[706] 神にむすばる(六月の光明道中記) |
- 伝統 - 2015年06月23日 (火) 20時53分
【 自己は神の流出口 】
吾が力で何事でも成そうと思うものは躓く。 自分は神の流出口であると思わねばならぬ。
私は常に「谷神(こくしん)」を思い、自分は「谷神の流出口」 ―― 谷口なることを考える。
「谷神」とは老子の中にある言葉で、谷は空しくして万物を生ずるが故に、 大生命のことを「谷神」と呼ぶのである。
どうぞ私自身が、大生命の出口であり得ますように。神の智慧の流出口でありますように。
吾が祈りは常にこのほかには無いのである。
常に神を思うことは自分を豊富にする方法である。 神を忘れた日はどんなにか寂しいであろう。
神の無い人が厭世観に陥るのは無理もない。
神を忘れることは渾ての渾てを失うことである。
みずからを顧みよ、腹の立っているとき其の人は神を忘れている。 悲しんでいるとき其の人は神を忘れている。 呟いているとき其の人は神を忘れている。
他(ひと)を恨んでいるとき其の人は神を忘れている。 失意のいるとき其の人は神を忘れている。
愛深き神を想い出せ、 汝のすべての憤りも悲しみも、失意も、怨恨も 立所(たちどころ)に消えるであろう。
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