[865] 希望成就の急所を説く |
- 明鏡 - 2014年04月05日 (土) 22時53分
『 精神科学 』 誌 昭和五十五年十一月号
「 希望成就の急所を説く 」 谷口雅春先生
《 何事かの希望成就を心に描く。まさにこの時こそ希望成就の第一段階なのである。
それは心に強く思い描く事物は必ず成就するーという法則が働き始めるからである。 》
今日は、テキストの『 栄える生活365章 』の十二頁「 希望の成就をあせっては
ならない 」という項(ところ)であります。ちょっと読んでみます。
【 希望の成就のためには、焦らず必ず成るの信念を持続せよ 】
『 ヘンリー・フォードは、自分が強く「 欲する事物 」を“ 心に描く ”ならば、
「 自分の生命の中から霊的微小体(スピリチュアル・リトル・エンテテー Spritual
little Entity)とでも謂うべき、物質の電子じゃなくって“霊の電子”みたいなものが
必要なところへ出かけて行き、その欲する事物を伴って来る 」、ということを
説いておったというのでありますが、全くその通りであって、
自分の欲する事物を 自己に磁石的な力をもって引き寄せる事になるのであります。
併しながら、その結果についてあまり焦慮(あせ)ってはならないのである。
その事物が近づいて来つつある間に、心があまりその結果を得ようと「あせる」ならば、
その思い煩いは「まだ“来ない”、まだ“来ない”」と・・・』思念(おも)うことに
なって、「 来(きた)る 」ということを念ずる代りに
「まだ“来ない”」と念ずることになるから「来ない、来ない」という念が重なっていっ
て、折角来つつあるものを来させないように・・・「来ない、来ない」という念で封じて
しまう、ということになるのであります。
だから、自分の欲するものを神様に祈って、
“ すでにそれは与えられているのであるー〈 求めよ、さらば与えられん。叩けよ、
さらば開かれん 〉 ― 自分は求めているのである。だから既に与えられたのである。
自分は叩いているのである。だから既に開かれたのである。
自分は既に求めるものを得たのである。有難うございます“と断じて念ずるがよいのです。
ところで、折角こう念じても、出てくるのにちょっと時間がかかるような時に、
“まだ来ない、来ない、来ない、来ない・・・”とこう考えるようになると、
せっかく集まって来つつあるところの善きものが“来ない、来ない”という
こちらのその反対観念によりまして、折角求めたものが途中で停頓してしまうという
ことになるのであります。
そこで、われわれは忍耐強く、祈りが成就するまでその祈りを途中で止めてしまっては
いけないのであります。
それですから待ち設けたものがなかなか出てこない時には“まだ来ない、来ない”なぞと
念じないで、
“ すでにその欲する事物は自分に近づいて来つつあるのである、近づいて来つつある
のである”と、
こういう念じ方をして“ 必ず成る ”という信念を持続することが必要なわけであります。
つづく
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