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谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の壱

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[374] 開祖・谷口雅春先生御著書 『人生の秘訣365章』 “夏”人生支配の秘訣 【完】 
マリーゴールド - 2013年09月04日 (水) 22時06分

 
 合掌 有難うございます。

 絶版となりました、開祖・谷口雅春先生御著書 『人生の秘訣365章』より、“夏”人生支配の秘訣 を謹んで転写させて戴きます。


 この御著書は、春・夏・秋・冬 と四つの項より成り立っており、全部で365章となっております。



☆お願い☆

・旧漢字及び、旧かなづかいの箇所は、現代漢字及び、現代かなづかいにて入力させて戴きます。

・このスレッドに関するご意見等は、別独立スレッドにて入力下さいます様、よろしくお願い申し上げます。



        合掌 再拝

[376] “夏” 人生支配の秘訣 〜目次〜
マリーゴールド - 2013年09月05日 (木) 19時58分


 
 4・希望実現のための法則 〜十六条


   ・“今日”を恋人の如く迎えよ

   ・天国も地獄もあなたの心次第

   ・あなたは神の嫡出子である

   ・認めるものがあらわれる

   ・希望の成就を妨げるものは何か

   ・希望の実現に“困難”を予想してはならぬ

   ・“希望”はこれを妨げない限り法則が成就する

   ・希望の実現には行動が必要である

   ・世界平和を祈ると共に三百万の胎児を見殺しにできない

   ・“神の子”は使命感に起ち上れ

   ・断行の勇気をもつ

   ・興える者はまた興えられる

   ・今ある幸福に感謝の念を起す

   ・あなたは神さまから愛されている

   ・祖先に感謝する

   ・子なき夫婦が子宝を得るための祈り

   ・希望実現の第九則「父母に感謝」

   ・希望実現の第十則「夫婦調和」

   ・夫婦は親しき間にも尊敬が必要である

   ・妻は柔かく水徳を発揮すること

   ・女性の天性を発揮して子宝を得た実例

   ・“自分”の地上降誕を祝福せよ

   ・希望実現の法則第十一

   ・他から同情や憐憫を求めてはならない

   ・罪の意識を払拭せよ

   ・清貧礼讃の心を棄てよ

   ・「富」そのものは“浄”“不浄”を超えたものである

   ・他の人の幸福を喜んであげること

   ・“人を呪えば穴二つ”の真理

   ・「明るい心」は希望実現の相加的条件である



[377] 〜目次〜 つづき
マリーゴールド - 2013年09月05日 (木) 20時14分


   5・心で人生を支配せよ


     ・神はじめに想念にて創造し給えり

     ・想念と運命との関係

     ・現在意識は自主的精神である

     ・暗示に対する防御について

     ・断じて外来の“暗示”に屈従しない意志

     ・既に受けたりと信じて感謝しなさい

     ・神の子は「運命」に号令し得る

     ・事件は事件でなく「想念」そのものである

     ・境遇は“鉄の鎖”ではない

     ・人物を大きく調和あるものにしなさい

     ・暗黒面を見るよりも光明面を見よ

     ・富は自分の“心”と“福田”の中にある

     ・“福田”はフィルムであり現実の“富”は映画である

     ・福田銀行から預金を引出すには?

     ・あなたの能力と愛とを表現なさい

     ・自己の内在価値を高めよ

     ・何故あなたは平凡な社会的地位にとどまるか

     ・何故あなたは昇進がおそいか

     ・会社、商店の繁栄は人にある

     ・現在の状態を呪ってはならない

     ・逆境にも感謝せよ

     ・運命の自己創造について

     ・運命の波に乗ること

     ・運命も柔かき心の沃地に育つ

     ・不幸や逆境を消す方法は?

     ・逆境を斫り開くのは調和の精神である

     ・真の愛は恐怖を除く

     ・“真の愛”の本質について

     ・困難に対して悦びと感謝の念で受けること

     ・“言葉の力”を駆使して天分を開発せよ

     ・陰極は必ず陽転する





[378] 〜目次〜 つづき
マリーゴールド - 2013年09月05日 (木) 22時05分



   6・あなたは運命の主人公


     ・無限供給を受けるための心の姿勢

     ・現在の“神の恵み”に感謝すること

     ・あなたの運命の造り手は?

     ・明るい「想念の使者」を送りましょう

     ・“必ず好くなる”と信ずれば好くなる

     ・毎日、あなたは「想念の使者」を遣わしつつある

     ・希望の人工衛星を霊波操縦して

     ・あなたの希望を神を信じて実現すること

     ・神によるあなたの希望の修正

     ・“言葉の力”で幸運を創造せよ

     ・神はあなたを必要としたまう

     ・神の自己実現として為すべきこと

     ・正しく仕事を為す態度

     ・現象を見ず實相を称讃せよ

     ・あなたの世界には不景気は存在しない

     ・感謝によって過去の経験から魂の栄養を吸収せよ

     ・自己の絶対価値を信じて個性を伸ばせ

     ・神は常にあなたと偕にある

     ・運命のケミカライゼーション

     ・すべては自分の心の展開である

     ・神はあなたの参謀本部である

     ・人類意識に対する抵抗の戦い

     ・神にゆだねる時一切が好転する

     ・あなたの仕事を神の仕事となすこと

     ・人類の幸福のために働くもの

     ・称讃と感謝とによって魂を向上せしめよ

     ・光明を観れば光明が顕れ、暗黒を観れば暗黒が顕れる

     ・神様ここに熟して発芽し果を結ぶ

     ・心の二つの傾向、貴方はどちらですか

     ・神の愛と法則との実現する世界



[379] 4・希望実現のための法則〜 十六条
マリーゴールド - 2013年09月05日 (木) 22時11分



         ◎“今日”を恋人の如く迎えよ


 “今日”を迎えるのに悦びの念をもって迎えよ。


 「自分は“神の子”だから必ず善き事が訪れる」と明るい期待をもって“今日”を迎えよ。あなたが恋人に逢いに行くかのようなうれしい明るい心をもって“今日”を迎えるならば、“今日”もまたあなたを、恋人のような明るい嬉しい顔をして迎えるであろう。


 そうしてあなたの人生が天国となり、あなたの周囲に極楽世界が展開するのである。何故なら、あなたの迎える世界は、あなたの“心の展開”であるからである。



[388] 天国も地獄もあなたの心の儘
マリーゴールド - 2013年09月07日 (土) 07時16分


 あなたの周囲には、天から降る神の恵みの「花束のような祝福」が渦巻いているのである。それは今直ぐあなたの肉眼には見えないかも知れないけれども、“霊の世界”に於いてはそうであり、實相に於いては其の通りなのである。


 ただあなたがそれを認めるか認めないか、あなたの心がそれに波長を合わし、チャンネルをその方向に向けるか向けないかによって、現象界に、その“神の祝福”の光景が現れて来るのに、遅いか速いかが別れるのである。


 「法華経」の如来寿量品には

 「天人が天の太鼓を撃ち、諸々の伎芸を競うて、天から曼陀羅華の花びらを降りそそぎ、衆生及び佛を飾って今現にこの美しき實相の浄国があるのに、衆生たちの眼には“焼け尽きて憂怖諸々の苦悩が充満している”ように見えているのだ」

 という真理が書かれているのである。天国実現も地獄現前も、ただ自分の心の波長を合わすか否かにあるのである。


[403] あなたは神の嫡出子である
マリーゴールド - 2013年09月09日 (月) 19時47分


 神は一切の本源であり給い、神は善であり、愛であり、智慧であり、調和であり、悦びであり、美であり、無限の豊かさである。あなたは“神の子”であり、以上の如き神の凡ゆる“善美”の継承者として、既にその所有権を有しているのである。


 しかし所有権を有しているという事と、実際にその所有権を行使してそれを現実に受け継ぐ事とは別のことである。富豪の家に生れた一人息子は、その富豪の財産を全部受け継ぐ権利をもっているけれども、彼がその権利を忘れてしまい、放蕩息子になったり、迷い児となって放浪している限りは、実際には、富豪の財産を少しも受け継ぐことはできないのである。


 それと同じく諸君が“神の子”として、神の“万徳”を現実に受け継ごうと思うならば、放蕩息子になったり、家出息子になったり、迷い児になったりすることなく、神の嫡出子として、常に“神の子”たることを自覚し、神の子らしく、愛を行じ、智慧の導きに従い、正しき生活を送らなければならないのである。


 神の嫡出子たるあなたは、神の法律(心の法則)によって、その継承権を実施することができるのである。それは人間の息子や娘が、親の財産を相続するには、法律に定められた相続の規定によって行われるのと同じことである。



[405] 認めるものがあらわれる
マリーゴールド - 2013年09月09日 (月) 21時07分


 希望実現のための“心の法則”の第一は、「みとめるものがあらわれる」ということである。諸君は、今あらわれている現象の有様を、究極的に真実そのままの姿だと思ってはならないのである。現象には真象と偽象とがあり、真偽混淆(しんぎこんこう)して二重写しの写真のように、本来の実相が曇らされ、歪められてあらわれているのである。


 真象とは『甘露の法雨』の冒頭ちかく示されているところの「神の『心』動き出でてコトバとなれば一切の現象展開して萬物成る」とあるところの「神の想念」の展開としての現象である。


 この「神の想念」の展開としての現象は即ち“真象”であって、実相世界に神のコトバが展開して成就せる世界である。そしてその真象の世界に於いては「神があらわるれば乃ち善となり、義となり、慈悲となり、調和おのづから備わり、一切の生物處を得て争ふものなく、相食むものなく、病むものなく、苦しむものなく、乏しきものなし」と『甘露の法雨』に示されているが如き万徳円満の世界なのである。


 しかしこのような万徳円満の世界が真実の象(真象)として実在しているに拘らず、それは「認めなければあらわれない」のである。


 不完全な偽象の世界を超えて、この真実の象の世界をみとめるために、皆さんは、肉眼を閉じ、心の眼をひらいて実相を観ずる「神想観」を毎日怠らず実修するがよい。(拙著 『詳説・神想観』参照)



[406] 希望の成就を妨げるものは何か
マリーゴールド - 2013年09月09日 (月) 21時16分


 希望実現の“法則の第二”は「想うものがあらわれる」ということである。そお「想うもの」が真象であろうが、偽象であろうが、常にそれを怠らず想うことにするならば、その「想うもの」が現実化し、具体化してあらわれるのである。


 それゆえに私たちは、常に「斯くありたい」と希望し念願するものを絶えず心に想うようにつとめるが可い(よい)。


 「斯くありたい」という願いを、絶えず心に持続するのであるけれども、それと同時に、しかし「迚もそんな良いことは私のような者には現れて来てくれないであろう」という不安や恐怖を伴いながら「希望するもの」を心に描いているのでは、結局は「わが希望は実現しないであろう」ということを絶えず心に描いている事になるのであるから、その自分の心に描く通りに希望は実現しないことになるのである。


 「希望は必ず実現する」と信じて恐怖や不安を一掃することが必要である。





 

[411] 希望の実現に“困難”を予想してはならぬ
マリーゴールド - 2013年09月10日 (火) 21時52分


 希望実現のための“法則の第三”は、「希望は既に実現せり」と信ずることである。「これから希望を実現させるのであって、その実現の途上には色々の困難が伴うであろう」などと困難を予想してはならないのである。


 困難を予想すれば予想する事物が「想うものがあらわれる」という「第二の法則」によってあらわれるのであるから、困難を予想するならば、予想した通りに困難があらわれて来ることになるのである。


 それゆえに「困難が来る」などという考えをあなたの心から一掃するがよい。あなたが「希望する事物」を心に描いたとき、既にそれは「心の世界」に於いて「既に在る」のであるから、「既にわが希望は成就せり」と信じても、それはウソでも方便でもなく、真実なのである。


 そして「心の世界」に既に成就せる事物を現実界に移行せしめるのは「法則に依る」のであって、あなたの自力でそれを移行せしめるのではないのであるから、「この希望を実現するには困難を伴う」などとは考えない方がよいのである。



[412] “希望”はこれを妨げない限り法則が成就する
マリーゴールド - 2013年09月10日 (火) 22時02分


 あなたが百貨店のビルの七階の屋上に立って下を見下す。そしてあなたの希望する物を百貨店の売場で買って来て既に手に握っていると想像せよ。屋上は「心の世界」の譬であるとし、百貨店は、何でも凡ゆるものが用意されている「実相世界」の譬であるとし、見下されている「下界」は現象世界の譬であるとせよ。


 そして、あなたが手に握っている物は「あなたが下界即ち現象世界にそれを実現したいと思う希望するもの」の譬であるとする。あなたは、腕をつき出し掌を開いて、その手に握っている「希望」を虚空に放すだけで。その「希望」は法則によって「地上」即ち「現実世界」に移行するのである。


 その手に握っている「希望」を、無理に強いて努力して「下界へ移れ」と押しやる必要はないのである。それは「落下の法則」によって、みづから下行の運動を起して下界へくだって行くのである。


 その法則による「下行運動」を妨げない限り、それはほうそくによって地上(現実世界)に移行して行くのである。


[421] 希望の実現には行動が必要である
マリーゴールド - 2013年09月11日 (水) 21時05分


 「希望する事物」を掌を開いて大空に放下するだけで、その希望は「法則」が成就するのであるから困難は伴わない――というと、何の行動をも起さないで、「希望する事物」を想念して大空に放下するだけでよい、ただ念じ祈っているだけよいのだなどと誤解してはならないのである。


 希望実現のための第四の法則は、内からの“催し”を行動化することである。ビルの七階から「握っている希望」を掌を開いて落したときに何が起るかを見よ。掌から放たれた事物は、下へ向って落下の運動を起しているのである。運動又は行動のないところに、現象界への実現は無いのである。


 そこで、「努力して強いて押すこと」は要らないが、「自然に起る落下の法則」を止めてはならないという二つの、一寸見ると矛盾すると見えるような「希望実現の行動化の過程」があることに注意しなければならないのである。


 皆さんは、希望を心に描いて「既にそれは成就せり」とハッキリとその実現を心に描いて確信するときには、あなたの心の中に、そしてあなた以外の人の心にも、その実現に関係ある行動を起したくなるような“こうしたらよい”“ああしたらよい”というような「催し」が起ってくるのである。


 これは「自力の努力」ではなく、その実現のための「自然の催し」(落下の法則にも譬うべきものの催し)が起っているのであるから、希望の実現を心に描いて確信した後、自然に自分の心のうちに浮んで来る“催し”はそれを打ち消してしまわないで、素直に直ぐその“催し”の通りに行動するがよいのである。


 落下しないで、屋上のものは階下の地上に姿をあらわさないと同じように、運動又は行動なくして、ただ祈るだけで、希望は現実化することはないのである。


[422] 世界平和を祈ると共に三百万の胎児を見殺しにできない
マリーゴールド - 2013年09月11日 (水) 21時16分

 吾々が政治運動に踏み切ったのは、中央にただ一つの中心があり、その中心は神意を受けたる神聖中心であり、すべての民族、国家、国民、悉くその神聖中心に帰命し奉りて調和して繫栄せる万徳円満の理想世界の招来を希望して、その実現を心に描いて神想観し、祈りつづけて来た結果、その実現の行動化の過程として内から“催し”て来たところの自然的運動にほかならないのである。


 宗教家が山に籠って座禅瞑想のみに終始し、或いは教会で祈っているだけで、何の行動化をも起さなかったならば、毎年三百万人前後の胎児が母胎の中で惨殺されて引きずり出され、コマ切り肉のようにして棄て去られている悲惨なる出来事を停止させることもできないのである。


 われわれが祈っておれば「誰かが行動を起してくれるであろう」などと、責任を他に転嫁して自分は何も行動を起さないのは卑怯なのである。吾々は卑怯であったり、偽善であったりしてはならないのである。


 人類救済に誰かが行動を起す必要があるならば先ず自身が行動を起すべきである。地上天国実現に、誰かが行動を起さなければならないならば、先ず自身が行動を起すべきであるのである。


[423] “神の子”は使命感に起ち上れ
マリーゴールド - 2013年09月11日 (水) 21時25分


 諸君は諸君がこの地上に生を享けたその使命を尊きものとして自覚しなければならないのである。何らの使命も意義も目的もなしに神が人間の魂を地上に降誕せしめ給うことはないのである。


 神が人間を地上に降誕せしめられたのは、神の國を地上に建設せんがためなのである。そしてあなたの霊魂はその使命を遂行するのに適当な資格ありとして地上につかわされた戦士であり、選士であるのである。


 それゆえに、あなたがその使命を自覚して、その使命遂行のために誠を竭す(つくす)ときあなたは生き甲斐を感ずるのであるが、その使命遂行に起ち上らないとき、人生はあっても無くてもよいような存在に考えられ、自分自身の存在すらも無価値に感じられ、生き甲斐が感じられなくなるのである。


 諸君は、地上天国実現の使命感に燃えて今起ち上り、生き甲斐ある生き方に邁進しなければならない。


[424] 断行の勇気をもつ
マリーゴールド - 2013年09月11日 (水) 21時29分


 あなたの内には“天与の希望”が宿っているのである。


 それは最初は漠然とした憧れであり、糢糊とした感情であるけれども、次第にそれは明確になってくるに相違ないのである。


 それが明確になって来たとき、それを実現するために敢て断行する勇気をもたなければならない。希望実現の第五の法則は、断行の勇気をもつということであるのである。断行の勇気を欠くところに、如何なる希望も実現することはないのである。



[425] 興える者はまた興えられる
マリーゴールド - 2013年09月11日 (水) 21時37分


 希望実現の第六の法則は、「奪う者は奪われ、興える者は興えられる」という法則である。


 私たちは時々、他から奪って、自分の勢力や、富を殖やせば自分の希望を実現し易いと考えて、他を突き落して、自分だけ上へ搔き上ろうとするような人を見かけるけれども、そのような利己的な人は、一時は自分が高くあがるかも知れないけれども、「他を突き落した者は、また自分も突き落される」という法則によって、やがて必ず自分が墜落する時が来るものなのである。


 常に他の人たちのために尽し、他の人たちのためにばかり、他を祝福し、他の人の幸福のために「自己を興える」ならば、自分もまた、他から祝福され、他から持ち上げられ、自然に自分が幸福になるのである。


[426] 今ある幸福に感謝の念を起す
マリーゴールド - 2013年09月11日 (水) 21時41分


 希望実現の第七の法則は、既に興えられているところの「今ある幸福」が、それがどんなに小さいものであろうとも感謝するということである。


 「感謝の念の中にこそ汝はわが姿を見、わが救を受けるであろう」(大調和の神示)と神は示し給うているのである。感謝の念は神の國に波長が合い、神の國にある一切の善きものを現象世界に再生することができるのである。



[433] あなたは神さまから愛されている
マリーゴールド - 2013年09月13日 (金) 05時37分


 私には「今ある幸福」などは無いのだ。私が生れて来てこのかた、一度だって幸福だったためしはない――などと言われる人たちも沢山ありと思います。しかしあなたは太陽から光や温度をいただき、空気から酸素をいただき、大地から、五穀や野菜や色々の食物を頂いて来ております。


 今お召しになっている着物の繊維だって恐らく御自分でおつくりになったのではありますまい。あなたは無数の、そして量り知れない無限の恩恵の中に包まれて生かされて来たのです。そのように無量無限の恩恵の中に包まれて生かされて来ながら、それを幸福だと感じ得られなかったのは、それに気がつかなかったに過ぎないと思います。


 あなたは恋人から愛されていると知ったら、幸福感につつまれるでしょう。しかしあなたは「人間」という種類の恋人よりも尚一層高く尊い恋人である神様から愛されて、空気も水も日光も穀物も野菜も衣類も・・・・・・その他無数の贈り物を興えられていたのだと気がついたら、今直ぐにでも「今ある幸福」に感謝する気持が起るに相違ありません。


[434] 祖先に感謝する
マリーゴールド - 2013年09月13日 (金) 05時49分


 希望実現の第八の法則は、神に感謝すると共に祖先に感謝することである。あなたという「生命体」の存在は。第一原因を神より発し、祖先の生命及び霊魂を通して、爰に(ここに)「あなた」という独自の「個性ある人間」として顕現して来たのである。


 神が無ければ「あなた」は無いし、祖先がなければ「あなた」は存在しないのである。「恩を知る」ということは、「恩」という字が、「原因」の“因”という字と“心”との合字であることによって象徴されているように、あなたの生命が何処より来ったかの原因を知り、今日、「自分」が存在するのは。神を因として先祖を第二原因とし、父母を縁として因縁相合して自分が今此処に存在するのだということを知り、その“原因”と“縁”とに対して感謝することである。


 祖先に感謝するとき、祖先の霊波とのつながりが出来、祖先の霊の護りが増加し、あなたの希望が成就し易くなるのである。


[435] 子なき夫婦が子宝を得るための祈り
マリーゴールド - 2013年09月13日 (金) 06時01分


 祖先に感謝し、毎日祖先の名を称えて招霊してから聖経『甘露の法雨』を読むことにしたために、結婚十数年間、子宝に恵まれなかった夫婦が子宝に恵まれたというような実例もある。結婚して、まだ子供に恵まれない人は神想観をして精神を統一してから、祖先の霊に呼びかけて、


「御祖先さま、吾々夫婦の間にはまだ子宝が恵まれません。この儘子宝が恵まれないときには私たち夫婦一家の後継がなっくなり絶家することになります。どうぞ吾々夫婦の間に子宝をお授け下さいませ。御祖先の霊魂の中には、まだ此の世に生れて修行をつみ、使命を果さなければならない霊魂も屹度あると信じます。そのような霊魂のうち私たち夫婦の間の子として最も適当な霊魂をどうぞ懐妊せしめ給え」


 と一心に祈ってから、夫婦の交合を行うがよい。或いは夫婦の交合の儀式に一定の日及び時間を定めておいてそれを祖先の霊に祈りの後に報告して置き、必ず、その一定の日、及び時間に於いて夫婦交合の儀式を行うがよい。


 霊界にて嘉し給うならば、その日時に適当な霊を天降し給うて懐妊することになるのである。



[438] 希望実現の第九則「父母に感謝」
マリーゴールド - 2013年09月14日 (土) 05時39分


 希望を実現するための第九の法則は「父母に感謝する」ことである。父母なくして吾々の存在はないのである。昔から「子をもって知る親の恩」という諺があるように、親というものが、どんなに自分の子を愛しているかということは、子供にとっては到底思いも及ばない深さである。


 親は子供を叱ることがあるかも知れない。愛するからこそ、「そんな状態で放置してはいかん」と思って叱らずにはいられないのである。隣りの子供が同じことをしても叱らないのは、隣りの子供は、自分の子供ほどには愛していないからであり、また隣りの子供は、自分が注意してやらなくとも、それぞれの良心が責任をもって愛しており、こちらから余計な注意や助言を興えないでも大丈夫だと思うからである。



 「叱る子供」ほど、その両親は彼を愛していて、ほっておけない気がしているのである。


 その親の深い深い愛情を思い起して、毎日神想観のときに老親の顔を思い浮べて「お父さん、お母さん、ありがとうございます」と繰返しとなえて感謝するがよい。そんなことが希望実現や事業の繁栄に何の関係もないじゃないかと思う人があるかも知れないが、大いに影響があるのである。


 

[439] 希望実現の第十則「夫唱婦和」
マリーゴールド - 2013年09月14日 (土) 05時49分


 子供が夫婦の間に生れない場合には、夫唱婦和の原則がその家庭に行われていないのが原因であることがある。既往実現の第十則は“夫唱婦和”の天地の法則に従うことである。夫は“天”の位置にあり、妻は“地”の位に坐す。


 天は高くして地を覆い、地は低くして天を受け、天は陽徳を備え地は陰徳を備え、地は天の気を受けて排斥せずそれを内に孕むのである。陽は火徳を備えて烈々として激しけれども、陰は水徳を備えて柔かくしなやかに従順の徳を備えているのが天地の道理なのである。


 妻が柔順の徳を失うとき、河の流れが旱魃にて水を失いたるが如く、水田が乾いてヒビ割れたるが如く、そこに生命が棲むことが出来ないのである。


[463] 夫婦は親しき間にも尊敬が必要である
マリーゴールド - 2013年09月17日 (火) 20時57分


 男女同権が民主主義の現代の風潮のようであるが、男も女も、神の子であるから、基本人権としての人間の本質又は人格の尊厳さは平等であるから、夫婦は互いに、夫は妻に内在する實相(神性)を尊敬し礼拝し、妻は夫に内在する實相(神性)を尊敬し礼拝する相互礼拝の精神をもつことが大切である。


 「愛する」と称して、ペットのように狎れ親しむばかりで尊敬の念を失うときには、夫婦は“神の子”の神性をあらわさず、男女同権にひとしく互いにペットとなるだけであるから、夫婦平等は平等であっても、互いに平等に軽蔑し合うことになってしまうのである。


 そのような家庭が真の幸福が得られる筈はないのである。夫婦というものは親しき間にも尊敬と礼儀がなければならぬのである。



[480] 妻は柔かく水徳を発揮すること
マリーゴールド - 2013年09月18日 (水) 23時54分


 妻は水徳を備えているのであるから、柔かくしなやかに優美であることを心がけなければならない。妻が夫をリードしようと思ってはならない。肉体は、内性の外的表現であるから、女性の肉体を観察すれば女性たる者の天賦の資質が如何なるものであるかがよく判るのである。


 女性の肉体は柔かいのである。それは“柔”なる内性の表現である。女性の肉体は曲線美である。曲線は優美としなやかさの表現であり、無闇に真直に「自己」を突き通そうとしないで、婉曲に相手と調和して弾力ある交際ができることが、女性の天賦の性質であることをあらわしているのである。


 女性は、男性のように、周囲に肩をいからして力を誇示することは天分ではない。それゆえに肩幅は狭く、撫で肩に出来ているのである。女性の天分は子供を護り、子供を育てるにある。それゆえに、乳房と、そして内に子宮を擁する骨盤とが最も発達して女性独特の肉体の美しさを発揮しているのである。


 女性は柔にして、よく陥没して男性を容れ、男性を温かく柔かく愛をもって包むとき、妊娠という現象を生ずるのである。


 結婚しても子供が生れない、そしてまだ若い婦人は、今からでも遅くない、女性の天分をよくよく反省して、その剛なりし反女性的性格や言動を撓め(ため)直して、本来の女性の「柔かく、温く、しなやかに霑いのある本性」を発揮するとき不思議に妊娠した実例が多くあるのである。



[491] 女性の天性を発揮して子宝を得る実例
マリーゴールド - 2013年09月19日 (木) 20時32分

 私が倉敷で講習会を催したとき、一人の五十歳がらみの婦人が体験談を話した。彼女は結婚以来十数年になるけれども子宝に恵まれないのである。ある日生長の家の講演会があるというので彼女は試みに聴講したところ、非常に感動したので、夜ひそかに、その講師の宿を訪問して、「自分は子供がほしいけれども結婚十数年を経るけれども子宝に恵まれない。どう云う心掛をしたら子宝を得ることができますか」と訊いた。


 「あなたは何を職業にしていますか」と講師は訊いた。それは戦争中のことだった。

 「私は唯今田舎に疎開して百姓をしております」と答えると、

 「それは臨時のことで、何か職業をもっていたでしょう」と講師はいった。

 「ハイ、私は小学校の教師を職業としていました」

 「そうじゃろう。女性でありながら学校の先生をしている者は大抵、女性的な柔かさも温さも失ってしまって、樫の棒が真直に固く突ったっているような心の姿勢をしている人が多い。それでは妊娠のしようがない。樫の棒に種を蒔いても生えない。あなたもそうだろう」

 と講師はいった。


 その言葉がその婦人の肺腑を強く突き刺し貫いた。そして彼女は本当にこの先生のいう通りに自分の性格は反女性的だったと思った。そしてこれから夫に素直に柔順に、やわらかく、温く、愛情をもって仕える決心をした。そしたら、ちょうど其の月に彼女は妊娠したのであった。


 ――これが彼女自身の口から出た体験談である。


[501] “自分”の地上降誕を祝福せよ
マリーゴールド - 2013年09月21日 (土) 10時21分


 以上のような体験を聴き、出来る限り、優しく柔かく温く、柔順に女性の水徳を発揮しようとつとめていながら、どうしても子宝に恵まれませんでした――と川崎静江さんは自分の大権をある講習会で談した(はなした)。


 彼女は、生長の家の教えの通りに夫唱婦髄の生活を一所懸命実践しているけれども、どうしても妊娠しないのは、何か自分の心境に不調和な点があるのではないかと反省してみた結果、こういうことを発見したというのである。


 彼女は自分が生れて来て逆境に育ったものであるから、少女時代から「私は此の世に生れて来なかったら好かったのに!!」と度々思ったことがあった。それは「生れる事を呪う心」であった。


 今は幸福に生活しているけれども、まだ潜在意識の底に「私は生れなかったらよかった」という念が残っているのである。自分が生れた事を祝福する心がなく、それでいて、自分の胎内に、“次の時代”を産むことを望むのは矛盾しているのではないか――この「生れなかったらよかった」という自分の「妊娠拒絶」の念が、自分が妊娠することを妨げていたのだと彼女はさとった。


 そして大いに懺悔の念を起し、神想観して、自分の両親に「よく私を産んで下さいました。今、静江はこうして幸福でございます、ありがとうございます」と感謝して、“次の時代”を妊娠することを祈ったのであった。


 すると彼女は間もなく妊娠したのであった。やっぱり自分の人生は自分の心境の投影なのである。


[502] 希望実現の法則第十一
マリーゴールド - 2013年09月21日 (土) 10時39分


 妊娠の問題に限らない。自分の希望が成就しないのは、現在意識がその希望の成就を願いながらも、潜在意識の奥底に、その成就を妨げ又は拒むところの反対観念があるからなのである。


 それゆえに、希望実現の法則の第十一は、潜在意識にある自己限定を撤去することである。これをグレン・クラーク教授は「雌鹿の脚」にたとえたのである。雌鹿の前脚は、峨々たる山道を滑り落ちないように、肉眼をもって見ながら適当な位置を踏む、すると後脚は、肉眼ではどこを踏むか見えないが、精確に前脚の踏んだ位置を踏む。


 それで前脚と後脚とが一致協力してどんな突兀(とつこつ)たる山道でも滑り落ちずに上下することが出来るのである。


 これは希望を定めて進む現在意識を「前脚」にたとえ、それに協力して前進する潜在意識を「後脚」にたとえたのである。ところが常に平地を歩むのに慣れている乗馬は、前脚の踏んだその足跡を精確に後脚が踏まないので、峨々たる峻峰を登るときに、乗馬の後脚は思わず「滑り易い傾斜面」を踏んで墜落することがあるので危険なのである。


 それと同じように、希望の山巓を向って登り行く現在意識(前脚)が、意気揚々と進んで往っても、潜在意識(後脚に当る)が失脚するような位置を踏むと、成功しかけていた事業が突然失敗するようなことが起るのである。


 これをフロイドは『生活真理の錯誤』(日本教文社発行フロイド選集13巻)の中で、多くの失錯が潜在意識中にある「反対観念」によって起ることを無数の実例を挙げて分析しているのである。


[503] 他から同情や憐憫を求めてはならない
マリーゴールド - 2013年09月21日 (土) 10時45分


 多くの慢性病患者のうちには、現在意識の中には「治りたい希望」で一ぱいであるけれども、潜在意識の中に「病気でありたい願い」をもっているために治らぬ人が随分あるのである。


 「病気である方が働かなくて、のんびり寝ていられる」とか、「病気である方が人から同情される。人からいたわられる」などという潜在観念が随分、治癒の日数を長引かせるのである。社会保障的な無料で優遇してくれる病院が殖えれば殖えるほど、この種の病人はふえるのである。


 それゆえに、希望実現の心の法則第十二条は、「他から同情や“いたわり”を求める念」を棄てることである。


[511] 罪の意識を払拭せよ
マリーゴールド - 2013年09月22日 (日) 21時29分


 潜在意識の中に頑張っているところの「希望の実現を阻礙(そがい)する念」の中には、人類に共通している「罪悪観念」というのがある。「自分は罪人であるから、あまり幸福であっては勿体ない」とか「自分は罪人だから、苦しみによってその罪を贖いたい」とかいう自己の幸福否定によって過去の罪障を消滅したいという観念である。


 真に人間が、幸福に、裕かに、健康に生活しようと思うならば、自己の潜在意識の中に潜んでいる“罪悪観念”と、罪の消去のために苦しみを必要とするという“自己処罰”の観念とを取り去らなければならないのである。


 生長の家では「人間は本来神の子で、罪の子でない」という真理を『生命の實相』等の書物に繰返し繰返し説いて、自己処罰による病気その他の禍の原因を消滅せしめているので、『生命の實相』を唯読むだけで病気が治る実例が出るのもこの理由によるのである。


 それ故に希望実現の第十三条は、「罪の子」とか「罪悪深重の凡夫」とかいう自己処罰を伴う観念を消去することである。



[512] 清貧礼讃の心を棄てよ
マリーゴールド - 2013年09月22日 (日) 21時36分


 清廉潔白で実に清らかな生活を送っている善人が貧乏で苦しんでいるような実例が随分ある。所謂る清貧礼讃の人である。キリスト教の聖書に、「富める者の天国に入ることの難き事、駱駝の針の孔を通るが如し」とイエスが教えられていることを其の言葉通りに信じて、富む事を罪悪だと思っているのである。


 そのような考えが、現在意識にでも、潜在意識にでも一寸でもあるならば、想念は磁石的な力であるから、磁石の陰極と陰極とが互いに反発するように富を反発して自分に来らせないようにするのである。


 だから希望実現の第十四条は「清貧礼讃」の心を棄て去ることである。


[519] 「富」そのものは“浄”“不浄”を超えたものである
マリーゴールド - 2013年09月23日 (月) 21時13分


 「富」というものは、それ自体“中性”のものであって、“善”でもなければ“悪”でもないし、“浄”でもなければ“不浄”でもないのである。善人が益々富んで、その富を大いなる善行のために、社会事業のために、難民救済のために、不毛地の開拓のために、人類の福祉のために、それを使えば、それは貧乏な善人が、ただ山に籠って何事をもなし得ないよりも、幾千倍の善業を積むことになり、このような「富」は“善”であり、また“浄”である。


 汚職を重ねて自分の私腹を肥やし、蓄妾や下劣な享楽や、自己の虚栄のために、その富を蓄え且つ使うならば、そのような「富」は“悪”であり、“不浄”である。それゆえ、善人こそ益々富んで、その富を人類の自覚と福祉の増進のために使って頂きたいものである。



[520] 他の人の幸福を喜んであげること
マリーゴールド - 2013年09月23日 (月) 21時22分

 希望実現の第十五条は、他の人の幸福や成功や健康を、わが事の如く喜ぶことである。世の中には幾分、他の人の幸福を羨んで、他の人が大いに負けたら「あいつは屹度不正なことをしたにちがいない」と思ったり、「も少しあいつが失敗したら俺の方が、もっと儲かったであろう」などと考えるような人があるものだ。


 これは他の人の幸福や成功を否定する心であるから、同時に自分自身の幸福や成功を否定することになるのである。学校の友達の一人が首席になって、自分の成績が第二位であったら、「あいつが若し一問題失敗していたら、僕の方が主席になれたのに、チェッ!!」などと思う学生又は生徒があるとしたら、そのような「他を堕したい」こころを棄てるがよい。それは結局自分自身を堕すことになるからである。


 佛教では人の喜びを喜ぶ心を、“四無量心”の慈・悲・喜・捨のうちの第三にそれを数えているのである。他の人の幸福を自分の幸福の如く祝福してあげるがよい。


[534] “人を呪えば穴二つ”の真理
マリーゴールド - 2013年09月26日 (木) 21時57分


 「彌蘭陀王所問経」だったと思う、こんな話があるが、ある時、弟子が釈尊に向ってこういってたづねた。

 「人が誰かを憎んだり、呪ったりした場合、その憎しみや呪いの念を相手が受けなかった場合にはその憎しみや呪いの念は何処へ往って、どうなりますか」


 「お前は人が誰かの所へ贈り物をもって往った場合、相手がその贈り物を受け取らなかったら、その贈り物は何処へ行くと思うか」と釈尊はたづねられた。弟子は、


 「その贈り物を相手が受取らなかったら、その贈り物は、贈り主のところへ返ってまいります」と答えた。そのとき釈尊は、


 「その通りじゃ、人が憎しみや呪いの念を誰かに送った場合、相手がそれを受取らなかったら、その憎しみや呪いの念は自分に返って来て、自分自身を害することになるのじゃ」


 この釈尊の語には深い意味がある。これは故人のことにも通用するけれども国際上にも通用するのである。私は今、南と北とが互いに憎しみ合って戦い、自由陣営と共産陣営とが互いに呪いあって戦っているベトナムの現実を見るのである。


 そして、その憎しみと呪いとが、いづれも自分自身に爆弾や砲弾となって返って来て、みづからを傷つけ合っているいたましい姿を見るのである。


 もう一度人間はこの釈尊の語をかみしめて反省すべき秋ではなかろうか。


[535] 「明るい心」は希望実現の総括的条件である
マリーゴールド - 2013年09月26日 (木) 23時13分


 他を憎しみ、他を呪えば、その憎しみ、その呪いが自分に返って来て、自分を傷つけるのであるが、その反対に他を祝福し、他の人の幸福を祈り、他の人の成功を祈り、他の人の健康を祈れば、その祈りは自分に返って来て、自分自身が祝福され、自分が幸福となり、自分の事業が成功し、自分自身の健康が増大するのである。


 そしてその祈りをなすとき、必ず明るい心をもって必ずそれが成就すると確信して祈るのがよい。「明るい心」を失った祈りは、成就しないことになるのである。黒住教祖宗忠は「何ほど信心致し候とも、心いずみ(沈鬱に暗くなること)候ては何の甲斐も無之候」と教えているのである。


 希望実現のすべての条件がととのうとも、この「明るい心」を失ったら、その希望は実現しないかもしれないのである。あなたの希望を実現する第十六条は明るい心をもつことである。


 毎朝、鏡に向って、にこやかな笑顔をし、「私はこのように幸福で楽しいのだ」と思って明るい心になって“今日”をお迎えなさい。“毎日”を悦びの笑顔をもって迎えなさい。


[543] 5・心で人生を支配せよ
マリーゴールド - 2013年09月28日 (土) 23時44分



         ◎神ははじめに想念にて創造し給えり


 人間は何よりも先づ「心的存在」であるということである。自分の「心」によって行動し、他の人々に影響を興え、環境を改造し、その結果、自己の運命をも、全面的に自分の「想念」を支配することによって、改造することができるのである。


 自己の運命を改造するには自分の「想念」を改造しなければならない。「想念」を聖書の中では「コトバ」と云う語であらわしているのである。


 「太初に言あり、・・・・・・言は神なりき。萬づのものこれに由りて成り」と聖書の「ヨハネ伝」には示されているのであるが、宇宙創造の最始原には咽喉も声帯もある訳はないのであるから、その「言」と云うのは発生音ではないのであって、「想念」のことである。神が宇宙創造につかわれたところの“言”とは「想念」である。


 神は「想う」こと及び、「念ずる」ことによって一切をお創造り(おつくり)になったのである。だから、神の生命を宿し生れた人間も、常に「想う」こと「念ずる」ことによって、自己の運命を変化するのである。


[558] 想念と運命との関係
マリーゴールド - 2013年09月30日 (月) 21時50分


 「私は貧乏だ」と思っている人に金持はなく、「私は不健康だ」と思っている人に健康人はないのである。あなた自身はあなたの想念の具象化したものなのである。もっとも、「心」には、表面にある“現在意識”と、隠れたる底にある“潜在意識”とがあって、現在意識では「金持だ」と無理に思っていても、潜在意識では、「貧乏だ」と云う想いが脱け切らない場合もある。


 そんな場合には表面の心で、「自分は金持だ」と思っていても、まだ現象的には貧乏であり得る。では、潜在意識にある「想念」を改造するにはどうしたら好いだろうかと云うと、それには潜在意識の特質を利用するが好いのである。


 潜在意識は、外から暗示として入ってくる心的刺激を受け入れて、素直に刺激された通りの「想念」をテープ・レコーダーのようにそれを印象して保存している特質がある。


 だから潜在意識を改造しようと思ったならば、外から来る暗示に対して無防禦(むぼうぎょ)であってはならないのである。



[563] 現在意識は自主的精神である
マリーゴールド - 2013年10月01日 (火) 22時29分


現在意識は自覚意識とも言われ、自我の自主的精神であるから、自己に適するか否かを批判して、それを拒絶して潜在意識内に入れないようにする力を持つのである。


 若しそれが出来ないならば、人間は「自主的存在」だとは言い得ないことになるのである。人間が「自主的存在」であるためには、自己が志向するものだけを意識の中に入れ、自己が志向しないところの印象は断じて自分のうちに入れない「自主的能力」をもたなければならないのである。


 人間は本来このような「自主的能力」をもっているのである。吾々の心は、現在意識が「断じてこの暗示を受け容れない」と固く決意した暗示を決して受け容れないと云うことは催眠術の実験によっても明かなのである。


 現在意識が固く反抗している限りは中々“催眠暗示”にかからない。

[579] 暗示に対する防御について
マリーゴールド - 2013年10月05日 (土) 22時07分


 自己の運命は、自己の潜在意識に印象されている「想念」の具象化と、その想念の類似によって呼び寄せられて来る「類似の想念」の具象化であると言い得るのである。悪いことが来れば、それが重なって来、善いことが来れば、それが重なって来る実例が多いのもそのためである。


 だから自己の運命を良くしようと思ったならば、自己の想念を支配すると同時に外界から暗示されて来る印象を選択することを学ばねばならない。


 自己を「神の子」なりと信じて決して劣等感をもってはならない。


 常に毅然として「われ神の子なり、決して劣弱なる暗示をば受け容れない」と現在意識で決意することが必要である。現在意識は潜在意識のように「何でも素直に受けて印象を記録する」と云うような性質のものではなく、非常に批判精神の強い意識であって、「意識の検閲官」として、入って来る「想念」が合理的か不合理かを批判拒絶する力がある。



[586] 断じて外界の“暗示”に屈従しない意志
マリーゴールド - 2013年10月07日 (月) 10時54分


 反抗していても催眠術にかかる場合は、現在意識が“もう駄目だ”と自己崩壊的に意志がくだけて、みづから相手の暗示に屈従した場合のみである。


 この自己崩壊が起るのは、術者(催眠術をかける人)に対して被術者が劣等感をもっている場合である。つまり劣等感によって、自分が相手に圧倒され、譲歩を止むなくさせられるのである。


 しかし、斯うして催眠状態になってしまった場合でも、その人の現在意識が「これだけは秘密にして置かなければならない」と強く念じて来た事柄については、どんなに暗示をかけても、その秘密を告白しないのが、催眠術状態中の実際である。


 これによってみても、現在意識と云うものは、最後の最後まで自主的で、その人の主人公であることが判るのである。


[592] 既に受けたりと信じて感謝しなさい
マリーゴールド - 2013年10月08日 (火) 22時07分


 吾々の自主的精神はこのように外来の暗示には断じて屈従しないと決意すれば屈従しないでいられるものなのである。そこに人間が「神の子」としての自主的権威があるのである。


 みづから発意し、選択した「想念」と、それと類似の波長を有する想念のみが、あなたの境遇となり、運命となってあらわれる。運命を好転しようと思うならば「想念」を変えよ。


 あなたの魂の底の底なる願いが何であるかを、よく見届けて、それが既に「實相」の世界に於いて実現しているのだと信じ、それが既に実現せる有様を「想念」にハッキリと描いて、「神よ、あなたが、それを実現し給いし事を感謝いたします」と心に唱えて神に感謝するがよいのである。


 感謝は「既に受けた」と云う念を一層ハッキリ心に描くことになる。



[593] 神の子は「運命」に号令し得る
マリーゴールド - 2013年10月08日 (火) 22時15分

 あなたの劣等感を捨てなさい。「人間・神の子」の真理を信じなさい。この真理を常に心に念じ、口ずさむようにしなさい。その時からあなたは自己自身を再創造し、自己の運命を再創造しはじめるのです。


 「人間は肉体である、朽ち果つべきものである」と云う劣等感で今まで造り上げて来た“あなた”自身と“あなたの運命”は、過去のものとあって消去るのです。あなたは「新しき人」となり、自主的な創造者となり、運命の前に屈従していた自分の殻を脱ぎ棄てて、運命を支配し得るものと成るのです。


 「神の子」は、自己の周囲にあらわれるところの全てのものを統帥する権利と力とをもつのである。「われ神の子なれば幸福な事のみ、健全な事のみ、善き事のみ引寄せる」と常に心に、言葉に、唱えて運命に号令せよ。


[605] 事件は事件でなく「想念」そのものである
マリーゴールド - 2013年10月11日 (金) 22時17分

 心は常に積極的に、そして明るく建設的に、有つべきものである。若しあなたの想念が、消極的に陰気くさく破壊的な方向に偏向いているならば、あなたの計画や行動は、自然に破壊的な、消極的な、不建設的な傾向をもって来るから、する事なす事、何事も失敗に終ると云うことになり勝である。


 だから破壊的な感情や、腹立っているときに、手紙を書いたり、人に面会したり、物事を計画したりすると、とんでもない不結果を招くことになり勝である。


 あなたの身辺に起る「具体的な事件」は、あなたの「想念」の結晶である。「事件」は実は事件ではなく、「想念」そのものなのである。あなたの「想うところのもの」があなたの「事件」である。


 しかし劣等感を潜在意識の底にもっている限り、その人の想うところの「想念」は劣等な、自己萎縮的なものとなり、あなたの運命も優れたるものとは成り得ないのである。


[610] 境遇は“鉄の鎖”ではない
マリーゴールド - 2013年10月13日 (日) 06時57分

 劣等感だと自覚していないで人類の大多数がもっている劣等感は「人間は境遇によって支配される」と云う考えである。誰でも持っていがちなこの考えは、「人間は境遇の奴隷だ」と云う意味をもつ奴隷的な劣等感である。


 「境遇がよくならなければ、どうにもならない」と考える人にとっては、境遇はその人を縛っている鉄の鎖であり、いつまでもその人は縛られていて、悪い境遇から脱することはできない。


 境遇の鎖に縛られる心を捨てよ。その瞬間からあなたは自主的な人間に一変する。


 自己を境遇の前に屈従させてはならない。「境遇が人間を支配する」と云う考えから「人間が境遇をつくる」と云う考えに転向しなければならない。境遇と云う具体的な状態は、実はあなたの想念が外界に具体化したものに過ぎない。


[611] 人物を大きく調和あるものにしなさい
マリーゴールド - 2013年10月13日 (日) 07時07分

 人を容れない心の人は、その運命が発達しない。すべての人と物とを包容して育てる心がない限りは、その人の運命は小さく縮むほかはないのである。


 すべての人と物とを拒絶することによって、其の人は清廉潔白のように見えるかも知れぬけれども、実はその人の「小ささ」をあらわすに過ぎないのである。


 その人の「狭さ」のゆえに、その人の才能が世間に認められず、従ってその人の運命はのびないのである。その人の運命が伸びないのは清廉潔白と云う美徳のためではなく、“小ささ”及び“狭さ”と云う劣等感が露呈することになるのである。


 また頭が明晰で常に人を非難し、欠点をあげつらう性質がある者は、その頭脳明晰と云う美徳のためではなく、身辺に不調和な摩擦を起すと云う劣等感のために、その人は重く用いられないで昇進もおそくなるのである。


 あらゆる事業は調和の中に伸びて行くものであるから不調和な人間は事業から嫌われるのである。


[612] 暗黒面を見るよりも光明面を見よ
マリーゴールド - 2013年10月13日 (日) 07時15分


 人の欠点を見るよりも美点を見る習慣をつけよ。人の光明面を見るように心掛けよ。


 美点や光明面を見る心の習慣をつけることによって、美点や光明面の映像が自分自身の潜在意識に印象せられることになるのである。そして、その印象された美点と光明面とが自分自身の性格として顕れて来ると共に、自分の身辺にも美しさや明るさが実現することになる。


 他の人の美点や明るさを常に自分に移入することによって、自分自身が素晴しくなるのである。不幸や暗黒に同情するよりも幸福や光明に同調することによって人間は一層伸びる。


 「あの人は不幸な人だ」と涙をかき垂れるよりも、「あの人は不幸に見えているけれども、その實相は神の子で幸福になり得る要素が内在するのだ」と、その實相の光明面を拝み顕すことによってのみ、その人を起上らすことが出来るのである。



[625] 富は自分の“心”と“福田”の中にある
マリーゴールド - 2013年10月15日 (火) 22時12分

 資本主義の経済組織の中には欠点もあり、無数の悪徳が行われており、弱者をいじめて狡猾な人間が巨利を博しているような事実もある。


 しかし向上と進歩と昇進とへの平和的自由がない訳でもないのである。若しあなたが昇進の道がふさがれているならば、自分自身を正直に眺めれば、その昇進が得られない理由を自分の心境自身のうちに見出し得るに相違ないのである。


 誰かが不正な方法によって富を得たからとて、自分も其の方法によって富を得ようなどと考えてはならない。本当の「富」の実質は「福田」である。形ある富は「福田」の影に過ぎない。


 不正な方法によって得たる富は、「福田」と云う背景のない富であるから、夢にあらわれる“幻”の如く短時間に消えて行く、「福田」のある富はフィルムのある映画の如く、いつでも「福田」のフィルムさえ上映させたら、現象界に“富”があらわせるのである。



[628] “福田”はフィルムであり現実の“富”は映画である
マリーゴールド - 2013年10月16日 (水) 20時48分


 他の人の現在の収入が多いことを羨しく思ってはならない。


 それは「富」を否定する心である。何よりも大切なのは、実際自分がその受取っている給料に相応しい働きをしているかと云うことである。


 若し、それに相応しくない、受取る額よりも足りない働きしか献げていなかったならば、それは「福田」を減らしつつあり、言わば、“富”の映画のフィルムを毀し(こわし)つつあるのである。正直に自己批判することが必要である。


 みづから省みて、自分の受けつつある“富”(又は給料)が自分が人生に献げつつある貢献の量にふさわしいと思うならば、尚一層、その貢献の量をふやすことによって「福田」をふやすがよい。


 「福田」と云うものは「天の銀行」に預けたる預金のようなものである。若し大いに人生に貢献して「天の銀行」に預金がある筈なのに現在の収入が足りないと云うのであれば、それは預金の引出し手続きを知らないからである。


[637] あなたの能力と愛とを表現なさい
マリーゴールド - 2013年10月19日 (土) 05時33分


 あなたの“全人格”の奥には無限に完全なる“神の子”なる“實相の人格”がある。しかしその周囲には、あなたの想念感情によって作られた“第二の人格”がとり巻いている。


 そして、その表面には重濁した“肉体”なる被服が取巻いているのであるから、誰でも一見して、あなたの“實相の完全さ”やふだんの想念感情の集積によってつくられた“第二の人格”の“素晴しさ”や(或いは醜さや)を必ずしも一見して見ることはできない。


 だから貴方はあらゆる機会に、自分の内部にある“素晴しさ”を人々に示すことを惜しんではならない。表現しないと無効であるのは、両親が、深い愛情を自分の子供にもちながらも、その愛情を表現する方法に拙劣であるために、子供が両親から愛されていないと思い、両親にそむいて不良の群に投じて行く実例によっても明かである。


 親子の間でも此の通り、表現が大切である。


[647] 自己の内在価値を高めよ
マリーゴールド - 2013年10月21日 (月) 18時09分


 表現も単なる表出又は表情の程度からデモンストレーション(表現の行動化)になるに至って驚くべき効果をあらわす。


 日教組のジグザグ行進や社会党の審議サボタージュなども、その演出効果によって、あたかも、それが国民の輿論であるかのような印象を全国民に興えたのである。すべて表現の行動化がないときには内容は埋もれてしまって、対人的な効果をあらわすことができなくなるのである。


 しかし、“外へ”“外へ”と「みせびらかし」をやっていると、却って「内容の浅さ」が看破られることもあるので、外へ表現すると同時に、内容の深さを増すように心掛けねばならない。


 内容の深さを増すためには、「實相人格」たる“神の子”を掘り出すために神想観を怠らず続けると共に、神想観によって得られたる自覚を現実の能力化するために、“勉強する”ことが大切である。


 自己の現実を正しく評価し、その現実値を高めねばなりません。


[648] 何故あなたは平凡な社会的地位にとどまるか
マリーゴールド - 2013年10月21日 (月) 18時18分


 いつまでも詰らない地位に停っている人々は、周囲から「あの人は普通以上の人ではない。平凡の人に過ぎない」と思われており、その周囲の精神波動(暗示)を、あなた自身の潜在意識に印象され、潜在意識に印象された観念の通りに素直に、“自己の能力”として表現しているからである。


 周囲の暗示の通りに受動的に身を委せている限りに於いては、あなたは周囲があなたを想像している通りに平凡人になるより仕方がないのである。


 周囲の人々の想像を乗り越えて、予想外の成績をあらわしてこそ、周囲の認識の眼が変って来、周囲の精神波動が、あなたの「より優れたる面」を見て賞讃する念波を送ることになり、自己の能力の“自己開発”と周囲の“賞讃の念波”との協同作用によって、益々あなたの能力も増進するし、あなたの職業上の地位もたかまって来るのである。


[651] 何故あなたは昇進がおそいか
マリーゴールド - 2013年10月22日 (火) 22時21分


 昇進がおそく昇進のない社員の大多数は、自分自身の能力を自己発見せず、自分自身の能力を表示行動に移すことをしないからである。


 自己自身さえ発見しないようなあなたの能力を他の人が発見してくれると云うことは無理であるし、また第六感や霊的感覚に目ざめていない世間の人が、あなたが特に行動化して表現しない潜在能力を見つけ出してくれると期待することも無理である。


 何よりも大切なのは、現在その職業収入以上の働きを社会及び、その職業に対して為すことです。其処には、「興えれば必ず興えられる」と云う法則が働くのである。


 「現在受けている報酬以上に何の貢献も為すのが馬鹿らしい」と考えるようなことでは、現在受けている以上の報酬を受けるに値いしない人だと言わねばなりません。そう云う気持は其の人の受持つ仕事の上にも必ずあらわれてまいりますし、その人の雰囲気でも判るものです。



[659] 会社、商店の繁栄は人にある
マリーゴールド - 2013年10月30日 (水) 06時27分


 常に社会人類の為を思い、つとめている会社向上等のためを思い、そのために誠心をつくし自分の働きを給料などと比較しないで働く人は、周囲に対して、その誠心と働き振りとが必ずみとめられるわけなのである。


 そしてその人の働きは、必ず其のつとめている会社のの繁栄に役立つようになるから、会社もその人を優遇せずにはいられないことは明らかである。まことにそのような人人は、単に計算上、「給料の額よりも多く働くから」と云う理由で上役から優遇されると云うのではなく、そのような人はその事業そのものの活力の源泉となる人である。


 そのような人がいてこそ、事業は活きてくるのである。周囲に影響を及ぼし会社全般で能率があがる。その会社(又は店)の事業の発展と衰微との境は、その事業に直接たづさわる人々が、そのような真心をもった社員(又は店員)がどれほど多くいるか、否かによって定まるのである。

[660] 現在の状態を呪ってはならない
マリーゴールド - 2013年10月30日 (水) 06時37分

 現在の給料以上の働きをしたら損だと考える人は、“現在の給料”と云うものに縛られて、内在無限の可能性を自由に働かし得ない人であり、“現在の境遇”に縛られている奴隷なのである。


 “現在の境遇”を超えて、自由に無限の可能性をあらわすことおできる人のみが本当の“自由人”である。“現在の状態”に自分の心を引っかからせてはならない。自己の“無限の可能性”を自分の“引っかかった心”でみづから縛ってはならない。


 自己の運命を縛るものは、現在の“自分の境遇”ではなくて、自分の心に過ぎないのである。「境遇にしばられる」と思う自己劣等感から脱却せよ。あなたの内には“無限の可能性”が宿っているのである。現在の状況を呪ってはならない。


 「現在の状態」はあなたが“失敗”へも“成功”へもどちらにでも踏み切れる“飛び石”に過ぎない。その“飛び石”がなかったら、あなたは、どちらへも踏み切ることができないのである。


[661] 逆境にも感謝せよ
マリーゴールド - 2013年10月30日 (水) 06時46分


 現在あるところのものに感謝せよ。そこからあなたは欲するところへ跳び込むことができるのである。


 現在ある境遇から“屈従”の印象や“不運”の印象を受けてはならない。自己に内在する“無限の可能性”を心に印象するように努力せよ。現在の不完全な状態を呪ってはならないのである。


 呪うと云うことは、そのものを恐れているからである。其処にヨブの言ったところの「わが恐れたるところのもの凡てわれに襲いかかれり」と云う心の法則がはたらくことになるのである。


 だから現在あるところのものを呪うかわりに祝福し感謝せよ。如何なるものも、その人の現在にとって、魂の栄養にならないものはないのである。


 怠惰や快楽を求める肉体的境地からは、困難は好ましからざるものかも知れないけれども、常に魂の発達から考えれば、あらゆる困難はその受け方次第で魂の発達のための栄養だと云うことができるのである。



[662] 運命の自己創造について
マリーゴールド - 2013年10月30日 (水) 06時57分


 常に受け方次第である。運命は恰も山犬のようなものである。


 かれを上手に飼って育てれば番犬にもなってくれるが、彼に下手に逆って取組めば、咬みつかれて大怪我をすることにもなるのである。すべて外界にあるものは、吾々の心の働きかけ、及び心の受け方によって異る反応を示すのである。


 外界を支配する者は、如何に外界が自己に反応するかを知って、それに適当なる処置を施すのである。それは囲碁の布石によく似ている。相手が打って来た石に対して、こちらが布石するのは、単なる“受けて立つ”のではなく、その“受け方”によって自己の“運命を創造する”のである。


 すべて事物はそれを受ける“受け方”によって、自己創造が行われるのである。すべての事物はそれに逆って受けるときに自分を傷つける。それは野球のボールの飛んで来る方向に逆って、球を受ければ掌を球で手痛く叩かれるようなものである。


[665] 運命の波に乗ること
マリーゴールド - 2013年10月31日 (木) 05時17分


 他を自分の思う通りに強制してはならないし、また事物の運行を“我”の力でかえようと思って抗ってはならない。この事はイエスが「悪に抗すること勿れ」と云う語で吾々に教えたところの真理である。


 すべて事物はそれを逆に向けようと抗い立つとき、こちらの目的とした方向には向かないで、欲した方向とは異る方向に動き出す傾向のあるものなのである。何よりも先づ、自己の“力”を機会ある毎に、自分の生きる世界に於いて示すことである。


 “力”は一種の磁石的な働きをするものである。他を強制して、自分に協力させようと思うと相手から反抗せられるが、自分がその住む世界で“力”を示すならば、群衆はそれについて来るのである。


 アメリカやソ連が原水爆や、人工衛星や月着陸船の実験を続けるのも、“力”を示すことによって他国を自国の陣営について来させるのが目的のうちの一つである。

[666] 運命も柔かき心の沃地に育つ
マリーゴールド - 2013年10月31日 (木) 05時26分


 「柔和なる者、地を継がん」とイエスは教えたが柔かい心になったときにのみ、その心に植えられた種子が芽をふいて生長するのである。素直に何でも受けよ。そしてそれを心で咀嚼せよ。


 如何なる事件も噛みしめれば、栄養となるのである。すべての人に事に物に対して調和せる心境をもって行動するとき、その人、その事、そのものに内在する“最も善き面”(実相)があらわれて来て、すべての人及び事物があなたに協力してくれるようになるのである。


 すべての人に物に事に内在する“最も善き面”(実相)を見る人は、“最も善き面”の印象を自分の潜在意識に印象することになり、潜在意識はそれに印象されたものを具象する創化力を有するから、人に物に事に内在する“最も善き面”があらわれて来て、その人自身の事業は伸展し、希望は実現し、運命は好転することになるのである。


[667] 不幸や逆境を消す方法は?
マリーゴールド - 2013年10月31日 (木) 05時37分


 柔かき心になって“敵”と見える者に対しても、素直に受取る心になって“逆境”や“困難”から“自己反省”と“自己向上”の要素を引出すことにすれば、“敵”と見える者は“味方”にかわり、逆境と見えるものは順境に転ずるのである。


 かくの如くして“悪”は本来、存在しないのであり、自分の“心”の投げ方によって、それが歪んであらわれていたものであることが立証されるのである。


 すべての人から、物から、事から、其処にある善き“精髄”を引出すべきである。毒草と思われるものから抽出されたものが、効き目の高い薬剤となるのである。悪人や難物や困難と見えたものから、あなたの運命を好転さす良き資料が吸収されるのである。


 毒草から良剤が吸収されれば、其れは既に毒草ではないのである。不幸や逆境から魂の栄養となるものが吸収されるならば、それは既に不幸でも逆境でもないのである。


[671] 逆境を斫り開くのは調和の精神である
マリーゴールド - 2013年11月01日 (金) 04時26分


 魂の向上進歩の資料として、あらゆる逆境と不幸を素直に受取るとき、其処からおのづと道がひらけて来て、まことにも真に逆境とか不幸とか云うものが存在しないことが判るのである。


 すべてを素直に調和した心で受取るべきであって、不調和な心や、抵抗する心や、闘争する心で相対してはならないのである。不調和な心で相対すれば不調和が出て来るし、抵抗する心で相対すれば、抵抗が出て来るし、闘争する心で相対すれば闘争が出て来るのである。


 心を一転して調和ある精神で相対せよ。必ずそこに調和ある環境があらわれて来るのである。調和ある精神の第一は、感謝の心である。祝福の心である。愛の心である。愛があって、どんなに悪と見える者をも祝福し、どんなに悪と見える事柄にも、その中に内在する魂の教育的意義を見出して感謝するならば、如何なる地獄のような環境も極楽に一転するのである。



[672] 真の愛は恐怖を除く
マリーゴールド - 2013年11月01日 (金) 04時37分


 人はその恐れるところのものを引寄せ、その憎むところの物の姿に自分自身を変化するのである。何故なら恐怖の感情も憎しみの感情も強く潜在意識に印象せしめられ、潜在意識は、その印象したところのものを引寄せるからである。


 憎しみは愛するものを失うと云う恐怖から起る感情であり、恐怖は愛の欠乏から来るのである。愛をもって恐怖を去り、恐れを去って憎しみを除くとき、ただ愛のみが潜在意識に印象せられて、ただ愛する事物のみが自分の身辺に引き寄せられて実現することになるのである。


 真の愛のみが純粋の価値である。異性の唇や“性”の求める感情は“性欲”であって“真の愛”ではない。“真の愛”は、人の「實相」の完全さを透見して、その“實相”を愛する心である。


 “真の愛”は幾度失敗しても憎しみは変らない。ついに相手の愛を拝みだして、相手の實相の完全さを顕すのである。


[673] “真の愛”の本質について
マリーゴールド - 2013年11月01日 (金) 04時46分


 真の愛は“實相”のあらわれである。“實相”は“實相”を呼び出すのである。“實相”はすべての人間は“神の子”であり、“神の生命”を宿し生れていると云う点に於いて互いに一体なのである。


 だから真の愛は自他一体感だと言われる所以である。真の愛は相手の不完全さを見ない。真の愛は失望することはない。それゆえに真の愛は歓喜である。真の愛は、愛するだけで足れりとして報いを求めない。それゆえに裏切られたという感じは起らないのである。


 まことの“吾”は裏切られない。裏切られるのは“愛”の仮面をかぶった欲情のみである。すべての人と事物の底に横たわる“實相”の善さを愛すると云うことは、決して単なる一時的興奮やセンチメンタリズムではないのである。


 それは深い霊的感情であると共に、人と事物に内在する實相を洞察した科学的知識である。


[676] 困難に対して悦びと感謝の念で受けること
マリーゴールド - 2013年11月02日 (土) 04時28分


 すべて困難が来るときには、明るい心をもって悦びと感謝とをもって迎えなければならない。


 黒住宗忠が「難有り、有り難し」と、文字って教訓を垂れたことがあったが、すべて自分の身辺に象にあらわれて来たものは、過去の自己の感情想念の具象化である――そして“感情想念”と云う心の力(心業)は象にあらわれて消えて行きつつあるのであるから、困難が象にあらわれて来たときには、その事自体が悪しき心業の自壊であるから、それを悦び受けて感謝し、これで“悪い業が消えた”と明るい心になればよいのである。


 何事が来っても、このようにして明るい心と感謝の念とをもって相対するようにすれば、過去の消極的な暗い想念が「困難」と云う象をとって具象化された後は、ただ積極的な明るい想念がそれに取って代り、それから後は、積極的な明るい想念の具象化としての悦びと健康と繁栄とに祝福された世界があなたの周囲に現れて来るのである。





[677] “言葉の力”を駆使して天分を開発せよ
マリーゴールド - 2013年11月02日 (土) 04時40分


 「天才は忍耐なり」と云う諺があるが、困難ある修練をつづけて行くためには仕事(又は勉強)に対する自信と興味とがなければならないのである。


 “自分には到底できない”と云うような劣等感がある限りは、その仕事に興味をもちつづけて、忍耐づよく努力を重ねて行くことができないのである。忍耐強く努力を重ねて行くためには、絶えず、
 
 「自分はこの仕事に天分がある。自分の天分は毎日一層明かに現象的にもあらわれて来るのである。自分は此の仕事は必ず上手に出来るのである」

 と自分自身の心に囁きかけることが必要である。


 常に言葉の力にて、「我れにはこの天分あり、われこれを為す、必ず成就す」と自分の潜在意識に印象しつづけるならば、今まで潜在意識に印象せられていた“劣等感”は次第に“天才の自覚”と置き換えられ、その程度に応じてついに必ず、その方面に傑出した成績を挙げ得るのである。





[678] 陰極は必ず陽転する
マリーゴールド - 2013年11月02日 (土) 04時51分


 暗黒は光明のあらわれる始めであり、台風は其の一過後の晴天のあらわれる始めである。


 「必ずよくなる。必ずよくなる。神は此の暗黒を切り抜けるための智慧を興えて下さるのである」

 暗黒が如何に濃く垂れこめて、あなたの前途に蔽おうとも、毎日、毎時、この念をなし、つねにこのように祈りつつ、眼の前にある仕事の解決に全力を注いで行くようにするならば、その祈りの想念は宇宙に漂う“建設的な實相の想念”と波長が合い、實相世界から其の暗黒を吹きはらう光の念波が天降って来て、その解決に必要な要素が自然にととのうて来ることになるのである。


 如何なる困難と雖も、困難は實相の世界には無いのであるから、私たちが實相世界の光の念波に波長を合わして自然に導かれる過程に従って行動さえすれば、必ず暗黒を消して光明輝く成果を挙げるときが来るのである。





 

[766] 6・あなたは運命の主人公
マリーゴールド - 2013年12月25日 (水) 20時06分


       
         ◎無限供給を受けるための心の姿勢


 あなたが若し、胃腸にまだ沢山の食物が溜っている時に、更に沢山の御馳走を饗応されて、無理にそれを食べたとしたならば、ついに胃腸を害してしまうでしょう。たくさんの御馳走をいただこうと思ったならば、先に頂いた食物をよく消化し吸収し、それを役に立てて腹を減らしてからでないと都合が悪いでしょう。


 それと同じことが神様からの供給についても言えるのです。神は“無限供給”の本源者であられますけれども、神からの豊かなる供給を受けるには、今迄頂いて来たものを、有効に使ってからでないといけないのです。


 有効に使うとは、出来るだけ人様のお役に立てて戴くという事です。ただ貰い切りで御馳走を腹に溜めたままで次のものを求めるというような「心の姿勢」を一変しなければなりません。



[767] 現在の“神の恵み”に感謝すること
マリーゴールド - 2013年12月25日 (水) 20時12分


 空気は無料で無限に吾々に供給されていますが、一ペン吸った空気を本当に役立ててからそれを呼き出して、はじめて次に吸う空気の供給があるのです。


 興えられている現在の「神の恵み」に感謝して、その内的意義を吸収することも、次の御馳走を食べる準備として、先に頂いた食事の栄養物をよく消化して吸収して置くことに当るのです。


 すべて本当に消化吸収した後に於いてのみ次の供給を本当に受けることができるのです。



[768] あなたの運命の作り手は?
マリーゴールド - 2013年12月25日 (水) 20時24分


 ヘンリー・フォード第一世は

 「吾々が何かを心に描いて思うならば、その想念が小さな霊体(little enetity)となって、心に描いた状態を《形の世界》に持ち来すためのメッセンジャー(使者)となって往き、それを実現するための要素を吾々のところへ持って来てくれるのである」

 という意味のことをいっているのである。


 実際、吾々は、間断なく、自分の「想念の霊体」を使いとして至る所に派遣しつつあるのである。そして、或る人は「自分の人生の行路はどうしてこんなに嶮しいのであろうか」と嘆くのであるし、また別の或る人は「自分の人生の行路はどうしてこんなになだらかであり、幸福に満たされているのであろうか」と常に感謝しているのである。


 そのようにその人の人生が苛辣であったり、幸福であったりするのは、決してその人の宿命ではないのであり、自分自身が毎時々刻々常に間断なく心に何かを想っている其の「想念の使者」が所要の要素をあつめて来て、想った通りの運命を自分自身につくり上げてくれつつあるからである。


 だからあなたの運命についての責任は「宿命」というものにあるのではなく、あなたがどんな「想念の使者」を選んだかに責任があるのである。



[769] 明るい「想念の使者」を送りましょう
マリーゴールド - 2013年12月25日 (水) 20時34分


 どんな種類の「想念」を使者として送ろうか。これがあなたの人生を左右する根本となるものなのである。


 その「想念の使者」の選び方で、或る使者は、嶮しい道を、なだらかな道にしてくれるし、或る「想念の使者」は折角平坦な道に、障壁や妨礙を築いてくれるのである。そんなに「想念の使者」というものは有力なものであるから、あなたは余程、毎日毎時何を想うかに注意しなければならないのである。


 苟くも、不幸が来るとか、病気になるとか、不景気に襲われるとか思ってはならないのである。どんなに現在悪いように見えても、

 「これは善いことが来る前兆である。一番暗い丑満時は黎明のはじまりである。今私の明るい“想念の使者”が今自分に幸福と繁栄とを作り出して持って来てくれつつあるのである。」

 と念じて、暗い想念を打ち消して明るい「想念の使者」を宇宙に送り出すようにしなければならない。



[770] “必ず好くなる”と信ずれば好くなる
マリーゴールド - 2013年12月25日 (水) 20時52分


 第一次世界大戦の船成金として当時の千万円を儲けた山下一助氏が大正九年のパニック(恐慌)のときに、あらゆる物価や株式等の低落から、数百万円(現在の紙幣価値に換算すると数千億円にも当る)の借金ができたときに氏は或る金光教の先生に相談に往ったなら、その先生は「借金なら払ったらよい」と事もなげに淡々として言われたのであった。


 山下さんが「払える位なら相談にまいりません。払えないからこそ相談に来たのです」

 というと、その宗教の先生が

 「お前には払えないかも知れないが神なら払える。今日からお前の商売をしないで、神さまの商売をしろ、お前はその神様の番頭になれ、そして神さまの指図通りに動くのだ。毎朝仕事に出掛けるときに、神棚の前で、“神様今日からあなたの仕事をさせて頂きます。今日いちにち神様のお指図でお導き下さい”とお祈りして出掛けて、神様の仕事だからよくなるより仕方がないと信じて、導かれるままに行動しなさい。そして夕方帰って来たときまた神棚の前で“神様、今日一日あなた様のお仕事をさせて頂きましたことを感謝いたします”とお礼をいってから眠るのです」


 と教えてくれたという話が『生命の實相』の中に書かれているが、その通り実践することによって山下一助氏はその借金を完済して尚、当時の金で三十五万円残ったというのである。


 それは何故であるか。それは山下一助氏のこれまでの想念が一変して、「自分の仕事は神さまがやらしている仕事であるから必ず好いことが来る」という想念に転じたからである。やはり信ずる通りになる世界であり、「想念の使者」が変ったからである。


[771] 毎日、あなたは「想念の使者」を遣わしつつある
マリーゴールド - 2013年12月25日 (水) 21時00分


 私たちは毎日色いろの問題に接するのである。それに全く言うに足らぬ程の小さい問題から、実に重大な問題に至るまで千差万別であるといえる。


 その小さな問題が、その扱い方によって重大な問題に転回して行く種類のものもある。それらの問題に対して、私たちは明るい「想念の使者」をつかわしてその問題を好転の方向に向わしめるか、その反対に暗い「想念の使者」をつかわして、その問題を逆転せしめるか、それは吾々自身の選択の自由にあるのである。


 人間は“運命の主人公”だと言う所以である。(谷口清超著『運命の主人公』に於いてその実例を見られたい)もしあなたが「想念の使者」に「善き事必ず来る」という想念をもたせてやるならば、彼は必ずあなたに善き事をもって来るのである。


[772] 希望の人工衛星を霊波操縦して
マリーゴールド - 2013年12月25日 (水) 21時10分


 良き希望を描くこと、その希望は自分が幸福になること以外に、その成就によって他の人々の福祉に役立つような希望であることが必要である。そしてその“希望”に“成就の信念”を添えて「想念の使者」を送り出すがよいのである。


 「想念の使者」は電波操縦による人工衛星のように、あなたの“信念の霊波”によって方向を修正したりするのである。だから、常に「わが希望は正しき経路を通って成就しつつある」という、“信念”を放送することによって、「希望の人工衛星」が確実に軌道にのり、希望する時期に於いて、必要なデーターをもって地上に還ってくるようにしなければならぬのである。


 決して「失敗するかも知らぬ」というような“恐怖”の想念を放送してはならないのである。“失敗の想念”が放送されるとき、その念の放送によって「希望の人工衛星」に設備した色々の計器が混乱状態に入りついに目的を達せずして、折角の「希望の人工衛星」も必要なデーターをのせて地上に還って来ることができなくなるのである。


[773] あなたの希望を神を通じて実現すること
マリーゴールド - 2013年12月25日 (水) 21時29分


 先づ自己の成就したいと思う「昨日」を心に描き、神を心で呼び(生長の家の人は“招神歌”を唱え又は念ずるがよい)「神の無限の智慧、この希望を成就するためにわれ何を為すべきかを示し給う」と一心に念ずるがよい。


 神はそのとき言葉を以て示し給わないかも知れないが、「神に口なし人をして知らしむ」であって、必要な時、適当な場所に於いて、適当な人が、何か適当なヒントや助言を興えてくれて、その通り実行すれば、それが希望実現のための自然の経路となってくれるのである。


[774] 神によるあなたの希望の修正
マリーゴールド - 2013年12月25日 (水) 21時43分


 神からの導きを受けるために祈り又は神想観して念ずる場合には、必ず一切の恐怖、心配、取越苦労などの暗い感情を棄てて、神は必ず自分を護っていて下さるのだから間違はないのであるという信念をもって、神に波長の合う心境になっていて、祈ることが必要であるのである。


 そして「神の愛つねに我を護り給うてわが希望は実現するためのすべての条件を整え給う。われこれを信ず、確く信ず」と念ずるがよい。毎日一定の時間にそのように念じて、「希望を実現するためのすべての条件は神によって教えられているいるのだ」という信念を倍加して行くがよいのである。


 仮りに、あなたの欲する通りのことが実現しないことがあっても歎いてはならない。若しその時、あなたの希望する事が成就しないならば、一層悦ぶべきである。何故なら、恐らくあなたの希望は、神から御覧になったら、あまりに小さくて、あなたに相応しくないので、あなたにふさわしい尚一層よきものをあなたに興えて下さることになっているからである。


[775] “言葉の力”で幸運を創造せよ
マリーゴールド - 2013年12月25日 (水) 21時54分


 信念深き言葉を発せよ。「自分が出掛ける時は必ず必ず好天気である!」「この講習会には必ず大勢の人が集る」「どんなに世間が不景気であっても私の店は必ずお客が沢山来るのである。注文は殺到しつつあるんだ」と信じて此等の言葉を発し、また心の中にその通りの確信するのだ。


 確信の程度に随って必ず、その言葉の通りに成就するであろう。イエスが「若し辛子種ほどの信だにあらば、この山に動いて海に入れと言うとも必ず成らん」と教えているのは本当である。


[776] 神はあなたを必要としたまう
マリーゴールド - 2013年12月26日 (木) 21時21分


 神は愛である。しかし人間を信じてのみ神の愛は、意識的に、そして十全の相をもって顕現するのである。人間がなければ、神の愛は完全に表現されることはできないのである。それゆえに、神はあなたを必要とする。


 あなたが若し一人無ければ、あなたという個性ある人格を通じて表現される神の一つの「表現口」が欠けることになるから、神は是非ともあなたを必要としたまうのである。


 「神にとって必要な自分である」ということは何という光栄なことであろうか!それを自覚するとき本当の生き甲斐が生ずるのである。「此の世に生れて来て、よかった」という自覚が生ずるのである。


[777] 神の自己実現として為すべきこと
マリーゴールド - 2013年12月26日 (木) 21時30分


 人間が神の自己実現として地上に出現した以上、毎日何か、神との連関に於いて為すべき仕事がある筈なのである。神との連関に於いて為される行為のみが本当に“生き甲斐”のある仕事だということができるのである。


 神との連関のある仕事をしようと思ったならば、先づ一日の始めに、朝の“祈り”又は朝の“神想観”を為すべきである。私達は何事を為すにも、番頭が店主の意志に従って店を経営するが如く、社員が社長の方針に従って会社の業務をとるが如く、人間は神に振向き、神のみこころを奉戴して行為すべきであるのである。


 私達が神に振向くとき、神はその仕事を進めるための智慧を興えたまい、それを成就するための信念と勇気とを興え給うのである。


 祈りを毎日つづける時には、信念と勇気とが新たになるのである。


[778] 正しく仕事を為す態度
マリーゴールド - 2013年12月26日 (木) 21時39分


 神は無限の力であり、神のみが唯一の力であり給うのである。


 自己が“神の子”であり、自己の“生命”は“神の生命”が宿っているのであることを知るならば、それを正しい方向に使用する限りに於いて、自分の希望達成に妨礙となる何物もあり得ない事は当然であるのである。


 “神の生命”が自己の生命として宿っているのであるから、神のみこころに適う方向に行動しなければ、自己矛盾に陥って、希望が成就しなくなるおそれがあるのである。仕事をなすのに、正しい仕事を選び、正しい心の態度によってそれを遂行することが必要である。


 他の人が何と批評しようと、批評は人にまかせよ。あなたは毎日、何らかの人類のためになる(人類全部でなくとも、そのうちの一人又は数人のためでも可い)仕事を為すように心懸けよ。


 それがあなたの仕事の方向を正しくし、心境を正しくするのに役立つことになるのである。


[779] 現象を見ず實相を称讃せよ
マリーゴールド - 2013年12月26日 (木) 21時47分


 私たちは批評好きであってはならないし、争論好きであってはならないのである。イエスはいみじくも「人を審くこと勿れ、また汝らも審かれん」と訓えているのである。


 どんな立派な人間でも、尻の孔をさがしたら余りよい恰好でないように、わざと欠点をさがし出したらどこかに汚れたところがあるのである。それは現象を見るからである。肛門といえども、その表面の形を見ず、その奥にある“生命力”如何に微妙な叡智をもって、それを工夫して製作し、全身の健康を支えているかという其の形の奥にある生命の「實相」を見るならば、その素晴らしさに驚嘆し称讃せずにはいられないのである。


 人間を観るにも、形ばかりを見ずに、その奥にある“神の子”を見るとき驚嘆し称讃せずにはいられないのである。これを「實相を観る」と言うのである。


[780] あなたの世界には不景気は存在しない
マリーゴールド - 2013年12月26日 (木) 21時56分


 神に常に心を振向け、その神の生命が自己に常に流れ入って、自分の存在を支えているということの自覚を、神想観によって毎日新たにする者は、毎日一層自分の能力を増し、健康を持続し、老衰をおくらせ、事業遂行の新たなる計画と勇気とが湧いてくるのである。


 若し、社会全般の不景気のために自分の事業も行き詰って来たと見える時にも、常に“心の世界”に於いて神と連繋を保っているものは、神の智慧を受けて、その不景気を切り抜けることができるのである。


 神は単に病気治しの神ではなく、不景気直しの神でもあるのである。


 否!!神があらわるれば、病気なく、不景気本来存在しないのである。それは聖經『甘露の法雨』に示されている通りである。



[781] 感謝によって過去の経験から魂の栄養を吸収せよ
マリーゴールド - 2013年12月26日 (木) 22時02分


 感謝はすべてを癒やすのである。


 身の病いを癒やし、心の病いを癒やし、事業の病いを癒やす。過去に何があったにせよ、過ぎ去ったすべての出来事は、良きにせよ、悪しきにせよ、自分に新しき経験を興え、魂を富ますために役立ったのであるから、その出来事のひとつひとつに対して感謝の思いを起すがよい。


 あらゆる経験を通して、時には人間の肉体は苦しむかも知れないが、魂は進歩し向上するのである。すべての経験に対して感謝し得るようになったとき、その経験が自分に興えた魂の栄養分を吸収したことになるのである。



[783] 自己の絶対価値を信じて個性を伸ばせ
マリーゴールド - 2013年12月26日 (木) 22時12分


 他と比較して、自分の相対価値を求めるな。比較するとき現在の待遇が腹立たしくなったり、不平の念が起ったり、劣等感に責められたりすることになるのである。あなたは神の個性的な自己実現として他と比較のできない絶対価値をもっているのである。


 自己が絶対価値をもち、自己が比較を絶した価値のものであることを自覚して、常に神想観して、神の智慧につながって行動すれば、他の人ではできない、自己でなければ出来ない独特の、個性ある進展を示すことができるようになるのである。


 神に導かれたる個性ある独特の進展をすることは、如何に個性を伸ばすとも、他と不調和となり、全体の発展をこわす事にはならないのである。


 時計の各個の部分品が、他と異る形をしながら、それが設計されたる本来の個性ある形に精確に作られておればおるほど、その時計が一層精確に運転するようになるのと同じように、一つの会社又は団体でも、個性ある人材が適材適所に於いて、その人でなければ他の人には到底できない個性ある優秀な仕事をしてくれるとき、その会社又は団体は一層栄えるようになるのである。



[785] 神は常にあなたと偕にある
マリーゴールド - 2013年12月27日 (金) 21時15分


 あなたがどんなに孤独に見えるときにも、あなたは神と偕にいるのである。


 子供が親に手を曳かれて歩いているときに、親のことをわすれて玩具に見惚れていてすらも、親はやっぱり其処にいて子供をちゃんと見守っていてくれるのと同じように、神は私たちを間違なく見守っていて下さるのである。


 現象界の出来事はみな玩具のようなものである。現象界の利益や権力の争奪に心をうばわれているのは玩具に見惚れている子供と同じようなものである。


 時々子供は間違って危険な玩具を買ってほしいと父にねだることがあるかも知れない。そんなねだりに似た祈りをする場合には、神は、その祈ったものを興えて下さらないで、もっと危険でない玩具を興えて下さるかも知れない。


 そんな時に、「祈ったものが興えられなかった」ということが起ってくるのである。それは神が、魂の進歩に不適当な玩具を、もっとよい玩具に取替えて下さったのである。


[789] 運命のケミカライぜーション
マリーゴールド - 2013年12月30日 (月) 20時31分


 あまりに長く使わない鉄管を通っている水道の水を出そうと、急に水栓をひらくと、赤錆のきたない水が出て来ることがある。


 『生命の實相』を読んで「人間・神の子」の“真理の水”がその人の精神を流れはじめると、今まで慢性の状態が急性の状態となり、悪化したように見えることがあったり、今までの事が行き詰って運命が急性化を来すように見える事があっても、それは驚く必要はないのである。


 それは古くから溜っていた赤錆が出るようなものである。やがて澄み切った水が流れ出るように、慢性も急性も消え去り、過去の面白からぬ運命の終止符を打って、幸福と繁栄との運命を迎えることができるようになるのである。


 今しばらく真理の自覚に一層の努力をせよ。



[790] すべては自分の心の展開である
マリーゴールド - 2013年12月30日 (月) 20時37分


 若し、あなたの境遇や運命に面白からぬことが起って来たならば、それを改善する根本的な方法は自分自身の心の態度を改めることである。


 口実を外に求めて、「環境が悪いから」とか「あの人が悪いから」とか考えて、自分以外のものに責任を負わせれば負わせるほど却って環境の改善がおくれるのである。


 環境の改善がたしかに必要があるにしても、それを改善するのは自分の心が発案し計画し実践し出さねばならないのであるから、自分の心の態度が間違っていたら、却って水を求めて攀ぢるようなことになるのである。


[791] 神はあなたの参謀本部である
マリーゴールド - 2013年12月30日 (月) 20時48分


 あなたの希望を最も完全に達成するための根本的な方法は、あなたn「希望の実現」を全能の神のみ掌にゆだねるということなのである。そして人間は何もしないでよいかというと、そうではないのである。


 「全能の神」の参謀本部から“命令”される“内的催し”又はインスピレーションの来るままにそれを素直に実践することなのである。実践がなければ、設計だけでは家が建たないようなものである。


 「全能の神」にその参謀又は指令を求めながら、「それが実現しないかも知れない」と危惧や恐怖の念をいだくということは、本当は「神を信頼していない」「神の御手にゆだねていない」事を表明しているのであるから、それによって、その希望が実現しないからといって、神の責任ではないのである。


 あなたは神は全能であり、その希望の成就が他を害しない希望である限り、神はそれを実現せしめたまうのに吝かでないことを知らねばならないのである。


 信ぜよ、信ぜよ。必ず希望は実現するという前途を信じて、勇気を出し実践せよ。


[792] 人類意識に対する抵抗の戦い
マリーゴールド - 2013年12月30日 (月) 21時00分


 私たちは「人間は四百四病の病の容器」だとか、「人間は必ず、老衰し、病み、且つ死ななければならない」とかいう人類意識に強く粘着している迷妄に対して、常に強力な精神的戦いを継続しなければならないのである。


 その精神的戦いを一日でも緩めるならば、それだけ人間はその迷妄に支配されることになるのである。その迷妄を破壊するための精神的戦いの巨弾は、人間は“神の子”であり、神の本質と自己の本質とを同じうしており、霊的実在であるから、「物質の法則によって支配されて年齢又は使用度数によって耐久年数が限られる」というのは迷いであり、仮妄である。


 自分は、神が“永遠の生命”であるが如く、“永遠の生命”をもっているのであると、定時の神想観のときのほかにも、暇がある毎に念ずるようにしないと、人類全体の迷妄の意識の中に溺没してしまうことになるのである。


 「人間は物質ではないのだから老朽化ということはあり得ないし、一個の細胞すらその活力を失うことはあり得ない。


 若し一個の細胞でも衰耗するならば、一層強健なる新細胞がつくられて、それを補ってくれるのである」と念ぜよ。



[793] 神にゆだねる時一切が好転する
マリーゴールド - 2013年12月30日 (月) 21時09分


 神に於いては、大も大ならず、小も小ならずなのであるから、どんな大なる問題でも、どんな小なる問題でも神にゆだねて、その叡智の指導を受けることはよい事であるのである。


 神に敵対する力のあるものはこの世の中に何ものも存在しないのであるから、神に問題をゆだねる以上は、心を騒がす必要も、恐怖する必要もないのである。


 ただあなたにとって必要な心の態度は、「此の今の時点に於いて、神の御心を成就するのに何を為すべきかを導き給え」という信仰をもつことである。


 そしてそのような信仰によって毎日祈るとき、それから後、どんな環境があらわれて来ようとも、その背後には「神の聖なる御心」があるのであるから、それはその上に、御心である壮麗な建築が造られるための地均しであるから、感謝してそれが必ず好転し行くことを見戌るがよい。


[794] あなたの仕事を神の仕事となすこと
マリーゴールド - 2013年12月30日 (月) 21時16分


 あなたの仕事が、自分の儲けるためではなく、神の愛を、“神の子”なる同胞に分つための聖なる仕事であるとして、その仕事にたづさわらせて頂くことを感謝して、仕事を進めるがおいのである。


 周囲の人々や第三者の毀誉褒貶に心を動かす必要はないのである。もし、他の人があなたを悪しざまに批評したとするならば、それはその批評者を呪い返すための機会ではないのである。夫は寧ろあなたが神に対して一層心を振り向ける機会を興えて下さったものであるとして感謝せよ。


 「神よ、彼を許し給いて、彼にあなたの愛と智慧とを一層多く注ぎ給うて、彼が本当の真理を知ることができますように」と祈ることが大切である。


[795] 人類の幸福のために働くもの
マリーゴールド - 2013年12月30日 (月) 21時23分


 あなたは常に「人間の幸福に対して、我は何を為すべきか、われに興えられたる使命を知らしめ給え」と祈るべきである。


 そして人類の幸福に就いて「これを成そう」という「内なる催し」が動き出して来たならば、躊躇することなく、あらゆる勇気を奮い起して実行にとりかかるべきである。


 その「初一念」を殺してはならない。「自分にはそんな大それた能力はない」とか、「自分にはそれを実践する資金はない」とか思って後退してはならないのである。人類愛に由る「初一念」には「神の愛」が動き出しているのであるから、本当にそのためにあなたが動き出すならば、それに必要な能力も資金の自然に供給されて来るのである。



[796] 称讃と感謝とによって魂を向上せしめよ
マリーゴールド - 2013年12月30日 (月) 21時34分


 私たちの魂の向上をはかるためには、毎日誰かの為になる奉仕をすると共に、毎日、神を讃え神に感謝する習慣を持続し、同時に周囲のすべての人々を褒めたたえ、且つその人々に感謝する習慣を継続するようにするがよいのである。


 一回神を称め讃え、一回人に感謝するたび毎に、あなたの魂は過去のそれよりも一層高く向上したことになるのである。称讃と感謝とは、興えられた恩恵に対する「反射板」みたいな働きをするのである。


 太陽の光熱でも、ただそれを受けるだけで反射しなければ周囲は暗いままであるし、その熱は風呂をわかすほどには温かくならないのである。太陽熱を充分反射する反射板をつくり、その反射を一ヶ所に集中する装置を屋根の上に造ると、「太陽熱湯わかし機」となって摂氏七十度位の湯が沸いて、それに適当に水を加えて入浴することが出来、受用尽きずである。


 私は講習旅行中、どこかの宿屋でこんな風呂に入れてもらったことがある。


[797] 光明を観れば光明が顕れ、暗黒を観れば暗黒が顕れる
マリーゴールド - 2013年12月30日 (月) 21時47分


 称讃は、それを興える人の心を明るくし、優しくすると共に、それを受ける人の心を明るくし、勇気づけ、内在の力を引き出す誘発力となるのである。


 それは周囲に漂っていた濁っていた雰囲気を清浄にし、そこに集る人々の心をなごやかならしめ、幸福感を興え、繁栄と健康の気を醸成することになるのである。


 その反対に、欠点を見つけてそれを指摘し、是正してそれを矯正しようとする場合には、自分の心を棘立たせ、暗くし、不愉快にすると共に、欠点を指摘せられた相手の心を暗くし、不愉快にし、反抗的にし、劣等感を植えつけ、家庭又はその団体全体の雰囲気を濁った暗いものとし、棘立った精神波動が波立って、繁栄の空気を窒息せしめてしまうことになるのである。


[798] 神様ここに熟して発芽し果を結ぶ
マリーゴールド - 2013年12月30日 (月) 21時55分


 あなたが此の書を手にし、それを読む機会を興えられたということは、深い神縁があってのことである。“神の子”の種子があなたの生命の中に植えつけられていたのが、日光に会って適当の温度を興えられ発芽の機会を得たようなものである。


 あなたは本来“神の子”であったが、それは地中に埋められて、寒中に芽を吹く機会もなく待機していたようなものである。愈々“真理の光”の言葉に触れて、あなたの生命の中に内在していた“神の子”の芽が吹き、光明思想の日光を吸収して、ズンズン伸びる機会が来たのである。


 祝福すべきかな、あなたの今後の人生よ。

[799] 心の二つの傾向、貴方はどちらですか
マリーゴールド - 2013年12月30日 (月) 22時03分


 あなたは自分は暗い人間か、明るい人間か、考えて見たことがありますか。


 あなたは物や二兎の明るい方面を観ようとする傾向が強いか、暗い方面を観ようとする傾向が強いか、考えてみたことがありますか。


 あなたは物を積極的に生かして使おうと考える性格か、どうせ消耗品だと平気で物をゾンザイに扱う性格か考えてみたことがありますか。


 あなたは全ての人に、事に、物に対して感謝の念を起すことが多いですか、それとも人が親切にしてくれないとか、事物が思うように行かないと思って不平の念を起すことの方か多いですか。


 あなたが若し前者の方に属する傾向の人でありましたら、将来あなたの運命は伸びる人なのです。


 若しあなたが後者の方の傾向の強い人であったら、是非とも前者のような心の傾向になるように努力しなさい。屹度今までよりも幸福に繁栄に家庭全体が健康になるでしょう。


[800] 神の愛と法則との実現する世界
マリーゴールド - 2013年12月30日 (月) 22時16分


 神は愛であり給う。


 私たち人間が「愛の神」によって造られたる此の世界に生んで頂いたことに感謝いたしましょう。神の愛は痙攣的に発作的に溺愛して前後をわきまえないような愛ではないのであります。


 神の愛は、神御自身の無限に完全なる自由を自己限定し給うて「法則」という「一定の律」にみづからを規定して人間の利用し易いように、はかられたのであります。


 この世の中に法則という常にかわらぬ信頼できるものが存在するということは何という私たちの幸福でありましょう。神が意志をもって、恣(ほしいまま)に法則をかえ給うとしたならば、私たちは何物に対しても信頼することができず、どんな発明も無効に終り、ラジオやテレビは無論のこと、汽車、汽船、電車、飛行機等々何一つ享受することができず、常に何が起るかわからないで不安動揺恐怖の中に生活していなければならない筈である。


 それなのに神はみづからの力を発作的に出鱈目には発動せしめ給わず、“法則”の形に於いて人間に“愛の奉仕”をしてい給うのである。


 私たちが法則ある宇宙に生れたという事は何という幸福なことでありましょう。神に感謝いたしましょう。





        《完》
    
           





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