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谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐

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[246] 《興亜の黎明》
伝統 - 2014年10月29日 (水) 04時09分

           *「信の力」(P3〜9)より

《興亜の黎明》〜その1

あらたに生まれる時が来たのである。
茜(あかね)さす 東(ひんがし)の日の本の実相が顕現すべき時が近づいたのである。

我らの永遠にして一(いち)なる日(ひ)、一日(にち)のうちに永遠を経験し、
一歩一歩が大いなる生命(せいめい)の顕現であるべき日が来(きた)ったのである。

今、日本は此の偉大なる生命(せいめい)の巨歩に先頭に立って歩む。
日本人は此の偉大なる生命(せいめい)の巨歩に先頭に立って歩む。


日本人よ、自覚せよ。
時の意義を知らなければならない。
時の実相を暁(さと)らなくてはならない。

日本人としての使命を自覚しなければならない。

世界の生と死を握るもの。
偉大なる日本国よ。偉大なる日本人よ。
その自覚ありや。

この自覚を教うるものこそ真の教育でなければならない。
区々たる制度の改正の如きは末の梢(すえ)たるものである。
この偉大なる自覚を与えるものこそ真の教育である。

(次に続く)

             <感謝合掌 平成26年10月29日 頓首再拝>

[248] 《興亜の黎明》〜その2
伝統 - 2014年10月30日 (木) 04時21分

真の世界秩序は、天之御中主神の御中の理念に一(はじま)り、天照大御神の天孫降臨の
御神勅(ごしんちょく)に展開し、神武天皇の八紘一宇の御神勅にその全貌が示され、
全世界が日本国(にっぽんこく)となるときに完成する。

この《世界秩序の完成に役立つ臣民となることが大政翼賛であり、
かかる臣民を養成することこそ真の教育なのである》。

             <感謝合掌 平成26年10月30日 頓首再拝>

[249] 《興亜の黎明》〜その3
伝統 - 2014年10月31日 (金) 02時47分

先ず聖戦(せいせん)の意義を明らかにしなければならない。
『掠奪』を含む意味の戦いの理念を捨てなければならないのである。

嘗て某氏が、今度の戦いを持たざる国が持てる国に資源の公開を強要するための戦いである
と声明した。某氏のかかる声明に対して某々氏はそれは個人に於ける場合、隣家に富者あり
とて、隣家に住む貧人(ひんじん)が武器を持って押入りて資財を強要して自家の利用に
提供せよと云うに等しい。

今度の聖戦は斯くの如きものではない。
八紘一宇の理念の顕現であると批評した。

この批評に対して、また某々々氏は、個人の道徳と、国家の道徳とは異なるのである、
個人の道徳に於いては持たざる者が持てる者に押入りて資財を強要するは不可なるも、
国家の場合には、自国家の包容せる多くの国民の生活保護を得させるためには、

隣国に侵入して未開資源を強要するも、それを生かす道なるが故に正しいのである、
某々氏の所説の如きは、個人道徳と国家道徳とを混同せるものなりと反駁した。

いすれの所説もそれぞれの立場に於いて正しき理論を含んでいるけれども、
要は国家が生まれ更(かわ)るためには人間が生まれ更らなければならないのである。

国土の阿耨多羅三藐三菩提のためには国民が先ず阿耨多羅三藐三菩提を得なければならない。

             <感謝合掌 平成26年10月31日 頓首再拝>

[255] 《興亜の黎明》〜その4
伝統 - 2014年11月02日 (日) 06時57分

阿耨多羅三藐三菩提は梵語であるけれども、
これを訳せば『正覚(しょうがく)』に他ならない。

国民は正覚なくして隣国に進駐せりとて、唯物論に立脚せる限りに於いて、
それは戦いに過ぎないのである。

『物(もの)』は、それが唯物的に解釈せられる限りに於いて、
取るか取られるのほかに有りようがないからである。

それ以上の意義を持たせるためのためには、霊的意義を持たせなければならない。


取るか取られるかの戦争は『物(もの)』の分量のみを測る略奪の戦争であり、
外国の戦争である。取るか取られるかの医学は『物』の分量のみを測る唯物医学であり、
外国の医学である。

新たに生まれるには『物』のうえに『霊(れい)』の優位を認めねばならない。

折角戦争によって東亜の禍根を平定しても、日本人が某々国人のように、若しその戦勝の
威力を藉(か)って、略奪同様にして似たものを強制的に占領地の住民に高価で
押し売(うで)でのして巨利を貪(むさぼ)るようなことがあったりしたならば、

今までの抗日はただ数百人の主魁(しゅかい)の抗日精神に引きずられていた抗日であって、
支那全民衆の抗日でなかったのだが、今度は全支那民衆の抗日に転じないとも限らないので
ある。

《厳に聖戦の意義を教育しなければならないのは茲であると思う》

             <感謝合掌 平成26年11月2日 頓首再拝>

[257] 《興亜の黎明》〜その5
伝統 - 2014年11月03日 (月) 06時11分

由来、取ることを戦争と思い、取ることを戦争と思うように教育せられているならば、
勢いの赴(おもむ)くところ、国家道徳と個人道徳とを混同し、戦争の余威を藉(か)って
個人的にも『取る』ことにまで進展しがちである。

戦争の意義の唯物的解釈とに原因するのであるが、日本の戦争は八紘一宇の理念の展開で
あるから、その有終の美を完(ばっとう)するには恩威並び行なわれるようでなければ
ならないのである。


其処に支那へ渡る《日本人の再教育》が必要であると思う。

『取る』こと、『儲ける』ことが今次大戦の目的ではなく、東洋を救い、東洋民族の自覚を
促し、東洋人の東洋ならしめ、東洋民族が霊的素質の民族として西欧人に霊的賦活をほどこす
ところの使命ある民族であることを全支人に自覚せしむることこそ今次聖戦の目的である
ことを再教育しなければならないと思うのである。

             <感謝合掌 平成26年11月3日 頓首再拝>

[259] 《興亜の黎明》〜その6
伝統 - 2014年11月04日 (火) 05時04分

支那にわたる一人(いちにん)の無自覚者の行動は直ちに
『あれ見よ! あれが日本人の行為である』と叫ばれるであろう。

善きにつけ、悪しきにつけ、支那にわたる日本人は我らのの代表者なのである。
政府代表者や、慰問使や、大がかりな官的色彩のある視察団の支那視察では、
本当の支那人の心は隠されていて本音を吐かないものである。

もっと平服で個人的に支那人の生活に飛び込んで往って、今全支の民衆が本当にどの程度に、
日本人を理解しているか、怨嗟(えんさ)の声はないか、賞讃の声ばかりであるか、
怨嗟(えんさ)の声があるならば、それはどこから来るのであるか、賞讃の声があるならば、
それはどこから来るのであるか。

今からでも遅くない。
充分観察して、東亜新秩序に邁進すべきである。

東亜新秩序の建設が、ただの制度の改革のみにあると思っていると間違いである。
それは日本人が先ず新たに生まれること、
そして全支人(ぜんしじん)の魂を掴むことが必要である。

(以上で、《興亜の黎明》の謹写を終了します)

             <感謝合掌 平成26年11月4日 頓首再拝>



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