[928] 【新天新地の神示】 |
- 輪読会 - 2014年06月15日 (日) 20時21分
見よ、われ既に天地を新たならしめたのである。 人々よ、眼の覆ひをとれ、われは新しき智慧である。 新しき生命である。 新しき宇宙である。 新しき光明である。 われ臨(きた)つて此の世界は既に変貌したのである。 既に信ずる者の暗黒は消え、醜汚(しうを)は滅し、病ひは癒え、悲しみは慰められ、苦しみは柔らげられた。 神秘を見て人々よ、目覚めよ。 覚めてわが新しき光に照らして存在の真実を見よ。 われは存在の実相を照らし出す完成(ななつ)の燈台に燈(ひ)を点ずるものである。 悲しみに泣き濡れた人々よ。 いま眼を上げて吾が光を受けよ。 汝の悲しみは喜びに変わるであろう。 病める者よ、いま病の床より起(た)ちて、わが生命を受けよ。 われを拒(こば)むな。 われを信ぜざる者は已むを得ぬ。われを信ずる者は黙坐してわれを念じ、われに依り頼れ。 われ汝等に『神想観』という観行を教えたれば、それを為せ。 われに汲むものは常に新しき力に涸(か)れないであろう。 吾を呼ぶ者のもとに吾れは常にありて、汝らのために汝らの重きくびきを軽からしめる。 なんぢ一人ならば吾れを念じて吾れとともに二人なりと思え。 なんぢら二人ならば、われを念じて吾れと倶に三人なりと思え。 悩める者よ、わが言葉を読めば苦しめる魂も軽くなり、悲しめる魂も慰めを得ん。 そはわれは限りなき大愛であるからである。 汝ら事にのぞんでわれを呼べば、自己の知らざる智慧の湧き出づるに驚くであろう。 信ぜぬ者、呼ばぬ者は、不憫であるが助けようがないのである。 汝の心の疑いがわが救いの波長に合わないからである。 遠くにいて救われている者もあるが、近くにいて救われぬ人もある。 仕方のないことであるが不憫である。 もっと兄弟たちに、『生長の家』を伝えよ。 神の愛は貰い切りではならぬ。 頂いたお陰を『私』しないで、神の人類光明化運動に協力せよ。 『生長の家の神』と仮に呼ばしてあるが、『七つの点燈者』と呼んでも好い。 七つの教えとイスラエルの十二の分派(わかれ)がわが教えで新しき生命を得るのだ。 わが教えはどんな宗派をも排斥するような狭い宗教ではない。 教えの太宗(もと)であるから宗教と云うのである。
(昭和六年五月六日神示)
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