[866] 生長の家家族の祈願及び修養@ |
- 伝統 - 2015年10月15日 (木) 19時32分
《生長の家の意義と誕生について》
*「生長の家とは如何なるものか」(P3〜8)より
これから「生長の家家族の祈願および修養」の講義の概略を申し上げます。 生長の家の家族たち誌友たちの祈願として修養せんとするところの箇条書が これに書いてあるのであります。順々にそれを説明いたします。
《『生長の家』の誌友および読者はすべて「生長の家」の家族として この祈願に従いて、生活し、修養し、おのおの隣人を照らす 燈台たらんことを期す。》
ここに書いてありますとおり『生長の家』の誌友および読者すべて生長の家の 家族というわけでありまして、これから述べる祈願および修養の道しるべに 従って生活し、そうして隣人を照らす燈台となろうという光明の大願をもって 各自の生活を出発せしめるのであります。
そもそも、この生長の家というのは何であるかといいますと、最初はわたしが 修養雑誌を出したその雑誌にたまたま付けられた名前ではあったのですが、
しかしながら本当の『生長の家』というのはこの雑誌の名前ではない、 といってまたわたしの個人の家の名前でもないのであります。
「家」というと、何か屋根のある、ある一定の建物のような気がするので ありますけれども、『生長の家』というのは『大宇宙』ということであります。
「生長の家」というのは創造することで、 いくらでも無限に創造し伸びてゆくのが宇宙の実相である。
だから大宇宙のことを『生長の家』と申しますので、この大宇宙に満ちている 生命創化の法則を研究し、その法則を宣べ伝えて、広く人類を教化しようという 目的の団体を現在「宗教法人生長の家」と称されています。
「宗教法人生長の家」と「大宇宙」そのものなる「生長の家」とは別物であります。
で、この「実相世界」のことをわたくしどもでは「生長の家」とこういっている。 仏教では「寂光土」という言葉を使っているのであります。
これはその形容がなんとなく静的すぎる、ちょっと眠たいようなあんまり 平和すぎるような、活気のないような言葉でございます。
わたしは実相世界を形容するのに、 そのように活気のない言葉を使いたくないのであります。
無論、この寂光的な平和の極の世界だというような一面も「実相世界」にはある のでありますが、そういう静的な、活気のないような状態をあらわす言葉では 「実相浄土」の無限に光明 輝く、伸び伸びしい生き生きした状態を現わすことが できないきらいがありますので、、
われわれはこの実相浄土を表わすのに、常に老いぬ、無限に若いような、 活気溌剌たる少年のような感じを出す言葉を使いたいと思って、『生長の家』と いい、仏教では「寂光土」を現わしているのであります。
『法華経』の「寿量品」の「自我偈」には「衆生劫尽きてこの世が焼け尽くると 見える時にもわが浄土は壊せず」ということが書かれているのであります。
が、その衆生がこの世を焼けつくると見、憂苦が充ち満つると見ても、 そういう憂苦満ち破壊満つると見える娑婆の世界は、活動写真のような、 念の化作した偽存在の世界であって、
本当の世界には天人が伎楽を奏している美しい堂塔伽藍が建ち並んでいる 実に立派な世界、これが寂光土である、そういうふうに書いてあるのであります。
寂光土といえば空な何もない静のほかには、何もない世界かと思ったら、 天人が伎楽を奏し歓楽が満ちている、喜びが満ちている、美しさが満ちている、 無限の智慧が満ちている、無限の喜びが満ちている、無限の楽しみが満ちている 世界だと書いてある。
そういう実相の浄土を称して寂光土というのには相応しくないような気がする、 やはり無限創造、無限伸展の世界と言いたい、無限「生長の家」だと言いたい、 それでわれわれはこの実相の浄土を無限創造の「生長の家」と言うのであります。
この生長の家なる実相が仮に世界に影を投影して現われたのが、 地上の「生長の家」であります。 皆さんのお宅も実相の善さが顕現したら皆ことごとく生長の家であります。
この「実相の浄土」たる「生長の家」が地上に形を映して、 文章に――その言葉の響きの現われたのが、最初この『生長の家』という雑誌 であったわけであります。
その雑誌は最初、昭和5年の1月に本当は誕生したのであります。 その前年の12月に、わたしがちょうど関東大震災受難後2回目の泥棒に 遭いまして、すっかり物がなくなって、
それが機会に無一物の「今」のうちに無限の力が宿っていることが本当に悟れて、 「今」起たなければ、「今」生きなければ生きる時機(とき)はないのである、
現象的の条件が備わってから自分の使命を遂行しようというふうな、 そんな“あ”ま“い、”ま“だ”る“っ”こ“い”ことを考えているような ことでは本当の生きる道はない、
「今」の一瞬にいっさいが包蔵されているから、「今」欲することに取りかかろう という大決心をいたしまして、12月にさっそく家を移転してそれから 執筆を始めまして1月元旦には最初の第1号が出たのであります。
ちょうど、その頃のは、わたしの著書の読者や、友人の雑誌の書いた わたしの文章を読んだ人でよく手紙をよこしておられたような人たちが 150人ばかりありました。
その150人の人たちに、新しく印刷した雑誌『生長の家』をお送りした のであります。千部印刷いたしましたけれども、知っている人は150人ぐらい しかない。
そうして、弘めようといってもむやみに無駄に振り撒くわけにもゆかない、 因縁のない人にあげて紙屑にされるのもつまらないことである。
それで、150人ぐらいの人たちに2、3回ぐらいずつ上げて、誰か知人に やってくれませんか、いくらでもほしい人には上げますからというふうな 具合にして送っておったのであります。
それがちょうど昭和5年の1月の初めのことでありましたが、納本後2カ月の 余裕を持たして創刊号の発行日は3月1日として印刷しておいたのであります。
『キング』や『日の出』は発行日の前月5日頃の出る、 『生長の家』は前々月末に出たといううようなことになっていた。
というのは、最初の創刊号によって誌友を獲得して、どれだけの部数が出るか だいたい見当をつけてから次の号を出したいので、1ヵ月のうちに誌友を獲得する ことはとうていできないので、その間に2ヵ月間の余裕を置いておきたい、
とこういうのでその年の1月の終わりごろの納本された雑誌に3月1日発行と 日付して出しておったので、公の創刊号発行記念日は3月1日ということに なっており、これが、3月1日なら時候もよいので、春季の生長の家記念日と 後に定められることになったのであります。
ともかく、こういうふうにして、実相の浄土にあるところの、喜びの勝てる、 光に満てる実相の言葉が地上の雑誌として初めてこの世に現われてきたので あります。
そうしてその言葉に最初触れる人たちが、地上における「生長の家家族」と いうことになったわけであります。
むろん、この「生長の家」の家族というのは必ずしも『生長の家』の誌友 あるいは読者には限らないのであります。
本当に実相の浄土を地上に生きる人、 この人はむろん生長の家家族であるわけであります。
だけれども、まず第一にここでは本当にこの生長の家すなわち実相の浄土を 地上に生きる第一世として現われた『生長の家』誌友が、この現世を照らす 光となり、おのおのの隣人を照らす燈台となるようにしようじゃないか、 こういうのがわれらの祈願の第一条の標識であります。 <感謝合掌 平成27年10月15日 頓首再拝>
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