[146] 2・26事件と生長の家 |
- 童子 - 2013年02月13日 (水) 06時51分
大調和(みすまる)の歌が発表されたのが、昭和11年2月13日 『生長の家』立教7周年記念増刊号でした。
3月1日の立教記念日に全国の生長の家誌友に対して『全人類光明化思念の放送』を一斉に送ることを提唱され、代々木の錬兵場に誌友が集結して、光明化思念を送る予定でした。
天照らす御親の神の大調和の生命射照らし宇宙静かなり
しかし、その前に2・26事件が勃発してしまいました・・・
東山半之助氏の『ざっくばらん』より
昭和十一年の三月七日、すなわち輝子奥様御誕生記念の佳き日に、神戸白鳩大会を盛大に催すことになり、その来会者に喜びの記念品として、ハンカチかお布巾などに何か谷口先生の御作詠を染めつけたものを贈ったら、という名案を立てた。
そこで当時京都の石川貞子夫人と共に光明女傑として聞こえていた山下乃二子夫人が、先生の許可をいただくため、夜行列車で上京した。
翌早朝横浜駅に着くと、東京は反乱軍の蜂起で大騒動。戒厳令が出るとか、出たとかの新聞号外に、駅内外は戦時状態で、列車は横浜駅で打ち切りとなった。
山下夫人は進退谷まったが、東京警備に急行する横浜警察隊のトラックに、『東京の伯父が病気危篤で行くのだから』とうまく便乗して品川まで至り、大雪と警備の中でさまざまな難儀をしつつ、夕暮れ前に隠田三丁目のお山にたどりついた。
そうしてお玄関横の露地門からお庭先へと雪を踏んで入ると、寒風に髪を吹きなびかせて、羽織の肩にかかる枝葉のこぼれ雪を払いもせず、谷口先生は築山の雪中に立たれて神想観をなさっており、お座敷の縁側に奥様も正坐して瞑目合掌の神想観のお姿。
はて、何を礼拝し祈念なされているやらと、山下夫人は立ちすくんだが、刹那、先生の向いていらっしゃるのは皇居宮城の方向だと直感して、自分も雪中に立って神想観に加わった。
何分間か、何十分間か、その時間は全然感じなかった無我境の山下さんの耳に朗々たるお声 ――
あま照らす祖神の美須磨留の生命射照らし宇宙しずかなり
拍手の音に我に返った山下さんは、初めて先生と奥様に御挨拶して来意を告げた。・・・
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