るだろう。


人間は神の子であるから、神に於いて互いに一体であるから、

認められることによって一体感を喚び起し、快い感情に打たれるのである。




[878] 十六日の法語  賢者は不調和な面を見ない
明鏡 - 2014年04月15日 (火) 21時52分



自己の人生に調和と健康と繁栄とを持来(もちきた)そうと思うならば、

この世界には、どんな混乱にも撹乱(かくらん)にも、

それに秩序と平和と健全さとを回復しようと云う大いなる力が働いているのだと云う

宇宙的な摂理(神)が存在すると云うことを知らなければならない。


一寸(ちょっと)皮膚に傷をしても 内からそれを再生する力が

内部から催して来つつあるのである。


どんな埃(ほこり)が立ってもいつのまにか空気は澄み切るのである。


地上の塵芥(じんかい)が風雨によっていくら流し込まれても暫(しばら)くのうちに

大海原(おおうなばら)は澄み切ってしまうのである。


愚かなる者は、濁る方の現象を見て憂え、

賢者は一切を浄化する宇宙的な力に信頼して心は平和であるのである。





[879] 十七日の法語  信仰を深め、恐怖心をなくするには
明鏡 - 2014年04月16日 (水) 21時56分




吾々の心を明るくするものは 神の愛が自分を取り巻いていると云う想いである。


神はわが砦(とりで)であり、防壁であり、愛深き父であり、母である。

神 われを護(まも)りたまうと云う想念のあるところ恐怖心は起っては来ないのである。


「 神の愛 常にわれを取り巻きて護りたまい、神の智慧 常にわれを導きたまいて

栄えの道に進ましめ給う」と


一日のうち数回静かに目を瞑(つぶ)って十数分念ずることは

信仰を深め、神との一体感を増大して恐怖心を去り、

よき智慧を招き寄せる力となるのである。


信仰は力であり、信仰は絶えざる言葉の力によって増大して来るのである。




[880] 十八日の法語  汝の内なる神を自覚せよ
明鏡 - 2014年04月17日 (木) 21時23分




あなたの内に神 住みたまう。

神はあなたの内に宿りたまいて、夜も昼も絶え間なく

あなたを護っていられるのである。


あなたの内には、あなた自身が自覚していられるよりも尚(なお)一層偉大なる力が

宿っているのである。

あなたは、今 到底自分には出来ないと思われるような困難を打破する力を

持っているのである。


その力は自覚の深まる程度に従ってあらわれて来るのである。


それを自覚するためには毎日、神想観をして自分の「 実相 」が神の生命であることを諦視すること。

毎日、真理の書の一章を読むことである。


最近、松田午(うま)三郎氏と関口野薔薇(のばら)氏とが訳してくれたハードマン博士の

「 メンタル・サイエンス綱要 」 などは好い本である。





[881] 十九日の法語  必ず解決の道はある
明鏡 - 2014年04月18日 (金) 23時40分




問題が行き詰って来たときには、神の方へ振り向くべしである。

人間にはどうしたら好(よ)いか判(わか)らなくても、

神は必ず解決の道を知り給うのである。


如何なる問題にせよ、それが問題である以上は

解決の方法があるから問題なのである。


神の造り給うた世界に、自分とそしてすべての人とに共々幸福になる解決が

存在しないと云うことはないのである。


多くの人々が常に不安に包まれ、恐怖に覆われているのは、

神に全托することを知らないからである。


不安と恐怖とから完全に離脱する道は、

すべての問題の解決を愛深き神の み手に委(ゆだ)ねることを忘れているからである。




[882] 二十日の法語  神に全托する者は悩まない
明鏡 - 2014年04月19日 (土) 21時18分



若し何事かが起って貴方の心を悩ますならば、

その問題の解決は その問題に就いて悩むと云うことではないのである。


問題の解決法は、第一、問題から「 悩む心 」を放つことである。

第二、その問題を神に委ねることである。


如何なる条件が起ろうとも「 神の愛の御手(みて)が護っており、

すべての人々に最もよいようにこの問題が解決せられるに相異ない 」 と思念して、

その思念の通りになることを信ずるが好いのである。


愛する子供や、愛する良人(おっと)や、愛する妻について、

その病気や、その素行について疑うな。


すべての人々の内には神が宿っていて

それみずからを健全の方向へ導いているのである。




[883] 二十一日の法語  富の父性原理と母性原理
明鏡 - 2014年04月20日 (日) 20時15分




神の恵みは無限であり、多方面である。


吾々は豊かなる容器をもって 神の恵みの宏大(こうだい)なる海原(うなばら)から

汲(く)むことが必要なのである。


富には 父性原理と母性原理とがある。

父性原理は 生命を注ぎ与える原理である。与えることを忘れていて、

おかげを貰(もら)うことのみを望んでいる人々の多いのには驚くのである。


或る信徒は 生長の家道場へ来て、感謝箱に奉賽金(ほうさいきん)を

投ずる人の少ないのに驚いている。

教団本部の建築が出来ると云っても献金する人々は寥々(りょうりょう)たる有様である。


見よ、吾々は先ず与えているのである。

大阪及び京都の教化部、佐世保の道場、呉市の道場、福岡の九州総轄(そうかつ)道場 ―

吾々は本部より先に地方を整えつつあるのである。




[884] 二十二日の法語  神癒の根源をつかめよ
明鏡 - 2014年04月21日 (月) 21時34分




すべての癒(い)ゆる第一歩は、

神は到る処に満ちている云う根本原理を知ることにある。


その次には 神は善であって、神のいます処に如何なる悪も

存在しないと知ることである。


神は善であっても、力が足りなければ 其の善を実現することが出来ないが、

神は全能であるのである。



「 神に於いては何事も不可能ではない。その神は吾が内にましまして

吾を癒し給いつつあるのである 」


と となえながら眠ってしまうことは、眠っている間に

内なる真の癒力(いやすちから)を発揮する方法である。



色々、罪や過ちの観念で悩んでいる人は、


「 神はわれを赦したまいて 愛の慈手(みて)をもて抱き給う。吾は既に癒されたり 」


と念じながら眠るのも好(よ)い。






[885] 二十三日の法語  無限供給は先(ま)ず愛念から
明鏡 - 2014年04月22日 (火) 20時06分




吾々が神の無限供給に接触することが出来るのは、

吾々内部に宿る神性を通してのみである。


神性のみ神性に接触して、

そこから無限を引き出して来ることが出来るのである。


人を愛しないでいて神から愛されようと思っても無駄のことである。

何故(なぜ)なら神は愛であるから愛によってのみ波長が合うからである。


神の無限供給は 決して「 物質 」の形で来るものではないのである。

何故なら 神は「 物質 」ではないからである。


神は 智慧であるから、

神の無限供給は 良き智慧の形をもって吾々を訪れる。


愛念を起して良き智慧の流入を受け、

その良き智慧を 愛念をもって実践することである。





[887] 二十四日の法語  繁栄に対する新しき門
明鏡 - 2014年04月23日 (水) 19時18分



吾々は 常に繁栄に対する門戸(もんこ)は

ひらかれているのである。


過去の仕事に行詰りが来ようとも、

それは 新しき仕事の門がひらかれつつある証拠である。


それを信じないものは仕方がない。

それを信じたときに、信じた通りに門戸がひらかれるのである。


新しき繁栄の門戸は智慧である。


正しき情勢の判断と、それに処する正しき智慧、

そして正しく人々に奉仕する道、これが神から与えられるとき、

人は繁栄するしか仕方がないのである。


更に明るい心、楽しい家庭の雰囲気と云うものは

事業を育てあげるに必要な肥料となるものである。





[888] 二十五日の法語  貴方(あなた)は健康なのが本当だ
明鏡 - 2014年04月25日 (金) 00時41分




神があなたの生命である。

あなたは生きている限りに於いて「 生命 」である。


「 生命 」は「 生命 」より生まれる。

その生命の本源は「 大生命 」である。


だから貴方の生命は「 神 」である。

そのほかにあなたの生命はあり得ないのである。


しからば貴方の生命は健康であるほかはないのである。

それだのに貴方の生命が若し不健康をあらわすならば、

それは、あなたが折角(せっかく)、神から頂いた「 生命 」を

「 大生命 」から孤立させてしまっているからである。


「 大生命 」に再び接触せよ、

而(しか)して大生命の働きに自己をゆだねるとき、

大生命の生かす力が滔々(とうとう)と流れ入って

いと速やかに恢復(かいふく)するのである。





[889] 二十六日の法語  不要な感情を心の室(しつ)から逐(お)い出すこと
明鏡 - 2014年04月25日 (金) 21時50分




若(も)し悲しみが あなたの心の部屋に忍び入るならば、

いつまでもその悲しみのお客様を自分の心の部屋に

とどめ置いてはならないのである。


若し人を憎む思いが あなたの心の応接室に忍び込むならば、

出来るだけ其の不要なお客様を逐い出さねばならないのである。


若し腹立ちが 貴方の居間に忍び入るならば、

とっとと、その腹立ちを貴方の心の居間から逐い出せ。


それらはあなたの味方ではなく、

あなたから幸福と健康とを奪い去ろうとする悪魔の「 廻し者 」なのである。


大体、悲しくなったり 腹が立ったり、人を憎んだりするのは、

他の人の働きで自分が害されると思うからである。



「 われは神の愛したまう神の子であるから 何者も自分を害することは出来ない 」と

念ぜよ。





[890] 二十七日の法語  すべてを神の表現として見よ
明鏡 - 2014年04月26日 (土) 19時35分




神は大自然を通して、またすべての人々を通して

自己を表現したまうのである。


大自然の一木一草にも神の表現と囁(ささや)きとを

きくことが出来るのである。


すべての人々の動きにも神の表現と囁きとを

きくことが出来るのである。


相手がそのように自分に対して持ちかけて来るのは、

神が何かを自分に対して示していられるのである。


「 立ち向かう人の心は鏡なり 」と云うのはそのためである。


またすべての人々は、その人でなければ出来ないところの

神の「 特殊性表現 」をしていられるのである。


だから、あまり人を自分に等しからしめようとしてはならないのである。

ピアノはピアノの音(ね)を出し、琴は琴の音を奏でるのである。




[891] 二十八日の法語  高き理想を掲げよ
明鏡 - 2014年04月27日 (日) 23時30分




貴方が心を高き理想に振り向けるとき、

あなたの人格は 高きものとなり、

あなたの行動は 高きものとなるのである。


あなたが低きものに興味を持つとき、

あなたの人格は 低きものとなり、

あなたの行動も 低きものとなるのである。


最も高き理想は「 神 」である。


あなたの理想を神にまず振り向けよ。

それは意志の力で神にまで自分の念を

強力に持ちつづけなければならぬと云うことはないのである。


自分が神の子であることを知れば好いのである。

唯(ただ)知るだけで好(よ)いのである。


自己の生命の源泉が神より来たれるものであることを知り、

神が人間を神の子として神の如く完全に創造(つく)り給うた実相を

“ ただ ” 知るだけで可(よ)いのである。




[892] 二十九日の法語  あなたが幸福になるには
明鏡 - 2014年04月29日 (火) 08時35分




多くの人々は自分を幸福だと思っていない。

しかし本当は幸福なのである。


本当は幸福なのに幸福だと思えないのは何故かと云うと、

幸福な表情をすることを怠り、

愉快な想念を心の容器(いれもの)に入れるかわりに、

わざと不愉快な想念を入れているからである。


吾々は自分の想念と自分の言葉とを

子供が危険な淵(ふち)へ墜落するのを見戊(みまも)ってやるかの如く、

看戊ってやらなければならないのである。


想念の雑草を刈りとることが大切である。

言葉の棘草(いらくさ)を刈りとることが大切である。


そして自分の植え付けようと思う楽しい想念だけ植え付け、

楽しい表情だけをすることが大切である。




[893] 三十の法語  あなたは現象の不完全に心を捉われない
明鏡 - 2014年04月30日 (水) 08時21分




あなたは決して現象の一時的な不快な出来事に

「 心 」を腐らすことはないのである。


どんなに金銭が失われようとも、職業が失われようとも、

その他(た)如何なる外界の事物が都合よく行(い)かないにしても、

自分の「 心 」は外界の如何なるものよりも

大切なるものであることを知っているからである。


心が腐って来そうな時には、眼を瞑(つぶ)って

「 心 」を神の方向へ振り向けるのである。


さすれば忽(たちま)ちにして神の栄光は自分の「 心 」の中に輝き渡り、

現象に引っかかったために起った不快な思いは吹きとばされ、

光風霽月(せいげつ)のように澄み切った心の中に神の智慧が輝き渡って来るのである。






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