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谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐

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[592] 生長の家の女性教育
童子 - 2015年04月06日 (月) 19時02分


 ◆生長の家 文化女学院  (尾道市久保町)


     《 指 導 目 標 》

   柔かく温かく、美しい女性の教養

   謙虚で清純で素直な家庭人の育成

   朗らかで明るく愛に満ち

   智慧豊かな花嫁の養成


  
     《 校 歌 》

             谷口雅春先生 作詞

   観音自在の慈悲うけて
    
   聖霊やどる乙女らに

   聖母マリアの愛をもて

   普賢の智慧を授けてぞ

   国と家との宝たる

   乙女やしなひ育てんと

   生(あ)れし学園吾が母校

   吾らの生長の家文化女学院

  

[595] 2.
童子 - 2015年04月07日 (火) 18時44分


 ◆生長の家 淑徳大学寮  (長崎市玉園町)


    《 設 立 の趣 旨 と 教 育 の 綱 領 》

               谷 口  雅 春  先 生


  堅実なる思想を養成し、混乱せる世相になじまず、

  思想堅固にして情操高潔なる人格を得せしめ、

  将来日本国の柱となるべき調和せる家庭を築き得る女性を養成する根本方針に基き、

  将来家庭婦人として必要なる婦人諸芸及び宗教、芸術等諸般の学芸を授くることを

  本校教育の綱領とする。



    《 目 的 》

  日本女性として真の教養を深め、人間の本質を知り、

  将来家庭婦人、社会人として

  明るく、正しい、美しく生き抜く精神的基礎及び

  家庭に必須なる婦人諸芸並びに文化的素養を与える事を目的とする

[596] 輝き出た “神一元”
童子 - 2015年04月07日 (火) 19時14分


  淑徳大学寮 校長 (九州第一教区教化支部長)

               小 畑   富 記


 昭和10年6月 大阪在住の頃、家内の4,5年間の糖尿病が 『生命の實相』 を読んで即日快癒したのですが、私は病気は迷信邪教でも治ると信じていたから、この奇蹟を見ても生長の家をそのまま信ずる気にはなれない。 家内に勧められて仕方なしに 『生命の實相』 を読み、誌友会について行った。

 1冊読み了えるのに半年がかり。 しかし 教育篇 を読んで驚いた。 30年も教育に携わっていて本当の教育を知らずにいたことに気づいた。 懺悔の気持ちで、先ず大阪府全部の学校へ手紙を出し (『生命の教育』 誌添付) 呼びかけた。


 翌11年8月、比叡山で谷口先生の御講習を受けた時、先生が黒板の真中に 「神一元」 とお書きになったのを見た瞬間、心の中に実相の光が燦然と輝き出て、無上の歓喜に打たれたのでした。

 やがて終了式に謝辞を述べる事になったのですが、私の歓びが天地に感応したのか俄かに激しい雷鳴豪雨です。

 私は 「皆さん、 ・・・ 今、窓外に闇つんざいてきらめく稲妻の如く真理の言葉を鳴り響かせ、沛然たる大雨の如く 『甘露の法雨』 を雨降らせようではありませんか」 と叫んだものです。

 その時の心を今に、精進を念願している次第です。

[598] 家庭光明寮  (『光の泉』 昭和12年3月号)
童子 - 2015年04月08日 (水) 12時07分


 近頃、生長の家家庭光明寮の評判が好いので事実どんなものかと、記者は参観に出掛けたのである。

 寮長先生 《※註:谷口輝子先生》 は毎日、隠田の自宅から総裁先生と一緒に寮へお通いになるのであるが、聖母マリアの再来であるとばかりに寮生に懐かしまれている。 どんな心持で光明寮を御経営になるのかと訊いて見ると、



 『乙女の頃から正しい信仰を体得していたならば、その女性の生涯はどんなに輝かしいもので御座いましょう。

 今迄の学校教育や家庭教育では知育や徳育は注ぎ込まれますが、正しい力強い信念の流のれて居りませんので教育に生きた仕上げが出来ていないと存じます。

 多くの乙女達は、温かい親の手を離れて、この複雑多彩な人生の波の上に、突然放り出されて行きますと、色々の予備的心掛がないためにその多幸な未来への夢を美事に現実生活に営み得る人と、現実生活に営み得ない人とが御座います。

 これはすべて各自に確固たる信仰と、行届いた心掛の有無によって決します。 

 私の寮では天地一切のものを神の賜として、与えられたものを出来るだけ完全に生かすことを心掛け、一枚の布地を縫うにも、その一針一針に着る人の幸福を祈る愛念を縫い込め、織りし人、染し人への感謝の念を篭め、一本の野菜を手にするにも、育てし百姓の労苦に感謝し、食べる人々を喜ばしたい愛念を刻みこみ、一束の花を活けるにも、その花の心を心とし、眺める人の心を思いやり、洗濯に掃除に為すこと一切に於いて感謝と愛念の篭った仕事の出来るような女性の養成を心掛けております。

 かかる乙女を娘とし、妻とし、姉妹とし、家族とする人達の幸福はどんなに大きなものでありましょう。

 約婚の将来の良人から学費を出して光明寮へ入寮させる方もございます。』



[601] 谷口雅春先生は“藤半”御家族の申し出に応えられ尾道練成道場を返却された
童子 - 2015年04月09日 (木) 17時49分

『明窓浄机』 昭和42年11月号


 永いあいだ生長の家の花嫁学校の役に立ち、その後は生長の家の尾道練成道場になっていた土地建物は、もとは加藤慶一郎氏の所有であって “藤半” と称する料亭であったのを、人類光明化運動に献げたいという慶一郎氏の切なる思いで、生長の家本部に寄附されたので、宗教法人生長の家に登記されていたものであった。

 あの道場及び花嫁学校を拠点として新しい人生観を得て自分の生活を光明化した人は万をもって数えられるであろう。

 これは全く加藤慶一郎氏の功績であるというほかはないのである。

 ところが慶一郎氏最近老齢を見るにつけ、折角、自分の父慶一郎氏が裸一貫から立ち上がって “藤半” という料亭をつくり、あれだけの不動産を築き上げたのに慶一郎氏が死んでしまった後は、あれは生長の家の尾道練成道場として残るだけで、父が一代で築き上げた “藤半” は消えてしまう。

 それは残念なことであるから、“藤半” を復興して、父の業績を永遠に遺すことが親孝行の道であると感じたので、再びあの土地に “藤半” という料亭を建てたいので、今練成道場になって宗教法人の所有になっているものの境内に当る地面を譲ってもらいたいという申出があったのである。

 その息子さんにとっては、慶一郎氏が人類光明化の拠点として献堂されてそれを道場として自分が道場主事として人を救って来たその業績を末永く残すよりも、その以前に遡って “藤半” という料亭として残す方が、親孝行であると考えられたのである。

 この点は立場によって色々の解釈があるであろうが、生長の家は 「親孝行をすすめる宗教」 であるから 「親孝行のためにするのだ」 といわれ、慶一郎氏もそれに同意して慶一郎氏自身がそのことを求めて来られたのであるから、私は、単に境内となっている地面を返すだけではなく、何の代償も請求せず、練成道場になっているあの全建物及び土地をきれいに加藤慶一郎氏に返すことに定めたのである。


 因島や四国から来るにも至便の位置にある尾道市に練成道場がなくなることは、あの近県の人で練成を受けたい人にとっては惜しいことではあるけれども、今まで、あの建物を練成道場に使わせて頂いただけでも感謝すべき事である。

 その代りに、尾道市から30分の距離にある府中の町で 田中吉野さんが鉄筋づくりの道場を建築せられたから、法話をききたい人は出かけるがよい。

 尾道道場の練成は10月の練成までは、既に宣伝も行き届き、申込者もあることであるから練成を継続するが、11月からは、それは “藤半” という料亭となって加藤氏一家が経営される筈である。


 加藤慶一郎さん、随分永いこと、あの建物を練成に使わせて頂きました。

 それによって生活が光明化した人々に代って此処に篤く御礼申上げます。


 どうも私は何でも 「自分のもの」 として握っていることを好まないのである。

 この11月22日が来たら私も満77歳になる。 欲望がなくなるのは年の所為か知らなどと考える。 

[603] 広島府中・養心学苑
童子 - 2015年04月10日 (金) 10時09分

『明窓浄机』 昭和46年2月


 清楚、清純、清潔なそして優雅な雰囲気の日本女性をつくることで思いついたが、広島県尾道市久保町にあった生長の家の花嫁学校は、寄附者の遺族の希望により建物敷地ともそのまま無償で返還したら、その尾道市の極近くの府中市に、相愛会の田中吉野さんが提唱者となって府中養心会館が建ち、そこに広島県の練成道場が出来上り、その練成道場では無数の奇蹟的治病や家庭不調和の解消の功徳が出現している。


 更に昨年夏、その練成道場に連絡して “養心学苑” という花嫁学校が開設せられ、学年末でない中途半端の季節に開設せられたので、現在はまだ20数名しか寮生がいないそうであるが、3月までの学年が終って新学期が開校されると寮生は間もなく満員になることだと思う。
 
 長崎の淑徳大学寮と同じほど、即ち70名位の寮生を収容できるということである。

 淑徳大学寮は、女性百般の学科の方に力点を於ているらしいが、府中市の養心学苑では家庭的必須の実用的技術的修行の方に重点を置きたいというのが田中吉野さんの方針のようである。

 
 学苑の位置の関係その他を考慮して希望者は、学則とか、練成会の今までの体験集とかを請求して、自分の適する方の花嫁学校をお選びになるとよいと思う。

[605] 養心学苑 新築寮拝堂式を終えて  (『白鳩』誌 昭和47年4月号)
童子 - 2015年04月11日 (土) 14時05分


   養心学苑主事  田 中  吉 野


合掌 

 谷口総裁先生御二方様の御愛念を賜りまして、この度養心学苑生徒寮3階建新館が増設されましたことを学生一同と共に衷心から御礼申し上げます。

 この新築に当りましては、学苑長先生、県最高幹部、並びに地元幹部、信徒の皆様の暖かい大いなる御協力によって、素晴しい新寮が完成いたしました。

 16日には御本部から、清都副理事長先生の御臨席を頂き、地元北川市長、橘高県議員先生をはじめ全県下役員の皆様が御参加下さいまして盛大に挙式が行われました。 清都先生はじめ幹部先生の手により鈴玉の紐にハサミが入れられますと、パッと破れた中から沢山の鳩が舞い上がって大きく輪をえがいて飛んで行って、紅白の幔幕、万国旗のひらめきも一段と祝いを添えました。


 当日は学生が感謝の真心と報恩の意味で、日頃修得した技術を公開し日本一のこの学苑を知って頂く為に、学苑祭をさせて下さいとの申出で、併せて行われました。 全学苑生がそれぞれの分担において神の子無限力の真理を発揮して、次からつぎへと素晴しい智慧に導かれて、よくもこんなに出来た事と驚嘆に値するものでございました。

 演劇 〈谷口先生御作 『泉のほとり』〉、模擬店、バザーも常に超満員で、あっという間に売り切れる盛会、展示会場の和洋裁作品、書道、手芸品等皆様絶賛して下さいました。


 毎朝5時10分神想観に始まり、始業の祈り、就寝の祈りの中で総裁先生の深い御愛に感謝し、真理を深めて両親初め一切の人に感謝しながら女性としての技術を修得していられます。

 北川市長の大きな献資が原動力と成った学苑だけに 「今の日本にこの様な精神教育をする学校は他にないだろう。 この学苑で次代を担う日本女性が多く育成される事に大きく期待している」 とのお言葉です。

 学生の感想文の中に、 「全学生が感謝一杯、愛と智慧が一人一人に最大に表現されて生命のかぎりやったから大成功したのであろうと思う。 無から生み出した計画が学苑祭によって神の子の自覚を深め得ました。 平和日本は、私達の手で守るこそ使命」  と言っております。

 これで和洋裁教室各50畳、道場をのぞいて6名入寮の室が15室、祈りの間、茶室、準備室、講師室等和室が18室、其の他事務所、ロビー、食堂、浴室等完備して楽しく学修出来る設備が出来ております。


 谷口先生の御教えを魂に受け、一生涯の幸福を約束して下さるこの学苑に学ばれ、平和日本国の中心と成られます為に、大多数御推薦下さいます様にお願い申し上げます。

                   再拝

[609] 福岡ゆには会館移転と女子短期大学建設構想  
童子 - 2015年04月13日 (月) 21時05分

『明窓浄机』 昭和46年2月


 福岡の講習会があったとき、寸暇を割いて、ゆには道場の候補地を視察に行ったところ、それは実に素晴しい景勝の地であり、長崎県の西彼町の60万坪には広さが及ばないが、西彼町の方はこれから開拓して景勝の一大公園地区をつくるつもりだけれども、福岡の方は、それほど広くはなく、10万坪程の開拓せずとも既に一望の下に美しい景園が展開している高台である。


 それは篠栗町といって、博多駅から、自動車がこんでいない時には20分間で到着できる。 私は嘗てこの地区は将来道場敷地として恰好の地である。 近くの山々は恰も比叡山の参道を登って行くと右手に、鬱蒼と茂っている杉木立の谷間を見渡すその何とも言えない幽邃な感じのするところ、まことに宗教の道場を建立するに適すると古人があそこに叡山延暦寺をきづいたのも無理がないと思うのであるが、この篠栗町を通って飯塚に山越えに行くと丁度そんな幽邃なところがある。 四国八十八ヶ所の分身の霊場があるのである。


 私は以前に、飯塚へ博多から山越えで行く道で、そこを見上げながら、此処に道場をつくりたいなと思ったことがある。 「心に思ったこと」 はそれが種子となって蒔かれたのであって、いつの日か、それが実現する日が来るのである。 その実現する日が近づいて来たらしいのである。

      〇    〇


 実は博多の “ゆには道場” は、皆さん御存知の通り、九州一円の教化費用を、あそこに百貨店をつくって、その企業収益でまかなうことにして、信者や練成に来る人に教化費用を分担して貰うような、つまり献金による 「教団の維持」 という在来のあり方を否定して、信者からは献金を集めないでやって行く新しい宗教の行き方が可能であるかどうかを試みた所謂テスト・ケースとしてやったのであったが、宗教人の事業経営というものは、儲けることが下手なので、却って赤字を出して、このテストは失敗して、やはり宗教は信者の寄進によって成立つのが本道であることを悟ったのであった。


 すなわち信者も寄進することによって功徳を積み、そして自分が生命を与えたことによって教団との一体感も深まり 「与える者は与えられるの原理」 で、却って信者の生活も裕かになり、事業も繁栄するものであることをテストによって悟ったのであった。


     〇     〇


 そんな経緯でつくった建物があの “ゆには道場” であるから、福岡市の目抜の場所にあり、歓楽街が極近くにあるので、比叡山のような幽邃な地域とは全然雰囲気がちがうのであるけれども、百貨店を閉鎖したあと遊ばせておくのも勿体ないので、当時あった露切町の道場は、道場員や職員の寄宿舎として百貨店跡を道場とした訳である。

 そんな繁華街なので、商業関係の人があの “ゆには道場” の建物をつかうと便宜だから希望者があれば譲りたいと思っていたら、最近、半官半民の食糧配給組織である全購連が、食糧品の値下げに貢献するために全国的に配給センターを作りたい、福岡県にはあの辺りが適地なので、あの “ゆには” の建物を貸して貰いたいとの申込みがあり、そんな良い目的にならお貸ししようということになり、先ず1階と2階の一部だけを使って頂く。


 そのうちに道場の絶好の敷地が見つかったら、そこへ宇治別格本山位の練成道場を建てたいので、佐藤高貴氏に、 「あの四国八十八ヶ所の分身霊場のあるあたりに売地があるか探してみておいて下さい」  と頼んでおいたら、「そんな地面が見つかったから見て下さい」 ということで見せて貰った訳である。


 そこは平地といっては、それほどないが、その地面の上手の保安林を解除してもらうと、宇治別格本山ほどの敷地が出来るのである。


 戦後、日本女性の精神が西欧化して、西欧婦人以上に荒れていて、ウーマン・リベレーション運動 (女性解放運動) などといって街頭をデモ行進するような凄まじい時代になっているので、此の地に清楚。清純、清潔な性格・雰囲気をもった日本女性を養成する女子短期大学を建てようではないかと、八日市屋教化部長と佐藤さんとで現地を見ながら話し合った訳であった。


 篠栗町の町長も出迎えてくれられ、亀井知事も生長の家の信者であるから、何かと便宜が与えられて事が順調に進むことだと期待しているのである。



     〇     〇

 この稿の最初に書いた篠栗町の町長、藤岩雄氏からお手紙を頂いた。

 「良妻賢母を育成する女子短期大学の建設もお聴届け下さいました由。まことに有難き極みに存じます。 山手駅付近の土地はその約80%が町有でありますので払下げ価格、上下水道の施設、保安林の解除、道路の新設又は変更、その他凡ゆる面に於て最善の御協力を申上げ体制を整えておりますので、何卒よろしく御配慮の程お願いいたします。」




 


 



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