[34] バルニパバルとドリバイ? |
- nana子 - 2007年03月08日 (木) 23時13分
地下に作られた路を一人、ととんととんと歩いていた。周りの土の壁と同化してしまいそうな茶色い髪が、歩く度に揺れては、ぴしゃりと軽く細やかに、男の腰を打つ。 その男の名前は、ニッパー・トーラスと言った。 男は少年を探していた。 この路を作ったのはその少年なので(勿論男自身や他の輩も、力を合わせ協力をした)、この路の何処かにはいるはずだった ふっと、ケチな灯りで照らされた路の中に、一つ大きな光を彼は見つける。 進む足が速くなった。 黒い髪の少年が、灯りを生み出す小さなランプと並んで座り込んでいる。 進む足が遅くなった。 男は唇を尖らせる。少し不機嫌そうに、眉も寄せた。 少年は、膝を抱えてすわり込み、男の手を模したような、機械の先(それは少年の手首から繋がっていたので、少年にとっては手で違いないのだ)(から、この場合機械の先は指先となる)で、丸裸の土を削り、絵を描いていた。 聞き慣れない歌が聞こえる。小さく、細やかに、途切れ途切れに、 しかしニッパーに、歌を聞いて穏やかになる心は今ここになかった (彼の心は、彼が今探している少年にもっていかれてしまったのだ)(そしてしかし彼の探している少年は実際には少年ではない)(しかし目の前にいる少年は、少年だった) (少年は、彼が今探している少年ではない)
少年の名前は
「バイス」
と言った。
バイスはそこで絵を描く行為も歌を歌う行為も、そして昔話の思い出にふける行為も止め、手を止め口を止め顔をあげ、頭を切り替えた。少年と呼ぶには、少し成長し過ぎているような気もする。「ロン毛。」 バイスは長い髪の男を、そう呼んでいた。 「何してんだよこんなところで、…何だそれ、宇宙人か?」 ニッパーは眉を更に寄せて、尋ねる。視線の先は、バイスの足元。丸裸の地面が抵抗できないのを良いことに、彼が描いていた落書きだった。 「ちげぇよ、コレはねぇちゃん」 バイスも視線を落とす。髪の長い、白い服を着た美しい少女。亡くなり、そして今再建されている途中である、ある国の、哀しくも美しき、姫だ(そのつもりで彼は描いたのだが、△に乗った○から、いくつもの刺が飛び出しているように、男には見えた)(実に幼稚な絵であった) 「…お前これ姫に見られたら殺されるぞ、今のうち消しとけ」 「ウルセェよ、ロン毛の癖にオレに指図すんじゃねェ。」 ニッパーの忠告も、バイスは聞かなかった。 そんな事にはすっかり慣れてしまったニッパーも、それ以上しつこくは言わない。 そもそもニッパーはこの少年を、あまり大事には思っていなかった。(しかしそもそも彼にとって大事なものが、あまりに少なくてあまりにそれが大きいのだ、だから)(彼にはあの黒い髪の男しか、見えていない)(あの男が舞台の主人公であるなら、ニッパーにとって後は皆脇役だ。自分も含め)そのせいだ。 「こっちがクレン、そんでもってこっちがアニキ」 そんな事も知らないバイスは、姫(らしい落書き)の隣にいる、地面の少女に指の先を置いた。やはり、ニッパーには宇宙人か、何かの道路の標識にしか見えない。○から生えた細い刺が短い位だ、ああ、あと○の横に何故か四角い塊がついている。 ニッパーは、時折バイスが語る、クレンという少女の事を何も知らない。名前だけだった。だから『元』がわかる姫の落書きはまだしも、姿も声もポジションも知らない少女の落書きを見せられても、面白くもなんともなかったため、ふぅんと適当に言った。バイスの指が向きを変える。ミス・リベッタやミス・クレンの三倍の敷地は使っているだろうか、妙に大きな、恐らく男だ、やはり刺が一番上の○から四方八方に生えていて、何がなんだかわからない。体は何処だ。ニッパーはそう突っ込みたかったが、やはりふぅんとだけ言った。まだ途中だったようで、ぐりぐりと○の下に、器用に鉄の指をくねらせながら波打った線を描いてゆく。三つ。 「…何だそりゃ、」 「ひげ。」 回答は短かった。彼の言うねぇちゃんが、我らが従うべき、護るべき、愛すべき女、リベッタ姫を指すように、彼の言うアニキが、我らが逆らうべき、倒すべき、憎むべき男、ドカルト博士を指すという事は、ニッパーも聞いていた。もうそろそろ五年になるのだ。この少年と過ごすようになってから (そして、あの少年とも)(ああ、) 「…それって、ドカルトがユンボルになる前の姿か?」 聞いた途端、バイスと視線がかち合った。 バイスが顔を上げたのだ。たった今。 それなら自分はいつの間にこの少年を見下ろしていたのだろうと、思った。考えてみたがわからないし、わかってもどうでもいい事だった。今尋ねた事も、わかってもどうでもいい事だったから、答える前にもう一つ聞いた。 「ドカルトがユンボルになる前となった後、お前どっちが好き?」 「…は?」 バイスは目を丸くしている ニッパーの声のトーンは何時もよりも低かったが、違和感を感じるぐらいでどっちもそんな事には気付かなかった 「どっちもアニキだぞ。どっちが好きとか、おかしぃだろ」 「だっておめぇ…、」 そこでニッパーは、止めた。 眉間に段々皺が寄っていくのがわかるのだ、自分で見て確認しなくても。自分の顔が歪むのがわかるのに、なのに目の前の少年は目を丸くするだけで、心底不思議そうな顔をしている(少年は感情がそのまま顔や声出るタイプだという事を、ニッパーは五年近く一緒に居る間に学んだ) これ以上説明すればするだけ、少年はただ首をかしげていくだけだろうし、自分はただ首を絞めていくだけだ。それならここで止めた方がいい。首にかけた縄を、何処かに引っ掛けるような真似はしたくなかった、もう今は。 「…隊長見なかったか?」 「何じゃそりゃ。」 今度はバイスが突っ込んだが、バイスの方もそこまで彼を大事と思ってなかったので、それ以上の関心を示さずに、ニッパーが来た方向とは逆側に指を向けた。乾いた土が貼り付いている。二人してその事には気付かず、ニッパーはサンキュと簡単で質素な礼を言うと、足早に路をなぞっていた。バイスは軽く手を振ったが、すぐに興味を失せて落書きの作業に戻った。リベッタ、クレン、ドカルトの順に並んでいる、その、クレン(と彼の言い張る落書き)の下に、もう一つ新しく描き始めた。幼い頃の彼だ。博士と姫に挟まれた自分と少女を、にんまりと笑って、彼は自分の落書きを見下ろした。 それが彼の、今持ってる中で一番古い記憶だった。 自分と、自分と同じ年頃の少女 二人で並んで座って、二人よりも少し年上の、何時もさびしそうにしてた少女が座って、よく目の前で物を描いてくれた。白い服を着ていた。そして描いたものを指差して、これは何かと二人に尋ねるのだ。自分は殆どわからなくて答えなかったが、隣の少女はわかってるだろうに、やっぱり答えなかった。そうすると、白い服を着た少女は、これが何かを、優しく教えてくれた。そしてドヴォークに古くから伝わる、歌も。 バイスはそぅ、と唇を開いた。
「…‥♪」
「懐かしい歌だな」
床に座り込んだ少女の後に、少女よりも幼い(そう見える)少年が立っていて、そう言った。 少女は背中を向けていたが、ゆっくりと腰を捻って振り返る。腰まで長い髪が緩やかにゆれた。(少年から見て)左の目は、長い前髪で覆われていて、見えないが右の目は少年を見ていた。喜怒哀楽のどれも見えない表情をしている。少女と呼ぶには、少し成長をし過ぎているかもしれない。
「……覚えていらっしゃったのですか?」
(彼は彼女の歌っていた歌を知っていたが、それがドヴォークに古くから伝わる歌だとまでは知らなかった)(少女も知らなかった) カシャンと重たい音を引き連れて少年は女に真後ろに立った。 長い髪は床にまで蛇のように這い摺りって居る。 その髪を一房、少年は冷たい床から救い、冷たい手で掬い上げた。 鋭い目を細める。
「小さい頃、よくお前らが歌ってたじゃないか。懐かしいな、丁度今から十年ぐらいか?そうそう、そうやって床に三人仲良く座り込んで…‥」
鋭い目を閉じる。 計画の為に作った子供二人が、計画の為に連れてきた子供を挟み、床に座り込んでいるのを、あの家でよく見掛けた。 その時、それを自分が見た時、どう思ったかなんて事は覚えていないが、何でか、一番自分がその時馬鹿だと思っていた子供が、頭の中をうろついている。空ろな目。床を這いずる長い髪。その頃は、可愛げも何もない子供だった。口も聞けない、ただの必要最低限のプログラムに従うだけの、―――可愛げが出始めたのは、何時だったか。考えて、目を薄く開けた。目の前にある髪は、あの子供の髪とは、随分色も髪質も違っていた。髪を梳く。 「……‥」 そういえば、あの子供の髪にこうして触れた事などなかったな。と思った。 また目を閉じる。掬い上げていた髪を、今度は機械の先に素早く巻きつけ、思い切り引っ張った。女の上半身が、反り返る。ぶちりと嫌な音と感触が伝わって、髪が数本抜けたのだとわかった。首を仰け反らして、こちらを見上げる女の顔は喜怒哀楽のどれもない。 「…お前は」 女の顔には喜怒哀楽のどれもない。女に向かって、言った。 「お前はオレの傍から離れるなよ、クレン」 それが女の名前だった。少年が、「老人」だった頃につけてやった名前だった。それでも、女の顔に喜怒哀楽のどれもない。ただ、視線だけを少年に向けていた。唇は閉じていて、今、漸く薄く開いた所だった。
「何故それを、バイスに言わなかったのですか?」
言って、それから少し後だ。少女の体が横向きに倒れた。その上に、ハラハラと数本、長い糸のようなものが降り落ちる。頭皮から抜け落ちた、少女の長い髪だった。少女の頬は赤くなっている。唇の端が切れて、血が出ていた。鈍く痛むような、ただ熱いような、頬に掌を押し付けて少女は少年を見上げたが、少年はもう後ろを向いてしまって、顔が見えない。狭い背中だけが見えた。カシャンカシャンと、やっぱり重い音を引き連れて、少年は去ろうとする。しかし扉の付近で一度止まった。言いたい事があることは、少女にもわかったが、何も言わなかった。わかっていても、答えない事が多い少女だった。
「…‥ドカルト博士」
名前を、呼んだ。 ――…それでも結局少年は、何も言わないまま、またカシャン。カシャン。歩き出して、とうとう見えなくなった。 少女はその間、ずっと横向きに倒れたまま。暫くして、また歌いだした。小さく、細やかに、途切れ途切れに、
「…‥♪」
しかしドカルトに、歌を聞いて穏やかになる心は今ここになかった。
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