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谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐

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[341] 『 生長の家 』 昭和26年1月号法語 谷口雅春先生(1)〜(31)
明鏡 - 2015年01月02日 (金) 00時12分



【 一日の法語  神はカクリミである 】


神は 隠身(カクリミ)の略である。


姿形が見えないで 或る‘はたらき’を持ったものを、

すべて‘カ’クリ‘ミ’即ち カミ と日本では称して来たのである。


随(したが)って日本人の カミ と称するものの中には

宇宙一切の本源にまします創造主(つくりぬし)の神もあれば、

人間の霊魂もあるし、なかには狐(きつね)狸(たぬき)蛇 がま等の霊魂もおまつりして

カミと称してあがめているものもあるのである。


狐 狸 と云えども、その生命の本質は「 神 」 であるから、

カミと崇(あが)めて祭祀すれば 観(み)る通りにあらわれて来るのであるから

神通力を発揮するものもあるが、すべて個別霊の神通力には限りがあるので、

何でも叶(かな)えてくれると云う訳には行かないのである。




【 二日の法語  創造の神には偏頗(へんぱ)な不公平はない 】


限りなき全能の力を有(も)ちたまう神は、創造主の神である。

しかし創造主の神は、個別霊のように愛憎の念をもって、

吾々に或る時は利益を与え、或る時には復讐をなしたまうようなことはないのである。


それは全人類の親様であるから、一視同仁(いっしどうじん)に

すべての人々に平等の愛をそそぎたまうのであって、

太陽が 善人にも悪人にも平等にその光を与え、

雨が 善人にも悪人にも平等にその潤いを与えるごとく、

如何なる人間をも ゆるしたまいて 平等に恵みを与えたまうのである。


ただ吾々が光を受けることが出来ないのは、

光に対して背を向けるか、眼を瞑(と)じるかしているからである。




[344] 三日の法語 ・ 四日の法語
明鏡 - 2015年01月02日 (金) 21時03分



【 三日の法語  人間は霊であると云う意味 】



「 霊 」 と云う語は ひろい意味をもっている。

一般にそれは 「 非物質であって霊妙(ふしぎ)な はたらきあるもの 」 と云う意味である。


霊と云えば、宇宙霊すなわち 「 天地の本源神(もとのかみ) 」 と云うような場合もあれば、

肉体を脱け出た個別霊すなわち 「 霊魂 」 を意味する場合もある。


「 人間は霊である 」 と云うような場合は、 「 人間は霊魂である 」 と云う意味ではなく、

人間は 「 非物質にして霊妙な はたらきを有する神霊である 」 と云うような意味である。


「 霊妙な はたらき 」 と云う意味には 「 神通自在 」 と云う意味もあれば、

「 生命力を有する 」 すなわち 「 霊活者 」 であると云う意味もあり、

「 叡智(えいち)を有する 」 すなわち 「 霊智者 」 であると云う意味もある。



 即ち 「 人間は霊である 」 と云う意味は

「 人間は非物質にして 神通自在の生命そのものであり 霊智者である 」 と

云う意味である。





【 四日の法語  物理学は神を発見した 】



最近の物質科学の進歩により、物質は 原子より成り立つが、

原子は 若干の素粒子より成り立ち、

その素粒子は 「 無 」 よりして突如として発生し、

また 「 無 」 に帰することが発見されたのである。


結局、 「 物質 」 は 「 無 」 の変形であることが発見されたのである。


しかし単なる 「 無 」 は何もないから

それが変形しようにも変形のしようがない。


その 「 無物 」 の世界に ‘ あるエネルギー ’ が加わって

原子のようなものが凝結し発生したのである。


その 「 あるエネルギー 」 は高等数学的な秩序をもって

素粒子、原子、分子の離合集散等その他の発展を支配している。


従って それは 驚くべき叡智を備えたエネルギーだと云える。

この叡智を備えたエネルギーを 吾々は神と称するのである。





[350] 五日の法語 ・ 六日の法語
明鏡 - 2015年01月04日 (日) 18時48分



【 五日の法語  悪しき現象に心を乱すな 】



人間の幸福 と 健康 とを持ち来たす真理の中心となるものは

「 神がすべての渾(すべ)て である 」 という真理である。


そして 「 神は 無限の智慧であり、無限の力であり、無限の愛であるから、

神の創造せられた世界には 不幸や病気は 決して存在しない 」 と云う真理である。


この真理に 完全に目覚めるとき 一切の不幸と病気とは 消えるのである。


若(も)し吾々が 現象にあらわれたる不幸と病気とを実在であると信じ、

それに心が捉(とら)えられ、それと心が格闘して心 乱れるときは、

乱れたる心の表現にしか過ぎない病気や不幸は 却(かえ)って増大するのである。


悪しき現象は 乱れたる心の反影であり、影であるから 心が平かになれば消える。





【 六日の法語  大自然の浄化力 】



悪しき現象は 煙のようなものである。


濛濛(もうもう)と立騰(たちのぼ)る煙の中にいる時に、

その煙を消そうとして 更に 燃料を注ぎ込んでは ならないのである。


煙をして 煙自身を 処置せしめよ。

必ず煙は 薄くなり、やがて消えてしまうのである。


宇宙には 自浄作用と云うものがある。

その自浄作用が 神の癒(い)やす働きであり、


傷をしたときに 中から自然に癒(なお)って来る働きであり、

大掃除をしたときの空中の埃(ほこり)が 自然に消えて行く働きであり、


諸君が 病気や不幸に見舞われたとき、

それに 心を捉えられなければ

自然に それが癒されて行く根源力である。


この根源力を 吾々は神と云うのである。




[354] 七日の法語 ・ 八日の法語
明鏡 - 2015年01月06日 (火) 21時52分



【 七日の法語  暗(やみ)を消すには 光を射し込ませよ 】



暗を消すものは 光のほかにはないのである。


暗と格闘したところが 暗は消えない。

暗を消すには 光をとぼせば好いのである。



病気を消すものは 生命力のほかにはないのである。


闘病などと云って病気と闘っている者があるが、

それは暗と格闘して 暗を消そうとしているのと同じである。


また絶対安静などと称して じっと病気をみつめている者があるが、

これは暗を見つめて 暗を消そうとしている者で、いずれにしても無効である。


暗を消すには 光を射し込ませれば好いと同じく、

病気を消すには 生命を見つめるのが一等好いのである。


生命に対して心を開放せよ。

心を明るく持て、人間生命の本質は 神のエネルギーであって、

常に自浄して治るものであることを信ぜよ。




【 八日の法語  智慧は物質現象を左右す 】


生命現象が可能であるのは、

生命の中に含まれている智慧が、

自分の目的意志のとおりに、

原子、分子、細胞等を組立て 組合せて行く力をもっているからである。


ある食物を試験管に入れたときと、

生きている人間の胃袋に入れたときとは、

異なる化学的変化が起り、

更に化学的変化以上に、生物体を構造する働きが起るのである。


智慧(心)は 物質の原子、分子の配列状態を変え、

自分の目的とする肉体を築きあげるのである。


若し、あなたの 「 智慧 」 が病気を心に描いて、

それを常に見詰めているならば、

あなたの 「 智慧 」 は食物から吸収した全ての物質成分を

「 病気 」 の姿に配列するから治りようがないのである。




[359] 九日の法語 ・ 十日の法語
明鏡 - 2015年01月08日 (木) 23時54分


【 九日の法語  智慧は物質の配列を支配する 】


色硝子(ガラス)が 無色の太陽光線を 種々様々の色にあらわすように、

あなたの 「 智慧 」 は、健不健のどちらにも属しない素材である食物を利用して、

或(あるい)は 健康なる肉体に構造し、或は 肉腫や、癌腫(がんしゅ)や、疣(いぼ)や

潰瘍(かいよう)につくりあげる。


物質は それ自身では、生きている有機体をつくることは出来ないで、

智慧に導かれて 色々の姿に建造されるのである。


同じ栄養の成分が 松の木の 「 智慧 」 によって配列されるならば 松の木に変ずるし、

梅の木の 「 智慧 」 によって配列されるならば 梅の木となるのである。


それが人間の健康なる 「 智慧 」 によって配列されるならば 健康なる肉体となるし、

病的なる 「 智慧 」 によって配列されるならば 病める肉体となって顕(あらわ)れる。





【 十日の法語  科学と宗教は 矛盾しない 】



科学と宗教とは 決して衝突するものではないのである。


最近の科学は すべての存在は、ただ一つのエネルギーが 諸種の素粒子となってあらわれ、

それらが互に結合して 物質になることを明かにしたのである。


その 「 唯一つのエネルギー 」 を 宗教家は 「 神 」 と呼んでいる。


名称の相異によって 惑わされてはならないのである。


光明輝く生活を得る道は、この 「 唯一つのエネルギー 」 を

如何(いか)によく 利用し得るかにかかっている。


その 「 唯一つのエネルギー 」 はその反面、自然科学の 「 法則 」 としてあらわれ、

他の半面は 「 人格神 」 として顕(あらわ)れる。


科学者は 法則を発見し、それを利用し、

宗教家は その人格面に触れて 恵みを受ける。





[363] 十一日の法語 ・ 十二日の法語
明鏡 - 2015年01月11日 (日) 00時34分


【 十一日の法語  影の中に生活して 影の姿に驚くな 】



吾々の「 智慧 」が 物質世界の構造を変化し、

それを自己特有の想念の形に構造して行くことが出来ると云うことが出来るならば、

物質世界は 吾々の「 智慧 」の影であり、

想念(こころのおもい)の投影だったと云うことがわかるのである。


自分の想念の影の中に生活し、

その影の中に病気や不幸が見えるからとて、

それを変化し難き客観的実在だと思って恐怖し 戸惑いしているのは愚かなことである。


今あらわれている形は 自分の過去の想念(こころのおもい)の影なのである。

これから如何なる状態に物質世界を構造するかは、

これからの自分の想念(こころのおもい)であるのである。


心の眼を開いて 光明面を見、光明面を想念することによって

物質世界を光明化させる。




【 十二日の法語  過去に捉(とら)われず 新しき健全なる想念を抱け 】


多くの人たちは、自己の肉体の不健康を征服せんがために、

常に不健康の姿を心に描き それを何とかしようと思って

其処(そこ)に心を集中すればするほど、

想念が細胞の配列状態を指導するがゆえに、

その病気を見詰める想念が、これから新たに養分を補強してつくられる新細胞までも

病気の状態に造ってしまうのである。


旧細胞 旧組織が 如何に病気であろうとも、

それは やがて死滅して、新たなる細胞によって 置き代えられるものである。


だから旧細胞がどんな状態であろうと、

そんなことを意に介することは要らないのである。

新細胞さえ健全に造って置けば やがて健全な細胞のみとなる。




[367] 十三日の法語 ・ 十四日の法語
明鏡 - 2015年01月13日 (火) 00時49分


【 十三日の法語  唯 「 健康 」 のみを念ぜよ 】


想念に描かれたる姿が、物質 原子 分子の配列を指導して肉体をつくるのであるから、

吾々が健康の観念と、病気の観念とを、同時にもっている限りは

肉体は 健康となることは出来ないのである。


「 わが生命は 神の生命やどりて出来たものであるから健康である 」 と

一方に於(お)いて信じながら、他方に於いては、

「 自分の生れつきの体質は 虚弱である 」 とか、

「 自分は不治の病いに侵されているのである 」 とか考えている限りに於(おい)ては、

健 不健 混合の想念によって肉体がつくられるから、

いつまでたっても 或(あ)る程度の不健康さを 肉体にあらわすことになるのである。




【 十四日の法語  常に健康のみを想(おも)え 】


思念治療に於いて、病者が健康となるのは、術者が病人に対して

「 汝は健康である。汝の凡(あら)ゆる器官は健全である 」 と云う式の想念に 心を集中するとき、

術者の健康の想念が 患者の 「 病気の想念 」 を圧倒して

それを 「 健康の想念 」 に変化するため、

その 「 健康の想念 」 が肉体を改造して 健康にすると云う原理に基づくのである。


されば術者なくとも 自分自身が常に 「 健康 」 の想念を持続することさえ出来れば、

その想念が 肉体を改造して健康ならしむることが出来るのは 当然であると云わねばならない。


然るに 病者の多くは、大抵 常に 「 病気 」 のことのみを思い、

その読む書物も、病気の恐怖を唆(そそ)るような通俗医学書や療病書のみを読むから

その効果は 逆になって 中々治らないのである。




[373] 十五日の法語  ・ 十六日の法語
明鏡 - 2015年01月14日 (水) 16時27分


【 十五日の法語  神は 人を貧乏ならしめ給(たま)わず 】



諸君の生命が 地球を作り、太陽を作り、

無数の星辰(せいしん)を造ったところの偉大なる生命と 「 一つ 」 である

ことを自覚するならば、諸君が 病気や貧乏に嘆くことは 要らないのである。


宇宙大生命は 無尽蔵の供給源であるから、

必要のときに 必要なるものを 供給することが 出来るのである。


しかしその供給の本源力は 神の智慧であるから、

若し 吾々が 神の智慧と波長が合わなければ 神の供給が閉ざされたように

見えるのである。


神の供給の放送がないのではない。

その供給の放送を受信する波長が 自分に起らないのである。


若し 完全に波長を合わして 受信することが出来たならば、

必ず無限供給ゆたかに 溢(あふ)れるのである。




【 十六日の法語  富想を養わねばならぬ 】


吾々が富むために必要なことは

人間は 神の最高の自己表現であり、

神は 無限の供給源であるから、


人間が貧乏になる筈(はず)はない

と云う真理を 充分自覚することである。


神は 理念によって一切のものを造ったのであるから、

一切の存在は 吾々の理念に相感応することを知らねばならない。


「 併し、それは理論であって、実際は 私は現に貧乏である。私には金がない。

融通をしてくれる人もない。私は素寒貧(すかんぴん)だ 」 と考える。

そう考えるから、貧乏の波長ばかりが起るのである。


従って 受信される波長は 貧乏の波長ばかり、話しかけてくれる人は 貧乏人ばかり、

そして いつまでも融通がつかないのである。




[377] 十七日の法語 ・ 十八日の法語
明鏡 - 2015年01月16日 (金) 19時31分



【 十七日の法語  貧乏を駆逐するための想念 】


現象が如何にあろうとも、

貧乏だと云う観念を心の中より吹き祓(はら)え。


貧乏の状態を如何に非存在だと思おうとしても、

それを非存在だと否定しきることが出来ない時は、次の如く思念せよ。


「 貧乏よ。汝(なんじ)が如何に実在するが如く仮面をかぶって出て来ても、

私はお前の瞞(だま)かしには乗らないぞ。

必ずや、汝が非実在であると云う真相は暴露して、

今に実相の富有さがあらわれて来るぞ。」


そして 「 自分は既に富んでいるのである。神は無限の富者であり、

自分は神の子であるから 無限の富は 実相に於いても 現象に於いても

既に与えられているのである。

私は既に富んでいるのだ。有難うございます 」 と常に念ぜよ。





【 十八日の法語  汝、無機物と成る勿(なか)れ 】



現象の外観にまどわされ 内部の心を支配されてはならない。

それは 外観の奴隷であって、自分自身の主人公ではないのである。


内界が 外界を支配し得るようにならなければ

自分自身が自分の主人公だと云うことは出来ないのである。


内界の理念に 「 光明 」 を描いて 外界を照しだせば、

外界を 「 光明 」 に変化することが可能なのである。


すべて順潮に伸びて行く人は、

内界の力をもって 外界を押し進めて往(い)った人である。


ただ無機物のみが 外界の物質的な力に押されて 屈服するのである。

生命は 幾多の自然界の無機物的力、無数の天変地変にも負けずに 此処まで進化を遂げて

来たのである。


汝 「 生命 」 ならば これを支配せよ。



[386] 十九日の法語  ・  二十日の法語
明鏡 - 2015年01月18日 (日) 19時27分



【 十九日の法語  過去 と 持越苦労 と 他(ひと)の罪を捨てよ 】



「 生命 」 が進歩するためには

「 過去 」 を放すことが必要である。


「 過去 」 にしがみついている者は

永遠に進歩することは 出来ないのである。


「 過去 」 を放すことの中には

「 持越苦労 」 をしないことが含まれている。



それと共に 「 他の罪を赦す 」 ことが含まれている。



過去を放ち、持越苦労を放ち、他の罪を赦したときには、


実は自分自身の 「 生命 」 が解放されるのであり、


それによって 自分自身が進歩する新しい内在の力が 解放されるのである。



前進しようと思う者は、

過去にしがみついたり、

過去のことをくよくよ思ったり、

自他の罪を いつまでも心にとめている暇はないのである。





【 二十日の法語  心を平静にするには反省せよ 】



心が感情で激動し、神の方へ集注することが出来ない場合には、

屹度(きっと)それは何か 「 身びいき 」 の我の考えにとらわれているか、

相手の身になって考えてやらないからである。


自分に 「 身びいき 」 の考えはないか、

相手にとって止むを得ないのではないか考えよ。


更に自分の今考えていることだけが善いことではなく、

その今考えていることが 妨げられることが却(かえ)って一層よくなって来るために、

神が彼をつかわし給(たま)うているのではないかを充分考えよ。


そうした反省が入って来るとき、

激情は止み、心は平静となり、他を赦すことが出来、

自分の心も解(ほど)けて 神の智慧が流れ入って来るのである。




[391] 二十一日の法語 ・ 二十二日の法語
明鏡 - 2015年01月20日 (火) 21時38分



【 二十一日の法語  感覚の錯誤に惑わされるな 】


神が善であり、完全であるならば、神の生命が流れ入って

わが生命となっている「自分の生命」に病気などは ある筈(はず)はないのである。


吾々は外形を見て、真実を忘れてはならないのである。

五官の感覚に見える姿よりも 論理的に考えられたる結論の方が真実である。


感覚では 太陽が東より昇って西に入ると見えるけれども、

理論では 地球が自転しているのであって

太陽は上り下りするのではないのである。


而(しか)して理論によって結論された方が 真実であるのである。


さすれば、人間が感覚で見れば 肉体は病むように見えても、

神の生命が宿っている人間は 病まないと云う方が真実である。




【 二十二日の法語  既にある恵みに感謝せよ 】


既に現象界にあらわれている何らかの善きものあらば、

神の恵みであると思って感謝せよ。


その感謝の念が 次の恵福を現象し出して来るための 波長を合わすことになるのである。


日光に感謝せよ、空気に感謝せよ、水に感謝せよ、住居に感謝せよ、

食物に感謝せよ、衣服に感謝せよ、すべての人々に感謝せよ。


その感謝の念波によって、次の恵福が受信されて来るのである。


不健康であるのも 感謝が足らぬからである。

貧乏であるのも 感謝が足らぬからである。


本当に感謝の念が高まれば 健康ホルモンが旺(さか)んに分泌されて健康になるし、

本当にすべての物に感謝すれば 行届いてサービスするから貧乏になりようもないのである。




[395] 二十三日の法語 ・ 二十四日の法語
明鏡 - 2015年01月22日 (木) 19時36分



【 二十三日の法語  環境に振廻(ふりまわ)されず 実相を観(み)よ 】



環境や境遇や現象界の諸事情は 常に変転きわまり無きものであって、

それらの変化する毎(ごと)に心を動揺させていては、

吾々は心の平和を得ることは出来ないのである。


真に心の平和を得ようとするならば

常に円満完全なる 「 実相 」にのみ

心を振向けなければならないのである。


そして現象は如何(いか)に移り変るとも、

完全円満なる 「 実相 」 が 徐々に尚(なお)一層完全に

表出され出ずる過程であるから、変化する毎に一層よくなる。


一時は不結果のように見えても 必ずよくなると信じて

心を動揺させずに、前途に 「 善き状態 」 を想念していれば、

その想念の創化作用によって、悪く見えている事物も結局は よくなって来るのである。




【 二十四日の法語  現象を改善する智慧は 神霊の導(みちびき)に得よ 】


外界の状態に刺戟(しげき)されて、心が動揺している限りは、

心は 単に不完全な姿を反射する受動的なものに過ぎず、

八方からやって来た色々の印象の混雑した塊に過ぎないものになってしまう。


そして一度悪い印象が入って来れば、それを心に反射し、

心が又(また)それを外界に反射し、

いつまでも経(た)っても現象の混乱した姿は消えないことになってしまう。


現象を改善するために、現象に対する単なる反応だけではなく、

それを契機として神霊の導きを受けて それに対応しなければならないのである。


神霊の導きを如何にすれば受け得るかは、

常によく神想観を行じ 神に心を集注しなければならぬ。




[399] 二十五日の法語 ・ 二十六日の法語
明鏡 - 2015年01月24日 (土) 20時48分



【 二十五日の法語  内部の神の導きを得るには 】


内部から閃(ひらめ)く神霊の導きは 一種の直感として出て来るのであって、

現象的にみれば一見不合理とも危険とも見えるような事をやりながら、

それが却って現象の好転となってあらわれて来るのである。


内に宿る神の導きは、つねに 「 神は智慧にして、我は神の子なれば、

我はすべてを知り、すべてのもの我を知れり 」 と云う 「 実相を観ずる歌 」 の

意味を常に念じて、自己内在の神を目覚めしめて置くことが必要なのである。


常に神想観を行ずる人には 霊覚とみにひらけて、

時には 神の声をきくこともあれば、

時には 自然の導きが人を通じて来る事もあるのである。




【 二十六日の法語  心を平和にして坐(すわ)れ 】


「 心を平和にして唯(ただ)坐ること 」

それだけでも内部の神を呼出すのに有効なのである。


道元禅師は、「 祇管打坐(しかんだざ) 」 すなわち 祇管 ひたすら 打ち坐ることによって

実相を徹見することを教えられたのである。


更に静かに坐って 「 わが内に神ましまして、全てについて我を導き給う 」 と念ずるならば、

我が力味も、取越苦労も 悉(ことごと)く消えてしまって

本当の心の平和を 得ることが出来るのである。


本当の心の平和に到達すれば

其処(そこ)には 人間の本性(神なる実相)があるのであるから、

自然に叡智(えいち)の閃きが湧(わ)き出で、する事 為(な)す事 都合がよくなり、

無限の供給 おのずから整うのである。




[406] 二十七日の法語  ・ 二十八日の法語
明鏡 - 2015年01月26日 (月) 21時06分



【 二十七日の法語  大胆にして細心なれ 】


「 世間の通念に押し流されて生活することは容易であるが、

また山に こもって自分の好むように生きて行くことも容易であるが、


大衆の中にいて、ひとり気高く霊の尊厳を維持して生きて行くことは

大人物にして始めて可能のことである 」 とエマースンは云っている。


大衆にこびず、自己満足に陥らず、迎合せず、妥協せず、

しかも大衆を生かして満足せしむるには

神霊に導かれる者にして始めて為し得ることなのである。


大胆にして奔放なるのみなら 蛮勇者も為し得るが、

大胆にして細心なるを得るは 神霊の導きによるのである。




【 二十八日の法語  思念は行動の代用にはならぬ 】


ただ坐(すわ)る、ただ神想観すると云っても、

一日中坐って祈っている訳では ないのである。


思念は 行動の代用品にはならないのである。


だから思念しているだけで、惰(なま)けていたり、

細かいところに気をつけなかったりしては何の効果もないのである。


孔(あな)のあいたバケツに水を入れて、

「 どうぞ このバケツが漏らないようにして下さい 」 と

祈るだけでは効果がないのである。


祈ることは 神の智慧につながることによって、バケツを如何(いか)にして

修理すれば好(よ)いかの 智慧と力とを得ることが出来るのであって、

その智慧の通りに実践することによって 始めてバケツの水が漏らなくなるのである。






[414] 二十九日の法語 ・ 三十日の法語 ・ 三十一日の法語
明鏡 - 2015年01月28日 (水) 20時44分



【 二十九日の法語  商売繁昌も健康も心の問題である 】



商売や仕事と雖(いえど)も根本は

物質的問題ではなく、心の問題なのである。


心の誠実さが 客を呼び、

誠実なるサービスが 繁栄を齎(もた)らすのである。


心なき商売や、心なき仕事は

失敗し衰微するほかはないのである。


肉体の健康の問題も 単に物質的問題ではないのである。


肉体は 無数の細胞によって組織せられており、

その細胞には一つ一つ精神があるのである、


胃腸の細胞を考えて見ても、唯(ただ)溶けた物質を何でも吸収するのではなく、

人体に必要なものだけを選択的に吸収して 同化しようとする智慧があるのである。


吾々の心の状態は これら細胞の心に影響を与えて 肉体を健不健にするのである。




【 三十日の法語  神のみ声をきくには 】


心そこに非(あら)ざれば 見れども見えず 聞けども聞えずである。


神の声をきこうとするには 常に誠実なる心をもって

神の導きの声をきくようにつとめねばならない。


利己的なことを祈ってはならない。

常に自分の天分にかないながら 他の人を利益するように

祈り かつ 心を清めて傾聴すべきである。


神の み声は必ずしも耳にきこえる声ではなく、直感的な閃(ひらめ)きとなって来ることも、

良心の囁(ささや)きとなって来ることもある。


神の声を聞いたならば、その通り素直に実行しなければならぬ。


神の導きを きけども従わぬならば、

神は 再び導きの労をとり給(たま)うことはない。




【 三十一日の法語  汝(なんじ)、これを信ずるや 】


真理の霊、汝に来りて常に云い給う。
 

「 汝わが言葉を信ずるや。過去の学説を信じて われを信ぜざるや。

われ汝を 『 霊 』 にして物質に非ず、肉体に非ずと云う。汝それを信ずるや。

信じる者は 永遠に痛まず 死せざる生命の泉 汝の内に湧(わ)き出でん。

汝、わが言葉を信ずるや、汝は神の子にして絶対に自由なり。汝は神の子にして、

われは 汝に無限に豊富なる生活を与えたり。汝は永遠に乏しきことなし。

この言葉を信ずる者は 永遠に乏しからず、無限の供給 つねに汝につき纏(まと)うて、

あらゆる場面に処して完全なる自由を得ん。」と。


この啓示を一日 数度 繰返し読みて 深く信ずべし。






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