[41] 夜桜詣で |
- ウホッ!いいユンボル - 2007年04月03日 (火) 00時55分
盛りを終えて散り始めた薄紅の花が、夕闇の底でぼうっと白く光って見える。 旧世界から蘇らせることに成功したといわれるその花は、今は水没したどこかの国を象徴するものだったらしい。 オレの膝の間に寄りかかってそんな話を聞かせながら、ひらひら落ちる花びらに顔をほころばせる。 花よりその表情にばっかり、オレはただ目を奪われてた。
「お?あれ桜じゃねーのか?」 夕方、補給に立ち寄った小さな街で、公園に生えた一本の大木を見て隊長が言った。 その木は枝一面に薄いピンク色の花を咲かせていて、なんか靄に埋もれてるようにも見える。 「サクラ?なんすかそれ?」 「そういう花があんだよ。結構有名だったんだけどな。若い奴は知らないか」 言うなり、隊長が足をそっちに向ける。 「定時連絡にはまだ時間あんだろ、ちと花見と洒落こまねえか?」 「花見?」 花見って……花を見るって事だよな?何をわざわざ……そう思ったけど 公園に向かう隊長の背中が何か楽しそうだったから、オレも黙って後に従った。
「うお!絶景だな」 間近で見る満開の花に歓声を上げる隊長。 「確かに綺麗っすねー!」 外灯に照らされて、頭上に咲き乱れる枝いっぱいの花は確かに凄え迫力で、何故かちょっと怖くもある。 「これで熱燗の一本でもありゃ最高なんだけどな」 「未成年が何言ってるんすか。オレだってこの後運転あるから、どうせ飲めねえし」 18の頃から酒に手出してたオレが言えたことじゃないが、とりあえず窘めておくと 隊長はハハハとバツが悪そうに笑う。まあこの人の本来の年齢なら、その発想も自然なんだろうか。 寂れた公園は、時間帯もあってか人の姿が全くなく、貸切状態のままオレと隊長はしばらくここに居座る事になった。 「よっと」 ベンチに腰掛けたオレの膝に、この人は当たり前みたいに陣取って背中を預けてくる。 昔はガキ扱いするなって嫌がってたくせに、今じゃここが定位置にされてる。いやスゲー嬉しいんだけど。 でもちっちゃな頃ならともかく、そんくらい育ってくると正直ちょっと恥ずかしいっす隊長。 「……」 口にすると余計に恥ずかしくなりそうなんで、オレも当たり前みたいに、まだ小さな体に腕を回す。あったかい。 二人して見上げた頭上から、ひらひら、次から次へと花びらが舞い落ちてくる。 なんだか雪みたいだな、なんて事をオレはぼんやりと考えた。
「しかしもう散り始めてるのか。こりゃ二三日もしたら全部散っちまうな」 「え、そんなもんなんすか?こんなに咲いてるのに」 他愛ない会話の流れで、そんな話になった。肩口あたりに頭を寄せたまま、隊長が言う。 「ああ。ブワーッと咲いてブワーッと散るのが、この花の醍醐味なんだ。潔くていいじゃねえか」 そんなもんなんだろうか。オレには勿体ねえとしか思えないけど。 そう口に出したら「情緒がねえなお前」と呆れられた。軽く凹む。 「文献では、旧世界のとある国じゃ、この花を男の生き様の規範にしてた、って話もある」 「へえ……」 女はともかく男の生き方に花?イマイチぴんと来なくて頭を捻ってると、隊長が続ける。 「パッと咲いて跡形もなく散る、盛りのまんまさ。男子の生き様もまたかくあるべき、ってのが 先人の美意識だったみてーだな」 降る花に目を向ける隊長の顔は、そのありようを羨んでるみたいにも見えた。
ひらひら、ひらひら、花びらは落ちてくる。 隊長の言葉どおり潔く、跡形もなく。 うっすらと赤く、惜しげもなく散っていく沢山の花が、唐突に死のイメージと重なった。 頭ん中が空っぽになる。 長い事忘れていた、足元がすっぽりと抜けて体がどこまでも落下してくみたいな、あの感じ―― 隊長は……隊長が……隊長……隊長……!!
「ちょ……オイ?」
隊長、隊長、隊長、隊長、隊長――――
「おい、コラ痛えよニッパ」 肩口から聞こえる声で我に返った。 「え!あ、スンマセン……」 知らずに隊長を抱える腕に込めてた力を、慌てて緩めて謝った。 たった今オレが何を考えていたか薄々察してるのか、隊長は何も訊かない。 もう五年以上前の事をいまだに引きずってるオレも、いい加減どうかしてる。 けど隊長はそれを咎めも呆れもせず、黙ってこっちに体を預けてくれる。 それに甘えて今度は痛がらせないように、抱える腕にそっと力を込めた。生きている。あったかい……
「でもなんか、悲しいっすね、それって」 沈黙に耐え切れずに話を繋ぐと、「そうか?」と返ってきた。 「なんもかんもやり遂げたなら、後に残るのは道だけ。それはそれでいいじゃねえか。 花だってさ、散ってもオレらの記憶には残る。幹さえ残ってりゃ春にはまた次が咲く」 「……」 そう言って遠くを見るこの人が、何を、誰を思い出しているのかなんとなくわかった。 ひらひら、花びらが舞い落ちる。 前々から知りたくて、けど答えを知るのが怖くてずっと訊けなかった問いが、口から滑り出す。
「隊長?」 「ん?」 「隊長は、ユンボルとして生き返った事、悔やんだりしてます?」 そう訊いた声は、自分でも結構切羽詰ってたと思う。 隊長はそんなオレの問いに、少し目を閉じてから答えた。 「……いや」 嘘のかけらもない静かな声で、隊長が言う。 「本当ならならとうに無くなってるとこを、姫がもう一度授けて下さった命だ。 ありがてえと思いこそすれ、悔やみも恨みもしちゃいねえよ」 ひらひら落ちる、雪みたいな花に目を向けたまま 「それに、生きてるってことは、まだやるべきことがあるってことさ。オレも、お前もな」 自分の運命もオレの悔恨も全部包み込むみたいに、そっと冷たい手がこの腕に触れた。 そうしてから何か思い出したように苦笑する。 「ああでも、あん時マスターの所でお前に会わなかったら、流石のオレもやばかったかもな」 「え、それってどういう事っすか?」 思わず覗きこんで尋ねると、隊長は「さあな」なんて人の悪い笑顔ではぐらかした。 なんとなく、前に姫から聞いた話を思い出す。 隊長が生き返ったとき、彼女はこの人に「どこへ行くのも死ぬのも自由」そう言ったんだそうだ。 この人がそのどれも選ばずに、今ここに居てくれることに、もしオレが一役買えてんなら もしかしてオレもいつかは、あの時死に損なった自分を、今のうのうとこうして傍にいる自分を 許せるのかも知れない。なんて、手前勝手な考えだけど。
「ねえ、隊長」 「ん?」
このままそばに居てもいいですか? 「その時」は今度こそ、オレも一緒についてっていいですか?
「……綺麗っすね、桜」 「お前さっきからそればっかだな」 「どうせボギャブラリー貧困っすよ、もう」 口に出せば女々しすぎる願いを飲み込んで、呆れたように笑う隊長にむくれた声で答える。 「ん、そろそろ時間だ。戻ろうか」 そう言って隊長が腰を上げる。離れた温もりに、今更さっきまでの時間を惜しいと思った。
「なあ、また来年も今ぐらいの時期に、ここに来ねえか?」 「あー、いいっすね、それ」 「もちろん次は一升瓶持ってだな……」 「却下。後十年ちょっとは待って下さい」 「ゲッ!そんなんありかよ」
がっくりと肩を落とす隊長に忍び笑いをこらえながら、公園を後にする。 『来年』って言葉が、オレにはただ無性に嬉しかった。
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