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谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の壱

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[410] 存在と認識 
童子 - 2013年09月10日 (火) 19時10分

 ※マイブロ掲載中でしたが、長文ですが面白いので、改めてこちらにて記載させて頂きます




         
            『存在と認識・実相と現象』



 ◆一次元的存在の生き方



 ここに 『点』 が一つあると仮定します。

 肉眼で見える点は、いくらかの面積がある。 顕微鏡でみればその面積が拡大されて一層大きく見えるのでありましょうが、ここで話します 『点』 は幾何学上の一点というように、長さも幅も広さもない、唯の位置にあだけある抽象的な 『点』 であると考えて下さい。

 その 『点』 を一定の方向に真直にころがして行くと考えて下さい。 その 『点』 のころんだ跡があると考えますと、その跡は幅のない唯の 『長さ』 だけの延長のある 『線』 が考えられます。

 この延長のことを 『次元』 というのであります。 即ち、この 『線』 というものは幅も厚みもなく、ただ 『長さ』 という 『一つ』 だけの延長があります。 これを 『一次元の存在』 というのであります。


 発達のにぶい、ただ自分の考えだけが正しいと考えて、右も左も、周囲の人への思いやりも何もなしに利己的に生きて行く人は、 一次元的存在として生きる人で、左右が見えないのです。 目隠しをした馬車馬のような人なのです。 生命の幅が狭く、視野が狭く、それでいて、われこそは民主的生活を送っていると考えている人にこんな人が多いのです。



 ◆二次元的存在の生き方



 点をころがして其処に出来た 『線』 を、丸太棒を横にころがすように、線の長さに対して直角にころがします。 そのころんだ跡を考えますと、 『線』 の 『長さ』 のほかに、 『幅』 の延長ができます。 すなわち 『長さ』 と 『幅』 との二つの延長で組み合わされた 『面積』 ができるのであります。 この二つの延長をもつ存在を 『二次元の存在』 と申します。


 単に目隠しされた馬車馬のように唯まっすぐ進むだけでなく、周囲が見えるのです。 周囲が見えるから、周囲と仲よく共存しようと考えたり、周囲の人々への思いやりの感情が涌いたりします。 大分、生活の視野が拡大して来たのです。 それが悪い方にはたらくと、周囲のものを侵略しようという風にはたらきます。


 このような二次元的な生き方をする人には、左右が見え、前後が見え、面積は見えるけれども、上方は見えないのです。 神が上方から見ていてもそんなことはわからないで奪い合いや、侵略を平気でやる種類の人があれば、その人は二次元的生物だというほかはありません。




 ◆三次元的存在としての人間


 『点』 が転んで 『線』 が出来、 『線』 が横にころんで 『面積』 が出来上がりましたが、その 『面積』 を面と直角に上方に持ち上げるとしますと、その面が持ち上げられた跡の延長を考えてみますと、それは上下に延長をもっています。

 上下の延長を 『厚み』 といってもよろしい。 即ち、縦・横の二つの延長のほかに 『厚み』 の延長、即ち三つの延長をもつようになったのです。 このような存在を 『三次元的存在』 といいます。 吾々肉眼で見る世界に住んでいる者は、縦横厚みのある世界を見ます。 そして自分の肉体も縦横厚みの三つ延長をもつ存在だと見ます。 その限りに於いて、人間は三次元的存在なのであります。


 自分のことのみ一直線に考えて進む人は一次元的存在の人間であり、 周囲左右の人たちのことを考えて生活する人は二次元的生物であり、 更に父母の生命、祖先の生命との連関に於いて自分を認識する人は三次元的生物であると考えてよいと思います。




                        つづく

[413]
童子 - 2013年09月10日 (火) 23時37分


 ◆他の次元の世界からの干渉


 ここに仮に、左右が見えず、ただ前方だけ一直線の方向だけ見える虫が、前方に食物があるのを捕えようと思って前進しているとします。 その食物を吾々が指でつまんで横に移しますと、その虫は一直線しか見えないですから、その食物が位置をかえたとは考えられないで、その食物が 『突然消えた』 と考えます。 また、その一直線の視界の方向に人が何か食物をおいてやると食物が奇蹟的にあらわれたと感じます。  それと同じようなことが人間界にも起ります。


 肉体人間よりも、高い次元に生活している或る “霊物” が、人間の祈りにこたえて病気を治したり、ある仕事を与えてくれたりするのは‘それで’ 肉体人間には見えない次元(ひろがり、又は延長)から、ある種の操作を行ってくれるのであります。




 ◆第四次元の世界との交通


 肉体人間の住んでいる世界は三次元世界で、それは縦横厚みに囲まれた言わば六面体の世界である。 天井があり、床があり、四方に壁があり、それが閉ざされていると、通り貫けることができない世界である。


 しかし “霊” は縦横厚みの次元のほかに、第四の次元に住んでいて、第四の次元をひらいて、吾々の幽閉された室(へや)の中にも自由に入って来ることができるのである。 丁度、幽霊はどんなに扉に鍵をかけておいても、扉以外に第四次元の入口をもっていて、‘そこ’から自由に出入できるのと同様である。

 
 霊はメスで腹部切開しないでも病人の腹の中に入って癌を取り出して来ることもできる。 フィリピンのトムという青年霊術者はメスを用いない、ただ手指をもって患者の腹部切開をし、切開手術後、患部の皮膚にも、何の切開の跡をとどめない奇蹟は、第四次元のひろがりから腹部に彼の手指が入って手術をするとしか解釈できないのである。





 ◆三次元空間を横超して


 1967年12月6日附けで、唯今ブラジルに滞在中の徳久海外部総長から次のような手紙がきていた。



 「 ・・・・・ ブラジル人の個人指導の第一号の婦人はまことに神秘的に導かれて私のところへ来ましたので御報告申上げます。

 家庭事情のため精神が乱れて、半気狂いのようになり、子供をしめ殺して、自分も死にたいと思ったぐらい悩んでいましたのが、生長の家に導かれる二日前に一つの夢をみたのです。 その夢がまことに神秘的です。


 「自分の前に小鳥がとんできて、その小鳥が人間の姿に変りました。 その人は黒っぽいタモトのある足の下まで垂れた着物をきて、立派なヒゲをはやしたとても威厳のある方でした。 そして燈(あかり)をともした大きいロウソクを持っておられて、それを自分の横にたて、行ってしまわれたのです。 自分はその人のお姿をみた時に、夢の中で “聖霊だ、聖霊だ” と叫びました。

 それから二日後に、日本人の友だちから、ポルトガル語の 『生命の實相』 をみせてもらい、その中にのっているローマのパパ〈註。ブラジル人はローマ法王のことを“ローマのパパ”と呼ぶ〉 と話しておられる谷口先生の御写真をみた時、ローソクを持っておられた方は、この方であったと、すぐわかりまして、びっくりしました。 また、はじめにとんできた小鳥は生長の家の白鳩会のバッジをみて、あの中の鳥であるとわかりました。

 このように、私のところへきて、熱心に手ぶりをしながら話をするのです。 間違ってはいけないと思いまして、三回くらい聞きなおして、正確にお伝えいたします。

 この夢をみて、二日後に、松尾みさき講師のところへみちびかれ、それから数日後に私のところへきて、私は話をし、祈ってあげましたら、とても明るく朗らかになられて、生長の家の神様にすくわれたと、とても喜んで、御主人、子供三人をつれて礼にこられました」



 この話では私は三次元空間を横超して、肉体は日本にいながらブラジルへ真理のローソクを携えて行ってこの婦人を救っているということになっているのである。 この婦人の名は カンポスの マルガリダ・ロッペス さんというのである。


                      つづく

 

[418]
童子 - 2013年09月11日 (水) 17時02分


 ◆人間は本来、三次元空間を超越している


 “三次元” 即ち、 “縦・横・厚み” 以上の世界を自己の生活圏にもっている人は、一般普通の人の行きつまるような環境に押し詰められても決して行き詰るということはないのである。 何故なら、その人は縦・横・厚み以外に、別の通路をもっているからである。 

 本来、空間というものは存在しないのであって、それは吾々の心の中にある “認識の形式” によって事物を空間的に配列してみるだけのことである。 この問題については、私の新選集第18巻 『生命の謎』 という本に詳しく説いておいたから哲学的思索に興味のある人はそれを読んで充分理解していただきたい。

 
 そしてその理論の実際的証明として私は日本にいて座を立たずしてブラジルに姿をあらわして人々を救済することができるのである。


 人間は縦・横・厚みの空間的容積をもつ単なる “肉体” だと普通考えられているけれども、吾々の心が、自心の “認識の形式” の上に展開しているように仮に便宜上見るだけであって、人間の生命の實相(ほんとのすがた)は “霊” であって物質ではないから、本来、縦・横・厚みの三次元空間を超越した存在なのである。





 ◆時間本来無・時間は汝の心の中にある


 “時間” も結局、吾々の心の中にある “認識の形式” であるから、すべての事物を、この認識の枠の上に展開して、過去・現在・未来と一連続の序列の中に継続してあらわれるように吾々は見るのであるが、過去・現在・未来、悉く “心” の中にあって、 『これを握れば一点となり、これを開けば無窮となる』 と聖経に示されている通りである。


 『既に勝利あり』 と信ずる者には、戦うまでに、既に勝利が成就しているのである。 あとは過去・現在・未来の区画を書いた 『現象時間』 の紙の上にそれを順序だてて貼りつけるだけのことである。





 ◆『勝算』 は第四次元の通路をひらく


 アレキサンダー大王が全欧州を制圧するために兵を進めようと決意したとき、参謀の一人が、 『征服すべき国の数は非常に多く、それに対照して味方の軍勢は少数であるから、それは無理でございます』 と言ったときに、大王は 『われに勝算あり。 心の世界をお前は忘れたか』 と答えたということである。


 肉眼で見える縦・横・厚みの三次元世界の “数” を見渡すとき、到底それらの多くの国々を征服する味方の軍隊の数は少ないのである。 しかし 『勝算』 というものは第四次元の世界ともいうべき 『心の世界』 にあるものである。

 それに通路を開くとき、其処から 『心の世界』 にあるものは現実的な展開を見せてくれるのである。 

                      つづく

[429]
童子 - 2013年09月12日 (木) 19時08分


 ◆神秘力の扉をひらく鍵


 第四次元以上の世界に通ずる通路をひらくとき、常識では不可能と見えることが可能となるのである。

 常識とは三次元世界内に起ることを最大公約数的に一般人が承認した “考え方” であるからである。 確信ある希望は、第四次元以上の世界に通ずる扉をひらく。 常識では不治と考えられた小児麻痺患者が自由に立って歩き、癌が消えてそれ以来十年、二十年と生き通す実例がでて来たりするのである。

 第四次元以上の扉をひらいて其処から生きる力を呼び出して来るとき、普通なら老衰して隠居してノラクラするより仕方がない年齢になっていても壮者を凌ぐ仕事を成し遂げ得るのである。

 その扉は何処にあるか。  

 それはあなたの自覚の中にある。 その自覚は、人間は “肉体” ではなく “霊” であるとの自覚である。





 ◆唯物論の支配する世界


 人間を単なる “肉体” と称する物質的存在だと見、見渡す限りの現象界の存在も悉く皆物質的存在だと見ていた時代の科学というものが、この世界を支配する方法は、結局 『分割して支配せよ』 の方向に、すべてが進んで行ったのである。

 それは一方に於いて物体を分子に分割し、分子を原子に分割し、更に原子を原子爆弾、水素爆弾につくりあげて、一切を死の灰にまで分割する方向に進んで行ったのである。

 三次元世界のみに住む生物にとっては、三次元的存在である 『物質』 のみの存在をみとめ、物質とは 『分割せらるべき或る容積をもつもの』 であるから、結局、物質的人間観をもっている限りは、人間と人間との関係も結局、互に分離し疎外し合う人生となるのである。


 これが即ち イザナミ文明 ―― 『成り成りて成り合わざる』 文明であって、物質的人間観、唯物論的世界観に立つ限り調和融合ということは、根本的に成り立たないのである。 それは分割の文明・区画の文明である。




 ◆イザナギ文化は一貫融合の霊的文化を象徴する


 古事記にイザナギのミコトが、イザナミのミコトに 『汝の成り成りて成り合わざる処に、吾の成り成りて成り余れる処を挿しふさぎて御子生みなさんと思うが如何に』 と仰せられているのは、 “分割の文明” に対して “一貫融合の文化” の提唱であるのである。

 換言すれば物質文明に対して霊的文化の提唱であるのである。 この一貫融合のみが、分割によって滅び去ろうとする人類を、その滅亡より救い得る唯一の道なのである。 

 第一次世界大戦の後に、国際連盟がつくられて、バラバラに分割分裂した諸国を、一つの愛と智慧とによって、一貫融合せしめようという努力が続けられたが、不幸にしてそれはドイツに到底永久に支払い得ざる如き重き賠償を課したが故に 〈賠償を課するということは、物質によって罪を償わせようとする唯物論であるが故に〉 折角の “一貫融合” の智慧と愛との努力の顕れとしての国際連盟は、ヒトラーの台頭によって、その平和目的を達し得ず、再び第二次世界大戦に突入することになったのである。

 そして世界各国は枢軸国と連合国とに分れて、再び死闘を続けることになったのだった。 不幸にして日本はその枢軸国側に立って連合国側と戦ったが、敵が原子爆弾を用いるに至ってついに屈服したのであった。


                     つづく

[525] 5.
童子 - 2013年09月24日 (火) 22時38分


 ◆国際連合の結成もついに為す処を知らず


 第二次世界大戦の終結後、世界の国々の魂を一つに貫き結ぶところの一貫融合のイザナギ精神に基いて国際連合が結成されたが、まだイザナミの 『成り合わざる精神』 の残滓が支配しているために、直ちに米ソ両陣営の対立となり、ドイツも、朝鮮も、ベトナムも東西、南北等に分割されて融合の機会を失い、今なお争いが燻りつづけているのが世界の現状であるのである。

 みんな三次元の世界に住んでいて、その次元を超越して、世界及び人類を一つに貫き結ぶ四次元以上の世界からインスピレーションを受けて来る人が、諸国の権力者にいないからである。 

 この限りに於いて、形の上では国連が形成されても、全世界の国家が本当に一層融合することはできないのである。 尚、暫くはこの世界は、古事記に、イザナミの命が黄泉醜女(よもつしこめ / 死の神)を率いて襲撃して来るという象徴をもって示されている状態が続くより致し方がないようである。




 ◆ようやく霊的文化の萌(きざし)が見える

 しかし物質文明の進歩の極の極には霊的文化の黎明がその萌(きざ)しを仄かにあらわしつつあるのである。 ラジオやテレビジョンや通信衛星や音速以上のジェット機等の発達にしたがって、空間は、もはや吾々人類相互を隔てる壁ではなくなって来つつあるのである。

 分割主義の物質文明がその極度に達すると、分割すべかざる融合の原理に到達して来るのである。 電波は霊波とひとしく空間を超えて全人類を一体に結ぶのである。 各国の選手がオリンピックの一会場で手を繋いで仲よく競技すると、通信衛星がテレビの反射アンテナとなって世界各国のテレビセットにその競技の光景が映って、手にとるようにそれを見ることができる時代が来つつあるのである。

 分割と融合 ―― 今やイザナミ文明とイザナギ文化とがその長所短所を相補いながら、人類全体が科学的にも霊的にも平和と幸福とを享受し得る時代が近づきつつあるのである。



[530] 6.
童子 - 2013年09月26日 (木) 06時26分


 ◆霊的文化の曙の光見ゆ


 イザナミ文明即ち物質文明がイザナギ文化に先立って進歩することは、古事記の予言的象徴神話に、イザナギノカミとイザナミノカミとの結びによって 『国を産む』 創造の過程によって女神即ちイザナミノカミが優先的に声をかけた行動によって表現されているのである。

 『衣食足りて礼節を知る』 という諺があるが、衣食は肉体生活の基盤となる物質的条件をあらわしており、礼節はその基盤の上に咲き出でたる霊的文化の花である。 原始人のように自然の猛威に暴されながら、穴居生活をいとなんでいるような状態では礼節の如き霊的文化の華は咲き出でることが出来ないのである。 ある程度、衣食足るの物質文明の基盤の上に霊的文化は咲き出でるのである。

 この故に最初は分割して組立てるイザナミ文明の進歩があり、やがてその奥から霊的文化が芽を吹き、一貫融合の世界が出現するのである ――



 ◆民主主義の二つの面


 今はまだ物質文明(三次元生活)から霊的文化(四次元以上に通ずる生活)へ移行する過渡的時代であるのである。 だから人類が融合して一つにつながる運動が起ろうとすると、物質的文明の特徴をなす分割の精神があらわれて来て、その融合を妨げることになろうとするのである。

 民主主義の一面は、すべての人間はいずれも神の生命を宿して同一の尊厳性をもつという真理にもとづいて、階級の差等なしに一つに融合しようという原理を含んでいる。 しかもその民主主義が、個々人の基本人権を主張し過ぎて、自己中心主義、個人主義、利己主義にまで発展して、 “融合” とは反対に “分裂” の方向に動こうとするのである。

 それは基本人権をいづれも主張するのではあるけれども、基本人権の根源である “『人間』とは何ぞや” の把握の仕方が、 『人間とは肉体的欲望をもった個別的な物質的塊である』 という人間観をもって出発するならば、基本人権の主張は結局、利己主義・快楽主義に陥り、ただ個人的な所得倍増・レジャーブームを目的とする生活に終始することになるのである。

 吾らは 『人間』 を霊的実在として受取り、その霊的特長を発揮することを基本人権だと自覚するようにならねば、この世に理想世界は実現しないのである。

[570] 7. 5次元の世界 = 祖先霊
童子 - 2013年10月04日 (金) 13時33分


 ◆空間を鋭く分割する文明


 三次元文明即ち物質文明は、物質によって分割し、区画する文明である。 その矩形的なビル建築又はアパート建築は、けざやかに空間を直線及び直角に切るのである。“切る”とは分割することである。 

 それは互に高く聳えて、自分の高きことを‘ほこり’として融合することを知らないのである。 これを地に伏して大地とひとつになり、大地の生じた樹木の茂みと融合して、大自然と一体になっていた日本の藁葺、萱葺等の建物とくらべると、物質文明の特徴が如何なるものかがわかるのである。



 ◆第四次元の世界を生きて

 しかし物質文明は高く聳えることによって、霊的なものに近づいて行くのである。 「高い」ということは“霊”の象徴であり、“天”の象徴である。

 テレビ塔が高く聳え、レーダー装置が高く備えられることによって、電波は人類をひとつにつなぐのである。 そこに縦・横・厚みの三次元世界の区割が取り除かれて、幽閉された室のコンクリートの壁を貫いてさえ電波は互に交信するのである。 四次元の世界がひらかれたのである。

 しかしこの四次元の世界では、まだ争いがあり、奪い合いがある。九州や四国や山陰地方に旅行して、携帯ラジオで日本の放送を聴こうと思ってダイヤルをいくら廻しても、ソ連の放送や、中共の放送ばかり入って来て、目的とする日本の放送を聴くことが出来ないことがある。 侵略は領土だけの問題ではなく、電波の世界にも侵略があり、奪い合いが行われているのである。

 こうして第四次元の世界にもまだ迷いがあり、略奪がある。 私たちは、第五次元以上の世界に入ることが必要である。



 ◆第五次元の世界と交通して

 第四次元の世界にも迷いがあり、略奪があるならば、私たちは更に高次元の世界に昇らなければならないのである。 

 それは“霊”の世界であり、祖先につながり、守護霊につながる世界である。

 アメリカから輸入された所謂る民主主義の生活には、個人の尊重はあるけれども、それはバラバラの個人の享楽の権利や所得倍増の主張であって、個人が祖先の生命につながる存在であり、祖孫一体であるところの融合意識のない民主主義である。


 私が数年前アメリカにいって“祖先の霊”について話をしたら、アメリカ人には現実の父母や祖父母はその存在をみとめるけれども、そして抽象的には祖先 (ancestor) という語はあるけれども具体的に、“個性”として祖先の霊魂が存在し、それが子孫を守護したり、そり祖先霊が迷っている場合には子孫に頼って来て時には禍を起こすなどという具体的な存在としての「祖先」については、到底、私の話したアメリカ人には理解して貰えなかった。

 その限りに於いて、彼らは三次元、四次元の世界に住むけれども、その生活が五次元の世界には及ばないのである。 彼らは電気治療や、放射線療法の如き、三次元・四次元に属する治療は出来るけれども、“祖先霊”にむかって聖経を読誦することによって、“祖先の霊”を悟境に導き、それによって祖先の霊の守護の神通力を増加し自己の運命を一層好転せしめ得るなどということには思いも及ばないのである。

[572] 8. 第6次元 = 愛の世界 = 教祖の霊界
童子 - 2013年10月05日 (土) 11時13分


 ◆第6次元の世界は愛の世界である


 第6次元の世界は、愛の世界である。 愛は、肉眼で見れば個々別々に分離し、対立している様相を呈している現象を超えて、その奥にある 『生命の一体』 を見るのである。

 電波が個々の物質的存在が、別々に分離している如く見えていても、第4次元的存在であるエーテル波動(仮説)又は光量子をもって、すべてを一つに結び合わすことができるが如く、愛は個々別々の生命を一つに結び合わすのである。

 愛があれば個々別々に存在するが如く見えている相手の人々の魂の中に貫き入ることができるのである。 即ち 『人の感情がわかる』 のである。 人の感情がわかる人は人の苦しみをとって楽を与えてあげたいと思い、人の喜びを自己の喜びとして感じ、人の悲しみを自己の悲しみとして感じて、自己の利益を捨てて他に奉仕しようと欲し且つ行動するのである。

 すべての人々がこのような愛に目覚めるとき、即ち、すべての人々が愛の第6次元の世界に生きるとき、人類の争いはなくなり、世界に戦争はなくなるのである。

 第6次元の愛の世界は諸々のよき宗教の教祖の霊界である。 そして教祖たちの霊は第7次元の世界に交通しているのである。

[587] 9. 第7次元 = 本尊神の霊界 《完成の世界》
童子 - 2013年10月07日 (月) 12時49分


 ◆本尊神の第7次元世界

 第7次元の世界は本尊神の霊界である。 其処は阿弥陀仏の世界であり、観世音菩薩の世界であり、大日如来の世界であり、普賢菩薩の世界であり、住吉大神の世界であり、水火土大神の世界であり、創造の本源世界であり、一切の生命は其処より生れ、其処に帰り、其処に於いてすべての生命は癒される。

 一切の宝、其処に充満し、「宝樹華果多くして衆生の遊楽する」(法華経・自我偈)世界であり、其処に還帰するとき一切の病いの癒される世界である。 それを称して 「神癒の社」 の建つ世界であるというのである。 そこは生命の本源世界であるから、そこに還帰したときに癒されない病いはないのである。

 現象界の 「神癒の社」 は、第7次元の実相世界の 「神癒の社」 の延長であり、そ写象である。 これが 宇治別格本山に建立中の 「入龍宮幽斎殿」 である。



 ◆第7次元の円満具足世界

 第7次元と仮りに名づけているけれども、七は完成の数であって、成就又は円満具足を象徴するのであるから、単に第7番目という意味ではないのである。 また7種類のひろがり又は延長をもっているという意味でもない。 あらゆるものの中に、あらゆる次元の中に、到る処に遍在して、一切のものの生命となり、供給の本源となり、無限の宝の宝庫なのである。

 そこは所謂る 「天の父」 の世界であり、七宝充満せる 「龍宮世界」 であり、すべての究極の善、すべての最高の美、すべての最高の藝術、すべての富、すべての傑作、すべての発明、ことごとく此処に既にあるものが、適当なアンテナとなる、“心の波長” をもっている人々に感応して、それが現象界に具体化するのである。

 この事をイエスは 「われみずからには何事をも成し得ず、天の父われに在して御業を成さしめ給うのである」 といったのである。

 第7次元の世界は遍在の世界であるから、 “各自の内” にも存在するのである。 この事をイエスは 「神の国は汝の内に在り」 と言ったのである。 ただそれに自分の心の波長を同調せしめ得るかどうかの問題である。

[633] 10. 第7次元の世界を現象界に具現する方法
童子 - 2013年10月18日 (金) 01時44分


  ◆神の国を地上に持ち来すには

 第7次元の実相世界の円満具足せる世界を地上に持ち来すためには、それは手で搬んで来たり、トラックで搬んで来たりするのではなく、恰も放送局のスタジオで演ぜられている番組が吾々の自宅にあるテレビに如実に出現するのと同じように、波長の共鳴によって、現実世界にその通りが実現するのである。

 この事が黙示録第21章に 『聖なる都、新しきエルサレムの、夫のために飾りたる新婦のごとく準備して、神の許をいで、天より降るを見たり』 と示されているのである。

 『天より降る』 とは 『天』 即ち実相世界に既にあるものが “波長の共鳴” によって 『地』 即ち現象世界に実現することを意味するのである。



  ◆感謝と和顔と愛語と讃嘆

 天国を地上に持ち来すために必要な “心の波長” は感謝と和顔と愛語と讃嘆なのである。 聖経 『甘露の法雨』 の中には 『感謝の念のうちにこそ汝はわが姿を見、わが救いを受けるであろう』 と神は示されているのである。

 常に感謝の念に満たされているならば、自然に表情も和らかくなり、和顔愛語も讃嘆もおのずから整うのである。 感謝の念が欠乏しているときには、一寸した予想ちがいの事が出て来たならば不平に思ったり、腹が立ったりするのである。


 若し、不平や腹立ちの “心の振動” が起るならばそれは肉眼には見えないけれども 〈恰もラジオの電波が肉眼に見えないけれども遠隔の地の受信機にも達するように〉 周囲にそれが波及して、人々に不愉快な念を起さしめることになるのである。

 一人の不快の念や憤怒の念は、それが唯ひとりのものである限りに於ては大なる被害を起さないけれども、そこには “類をもって集る” の法則によって、類似の不快の念や憤怒の念が集って一大集団を形成するのである。

 水蒸気は水蒸気同志を呼んで集団を結成し、天地を覆う雲となって集中豪雨や台風に伴う暴雨となって洪水を来すこともあるのであり、それと同じく、一個人の不平憤怒の念は大した力もないけれども、それは類によって集って一大終結をなし、それがやがて民族的憤怒となり、戦争をひき起すことにもなるのである。

 『平和運動だ』 『平和運動だ』 といいながら、国民の心に “不平” と “憤怒” とを掻き立てて行く運動の如きは、言葉には 『平和』 を唱えながら、実は国民を不平と憤怒に駆り立てて、ついに内戦状態をひき起して革命にもって行く準備運動だということを知る人ぞ知るである。

 しかも、それは現行の日本国憲法では、 “集会の自由” が極度にみとめられているので、革命を準備するために一大集会を催しても、集会中には阻止できないので、愈々具体的行動に移ってからのみ抑止できるので、常に羽田の学生騒擾事件のような ―― 否それを全国的に拡大したような混乱と殺傷とが起りかねないのである。



  ◆全世界を祝福する祈りを

 不平や憤怒に反して愛語、讃嘆、祝福の言葉は、人々の心に快い感触を与え、悦びと満足の感情を増幅して、それが更に類をもって集って雲の如く群がり、憤怒や不平の心の波動の暗雲を調和し、中和し、それを無力化し、更に積極的には、第7次元の実相世界にある円満具足の状態に、心の波長を合わすことによって新しきエルサレム 〈神の国〉 を地上に天降す力となるのである。

 吾々が誌友会場及び教化部道場に於いて、集団の “平和の祈り” を行うことは、肉眼では直接どんな効果も持ち来せないように見えても、それはやがて空を蔽う雲のように平和の想念の雲が全世界を蔽って、やがて遂に、世界に永久平和をもち来す具体的条件を整えつつあるのだということができるのである。

 各教化部道場や誌友会場にては常に近隣の誌友又は信徒一同集って “平和の祈り” を実行せられることを希望するのである。



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