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谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐

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[610] 新年に龍宮世界の荘厳を観じましょう
明鏡 - 2015年04月13日 (月) 23時31分




「 新年に龍宮世界の荘厳を観じましょう 」  谷 口 雅 春 先 生

『 白鳩 』 昭和五十八年一月号



新年おめでとうございます。

年の始めにあたりまして、生長の家の聖経である『 真理の吟唱 』 の一節を

朗読さしていただきまして、皆さんの今年一年中の生活が豊かになり、幸福になり、

家族 悉(ことごと)く健康で、まことに理想的な天国が、皆さんの家庭に

実現することを祈らしていただきたい、と思うのであります。


それでは 『 真理の吟唱 』 の一節を朗読いたします。




[621] 【 天国の荘厳を実現する祈り 】
明鏡 - 2015年04月19日 (日) 20時54分


( 195頁5行目から )


『 この世界はアイディアの世界であり、新しき美しき善きアイディアが具体化するとき、地上に天国の荘厳(そうごん)があらわれ、それを創造する者はおのずから無限の富を得るのである。


今日(こんにち)ただ今、実相世界の美と荘厳とが私たち家族の身辺にあらわれるのである。実相世界の美と荘厳とに、私たちは今直接触れ、直接見ることができるのである。


まことに心が一転して“真実存在の世界”に振り向くとき、一切の悪(あ)しきもの、暗(くら)きもの、醜(みにく)きもの、汚(よご)れたるものなどは消え去り、見渡すかぎり、善(よ)きもの、明るきもの、美しきもの、清きもののみが、わが身辺および環境にあらわれるのである。


見よ、われらの環境の美しきかな、すべての存在は生命が脈動(みゃくどう)して光を放ち、輝いて見え、どこにも死物の如(ごと)き物質は存在しないのである。


まことにこの世界の一切のものは、釈尊が菩提樹下(ぼだいじゅげ)において覚(さと)りたまいし時の如く、山川草木国土(さんせんそうもくこくど)ことごとく、神の実現、仏の現成(げんじょう)たる世界なのである。


山も歌い、川も歌い、草も木も、国土も、すべて“神の生命の歌”をうたう。山は川を讃(たた)えて聳(そび)え、川は山を褒(ほ)めて潺湲(せんかん)として流れる。
樹草ことごとく美しき華(はな)をひらき、豊かなる五彩(ごさい)の果実たわわに結ぶ。
天人天鼓(てんにんてんく)を撃(う)ち、美しき伎楽(ぎがく)を為(な)し、天女山腹に舞い遊びて、五彩の花吹雪(はなふぶき)降(ふ)る。


今、心眼(しんがん)われにひらきて、この美しき実相を見る。眼(まなこ)なきものこれを見ること能(あた)わず、眼(め)ありとも、心の眼ひらかざるものこれを見ること能わず、されど我れは今心の眼(まなこ)ひらきて、この世界の実相の荘厳を見る。


ああ感謝すべきかな神、ああ讃美すべきかな神。われら大神の御前(みまえ)に、跪(ひざまず)き、頓首(とんしゅ)し再拝し奉る 』


この新年は新たに生まれるので、その新たに生まれる一番いい機会でありますね。
新しい自覚というものは何かチャンスがないと、出てこない訳なんですね。
ちょうど新年は新たに生まれる、一番適当な機会でありますから、こういう善き言葉を朗読さしていただいたのであります。


もう一つ善(い)い言葉を朗読さしていただきます。

それは『 真理の吟唱 』 の一八九頁(聖経版では二五六頁)の“入龍宮不可思議境涯(にゅうりゅうぐうふかしぎきょうがい)の祈り”であります。


つづく・・・



[622] 【 入龍宮不可思議境涯の祈り 】
明鏡 - 2015年04月19日 (日) 21時19分



『 ああ美しきかな、この朝よ。もろもろの花は地にあらわれ、もろもろの鳥のさえずる時すでに至れり。わが愛する者どもは目覚(めざ)めて、神の御前に集まりて、神を讃美す。


よろこびは悦びを呼び、愛は愛を呼ぶ。わが愛する者に幸いは集まり来たり。すこやかに子供は伸びて、楽しさにさんざめく。


ああ幸いなるかなこの朝よ。家族たちの悦びの声は宇宙にこだまする音楽の如く、
その声の底には極楽(ごくらく)の響(ひび)きを湛(たた)うる泉あり。その泉より噴(わ)き出(い)ずる悦びの声は、龍宮の輝きを帯(お)び、神の光に照されて、五彩七彩の虹を放つ。


今、われら家族、極楽の園に遊び、龍宮海(りゅうぐうかい)に入る。もろもろの宝は我らの掌(たなぞこ)に満てり。黄玉(おうぎょく)、紅玉(こうぎょく)、青玉(せいぎょく)、等その数を知らず。わが子供たちは、黄玉を連(つら)ねて頸輪(くびわ)となし、紅玉を結びて腕輪となし、青玉を点綴(てんてつ)して髪飾りとなす。衣装(いしょう)には虹(にじ)のごとき輝きあり、日光を受くるに従いて、その色を変化して美しきこと限りなし。ああわれらここ実相龍宮海の美しさをはじめて知る。


ああ祝福されたるこの朝よ。われら言葉の力にて現世(このよ)に龍宮城の美しさ、麗(うるわ)しさ、ゆたかさを引出し来れり。見よ愛する者ここにあり、見よ彼らはわが肩に攀(よ)じ、膝(ひざ)に来り、わが前に立ち、後(うしろ)に倚(よ)る。その語る声は美しくして極楽鳥のごとし。後ろにある我が愛する者よ。汝の顔を見せよ。なんじの声を聴(き)かせよ。なんじの声は竪琴(たてごと)の奏(かな)でらるる如く、七弦琴(しちげんきん)の奏楽(そうがく)の如し。語るに随(したが)って、美しきもろもろの花咲き出(い)でてその周囲を飾る。幸福なること限りなし。


ああ悦びに満たされたるこの朝よ、わが愛する者は、すべて悦びに満たされ、神を讃(たた)う。神は讃うべきかな。われらの悦びの源(みなもと)、われらの幸いの泉、神の恵(めぐ)みきたるとき、一切の争いは止み、すべての戦いは停止し、いにし時の敵と味方とは、手を挙(あ)げて平和を喚(よ)び交(かわ)し、兄弟(はらから)の如く睦(むつ)び合い、愛情の祝盃(しゅくはい)を交して、神の平和を称め讃う。


将兵たちみな剣(つるぎ)を収(おさ)め、銃(じゅう)を棄(す)てて、愛をもて娘たちが織りし美しき衣(ころも)をまとう。すべての人々の頭(こうべ)に“平和の冠(かんむり)”あり、黄金の七つの星をもてその冠を飾り、荘厳なること限りなし。


ああこの朝、平和なるかな。山々に平和の雲(くも)漂(ただよ)い、朝日の昇(のぼ)るにしたがいて五彩にその色を変じ、われらの祝福の宴(うたげ)に霞(かすみ)の幔幕(まんまく)をもて飾る。もろもろの花咲き出(い)で、もろもろの鳥謳(うた)う。
その声、神を讃え、われらを祝う。まことに実相浄土(じっそうじょうど)の厳浄(ごんじょう)を地上に実現したる朝かな。神に感謝し奉る 』


これも新年の歓びの歌であります。“ああ美しきかな、この朝よ”こういう、善き言葉でその日を始める、これが生長の家の生活の一つになっているのであります。
悪(あ)しきことは決して言葉に言わない。そしていいことばかりを、心に唱えるのです。
その唱える言葉―それが、皆 形になって現われてくるということになるのであります。


つづく・・・



[636] 【 あなたはあなた自身の運命の予言者です 】
明鏡 - 2015年04月27日 (月) 01時23分



生長の家の本尊は、観世音菩薩だと言われているのです。それは言われているだけじゃないので、
実際に“生長の家の本尊のお姿を拝まして下さい”と言って生長の家の神想観という、座禅のような
行持(ぎょうじ)をしていると、観世音菩薩が現われたのを見た人が、一人ならずある訳なんです。



それで観世音菩薩というのは、どういう仏様かというと、この『 真理の吟唱 』の中に
こう書いてあるのですね。


『 この世界は 観世音菩薩の妙智力(みょうちりき)― 妙智力とは、妙(たえ)なる智慧の力 ―
を示現(じげん)せる世界であるのである。観世音菩薩とは単なる一人の菩薩の固有名詞ではないのである。


それは宇宙に満つる大慈悲(だいじひ)であり妙智力であり“心の法則”であるのである。
観世音菩薩とは世の中の一切衆生の心の音(ひびき)を観じ給いて、それを得度(とくど)せんが
ために、衆生の心相応(そうおう)の姿を顕(けん)じたまう「 観自在(かんじざい)の原理 」
であり、「 大慈悲 」である。三十三身に身を変じてわれわれを救いたまうとはこの事である 』


“ 心の法則 ”として、衆生(しゅじょう) ― すなわち我々の心 ― に従って、姿をあらわして
いられるのが観世音菩薩である、というのであります。観世音菩薩は我々の環境に現われたり、
境遇に現われたり、周囲の人々の姿となって現われたりする訳なんです。


そして自分の心に思うことが それがそのまま形の世界に現われる、その“ 心の法則 ”こそ、
宇宙に満つる観世音菩薩の妙智力なのであります。


つまり、私たち衆生の心の音、心の音(ひびき)を見給うて、そしてその姿の通りに
現われられるのが、観世音菩薩であります。


どういう心を起こすか、どういう言葉を自分で述べるか ― ということによって、
自分の運命をまた変わってくる、という真理がこのことからお判りになると思うのです。
だから自分自身が予言者である、という訳であります。
自分の語ることが、それが、そのまま、形の世界に出てくるのです。


それで“ 観世音菩薩を称(たた)うる祈り ”には、

『 予言者は遠くにあらず、山にあらず、街頭(がいとう)にあらず、今ここに
あるのである。私自身の内にあるのである 』


観世音菩薩が、よそへ行って拝むのではなく、私自身の内(うち)に観世音菩薩がいる。


『 自己の想念(心に思うもの)するところのものが外にあらわれ、自己の信ずるところのものが
外界にあらわれ、自己の語るところのものが他者にあらわれるのである。想うこと、信ずること、
語ること、ことごとくが予言となって、やがて実現する時期がくるのである。
されば私たちは悪しき事、憎むべきこと、暗きこと、消極的なことを想ってはならない、
信じてはならない、語ってはならないのである 』


そこで新年の始めにおいて、さっき申し上げたような善き言葉を、放送さしていただいた訳で
ございます。どうぞ皆さん、今年一年中、幸福に健康に豊かに繁栄して、よき生活を送られんことを
お祈り申し上げて この放送を終わります。有難うございます。



                〈 了 〉







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