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谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐

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[762] 神話にあらわれた「生命の実相」
伝統 - 2015年08月11日 (火) 17時20分

           *「子供と母の本」(P226〜235)より

《神話とはどんなものか》

先年、日本の建国記念日を2月11日に制定することになりました時に、

「神武天皇の建国が2月11日であるということは神話であるから、そういう頼りない
”神話”みたいなものを当にして建国の記念日を定(き)めるのは不可(いか)ん」

と言って、進歩的文化人の人たちが反対したのであります。

しかし、こういう反対はどうして出て来るかというと、神話というものが一体如何なる
ものであるか? ということを御存知なかったからであると思うのです。

神話というのは、一体何か?  と言いますと、

古代の民族・・・現代の人間と違って・・・科学的精神が発達していなかったのですから
直感的能力が発達しておったので、その直感的能力によって知った、天地間の真理を
神さま物語の形にして語り伝えたものが、後に文字に書かれたものであります。


(つづく)

          <感謝合掌 平成27年8月11日 頓首再拝>

[765] 《直感的能力とはどんなものか? 》
伝統 - 2015年08月13日 (木) 17時50分


直感的能力というものは、あまり分析的な科学的精神が発達すると、
段々鈍って来るものであります。
むしろ昆虫とか、伝書鳩みたいなものの方が、直感的能力が勝(すぐ)れている。

例えば、蜜蜂ですけれども、蜜蜂が、蜜を集めに行くのに、
約四里四方位の距離まで飛んでいって蜜を集めます。

ところがその四里四方の道をあの小さな体で、
方々へ行って花の中の蜜を集めていくのです
けれども、別に”この花の次はあの花”と印をして道順を憶え帰りの道順を決めて
おくんじゃないのです。

けれども、一定の蜜の分量を集めますと、一目散に、
一直線に自分の巣箱へ帰って来るのです。
これをBee・Line(ビー・ライン)といっています。
彼には磁石も測定器械も何も要らないのです。
直観的能力によって、自分の巣箱へ直線飛行をして帰って来ます。

直観力のすぐれているのは伝書鳩も同じであります。
伝書鳩を目隠しして、たとえば東京から京都へ、新幹線に乗せて連れて行って、
京都から目隠しを外して飛ばしてやると、
一直線に東京の自分の巣へ向かって帰って来ます。
これも測定器械も磁石も何も要らないのであります。

直感の能力というものは、《そういうもの》でありまして、”そのものズバリ”と、
直接、《いのち》が《いのち》に触れるように、自分のいのちが真理に触れて、
それを自覚することが出来る能力が、これが直感の能力であります。


ところがで、古代の民族は、科学的、分析的精神が勝れていなかった代りに、
それを補うために直感的能力が勝れておって、宇宙の真理を”《そのまま》ずばり”と
自覚したのです。

宇宙は如何にして出現したか、人生の目的は何であるか、男女の生活は如何にあるのが
理想的であるか ―― とか、こういういろいろな重大な真理を、
そのまま直感で覚(さと)ったのであります。

その時代には、文字も何も無かったのです。
だから、その直感によって悟った真理を文字に書いて伝えることは出来ない。
そこで、言葉によってそれを言い伝えることになったのです。

日本では語部(かたりべ)というのがあって、
代々語部が語り伝えていったということでありますが、

そういう言葉で言いつたえる場合に、
哲学的真理を論理的に言葉で言い伝えるというようなことは複雑な言葉が
まだ発達していない、文字もない古代ではなかなか難しいのであります。

そこで、そういう宇宙の真理というものを伝えるのに一番易しい方法は、
それを物語化して伝えることでありました。

もっとも、それには人間の創作本能というものが、一緒になりまして、
宇宙の真理を直感したものを物語化して代々伝えていったのであります。

これが神話であります。

          <感謝合掌 平成27年8月13日 頓首再拝>

[768] 《”桃太郎”の神話について》
伝統 - 2015年08月14日 (金) 23時39分


神話の一番簡単なのを実例で話しますとこんな話があります。


「昔々、ある処にお爺さんとお婆さんがおりました。 
お爺さんは山へ柴刈りに、お婆さんは川へ洗濯に行きました。 

お婆さんが川で洗濯をしていますと、川の上流からドンブリコ、ドンブリコと
桃の果(み)が1個流れて来たのであります。 

お婆さんがその桃の果を拾って自宅へ帰って、それを二つに割ってみたら、
中から桃太郎という男の児が生まれてまいりました。 
その桃太郎が生長して鬼が島に征伐に行きました」


これは最も簡単な神話であります。

皆さん、これを唯の童話だと考えていらっしゃるでしょうけれども、
だいたい童話とかお伽噺とかいうものには、作者があるんです。 

しかし、神話には、作者がないんです。 
日本の古代民族が直感によって悟った真理を、
たれ言うとなしに伝えられて来たのが神話です。 

その作者というものは、日本の古代民族全体だと考えていいのであります。

この桃太郎の神話は、表面は極く簡単なお伽噺のようでありますが、
深い真理がそれに含まれているのです。 

それは、“お爺さんは山へ柴刈りに” というのは、
お爺さんは、心の雑木・雑草を刈り取る ―― 
すなわち雑念妄想を刈り取って自分の心を浄めて、静かにならしめる事です。 

そうして“お婆さんは川へ洗濯に”というのは、
自分の心の垢をキレイに洗濯する事であります。 

こうして心が浄まり静かになると、生命の実相の真理がよく自分のものになる
という事が“桃の果”を拾うということであります。

 
“川の流れ”というのは、
これは神から発した「生命(いのち)の川」の流れでありまして、

“桃の実”というのは、「生命の川」の流れの岸に養われた
「桃の樹」に生(な)った果実であります。 

「桃の樹の実」は「桃子不死(とうしふし)」(桃子とは桃の実のこと)
という語がありまして、東洋でも「生命の樹の実」だとされていて、
それをたべれば不死といわれているのであります。

             <感謝合掌 平成27年8月14日 頓首再拝>

[770] 《桃太郎が鬼ガ島を征伐したという意味》
伝統 - 2015年08月16日 (日) 02時45分


だから、お婆さんが、「生命の樹の実」を拾って家へ持って帰って、
それを二つに割ってみたら、そこに桃太郎すなわち「生命太郎」というのが
生まれて来たというのです。 

その生命太郎こそ 「生命の実相」 のことであります。 

桃の中のサネという字は「実」という字であります。 
桃の実(み)すなわち生命の樹から生まれて来た”生命の樹”の果実の実相 ―― 
実(さね)の相(すがた)―― というものを、人間が自覚した時

”鬼が島”すなわち死の国が征伐され、病気も死ぬこともなくなるという意味の
神話がこの桃太郎の物語であります。

この事は真理でありまして、『生命の實相』の本を読んで悟ったために
肺病はもちろん癌までも治った人がたくさんあるのであります。 

”鬼が島”というのは、鬼のいる地獄の事をいったので、もう一つ簡単にいえば、
結局「死の世界」の事であります。 

桃太郎すなわち「生命の樹」の果実の中の実相のいのちが、
「死の世界」を征伐したのであります。 

言いかえると、生命の実相を自覚(さと)ると結局、吾々は死ぬことはないのである
 ―― という深い真理が、この桃太郎の物語の中に表れているから、

これから、これは単なるお伽噺ではない、
日本の古代民族が宇宙を真理をさとって、
神話の形で伝えたものということになるのであります。

             <感謝合掌 平成27年8月16日 頓首再拝>

[775] 《五千年生きた東方朔(とうぼうさく)》
伝統 - 2015年08月18日 (火) 05時06分


ところが、この神話というものは、
宇宙に充ち満ちているところの真理を古代の民族が直感したものでありますから、
必ずしも日本だけにあるものではないのです。

日本の古代民族が直感した真理も、ユダヤの民族が直感した真理も、
あるいは支那の民族が直感した真理も、やはり同じことなんです。

唯、それは人間の創作本能が伴なってそれを物語化する状態が多少その民族の
個性に随って潤色(じゅんしょく)せられいるものですから、多少物語の筋が
違うのですけれども、

この「桃の実」というのが「生命の実相」即ち”生命の実の相(すがた)”であり、
それを自覚(さと)ることが死の国を征伐することであるという、
こういう真理は、支那の神話にもあるわけなんです。

支那の神話には、
東方朔という五千年長生きしたという不可思議なる人物があるのですが、
その東方朔が、自分の手に何を握っているかというと、
”桃の実”を握っているのであります。

”桃の実”すなわち”生命の実相”を心に握っていれば
五千年も生きるという神話であります。

             <感謝合掌 平成27年8月18日 頓首再拝>

[790] ユダヤの神話
伝統 - 2015年08月26日 (水) 03時58分


ユダヤの神話では、旧約聖書に生命の樹の果(み)のことが
書かれているのであります。それは旧約聖書の「創世記」のところであります。

「創世記」というのは、「神、はじめに天地を創りたまえり」という言葉が書き出し
になって、ずっと書かれているのでありますが、その第2章に、神様が地球を
つくられてから、祖先のアダムとイヴとを拵(こしら)えてエデンの園という
楽しい世界に住まわせられた。

そして、「このエデンの楽園にあるところのすべてのものをお前たちは利用して生活
したらよろしい、けれども、このエデンの楽園の中央部に聳(そび)えている
”善悪を識る知識の樹(き)”の果(み)は食べたらいかんぞ」と言われた。

普通、この果を”知恵の樹の果”といっておりますけれども、正しく言うと、
知恵の樹の果というよりも”知識の樹の果”であります。

さて、神さまは、「この”善悪を知る”知識の樹の果”を種たらいかんぞ」

と、こういうように言い渡されたにもかかわらず、そのエデンの楽園の中で
一番賢いのが蛇でありました。そしてその蛇が出て来てイヴに対して、

「神様があのようにおっしゃったのは、あの”知識の樹の果”を食べたら、人間の
知識が発達して、そして神さまのように賢くなる。そうしたら、神さまは人間を
治めるにも、治めにくくなるから、”知識の樹の果を食べるな”とおっしゃったん
ですよ。食べてごらんなさい。別に死にやしないから、とても美味しいから」

と言って誘惑したのです。

イヴは蛇の言葉の誘惑に引っかかって神様から禁断されておったこの
”知識の樹の果”を、イヴがまず食べてみたら、なかなか美味しかった。
そして別に死にもしなかった。

そこでイヴは夫のアダムに対して、

「私がもう毒味してみましたから大丈夫です。大変すばらしい、
林檎のように美味しい果物ですからお喫(あが)り下さい」

と言って、夫のアダムに食べさしたのであります。

アダムがその”知識の樹の果”を半分ばかり食べているところへ
神様の足音がして来たのです。
それでアダムは、

”私は、神様から禁ぜられていた果実を食べたのだから見つかったら叱られる。
処刑される”

こう思って、その食べかけた林檎のような”知識の樹の果”をどこへ
匿(かく)そうかと思ったが、彼には、こんな洋服のポケットみたいなものは
ない。

脇の下へ入れても、外からよく見えるし、”仕方がない、呑み込め! ”と思って
それを呑み込んだのであります、それは余りに大きな固まりだったので、すうっと、
すぐ胃袋へ入らないで、咽喉(のど)のところに引っかかったのでした。

それで、人類の祖先アダムの後継である吾々男の人間は、この咽喉のところに
”アダムの林檎”という隆起があるというのでありますが、

吾々は神様に禁ぜられた”知識の樹の果”を食べたために、
神様はお怒りになりまして、アダムとイヴとをエデンの楽園から追放せられた。

そして次のように宣告を与えられたとこの神話はいうのです。

イヴに対して、

「汝は禁断の果実を食べたから、このエデンの楽園におることは出来ない、
女という者は今後一切子供を産むのに、苦しまなければ生まれないのである」

アダムに対しては、

「土は棘(いばら)を生ずるぞ。
今までのようにラクに食物は得られないようにしてやるぞ。
今後は苦労艱難して、土を耕し、雑草やイバラを覗くために苦しい努力を
しなければ食物を得ることは出来ないのだぞ」

こういう宣言をなさったのであります。


しかし、唯一つ、このエデンの楽園に復帰(かえ)る道がある、

それは秘密の通路でありますが、エデンの楽園に”生命の樹”という樹がある。
その実を他寝れば再び人間はエデンの楽園に帰ることができるのであります。

しかし、アダムとイヴは処罰されてエデンの楽園から追い出されたのでありますから、
”生命の樹”に生(な)っている「生命の実」を食べることは許されないのであります。

何故なら「生命の実」を食べて、”生命の実の相(すがた)”というものは、
神の《いのち》そのものでどんな苦しみもないということを自覚(さと)ったならば、
再び人間はエデンの楽園に復帰(かえ)ることが出来るのでありますから、

アダムとイヴのような処罰された者、およびその子孫には、永久にエデンの楽園に
再び帰ることが出来ないように、その”生命の樹”に行く道を塞(ふさ)いで、
ケルビムという名の天の使を番兵として守らせて、

その道いっぱいに、剣(つるぎ)が焔(ほのお)の燃えている火の車となって回転
しながら通路をふさいでいて、絶対、”生命の樹”には行くことができないように
されているというように、「創世記」の第2章には書かれているのであります。


すなわち、”生命の樹の実”を食べたらエデンの楽園(永遠に死なない楽しい国)
に帰れるという「創世記」の神話と、桃の実から生まれて来た桃太郎が”鬼ガ島”
すなわち「死の国」を征伐するという日本の神話とは同巧異曲なのであります。

(了)

             <感謝合掌 平成27年8月26日 頓首再拝>



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